その日、古道具屋を営む店主を除く、万物万象が凍結した。
比喩でもなんでもなく、そのまんまの意味で。
「…………んんっ?」
一般的に血の気が多いとされる妖怪の血を引くものの、森近霖之助は極めて冷静沈着な男である。幻想郷が非日常の連続で成り立っているために
別段冷血漢というわけではないのだが、持って生まれた性か年の功か、並大抵のことでは驚けなくなってしまったのだ。
そんな霖之助は今、ここ数年類を見ない驚天動地に身を震わせ、得もいわれぬ感情を全身で表現せずにはいられなくなっていた。
目を見開き、声を漏らし、ちょっぴり間抜けな顔を晒して、ポカンと石像の如く硬直している。幾度も瞬きを繰り返しては脳のネットワークをフル稼働させ、眼球が怒涛の勢いで運んでくる情報を処理しようと躍起になった。
しかし答えを出すことは終ぞ叶わず、ただただ異常の渦に呑まれた愛しの香霖堂を、呆然と眺める事しか出来ずにいた。
無理もない。だって急に物が動かなくなったのだ。なんの前触れもなく、突然氷の中へ閉ざされてしまったかのようにピッタリと。
それは物に留まるどころか、
こんなの、驚かない者が居たとすれば、それは狂人だけだと断言できる。
「魔理沙? おーい魔理沙」
のほほん笑顔でお茶を飲んだまま固まっている魔理沙を怪訝な眼差しで観察する霖之助。
悪戯じゃないのか? と顔の前で手を振ったり頬を引っ張ったりしてみるが反応は無い。細胞レベルで一片たりとも微動だにせず、むいーっと引っ張った頬から手を離したら、ほっぺたが伸びたままの形で保存されてしまう始末だ。
……なんだか面白くてむいむいやっていたら、魔理沙の『乙女』を冒涜してしまったんじゃないかと頬を引き攣らせざるを得ないくらい凄まじい顔になってしまった。
戻したくても戻せないので、捨て置こうと英断する霖之助。
とにかく、魔理沙も異常事態の渦に囚われている以上この怪現象の発端ではないらしい。
幻想郷が外の世界の非常識で成り立っているとはいえ、物理法則を捨て去った訳ではない。リンゴは捥げれば木から落ちるし、水は上流から下流へとくだる。風が吹けば落ち葉は攫われるのは必然で、太陽の光は大地をしっかり暖めてくれる。ほんの少しオカシイ場面もあるけれど、
だから、天井からゆるゆる落ちてきた埃が途中で停止しているのも、魔理沙が身動ぎ一つしなくなったのも、読みかけの本が不自然に開かれたまま宙に浮いているのも、れっきとした異常なのである。
「となると、なにかの異変かな。これは」
異変。それは幻想郷でたびたび起こる怪現象の総称である。強大な力を持った妖怪の悪戯だったり神秘的なナニカが原因だったりと様々だが、とにかく、幻想郷ではこういったみょうちきりんなことが稀に起こるのだ。例えば真っ赤な霧が幻想郷を覆いつくしたり、春が来なくなったり、夜が明けなくなったり、四季の花が一斉に咲いたり、天気が滅茶苦茶になったりと様々に。
であれば此度の事件も例に漏れず、それら異変の類なのだろう。そうとしか今の霖之助には判断のしようがない。
「さて、どうしようか。そのうち霊夢が解決してくれるだろうが――」
一応、なぜか霖之助が触れた時だけは物体へ干渉できるみたいだが、不便な事に変わりはない。本を読もうにもページを捲って離せばそこで止まるからいちいち正さないといけないので疲れるし、お湯を沸かして一服しようにも火は触れないから湯が沸かない。だったら掃除でもしようかと雑巾を絞れば、排出された水が全部空中で止まってしまって滅茶苦茶だ。
無重力空間では水が玉になって浮かぶと聞いたことがあるけれど、まさかそれを香霖堂で拝む事になるとは露程も想像していなかった霖之助である。
「――弱ったな。これじゃ下手に動けないじゃないか」
諦めて、一先ず椅子へ腰かける。自然と零れるこの溜息も、見えていないだけで目の前で止まっているのかな、なんて耽りながら天井を仰いだ。
森近霖之助は半妖だ。おそらくヒトの数倍……いや、数十倍は長生きするだろうし、しているかもしれない。つまり普通の人間とは時間の縮尺度合がまるで違う。霖之助にとって一日二日程度の時間は瞬きくらいの誤差でしかなく、異常事態に巻き込まれたってそれくらいなら我慢できる。
けれど今回だけは事情が異なった。夜が明けなくても春が来なくても別段苦とは感じなかった霖之助も、ほんの数時間も経たずに不安を覚えた。覚えざるを得なかった。
なにせ
それはつまり、
霧が濃くても巫女は飛んだ。春が来なくても『明日』は来た。朝が来なくても時は流れた。
