香霖堂恋々帳簿   作:河蛸

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きんぱつのこかわいそう


薀蓄店主と流星ガール
スマート★クライシス


「すまほ?」

 

 昼下がりの香霖堂。いつものように入り浸っていた黒白魔法使い(きりさめまりさ)は、奇妙なプレートを弄りながらそう言った。

 湯呑程度の長さだが、厚さは指一本分にも満たない薄板である。板にはカラフルな絵画が反映されていて、しかも指でなぞれば動くという、魔法使いもびっくりなアイテムだった。

 その名を『すまほ』というらしい。

 

「正確にはスマートフォンだがね。スマホは略称だよ」

 

 魔理沙の疑問を補足するのは、銀縁眼鏡をキラリと光らせている店主である。閑古鳥の鳴く店内では特にやることも無いのか、無縁塚で手に入れたらしい『外』の書物をパラパラと捲って堪能している。

 

 スマートフォン。本来ならば『外』の世界に存在する、科学技術の叡智が集結した万能端末。

 ただの板きれと侮るなかれ、これさえあればいつでもどこでも他者とコンタクトを取ることが可能で、あらゆる分野の情報を瞬時に利用することまで出来るという、まさに魔法を物質として固めたかのような道具なのである。

 

 だがしかし、当の二人はスマホの正しいメカニズムなんて知る由もないけれど。

 

「ふーん。何に使う道具なんだ? へんてこな絵がいっぱいあるが」

「主に通信端末として使うらしい。電波という特殊な魔力に乗った情報を送受信する『外』の式神だそうだ」

「へぇ! 面白いな。『外』には情報を載せられる魔力なんてあるのかぁ」

「一番上に白い枠があるだろう? その中に文字を打ち込むと、自分の求める情報を拾うことができる。例えるなら……そうだね、自分で記事を探せる魔導書(グリモワール)といったところか」

「なんだそりゃっ! 信じられない便利アイテムだな!」

 

 魔理沙は白枠を穴が空きそうなくらい眺めながら驚嘆の声を漏らした。左にGと書いてある。右にはよく分からない絵があった。なんだか青いツクシのようなアイコンだ。

 

 とりあえず白い枠を触ってみる。一瞬板が振動して、枠の下から『恋 成就』やら『胃袋 掴む』とか『朴念仁 落とし方』といった、単語でパズルゲームでもした痕跡のような単文たちが現れた。

 おまけに下の方には『悩殺 シチュ』だとか、『銀髪 眼鏡 長身 男性 好き』のような、明らかに特定の人物を指し示しているかのような奇妙な文が続いている。

 

 どうしてこんな検索履歴(きみょうなもの)が姿を現したのか知らないが、まるで魔理沙が調べようと思っていた心を読まれたかのような文ばかりで、思わずドキッとしてしまう。

 

 無視し、白枠をもう一度押してみる。今度は五十音の頭文字だけが浮かんできた。

 どういうパネルなのか理解できず、とりあえず適当に押してみる。しかし『あかたさなはまわ』のような意味不明な文しか打ち込めない。

 

「あー? なんだこれ、どうなってんだ」

 

 思い通りに操作出来ないせいでイラッときたからか、逆境魂に火が付く魔理沙。

 根気よく法則性を確かめていく。こういう試行錯誤は魔法使いの端くれとして得意であった。。

 若く柔軟な頭脳は、やがて一定の法則を抽出する。霖之助が書物を半分読み終わるころには、まだスローペースながら自分の思うままに文を打ち込むことが可能となるまで進化していた。

 

 そんな魔理沙が検索しようとしているのは、『男の人 好き どんな女』で――――

 

「ああ、そうそう」

 

 いざ検索しようとした矢先、急に声が飛び込んできて肩が跳ねる。

 拍子にあらぬ方向へ指をスライドしてしまう。すると、折角打ち込んだ検索アプリが落ちてしまった。

 

