闇の中の不知火   作:ゆずた裕里

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第参章

 その日私たちは工廠の掃除をしていた。工廠はかなりの広さがあって、まるまる一日で終わるか分からないくらい。神通さんは書類仕事で香取さんのもとに行っていたので、残りの私たちみんなで地道に箒で掃いていった。

 

 「ふぅ、それにしても、こないにも広かったら、今日一日で終わるか分かりゃしませんなぁ」

 「本当にそうね。でも出来なかった分は明日別の隊に引き継ぎなんだし、少しくらいさぼってもいいんじゃないかしら」

 「だめですよ陽炎姉さん。さぼろうものなら神通さんにすぐにばれてしまいますよ」

 「親潮は真面目よね……」

 

 私たちが駄弁っている間にも、不知火はひとり、箒で地面のごみを掃き続けていた。

 

 「あっ、真面目があともう一人いた。不知火!」

 「んっ?」

 「このへんで少し休憩しない?」

 「いや、もう少し続けようと思う。神通さんにまた怒られてはかなわないもの」

 「きっとこの前のが効いてるのね……」

 

 その時だった。工廠を横切って、埠頭の方角に艦娘たちの一団が走っていった。体力作りのジョギングにしては列を組んでいないから違うし、そもそも工廠を横切ってジョギングすることは事故防止のため禁止されている。なにかただならぬものを感じた私は、その一団に続いて埠頭に向かっていた駆逐艦、嵐を呼び止めた。

 

 「嵐、みんなして埠頭に向かって、どうかしたの?」

 「川内さんたちが、敵の重巡を捕虜にしたんだってさ!」

 

 そう聞いた不知火は目を見開くと、箒を手にしたまま突き動かされるように駆けだしていった。嫌な予感を感じた私は黒潮、親潮と共にその後を追うように埠頭に向かった。

 埠頭には艦娘たちの人だかりができていた。私はその最前列に不知火の姿を見つけると、近づいてその手を握った。

 

 「不知火」

 

 振り向いた不知火の目は驚いたように丸く見開かれていた。それでも私だと分かると少し落ち着きを取り戻したのか、いつもの不知火の目に戻った。

 遠くの海に続く階段には、憲兵や戦艦、正規空母の皆さんが集まっていた。そして階段を昇ってくる人影が見え、その一団が動き始めると、私は再び、不知火の手をしっかりと握りなおした。不知火が復讐心に突き動かされて行動しないように。そして不知火に、私がいつだってそばにいるって感じてもらうために。

 先を進む憲兵が、道を開けるためにひとだかりをかき分ける。そして戦艦の先輩と、川内さんの艦隊に続いて現れたのが、白い髪をした敵の「姫」クラスの重巡だった。青く輝く瞳で、まわりを蔑むような視線を投げかけながら歩いている。少し気になるのは、彼女は手錠と言った拘束具の類を着けられていなかったこと。つまり捕虜として拘束されたんじゃなくて、自ら投降したってことかしら。

 そんなことをなんとなく考えていると、握っていた不知火の手に違和感を覚えた。さっきまで温かかったその手は氷のように冷たくなり、小刻みに震えていた。そして不知火はその重巡を、あの遠くを見るような目で追いながら、過呼吸を繰り返していた。

 

 「不知火、ねえ不知火!」

 

 私が呼びかけたその時、不知火は箒の房を踏みつけ、竹の柄を引き抜いた。そして私の手を振りほどくと、竹の柄を手に一団に向かって歩きはじめた。

 

 「不知火!」

 

 私は不知火を後ろから抱きしめるように動きを封じると、黒潮と親潮を呼んだ。

 

 「黒潮、親潮、不知火を止めて!」

 

 二人が私のもとに来る間にも、不知火は振りほどこうと必死だった。親潮は振り上げた不知火の手を抑え、黒潮は前に回りこみ肩を抑える。私たちは不知火に呼びかけながら三人がかりで抑えこみ、人ごみの中に不知火を引き戻した。

 

 「不知火、待って!落ち着いて!」

 「一体どうしちゃったんですか!?」

 「不知火はん、落ち着いてえな!」

 

 人ごみの中に入ると、不知火は急に力が抜けたようにぐったりと倒れこんだ。私たちは不知火の身体をゆっくりと支えながら地面に下ろした。それでも不知火の呼吸は発作を起こしたかのように荒く、目は見開かれたまま、瞳孔が完全に開いていた。

 

 「一旦救護所に連れていくわよ。黒潮、親潮、手伝って」

 

 

 

