闇の書という
本来なら闇の書の一部として破棄されても文句の言えない騎士たちを、今回の事件を担当しているリンディ・ハラオウンはどうにか回避できないかと動いているらしい。
理由としては幾つか上げるのなら、まず騎士たちが歴史の生き証人であること。
記憶の抜けている部分が有るとはいえ、千年の間にあらゆる主を渡って活動してきた騎士たちだ。それを無為に抹消することは歴史。特にベルカの聖王教会からすれば多大な損失となる。
2つ目は純粋な戦力として。
闇の書の騎士として各世界で相手を蒐集するために殺さずに戦ってきたその技術と経験は管理局からすれば、そのノウハウも含めて喉から手が出るほどに欲しい人材だ。
最後に、ギル・グレアム提督。彼が今回の件に深く関わっているのも原因だ。
彼は数年前から今代の闇の書の主を特定していながら管理局へ報告せずに資金援助をしていた。
それもひとりの少女を空間凍結による封印を目論見ながら、だ。
これが公になれば管理局もそれなりに責められる立場になる為、おいそれと注目を集める刑の執行にはしたくないという事情もある。
その他の幾つかの事情が重なり、騎士たちの刑も異例の減刑となるだろう。
もちろん、それが良いことと思えるのは当事者である騎士たちと家族であるはやて。そして好意的に接してくれる何人かだけで。その他大勢やかつて騎士たちに被害を受けた者やその身内からすれば冗談ではないだろうが。
これから騎士たちは今まで素通りしてきた贖罪という道を歩まなければならない。
そうした機会を貰えるだけでも有難いことだとは理解しているのだが。
「やはり、主はやての管理局入りは最低条件ですか?」
「えぇ。はっきり言えば、あなたたちだけを管理局を所属させても信用できないというのが大半でしょうね。あなたたちを従わせるための楔―――――いいえ、人質は必要だわ」
自分で言いながらも僅かな嫌悪感が見える。リンディも完全に納得しているわけではないのだろう。
シグナムからすればそう思ってくれる大人がいるだけで幾分か安堵を覚える。
そこでリンディがクスリと笑った。
「それにしても他の騎士たちも皆はやてさんのことで同じ反応になったわ。善い主なのね、彼女は」
「えぇ。あの方と出会えたことが我々にとって最大の幸運です」
システムでしかない自分たちに心を与えて、幸せを教えてくれた主。
それを失うことの怖さも同時に得たが、それは何と愛おしいことか。
きっとこれからは今まで目を逸らしてきたモノをたくさん見て、知ることになるだろう。
それは心地よい感情ばかりではなく、身を切るような辛い思いもするのかもしれない。
それでもモノクロな世界で生きるより、ずっと価値がある筈だ。
そんなシグナムの様子をリンディは見定めるように。しかし、心を持つ彼女を喜ぶように目を細めた。
事情聴取を終えて、シグナムはアースラに用意された部屋に戻る途中に見知った顔を見つける。
「テスタロッサ!」
呼ぶと、フェイト・テスタロッサはこちらに振り向いた。
「シグナム。事情聴取は終わったんですか?」
「あぁ。今しがたな。お前は、なにを?」
「はい。バルディッシュのメンテナンス記録に目を通してました。カートリッジシステムを積んで、まだ調整不足な面もあって」
「あぁ、成程な」
本来、繊細なインテリジェントデバイスにベルカ式のカートリッジシステムを搭載することは推奨されていない。
将来的にはともかく、まだまだ安全性などに問題がある。
だから、メンテナンスと一緒にデータを取っているのだ。
「それに、バルディッシュを手にしていられる時間は限られていますから、少しでも長く触れていたくて」
「限られている?」
首を傾げるシグナムにフェイトがあ、と説明する。
「私もシグナムたちと同じなんです。今回は特例で事件に関わらせてもらえましたけど、まだ刑期がありますから。だから必要な時以外はバルディッシュに触れられないんです」
フェイトの説明にシグナムは驚く。
目の前の少女が犯罪を犯すような人間には見えなかったからだ。
付き合いと呼べるほど長い時間を共にしたわけではないが、フェイト・テスタロッサというのは分かりやすい程に善人に思えた。
自分たちのように血の匂いも纏っていない真っ当な。
しかし踏み込んで訊いて良いモノか判断できず、そうか、とだけ相槌を打った。
「だが、あの高町という少女。あの魔導士も頻繁に会いに来てくれるのだろう?」
高町、と聞いてフェイトの肩が跳ねた。
「なのはとはあまり。私は、彼女に好かれていませんから……」
視線を下に向けて哀しそうに呟くフェイト。
一緒に戦っていたのだからてっきり戦友だと思っていた。
だが、思い返してみれば、2人が会話をしているところは見たことがない。てっきり、念話で意思疎通しているものだと思っていた。
後にフェイトとなのはの関係を聞いた八神家は誰もがなんとも言えない顔になる。
それから2日程経った後。シグナムはアースラの片隅で体を折りたたむようにして小さくし、泣いているフェイトを発見した。
「どうした?テスタロッサ」
「シグナム……どうして……?」
「ただの偶然だ。明日、一時帰宅が許されてな。部屋に戻る途中で泣き声が聞こえた」
シグナムの言葉を聞いて恥ずかしそうに赤かった顔をさらに赤くするフェイト。
「なんでも、ないんです……だいじょうぶ、ですから」
「こんなところで泣いていて大丈夫もないだろう。私などに話してもどうにもならないかもしれないが、吐き出して楽になることもあると聞く。話くらいは聞くぞ?」
これまで戦うための存在として在った自分に気の利いたことが言えるとは思えないが、それでもこの場を見なかったことにするのはなんとなく気が引けた。
(これも、主はやての影響か)
以前の自分なら誰が泣こうと気にも留めなかっただろう。それこそ、同類である騎士たちでようやく気にするかどうかというところで。
