闇の中の不知火   作:ゆずた裕里

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最終章

 ついに作戦決行の時間が近づいてきた。私たちは集合場所の応接室に一九〇〇時に集合し、次の指示を待った。その間私たちはもっぱら、護衛対象の重巡について話をしていた。

 

 「……それでその重巡というのは、どんな人物なのですか?」

 「正直言って、あまり褒められた人ではないね。僕は川内さんの手伝いで見たんだけど、ずっと偉そうな態度だったよ」

 「うん、私が見た時もそうだったわ。なんだか嫌な感じでね……」

 「そうなの?敵だけど一応偉い人なんだから、立派な性格だって思ってたっぽい!」

 「待ってるだけじゃつまんなーい……川内さんまだかなー?」

 

 その時、扉を開けて川内さんが入ってきた。ついに出撃かと、全員起立して敬礼した。川内さんも敬礼を返すと、静かに話し始めた。

 

 「とりあえずみんな、いったん待機ね。出撃の時は香取さんが連絡しに来るってさ」

 

 私たちは再び座っていた席に戻った。誰も文句の一つも言わなかったけど、私を含めてみんなうんざりしていたと思う。正直言って、出撃前に待たされるのはかなりしんどい。戦いの前の異常な緊張感が待ってる間ずっと続くんだもの。

 しばらくの間、私たちは応接室で香取さんを待ち続けた。しかし時間だけが過ぎていき、出撃準備どころか出発時間の二〇三〇時を過ぎても、香取さんの来る気配はなかった。

 ちょこんと行儀よく座って待っている時雨と綾波はともかく、夕立と島風はかなり待ちくたびれているみたい。私もしびれをきらし、川内さんと最近の音楽について雑談を始めた。それにしても、時雨も綾波もこの状況で落ち着いていられるのはすごい。趣味で座禅とかしてるのかしら。

 

 「おっそぉーーい!まだなのぉ?」

 「島風、待つのも任務のうちよ。私だって、早く夜戦したくてウズウズしてるんだから」

 「それにしてもおかしいですね。もう出発時間もとっくに過ぎているのに、何も連絡がないなんて……」

 

 時雨がつぶやいたその時。

 ノックとともに開いた扉から、香取さんが顔をのぞかせた。

 

 「皆さん、お待たせしました」

 「いよいよ出発ですか?」

 

 元気いっぱいの川内さんとは逆に、香取さんは静かに答える。

 

 「いえ、護衛には別の艦隊が出発しました。今日はこれで解散です」

 「どうしてです?直前に、しかも私たちに連絡もなしに変更するなんて!」

 「ごめんなさい、その……実は敵を攪乱する作戦として、別動隊をあらかじめ組んでおいたんです。それで……」

 「待ってください!香取さん……それ本当ですか?」

 

 川内さんはそのまま、香取さんに問い詰めるように続けた。

 

 「もし最初からそういう作戦だったのなら、戦力から考えてその別動隊をダミーにして、私たちを護衛につけるのが普通じゃないんですか?実際この前の掃討作戦でも、そのようにやりましたよね?この交代には他に何か理由があるんじゃないですか?香取さん、本当のことを言ってください」

 

 香取さんの視線が一瞬カーペットに落ちる。そして再び川内さんの顔を見つめて、静かに話し始めた。

 

 「……実は、護衛対象の重巡からメンバーに物言いが入ったんです。『姫』や『鬼』の深海棲艦を沈めた駆逐艦は絶対に入れないように、と。調べたらこの艦隊の駆逐艦全員が当てはまりましたので、急遽新しく編成した艦隊を護衛につけました」

 「チッ、またですか!」

 「ごめんなさい。そうしないと絶対に行かない、機密も提供しない、と怯えたように言い張るので……きっと感情として受け入れられないところでもあったのでしょう」

 

 川内さんは先ほどまで明るく元気いっぱいだったのが嘘のように、苦虫をかみつぶしたような表情をした。ただ、私は香取さんの説明に、川内さんとは別の意味で引っかかることがあった。

