「はいっ! とゆーコトで、今日は私の生まれ故郷である、キビトにやってまいりました〜! ひかり輝く憂いのない備え、阿鼻叫喚東西南北クレープの、東! 実は私の地元なんです!」
「『故郷に泊まろう!』ということで、今回は私があんまり自信ない人脈を使って、知り合いの家に泊まらせて貰おうと思います〜。では、もう夜も遅いので、早速行ってみましょう……。
――『故郷に泊まろう』!」
その電話がかかって来たのは夜の九時だった。
その頃、私は自宅のソファで絢辻さんと並んで、アニメ映画を見ていた。
「――電話だ。止めるよ?」
「無視すればいいじゃない」
「残念」
私は携帯電話の画面を見せた。
絢辻さんの悔しそうな顔に苦笑し、テレビを操作して、映画を一時停止。
私は部屋を出て、玄関で、少しばかり、かつて好きだった人と話をした。
部屋に戻ると、絢辻さんが心配した顔で待っていた。
「誰よ、こんな時間に。非常識ね」
「もっと非常識な人さ」
「ふうん?」
絢辻さんは少し興味がそそられたらしく、そんな顔をして、私に視線を投げた。私は冷蔵庫から取り出した牛乳をグラスに注いで、一つだけ口をつける。
「桜井梨穂子、覚えてる? 僕の幼馴染みで、高校の時……三年で同じクラスになった」
「知ってるわ。今は桜井リホでしょ?」
ざっつらいと。
言うと、絢辻さんは両手を挙げて喜んだ。
「ばんじゃーい」
桜井梨穂子とは家族ぐるみの付き合いだ。幼い頃は私と妹の橘美也、桜井梨穂子の三人でよく遊んだものだった。いつからその関係が破綻したのかは分からない。が、恐らく、遅くとも小学校中学年の頃には、もう三人で遊ぶこともなくなっていた。
それでも私と梨穂子の関係だけは強いものだったが、それすらも破綻したのが、高校二年生の冬、創設祭の少し前。私の視界の大部分を絢辻さんが占めてきた頃、ある日突然、私と梨穂子は引き離されてしまった。桜井リホという存在によって。
私が恋を愛していたあの時期、急に、頭から冷水を浴びせる知らせが入ったのは今でも忘れない。桜井梨穂子、桜井リホとしてアイドルグループ《KBT48》の一員として芸能界デビュー。雪も降らない、乾いた寒々しい日の夜にテレビ番組でそれを知った私は困惑し、安心し、そして後悔した。そんな自分にも嫌気がさしたし、沢山泣いた。
桜井リホという名前が、私と彼女の間に壊れることない壁を築いた気がして。超えられない壁に罵声を浴びせ続ける権利もない私は、矢印を自分自身に向けて泣いたのだ。
「でもあなた、高校の時は携帯電話は持ってなかったし、その時から桜井さんと関わってないでしょう? どうして電話番号を知ってるのよ。登録までして」
「そりゃあ……梨穂子の保護者を継いでくれた、伊藤香苗のおかげだよ。実は、梨穂子の電話番号だから、大事にとっておいて欲しいって梨穂子が携帯を買った時に貰ったんだ」
つまりは、梨穂子がアイドルになった時である。我が幼馴染両親――ということはご近所さん――も、アイドルの娘に対しては流石に携帯電話を持たせたらしいのだ。携帯電話の扱いについては、ここ最近で、随分印象が変わった。私たちが高校生の頃はまだ携帯電話は会社で必要な人、もしくは、忙しい大学生のためのものであったのだ。それが何年か経てばすぐに手元までやってきて、私は何年前に書いたメモ帳を見つつ慣れないボタンを押したのだ。おかげで、私の電話帳は一番上に桜井梨穂子が記載されている。バレないようにせねばならない。
「伊藤……ああ、あの人ね。桜井さんとよく一緒にいた、蜜柑みたいな」
「そうそう、カンガルーみたいな」
桜井梨穂子の言っていた《香苗ちゃん》の正体は、卒業する時本人から聞き出したことによると、伊藤香苗。
現在は梅原正吉と交際中。絢辻さんといい伊藤さんといい、趣味が悪い。何かしらの業でも背負っているのか心配になるくらいだ。
「で、その桜井さんがどうかしたの?」
「いや、その、家に泊めてくれって」
「場所を忘れたの? 家の?」
