憧れの彼は、優しいだけではないようです   作:黒豆

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日常に潜む非日常

 

「ねえ! どうしたのお姉さん!?」

 

 どうしたのか、だなんて。聞きたいのはこちらの方だと。ままならない体をそれでも動かそうとしながら、私――椎名咲は胸中でひとりごちた。

 小さな手で軽く肩を叩き、何度も大丈夫かと声をかけてくるのは眼鏡をかけた少年。見た目は小学生、それも低学年といったところか。

 

 ……茶番だ。この少年の推測なんて、意味がない。私は彼のことを知っている。いや、“知ってしまった”の方が正しいか。

 

 きっかけは、この少年こと江戸川コナンくんと目が合ったこと……だろうか。もしくは指が触れたことかもしれない。私にも正確な原因は分からない。確かなのは、私は同級生でクラスメイトの毛利蘭ちゃんの実家の下にある喫茶ポアロで課題をしていたこと。途中で消しゴムを手で払って落としてしまったこと。そしてその消しゴムを毛利家の居候である江戸川コナンに拾われたときに目が合ったことだ。

 目が合った瞬間、走馬灯のように私にはまったく覚えのない記憶が駆け巡った。最初は蘭ちゃんと遊園地デートをして殺人事件に巻き込まれた記憶。最後は喫茶店で課題をしている女子高生、つまり私の消しゴムを拾ったところだ。

 

 もうお分かりだろうが、私には今目の前にいる江戸川コナン……正体はクラスメイトで最近休学中の工藤新一君の記憶が流れ込んでしまったのである! ……と断定しても、私自身未だ半信半疑の状態ではある。

 

「コナン君、いったい何があったんだい!?」

「分からない……このお姉さんが急に頭を抱えて倒れこんじゃって」

「急に……?」

 

 訝し気に声をかけながら近づいてくる声の正体は喫茶ポアロの店員安室透さんだ。失礼、と小さく声をかけながら私の右瞼を指で持ち上げた。これは俗にいう瞳孔確認なのだろうが、正直やめてほしい。意識のはっきりしている状態で、病院どころか喫茶店で、そこのアルバイト、しかも憧れの店員にされる対応としては恥ずかしすぎる。というか、喫茶店の店員がそんなものを見ただけで分かるものか。

 

 いや、この人は喫茶店アルバイト兼探偵で……その正体は謎の組織の幹部だ。そのくらいの知識はあってもおかしくないのかもしれない。まあ、その謎の組織のことはさっぱり知らないのだけど。

 

 なぜそんなことまで知っているのか。その質問に答えるならば、それこそ“知ってしまった”からとしか答えようがない。本当に私自身もなぜこんな記憶があるのかわからないのだ。

 

「あの……大丈夫、ですから……」

 

 脳内で情報を整理しているとようやく落ち着いてきたので、頭を押さえていた手を放し、救急車を呼ぼうと話している二人に待ってと意思を示すため手のひらを向けて前に出した。

 なんとか絞り出した声は頼りなく、大丈夫なものかと自分でも突っ込んだ。薄目で覗いた二人の表情はまるで信じていないものだった。

 

「まだ顔色が悪いですよ。ここで座り込んでいてもお辛いでしょうし、奥で休まれますか? さすがに布団は無理ですが、ブランケットくらいなら置いてあります」

「いやいやいや本当にもう平気なので!」

 

 声のトーンを落とすべきだった。とにかく断りたい一心で発した声は、思ったよりも脳に響いた。

 

「でもお姉さんまだすっごく顔色悪いよ?」

「あはは、貧血なのかも……今日はもう帰って休むから……会計、お願いできますか」

 

 机に広げた教科書にノート、参考書などを片付けてフラフラと立ち上がる。

 

「もし良ければ僕がお送りしましょうか? と言っても、まだシフトが残っているのでしばらく残っていただくようになりますが……」

「い、いえ結構です……本当に……」

 

 そんなことをしたら後が怖すぎる。とは口に出さず、レジに向かう。

 

