真・恋姫†無双 ~凌統伝~   作:若輩侍

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どうも、作者の若輩侍です。
はじめましての方もそうでない方も、こんにちは。

今作は、にじファン様にて掲載していた「悪魔にヤられて乱世を行く」を大幅改修し、リメイクしたものです。設定やストーリーなどに大幅な修正が掛かっていますので、実質リメイク前の作品とは別作品とお考えください。

ただし主人公を含めた今作に登場するオリジナルキャラクターに関しては、一部設定を流用している所もあります。この辺りはリメイク前の名残ですので、特に気にする必要はありません。

とまあ、上記を踏まえ、私こと若輩侍のハーメルン様での再出発の作品となります。拙い所もあるとは思いますが、読者の皆様に楽しんで頂ける作品であれば幸いです。

それでは、どうぞ。


第一話

そこは、戦場だった。

 

たった一言、されどこの一言が、この光景を簡潔に言い表すにふさわしい言葉だ。

 

剣を、槍を、弓を、各々手にした兵士達の声が響き渡る。それは敵を討ち取った者の歓喜の声か、はたまた命を奪い合う死闘を繰り広げる者達の雄叫びか、それとも命果て死の恐怖に怯える断末魔の叫び声か。

 

それを聞き分ける手段は無い。そんな余裕を持つ者はこの場に誰一人として存在しない。なぜならここは戦場だから。一瞬の気の緩みが死へと繋がる、黄泉路への入り口の一歩手前と言っても過言ではない場所だから。だから響き渡る兵士達の声に意味が有っても、ここでは須く無意味なのだ。

 

助けを求めようとも誰も応じない。応じることはできない。傍から聞こえる救いの求めも、自身に向けられた殺意の声も、全てが戦場の雑音の一つ。精々聞きとる事の出来るのは、隣りの友の共闘の声くらい。黄泉路に一歩でも足を踏み入れた者に差し伸べられる手は無いのだ。

 

緊張と狂気に支配された異質な空間……それ即ち、戦場である。

 

「総員突撃! 逃げる者、降伏する者には構うな! 目の前の敵にだけ集中せよ!」

 

そんな中で響き渡るのは、赤の陣羽織を羽織った一人の初老の男の声。男の背後に揺れるのは、赤地に孫の文字を記す牙門旗。そしてその隣にはためく一回り小さな牙門旗には、凌の文字が見て取れる。

 

初老の男の声に孫旗に集った兵士達が蹂躙の雄叫びをあげ、目の前にそびえ立つ夏口の城へと次々に突撃していく。破城槌を抱える兵士達を先頭に降り注ぐ矢を物ともせず、あるいは掻い潜り走り抜ける。

 

そして轟音が大地を揺らす。一度、二度、三度と続き、そして四度目の轟音と共に夏口の城の城門が破れる。城門の開いた先に待ち受けるのは、夥しい数の敵方の槍兵と弓兵。槍兵の突き出す槍が、破城槌を抱える兵士達を串刺しにしていく。

 

力尽き、破城槌と共に地面に沈む味方の屍を越え、友の仇と叫び突撃を再開する孫旗の兵。その先頭に立つのは、重厚な作りの鉄甲を両腕両脚に、対して動きを阻害しないよう急所のみを守るよう作られた軽鎧を纏う若い男。剣ではなく、その両手には片手でも扱える大きさの二本の小型の戦鎚を携えている。

 

引き締まった強靭な肉体にものを言わせ、若い男は容赦無く敵兵の頭蓋を砕き、時には鎧兜の上からでさえも筋力と戦鎚の堅牢さを頼りに敵兵を撲殺する。他の兵よりも圧倒的な強さを見せるその若い男は槍兵部隊を率いていたと思わしき兵士を討ち果たすと、味方を鼓舞するために盛大に名乗りを上げた。

 

「孫家に仕えし重臣が一人、凌操が息子凌統が敵将を討ち取った! 我もと思う者は我が背に続けぇぇぇ!」

 