「多分。――それは置いといてさ、なんでも、テレビ番組の企画らしいよ」
「はぁ?」
故郷に泊まろう――という番組は私も彼女も良く知っている。見てみると案外面白くて、よく見ているのだ。途中、絢辻さんが参戦してくる。私も絢辻さんも記憶に残っている。
「ああ……あれね。でも、この家に入るかしら?」
「問題ないよ。で、いいかな?」
「許可」
「分かった。連絡するよ」
梨穂子に折り返し、次いでピザ屋や寿司屋へも連絡を済ませたあと、銀行に向かった。
映画が途中止めになってしまって、絢辻さんに悪いなと思いつつも、しかし梨穂子がこちらに辿り着くまでに終わるだろうと推測をつけた。
なんと、タレント、桜井リホは現在私の実家の近く、適当な駐車場で待機しているそうだ。私は現在の住所を教えたが、到着まではしばらくかかりそうだ。
やれやれ。この分だと、明日は確実に、桜井梨穂子の案内役に抜擢されてしまう……。
桜井梨穂子が家に来たのは、狙い通り、丁度映画を見終わって少しした頃だった。つまりは、午後10時23分。
「久しぶり〜」
彼女は私に笑顔で話しかけ、ちょっと考えたあとに手を伸ばした。私はそれに応え、握手。
「お久しぶり、梨穂子……リホ。上がってくれよ、スタッフの人たちも。もうすぐピザが届くから、それまで茶でも飲んでてくれ。お酒は残念ながら切らしてるんだ、ごめんよ」
「いえいえ〜〜。買ってきましたから」
廊下を移動しつつ、梨穂子はスーパーの袋を掲げた。随分と買い込んだらしい。彼女は昔から大食いだが、酒にもそれは適用されるらしい。それ位の数、彼女とそのスタッフは抱えていた。
「えへへ〜、元気でしたか?」
「ああ、あれからずっと元気だったよ」
「いらっしゃい、桜井さん、スタッフの皆さん」
部屋へと入れば、リビングと併設されたキッチンに絢辻が立っていた。青いエプロンをつけている。彼女の好きな色は青だ。
「あ、絢辻さん〜。あれ、でも、何で絢辻さんが?」
「同棲してるんだ」
「え〜〜びっくりだよ〜」
とは言いつつも、予想はしていたのか驚いた風はない。まあ、かつてのような会話の雰囲気に酔っているのだろう、彼女も、私も。
「覚えててくれたんだ、嬉しい」
「そりゃ〜我等がいいんちょですから! 純一と、香苗ちゃんと、茶道部の先輩方の次に覚えてるよ〜」
「結構下なのね」
「そりゃ、絢辻さん以外は特に関わりが濃かったから。話したことも少ないのに覚えられてる絢辻さんが異常なんだよ」
桜井梨穂子と絢辻詞はそこまで仲が良いわけではなかった。三年生の時だけ同じクラスだったらしいが、喋っている場面を見たことがない。我々の学年で絢辻さんは神だった。いやいや、私は人間として見ているよ? 時々天使にも悪魔にも見えるけど。
――と、出前注文も届いて、食事パート。
「あ、そうだ。明日の成人式なんだけどね」
「ああ、カメラに同行しろって?」
「いいかな?」
「勿論」
まあ、それ位は覚悟していたというか、寧ろ、それくらいでないと成人式に出る気すら起きなかったところだから良かった。幸い絢辻さんの同行は見逃してくれるらしいし。
「じゃあ、ひょっとして、二次会もお願いしちゃったりしててもいいどすか〜〜?」
「二次会ってなんだ?」
「え?」
え?
「梅原君とか、棚町さんから聞いてない?」
「全く」
あの2人は私の性格を良く知ってるから。まして自分達が誘えば私の機嫌が悪くなることくらい何となく避けてそうだし。
だが、まあ、なんだ。テレビと言うなら仕方ない。梨穂子との時間も久々だ。そこそこの人数に気付かれず私の足の裏を抓(つね)る絢辻さんには少し我慢して貰って、梨穂子とデートを楽しむのも悪くないだろう。後日埋め合わせするとして。いや、嬉しい悲鳴だ。
「え~! あ、分かった。また『楽しそうじゃないから行かないしー』とか考えてたんでしょ」
「ふふふ……ごめんごめん。ま、その代わり。明日は任せてくれよ」
「えへへ、お願いしま~す」
さて、就寝!