こうして周りに意識が向くことが良い変化だと信じたい。
フェイトは俯いて黙りこくっていたが、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。彼女も本心では誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「……今日、なのはの家に行ったんです。その、妹さんに謝りに……」
「あぁ……」
高町よつば。
月村すずか同様にはやての友人。彼女の失った右腕の原因を作ったのがフェイトとアルフだとは先日聞き及んだ。
その謝罪に行ったということは、その結果が芳しくなかったのだろう。
「私たちの姿を見てすごく怯えてて……顔を真っ青になってて……心配で近づいたら、ものすごく、泣き出し始めて……それで、ご家族も、私たちを赦すことは出来ないって……」
話を聞きながらシグナムはもしはやてに大怪我を負わせた者が現れたら、自分は赦せるだろうか?と自問する。
明確な答えは出ないが、きっと生半可なことでは赦すと言えないだろうと思った。
そう考えていると、フェイトの話は続く。
「今回の事件で、なのはと一緒に事件を解決するために行動して。訓練したりして。少しだけ、溝が埋まったような気がしたんです。これから、仲良くなってやり直せるかもって、心のどこかで、考えていたのかもしれません。バカですよね。そんなわけないのに」
フェイト・テスタロッサと高町なのはが一緒に行動しようと高町よつばには関係がない。そんなことは重々承知だったはずなのだ。
しかし2人が双子だった故か。それとも、事件の時に言われたお礼の言葉が原因か。期待したのだ。
やり直しの機会を。
顔を伏しているフェイトにシグナムは顔を上に上げて呟く。
「難しいな。赦すことも。赦されることも」
シグナムの呟きにフェイトは顔を上げる。
「先日、ギル・グレアムと主はやてが会ってな。今回の件での説明と謝罪を受けた。主はやてはほとんどの謝罪を受け入れたが、ひとつだけ赦すことをしなかった」
「え!?」
シグナムの言葉にフェイトは目を見開く。
はやてと話したのは少しだけだが、あの温和な少女が赦さないという姿が想像できなかったから。
「それは、闇の書を覚醒させる際に、よつば殿の姿を使ってヴィータを傷付けたことだ。それだけは、理解は出来ても納得は出来ないそうだ」
闇の書を覚醒させるには蒐集で全て頁が埋まることと主の強烈な感情が必要だ。それを揺さぶるためにはやての友人の姿を使い、酷い言葉を投げかけた。
だが、必要だったからといって納得できるかは違う。
だからそれだけは、はやては赦すことをしなかった。
「赦さない、ということはそれだけその者の中で大事なことということだ。それを侵した以上、簡単に流せないのは当然だ」
「はい……」
そのことは、フェイトにも理解できる。自分の大事なものが傷つけられる。それを憤るのは人として当然の感情だ。
「だが、期待することは、きっと悪いことではない」
「え?」
シグナムは自分の手の平を見つめる。
数えることがもうできない程に多くの主を渡り、血に染まった自分の手。
いや、手だけではない。この身は血を浴びなかった個所は無く。きっと多くの者が自分たちの不幸を望んでいるだろう。
それでも期待した。
蒐集という愚かな行為に走りながらも主の幸せを。そしてできることなら、その傍で自分たちが微笑んで過ごせることを。
それが現実になるのかは別問題だが。そう願い、希望を持つことは間違いではないと思いたい。
それはきっと生きている以上、止めることのできない想いだから。
「間違ってしまったのなら、せめて気付いてからは胸を張って生きて―――――すまないな、上手く言葉に出来ない」
間違いだらけのこれまでだったのかもしれない。そのせいで多くの者が恨んでいるだろう。その者たちが望むように自分たちが消えても、それは残された
赦されなくとも。
自己満足のエゴでも。
都合のいい答えでも。
今度こそ正しい道で家族の幸せを想えるなら。
「私が言いたいのは、一度の失敗で全てが終わったような顔をするなということだ。テスタロッサがそうなら、我々はもうどうしようもないではないか」
最後は少しだけ茶目っ気を出してシグナムを肩を竦めた。
「え、と……本当にザフィーラ?」
「そうやよ?よつばちゃんはこっちの姿を見るんは初めてやったよね?」
よつばは目の前にいる筋肉質の20代後半の犬耳を生やした男性を見上げている。
魔法のことを知ったよつばにはやてがザフィーラの人間形態に変身する姿を見せた。
大きな青い
その事実を認めてよつばは顔を真っ赤にした。
「ご、ゴメンなさい!?」
突然謝罪を始めたよつばにザフィーラとはやては首を傾げた。
「え?なんで謝るん?」
「だ、だってこれまで背中に乗ったり、抱きついたりしてたし、その……」
狼狽しながらもどうにか説明するよつば。
アリサの家にもいない大きな犬の背中に乗って家の中を移動してもらったり。頭を撫でたり抱きついたり。
それが全て、今目の前にいる男性の姿に変換された。なんというか、すごく居た堪れない。
「いや、別に気にする必要ないんよ?な、ザフィーラ」
「はい。子供2人を背中に乗せるなど、苦でもありませんので」
「うん!そうじゃない!そうじゃなくてですね!!」
あれ?自分の感性がおかしいのかなぁと心のどこかで思いつつよつばはどうにか自分の今の心境を説明した。
ちなみに数日後。以前温泉旅行に行った際に一緒にお風呂に入ったフェレットの真実を知って、よつばが茹でダコのように顔を真っ赤にしてユーノ・スクライアという少年にビンタをかますことになるのはまた別の話である。
八神家側の視点だと闇の書事件の補完になってないと気付いた。