この人ならばと、確証のない期待感が私を動かしていた。
本邸から離れた別邸、最低限の人員しか待機していないそこには―――彼女がいる。
「会って頂きたい人がいます…先生、私に付いてきてくれませんか」
執事のエドガーと共に、私はそう願い出た。
一人だけでは、言い出せなかった。
もしかしたら、否定して欲しかったのかもしれない。
この従者に、まだ早すぎるのではないかと。
しかしエドガーもまた同じ期待を抱いていた。
目を見ればわかる、漠然とした期待感。
先生からは、それを感じられたから。
だから、先生を、誘った。
今日この日を忘れることはないだろう。
この過ちを、短慮を、忘れてはいけない。
右の頬、薄皮一枚”削り取られた”ため血が滲んでいる。
拭う暇もなく、獣と化した「彼女」が先生へと襲いかかった。
お願い、お願いします神様。
罰は受けます、何であろうと償いをします。
だから、だから―――
「やめてジークゥゥゥゥゥゥゥーーーーーッ!」
私の親友を止めてください。
◆◆◆
どうしてこうなった。
もう一度言おう、どうしてこうなった。
屋敷に滞在してからちょうど一週間。
ご機嫌な朝食を済ませ、書庫で難しい本を読んで頭が良くなったような錯覚を受けていた時。
「会って頂きたい人がいます…先生、私に付いてきてくれませんか」
どこか決意したような、覚悟を固めた様子のヴィクトーリアが訪ねてきたのだ。
後ろには執事のエドガーもいる、はてさて何がどうしたのやら。
断る理由もないので、でっかい屋敷の離れへと付いて行く。
うーん、此処もでかい。
俺の借りてるマンションなんて物置だぜ、こいつは。
離れの奥へ踏み込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
”壊れている”。
壁も、床も、調度品も、ぬいぐるみと思わしき残骸も。
全て無残に壊されていた。
「ジーク、この方が昨日話した先生よ」
目を凝らせば隅に小さな影が見える。
影は―――ヴィクトーリアと同じくらいの、少女―――が、座り、こんでいる
『僕は、貴方のためなら―――』
「ぐっ…」
頭の中をノイズがかきまわす。
不快感は一瞬、立ちくらみなのか足元がふらつく。
すると、いつの間にか座り込んでいた少女が青年の足元まで来ていた。
身長差から少女は自然と見上げる形となり。
二つの視線が重なった―――同時に慣れしたんだ感覚が青年の背筋を駆け上る。
”動かねば死ぬぞ”と。
後ろへ倒れこむように上体を反らすと、風切り音が鼓膜を叩いた。
右頬が熱い、神経が痛みを伝える頃には後転して距離をとっていた。
両腕に手甲を付けた、ジークと呼ばれる少女から。
「ジーク、やめてぇ!」
ああまったく。
どうしてこうなった。
◆◆◆
『あの人は帰ってこなかった』
うるさい。
『どうして、あの人まで僕から離れていくんだ…』
うるさい…!
『どうして、どうして、どうして』
うるさい、うるさい!!
『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしどうしてどうしてどうしてどうしてどうしどうしてどうしてどうしてどうしてどうしどうしてどうしてどうしてどうしてどうしどうしてどうしてどうしてどうしてどうしドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ』
うるさいうるさいうるさい!!!
知らん!
ウチは知らん!
あの人なんて知らん!
あんたなんて知らん!
黙れ!
いなくなれ!
ウチの中から消えろ!
小さい頃から延々と聞こえる「声」。
狂ったように、いや、狂いながら叫ぶ「声」が、ウチは嫌いだ。
最近は止むことがなく聞こえ続けている。
なんで?
なんで、こんなん、ウチが。
夢で見る騎士。
格好いいと、素敵だと感じた騎士。
【錯覚】だ。
この声のせいで、そう感じてるんだ。
ウチはお前じゃない、お前の愛してる男なんて知らん!
ウチをお前にするな!
ウチを変えるな!
お前じゃない、お前じゃない、お前じゃない!
当り散らすように周りを全て壊す。
受け継いだのは戦闘経験だけの筈なのに。
なんで、ウチだけ、こんな…
「ジーク」
ああ、ヴィクター。
堪忍な、また、壊してしもた。
堪忍、堪忍よ…
「ねぇジーク、お屋敷に新しい先生がいらっしゃってるの」
「強くて、優しくて、きっと先生ならジークの力になってくれると思うから」
「会って、みない?」
先生、先生か。
ウチのコレを矯正しようと何人も指導者が来た。
でも、みんな最後は壊れる。
もういや、誰も壊したくない、傷つけたくないんや。
ヴィクターの優しさに縋る自分が嫌いだ。
壊すことしかできない自分が嫌いだ。
終わりにしよう。
これ以上、誰かを傷つけるならいっそ…
日をまたぎ、ヴィクターが来た。
エドガーと、もう一人。
新しい先生が、この…!?
