ぼくは、世界が公平であると言う事を守る為に、弱き者を叩く事にした 作:Sub Sonic
減速スイングバイによって漸く太陽系を離脱してしまう危機から脱した僕達だったが、超えるべき問題が幾つかあった。
宇宙遊泳で真っ先に問題になるのは人の生理現象だ。
飲料水や食べ物を食べたら出さなきゃならない。
それは生物の宿命だ。だけど、人間はそれらの生理現象を人様に見せる行為は忌むべき物として脳の感情ユニットに刻み付けられていた。
しかし、コックピット内にはプライベートを確保できるスペースも無く、僕等は羞恥心と闘う羽目になった。
幸い、無重力空間と言うのは、尿意や便意が来にくくなるらしく、僕とマヤは今まで殆どそれらを意識する事は無かったが、流石に24時間を超えるとなると話は別である。僕と恐らくマヤも意識レベルに上がる程、催していたのだろう。ソワソワしだしたマヤにどう切り出したら良い物かと悩んだが、気の利かない僕は工夫すべき言葉など思い浮かぶはずもなく、単刀直入に言うしか無かった。
「使う?」
「……うん」
たった二言の会話で成立するほど同じ欲求に直面して居た訳だったが、何の考えも無く排泄物処理装置を差し出した行動を、数分後の僕は死ぬほど後悔した。
慣熟トマトみたいな色の顔をしたマヤから顔を背けるようにして僕はインカムで外界の音を遮断する事にした。その段階で漸く「ひょっとして一番最初に使う方が恥ずかしいのでは?」と言う根本的な間違いに気が付いてしまう。
何というか、考え無しだった。今更後の祭りだったが。そう考えていると何時の間にか処理が終わった彼女から無言で差し出された物を受け取る。
「ちゃ、ちゃんと拭いたから……」
僕は立ち尽くす。
実際は立つ、では無く浮く、であったが。
何というか、仄かに暖かい。そりゃそうだ。人の深部体温は38度。その中にあった物がついさっき排泄されたのだ。熱いに決まってる。そう思い至った僕は色々と死んだ。
だけど、マヤの方は更に死んでいた。首まで赤くなった彼女は、色々とヤバそうだった。
トイレの時間ずらせばよかった。
そう思い至ったが、何だか今それを言い出すと、テメェの使ったブツは汚ぇから使いたくないと言っているみたいで憚られた。
「じゃ、じゃあ」
心の中でマヤに何度も謝りつつ用を足した。
地獄の時間が過ぎると本格的な眠りにつくためにシートに身を固定する。
だけど、必要以上の負荷をジェネレーターへ与えない為、機体の消費エネルギーは最小限にとどめておく必要があった。
必要以上の温度管理をしていないコックピット内の気温は氷点下に迫ろうとするほど冷え切っていた。
辛うじてシートには保温機能が備わっていたが、膝に乗る形になっていたマヤにはその恩恵に与ることができない。
先ほどの一件で悪いと思った僕は、彼女に座席を譲る事にしたが、彼女はそれを頑なに拒んだ。
「大丈夫、膝の上でも十分暖かいから」
そう言い終わるとマヤは、思いのほか今の言葉が恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にした。
僕もそれにつられるようにして恥ずかしくなった。
しかし、宇宙での寝具と言えば寝袋である。
これは一人用にしてはかなりゆったりなサイズであったが、問題はこれに二人収まろうとするとかなり窮屈である事だ。
色々と端折るが、眠れないのだ。
それはもうNASAの宇宙飛行士が不眠になるのも頷ける。
いや、多分彼等と僕の眠れない原因は違うだろうけれど。
そう考えつつ無理やり目を瞑るのであった。
人間、眠れないと思っていても意外と寝付くことが有る。
恐らく、交感神経が勝っている内は疲れなどの生理現象が起き難くなるよう生物の仕組みとして僕等の神経系に備わっているプログラムなのだろうけれど、一旦眠りに落ちると一気に副交感神経系が優位になるのだ。
勝利の後の気のゆるみが一番怖いと言ったのはナポレオンだっただろうか。副交感神経系の揺り戻しは鬱病の発症やPTSDの引金になることが有る。賢人の言葉と言うのは案外侮れない。僕はそう考えつつ、まだ焦点の合わない意識の中、思いのほか進んでいた時計に目をやっていると、可愛らしいくしゃみが聞こえてきた。