今までの異変は『流動』を伴う異変だった。流れたモノは必ず終着点へ辿り着く。だから心配はいらなかった。いつか解決されるものだろうと、確信を持つことが出来たからだ。
しかしこれは違う。一切合切が流れていない。始点も無ければ終点も無く、無間地獄を彷彿とさせる虚空が支配するのみである。
かつての異変には見られなかった最大の特徴たる
ありたいに言ってしまえば、『もしこのまま止まったままだったらどうしよう』というものである。
「……よし。霊夢を尋ねてみよう」
椅子から立ち上がりつつ、とりあえずの目標を設定する。
木を切るなら木こりに。酒を買うなら酒屋に。ならば異変は異変解決のスペシャリスト、博麗の巫女へ頼るのが王道だろう。
それに、彼女ならこのおかしな空間であっても煎餅を齧りつつ神社でまったりしてそうだ――なんて想像を走らせながら、外の状況も確かめるために、霖之助は店のドアをギィッと開いて足を踏み出した。
ゴンッ、と鈍く重い衝突音が波紋のように広がったかと思えば。
大きな影が、どさりと地面へ落下した。
「あっ」
それが博麗の巫女だと気が付いた瞬間、霖之助は割と本気で命蓮寺へ入信しようかと考えた。
頭痛を持ったように頭を押さえながら、博麗の巫女――博麗霊夢を抱き起こす。
大方、香霖堂へ入ろうとした刹那の際だったのだろう。そこで運悪く凍結してしまい、霖之助がドアを開けた事で頭を打って地面へ転がったのだ。
かなり強烈な音がしたにも関わらずリアクションが無いので、霊夢も完全に固まっているらしい。取り敢えずこの間無縁塚から拾ってきた『ソファー』という腰掛けへ安置しておくことにした。
「参ったな、霊夢も駄目か」
キョンシーのように固まったまま動かない霊夢を見ていると、なぜか宇佐見菫子から教わった『等身大ふぃぎあ』なるものを彷彿させられてしまう。よく見るとおでこ辺りが真っ赤になっているが、多分気のせいだろうと言い聞かせた。
さておき、これで最悪具合に拍車がかかった。頼みの綱だった霊夢がいとも容易く異変の渦に呑み込まれ、物言わぬ置物と化してしまったからだ。別に彼女だけが異変解決を取り持っている訳では無いのだが、霖之助にとって現状最も頼れる存在だった霊夢がまるで役に立たないとくると流石に手痛いものがある。
第二候補である魔理沙は言わずもがなだし、文字通りお手上げに等しい状態と言えるだろう。
「落ち着こう。取り敢えず落ち着こう。悩むなんてそれからでも遅くないさ」
言い聞かせるように言葉を吐き、熱を持ち始めた脳髄を鎮火させる。魔理沙や霊夢のような行動派と違って思考派の霖之助は、この異変の情報を整理しつつ冷静になろうと試みた。
そも、この異変の始まりは何だっただろうか? 残念ながら心当たりが全くない。いつものように店番をして、いつものように魔理沙が来て、いつものようにお茶を出してくつろいでいたら、突然何もかもが止まったのだから。
先ほどチラッと外の状況を見た限り、これは香霖堂に限った話ではないらしい。視界一面の落ち葉たちが皆一様に空中で縫い留められていたから、きっと局所的な現象ではないのだろう。
今の段階では原因不明。ならば理屈はどうか? 時間という川の流れをピタリと止めてしまっているダムの正体は果たしてなんなのか――――
「――待て。時間が止まっているかのような……?」
頭上に電球が浮かんだような錯覚があった。霖之助はすぐさま跳び上がるように椅子から立つと、散らかるのも構わず棚の上を物色していく。
そして、すぐにそれは見つかった。以前、守矢の現人神である東風谷早苗に「幻想郷へ持ち込んだ『外』の品で要らないものがあったら譲ってほしい」と頼んだ結果、プレゼントされた『電波時計』である。なんでも
最初はうんともすんとも言わなかったのだが、河童に改造してもらった結果問題なく動くようになった。
閑話休題。
霖之助がこれを手に取ったのには理由がある。それは頭の中に浮かんだ仮説を証明する実験に必要なアイテムだからだ。
今、霖之助の脳内には二つの可能性が分かれ道のように佇んでいる。ひとつは「物理法則が止まった世界」という結論。そしてもう一つは「時が止まった世界」という空論である。
似ている様で、二つの仮説には明確な違いがある。簡単に例えるなら「水が消えて動かせなくなった船」と「水の流れが止まった川」だ。前者は世界を動かすために必要なパーツが失活している状態であり、後者は世界そのものが動きを止めている、という差である。
つまり、どういう事かと言うと、だ。
現状物体へ干渉できる