 

 「……香取さん!」

 「陽炎さん?」

 「いま、『この艦隊の駆逐艦全員が『鬼』や『姫』を沈めた』って言いましたよね?」

 「はい……?」

 「私、一度も『鬼』や『姫』を沈めた記憶はありませんが……」

 「そうなのですか?その、資料を見た限りでは陽炎さんは一度も沈めていないどころか、夕立さんや時雨さんをぬいて一番多く沈めていたのですが……」

 

 そう言われて私は思い出した。その戦果は全部不知火のもので、不知火自身がそのすべてを私の名前で報告していたということを。

 

 「香取さん、出発した護衛艦隊のメンバーは?」

 「えっと、神通さんを旗艦に、嵐さん、萩風さん、春雨さん、江風さんに……不知火さんです」

 「そんな!」

 

 この時ばかりは私も、不知火にしてやられたような気がした。ただの偶然かもしれなかったけど、不知火はこうなることを分かっていてわざと私の名前で戦果を報告していたような気がした。

 

 「どうかしたのですか?」

 「は、はい、実は不知火が……」

 

 私ははじめて他の誰かに、不知火が一部の深海棲艦を自らの復讐のために沈めてきたこと、そしてあの重巡が最後の一隻だったことを告げた。夕立や時雨も、この前の件はそれで納得してくれたみたい。

 

 「……そういうことでしたら、一度神通さんに連絡して、不知火さんだけ泊地に帰すようにさせましょう」

 「よろしくお願いします」

 

 私がそう言ったその時。

 

 「香取さん!」

 

 扉を開けたのは大淀さんだった。香取さんを呼んだ声は、妙に上ずっていた。

 

 「護衛艦隊が敵の襲撃を受けました!しかも九艦隊分の大部隊です!」

 「なんですって!?」

 

 香取さんが悲鳴にも似た声を上げる。大本営も香取さんも、護衛中に敵の襲撃を受けることは織り込み済みだっただろう。でも一度に九艦隊なんて普通じゃない。これじゃまるでビスマルク追撃戦だ。敵も確実に裏切り者を沈めるつもりでいる。

 

 「水雷戦隊三部隊に至急出撃命令をかけてください。あとトラックにも増援を出すように連絡を!川内さんたちもすぐ出撃してください。私も同行します!」

 「了解!」

 

 香取さんの号令一下に艦隊メンバーの士気は一気に上昇した。そして私たちと香取さんは、準備をする他の艦娘たちより一足先に泊地を出発し、一路護衛艦隊が救援連絡を発信した海域に向かった。

 海上を進んでいると、しだいに砲火で水平線が赤く染まっているのが見えてきた。それを見て私たちは砲や魚雷の安全装置を外し、すぐにでも撃てるよう準備を始めた。

 

 「香取さん、神通たちをお願いします。戦闘は私たちに任せてください」

 

 川内さんも手にした魚雷の安全装置を外しながら言った。香取さんはええ、と答える。

 そして戦火に敵の姿が浮かび上がったその時、川内さんが手に持った魚雷を投擲した。魚雷はその存在に気付かぬままの敵艦に航跡をあげて突っこみ、一気にその影を吹き飛ばした。

 

 「全員散開!待ちに待った夜戦よ!」

 

 夕立や島風が次々と敵を始末する中で、私は川内さんの指示で香取さんの援護に回り、神通さんたちの捜索に同行した。ただ、そうしているうちにも、

 

 「こちら江風。危ない状況だったけど、まだ戦えるぜ」

 

 といった護衛隊の艦娘からの連絡や、

 

 「こちら綾波です。駆逐艦春雨、発見しました。大破しているので随伴しながら交戦海域から脱出します」

  

 といった護衛隊を発見した艦娘からの連絡が入り、大半の駆逐艦は沈むことなく全員無事であることが確認された。どうやら奇襲により全員散り散りになってるみたい。

 残るは神通さんと、不知火だけ……

 

 