戦鎚を高く振り上げる凌統の声に、兵士達は奮起し更なる勢いを伴い蹂躙の嵐を巻き起こす。士気は低く、もはや総崩れとなった夏口の兵士達に対抗する術が有る筈もない。孫家の兵士達の濁流に飲み込まれ、敵兵は命辛々退却を始める。しかし時既に遅く、先陣を凌統に任せていた初老の男――凌統の父、凌操は自ら部隊を率いて追撃を仕掛けようと声を張り上げる。

 

「追撃せよ、一兵たりとも逃すでない! 逃がした敵兵の数だけ、後の孫家の禍根となると心得よ!」

 

そんな頼もしい父の声を背に、凌統はこの戦の勝利を確信する。負け戦の中、それでも最後まで抵抗の意思を見せる敵兵達に尊敬と称賛の念を抱きながら、一対の戦鎚を振るい視界に入る敵を討つ。粗方視界に入る敵兵が討たれた事を確認し、自分も追撃に加わろうとそう思った次の瞬間……追撃を促す凌操の声が唐突に途切れた。

 

「……おやじ!?」

 

それが意味するところを一瞬で理解した凌統は、すぐさまその場から駆けだす。困惑する兵士達の間を駆け抜け、時には押しのけながら追撃とは逆方向に必死の形相で駆ける。駆けて駆けて、そうして辿り着いた牙門旗の下には、喉を矢で貫かれ、目を見開き仰向けの姿で死んでいる凌操の姿があった。

 

「おやじ……」

 

小さくそう呟き、凌統は父に刺さった矢を引き抜く。そして開かれたままの瞼をそっと閉じると、湧き上がる悲しみを抑え、冷静に矢の出所と思わしき遥か遠方に視線を向ける。しかしその場には既に凌操の仇の姿は無く、凌統は怒りに手中の矢を握り潰す。矢のバキリと折れる音が響くと共に、凌統は凌操の死に混乱する兵士に怒号を飛ばした。

 

「うろたえるな! 例えその身は死すとも、我が父凌操の心は我と共にあり! ゆえに、これより全軍の指揮は俺が執る。全軍追撃を続行! 降伏する兵士を除き、全ての敵を討てぇぇぇ!」

 

誰よりも一番つらいはずの凌統が、誰よりも一番怒りに我を忘れたく思うはず凌統が、涙も見せず荒ぶる事もせず、凌操の代わりを果たそうと冷静に全軍の指揮を執っている。その姿に応えぬ兵士は今この場にいるはずがなかった。

 

「これが最後だ、奮励努力せよ! 父の仇をと思う者は、我に続けっ!」

 

追撃により散り散りになる敵兵の息の根を止めるため、凌統自らも兵を率いて追撃に出る。それは凌操が行おうとしていた、まさしくその姿と同じ。そして味方を守るために凌操の仇が凌統を狙うのも、また同じであった。

 

「……っ!」

 

突如自分に向けて飛来した矢を、凌統は難なく討ち落とす。凌操の時と同じく、正確に喉を狙った一撃。間違いなく同一人物の仕業に、凌統は姿を見ようと目を向ける。しかし時は既に夕暮れ。視界の効きにくくなった中で凌統が視認出来たのは、弓を片手に顔を隠す様に漆黒の布を巻いた者の姿のみ。顔は分からず、しかし目は完全に合っているそんな状態が続く。

 

戦場の音も何もかもが凌統の耳から遠ざかり、戦場の雑音の中に沈黙の空間が出来上がる。そうしてどれだけ見つめあったか、やがて凌統の耳に音が戻り、ハッと気づいた時には仇の姿は消えていた。

 

味方の兵士達の勝ち鬨が戦場に響き渡る中、チリン……と、凌統は風に乗った鈴の音を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

これは、後に凌統が仇と再会する事となる……その一年以上も前の話である。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

頬を撫でる風が気持ち良い。不規則に上下するこの揺れが心地良い。

 