何故ならば、例え式神が動いても拾って示すべき時間が止まっていたら、時計は先に進む事が出来ないからだ。
止まった世界を自在に動けている自分というイレギュラーがあるせいでかなり破綻した理屈になっているが、しかし一つの指針を決めるには十分だろう。これが是か非かによって、今後の霖之助の行動は大きく転換されるのだから。
ぎゅうっ、と小型の時計を握り締め、念じるように霖之助は呟く。
「頼む、動かないでくれ……!」
――祈りを込めつつ覗いた結果は、
それはつまり。この異常事態の正体が、時間停止によって引き起こされているものだと証明された瞬間で。
世界が冷たくなってしまった原因が時間なら、きっと、
〇
十六夜咲夜という少女がいる。
年齢不詳。種族は人間。吸血鬼の主を持つメイドさんで、特技は時間を操ること。
れっきとした人間だけれど、空を飛べれば魔法も少し使えるし、約36m離れた妖精の頭上にあるリンゴを正確に狙撃出来るくらいナイフ投げが上手い。なので刃物の扱いに慣れており、料理の腕は幻想郷の筆頭格だ。
彼女は紅魔館のほとんどを取り仕切っている。炊事、洗濯、掃除、ご主人様とその妹君のお守りなどなどなど、大きな屋敷を体ひとつで切り盛りしている健気な娘だ。
彼女の特徴を並べてみると、本当は妖怪なんじゃないかと疑われたっておかしくない。だってどう考えたって時間も体力も足りないはずだ。紅魔館は彼女の力の応用で見た目以上に凄まじい容積を誇り、到底一人で管理できる規模ではないのだ。
にも関わらず、彼女は疲れ知らずの限界知らずだ。本当は人間を辞めているのでは? なんて噂もある程度には。
まぁ、彼女の不死身超人っぷりの裏側には、ちゃんとした
単刀直入に言ってしまえば、彼女はちゃんと休んでいるのだ。
そう。彼女にはどういう訳か時間を操る能力がある。その力は利便を極め、洗濯物が乾く時間や肉の熟成スピードを短縮させたり、自分で勝手に休日を設けたりと大活躍だ。
なので今日みたいに異常な激務でへとへとに疲れても、休憩を設けて休めるから、いつでも瀟洒であれるのである。
「つ、疲れたぁ」
自室前まではいつも通り毅然と歩を進めていたが、部屋へ入った瞬間、咲夜はくったりと萎びた青菜のようにへたり込んでしまった。
事の発端は主であるレミリア・スカーレットの妹君、フランドール・スカーレットである。彼女が珍しく引きこもりを辞めて図書館まで出てきたかと思えば、何を思ったかパチュリーに魔法の師事を頼み、特訓という名の魔法実験を催したのだ。
結果、図書館は爆発した。容疑者は「新しいスペルカードを作って遊びたかった」などと供述していたらしい。
そんな経緯があって、咲夜は半壊した図書館の修繕に追われていた。パチュリーとフランドールの助力もあったが、修理の他に毎日の雑事も重なっているせいで仕事をしながら仕事に追われると言う地獄のようなイタチごっこを味わうハメに陥り、流石の咲夜もギブアップせずにはいられなかった。
そんなこんなで、ようやく休憩にありつけて今に至る。
「疲れた。疲れた疲れた。疲れた疲れた疲れたぁ」
フラフラした足取りで部屋を歩く。行きつく先はマイベッド。躊躇せず、咲夜はボフンと飛び込んだ。
当然服は皺まみれ、髪はくしゃくしゃになってしまう。おまけに服の下は汗で少し滲んでいた。
脱皮のようにソックスを脱ぎ捨て、ホワイトブリムとおさげのリボンも纏めてテーブルへと放り投げる。しかしベッドから起き上がる気配はない。
天然気味ながらも優雅さを忘れなかった普段の雰囲気はどこにも無く、どこか現代のくたびれたOLを彷彿させる咲夜が転がっていた。
無理もない。咲夜は超人なれど人間なのだ。感性やスキルが少々異なっていても、器は年頃の少女なのだ。恋慕を抱くこともあれば疲れのせいで頭が麻痺してだらしなくなる瞬間だってあるし、己を無造作かつ無防備に曝け出す刹那もある。
むしろ、この疲労度合でプライベート以外いっさい隙を見せなかっただけ怪物だろう。普通なら廊下で倒れてたっておかしくもなんともないコンディションなのだから。
「うー、あー、もふもふ。もふもふー」
ぐりぐりと枕に顔を押し付け、足を力なくパタパタさせる。普段の彼女を知る者ならば思わず自分の眼球の期限を疑うような、死にかけの魚みたいな仕草だった。
「はぁ、ふぅ」
うつ伏せから仰向けに変わり、天井をぼんやりと見やる。咲夜は視界が霞んでいると気付き、途端に睡魔の力が増してくるのを実感した。
不思議なことに、とても眠い時に限って妙に頭は冴えるもので。あれをまだやってないだとかこれもしなきゃだとか、やる事リストがぐるぐると脳漿を掻き混ぜてくる。