まだ彼女は眠りの中に居る様子だった。僕はそっと寝袋から出ると彼女の体をシート固定した。
あれから、数日。僕は機体の修理できそうな箇所を探す作業を続けていた。だけど、機内の空気と言うのは宇宙では貴重なのだ。だから機外での作業はかなりの回数制限を伴った。
酸素と水素は積み込まれた真水から生成する事が出来るが、窒素ガスだけはどうしようもなかった。
流石に、機内の空気の全てを酸素にする訳にもいかなかったので、自ずと機内から探れる範囲に限られた。
その結果、僕等は暇になった。
余りにもやる事が無いと眠れなくなるのでマヤの機体のタクティカルオーダーを読み漁る事にした。
マヤは僕のそれに倣ってアリスのタクティカルオーダーを読もうとしていた。
だけれど、その本には眠りの魔法が掛かっていたみたいだ。
「よく寝るなぁ」
僕はすることが無くて不眠になるという噂の宇宙空間で、逞しく眠るという仕事を熟し続けるマヤに感心するのであった。だけど、僕はすっかり失念していた。水を節約する事が、体にとって如何に負担になるかと言う事を。
彼女の異常に気が付いたのは船内活動を始めてから丁度二日目であった。
僕等は決められた量の水分を一日三回に分けて摂取していた。
その時、僕は何時もの様にマヤが寝坊しているのだろうと思っていたけれど、幾ら待っても彼女は眠りから目覚めようとはしなかった。
訝しんだ僕は、彼女の額に手を当てた所、その額は火の様に熱かった。
「ごめんね、でも大丈夫だから」
弱々しく答える彼女はどう見ても大丈夫には見えなかった。
彼女の不調の原因は直ぐに分かった。
機体のメインシステムをオンにし、空調システムを起動する。
そのステータス画面に表示されていた酸素濃度に僕は目を剥いた。
だとするならば彼女の症状は恐らく高山病の一種だろう。低酸素状態における過呼吸による血中イオン濃度の偏り。恐らく、水分摂取を控えたのが堪えたのかもしれない。そう考えつつ対処方法を考える。
対処は簡単である。酸素濃度を回復させることだ。だけれど、事はそう簡単では無かった。
何故なら、酸素濃度の予想以上の低下は機体の酸素供給システムの異常を示す兆候であったからだ。
ここにきて、再び僕等の首に死神の鎌が突き付けられることになった訳だ。
二機のネクストの空調システムが故障したわけであるが、それによって選択を迫られた。
それは何方のネクストの空調システムを直すか、と言う事である。
時間の猶予は無かった。
何故なら、予想以上にアリスが管理している空調システムがダメージを受けていたからだった。
『なんか、ごめんね、迷惑、かけてるよね』
『ううん、気にしなくていい』
スーツの気密確認メッセージに目を通すと、機体のエアロックを解除する。
『私の機体で大丈夫なのかな』
『こっちの機体、割とジェネレーター周りが怪しかったから、この際丁度いい』
実際は何方の機体も満身創痍なのであったが、それを言葉にする事は無かった。
そうして彼女を小脇に抱え、機体のフレームに取り付けられたアンビリカルケーブルを手繰っていくともう一つのネクストにたどり着いた。
『なんだか、一日ちょっとしか離れてないのに久しぶりな感じがするな。それに、今度は逆だね』
『そう、だね』
そう言いつつ「もうちょっと片付けておけば良かったなぁ」などと、場違いな言葉を漏らす彼女と共にコックピット内に収まるのであった。
機内に入るなり、目に飛び込んできたのは巨大な液晶画面である。巨大、というには面積が大きすぎる。
そう、彼等の横や、足元にまで画面が配置されていた。
レイセオングループの機体と違い、スイッチ類が殆ど排された構成は最新鋭兵器に相応しい様相であった。
『取り合えず、気密を確かめる』
『でも起動し方、解る?』
『大丈夫、さっきタクティカルオーダーで確かめたから』
慣れた手つきで画面に手をかざしつつ、システム画面を進めていくと、あっという間に気密チェックと言う項目のステータスバーが表示された。
『やっぱり鈴音君は私と違って何でもできるね』
『何でもじゃないよ。人間以上の事は出来ない』
圧搾空気が排出される音と共にステータスバーが消える。問題なしと表示されると同時にバイザーを上げる二人。