見上げた時に見たその男は。
あの夢の中で見た騎士の面影を感じる、世界で一番見たくないそれだった。
理性を振り切る衝動が、両腕を覆う防御武装【鉄腕】を展開させる。
遠い何処かで、誰かの制止が聞こえたような。
危険を感じた青年へ追い込むように左拳を振り抜く。
スウェーバックで咄嗟に回避され、右頬の薄皮一枚を削る程度で終わってしまった。
コンマ数秒早ければ、忌々しいその顔を砕き壊せたのに。
「待て待て待て、落ち着け、すまない、何かしたか?落ち着いて話を」
死ね。
死ね!
死んでしまえ!!
消えろ!
消えるんや!
理性が追いつく前に。
衝動のままに。
ウチは目の前の男へと飛びかかった。
「うおおおおおおお!?」
血に、細胞に刻まれた戦闘経年。
エレミアの真髄―――恐るべき戦闘論理が、12歳の少女を兵器へと変貌させた。
古代ベルカから受け継がれた兵器の連撃を、男は躱し続ける。
偶然ではない、この男も強者だ。
「落ち着け、アレだぞ、謹慎中とはいえ局員への傷害は重いぞ!だから待てって!」
再び顔面狙いの打撃を躱される。
当たらない要因は明白、顔面狙いを見抜かれていること。
そして身長差だ。
だいたい145程度の少女と比べて、青年のは190近い。
人体の最上部に位置する頭部を狙うには、少女のリーチは短すぎる。
それなら足から先に壊してやる。
両足を壊して、両腕を壊して、イモムシみたいにしてから壊してやる。
そうすればきっと終わる。
そうすれば、きっと声もなくなる。
そうすれば――――
表情が抜け落ちた人形の相。
ああまたかと、青年は重い溜息を吐いた。
「来いよ、付き合ってやる」
そうか、死ね。
両手に魔力が集まっていく。
禍々しい破壊の力、触れたもの全てを壊す忌むべき力。
【殲撃】、拳に魔力を付与させることで破壊力を倍増させる魔力付与打撃。
鉄腕の爪によってもたらす破壊は、触れるもの全てを引き裂くのだ。
「ジーク、もうやめなさい!」
堪忍な、ヴィクター。
終わったら、壊してええから。
だから、堪忍―――
無情なる殺意が、振り抜かれた
骨を砕く音―――しない。
肉を引き裂く音―――しない。
皮を千切る音―――しない。
――――え?
「あっぶ…」
肘?
打たれた?
軌道が逸れて
いつの間に?
「ねぇぇだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!!!」
ゴイィン、いい音が出たね。
頭突き? ヘッドバッド? 痛い
涙目になって蹲る、痛い。
痛い。
「この馬鹿たれ! あんなん食らったら死ぬだろうが!? 死んだら痛いじゃすまねぇんだぞ!?」
頬を引っ張られる、痛い。
「う、うるさい! お前が悪いんや、お前が、いつもいつも! 頭の中でうるさいんや!」
「はぁ?」
「もうやだ、やだぁ! 何で、ウチ頼んでない! 勝手に、ひぐ、えぐ」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!
◆◆◆
いつだったか、カリムから聞いたことがある。
『古いベルカの家系は技術や記憶の伝承を行う場合があります、そのせいでトラブルを招くことがあるの』
ま た ベ ル カ か ! ?
ほんっとに、本当に要らん事しかしねぇなぁおい!?
先程までの狂騒はなんだったのか、訳が分からず泣き喚く少女…ジーク?だったか。
胸をなで下ろす二人を一瞥、どうやらこれは想定外だったらしい。
「はぁ~~~~~~~」
なんか、どっと疲れた。
これはアレだ、闇の書事件が終わったときと似てる疲労感。
「―――なんでこうなったのか、俺にはわからん」
「頭の中ぐちゃぐちゃになって、もう何もかも分からんで、だから暴れるしかなかった」
ああ、そっくりだ。
似てるよ、お前に。
あの日、小高い丘で、雪の中へ消えていった融合騎。
伸ばした手は、届かなかった。
この子も、そうなるのか?