それが一層、咲夜を眠りの流砂へ引き込んでいき、
「あぁ、だめ、だめ。ねむい。ねむい」
うつら、うつら。瞼が降ろされては上がるを繰り返す。目を擦っても効果は無く、筋肉から力が抜け落ちていく感覚だけが清水のように伝わってくる。
「汗、流さなきゃ。せめて寝間着には着替えないとっ……」
完敗だった。無敵超人十六夜咲夜は、睡魔の前に敗れ去った。
しかしこのまま眠る訳には絶対にいかない。寝間着も来てないし、部屋は(咲夜基準だが)滅茶苦茶だし、汗だってかいてる。万が一、誰かにこんなところを見られたら、咲夜は死んでしまうだろう。
「じかんよ、とまれ」
最後の抵抗を試みる。時計の歯車を外して止めるように、冷たい世界へ身を投げる。
この世界なら安全だ。だらしない格好も、汗ばんだ自分も、散らかった部屋も、誰にも見つかることは無い。咲夜にしか分からない無欠のプライベートスクウェアなら何をしたって構わないのだ。
ようやく熟睡できると安心し、静かに瞼を閉じていく。
こんなに頑張った日くらい、ご褒美に
その泡沫のように淡い心が、
この時、この瞬間。咲夜は一人の青年を自分の世界に巻き込んでしまっていたなんて、当然知る由もなかったのだ。
〇
「や、やっと見つけた」
現実時間で換算するならば、止まった世界で
無論、彼女に会って力を解除してもらうためだ。時を止める事が出来る人物なんて、霖之助は幻想郷で一人しか知らない。彼女以外に原因があったとしたらそれはチェックメイトだと判断せざるを得ない程度には。
本来なら紅魔館へ忍び込むのは容易ではない。例外なのは霊夢か魔理沙くらいで、いくら霖之助が顔見知りの仲でもアポなし訪問は吸血鬼から無用な怒りを買うリスクがある。親しき中にも礼儀あり、というやつだ。
そして案の定というべきか、道中、妹と魔法使いを正座させて叱る姉吸血鬼や、まぁまぁと宥める門番の一行に出くわした。もちろん彼女たちも凍結されているので、霖之助の侵入を知る術は無く、吸血鬼の根城とは思えないくらい安易に進むことが出来た。
監視の眼が無い紅魔館なんて稀有な体験である。この機会を活かして紅魔館のいたるところに配備された骨董品を心行くまで観覧しようかな、などと邪な考えが一瞬だけ過ぎったが、いやいや今はこの怪現象を解決することが先決だと蒐集家根性を押し殺し、ここまでやって来た次第である。
ノックをする。返事はない。
再度ノック。やはり返事はない。ノブへと手を回せば、鍵を掛け忘れていたのかあっさりと開いた。
無礼と知りながらも今回ばかりは不可抗力だとドアを開き、乙女のプライベート空間へ足を踏み入れる。
「……やれやれ。やっぱり君が原因そうだね」
肩をすくめつつ、溜息を一瞥。
霖之助が呆れながらも安堵を露わにしたのは、絶対零度のこの世界でも変わらず、可愛らしい寝息を立てながら胸を上下させ、微睡みの渦潮へと身を委ねている咲夜の姿があったからだ。
服や髪が寝相のせいで乱れているうえに、いたるところに物が散乱していて彼女らしからぬ有様である。普段は常に大人びている咲夜だが、こうして見るとまだまだあどけなさが残っているように感じた。
さておき、咲夜が止まっていないということはだ。少なくとも彼女の持つ時間操作能力が霖之助を襲ったアクシデントと何か関係があると見て間違いは無いのだろう。安心するには早いかもしれないが、これは大きな一歩である。
そう。まだ彼女の仕業だと決まった訳じゃない。もうここまで来れば九分九厘咲夜のせいじゃないかと思えてくるのだが、霖之助には咲夜が自分を巻き込んで時間を止めた動機が見つからなかったのだ。ロジカル思考派の霖之助としては、決定的な証拠も無しに彼女を犯人と決めつける事に躊躇を覚えた。
故なればこそ、霖之助の行動は決まっている。これよりは最高裁の開廷である。
『被告人十六夜咲夜、夢から覚めなさい』と霖之助は近づいて、
「咲夜」
肩を叩き、名前を呼んだ。
か細く「んぅ」と呻くだけで、一向に目が開く気配は無い。
ならばもう一度と肩を叩く。今度は強めだ。
目覚めない。なんと頑固な睡魔か。しかし僕は負けないぞ、と霖之助は咲夜の体を揺り動かした。
「咲夜、咲夜。頼む起きてくれ。助けてほしい」
「……りんのすけ……さん?」
奮闘は実り、咲夜の瞼がゆっくりと開いていく。
少女はポーッとしたまま上体を起こし、ベッドの上でいわゆる女の子座りをしたまま、霖之助をぼやけた瞳でトロンと見上げた。
数拍の間が空間を支配し。