袁術に命じられ、最近出没するようになった賊の討伐のために、兵達と共に乗り込んだ船の甲板の上に出た俺がまず最初に思った事は、この二つの事だった。何てことは無い、船の上にいれば当然の感想だと思う。まあ、船が苦手な人にとっては当然とは言えないのかもしれないけども。

 

うんと背伸びをしながら甲板の上を見回す。水夫特有の上下の裾の短い衣服から筋骨隆々とした四肢を見せつけ、水兵が操船のために声を掛け合いながら忙しくしている。帆を頼りにするだけでは無く、櫂を用いて船の速度を上げる水兵の姿は頼もしいの一言に尽きるだろう。引いては押しの繰り返しで躍動する筋肉などは、見ていて少し暑苦しくも感じてしまう。

 

ただし男共に混じり、少ないながらも存在する女性の水兵は見ていても飽きない。むしろ眼福だ。櫂を押し引きする際に……揺れるのだ。露骨に何がとは言わないが、とにかく揺れるのだ。

 

「凌統……鼻の下が伸びてるわよ」

「うわっ!? ……とっと」

 

突然背後から声を掛けられた事に驚き、同時に船の揺れが重なったことで危うく体勢を崩しかける。すぐさま体勢を立て直し、声の主の方へと振り返ると、そこにはあからさまに呆れを浮かべた女性の顔があった。

 

「いきなり声を掛けないでくださいよ、雪蓮様。びっくりしたじゃないですか」

 

呆れ顔でじとっとした目を俺に向けるこの人の名は孫策。真名を雪蓮と言い、俺こと凌統が仕える孫家の頭領である。ちなみに真名とは、その人が認めた人物にしか呼ばせる事の無い大切な名前の事だ。俺にとっては生涯忠誠を誓うべき王……なのだが、普段はこうして臣下に気安く接してくれるため、相対する時はあまり肩肘を張らずに済む人だ。流石に話す時は敬語を使うが。

 

「なによぅ、浩牙が水兵に見惚れてたのが悪いんじゃない」

「まぁ、それはそうですけど……」

 

まさしく雪蓮様の言う通り、非は完全に俺にある。しかし俺も男である以上、そう言った事にはやはり興味があるわけで。とは言え、これでも一応将の位に就く者として、最低限の線引きは心得ているつもりだ。ただ今回は、仕事始めのちょっとした活力源として、少しばかり欲望を優先させてしまった次第である。

 

「にしても、今度の任務は江賊が相手ですか。正直、あまり気乗りはしませんね」

 

何時までもこの話を引っ張ると弄られ話に発展しそうなので、俺は些か強引に話を変える。変えると言っても、これこそが今回俺たちが船を持ちだしてまでここに来た理由であるので、変えると言うよりも戻したと言うべきか。

 

「そうね。何せ相手は江族、水上の猛者だもの。私達も水上戦には慣れているけど、向こうはこっちの比じゃない。まあ、向こうの船に乗り込みさえ出来れば勝ったも同然だけど」

「そもそもそれが難しいんですよね」

 

戦いになった場合、兵士の実力はこちらの方が圧倒的に上でも、兵同士の戦いに持ち込めなければ意味がない。弓兵での応戦も出来るが、それだと確実に長期戦となり被害が増える。それを防ぐためにも、どうにかしてこちらの船を敵方の船につけ、一気に乗り込み殲滅するのが一番手っ取り早い。

 

しかし相手は水上での活動を主とする江賊。その操船技術は当然高く、容易には船をつけさせてはくれない。無論、こちらの水兵も操船技術は高いのだが、ある種水上戦に特化しているとも言える江賊相手にはどうしても一歩譲ってしまう。

 

その代わり、白兵戦になればこっちのものなのだし、最終的に矢の撃ち合い合戦になっても物量で押し切る事は出来る。全体的に見ればこちらが優勢である事には変わりない。その中でどれだけ被害を減らせるのかが、今回の戦での最大の課題と言えるだろう。

 

「そう言えば、かなり前の話なんだけど。蓮華の所に元江賊の将が仕官してきたって手紙に書いてあったっけ?」

 