…嫌、だな。
それは、よろしくない。
「なぁ、名前教えてくれ」
「ひっぐ、じ、じーぐ、りん、ふぐ、で」
「ジジーグリンフグデ?」
「ジークリンデ様です」
そうか、エドガーありがとう。
「ジークリンデ? まぁ俺もジークと呼ばせてもらうが…うん」
すまんかったと、赤くなった額に手を添え。
「知らん奴からあーだこーだ言われて、ガタガタ騒がれてるもんだわなぁ」
「だからよ、暴れたくなったら俺んとこ来い」
死なない程度には、付き合えるだろう。
不満や文句くらいなら、付き合えるだろう。
その程度しか、してやれんけど。
「根っこの所なんとかするのは、俺には無理だ…でもまぁ、知り合いの知り合いに出来るやつがいるかもしれん」
それくらいなら、付き合ってやろう。
その程度なら、付き合ってやろう。
貧乏くじは慣れてる方だから。
「だからさ、俺のことはどんだけ嫌ってもいいからさ」
「友達を、泣かせないでやってくれ」
ジークに駆け寄るヴィクトーリア。
泣き続ける親友につられて、彼女も泣いてしまっている。
もう少しスマートなやり方があったのかもしれないが。
「俺にしては上等な方か」
あーいてぇ。
暫くして…
「やーーーーーだーーーーーーーーーーー!!!」
「いやですわぁーーーーーーーーーーーーー!!!」
それからまた一週間、比較的落ち着いたジークにも稽古を付けることになり。
手間は倍増、疲労は10倍、生傷が増えた気がする。
ようやく職場復帰だと荷物を纏めていたら、捕まってしまった。
頬を膨らませて腰にしがみつくジークリンデ。
コートの端を握り締めて抗議するヴィクトーリア。
「いやや! 先生はウチの先生やもん!」
「まだまだ教わりたいのです、先生は私とジークを見捨てるのですか!?」
「いやその、ねぇ、俺も公務員だしさぁ」
「管理局ブラックゆーやん! 辞めたほうがええやん!」
「名案ですわジーク! お金は私たちが稼ぎますから」
「ロリのヒモとか死にたくなるんですが…」
想像しただけで死ねる、主に社会的に。
「休暇ができたら様子見に来るから」
不満たらたらではあるが、納得はしたらしい。
二人をなんとか引き剥がし、それぞれの肩へと手を置く。
「俺が教えられることなんて大したことじゃないが、いつだって応援してる。頑張れ」
中々に決まった挨拶だと自賛する青年は気づいていなかった。
いや、青年が気づくはずがなかった。
二人の目の奥に、ゆらりと燃える何かがあることを。
◆◆◆
先生、ウチな。
先生が助けてくれたから、今おるんよ?
先生が壊れんかったから、今おるんよ?
声も聞こえなくなった、せやけど今ならわかる。
教えてくれたんや、この人なら壊れへんって。
先生なら、ずっとずっと一緒にいてくれるんやって。
今までいろんなもの壊してたのも、きっと先生に見つけてもらえるための目印やったんね。
先生がいっぱい教えてくれたから。
今度は、先生にお返しするんよ。
だからもっともっと強くなって。
お金もいっぱい稼いで。
だから、先生。
もっともっと、教えて欲しいんよ。
全部全部、先生の全部。
知りたいから。
◆◆◆
もう、ジークにも困ったものですわ。
あの時からずーっと先生にべったり。
私が、最初ですのに。
私が、一番弟子なのに。
…むふん、いいでしょう。
ジークと私の仲ですもの、許してあげる。
しかし気になって調べてみたら、管理局も手を広げすぎ。
そんなのだから先生が大変なのに、まったく。
これはいちはやく先生を指導者として誘致しなくてはいけませんわ。
いえ、どうせならば先生も選手として活躍なされてはどうか。
我ながら素晴らしい思いつき…だけれど、先生が頷かないようでは意味がない。
無理矢理なんて絶対にダメ、まずは競技に興味を抱いてもらうのが先決。
栄光の舞台で師弟対決、これほどに誉れ高いことはない!
ねぇ、先生。
どうか、より高き場所へとお飛びください。
その為ならば、私の全てをお使いください。
ああ、きっと美しいだろう。
輝く背中を、その足跡を追い続けます。
私だけの、最高の英雄。
なにこれぇ(唖然
最後はなんかやっつけ感がするし、申し訳ない
戦闘描写難しい、難しい
ゆりかご戦とかそういうの丸々カットしますのでそこんとこよろしく
キャロとルーテシアはたぶん病まないので先に書いておきます。
食指が働かないと書けないんですわ