そして、普段は静謐で雅な笑顔しか覗かせることの無い咲夜が、ニパーッと童女のような微笑みを浮かべたかと思えば。
「へへー。りんのすけさんらぁ」
「!?」
倒れ込むように彼の腰元へと抱き着いた。
その姿はどこか赤ん坊のような、あるいは甘えてじゃれつく子犬のようである。平常時の十六夜咲夜を知る霖之助からしてみれば、なにか一服盛られてるんじゃないかと疑わざるを得ないほどの豹変ぶりだ。
「お、おい、咲夜?」
「てんしゅさんてんしゅさん」
「?」
「きょうのさくやはがんばりました。とってもがんばりました」
「は、はぁ」
「だから、ほめてください」
「何だって?」
「ほめてください。さくやをいいこって、ほめてくださーい」
回していた腕を離し、両手を広げながら励ましの言葉を催促する十六夜咲夜児童。
霖之助は目の前の人物が咲夜ではなく、姿を真似た妖怪の類ではないかと錯覚した。
しかし脳の処理能力が限界を迎えた霖之助は、半ば条件反射的に唇を動かし、
「あー、その、なんだい。頑張ったね……?」
「……」
「咲夜?」
「えへー」
だらしない笑顔を浮かべ、振り子のように揺れる咲夜。あまりに無邪気な振舞いは、『あっこれ妖怪の変装じゃなくてただ寝惚けてるだけだ』と妙な確信を霖之助に与えた。
「やったぁ、ほめられました。これでさくやはがんばれます」
「そ、そうか。それは良かった」
「もっとほめてもいいんれすよ?」
「君、飲酒してないよね?」
「なにをいいます。ここはさくやのゆめのなかです。よってきゅーきょくのシラフです。あんだーすたん?」
「夢……あー、咲夜。それは違う」
「?」
「これは現実だ。夢なんかじゃないんだ」
「………………??」
なに言ってるんだこの店主、という顔で咲夜は霖之助を見ている。微かに顰められた眉が、取り戻されつつある理性の片鱗を示唆していた。
まどろっこしいのは御免なので、霖之助は強硬手段に打って出た。
即ち咲夜の手を取って、自身の顔へと当てたのである。
さらに追い打ちを掛けるように、霖之助は咲夜の頬っぺたをむいーっと引き伸ばして、
「ほら、僕は正真正銘本物の森近霖之助だ。今君の頬を抓っている指も、その感覚も本物さ」
「……いひゃいれす」
「だろう? ということはつまり?」
蕩けていた瞳に光が宿り、一瞬で消える。肌は死人の如く血の気を失くし、表情筋から一切の力が抜け落ちた。
「…………………夢じゃ、なぃ」
「ご名答。紛れもなく現実だよ」
「は」
「という訳で、おはよう咲夜。早速で悪いが、ちょっと話を聞いてくれ」
「―――――――――ぴっ」
瞬間、乙女よりも乙女らしい天を衝くような大絶叫が、紅魔館を蹂躙した。
凄まじい高周波がゼロ距離から霖之助の鼓膜を襲う。さっきまで死者のようだった肌を完熟トマトより真っ赤に染め直した咲夜は、霖之助のことなどお構いなしに悲鳴を上げながら後ずさり、後ろにさがり過ぎてベッドの反対からどんぐりの如く転落した。
バタバタ。バタバタバタ。少女の生足が別の生き物のように暴れ回る。あまりのパニックに見舞われた咲夜は、完全に平衡感覚を喪失してしまったらしい。
無理もない。今まで徹底して表に出さなかった自分を、だらしなく開放されたフリースタイルの十六夜咲夜を、よりにもよって森近霖之助に見られてしまったのだ。
しかも、夢と勘違いして、あんな甘えん坊になる始末。
名伏し難い羞恥の嵐が咲夜を徹底して破壊し尽くすのは、もはや自明の理であった。
「な、なんっ、なんでっ、なんでなんでなんでどうしてどうしてぇっ!? どうして霖之助さんがここにっ、やだぁっ、あっ、じかん止めなきゃ、とき、時よ止まれっ! 早く止まれぇっ! 止まってぇっ!!」
「落ち着いてくれ、既に時間は止まっている。しかしどういう訳か僕だけ君の能力から弾かれてしまってるんだ」
「どうして止まってくれないの……っ!? こ、こんなはしたない姿、一秒だって見られたくないのにっ、はやく、はやく、お願いだから早く止まれぇっ!!」
「だから時間の流れを元に――――ああもう、落ち着けってば!」
ひっくり返った亀みたいになっている咲夜の下へ駆け寄り、腕を掴んで引っ張り上げる。インドア気質とはいえ180㎝級の男の腕力は伊達ではなく、あれだけ暴れていた咲夜の体が軽々持ち上げられると、あっさり直立姿勢に正されてしまった。
なにが起こったのか理解できず、数秒前の発狂が嘘のように大人しくなる咲夜。眼をパチパチと瞬かせ、急に視界一面を占領した霖之助をただ呆然と眺めるだけになってしまう。
霖之助は埃を払うように彼女の服を整えながら、
