憧れの彼は、優しいだけではないようです   作:黒豆

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揺れる心

 

 人の記憶が流れ込むだなんて非現実的なことが起こっても、当然のように今日はやってくるし、学校に行けば教室はいつも通りに賑やかでホッと息をつく。

 自分の席に腰を下ろすと小さくあくびが零れた。SHRまではまだ少し時間があるし、このまま少しだけ寝てしまうか。でもそこまで眠いわけでもないし。なんて考えて時計を見ようと顔を上げると時計と私を遮るように蘭ちゃんが目の前に立っていた。

 

「おはよう、蘭ちゃん」

「おはよう……」

 

 少し寝不足気味だけど、くまがないことは確認したし、顔色だって悪くないはすだ。それでも蘭ちゃんは心配そうに見つめてくる。

 昨日工藤君に心配されたのだと自覚した時と同じ暖かさだ。園子ちゃんじゃなくてもお似合いの夫婦だって言いたくなる。まあ、蘭ちゃん相手の方が素直になれるんだけど。

 

「昨日倒れたってコナン君から聞いたんだけど、もう大丈夫なの?」

「大げさだよ。貧血でふらっとしただけだからもう平気」

 

 全然問題なしという意味を込めて目を見てしっかり頷いて見せると、ようやく蘭ちゃんは表情を緩めた。

 

「それよりコナン君を連れ出しちゃってごめんね。通り魔が出てるってニュースでやってたけど、ちゃんと無事に帰れた?」

「うん。まっすぐ帰ってきたみたい。でも今度こういうことがあったら私にも言ってね?」

「ありがとう。ふふ、頼もしいな」

「任せてよ」

 

 拳を握って力こぶを作って見せる蘭ちゃんとくすくす笑いあう。細い腕だけど、その頼もしさはよく知っている。

 蘭ちゃんはとても優しい素敵な女の子だ。こんないい子の蘭ちゃんと一緒に生活して、工藤君を心配している様子を近くで見ていて、それでも真実は言えないってどんな気持ちなんだろう。

 

 考えても分かるはずもない。記憶はあっても気持ちまでは分からないのだ。机に突っ伏しそうになったタイミングで担任が教室に入ってきた。軽く伸びをして姿勢を正す。

 考えないようにすれば余計に考えてしまうのなら、授業に集中してしまえばいいのだ。しばらく私の脳内から消えてくれ、工藤君!

 

 

 

 

「なんで送ってもらわなかったのよ。せっかくあむぴと家で二人っきりになるチャンスだったのに」

 

 心底意外。理解できないという顔をしているのは、友人Aこと私の幼馴染で同級生の早見楓だ。授業中も上の空だった私をやっぱり蘭ちゃんが心配して、その会話が彼女の耳にも入ってしまった。

 なんて返事をしようかと迷って昼食のサンドイッチをかじる。売店のサンドイッチだ。安室さんのハムサンドとは全然違う味で、十分な咀嚼をせずに飲み込んだ後にカフェオレで流し込む。

 

「…………その"あむぴ"って呼ぶの、安室さんの前では絶対やめてよね」

 

 安室さんには憧れているし、ポアロに行って彼がシフトに入っていたときは、梓さんには悪いけどラッキーだと感じる。安室さんの穏やかな言動に隠れて見え隠れする自信満々な部分を見つけると嬉しくなるし、名前を呼ばれることも好きだ。可能ならもっと親しい仲になりたいとは思っている。けれど、別に彼とどうこうなりたいとかそういった思いがあるわけではないのだ。

 それを言うと、楓は嘘だと言いたげにまた眉を寄せた。嘘ではないのだ、本当に。ただ、昨日の不可解な体験のせいで、どう接していいのか悩んでいる部分があるのも本当で。そのことを正直に言えるわけもなくて、心の中でだけごめんと呟いた。

 

「私と安室さん、干支一緒だし」

「あー……」

「……あーってなによ……」

 

 ビッと音を立てて一緒に買っておいたポッキーの袋を開けた。自分で言ったのにめんどくさい奴だ。でも自分で言った分、納得されると思ったよりもダメージがあった。

 

「なになに、ポアロのイケメンの話?」

「あれ、鈴木っちは会ったことあるんだ?」

 

 一つ席を挟んで隣に座っていた園子ちゃんが話題に食いついてきた。中学の時から彼女のミーハーぶりは変わっているように見えない。時々面白い話や美味しいカフェの情報を提供してくれるところはありがたいのだけど、今だけは気づかないでほしかった。と言うか、彼氏がいると聞いたけど妬かれたりしないのだろうか。

 

「この間ミステリートレインに乗るって言ったでしょ? そこでバッタリね」

「ふうん……」

 

 楓がずいっと身を乗り出して園子ちゃんに向き直る。これはよくない流れだ。救いを求めて蘭ちゃんに視線を送るも、眉を八の字にしてごめんねのジェスチャーを返された。

 

「どんなだった? この子写真も見せてくれないし顔知らないんだよね」

「写真なんて撮ってないってば……」

「そりゃあもう爽やかで落ち着いてて、知的で小麦色の肌がよく似合うまさにイケメンよ!」

 