 倒しても倒しても湧いてくる敵を排除しながら海域を進んでいると、右舷側にこちらに向かってくる艦娘が見えた。私たちが近づこうとするとその艦娘は突然振り向きざまに魚雷を放ち、後続の敵を三隻一気に葬った。彼女は再びこちらに振り向くと、

 

 「あっ……香取さん」

 

 と小さく言って、こちらに近づいて来た。神通さんだった。さすが神通さん、数体の敵を相手にしても引けをとらない……と思ったけど、よく見れば神通さんの額当ては赤黒く染まり、そこから二筋ほど頬まで血が垂れていた。さらに服もボロボロで、敵の返り血らしきものでドス黒く染まっている。表情もかなり疲れているように見えた。

 

 「神通さん!大丈夫ですか!?」

 

 思わず私は叫んだ。こんな状況ではとてもじゃないけど不知火のことなんて聞けない。

 

 「大丈夫ですよ……香取さん、他の子たちは……?通信機がきかなくて」

 「みんな無事だって連絡が入ってます。もうすぐうちの泊地とトラックから増援も来ますよ」

 「そう、よかった……」

 

 そう呟いて、神通さんは自分の身体を支えるように香取さんの肩に身を預けた。香取さんとふたりで神通さんを支えながら、私たちは砲声の聞こえない方向へと進みだした。そんな中で、香取さんは疲れ果てたような神通さんに尋ねる。

 

 「それで、護衛対象は今、どうなってますか?」

 「はい……私たちが敵の奇襲を受けた際に、不知火が護衛して先に行くと言いましたので……彼女に任せました。捜索に行くなら気をつけてください。かなりの数の敵があの二人を追いかけていきましたから……」

 

 その瞬間、私の中で不安が再び大きくなった。やっぱり不知火はそのつもりだった……。

 でも、不知火は誰のためにそこまでして……?

 私が神通さんと香取さんの会話をよそにそのことを考えているうちに、私たちは那珂さんを旗艦とする増援の艦娘たちと合流できた。

 

 「あぁっ、お姉ちゃん大丈夫!?」

 「那珂さん、神通さんをよろしくお願いします。私たちはそのまま不知火さんの捜索に向かいます。他の皆さんも敵の掃討を終え次第、不知火さんの捜索に加わってください」

  

 こうして私たちは神通さんを預け、進路をトラック泊地のある方角、西に向けた。

 

 

 

 

 交戦海域を抜けた私と香取さんは、ほぼ真っ暗闇の中で不知火を探し始めた。探照灯も点けられず、遠くの照明弾の明かりと電探、そして無線の呼びかけを頼りに、かすかな反応でさえも私たちは追い求めた。しかし手がかりすら得られぬまま、時間だけが過ぎていった。

 

 「陽炎さん」

 

 心の折れかけていた私に、香取さんは優しく話しかけてくれた。

 

 「トラックの皆さんも捜索してくれているようですし、不知火さんはきっと見つかりますよ」

 「ええ、だといいんですが……」

 

 そう励ましてくれた香取さんは、そのまま続けた。

 

 「実は不知火さんと関係あるか分からないんだけど……あの子のことを考えると、思い出すことがあって」

 「えっ?」

 

 香取さんは、普段以上に落ち着いた、静かな声で話しはじめた。

 

 

 

 私たちのいる今の泊地がまだ敵の手にあった時、そこの攻略作戦が大々的に行われました。夜明け前の水雷戦隊による夜襲と、明け方の空襲との二段攻撃で作戦は成功し、大きな損害もなく泊地を奪還しました。

 その作戦で私も、観測員として参加していました。夜襲と空襲で泊地が炎に包まれたのを双眼鏡で眺め、敵の損害を確認していたその時、炎の中から、一団の艦隊が移動していくのが見えました。

 その旗艦にいたのは一隻の駆逐艦、それも『姫』クラスの駆逐艦でした。当時の敵泊地には他に特殊な深海棲艦は確認できなかったので、泊地を指揮していたのはきっと彼女だったのでしょう。