「無断で君のプライベートへ踏み入ってしまったのは本当にすまなかった。けど仕方なかったんだよ。こうしなければ僕は元の世界に戻れなかった。君を訪ねるしか方法は無かったんだ」
「――――」
「心から謝罪する。すまなかった。この埋め合わせは必ずするから、今はとにかく落ち着いて能力を――うおっ!?」
聞く耳持たず、咲夜は霖之助を突き飛ばした。間髪入れずに隣を駆け抜け、眼にも止まらぬ速さでテーブルの上にあった
普段の冷静な彼女ならここで部屋から脱出するだろうが、逆に袋小路へ逃れてしまうとは、よほど追い詰められているらしい。隠したかったのだろう脱ぎっぱなしのニーソックスとホワイトブリムの一端も、毛布の端から完全に覗けてしまっている始末である。
咲夜は顔を夕陽よりも真っ赤にさせて、涙を瞳にいっぱい貯め込みながら、雨に打たれた子犬のように震えた声で、
「…………………見ないでぇっ…………」
……そこまで悪いことをしたつもりはないのに、なんだか物凄く罪悪感に苛まされる霖之助である。
これではまるで霖之助が彼女へ乱暴を働いているみたいではないか。
「――ハッ!!」
瞬間、霖之助の脳内に電流走る。もはや電流というより非常事態警報に似たアラートが鳴り響いたかのような錯覚だった。
ここまでの状況を噛み砕いていく内に「これってもしやかなり不味い場面なのではないか」と霖之助の本能が訴え始めたのである。なんだかよく分からないがとにかくヤバいのだ。とびきり不味い状況だと第六感がエマージェンシーを叩きつけてくるのだ。
例えるなら、そう。
ここで第三者が介入なんかすれば、瞬く間に
「どうしたんですか咲夜さん!? なんか聞いたことも無い悲鳴が聞こえました…………け…………ど?」
狙いすましたかのように、紅魔館が誇る第一の
そして、部屋を一望した彼女の瞳にはこう映るのだ。
ああ、成程。霖之助は引き攣った笑顔を浮かべながら理解した。止まっている筈の美鈴がどうして動けてここまでやって来れたのか、どうしてこんなに第六感が働いたのか、完全無欠に理解した。
咲夜が完全に自我を取り戻した時、パニックを起こしながらも彼女は能力を切っていたのだ。正確には無意識のうちに凄まじい速さで能力のオン・オフを繰り返していた。それこそ、咲夜自身にも霖之助にも時間が止まっているのか動いているのか分からないくらい微細な間隔で。
そう。
まぁつまるところ、何が言いたいのかと聞かれれば。
どう足掻いても八方塞がりな
幻想郷妖怪界隈でも屈指の温厚さを誇る美鈴が羅刹のオーラを纏っている時点で、強制投了は免れなかった。
「俳句を詠め。この
「ご、誤解だぁーっ!?」
〇
「あはっ、ははっ、あっははははははははははははっ! あ――――っはははははははははははははははは!! ひひひひひっ、ふふふははははははははははははははははっっ! んぐっ、んぅぁっ、ふひっ、ふふふははははははははははははははははははははっ!! ひぃ、ひぃ、はふ、あぁ、だ、だめっ、息が吸えない、死んじゃう死んじゃう! 腹筋がもげちゃうううううううふはははははははははっ!!」
「……いくら何でも、少し笑い過ぎじゃないかい?」
「だっ、だれのせいだとっ、ぶふっ、おもってんのよっははははははっ、あっっはははははははははははははっ!」
久しい紅茶の香りと仄かな酸味を堪能しながら、霖之助は対面座席に座る笑い袋をジトッとした眼差しで見つめていた。
抱腹絶倒の境地に足を踏み入れ、文字通り死にそうなくらい笑い転げている人物は、紅魔館当主のレミリア・スカーレットである。
語るまでもなく、先ほどの騒乱を
本当に苦しいのか、引き裂かれるような笑顔のまま目尻に涙を浮かべるレミリアは、普段の貴族然とした振舞いをかなぐり捨てて乱暴にティーカップの中身を飲み干し、笑いを飲み下そうと奮闘する。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ……ぷふぅ。ふ、ふ、ふぅー……あー、やぁっと落ち着いてきたわ。まったくなんて楽しいことしてくれるのよお前は、お陰で死ぬところだったわ。私を窒息死させて暗殺でもしようって魂胆かしら?」
「そんなわけ無いだろう。僕だって望んでこんな目に遭ったんじゃない」
「すみませんすみませんほんとすみませんまさか咲夜さんの世界に巻き込まれてたなんて思わなくてすみませんすみません」
霖之助の隣で高速謝罪マシーンと化しているのは、先ほど彼を熟練のチョークスリーパーで落としかけた美鈴である。