 不知火は救護所に着くと症状は軽くなったものの、大事をとって鎮静剤を打ち、休むことになった。ベッドですやすやと眠る不知火の横で、私たちは寝顔を見ていた。不知火が眠りについて一時間くらいたった頃、書類を手に神通さんが現れた。

 

 「みなさん、おつかれさま。不知火の様子は?」

 「鎮静剤を打ってもらって、今はぐっすりと眠ってます。疲れでてんかんに近い発作が出たんだと、明石さんは言ってました」

 「そう……それで陽炎、掃除はどれだけ進んだ?」

 「えっと……まだ半分もやってないです」

 

 私は怒られるのを覚悟して正直に告げた。本来なら大半を終わらせていないとおかしい時間だ。しかし。

 

 「わかりました。残りの掃除は明日の班に任せましょう。陽炎は私と一緒に、二人は不知火のそばについてあげてください」

  

 意外な反応だった。それでも、私だけ連れて行かれるのはどういうことかしら。もしかして別件での説教?それだけはあってほしくないけど……。それでもついていかないわけにはいかなかったので、神通さんに続いて救護室を後にした。

 

 「陽炎、川内姉さんたちが重巡を捕虜にしたことは知ってますね?」

 「はい」

 「あの重巡、調べてみたらこの海域の深海棲艦の指揮をとっていた、かなり位の高い重巡だったの。だから上層部は大騒ぎで……そこで私たちも、この件の手伝いを任せられました。私たちは香取さんのもとで情報の整理をします」

 

 神通さんは説明を終えると、取調室の隣のドアをノックし、ドアノブをひねった。

 

 部屋の中では香取さんが椅子に座ってメモを取っており、川内さんは腕をくみながら隣の部屋との間に張られたガラス窓を見ていた。ガラス窓の向こうでは、重巡の妙高さんと机を挟んで、あの敵重巡が座っていた。椅子に座る妙高さんの隣には、那智さんも立っていた。

 香取さんはメモを取る手を止め、頭を下げた。それに応えて私たちも敬礼する。

 

 「香取さん、お疲れ様です。何か分かったことは?」

 「はい。あの重巡は川内さんに投降するとき、確かに深海側の情報を提供する、と言って投降しました。しかし今になって、ある要求を突き付けてきたんです」

 「それは?」

 「日本本土に送り身の安全を保障してくれればそこで全てを話す、と言ったのです。その件はいま赤レンガの返答待ちです。それに同時に敵の情報を少しだけ話しましたので、その確認も取っています」

 

 そこまで香取さんが話したその時。私たちの部屋に隣の部屋からの怒号が響いた。

 

 「そんな腐りきった情報などいるかっ!貴様みたいな奴はすぐにでも魚雷で処分してやる!」

 「やれるのならやってみなさいよ。いろいろな国の艦娘が出入りするこの泊地で私を沈めたら、そのことは他国の艦娘にも伝わるでしょう。そうなったらどうなると思う?日本の艦娘は捕虜を虐待して処分する野蛮な連中だって世界中に知れ渡るのよ」

 

 胸ぐらをつかんだ那智さんに、あの重巡は深海棲艦とは思えないはっきりとした声で言い返した。

 

 「それとも私が間違ったことをしてるって言うの?あんたらがどんだけ這い回っても得られなかった情報を、私の身の安全と引き換えに全部教えようと言っているのよ。少しでもまともな頭を持っているなら、私の要求を受け入れるのが普通じゃないの?」

 

 そう言われた那智さんは突き飛ばすように手を放した。そしてどうにも悔しそうな表情をして、襟元を正す重巡を睨みつけた。そんな那智さんとは対照的に、穏やかな口ぶりで妙高さんは話しかける。

 

 「あなたの処遇はいま上層部にかけあっています。できるだけ善処するようにしますから、少しお待ちください」

 「だったら今わたしが言ったことも、その上層部ってのに言っておいてよ。あんたたちなんか私の情報が無きゃ、この海域すら占領できないんだから。こんなんだったら、アメリカの艦娘に投降すればよかったわ」

 

 要求を盾に繰り返される挑発に、私も冷静ではいられなくなってきていた。とてもこちらに自分から投降してきた者の態度とは思えない。その時、一連の流れをずっと黙って見ていた川内さんが口を開いた。

 

 「それでも変な話よね、神通?」

 「何がですか?」

 「あの重巡、どうして私たちに投降したのかしら?交戦中に自分以外が全滅して、っていうのはよくあるんだけど、あの重巡は単独で私たちに接触してきて投降したの。私たち艦娘との戦いが嫌になったのかなって思ったんだけど、あの態度を見る限りそうとも思えないし」

