日没後の大海原は、見渡す限り一面の暗闇に包まれる。
その中を、真っ白な髪の重巡洋艦がただひとり、満身創痍で進んでいた。左肩は砲撃を受けて大きく裂けており、血が絶えず流れ落ち航跡の中に溶けていく。
彼女は痛みをこらえながら振り向くと、光る青い瞳で後方を見つめた。そこにあるとわかるのは航跡だけで、他は何も見えない。
そうだ、あいつは確かにあの時の……まさか!いや、それよりも早くこの傷を治さないと……
彼女が震えながら、そのような思いにとらわれる中。
「DD25482、DD25482……」
どこからともなく聞こえる呟き声に、彼女は艤装の砲を四方八方に向ける。声の主は姿を見せないが、読み上げは繰り返される。
「DD25482、DD25482、DD25482、DD25482、DD25482」
彼女は姿の見えない相手に向けて、悲鳴にも似た声をあげる。
「どこなの、一体どこ!」
「……因果応報」
突然、彼女の左肩から先は無くなった。炸裂した砲弾の火薬と自らの肉の焼ける臭いが、かろうじて残っていた彼女の冷静さを失わせた。
苦痛と恐怖の叫び声をあげ、四方の暗闇に向けて彼女はのたうち回るように砲を振り回す。水しぶきが上がる音、闇に響く叫び声の中に、何かが確実に彼女に迫っていた。
その時、彼女の右足首から水柱が吹きあがった。彼女の足首を魚雷が打ち砕いたのだ。続いて二度、三度直撃を受け、がっくりと水上で跪いた彼女めがけて、白い航跡が四方八方から押し寄せてくる。敵の姿が見えない中、とっさに彼女は航跡の伸びてきた先に砲を向けたが、その砲から火が噴くことはなかった。
この時ほど、彼女は自分のしてきたことを後悔したことはなかった。
そして突き刺されるナイフのように、魚雷の一発一発は沈みゆく彼女の身体を貫き壊していった。胸元まで海中に没した彼女の空ろな瞳は、暗闇の中に浮かび上がった『敵』の姿を見た。腰から下、赤黒く染まったミニスカート、白い足と靴下……。
「……沈め」
その声を聞いた瞬間、彼女は左側頭部を至近距離から小口径砲で吹き飛ばされ、漆黒の闇の中に飲みこまれていった。
夜間偵察から一夜明けたその日、休暇を貰った私たちはそれぞれの時間を思うように過ごしていた。私は旗艦の神通さんと一緒に練習巡洋艦の香取さんの手伝いに行き、それを終わらせて部屋に戻った。窓際の寝台にひとり退屈そうに寝そべっている淡いピンク色の髪の駆逐艦以外に、部屋には誰もいなかった。
「あっ、不知火、いたんだ」
「うん……陽炎は何をしに行ってたの?」
「神通さんと一緒に、香取さんの手伝いでちょっと倉庫にね」
「そうなの?不知火も呼んでくれたらよかったのに……香取さんには恩があるの」
「じゃあ今度香取さんに手伝い頼まれたら、不知火も引っぱっていこうかな」
不知火は、私と同じ艦隊の駆逐艦。元気で活動的な子が多いこの艦隊には珍しく、クールで物静かな性格の子だった。
その性格のためか彼女は他の子たちとあまり話をしたがらず、話しても任務のことくらいだった。でも私はその数少ない例外だった。
ちなみに戦闘能力は高く、先週の掃討作戦で出くわした旗艦の軽巡にとどめを刺したのも不知火だった。不知火は敵の深海棲艦にまったく容赦がない。不知火に砲を向けて生き延びた敵はいないんじゃないかしら。
「そういえば先週の軽巡のことなんだけど、自分が仕留めた分くらい、自分の戦果として報告してもいいって思うのよね。調べてみたら、結構大物だったわよ」
「あまりそういうものは自分の手柄にしたくない。それなら陽炎の戦果にするのが陽炎のためになるし、それが一番正しいのだから、それでいいんだ」
「ふぅん、変なの!」
不知火は先週、敵旗艦の軽巡を私が仕留めたと司令部に伝えていた。それより前に別の軽巡を仕留めた時も、私にその手柄を譲ってくれた。
私は不知火がそうしてくれることがどうも腑に落ちなかったけど、実績を増やして出世したいとも思っていたからその好意に甘えていた。それでもいつかはその借りを返さなきゃ。借りっぱなしでは、この陽炎の名折れだもの。
そんなことを考えていたその時。
「陽炎はん、もしよろしかったらご飯食べにいきましょ!」
同じ艦隊の駆逐艦、黒潮と朝潮がドアを開けて声をかけてくれた。時計を見るともう一二三〇時をまわったところだった。そろそろおなかも空いてきたころだし、一緒しようかな。私は黒潮に返事をすると、不知火にも声をかけた。
「うん、ちょっと待って!不知火は?」
