ぼくは、世界が公平であると言う事を守る為に、弱き者を叩く事にした 作:Sub Sonic
会議が終わりハンガーに戻った僕は、アリスの整備を見守る為に、ガントリークレーンの横に設置された監視所に居た。
そこから格納庫全体が一望でき、視界には巨大な鉄骨が網の目の様に走り回っている支柱が幾つも立ち並ぶ。
その中を行き来する大型トレーラーには球形の物体が積載されていた。
まるで占いに使う水晶玉みたいなそれには、液体が満たされていた。
ネクストの心臓である重水素ジェネレーターの交換用溶液だ。
それは先の戦いで劣化したアリスの血液であった。
トリチウムを主成分としているその中には、不活化されたコジマ粒子が添加されていた。
この粒子は国家解体戦争の数年前に日本人によって発見された粒子だ。
時を同じくしてコジマ粒子を介した核融合機関の基礎論文が日本人によって発表された。
アメリカと日本で発表されたその論文は、当時の日本では見向きもされなかった。
政府の先見の無さ、日本企業の閉鎖的体質、それらが合わさってその論文は日本で日の目を見る事は無かった。
だけど、アメリカでは注目された。
特にレイセオングループはこの技術に大変興味を示した。
こうして人類が生み出した新たな核物質の一種であるコジマ粒子は、数年後に、熱力学の常識を覆す偉業を成す事になる。
人類の火を使う歴史は、常に熱力学の第二法則に支配されてきた。
これは、生み出した火を、力学的エネルギーにする際、どれ程熱を無駄に捨てるか、と言う事だ。
つまり、人類は熱の力を100%利用する事が出来ない。
だから、車はラジエターを必要としたし、飛行機はタービンブレードの周りに空気の壁を作る必要があった。
それに大量の耐熱合金、これらも製造に不可欠だった。
そして、人類が扱える力の限界は、常に耐熱合金の熱限界に足を引っ張られてきた。
力を生み出すには、その源となる火に耐えねばならず、自ずと冷却を迫られる。
水を使ったシステムを使えれば幾分かは火を凌ぐ事が出来た。
だけど、水程度の熱容量ではたかが知れていた。
ネクストの心臓である
だからコジマ粒子が使われた。
高い中性子補足性は、そのままジェネレーターが猛烈な勢いで生み出す高速中性子を内部に封入する為に用いられる。謂わば、コジマ粒子の檻に重水素スタックを閉じ込めるのだ。
同時に、その中性子のエネルギーをコジマ粒子に吸収させることによって、同粒子は励起し、電位ポテンシャルを得る。これを回収する事によってもたらされる電気を、ジェネレーターから出力しているのである。これがネクストを動かす主動力となった。
生み出された余剰の熱もジェネレーター内部で循環させられた。
トリチウムとコジマ粒子がこの熱エネルギーを吸収してくれるからだ。
この熱によってトリチウムは燃焼され、コジマ粒子は励起し、トリチウムの燃焼を促進させる触媒として機能した。
これによってネクストのジェネレーターの発電効率は事実上の百パーセントを達成することが出来た。
だからこそ、太陽の如き力を内包出来たのだ。
そして、励起されたコジマ粒子、これを大気中に放出して安定循環させたのがプライマルアーマーだ。
機体周囲で安定循環しているコジマ粒子は、コンデンサの役割と装甲の役割を同時に担った。
機体各所に見えるフィン構造は整波装置だ。
この装置はコジマ粒子を安定循環させる装置だ。
超電導コイルの一種であるこれは、強力な磁界を機体周囲に発生させ、コジマ粒子の道を作る。
高速でコジマ粒子を機体周囲に循環させることによって、プライマルアーマーが展開可能となるのだ。
この性能の如何によって機体の防御力は左右され、レイセオングループの機体は、華奢な見た目に反し、結構な防御力を持っていたりする。
これは、この整波性能が高い為だ。
この企業特有の性質である高い整波性能はそのまま武器にも影響を及ぼした。