「その式神は人の声を届けることも出来るらしい。どんなに遠くにいても話したい人間と会話出来るそうだよ」

「ほんとか? どんなに遠くにいても?」 

「ああ」

「そいつは凄いな……あーあー、こーりん聞こえますか? かわいいかわいい魔理沙ちゃんだぜ。応答願いまーす」

「僕はここにいるだろうに」

 

 悪戯成分濃縮100%な笑みを浮かべつつ、スマホを口元に近づけて無線機のように扱う魔理沙。霖之助は困ったように笑いながら軽く受け流していた。

 

「そもそも、遠隔会話をするためには端末が二つ必要なんだ。脳内に直接届けるような効果は無いよ」

「……じゃあもし私と香霖がすまほを持ってたら、いつでも話が出来るってことになるのか?」

「まぁ、そうだね」

「へー! へーへーへー!」

 

 今の短い会話の中で、魔理沙の琴線をビンビン弾いたものがあったらしい。瞳を星のように輝かせながら、宝物でも見つけたが如くスマホを握り締めていた。

 

 霖之助には彼女が何故そんなに嬉しそうなのかがピンと来なかったが、さておき、不味そうな展開だなという雰囲気を察知する。

 というのもこの魔法使い、とにかく手癖が悪いことで有名である。借りると称して様々なモノをかっぱらうのは割と日常茶飯事であり、霖之助自身、絶対に()()()()()()()()代物は敢えて価値がないと風潮しておき、予防線を張り巡らすほどなのだ。

 

 で、今の魔理沙はいわゆる『お借りしますモード』に入っている。つまり目をつけられた。

 今すぐ窘めなければ鼠のように姿を消すこと請け負いである。霖之助は長年の付き合いから知っているのだ。

 書物から眼を上げ、一言釘を刺そうと口を開き、

 

「魔理沙、それは僕の私物じゃなくて他人の忘れ物なんだ。だから持って行っちゃ駄目――って、もういない」

 

 時すでに遅し。とんがり帽子のブロンド少女は影も形も無くなっていて。

 ズレ落ちた眼鏡の位置を正しながら、霖之助は自らを落ち着かせるように咳払いした。

 

「……まぁ、持ち主が持ち主だ。どうとでもなるか」

 

 忘れ主が菫子のように尋常の者であれば流石の霖之助も追いかけるが、今回ばかりは事情が異なる。

 なにせあのスマートフォン、霖之助の知る限り、この幻想郷で最も盗み出すのが難しい人物の物なのだ。

 

 

 

 

「へへ。コイツを複製出来れば……へへ」

 

 頬をニヨニヨと餅のようにしながら、散らかった我が家でほくそ笑む霧雨魔理沙。

 手中にはスマートフォン。古道具屋の店主いわく、この式神が2つあればいつでもどこでも会話できるうえに、万能のグリモワールとしても働いてくれる夢のアイテム。

 

 それを手にした魔理沙の考えは単純明快だった。

 ()()()()()()()。そして霖之助へ渡す。ただそれだけ。

 

「そうしたら、会いに行けない時でも話せるな」

 

 平時は粗雑な振舞いの目立つ魔理沙だが、やはり年頃の乙女に違いない。恋する声をいつでも耳にしたいと願う心は、いたって普通のソレだった。

 

 さっそく魔理沙は取り掛かる。式神を複製するためにどんな構造になっているのか知るべく、まずは中身を見てみようと考えた。

 が、ここでひとつ大誤算。

 言うまでもなくスマートフォンは式神ではない。外来の知恵で生まれた機械、理学工学の塊である。幻想とは対極に位置する存在であり、当然ながら魔理沙に解析できるものではなかったのだ。

 気付いた時には日没だった。しかし肝心の解析はおろか、スマホの中身を拝む事さえ叶えられていない。

 

「だめだこりゃ、手に負えねー。明日河童にでも頼もうかな」

 