 「もしかしたら、深海側で内部抗争でも起きているのでしょうか?」

 「かもしれないわね……」

    

 不快な気分を紛らわすようにふたりが話をしていた、その時。

 

 「失礼します」

 

 ガラスの向こうで、取調室の扉のノックとともにメガネをかけた軽巡洋艦、大淀さんが書類をもって入ってきた。そして妙高さんに書類を渡すとそそくさと部屋から出ていった。妙高さんは書類をさっと見て、そのまま脇においた。

 

 「上層部からの返事がきました。『情報の確認が取れ次第、佐世保まで護送する』。あなたの要求は上層部に認められました」

 

 この場にいた誰もが、信じられない、というような顔をした。ただ、当の重巡だけが、不敵にほくそえんでいた。

 

 「やっぱり、偉い人は物わかりがいいわね。ここの連中とは大違い」

 「……今日の尋問はここまでです。明日までに、先ほどあなたから聞いた一部の深海側の情報が本当かどうか確認します。それが済むまで護送は決まったわけではありません。以上です」

 

 妙高さんが重巡の挑発を無視するように言うと、扉から入ってきた駆逐艦たちが重巡の後ろ手を回し、外に連れ出した。その後に那智さんと妙高さんが、何とも言えない顔で続いて、部屋の中はからっぽになった。

 

 「あ~あ、やっぱりこうなっちゃったか……」

 

 川内さんは一見あっけらかんと、それでもどうにも納得いかなさそうに言った。

 

 「それで香取さん、あの重巡の護送はどうします?」

 「まだ確定ではありませんが、おそらく水雷戦隊のなかから選抜して護衛艦隊を組むことになりそうですね。護送が決まった時点であの重巡はただの捕虜から、機密を握る最重要人物になるわけですから」

 「うーん、夜戦するにしても、あの重巡の護衛はゴメンしたいかも。連れてきたときと全然態度が違うんだもん」

 

 ひとり言のように川内さんはつぶやく。香取さんはそんな川内さんに苦笑しながら、

 

 「神通さんも陽炎さんも、もし護送が決まれば招集をかけるかもしれませんから、その時はよろしくお願いしますね」

 「はい」

 

 私ははっきりと答えた。声だけは。

 

 

 

 今回の件に関する書類を運び終えて救護室に戻ったころには、もう外は夕暮れに染まっていた。

 

 「おかえり、陽炎」

 

 茜色の西日に包まれた静かな部屋の中で、不知火はひとり窓の外を眺めていた。

 

 「ただいま。黒潮たちは?」

 「那珂さんに別の用事を頼まれて、少し出かけてるみたいね」

 「なるほど……またコンサートの準備ってとこかしら?」

 「そうかもね」

 

 少し休んで、だいぶ不知火も落ち着いたみたい。私はベッドのそばの椅子に座り、不知火に話しかけた。

 

 「いま何をしてたの?」

 「暇だから、少し窓の外を見てたの。忘れてたわ、夕陽ってこんなに綺麗だったのね」

 「そっか。本かなにか持ってきてあげようかって思ったけど、だったら必要ないわね」

 「……うん、もう少しゆっくり見ていたいわ」

 「変わった趣味を見つけたわね」

 「うん。次に夕陽をこんなにゆっくり見れるのは、いつになるか分からないし……」

 「えっ?」

 「だって夕陽って、見ようと思えば毎日見れるけど、見ようとしないかぎり絶対に見ないもの」

 

 私はつとめて、あの重巡のことは言わないようにした。なんだか不知火に余計な負担がかかるような気がしたし、不知火から聞きたくないことも聞かなきゃいけなくなりそうで辛かった。それなのに。

 

 「陽炎は何を?敵の重巡の件って聞いてたけど」

 「うん……ちょっと書類の整理を手伝うようにって」

 「そう……」

 

 私は不知火を少し恨んだ。でも不知火が自分から言い出したってことは、それについて話したいことが、聞きたいことがあるんじゃないか。そう思った私はほんのちょっと勇気を出して、不知火に聞いてみた。

 

 「ねえ不知火、あの重巡が……」

 「そうよ。前に話した、最後の仇。まさかこんな形で会うことになるなんて……」

 「……まだなんとかして、復讐を果たそうって考えてる?」

 「そのつもりよ」

 「でも不知火、あの重巡は捕虜よ。それに深海棲艦の情報と引き換えに日本本土に送られることになったの」

 「そうなの?ふん、あの外道らしいわ。自分の直属の部下が次々と沈んでいくのを見て、どんな手を使ってでも逃げようなんて考えてるのね……でも逃がさないわ。あいつのしたことは、必ず償わせる」