「あまりお腹は空いていないけど、行こうかな」
普段はあまり表情を変えない不知火が、珍しくニッコリと笑って答えてくれた。
今日のお昼は、みんな一緒にハンバーグランチ。少しカロリーは気になるけど、午前中は手伝いで少し力仕事もしたし、午後からも演習があるから、ま、問題ないでしょ。それにカロリーが気になるのはみんな同じって考えると、ちょっと変な安心感もあるし。
この日は黒潮が大阪に里帰りしたときの話をしてくれた。やっぱり大阪生まれだからかしら、話が上手。道頓堀や難波、千日前に遊びに行った時のことをとっても面白くしゃべってくれて、全然食事が進まなかった。
そしてそこから、それぞれの生まれたところの話になって……
「そういや、陽炎はんの生まれはどこでしたかいな?」
「えっと、私は……舞鶴よ」
あれ?そういえば不知火はどこの生まれだったっけ?それどころか、ここに来るまで何をしていたのかも分からない。私が知らないのだから、黒潮や親潮が知ってるはずないわよね……。
私はそれ以来、不知火の過去が気になり始めた。一度お腹が空いたことに気付いてしまうと、何か食べて小腹を満たしたくなるのと同じで、知らないことに気付いてしまうと、それ以来気になってしまうもの。私は何度か不知火に昔のことを聞いてみたりはしたものの、いつも「気分が乗らない」とか「その話はよそう」と言われ、はぐらかされてしまう。そんな毎日が続いていた、ある日のことだった。
「皆さん、次の任務についてお話しします」
私たち駆逐艦は神通さんに呼び出され、作戦会議室で横一列に並んだ。
神通さんはスレンダーで物静かな軽巡洋艦。怒ると本当に怖い人だけど、普段はひと一倍私たち随伴艦のことを思ってくれている。少し前に私の艤装の不調で作戦が一部完遂できなかった時も、私をかばって責任を負ってくれた。
目の前では、神通さんが机に海図を広げ作戦内容の説明をしていた。今度の私たちの任務は敵水雷戦隊の迎撃作戦。ここ最近周辺海域で敵水雷戦隊の奇襲を受けることが多く、偵察を出したところある島が敵の前線基地になってることが分かった。そこで、私たちがその掃討を命じられた、というわけ。
「……この島に停泊している敵水雷戦隊は二艦隊。先に出た敵艦隊を私たちが叩いて、残った艦隊を川内姉さんの艦隊が叩く作戦です。敵の内訳は、二部隊ともに軽巡二、駆逐四の水雷戦隊。敵深海棲艦の顔ぶれは偵察隊が写真に収めてきてくれました」
神通さんは言いながら、黒板に数枚の引き伸ばされた写真を張り付けた。偵察機から撮影されたと思しき、粒子の荒い写真。その中に一枚、ひときわ目を引く深海棲艦の写真があった。黄色の瞳が輝き、粒子の荒い写真にもかかわらず妖しさを感じるものだった。恐らく、『鬼』クラスの軽巡だろう。
「出発時刻は一九四五時。作戦の説明は以上です。質問のある方は?」
「はい」
神通さんの呼びかけに手を挙げたのは不知火だった。そのときの不知火の目は、妙にギラギラとしていた。あまり表に出さないように抑え込まれた感情が、その瞳にほとばしっているように見えた。
不知火はそのまま黄色の目をした軽巡の写真を指さしながら、問い詰めるように言った。
「神通さん、この軽巡は先に出る艦隊ですか。それとも基地に残る艦隊ですか」
「それはまだ分かりません。しかし私たちの任務は基地を出た艦隊を叩くことですから……」
「それでも不知火は、どうしてもこの軽巡を仕留めたいのです」
「この作戦はあなた一人でするわけではありません。武勲を求めるのもいいですが、まずは自分の責務を全うしてからにしてください。それができない方はこの作戦には要りません。艦隊の皆が戦っている中、ひとりだけ部屋で寝ていてもいいんですよ」
神通さんは柔らかい言葉で、しかしきっぱりと言い切った。その毅然とした態度に不知火は頭を下げ、申し訳ございませんでした、と謝った。ただ、不知火の瞳は部屋を出た後も獣のように鋭いままで、話しかけづらかった。
神通さんは不知火があれほど軽巡にこだわる理由を武勲のためと言ったけど、私はそうじゃないような気がしていた。でもその理由を不知火に直接聞くのはなんだか気が引けた。聞いてもこれまでのように教えてはくれないだろうし、もし聞けたとしても、自分と不知火の間に大きな溝のようなものができてしまうような気がしていた。写真を見ていた時の、あの殺意に満ちた不知火の顔が私をそうさせた。
そんな思いを抱えながら毎日は過ぎていき、ついに掃討作戦の日がきた。