 ぼふっ、とベッドへうつ伏せに倒れ込む。苛立ちを発散するかのようにグリグリ顔を押し付けて、満足したら仰向けに寝返ってスマホを見た。

 既に大まかな操作の仕方は把握している。横のスイッチを押すと暗い画面に色彩が宿り、さらに白枠を押すと、不思議なグリモワールが開けるのだ。

 

 そう言えば遠くの人と話す方法を聞いて無かったな――なんてぼんやり思い耽りながら、魔理沙はGo●gle(グリモワール)を起動した。

 外来の知恵を盗めるまたとないチャンスを魔理沙が逃すわけなどなく、淡々とキーワードを入力していく。

 

「男の人、好き、どんな女……と」

 

 昼に調べることの出来なかった、初心な少女の抱く星の言葉。

 願いを込め、幻想郷には存在しない理をもって、画面へ答えを映し出す。

 

「おっ? おおすごい、なんかいっぱい出てきたぞ」

 

 続々と飛び出す魔法の辞書(ウェブサイト)

 電子の海に触れたことのない魔理沙にとってそれは、全てが黄金とすら思える世界だった。

 

 モテる女のポイント3つ、男性の持つホンネ100選――純情な少女の興味を極限まで引き出す金言ばかりの広がる空間。

 小さな板からは想像もつかない、探究心を埋め尽くさんばかりの情報世界。

 ひとつ。ひとつ。手探りで操作を覚えながら、未知の領域へ飛び込んでいく。

 

「やっぱり女は笑顔なのかー。笑顔にゃ自信あるぜ。清潔感だってばっちり……あー、部屋の掃除そろそろしないとな……。書いてある通り、外も中もデキる女にならなくちゃ」

 

 知りたくても知れなかった知識の山が、山脈のように広がっていて、ついついサーフィンに熱中してしまう。

 浅瀬を泳ぎ、乗りこなし、魔理沙は更なる大洋へ。

 少しずつ、少しずつ、電子の海の泳ぎ方を覚えていく。

 

 だが、しかし。

 海域に浸かりたての魔理沙は、そこに潜む悪魔の罠を知らなかった。

 

「は」

 

 偶然だった。ある記事を読んでいた時、本当に偶然手が滑って、半透明のバナーに触れてしまった。

 インターネット初心者ならば誰もが陥る落とし穴。深淵を覗けば覗くほど猛威を振るうバミューダ海域(18禁の世界)

 即ち、違法広告によるブービートラップ。 

 他人のキスを見ただけで完熟トマトに早変わりする純情乙女にはあまりに刺激の強い、魔界とすら呼べるドギツい大人の世界が、一瞬で画面を蹂躙した。

 

「……え。え!? なにこれ、ぇっ、えひぇっ!? わた、わたし、こんなの調べてなっ……!?」

 

 心臓が暴走機関の如く暴れ出す。沸騰した顔面が熱すぎて脳が溶けるかと錯覚した。

 思考が弾ける。神経という神経がショートしていく。

 それでも何故か、眼を離すことが出来なくて。

 

「ぁわっ、うわーっ、うわわ、わは、うわーうわーうわー!」

 

 語彙が消え、言語にならない言語を吐き出す生き物。

 まるで視線を盗まれたように釘付けられた魔理沙だが、しかし人間にはキャパシティというものが存在する。

 一瞬で羞恥が天元突破した魔法少女は、これ以上直視できないと本能的に戻るボタンを連打した。

 それで逃げられるなら、悪魔の罠であるものか。

 

「えっ、え? なんで、なんで消えないの……?」

 

 戻れない。何度押しても戻れない。

 どういうわけか何度も同じページが表示される。その度に魔理沙には過激な世界が再生されて、何度も何度も焼き付けられる。

 亜光速でテンパった。

 

「どどどどどうしよどうしよどうしよなんで閉じれないのなんでなんでなんでええええええっ!?」

 