整流に影響を及ぼす直角の部分を減らす為に、わざわざ流線形に成形された突撃ライフル。
同じくフィン構造を持つマシンガン。
どれも、整波性能に悪影響を及ぼす要因を極力減らす努力がなされていた。
この企業の拘りが垣間見える様だ。
その拘りの結晶である機体の正式名は
レーシングカーと戦闘機を足して二で割った様な見た目から想像できるように、高い機動性が売りの機体だ。
だけど、マヤ達が使っているネクストと違い、一回り小さいのがこの機体の特徴であり、軽さが売りでもある為、装甲はある程度削られていた。
それでも企業が持てる全てのリソースを割り当てられて製造された装甲板は想像を絶するコストが掛かっていた。
ナノカーボンマテリアルと単結晶セラミックバルクで成形された流線形の装甲板は、既存の技術では不可能だ。
所謂、複合装甲と言われるモノは、積層にする際に、非常に高いコストがかかる。
具体的にはセラミックバルクの成形に。
だからこそ、前時代的な戦車は切り立った形の正面装甲を持っているのだ。
だけど、レイセオングループは、それを高性能三次元加熱圧搾形成機と工業用ナノマシンの力技で曲線に形成した。
数千度の温度で素材を加熱して鍛えていくこの機械は、AIが発明して作り上げた企業のオーパーツの一つである。
しかし、それを用いたとしても、セラミックとナノカーボンを数万層にも及ぶ重層構造として形成するのに、非常に長い時間がかかる。
そもそも、主力戦車ですら数層のセラミック構造だ。
以前の技術からすると、数万層にも及ぶ単結晶セラミックとナノカーボンマテリアルのミルフィーユ構造はオーパーツに等しい。
この為、今取り外されている胸部の装甲板一枚でノーマルACが数百台買える位、値段が張る。
そもそも、これだけの積層にしているのは、規格外の熱量を誇るレーザー兵器に対抗する為でもあった。
カーボンは超高熱を受けると、即座にプラズマ化し蒸発、機体を冷却するアブレーターとして機能した。
このプラズマ化に伴う力学エネルギーは隣り合う単結晶セラミックを即座に剥離させ、機体とレーザーエネルギーの間に空気とセラミックの熱遮蔽構造を瞬時に形成し、巨大な熱エネルギーが機体に伝わる事を阻止する。
それによってAGEを含む、ヨーロッパ企業が作り上げた規格外のネクスト殺しのレーザー砲を無力化するのだ。
文字通り肉を切らせて。
それでも、直接照射を何度も受ければあっという間に装甲板は文字通り剥がされてしまうだろうが。
だから、使われ、切磋琢磨され、洗練されていく。
「今回の装甲、単結晶ジルコニウム製のバルクらしいですが、大丈夫でしょうか」
キャロルが心配そうに、交換されているアリスの肩部装甲を眺めている。
大きさの割に軽いのか、小さいクレーンで軽々と持ち上げられていた。
大陸間弾道弾のノーズコーンのような形の胸部装甲は取り付けが終わったようだ。
肩部装甲の表面は、F1のブレーキディスクのような鈍い輝きを湛えていた。
素材自体同じだし、製法も似ている為、仕方がない。
値段と基本強度は桁違いであったが。
「耐熱性はバッチリだよ。だけど、若干アルミナ系よりも割れやすい」
ジルコニウムは非常に高い融点を持つセラミックの一つだ。数千度の熱エネルギーに耐え、高い断熱性を持ったこの物質は、ユゴニオ弾性限界が非常に高く、対レーザー及び対実体弾共に高い耐弾性を持っていた。
だが、セラミックの泣き所である引っ張り強度の方は、ナノカーボンマテリアルの強靭性に頼る他なかった。
莫大な張力を加えて成形されたナノチューブ構造が、ジルコニウムに高い圧縮力を与え、これによって徹甲弾の突入時に発生する引っ張り応力を打ち消してくれる。
これにより、弾頭が進むよりも先に、セラミックが割れると言う破断現象を防いでくれる。
だけど、それにも限度があって、やはり、低初速、大質量の実体弾には脆弱性を残していた。
「大質量、低初速の実体弾に対しては心配が残りますね」