翌日、成人式が終わった後だ。
「今から二次会の会場に移動で~す」
「何の集まりなんだっけ?」
「うん? 二次は輝日東(キビト)高校の集まりらしいよ」
「そうか。期待できるな」
「因みにその後は同名の中学校、輝日南(キビナ)小学校と続くのですが、時間の都合上、私達は参加できませんのです」
「仕方ないな」
何故私がこんな、流行りの動画投稿者みたいな事をせねばならんのか? いやいや、引き受けた以上仕方ないが、流石にこれは予想していなかった。確かに『故郷に泊まろう!』ではMC、ゲストの二人のみを映して進行していくが……流石に、私も恥ずかしい。酒も結構……というかベロベロ入ってるし。寧ろ酒に私が入ってるし。私が酒だし。
「あ、カンペ……なになに、純一の会いたい同級生? ふむふむ、ちょっと興味あるかも。そう言えば、純一って高校で友達できたの?」
「……そんなんでテレビは大丈夫なのか?」
「あははは、やだなぁもう、純一ったらお母さんみたいだよ。心配しすぎだよ」
「それくらい心配されるんだってことを理解して欲しいな」
「純一も変わらないよね、昔から」
――私が桜井リホに対して心配しているのは、先程からこのような脱線ばかりしているからである。いくら『故郷に泊まろう!』が旅番組っぽい、オープンワールドなテイストだからといって、脱線しすぎなのだ。
先程の、『驚天動地風林火山パフェ』と『シャイニングラバーズパフェ』について熱く語っていた時の、スタッフの『カットで』という呟きを私はけして忘れはしない。
「では、そろそろお聞きいたしましょう、純一は誰に会いたい?」
「そうだなあ……交友関係の半分くらいがもう達成しちゃってるんだよな。
敢えて言うなら、梅原はよく会うけど、いきなり来て脅かしてやるのも悪くない。棚町の顔も久しぶりに見たい。伊藤香苗さんも中途半端に関わったし、話がしたいかな。後は、高橋先生かな。うん。沢山世話になった」
「あ、えーと、梅原くんと棚町さんっていうのは純一の親友、香苗ちゃんは私の親友で、高橋先生っていうのは美人で有名な私達の先生のことです」
さて、現場について二次会開始だ。
二次会も終わり、撮影も終わり頃、帰り道。
梨穂子が私に川原を見に行こうというので、暗い中、私は目を擦りつつ、見覚えのある場所へと足を踏み入れたのだった。
「懐かしいね。ここでよく、二人で空を見上げてたよね」
小さい頃から守り続けた私と梨穂子の空は、何一つ変わっちゃいなかった。私たちの背が高くなった分、梨穂子の胸が大きくなった分星は動いているが、それは私の視界には何も影響を及ぼさない。
あの星たちは、ネギ座。あっちは、ドレス座。あれは、醜いアヒルの子座。梨穂子座、純一座……。
泣いてもいないのに、涙が流れた。
「午前中から空を見てて、ゴロゴロして、気付いたら夜〜みたいな事もあったよね。後ですっごい怒られたの覚えてるよ」
五歳の頃だ。
私と梨穂子は適当な服を着て、暇だからと少し遠出した。実家からかなりの近さにある秘境だが、当時の私と梨穂子の足には遠出だったのだ。活動範囲を広げることへの冒険心もあった。
犬の糞、鳥の糞を念入りに点検したあと二人揃って芝の坂に寝転がり、空をぼーっと見上げた。退屈では無かった。
「ね、ちょっとお話しない?」
「うん」
忙しかった。
「えっと…………その。番組のね、宿泊先に、あなたの家を選んだのには、実は理由があったりするのですよ」
《あなた》。梨穂子が私をそう呼ぶのを、私はいつから聞いていないか。それすらも私は忘れてしまっている。不義理という三文字のその上に恥で塗り固めて、ゴミとして忘れてしまっていたのだ。
『純一』、もしくは訛って『ずんいち』と呼ばれることに慣れてしまって、勝手な自分の想いで、桜井梨穂子を忘れてしまっていた。
私はこの瞬間、久しぶりに桜井梨穂子と再開した。気がした。全て私のワガママで、主張に過ぎないものだ。
「その理由っていうのは……私の、かつての想いを、伝えるためです」
・
・ ?
え、いや、あのー。そういう流れ?
確かに、雰囲気的にはそうなのだけどな。
いやあ……その。えー? あれ? えー?