江賊繋がりなのか、ふと雪蓮様がそんな事を言い出す。ちなみに蓮華とは雪蓮様こと孫策の妹、孫権の真名である。今はとある事情にて、俺たちから遠く離れた地にいるのだが……その性格たるや、雪蓮様とは正反対の生真面目な人で、どうしてこの二人が姉妹なのかと時折思ってしまうほどだったりする。姿恰好は結構似ているのに。

 

「しかし元江賊ですか……信用の程は?」

「できるみたいよ。仕官してからは蓮華の面倒をよく見てくれているそうで、武の腕も確か。今では蓮華の側近を務めてるって最近の手紙には書いてあったわね」

「近況報告あったんですね。と言うかそれ、冥琳様に伝えました?」

 

俺がそう言った途端、雪蓮様の表情がぴしっと凍りつく。どうやら手紙を読んでそのままだったらしい。何と言うか、こういう事に関しては雪蓮様はたまに……いや、結構な頻度で抜けている。それがわざとなのか天然なのかは知らないが、今回みたいな孫家に関わる事は流石に忘れちゃまずいと思う。それこそ色々な意味で。

 

「ほぅ、そんな事があったのか。初耳だぞ、雪蓮?」

 

そしてその意味の一つがたった今、雪蓮様の背後に降臨する。低く、それでいて凛と通った女性の声。孫家の中で雪蓮様にため口をきく事の出来る二人の内の一人。雪蓮様が大黒柱なら、この人は屋台骨だと言えるそんな人。その名は周喩、真名を――

 

「め、冥琳……」

 

顔を青くしながら、雪蓮様がその名を呟く。名前を呼ばれた周喩こと冥琳様は、額にいくつか青筋を浮かべながらにっこりとした笑みを浮かべた。ただしその目は断じて笑っていない。

 

「軍師の私に、そんなにも重要な人事の詳細を伝えないなんて。しかもあろう事か蓮華様の傍であった事を……一体どういうつもりなのかしら。ねぇ、雪蓮?」

「め、冥琳。あ、あのね、今回のはね、単純に忘れてただけの事で、別に伝えないなんて気は無かったのよ? 本当よ?」

 

いつもは他人を弄る側の雪蓮様も、冥琳様の前ではたちまちこうなる。孫家の頭領は雪蓮様だが、実質の力関係は冥琳様が一番なのかもしれない。と言っても、なんだかんだで冥琳様は優しく、また雪蓮様とは絶対の絆で結ばれているため、このくらいの事で二人の関係にひびが入るなんてことはあり得ない。まあ、仕事に関しては雪蓮様であっても一切の妥協を許さず、むしろ厳しく当たっていたりするのだが。

 

「忘れていたのなら尚更問題だ。丁度良い機会だ、最近忙しくて時間も取れなかったのだし、久しぶりに少し話をしようじゃないか」

 

冥琳様に首根っこを引っ掴まれ、雪蓮様が船室の方へと引きずられていく。

 

「ちょ、なんでそうなるのよ! 浩牙、助けて! 冥琳にやられちゃう!」

「そこ、風向きが変わったから帆の調節頼むよー」

「あからさま過ぎる!? 無視するなんて酷いっ! 浩牙、臣下としてそれはあまりにも薄情過ぎるわよ! って、痛い痛い痛い!」

 

雪蓮様の悲鳴が背後から聞こえてくる。しかしここは白々しくても敢えて無視。雪蓮様を敵に回すのは怖いが、冥琳様を敵に回すのはもっと怖い。幸いにも、これくらいの事で雪蓮様もいきなり暇を出したりはしないだろうし、それに何かあっても今回は冥琳様の助力を得られるだろうから問題無し。

 

中間管理職の俺が生き残るには、色々と上手く立ち回る必要があるのです。

 

「うぅ~……浩牙の薄情者ぉぉぉぉー!」

 

そんな雪蓮様の恨みの声を最後にバタンと船室の扉が閉まる音が聞こえ、それきり声は聞こえなくなる。恐らく船室内では冥琳様による説教の嵐が渦巻いている事だろうが、俺は何事も無かったかのように、驚いて動きの止まっている水兵たちに再び指示を出す。

