ぼくは、世界が公平であると言う事を守る為に、弱き者を叩く事にした   作:Sub Sonic

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何時もご愛読ありがとうございます。
帰投編でございます。
ちょっと短めです。


漂流

 人間が生存する限界、それを3の法則と言う。

 酸素が無い状態で3分、適切な体温が保てなくて3時間、水分を補給できなくて3日、絶食して3週間。

 これが人が死に至る条件である。

 なぜ今この事を考える必要があるかと言うと、機体の減速に失敗したからだ。

 失敗の原因は破片によるVOBの損傷である。

 危うく海の藻屑ならぬ宇宙の藻屑となるところをVOBを強制パージする事で事なきを得た。

 しかし、これによって減速に失敗しただけにとどまらず、全電源の消失と言う事態に陥った。

 幸い、ジェネレーターの再起動に成功したため、最悪の状態は脱した。だが、重水素スタックの損傷の可能性が非常に高かった為、今は自然循環モード、つまり休止状態にしてある。

 僕とアリスは宇宙を漂流する羽目になったわけだ。

 ここで漸く冒頭の話に戻るわけであるが、まずは酸素の確保は問題なさそうだ。

 長期間の作戦に耐えうるために作られたネクストのコックピットはナノマシン、ニュークリア―、バイオケミカル、所謂NNBC兵器対策の為、極めて高度な気密を長期間保てるようになっていた。

 だから、数時間単位で死に至る事は無い。

 そしてもう一つ、適切な体温であるが、これは何とも言い難い状況である。

 自然循環状態の重水素ジェネレーターから供給される電力の大半はアリスの脳に取られていた為、温度調整はおざなりになっていた。

 人の安静時のエネルギーの25%を脳と言う器官が消費するわけだが、アリスの場合、安静時の95%近くを、僕等でいう所の脳に費やしていた為、休止モードの状態でも電力事情は厳しい。

 コックピット内の温度はかなり低く、電源が切れた多目的ディスプレイには結露が出来ていた。

 だけれど、寒いかと言われるとそうでもない。

 考え込んでいた僕の鼻に、ふわりと石鹸の香りが漂う。鉄錆と薬品の臭いが充満するコックピットに凡そ似つかわしくない。

 

「―――……ん」

 

 もぞもぞと暖かい感触が動く。

 何というか、どうしてこうなった。

 そう考えつつ、僕は数十分前の記憶を探るのであった。

 

 

 全電源消失。

 それは、アリスの心臓が止まった事を意味する。

 彼女の死は僕の死に直結していた。

 特にこの宇宙空間では。

 彼女の自律神経系はコックピット内の空調システムと同期されていた。

 酸素が無ければ三分と持たない。

 そして心臓が動かなければ自律神経系は死ぬ。

 勿論、それより高位の機能部位も同じ。

 彼女の量子メモリーの維持能力から考えると緊急セーフモードは数分単位しか持たない。

 時間が経過すればするほど正常な復帰は困難となる。

 僕が軽く意識を消失していた時間から計算して、緊急セーフモードの保持能力を超過している可能性があった。

 だから、やるべき事は一つだけだ。

 人の蘇生と同じ、つまり循環機能の回復である。

 その為には機内に備え付けれた緊急用バッテリーを接続しなければならなかった。

 だから僕はコックピット内のパネルを引きはがし、分厚い『Technical Order』(タクティカルオーダー)と書かれた説明書を引っ張り出して、その奥の配電盤にリレー端子に通電キャップを取り付ける事になったのだが、タクティカルオーダーと呼ばれる指令書は掛け値なしに防弾能力の有る説明書だったので、これをどうにか引っ張り出すのに少しばかりの時間を割く事になる。

 だけれど、この作業を終えた事によって僕はアリスを介さず直接操作できるようになった。

 そうして漸くエマージェンシーモードが立ち上がり、ターボ・ポンプと始動用レーザー発振器に接続し、マニュアルでジェネレータの再起動をスタートさせた。

 一度目は失敗。

 続く、二度目も失敗。

 三度目でようやく重水素ジェネレータが脈動を始めた。

 この時、僕は生まれて初めて神様に感謝した。

 だけれど、これで終わりではない。

 まだやるべき作業は山積みであった。

 生きる事を諦めないのであればそれらの問題を一つ残らず解決する必要があった。

 

 