漸く死に満ちた宇宙空間から解放されたのであったが、やる事が有った。
それは相変わらず低濃度の酸素をどうにかする為に、機体の修理を、この何も無い宇宙空間でやってのけなければならないという事であった。
非常に困難であったが、彼女の機体をざっと調べたところ、酸素供給システムを限定的に稼働させる事に成功させた。
「これ、飲んで」
残り少ない水を彼女に飲ませるべく、口元にボトルを運ぶ。
「え、こんなに沢山、飲めないよ。鈴音君の分が無くなっちゃう」
「大丈夫、飲料水は後で何とかするから。それより、今一番水を必要としているのはマヤだよ。だから飲んで」
そんな押し問答を数回繰り返したが、彼女は何とか水を飲み干した。
そうして彼女のヘルメットに通じる酸素供給システムのダクトをコックピットの供給孔に接続すれば心配事の一つは解決であった。
そうして、最後の懸念事項である水の確保に乗り出すべく、僕はマヤのコックピットをリフォームする事にした。
正確にはパネルの類を外していくのだ。
彼女の機体解説書によるとコックピット内に空調システム用の真水タンクが存在するはずであった。
真水はそのままでは飲めない。
ミネラル分が極限まで排された水分は逆に消化管の粘膜を破壊する。体は綺麗過ぎる水は受け付けないのだ。
だから適度に汚してやる必要があった。
最悪の場合、し尿を真水に混ぜて飲むという方法も有ったが、色々と死ぬので最後の手段である。
幸い、乾燥レーションを砕いて水に混ぜる事によって飲める水に出来たため、当面の水の心配はいらない。
そう考えつつ、引きはがしたパネルを元に戻していると、ふと、パネルに付けられた写真に目が行く。
「これ、マヤの御母さん?綺麗な人だね」
「えへへ、そう、かな。私の御母さん外国人だから、鈴音君にはそう見えるだけだよー」
彼女は「そう言えば」と話を切り出す。
「鈴音君のお母さんとお父さんって日本人なの?」
少しだけ顔色が良くなったマヤ。それとは正反対に僕の心臓は一オクターブ低く脈打った。
冷たい熱さが全身を駆け巡る。無意識に避けてきた記憶の蓋に触られた気分になる。
「僕の父親は居ないんだ。精子バンクで母さんが買ってきた人が僕の父親」
「それって、もしかして、お父さんになった人、とっても頭がいい人だったとか??」
有名スポーツ選手や天才科学者などの精子はかなりの高額で取引される。
専ら精子バンクで生まれる子供はそうやって選別された父親を持つことが多い。
だけど、僕は―――――――――
「どうだろう。母さん、そう言う話好きじゃなかったし、良く解らない」
嘘だ。好きじゃなかったのは僕の方だ。
母さんは死ぬ前に僕に真実を伝えた。
未だに受け入れることが出来ないのは僕の方だ。
「それより、まだ本調子じゃないんだから今はゆっくり休んで」
そう言いつつ、僕は過去に蓋をするようにしてマヤのヘルメットのバイザーを降ろす。
コックピットの液晶画面を見ると、酸素濃度が表示されていた。
それをさりげなく消すと、彼女をシートに固定する。
「おやすみ、マヤ」
消える瞬間の画面には丁度標高6000メートルほどの酸素濃度が表示されていた。
僕はソレに背を向けて眠る事にした。
◇ ◇ ◇
あれから、何度か酸素濃度の低下に見舞われたが、マヤに付けていた酸素供給システムのお陰で彼女への影響は無かった。
僕等は機体の損傷具合から再びアリスの機体に戻る事にした。流石に、マヤの機体はコアに多くの損傷を負っていた為、耐熱性能が怪しかったかった。プライマルアーマーが分厚いアリスの機体を再突入用カプセルに選んだのだ。
だけど、最後の問題が立ちはだかる。それは地球に存在する分厚いデブリベルトだ。度重なる宇宙開発競争と、妨害の果てに出来上がったこの障害物の群れは通常型兵器の通過を困難とさせていた。直径数ミリのデブリですら砲弾と同じだけの運動エネルギーを持っており、それを受け止めるには複合装甲が必要であり、数センチ以上の大きさの物体が犇めくデブリベルトはまさに死の谷であった。
目下、それを越えなければならない。だが、それ以上に越えなければならないハードルが有った。
「侵入速度が速すぎる」
「えっと、それって良くない事?」