 

その後もちょくちょくと揺れるアレで目の保養を行ったり、たびたび聞こえる怒声と悲鳴に耳を傾けたりしながら、初めに感じた風と船の揺れの心地良さを気休めに、船を目的地に向けるための指示を出し続けた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

翌日、俺たちは報告にあった江賊の出没地帯へと船を進めていた。ここまでは特に何の問題も無く至る事が出来たものの、これから先に関してはそうはいかない。

 

やつらの領域に侵入したのだ、いつ何時、江賊たちの襲撃を受けるか分からない。ただ、流石に真昼間から仕掛けてくる程向こうも馬鹿ではないだろうと言う事で、水兵達には一時休息を与えることになった。出没地帯直前までほぼ休まずに船を操船し続けた彼らの疲労はかなりのものだろうし、それを引きずって戦いに支障が出るようでは元も子もない。

 

幸い、俺を含む数名が有志で見張り役に名乗り出たので、警戒に関しては特に問題は無いと言える。夜ならともかく、先にも言った通り真昼間に敵影を見逃すほど俺たちは無能じゃない。と言うか、逆に暇が過ぎるくらいだ。なのでとりあえず、近くの水兵の寝顔を眺めたりしながら暇を潰していたりする。

 

墨が有ったら落書きしてみたいとか、断じてそんな事は思っていない。いや、ちょっとだけ思ってるかも?

 

「浩牙、見張り御苦労」

 

どっちだろうかと、どうでもいい事に頭を悩ませていると、船室から出てきた冥琳様がそう声を掛けてきた。特に苦労を感じてはいなかったので、俺は曖昧な笑みを浮かべて応える。少し疲れたような表情が見える辺り、今回の雪蓮様との戦いは結構壮絶なものになったようだ。もしくは、策を練るに際して殆ど休息を取っていなかったか……。

 

どっちなのかと聞いても、恐らく冥琳様は応えてくれないだろう。この人はそういう人だ。他人の前ではまず弱みを見せる事がない。それが部下としては頼もしくもあり、しかし少し寂しく感じるところでもある。

 

「あれ、雪蓮様は?」

「船室で伸びている。全く、説教でここまで疲れるのは雪蓮を相手にしたときだけね」

「いやあ、正直あの雪蓮様を完封する冥琳様が凄いんだと思いますよ?」

 

自由奔放と言う言葉を形にしたかのような人だ。あの人の相手をするのは、些か以上に疲れる。それを言葉とほんの少しの実力行使でねじ伏せる光景を目にする度、冥琳様がいかに怖い人であるかを実感する。この人を怒らせる事はすなわち、精神的な意味であの世に旅立つのと同義なのかもしれない、などと思ってしまうのも仕方がないと思う。

 

「何か私に対して失礼な事を思ってはいないか?」

「いえ、別に」

「そうか。流石の私も、雪蓮を相手にした直後で別の誰かを相手にするのはかなり面倒なことなのでな」

 

眼鏡の位置を指でくいっと直しながらそう言う冥琳様に、俺の背中を冷や汗が伝う。一瞬、冥琳様の眼鏡があやしく光った気がしたが、それは日の光が反射しただけであると信じたい。正直、俺には冥琳様の言葉攻めを耐えきるなんて無理だろうから……。

 

「さて、話は変わるが……浩牙、件の将の事をどう思う」

 

件と言うのは、恐らく蓮華様の側近となった元江賊の将の事だろう。忠誠心はあるとの事だが、王族の側近である以上は心配し過ぎと言う事は無い。むしろ過ぎるくらいが丁度良いくらいだろう。

 