 機内の空調が動き始めて直ぐに問題に直面する。

 それはアリスの心臓が思っていたよりダメージを受けていた事だ。

 異様な振動が機内を包む。

 粒子圧縮異常(フレームアウト)を起こして停止した重水素ジェネレーターは、何らかのトラブルを抱えているようであった。

 アリスの自己診断システムが使えない以上原因究明は不可能であった。

 であるならば、僕のやるべき事は一つだけ。

 つまりは、一旦立ち上げたジェネレーターをすぐさま休止状態にさせる必要があった。

 休止状態は、活性化したコジマ粒子を自然循環で反応させる方法であり、重水素スタックに負荷がかかりにくい。

 だが、発電量も極端に落ちる。

 それはアリスの立ち上げを断念せざる負えないと言う事を意味していた。

 地上からの連絡手段を奪われ、推進剤の残量は少なく、主機も不調。

 止めに、アリスの起動が叶わないので、自分の位置すら把握できなくなった。

 要するに、詰んだ。

 

 

 パニックを起こさない為には何らかの目標が必要だと誰かが言っていた。

 だから僕は僕の生還を諦める代わりにアリスの生還を何とか達成すべく思考を巡らせる事にした。

 量子メモリーの電力供給は何とかなった。だが、機内の全ての電力消費を量子コンピューターだけに回したとしても数十分でメモリーのバックアップ電源が切れる。

 それが過ぎれば量子コンピューターは不可逆的に機能停止に陥る。

 それだけは回避したかった。

 だから僕は、量子メモリーの内部データを安定した形に変換する事にした。 

 タクティカルオーダーの内容を直訳するのであれば、それはタンパク質と言うカタチであった。

 意外に思うかもしれないが、磁気テープやハードディスク、CDなどのメディアは非常に脆い。

 経年劣化に弱く数十年単位しかデータを保持できない。

 それに比べ、DNAは非常に優れた記憶媒体だ。

 だからこそ、僕等は数万年以上前のホモサピエンスやらネアンデルタール人やらのDNAを調べることが出来るのだ。

 レトロなのか最新技術なのか解らないが、バイオメティクス関連技術が人類の予想を大幅に上回って優れている事が科学的に証明されてしまったのだから仕方ない。

 地球上でもっとも古いデータストレージを使うべく、僕はDNAエンコーダーであるレプリソームを起動するとアミノ酸をひたすらエンコーディングしていく作業に入るのであった。

 エンコーディングを終えると、十グラムの塊に数十ペタバイトのデータが格納された。

 それは黒い小さなカートリッジ状の物だ。

 科学技術が途方もなく進化した世界で最もデータ密度が高く、比類なきデーター保持能力を持ち、最も古いデータストレージであった。

 これで、アリスが漂流してもサルベージされる可能性は残った。

 僕はここで消える。

 そう諦めかけた矢先、薄暗いコックピットに変化が訪れた。

 外に何かが接続される音がしたのだ。

 まさか、マヤが来たんじゃないだろうな、と思うが、そこまで向こう見ずな行動はしないだろうと思った。

 わざわざ宇宙の藻屑になりに来るなんて正気じゃない。

 そう結論付けようとしたが、彼女は僕が思っていたより大胆だった。

 

 

 僕は命知らずで向こう見ずな彼女になんて声を掛けようか迷っていた。

 そもそもVOBの推進剤は一機余分になったネクストを支えられる程余裕はない。

 それに加え、唯でさえ地球から距離が離れた所に行くのだからどう考えても危険極まりない行為であった。

 だけど、僕はどこか他人事だった。

 自らの死さえ前にして冷静でいられるくらいには。

 だからだろうか、彼女がどんな状態でここまでたどり着いたかなんて、想像もしていなかった。

 

「―――――――マヤ」

 

 そう、無意識に声に出していた。

 そこには無残な姿になった彼女の機体があった。 

 コアに巨大な穴が開き、左腕は根元から無くなっており、中の配線だけがうねるように生えているだけだ。

 それを見た瞬間、この機体のパイロットはとっくに死んでいてAIの自動操縦でここまで来たのではないかと錯覚する程であった。

 そんな機能が搭載されていない事は百も承知で有ったが、とにかく僕は漸く僕の行為によって顔も知らない誰かでは無く、近しい人間が死ぬかもしれないと言う根源的な恐怖と対面する事となった。

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