案の定とでも言うべきか、あの後誤解を解くのに咲夜の部屋を探し当てるまでの時間と同じくらい弁解を強いられた。誤解が解けるまで霖之助はありとあらゆる寝技関節技を極められた訳だが、そこは腐っても半人半妖。もうすっかり全快である。
運命を操ると豪語するレミリア・スカーレットによる審査が無ければ、未だ霖之助は賊として尋問されていたかもしれないが。
「いやーまさか咲夜が無意識にお前を自分の世界に引き込んだまま眠ってしまうなんて、数奇なこともあるものねぇ。お陰で色々と面白いものが見れたわ。ねー、咲夜?」
「さぁ、何の事を申されているのでしょうお嬢様。私にはとんと心当たりがありませんわ」
ニヤニヤ面で投げ放たれる意地の悪い主からの
が、そんな面白くない返答で悪魔が満足するはずもなく。
「てんしゅさんてんしゅさん」
「ヴッ」
「きょうのさくやはがんばりました。ほめてくださいー」
「……………っっっ!!」
「時よ止まれっ! 早く止まってぇ!!」
「わ、私は、妹様のお食事の支度がありますのでっ、こっ、これにて失礼いたします……!!」
消えた。
今度は霖之助を巻き込むことなく、十六夜咲夜は速やかに退出した。
羞恥の頬紅を露わにせず礼節を保ったまま去ったのは流石と言うべきか。でも耳が真っ赤だったのは触れないであげよう。指摘なんかした日には発狂するのが目に見えていた。
「あまりいじめてやるなよ。可哀想だ」
「あら、誰に向かってものを言ってるのかしら。私はスカーレットデビルと畏れられる女よ? そんな悪魔につけ入る隙を晒したあの子が悪いわ」
「……はぁ。その様子だと一月は玩具にされそうだね」
幻想郷へやって来た当初と比べてめっきり丸くなったレミリアだが、それでも根っこは妖怪で、悪魔と揶揄される吸血鬼のソレである。からかい所のある人間を見つけるとどうしても弄りたくなってしまうのは、持って生まれた性に等しい。
咲夜の未来を憂いながら吐息を零し、お茶を一口。
カップを置き、一転。霖之助は剣呑な光を瞳へ宿す。
眼鏡のレンズが、シャンデリアの光を淡く反射した。
「で、実際のところどうなんだい」
「……? なんの事を言っているのか分からないのだけど」
「
被告を追い詰める検察のように。犯人の退路を塞ぐ探偵のように。森近霖之助は言葉を突き付けるように言い放った。
十六夜咲夜が起こした能力の誤作動は、レミリア・スカーレットによって引き起こされた事件なのではないのかと。
レミリアは清楚な微笑みを浮かべたまま、小首を可愛らしく傾げて問うた。
「一応聞いてあげるけど、どうしてそんな言葉が飛び出たのかしら?」
「不自然だからだよ」
「なにが?」
「一つは、彼女に僕を巻き込む動機がとんと見当たらなかった所。そしてもう一つは――あの咲夜が、たかが疲労程度でこんなミスをする訳が無いだろう? ましてや紅魔館から距離がある香霖堂のこの僕だけを、わざわざピンポイントで、彼女にとって不可侵領域である自分の世界に巻き込むなんて」
――前提として、十六夜咲夜は完全無欠の肩書を名乗ったとしても、誰も異論を唱えないほど完璧な人間だ。
確かに、時たま素っ頓狂な事を言うし、常人には理解できない行動に打って出ることもある。しかしそれはあくまで『十六夜咲夜』という少女の性格の問題だ。彼女の仕事能力、万能性を妨げている訳ではないし、それが原因で仕事が疎かになっているなんて話は聞いたことも無い。
無論、彼女もたまにはミスをする。咲夜だって人間だ。100%完璧ということは無い。けれどそれを万全の対策をもって防ぎ、事実上100%へ押し上げているのも、彼女が『完全で瀟洒な従者』と謳われる理由の一つなのだ。
そんな咲夜が、いくら疲労困憊していたとはいえ――霖之助は知る由もないが、彼女ながら淡い想いを抱えているとはいえ――たった一人の人間を己の世界へ巻き込むだなんてあり得るだろうか?
そもそもの問題。例え無意識の所業でも、咲夜が己の空間へ人を誘うとは考え難い。何故ならあの空間は
彼女はあの空間の中でだけ、無防備な少女の咲夜でいられる。紅魔館の従者でもなんでもない、天衣無縫の己を曝け出せるプライベートスクウェアなのである。そして『そんな咲夜』は完璧を是とする少女にとって絶対に知られたくない弱みであり、例えそれが霖之助であっても――否。むしろ霖之助だからこそ、曝露されるのを全力で阻止しようとするはずなのである。
あの発狂ぶりからも、それは容易に推察できるだろう。
では何故、彼女は絶対に踏み込まれたくない領域へ、絶対に来てほしくない人物を招き寄せてしまったのか?