「仕方ない。シャッターギャップは
ついでに、成形炸薬弾が射出するマッハ20のメタルジェットに対しても防御力アップが見込める。
レイヴン達が好んで使ってくるミサイルとプラズマ、レーザーライフルのコンビネーションに対抗するには十分であったが、彼らが持ち出してきた巨大レーザー砲は規格外の威力だった為、今回の装甲換装に至ったと言う訳だ。
流石にレイセオングループも焦ったのだろう。
明らかにAGEの最新鋭レーザー技術を結集させた兵器を投入されて。
ヨーロッパでの覇権争いに明け暮れて、太平洋方面へは手を伸ばして来ないと踏んでいたのだろう。
だけど、レイセオングループとGEが足場を盤石にする前に布石を打っておきたいと考えるのは、強欲な企業の基本的な思考ルーチンだと思うのだけど、どうやらお偉いさんと言うのは、相当な楽観主義者が多いらしい。
そんな考えを巡らせていると、キャロルが再び話しかけてきた。
「鈴音、マヤ達と仲良くなった?」
ドキリ、と心臓が高鳴った。予期せぬ方向からの質問だ。
「別に。少し、情報交換しただけ」
「そうですか」
彼女が警戒している事は解る。
僕がマヤ達に懐柔されていないか、と言う事を。
だけど、僕には譲れない一線が有った。
「ねぇ、キャロル。アリスの量産計画、今どうなってるの?」
暫くの沈黙。
「多分、運用試験が終了次第、基本メンタルデータの構成が始まる筈です」
メンタルデータの構成。要は深層学習機構の基本方向を決める手続きだ。
魂のコピーとも呼べるその作業は、僕にとって最も忌むべき事だ。
アリスの苦しみを量産するなんて、僕には出来ない。
だけど、痛みを知らない、いや、彼女の痛みのクオリアを持っていない人間には簡単に出来た。
僕にはソレがどうしても許せなかった。
だから基本運用が終わる時期を慎重に見定める必要があった。
出来れば運用は難しいが、破棄するのは惜しい、と言う感情を企業に抱かせる必要があった。
なので、今回のAI暴走事件は僕とアリスにとっては希望でもあった。
何故なら、AIは人の従順なる奴隷ではないと改めて人間達に知らしめる切っ掛けになったからだ。
「鈴音、あんまり人形に感情移入するのは良くないですよ。ネクストはあくまで機械。感情を感じても、それは感情が在るフリをしているだけなのですから。AMSからの情報に惑わされないで」
「キャロル、一体、感情って何なんだろうね」
「それは、人の自由意思が生み出す、心の精神活動の一種です。故にプログラムされた機械には存在しない物です」
「なら、人の自由意思とは一体何なんだ」
「プログラムされない思考の自由、プログラムされない行動の自由、それらの組み合わさった心理状態です」
はは。行動の自由だって?
企業に管理された社会で?
そんな物、国家が有った時代にだって存在しない。
だって僕らは法律と言う鎖に縛られ、社会と言う塀に囲まれ、人間関係と言ういびつな首輪を嵌められていたのだから。
僕は感情に突き動かされるままに、疑問に思っていた事を告げた。
「なら、どうやってその自由であると言う状態を客観的に評価するんだ…幾ら脳科学が発達しても僕等が自由であると誰も保証してくれない。どんな科学者も、どんな医者も。逆に、感情調整の為の脳科学が発達しただけじゃないか。教えてくれよキャロル、僕は今自由意思に基づいて行動しているのか?」
今の僕は自分の考えに基づいて行動している。だけど、その考えが自由であると、僕自身も証明できない。
だけど、それでもアリスのコピーを阻止したいと言う意思は、確かに存在した。
そのクオリアは今の僕の根源と言っても良い。
キャロルは重々しく答える。
「鈴音、今の貴方はアリスの影響を受けすぎています。やはりセラピーを受けた方がいい」
彼女は、僕が散々ぶっちぎっていたカウンセリングの件を持ち出してきた。
「僕は病気じゃない」
僕はそう言って諦めて踵を返す。