「んー、直接会ってみないと分かりませんね。言葉だけでその人を説明するのには限界がありますから。実際に相対しなければ、その人の本質は感じられませんよ」

「そうか。まあ、聡明な蓮華様が傍に置く程だ。孫呉にとっても有益な人物であるには違いないのだろうが……」

「蓮華様の人を見る目は確かですからね。そう言えば、その将が仕官に来たのって、何時頃なんですか?」

「正確には覚えていないらしいが、なんでも半年以上前だそうだ。全く、その間に何かあったらどうするつもりだったのか……」

 

冥琳様がこれ見よがしにため息を吐く。確かに、いかに雪蓮様とて半年はやり過ぎだ。もしその間に蓮華様の身に何かあろうものなら、悔やんでも悔やみきれない。とは言え、今の俺たちに出来ることなどたかが知れているのだが。

 

「文台様が亡くなってから数年。領土を失い、袁術の客将に甘んじる事になってしまった今の俺たちでは、例え蓮華様の身に何かあったとしてもどれだけの事が出来たのかは、些か疑問ですけどね」

「そうだな。それが分かっていたからこそ、雪蓮も黙っていたのかもしれないな」

「そう思うのでしたら、少しは手加減を――」

「それとこれとは話が別だ。私に隠し事をする時点で問題なのだよ」

 

そう言って冥琳様がふんっと鼻を鳴らす。つまり冥琳様は、他の将はともかく自分にまで今回の事を隠していた事が気に入らないんだな。まあ、雪蓮様と冥琳様はかなり長い付き合いと聞くし、その関係はもはや親友以上のものなのだろう。だとしたら、そんな相手が自分に隠し事をするというのは……なるほど、想像してみたら確かに気分が悪い。

 

今まで一緒に頑張ってきたのに、いきなり仲間外れにされた、そんな感じだろうか……たぶん。

 

「まあ、冥琳様だからこそ心配を掛けたくなかったのかも知れませんよ?」

「私だから?」

「はい。ほら、冥琳様っていつも忙しい身ですから、それに比例して相当疲れもたまっているのでしょう? 俺でも分かるんですから、それを雪蓮様が気づかないはずがないです。蓮華様の事となれば、冥琳様は他事よりも一層気を使うでしょうから、それで雪蓮様は今回の事を話さなかったんだと思います。……もしくは、本当に忘れていたのかもしれませんけどね」

 

俺はそう言うと最後に苦笑を浮かべる。前者も後者もどちらもあり得るだけに、きっとこうだとは断言できないところが、また雪蓮様らしい言えばらしい。まあ、希望で言えば前者であっていてほしいとは思う。と言うか、後者であったならばこれはもうひたすら呆れるしかない訳で、出来れば一臣下としてそんな事にはなりたくない。王としての信用問題にも関わる事だけに。

 

「とにかく、その将に関しては一旦横に置いておきましょう。それよりも今は目の前の事に集中するべきです」

「ああ、そうだな。それに、いずれは顔を合わせる事になるのだ。今ここでどうこう言っても、詮無きことか」

「そういうことです」

 

そう、いずれは顔を合わせる。それはつまり、袁術によって分断され大陸各地へと飛ばされた孫家の重臣たちが再集結する時。その時のためにも今はまだ雌伏の時と捉え、袁術の命に従う忠実な客将を演じ続けなければならない。全ては静かに、密かに、牙を砥ぐ音すらも立てず、親しき者以外には気づかせず。

 

ただその時を待ち続ける。今はそれで良い。

 

「さて、まだ日も高いですし、冥琳様も船内で少しお休みください。見張りは引き続き、俺が務めますので」

「そうか。ならその言葉に甘えさせてもらうとしよう。しっかりと頼むぞ」

「お任せ下さい」

 

冥琳様を安心させるよう、俺は笑顔を浮かべて応える。その思いが伝わったのか、冥琳様はふっと小さく笑みを浮かべると、最後にもう一度だけ俺に向けて頼むと言い、そしてそのまま船室へと姿を消した。




という訳で、リメイク版の第一話終了でございます。

リメイク前の作品をご存じの方は、この時点で既にどれだけの改修がなされたのかはお気づきだと思います。ほぼ別作品と言っても過言ではないでしょうね。

それでは、次回も宜しくお願いします。

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