 安室さんはその整った容姿や穏やかな口調、それでいて勉強もできるとあって、モテモテな店員さんなのだ。探偵をしているだけあってか知識も豊富で、人の少ない時間だと少し話しかけてみるとちょっとした豆知識を披露してくれる。いつものにこにこ顔も素敵だが、そのときの得意気な顔もまた素敵なのだ。話すことが好きなのかもしれない。

 あと、課題に行き詰っていると見兼ねてかコーヒーを持って来たついでにヒントをくれることもある。これはJKにもてますね、もてもてだね、と安室さんと同僚のウエイトレスである梓さんとも小声で話したものだ。梓さんは「自分が安室さんに言い寄っている」として炎上しかけたことがあるのだと教えてもらった。私も気を付けなくては。今日は比較的客が少なめな日とはいえ、いくつかの鋭い視線を感じる。

 

「お騒がせしてすみませんでした」

「それは全く問題ありませんが……」

 

 安室さんはいかにも心配しているといった表情でレジを打つ。ここで送り出しておいて、帰る途中で倒れて事故にでも遭ったら後味が悪いからだろうか。優しい彼のことだから、そんな心配ではなく、常連客である私を心配している……とかなら嬉しいのだけど。まだ色濃く存在する“バーボン”の姿が頭にチラつき、気楽にミーハーな想像なんて出来なくなってしまった。私はもちろん、工藤君ですら話に聞いただけの姿なので半分はイメージ画だけど。銃を片手に怪盗キッドを追い詰めたとか、なんだそりゃである。

 

「じゃあ、僕がお姉さんのこと送っていくよ!」

「は!?!」

 

 大きな声で名乗りを上げたコナン君の顔が心なしか引きつって見えるのは、二人の正体を知ってしまったからなのか。というか、小学生に送られる高校生って、普通逆でしょう。大体、私は蘭ちゃんと友達だし、コナン君もまたこの店の常連であることは知っていても、私たちが話したことなんてほとんどないぞ。……あ、工藤君とは中高が同じだからゼロではないのか。それも蘭ちゃん繋がりで数回だけど。

 

「うん、それなら安心だね」

 

 なんでだよ! 安室さんはまだ小学一年生のコナン君になかなかの信頼を寄せているのか、それとも工藤君の知らないところで正体がバレているのか。いつもの笑顔を浮かべる安室さんと、警戒したように引きつった笑い方をしているコナン君を交互に見比べてもさっぱりだ。

 

「……コナン君の家って、この上の蘭ちゃんの家でしょ? 悪いよ」

「大丈夫だよ! お姉さん、住んでるのはこの近所でしょ?」

「なんで知ってるの!?」

「だって、放課後によく来てるけど制服のままじゃなくて着替えてからのことが多いし。休日の朝なんかは財布片手に来てるから、そうなのかなって」

「なるほど……?」

 

 工藤君にも教えたことはなかったと思うが、近所に住んでいると判断した理由はそういうことらしい。近所だから財布片手に朝食を食べに来たっていいじゃないか! 悪い、だなんて一言も言われていないけれど、誰にともなく脳内で反論する。財布片手にって言ったって、すっぴんだったことはないし、部屋着のままとかじゃないんだから!

 

「では咲さん、お大事に。コナン君も、よろしくね」

「うん!」

「……それじゃあ、安室さん。今度こそは新作ケーキ、食べに来ますね」

 

 炎上が怖いのなら、そもそも喫茶ポアロに来なければいい。私は梓さんと違って店員じゃないから、それで済む話なのだが、それでも通い続けてしまうのはやはり彼に会いたいという理由と、ここのコーヒーがおいしいからだ。コーヒーにケーキ、それから、梓さんや店長。そして、最近では安室さんがいるから。だから私はこれからも通い続けるのだ。

 

 ……でも、謎の組織の一員と知ってしまった今では、少し躊躇うかもしれない。そこは、まあ。明日以降の自分に頑張ってもらおう。

 

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