 逃げ場がなかった。網に捕らえられた魚のように困惑し、暴れまわることしか許されなかった。 

 瞳がグルグル渦を巻く。パニックを通り越して笑みまで浮かんできた。もう完全に涙目だ。終いには「やだやだやだやだやだ」と繰り返す壊れたラジオになってしまう。

 

 だってこれ、霖之助の物なのだ。つまりいつか返さなくてはならない代物なのだ。

 

 魔理沙から帰って来たスマホを開いたら【禁則事項】な画像の山だったら、彼はどう思うだろう。破廉恥な女と思うに決まっている。

 それは駄目だ。それだけは駄目だ。魔理沙にとってそれは死刑以外の何物でもない。

 

 かといって河童へ預けるのも不味い。理由は同上、霖之助ではないぶんマシとはいえ、誤解されるなんて真っ平ゴメンだ。

 

 であれば、もういっそ自分の物にしてしまって墓場まで持って行くのが定石か。

 

 

 ――と、いつもの魔理沙なら考えるだろう。

 しかし今の霧雨魔理沙は普通ではない。思考回路が爆発し、冷静なんて月まで投げ捨ててしまっている。

 完全無欠に慌てていた。それはもう人生で類を見ないくらい暴走した。

 

 パニックを起こした人間は常識外れな行動を起こす。魔理沙はスマホを握り締めて相棒の箒を引っ掴むと、ジェット機の如く飛びあがった。

 

 夜を裂き、香霖堂へ一直線に飛行する。店舗の前へ不時着すると、どたどた走りながら店のドアを蹴り破るが如く侵入した。

 

「こーりん!!」

「うおっ!?」

 

 テロリストの奇襲でも受けたようなリアクションをする店主。

 真夜中に何の前触れもなく少女が大声と爆発音を伴いながら入店したのだ。驚かない方がおかしい。

 

「こんな夜更けにどうしたんだ。しかも君、なんだか様子がおかしくないか――」

「返す!!」

 

 スマホを裏面のままテーブルへ叩きつける魔理沙。

 何が何やら理解できず、返却されたスマホと魔理沙に視線を泳がせる霖之助。

 ただ、いつも飄々としている少女が耳まで真っ赤に染めて涙を蓄えながら「フーッ、フーッ」と猛獣のように息を荒げているものだから、ただ事ではないのは理解した。

 

「落ち着いてくれ魔理沙、どうしたんだ? 一体何があった?」

「これもう返す!! いいか! 絶対中身を見るなよ!! 絶対だぞ!」

「は? スマホかい? スマートフォンが何だと」

「触っちゃだめ!! いいから見るな触るな! お願いだから見ないで!!」

 

 スマートフォンへ干渉されることを酷く嫌う魔理沙。触ろうとすれば歯を剥いて唸るものだから、手を挙げて降伏するしかない霖之助である。

 

「わ、分かった。見ないから、取り敢えず落ち着いてくれ」

「ほんとだな!? 嘘じゃないな!? 絶対見るなよ!! ほっ、本当に見たらヤなんだからな!! 約束しろぉっ!」

「ああ約束する、絶対に見ないと約束するよ」

 

 今にも泣き出しそうな魔理沙を冷静に諫めて鎮火しようと試みる。

 どうにか納得したらしい魔理沙は、何度もびしびしと指をさしながら少しずつ後退を開始した。

 

「ぜったい、ぜったいだからなっ! みたらひどいからな! いっしょうのおねがいだから、ぜったいぜったい、みないでよっ!!」

 

 捨て台詞と共に嵐の如く去っていく魔法使い。

 残された店主は開けっぱなしのドアを暫く呆然と眺めた後、ゆっくりスマートフォンへ視線を落とし、

 

「……あの子があれほど狼狽えるなんて、一体何があったのやら」

 