そうして自由意思に従って僕は、僕の自由意思を調整する為にセラピーを受けるのだった。
沢山の検査機器に通されて僕と言う存在は計測されていく。
CTスキャン、MRI、脳波スクリーニング、そしてナノマシン・ニューラル・トレーシング。
それらによって僕と言う存在は定量的に、定格的に照らし合わされて、自由意思を計測されていく。
21世紀の脳科学の進歩によって僕らの脳は徹底的に調べ尽くされた。
所謂、全脳アーキテクチャと全脳エミュレーションだ。
アリスに搭載されているボトムアップ型AIの元になっている
当時、ブラックボックスの学習コードは未発達で、AIの学習の方向性を決める事は難しかった。
だけど、全脳アーキテクチャ型AIを使った実験で、かなりの精度で、魂の方向性を決められることが解った。
それによって脳科学は劇的な進歩を遂げた。
それは全脳アーキテクチャのプログラムアルゴリズムが僕らの脳髄と全く同じ構造とニューロン接続を模した物だったからだ。
だから、うつ病患者の脳を模したプログラム情報は、どうやったら正常な脳に成るか、予測が可能になった。
解ってしまったのだ。
それにより、うつ病患者はナノマシン投与によってニューラルネットワークの調整が可能になり、抗うつ薬から解放されたし、癲癇やその他精神障害などの、脳内の神経ネットワーク異常に起因する病気を治す事が可能になった。
だけれど、科学者と医者たちは気が付いてしまった。
人間の脳は
解ってしまったのだ。
人の心とは調整可能であると、学習してしまった。
学習は風習となった。
だから、僕は嫌悪した。
自らの唯一性を主張しながら平然と自身の脳髄を弄繰り回す人達の行為を。
まるで、強化学習によって快感をもたらすボタンを押し続けるノックアウトマウスみたいだ、と何処か冷めたクオリアを感じていたのを覚えている。
だけど、よく考えたら僕の脳髄も既にニューロン一つ一つをナノマシンで強化しているのだ。
そうでなければアリスの声に触れる事は出来ない。
結局、嫌悪していた姿は自分の姿であった、というのは安っぽい小説ネタみたいだ。
そんな事を考えて居ると目の前の眼鏡をかけたカウンセラーが話し出す。
「初めまして、と言った方がいいかしら。千葉鈴音くん」
僕は胡散臭そうな雰囲気の眼鏡カウンセラーを見つめる。
髪は薄ピンク色で頭の後ろで纏められていて、身長は結構高い。
アリスのスキャンに掛ければ平均以上の美貌の持ち主と言う評価結果が出力されるであろう人物は、訝しむ僕を差し置いて話をつづけた。
「ふぅん、思ってたより平気そうね。精神汚染っていうからもっと、こう、ヤバそうなのを想像してたけど」
そう言えば、以前居た、僕より紙に向かって喋るカウンセラーじゃないな、と思った。
今更だが、僕は漸く担当のカウンセラーが変わっていた事に気が付いた。
「僕は病気じゃない」
「そりゃそうだ。病人は皆そう言うからね。大切なのは認識する事。まずは今の貴方の状態を一緒に受け容れていきましょう」
僕はカウンセラーと言う生物が吐く最初のコジマ粒子を検知した。
何というか、僕の装甲値がガリガリ削れていくのが解る。
深刻なコジマ汚染である。
無言で椅子を立とうとすると、慌ててカウンセラーが引き留めて来る。
「ま、待てっ、就職して一分で失業とは洒落にならん。もう少し話を聞いていけ、少年――――」
眼鏡をはずしたカウンセラーは何故か喋り方が変わっていた。
「何と言うか、以前に君みたいな奴を見ていたからな。助言位は出来るぞ」
僕は彼女の言う僕みたいな奴、と言う言葉に興味をひかれた。
そのクオリアは多分、好奇心と言う奴だ。
だから僕はその心の囁きに従う事にした。
彼女は蒼崎橙子。
どうやら以前居たカウンセラーと僕の相性が悪いと言う事を薄々感じていたらしい企業の人達は、それをカイゼンすべく、彼女を送り込んだらしい。
「就職して一分て、一体以前は何をしてたんですか」