 「不知火、もう諦めて。捕虜は条約で攻撃できないって知ってるでしょ。それにここで仕留めたら重巡から深海側の情報を聞きだせなくなるの。もし復讐を果たしたとしても、その後不知火がどんな目にあうか分からない……最悪の場合、雷撃処分になるかもしれないのよ」

 「大願が成就できるなら本望よ。そのまま処分されても構わないわ」

 「そんなこと言わないでよ!」

 

 その瞬間、私の中で何かがあふれた。  

 

 「お願い不知火、もう復讐は諦めようよ……そしてこれからずっと、私たちと一緒に生きていこうよ。確かに大切な人を失ったことは、忘れられないくらい辛いことかもしれない。だけど、そんな時はいつだって私たちがいるから!もう絶対に、悲しい思いはさせないから!だから……」

 

 感情とともに一気に言葉が口をついた。たった今感じた気持ちじゃない、初めて不知火から復讐の話を聞いたときから感じていた、でも言葉にしなかった、できなかった気持ちがとめどなくあふれ出してきた。だけどなんだか、わきあがる思いを言葉にするたびに、なぜか切なくなって苦しくなっていくような感覚がして、もう何も言えなくなってしまった。

 

 「陽炎……泣いてるの?」

 「えっ?」

 

 不知火に言われ、私はまばたきを繰り返した。何かが頬を伝って落ちていくのを感じた。

 私の目元に不知火は手を伸ばすと、その細い指で私の目じりをぬぐった。そのまま不知火は私の手元に自分の手をやり、涙に濡れた指を私の指にからませた。

 

 「ありがとう、陽炎は優しいのね。不知火は、陽炎に会えてよかったわ」

 

 そう言われて、私は嬉しさと切なさの入りまじった思いでいっぱいになった。不知火の言葉からは、まるで私の前から消えてしまうような含みを感じた。不知火はきっと、本心とは裏腹にそういう言葉を無意識に選ぶ傾向があるのね。いや、きっとじゃない、絶対そう。

 

 「そこまで言うのなら不知火も……少し考えようと思う」

 

 私はそう言った不知火の手をぎゅっと握りしめた。この手はどうしても、離したくなかった。

 だから不知火も、お願いだから私の手を離さないで。

 

 

 

 その翌日、私は司令部から召集を受けた。もちろん、あの重巡の護送の件だった。私の他に集まったのは、川内さん、夕立、時雨、島風、綾波。みな実績のある精鋭の駆逐艦たちだった。

 

 海図を張った黒板の前に全員集まると、香取さんは指揮棒を振るって説明を始めた。

 護衛作戦はこの泊地からトラック、フィリピン、沖縄を経由して佐世保に送るルート。私たちの任務は、あの重巡をトラックまで護衛し、引き渡すところまで。ルートとしてはほかの護衛艦隊より距離は短いけど、その分深海艦が多いとされる海域を通って行かなければならない。それにこの泊地は規模が小さく、あまり多く艦娘を使うこともできない。一応途中でトラック側の艦娘と合流する手はずだけど、危険な海域なのは変わらなかった。

 出発は三日後の二〇三〇時。旗艦に川内さんが選ばれたのは、夜戦するからってわけね。

 

 作戦内容の説明が終わり、川内さんが他のメンバー全員に声をかける。

 

 「みんなくれぐれも用心してね。あの重巡は自分の保身のためにかつての仲間を売った裏切り者。きっと深海側も情報を漏らさないために、そして裏切り者を始末するために護送の最中に襲ってくるわ。でも大丈夫。私たちなら絶対この任務は完遂できる。まあ、なんといっても夜戦だしねっ!」

 

 いろいろと不安ではあったけど、他のメンバーも頼もしい艦娘ばかりだしなんとかがんばれそう。私はこの任務に選ばれてよかったと思った。

 

 

 

 不知火はあの日以来、私ともあまり話さなくなった。一人でいる時も、何か考えこんでいるように俯いている。私はいまになって、なんだか不知火に申し訳ないことをしたような気がした。

  不知火はもう復讐を果たせない。でも不知火はまだ、気持ちの整理が出来ていないのかもしれない。復讐を諦めることは不知火にとって、辛い過去に永遠にけじめをつけられないことになるんだから。私が一方的に感情的に言ったことが、不知火の気持ちを傷つけてないといいけど……

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