 興味が無い、と言えば全くの嘘になる。

 家を勘当されようが、無数の魑魅魍魎を相手に弾幕勝負を繰り広げようが、ケロリとしている鋼の精神の持ち主をたった数時間で憔悴させたのだ。気にならないはずがない。

 

「やれやれ」

 

 だがもし正体を知ってしまえば、厄介事になるのは目に見えていた。

 霖之助は知っている。彼女が鬼気迫るほど嫌がることを万が一にもしでかしたら、尋常じゃなく拗ねるという生態を知っている。

 

 それはもう凄まじい拗っぷりだ。普段サバサバしてる分の反動とでも言うべきか。とにかく筆舌に尽くしがたいほど機嫌を損ねる。下手をすれば幾つも月を跨いだって治らないくらい不機嫌になる。

 

 だから霖之助は、一切スマートフォンに触れなかった。

 触らぬ神に祟りなし――幻想郷には神様なんて腐るほどいるけれど、今この時ばかりは、霧雨魔理沙ほど厄介な神様はいないと断言できる。

 

「……コレの持ち主は、見ても良いのだろうかねぇ」

 

 今日も今日とて、吐息を落とす店主である。

 

 

 

 

 根本的な話をしよう。

 幻想郷とは『忘れ去られたものたちの楽園』である。外の世界の認知から外れ、存在を抹消された生物無生物が最後に流れ着くユートピアなのだ。

 

 その性質上、忘れ去られたもの、滅びたもの以外が流れつくことはまず有り得ない。無論例外もあるが、それは多くの因果と数奇、賢者の気紛れが混ざり合って初めて成立するイレギュラーである。

 

 で、あるならば。

 忘れ去られるどころか、世界規模で広く根付く現役バリバリの最先端機器たるスマートフォンが、一体全体どんな経緯を辿って流れ着くことになったのか?

 

「ふんふーん、ふんふんふーん」

 

 真相は全て、一人の少女にこそあった。

 いくつか毛先を束ねた金糸のようなブロンドヘア。パープル基調のフリルドレス。暁を彷彿させる黄金の瞳。

 名を八雲紫。境界の乙女にして、幻想郷の創設者が一人。

 即ち、『外』と幻想郷を自由自在に行き来できる、数少ない人物である。

 

「こんにちはー。霖之助さんいらっしゃるー?」

 

 目玉蠢く異形の空間から降りたって、紫は香霖堂に姿を現した。

 対する霖之助はと言うと、書物から一切視線を動かさずに「いらっしゃい」と生返事するのみ。不意打ちされるのは慣れっこらしい。

 

「相変わらず冷たいわねぇ。もうちょっと驚いてくれてもいいじゃない」

「長い付き合いだからね、流石に慣れたよ。何をお求めで?」

「忘れ物したから取りに来たの」

「そんなことだろうと思ったよ」

 

 こちらがお求めの品になります――皮肉交じりに霖之助はスマートフォンを明け渡す。

 紫はどういう訳か、ぱちくりと瞬きを繰り返した。

 

「……それだけ?」

「うん? それだけとは?」

「いやほら。もっとこう、言うことは無いの?」

「忘れものには気を付けるんだよ」

 

 カクッと首を落とす紫。霖之助はクエスチョンマークを浮かべるのみだ。

 しずしずと受け取った紫は蚊の鳴くようなお礼を告げて、あっさりと香霖堂を後にしていく。

 

「うーん……一体何が駄目だったのかしら。興味を惹かないわけないと思ったのに」

 

 異形の空間を揺蕩いながら、不機嫌そうに眉を顰めて首を傾げる大妖怪。

 当然ながら、スマートフォンをうっかりなんぞで忘れたわけではない。実のところ、全て計算された上での行動である。

 

 森近霖之助。古道具屋の店主であり、その独特の魅力から数多くの異性を惹きつける半妖の青年。

 紫もまた惹きつけられた少女の一人であり、賢者の叡智を用いてあの手この手で振り向かせようとする策士でもあった。

 