何だか起きてもあんまり離れてくれないマヤに対して、極めて自然に言葉を返す。
「良くない。減速するには速度エネルギーを熱エネルギーに変換する必要がある。だけど、機体が耐えられる熱容量は限度がある。それを超えると文字通り燃え尽きる」
「じゃ、じゃあ……」
「方法はある」
そう言いつつ再突入シークエンスに突入した機体を制御する。
『プルアップマニューバーまで残り15秒―――――』
機体の揺れが一段と大きくなると、遂に大気圏上層部に突入したのか、空気抵抗による加速度が体に掛かる。
数日振りの重力の感覚。
だけど、まだ突入には早すぎる。
AMS越しにアリスに命令を送ると彼女は即座にブースターを使い機首上げ運動を開始した。
所謂、スキッピングリエントリーだ。
『弾道飛行へ移行、仰角凡そ――――――――』
アリスが慣性航行装置だけでオペレートを行う。
僕はひたすら低く飛ぶイメージを思い描く。恐らく、彼女も同じ気持ちだろう。
スペースデブリは大気圏上層部には存在しない。それは空気抵抗で直ぐに落ちてしまうからだ。
最も多い場所は高度100㎞より上。つまり、弾道飛行へ移行した時が一番危ない。
そう考えていると、凄まじい轟音が轟く。
『機体損傷、左腕部貫通、右腕損傷不明、神経束の断裂を確認、該当エリアのエネルギー供給をカット』
―――――――ごめん、アリス、もう少し耐えてくれ
そう心の中で呟きつつ、ひたすら祈る。
今は彼女の複合装甲だけが頼りだった。
機体は弾道飛行へと移ると、装甲表面を冷却していく。
スキッピングリエントリーの真骨頂はこの工程にあった。
大気圏に突入する宇宙船が速度が速すぎて燃え尽きるなら、一度の再突入ではなく、二度、三度に分けたらいい。
そこで耐熱タイルを冷却すれば少なくとも一度の再突入より熱負荷は少ない。頭のいいソ連の科学者はそこに気が付いた。だから僕等もそれに倣う事にしたのだ。
だけど、燃え尽きる前に破壊されるというのは何とも皮肉な物だ。
大気が邪魔になる以前にヒトの作り出した人工物が再突入の最大の障害となるとは。
数多の妨害合戦の果てに、互いの衛星を撃墜し合った事によって、今の均衡が生まれた。
でも、その均衡も何時まで続くだろうか。
僕は無意識に空を見上げる。
例のアームズフォートは今も悠然と空を飛び続ける。
薄汚れた地球を見下ろすように。
それでも、僕はそんな世界が救いがたい物とは思えなかった。
だって、地球は汚れていてもこんなにも綺麗なのだから。
僕は人が汚しきった星に落ちていく。
また、血と硝煙と銃声に塗れる日が待っているとしても。
◇ ◇ ◇
作戦終了から数日。
ネクストはハンガーに有った。
重傷を負った両機は一週間は飛べないだろうと言われていたが、マヤにとっては纏まった休みが欲しかったので願ったりかなったりだった。
ユキに呼ばれたマヤは格納庫へ向かっていた。
報告書について聞かれることが何度も有った彼女にとっては、既に日常と化していた。
「ちょっと、整備長から聞かれたんやけどさ、まやっち、にぃやんとコックピットで数日過ごしたよね?その時、にぃやんに変わった様子無かった?」
「ん~、普通だったけど……」
ユキは腑に落ちない様子で再び言った。
「にぃやん、調子悪そうにしてなかった?」
「どっちかって言うと私の方が調子悪かったけど……」
「そういや、まやっちはずっと酸素供給システム付けとったんやね?それは間違いない?」
「そうだけど。それがどうかした?」
「―――――――いや、別にええんや。多分、計器の間違いやから。御免、病み上がりなのに。書類だけ目を通したら今日はもう帰ってええで」
マヤは腑に落ちない様子のユキを背に書類を取りに行くのであった。
その背中を眺める彼女はぽつりと続ける。
「流石に、酸素濃度7%で人間は生活は出来やんよなぁ」
Y01-TELLUSのコックピット内のデータログに付けられた数値を眺める彼女。
最後にそれをクシャクシャに丸めると手近なゴミ箱に投げ入れる。
そう、標高7000メートルで生活できる人間など存在しない。
彼女の問いは確かに正しかった。
ただ、彼女には何が間違っているのか解らなかっただけだった。
―――――――そう、何かが間違えていた
それに思い至る者は誰も居なかった。