 園子ちゃんの顔はまさにメロメロで、目なんてハートになっている。

 写真は撮っていないのではなく、撮ろうとしたこともない。そりゃあ、一枚くらいはほしいなとも思うけれど、安室さんは写真を頼んでも常に断っているし、隠し撮りをしようものなら気づいて諭している。頼んで断られたら辛いので、私は一度もお願いしたことがないのだ。

 

「だから、京極さんいい加減に怒るよ?」

「私にとっては京極さんが一番なんだから平気よ」

 

 にしし、と笑う園子ちゃんに蘭ちゃんは呆れ顔で注意をしている。良くも悪くも素直な彼女の言うことなので、その京極さんが本命なのは間違いないのだろう。なんだか羨ましい。

 

「あ! あと、安室さんは蘭のおじ様の弟子入り中だっけ?」

「うん……でも、どう見てもお父さんより頭が切れるのに、どうしてお父さんの弟子なのか……」

「わっ、まっ……」

 

 少しぼーっとしていたら、待った、と声をかける隙もなく、今まで伏せていた情報があっさりと公開されてしまった。

 

「その"アムロサン"って探偵なの?」

「えっ……咲ちゃん言ってなかったの?」

「う、うん……まあ……」

 

 引きつらせた楓の顔は容易に想像できたが顔を見づらくて視線を逸らして蘭ちゃんの質問に答える。

 言い出すタイミングは当然何度もあった。ただ、欠片のように散らばった情報から導き出された答えが不安すぎて、どうしたら信じてもらえるか思いつかなかったのだ。

 

「29歳でフリーターで……探偵……の、若いツバメ……」

「はあ!? 何よその若いツバメって!」

 

 園子ちゃんが興味を持ってしまった。心なしか表情が輝いて見える。

 楓は私と安室さんの仲をからかうようなことを言いつつも、私が騙されてるんじゃないかと常に心配してくれているのは知っていた。だから言いにくかった部分もある。その気持ち嬉しいし、それを知っているから私も色々相談できているのだけど、このバレ方は良くなかったな、なんて。

 

「それ楓が勝手に言ってるだけでしょ! だから違うって言ってるじゃない!!」

「29歳の喫茶店アルバイトが高級車乗り回してて派手にぶっ壊してもすぐに修理代出せるわけないでしょ」

「うぅ……」

 

 安室さんがどれだけ真面目にポアロで働いているか……は、ともかく。知識も豊富で優しくてオシャレで素敵なことはいくらでも言えるが、そういった部分をつかれると言い返せなくなる。今までも不思議で、実家が裕福なのかな、なんて考えたことはあるけど、組織の仕事が儲かるのかもしれない。いや言えないけど!

 

「だ、大丈夫だよ。安室さん、本当に頭が切れるし、お父さんの助手以外にも探偵としての仕事あるみたいだから……」

 

 見兼ねた蘭ちゃんがフォローしれくれる。天使のようだ。どうせなら、もっと自信を持ってほしい。

 

「咲」

「……はい……」

「なにかあったら言ってよね。本当に、些細なことでもいいから」

「……ん」

 

 急に真面目な声で言われて、後ろめたさのせいか声が小さくなった。震えてはいなかっただろうか。

 信じてくれない、なんて心配はしていない。でも、蘭ちゃんや他の人を巻き込まないために必死で誤魔化し続けている工藤君のことを思うと、私の勝手で話すのは躊躇われた。本当のことは言えない。嘘もつきたくない。……その気持ちは本当に嬉しいのだと返したい。私は楓の目をまっすぐに見た。これが今の精一杯だ。

 

「ありがと、楓」

「いいのよ。今度一緒にポアロに行って、あむぴのこと直接見るから」

「…………」

 

 ……なんだか、どっと疲れた気分だ。私の手からポッキーを2本とって食べる楓を見ながら、残りの1本を手に取り、ぽきりと食べた。

 

 

 

 

「あ」

 

 放課後に着替えてから訪れたスーパーの一角。いつもなら素通りするお酒コーナーでぽつりと声が零れた。別に興味もなかったからあまり詳しくもないけど、今はずらりと並ぶボトルの中で、バーボンのボトルだけがどこか特別に映る。

 一口にバーボンと言っても銘柄がいくつかあるようで、Maker's Malkとか、FIVE ROSESとか。私にはどう違うのかさっぱりだ。

 

「あれ、咲さんじゃないですか」

 

 ハッキリと自分の名前を呼んだ心地よいテノールは、最近では随分と聞きなれてきた声だ。最初はいきなり名前で呼ぶのかと距離感に狼狽えてしまったものだが、この声を聞き間違えるはずがない。

 

「あ、安室さん……」

 

 工藤君と蘭ちゃんのことを考えている間は安室さんのことを考えずに済んでいたのに、工藤君のことはすっかり頭から抜けていて、一瞬で私の心はまた安室さんのことで埋め尽くされていた。

 


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