 が、霖之助は巷で不動明王と囁かれるほどの朴念仁。今のところ全戦全敗であり、めぼしい成果は上げられていない。

 それでも彼女は諦めず、新しい作戦に打って出ていた。これこそが、今回のスマートフォン事件の発端なのだ。

 

「完璧な作戦だったのにー」

 

 名付けるならば、『検索履歴で気付かせちゃおう大作戦』である。

 

 内容はこうだ。まず霖之助の生態である『外来の物に興味を示すコレクター気質』を逆手に取り、外界において最先端機器のスマートフォンを使って興味を惹く。

 次にスマートフォンの使い方を説明し、敢えて香霖堂へ忘れておく。

 すると霖之助は好奇心を抑えきれず手を伸ばし、Go●gleへ手をかけたところで検索履歴を目撃、ストレートな恋文から紫の心情を察してHappy End――これ以上に無いパーフェクトな筋書きだった。過去形の通り玉砕したが。

 

「ただいまぁ」

 

 幻想郷のどことも知れない八雲邸に帰宅する紫。ふらりふらりと居間へ向かい、スキマから取り出したソファの上へ倒れ込んだ。

 今日は休日なのだろうか。暇そうに足をパタパタさせながら、おもむろにスマートフォンを手に取って弄ぶ。

 

「流行ものだから絶対面白がると思ったのだけれど、ふぅ。男の人のストライクゾーンってイマイチ分からないのよね」

 

 ぶー、と膨れっ面になりつつ、おもむろにスイッチを押す。

 えっちの濁流に呑まれた。

 

「――は。あ、ぇ、うん??」

 

 寝ている時にジャンピングエルボーでも喰らったかのような、思いがけない不意打ちを受けて動揺する紫。

 身に覚えのないサイトが表示されていた。それも濃厚な成人向けともなれば、尚更驚愕モノである。

 一秒、二秒、三秒。八雲紫は再起動する。

 

「な、なんだ霖之助さん、スマホに興味無さそうだった癖にばっちり使ってるんじゃない! というか、へぇ、あの人こういうのに興味あったんだ……」

 

 若干戸惑いながらもしっかり観察する紫。

 少々驚きはしたが、実は枯れてるんじゃないか疑惑すらあった霖之助にも男の面があったという事実に、むしろ安堵すら覚えていた。

 

「……よく考えたらこれ、チョー貴重なデータよね。彼の好みを分析出来るまたとない機会なんじゃ」

「昼間から、なにしてるんです、紫様」

 

 死神のような声がした。

 血の気を引かせ、油の切れたブリキのように、紫はギギギギッと振り返る。

 この八雲家に住人は二人。であれば、声の主は当然一人。

 ソファの後ろから覗き込むように、己が従者が君臨していた。

 

 もこもこだったはずの九尾を萎れさせ、絶対零度の瞳で主を見下ろすのは、紫の誇る式神たる八雲藍で間違いない。

 ただしその眼差しに、主への忠誠だとか尊敬だとかそんな暖色は欠片も無い。あるのはただ、軽蔑を凝縮して作ったドライアイスのように冷たい寒色だけで。

 

「珍しく早起きされているかと思えば、こんな……」

「藍、待って。ねえ待って。違うの藍。これはね、あの、霖之助さんがね!」

「ええ、分かっております。かの賢者であらせられる紫様にも持て余す時があるのでしょう。それは仕方のない事です。ですが時と場所は選んでいただきたい。そのような風体で余所へ示しがつくとお思いか」

「待って、違うのとんでもない誤解なの!! 藍、信じて!!」

「そうですか。ああそういえば、そろそろ昼餉の時間ですね。もやし炒めにしましょう。夕餉も明日もその明日も」

「うわああああああああん私じゃないんだってばああああああああああああ―――――――っ!!」

 

 結局、誤解が晴れることは無かったそうな。

 




きんぱつのこかわいそう(一人とは言ってない)

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