 彼女は全身にやけどを負いながら、片手でも数えられるくらいの随伴艦を引きつれて朝焼けの方角に進んでいきました。

 私はその時の全ての悲しみを背負ったような姿が目に焼き付き、どうにも忘れられませんでした。

 

 それから数日経った日のことです。私は演習航海と近海警備を兼ねて、攻略した泊地周辺の海域を駆逐艦を連れて進んでいました。予定した航路を半分ほど過ぎたので、その途中の島で休憩をとることにしました。

 その時でした。随伴の駆逐艦のひとりが、砂浜に何かを見つけました。

 呼ばれて行ってみると、遠くにぼろぼろのゴミ袋のようなものが打ち上げられていました。私は大きなゴミか動物の死骸かと思い、大きなゴミ袋を準備して近づいてみました。

 

 それが何か分かったとき、私は言葉を失いました。

 小さな蟹が山のようにたかっていたそれは、泊地から撤退していたあの『姫』クラス駆逐艦の成れの果てだったのです。

 

 火傷の跡や髪型など、確かに泊地から撤退していた、あの駆逐艦に間違いありませんでした。最初は撤退途中で力尽きたのかと思いましたが、遺体の損傷の激しさと異臭にも慣れてくると、不可解な点がいくつかあることに気付きました。

 遺体にはいくつもの大きな傷痕があり、その中に砲弾を受けた痕もありました。でも私が最後に見た時、彼女は火傷はしていましたが砲撃は受けていませんでした。

 泊地攻略後に『姫』クラスの駆逐艦と交戦したという報告も聞いていませんし、そもそもこの海域を巡回したのは私たちが初めてでした。さらに砲弾の痕は、艦娘の砲を受けたそれとは明らかに違っていました。

 

 つまり……彼女は同じ深海棲艦に殺されたのでしょう。泊地防衛に失敗した彼女を上官は許さず、耐えがたい苦痛をもって償わせたのでしょう。

 

 そう気づいた瞬間、私は胸が痛くなりました。襲撃を受け命からがら戻ってきた先に待っていた、自身のすべてを否定されるというあまりにも悲しい最期。何もかもが終わったとしても、深海で眠ることも許されず砂浜にさらされ、無残な姿のまま朽ち果てていく……。

 いたたまれなくなった私は、備品のブルーシートで遺体を包むと、泊地に戻る途中の海に投じました。せめて深い海の底で、誰にも会うことなく静かに眠ってくれることを祈って。

 

 不知火さんが来る少し前にそんなことがあったからでしょうか、あの子を見ると、そのときのことを思い出すんです。なんだか不思議ですね……。

 

 

 

 私はもう、何も言えなかった。

 

 そんなはずはない。そんなこと、あるわけがない。私は脳裏によぎった考えを全力で否定しようとした。でも不知火とのいろいろな出来事を思い出しながら、納得してしまう自分がいた。

 私は不知火のことを知っているつもりでいて、何も知らなかった。だけど、闇の中を手探りして、もし不知火のあの細い手に触れたら、もう一度強く握りしめたい。すべてのことを知ったうえでまた握りしめたい。

 ふと、私は目元に手をやろうとして、途中で止めた。もしかしたら誰かにまた、この涙をぬぐってもらいたかったのかもしれない。

 

 たぶんあの重巡は、日本本土どころか、トラック泊地にさえ着くことはないと思う。

 不知火もたぶん、私たちのもとには帰ってこない。もしかしたら、艦娘側にもつかず、深海棲艦側にもつかず、ずっと海を彷徨い続けるのかもしれない。

 時々見せてくれた、あの切なそうな眼をして。

 

  

 

 

 

 

 陽炎が思ったように、この日以降その重巡と不知火の姿を見たものは、誰もいない。

 

 ただ陽炎だけは香取と泊地に戻る途中、水平線に自分たちとは逆方向に進む白い影を見た。彼女はしばらくその影を見つめていたが、ふと報告を、と思った時にはすでに闇の中に消え失せていた。

 

 

 

 

 

《了》


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