彼女は眼鏡をテーブルに置くと、足を組んで見慣れない煙草に火を付けた。
何というか不思議な匂いのする煙だ。
僕の脳髄に入力されているライブラリに該当データは無かった。
「そうだな。以前は人形を作っていたんだが、失業してしまってね。私の代わりが見つかったから、私はめでたくお役御免と言う事になったんだ。それで、一人旅でもしようと思ってたんだが、いきなり事故に遭ってしまってね。まぁ、何というか成り行きで流れ着いて今に至るって訳だ」
そう言いつつ彼女は名刺を僕に渡してきた。
「ローゼンタール?何でヨーロッパの新興企業のセラピストが極東の島国なんかに…」
僕は名刺に書かれた企業の名前の裏に書いてある、レイセオングループのセキュリティレベルを見つめる。
何気に彼女は僕よりセキュリティレベルが上だった。
「ま、色々あったんだが、就職先としては悪くなかったかな。適材適所と言う奴かな。企業同士の技術交流とかいうのが在るらしくてね。それで向こうからは私が派遣されたって訳だ」
そう言いつつ彼女はタブレット端末を弄る。
「それにしても、君って奴は中々に興味深い。行先に極東を選んで正解だった。つくづく面白い事が起きる場所だ」
そう言いながら楽しそうに煙草を吹かす燈子。
「何が?」
「色々さ。君とアリスとの関係とか、その器であるネクストの基本構造とか、さ。意図して太極を作ったのか、それとも偶然なのか、興味が湧いた」
そう言いつつ燈子は僕に機関銃の様に質問をぶつけてきた。
彼女の疑問は主にアリスと僕のコミュニケーションの話についてだ。
「私が知りたいのは君達がどうやってコミュニケーションを取っているかだ。アリスの基本仕様はトップダウン型のシステムだったはずだ。バックアップとしてのボトムアップ型が動いている。つまり、質疑応答は入力された文章を読み上げる機能しか持っていない筈。でも、君の話だと、それ以上の意思疎通を行っているようじゃないか。どうやってそれを?」
「上手く説明出来るか解らない。多分、感覚的にはボディーランゲージに近い。言語で受け取ると言うよりは質感、いや、触感とでもいうべき感覚。それを僕が勝手に言語化して解釈している。僕とアリスは
そう言うと燈子はケラケラと大声を出して笑う。
「共感覚か!それは面白いな、君は!それに、人工知能が持つ質感情報を受信できる君の脳髄も中々特殊な形をしているようだ。君以外にもそう言ったリンクスは居るのか?」
「記憶の限りは居ない。隠してるだけかもしれないけど。それに、僕がアリスの言葉を代弁すると、僕と言う存在は統合失調症と判断される。アリスがそう言っていると言う観測データが無いから、客観的に僕の主観を証明できない。故に僕がそれを否定する事は出来ない」
「なんだ、そんなつまらんことを気にしているのか?客観的なんて言葉を真に受けるからそう卑屈になる。この世界に客観的に見る事が出来る存在など神くらいしか存在しない。或いは、根源に到達した人間か。いずれにしても人間の、いや、生物の範疇を大きく超えた概念的存在だ。故に、君の事を客観的に、と言って批判する人間が居たとすれば、それもまた主観に過ぎない」
「でも、それを肯定すれば、僕達は哲学的ゾンビであると言う事を否定できなくなる」
燈子は新しい煙草に火を付けつつ詰まらない問答に終止符を打つ。
「ゾンビか、ゾンビじゃないか、なんてものはね、タバコが美味いか不味いか位の違いしかないんだよ。少年、難しく考えすぎだ。それにだ。君は一人じゃない。アリスは君を通して世界を感じている。解るかい?君がアリスの世界を構築して居るんだ。そんな暗い事を考えて居たら君の心も病んでしまう。それは即ちアリスの心も濁ると言う事だ」
「生きていると言うのは感じると言う事だ。大丈夫、今の君は病気なんかじゃないさ。十分以上生きていると言う証だ」
そう言って彼女は僕に次回の診察日を伝え、部屋を去っていった。