「えーと、高校生になる前の話なんだけど、私……あなたの事好きだったんです」
「……」
私、状況についていけません。
頭もついていけず、処理落ち。助けてと言えるものなら叫びたいくらい。
「えっと、今は、知っての通り彼氏がいるんだけど……その、やっぱり、隠し事はダメかなーって」
あ、あの中堅俳優。絢辻さんに私に似てるって言われたんだよなあ。
頭がびっくりするほどユート……真っ白。アリエールだ。
「あの、それってさ。ひょっとして」
「――小学校五年生から、中学二年生だったり?」
!? と
里穂子はそんな表情で、涙の出てきた目を丸くして、手で口を覆った。
私、自制が効かない。
「ごめん。当時、僕……自分でも分かってたよ。でも、無視してた。ごめん。梨穂子の事が好きで、両想いだって気付いてたのに……ごめん」
「なん……で…………?」
縋るような目で見てくる。
私、困惑。自分で体が動かせなくて、まるで流行りの催眠だとか交霊術だとかみたいで、そう。
焦った。
「いや……その。当時は、その。梨穂子と関係を進めていくのが怖かったし、告白を通り過ぎただけで、スイッチみたいに関係が変わるのが気持ち悪かったんだ。それで……その。うん、告白できなかったんだ」
「それでも、好きな気持ちを伝える方法はあったけど、それも無視してたんだ。高校生になって、視野が広がったら……とか、無責任な事考えて。無視してた。梨穂子を見ないフリしてた。幼馴染みの位置から見た梨穂子が梨穂子の全部だって勘違いしてて、梨穂子をないがしろにしてた」
本当にごめん、梨穂子。
頭で整理もしてないものだから、私の十年くらいぶりの告白は長い。
梨穂子はしっかり聞いていた。
「……ううん。私も、勇気がなかったから。お互い様ですよ」
「ううん、違うよ……。自分で、逃げ道にした言い訳すらも守れないバカが悪いんだ。本当に、ごめん」
なにもわからず、ただ漠然と走っていたあの頃。私は、梨穂子が好きだった。つまり、中学校一~二年生。
ただ、それが段々、走る意味が変わってきて。
私がそれを、見えない誰かを追っていると自覚した瞬間。
二人同時に、失恋。
「私は、何も出来なくて……。だから、あなたが羨ましいな」
梨穂子の顔は涙でくしゃくしゃだった。それを拭ってやることが出来なかった私は、今もそれができないでいる。
私は自分が大人だとは思わないが、ただ、子供に戻りたいと思う。
「あの頃、なんにも考えてなかった。あなたのことが好きで、恥ずかしくて、それだけしかなかったもの。告白って言葉すら浮かんでこなかったの。言葉に出来ない感情ばっかりで心がいっぱいで、アレがしたいっていうのすら浮かんで来なかった」
「そんなんだからあなたにバレちゃうし、あなたの好意にも気付かないんだよね。
――そうしてる内に、段々あなたは足が早くなってた。待ってることしか出来なくて、でもそれは悔しくなかったんだけど……
「今でも覚えてる。中学校二年生の冬頃、図書館からの帰り道の3階廊下で、隣には友達が一人いて。グラウンドの、走ってるあなたの横顔を見た時、『あ、もういいや』って覚めちゃった。自分勝手で……もう、自分が嫌いで」
――。
泣き声、しゃくり上げる音だけが夜空に響く。
口を開くと、しょっぱくて、喋れなかった。
私はこの時、梨穂子と本当の幼馴染みに戻れた気がした。
テレビの中で歌って踊る梨穂子を、ニコニコと、笑顔で見ていられる。
『沢山踊るので沢山食べられるんです〜』と喋る梨穂子を、苦笑しながら見ていられる。
桜井リホを見るときの感情が単純化された印象だ。
モヤモヤだとか、複雑な感情だとかを土に流してしまったからだろう。私はそれがいいことだとは思わない。
「へー、私は、桜井さんの代わりだったんだ?」
良かったことと言えば、絢辻さんが少しだけ、その、挑戦的になってくれたくらいで。うん。
惚気と名のついた逃げは辞めよう。
私は後悔していた。
梨穂子の隣にいたらどうなったかなど気にすることはあったし、やはり寂しかった。電話を掛ける一歩手前まで、機械を操作したことすらある。黒電話の奥、いつまでも《純一ちゃん》と話す梨穂子のお母さんと口喧嘩した事も。
今ではそれもない。特別枠だった梨穂子が、絢辻さんの下位互換へと成り下がったから。
それは決して気持ちの良いことではない。唾棄すべきこと。
しかしそれでよかったと思えた。
子供っぽい、ともう一人の私が絢辻さんと一緒になって馬鹿にする。
しかし私はそんな自分のことが、案外、気に入っている。