真実があるとすればただ一つ。このアクシデントは十六夜咲夜の意志によるものではなく、第三者の介入あってこその事件だったからだ。
「君が『運命を操る程度の能力』と謳う力。それが事実ならば、僕は因果律への干渉じゃないかと推測していてね。この仮説が正しいとした場合、咲夜の能力に綻びを生ませる事だって可能なんじゃないかと思ったんだ。例えば、そう。能力の調整ミスをする運命に、少しだけ誘導するとか」
「……」
「もちろんこれはあくまで机上の空論、ただの戯言に過ぎないさ。それを是と認めるか非と捨てるか、君の判断に任せるよ」
紅茶を啜る。湯気で曇った眼鏡を外し、ハンカチでレンズの靄を拭い取った。
レミリアはテーブルへ膝を着き、指を絡めて作った橋へ顎を乗せながら、悪戯っ子のように微笑んで。
「概ね正解。なによ、案外やるじゃない」
「その概ねという部分が引っ掛かるが……意外とあっさり認めるんだな。誤魔化されるかと思ってた」
「別にうやむやにする理由もないしねー」
「なら、もう一つ質問。どうしてこんな事をしようと思ったんだい?」
「んー……一概には言えないけれど、強いて言えば息抜きかしらね」
それは
「あの子ね、真面目なのよ。時々へんてこりんだけど、本当によく働くの」
「だろうね。傍目から見ても明かだ」
「でしょう? 私としてはそれでも良いんだけど、ちょーっと心配になるのよねぇ」
溜息を吐き、憂いの色を帯びる吸血鬼。その表情は童女のそれではなく、しかし当主としての顔でもなく、どこか母親のような柔らかさを感じさせた。
「アレでも大分マシになった方なのよ。幻想郷へ来てからよく笑うようになったし、ジョークも言うし、おまけにワケ分かんない事も沢山しでかすようになった。昔の咲夜はもっと冷徹で淡々としてて、なんていうか、機械みたいなヤツだったわ」
「……」
「その名残か知らないけれど、あの子時々無茶するのよ。今回だってそう。休めと言っても構わず仕事をしちゃう。多少は自己管理……というか自分を視野に入れられるようになったけれど、まだまだ全然甘い」
「つまり、彼女の度が過ぎた働き者ぶりを諫めるために運命を弄った、ということか」
「それもあるけど、あの子のガス抜きも兼ねてね」
「……ガス抜き? 僕が彼女の世界へ入ってしまうような惨事が、どうしてガス抜きに繋がるんだ?」
当然な理屈である。咲夜にとって自分の世界へ踏み込まれ、あまつさえ無防備な姿を見られることは恥辱の極みだ。それが『もう二度と倒れるまで働かない』という教訓にこそなるだろうが、ガス抜きになるかと聞かれれば首を傾けざるを得ない。
対して、レミリアは深く息を吐き出しながら『これが距離を縮める切っ掛けにならないか、ってところよね』などとわけのわからない言葉を漏らすのみ。
「それにしても……ふふ。あの子にもまだ可愛いところが残ってたのねぇ。あーんなに取り乱しちゃってさ。パチェに頼んであのシーンをデータ化してもらおうかしら。アレよ、ホームビデオってやつ? あの子が式でも挙げた日には大画面で流してやるわ」
「ほどほどにしておけ。塞ぎ込んでしまったらどうするんだ」
「その時はお前を雇うから。それで一発解決よ。無論お前に拒否権は無い」
「どうしてそうなる!?」
「どうしてって、当たり前でしょ。
「理不尽すぎる上に意味が分からない」
「今は分からなくて良いわよ。――ああ、そうそう。さっきの推理の事だけどさ」
レミリアは一対の翼をパタパタと動かしながら、ニコッと悪魔らしからぬ笑顔を浮かべて、
「採点するなら80点よ。あの子には動機が見当たらないといったけれど、
「……? もうちょっと要領よく言ってくれないか。言葉遊びは君ほど得意じゃないんだ」
「却下。
事件の裏を読み取れても、吸血令嬢の言葉の裏を汲み取る術なんてものはなく。
霖之助はただただ疑問符を浮かべながら、うーんと呻くばかりであった。
〇
「……いてっ。いててっ。おい止めろ香霖顔を引っ張るな、いまお茶飲んでる最中なんだぞっていない!? こ、香霖が消えた痛たたたたたたたいひゃいいひゃいいひゃい!? なんひゃこりぇぇぇぇぇぇっ!?」
「お邪魔するわよー。霖之助さん喉乾いちゃったから冷たい飲み物よろし痛ッッたああああああああああああいっ!? な、なに!? 敵襲!? というかここどこ――って、あ、あれ? 香霖堂の中……? まだ外にいたハズじゃ、あれー……?」
「ひぇいむううううううううたしゅけてくりぇええええええ」
「……アンタ一人でなにやってんの?」