真・恋姫†無双 ~凌統伝~   作:若輩侍

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また一月経ってしまった……。
遅くなりました、凌統伝更新であります。
では、どうぞ。


第十話

陣の設営を無事に終え、迎えた翌日。

 

朝食を済ませ、城壁で寝ずの番をしていた兵達に下がって休むようにと伝えに来た俺は、交代の兵士達に混ざりながらそのまま城壁の上で地平線をじっと見つめていた。

 

視線の先には、砂塵を巻き上げながらこちらへと近づいてきている孫の牙門旗を掲げた軍隊の姿がある。別れる前よりも規模が大きくなっている事から、雪蓮様達は無事に蓮華様達と合流する事が出来たのだろう。それを嬉しく思うのと同時に、ついにこの時がやってきたかと内心では身構えてしまう。

 

元江賊だという、蓮華様のお傍付の人物。その正体がおやじの仇であるか否か、それがついに明らかになる。雪蓮様に誓った手前、どんな結果であっても冷静さを保ちたいとは思う。だが昨晩に瑾と話し合ったばかりだからか、俺の心はざわついていた。

 

もっとも、周りの兵達が普段通りにしていることから、少なくとも以前祭さんから指摘された時のように、辺り構わず殺気を撒き散らす様な状態にはなっていない。

 

雪蓮様達との合流を間近に控えた今、出城の受け入れ準備は万全。瑾も無事に気持ちの整理を終え、穏と一緒に下で最終確認をしている。問題は何一つ無いはずだ。

 

強いて言うなら、俺と瑾が若干寝不足であることぐらいだろう。だが取り上げるほど大した問題でもない。瑾はどうか知らないが、俺の方は少し体の感覚が鈍い程度だ。恐らく昨日の疲労が抜け切らなかったからだろうが……正直、将として不覚としか言いようがない。体調管理は何にも勝る基本。それを怠るとは、情けないにも程がある。

 

「それに――」

 

 

 

――それにこれでは、もしもの時に――

 

 

 

――咄嗟に得物()振り(ぶち)下ろ()せない――。

 

 

 

「って、何を物騒な事を考えているんだ俺は……」

 

バシバシと己の頬を叩き、今さっき脳裏によぎった考えを振り払う。ここ最近は自分でもはっきりと自覚できる程に情緒が不安定だ。事あるごとに感情が乱れる。もっと冷静になろう。さもなければ、近いうちに何か取り返しのつかない事をしでかしてしまいそうな予感がする……。

 

「しっかりしろ、俺」

 

言いながらもう一度だけ頬を張り、昂ぶりそうになる感情をどうにか制御する。思いのほか力を入れ過ぎたせいで頬がひりひりするし、それを見ていた周りの兵達の訝しげな視線が刺さるが、今ならそれも気を紛らわせるための材料にはなる。

 

「大丈夫だ、問題無い」

「何が問題無いんだ?」

「わふっ!?」

 

不意に真後ろで発生した俺の独り言に対する返答に、俺は思わず声を上げて驚いた。バッと振り向いた先に立っていたのは、俺に向けて何とも微妙そうな表情を浮かべる、下で穏と確認作業をしているはずの瑾だった。何と返答していいのか咄嗟に浮かばず口をぱくぱくとさせる俺に、瑾からさらなる追い打ちが掛かる。

 

「公積よ。客観的な立場から見ても、その驚き方はお前には似合わないと俺から進言させてもらうが……どうだろうか」

 

正直余計な御世話である。というかそもそもの原因が瑾が声を掛けてきたせいだと言うのに――などなど、ようやく浮かんできた言葉は内心で呟くにとどめ、俺は少々どもりながらも瑾に言葉を返した。

 

「べ、別に狙ってたんじゃないぞ」

「だろうな。完全に的が迷子だ」

 

バッサリと、一瞬の思考すらも挟んでいないと思われる程の見事な切り返し。並大抵の人なら(会話的な意味で)止めの一撃になるのだろうが……甘い。瑾には悪いが、この手の一撃は俺にとって反撃の好機である。

 

「ふむ……だったら迷子にもあたる様にもっと乱射するしか手が無いな。そうだ、瑾に対してだけ使う設定も盛り込めばさらに良い。よし、そうしよう」

「やめろ、公積はともかく俺の部隊内での人物像が崩壊する」

 

それはそれで隊員達からどんな反応が返ってくるのか大いに気になる所ではあるが、まず間違いなく俺と瑾の部隊内での立場がお亡くなりになること確定なので断念するしかあるまい。なのでここは瑾の渋顔を見れただけで満足しておくことにして、苦い表情を浮かべていた瑾に冗談だと一声掛ける。

 

瑾から視線を含めた無言の圧力が飛んでくるが、いかんせん最初に仕掛けてきたのは瑾の方からなので、俺は気付かないふりをして誤魔化す事にする。しばらくして根負けしたのか、瑾が降参のため息を吐くのを見計らってから、俺はようやく真面目な話を切り出した。

 

「それじゃ報告を聞くとしようか」

「はぁ……ああ、そうだったな。とりあえず凌統隊の準備は完了。城に残す部隊の方は、俺と穏様の裁量で先の戦での負傷兵とそれに予備隊の半数を加えた数を置いていく事にした」

「予備隊の半数か……まあ、妥当な線か」

 

昨今の新兵の加入で再編したばかりの予備隊は当然ながら練度の低い兵達がほとんどだが、出城のお守り役くらいならば能力的にも経験を積む場としても丁度良いところだろう。

 

「残るは輜重隊の編成だが、これは本隊と合流した後に冥琳様のご指示を仰ごうと思う」

「糧食の量も合流した蓮華様の部隊の規模次第か」

 

俺が先程城壁から見渡した限りでは、俺達の部隊と合わせても呉の軍勢の規模は一万に届くかといったところだろう。少なくは無いが、決して多いと言える数でもない。集結しつつあると言う諸侯の中では少ない方に入るだろう。

 

「さて、どう動いたものか……」

「諸侯の軍勢もあるのだ。万に一つも負ける可能性はないだろう?」

「ただ勝つだけじゃ駄目なんだぞ?」

「分かっている。だが冥琳様ならば美味しい所を横から華麗にかっさらう策を立てる事くらい造作もあるまい」

「かっさらうのに華麗も何も無い気がする」

「後腐れないように他者を出し抜き戦功を一人占めする事は、一つの策として華麗とは言えないか?」

「あー、はいはい。そう言う腹黒ーいのは軍師の方々だけでやっちゃってくださいな。俺は筋肉担当なんでね」

 

俺はあくまで冥琳様達の指示に従い行動するだけだ。だが別に思考を放棄したわけじゃない。思考した結果、その方がより効率的な結果をある事が出来ると結論付けただけだ。とは言え、余りにも俺の矜持に反する命を下されたならば流石に反抗の意志を見せるだろうが。

 

「公積の場合、そのまま脳筋で無いところが厄介なのだがな」

「あくまで賛成した指示に従うってだけで、命令通りの操り人形になるつもりはないぞ」

「そうは言ってないが、やはり俺としては上司は扱いやすい人間の方が……」

「こらそこ、さらりと危ない発言するんじゃない」

 

まったく、なんでこうウチの軍師達は揃いも揃って腹黒揃いなのか。もっとこう、純粋無垢な可愛らしい軍師がいてもいいんじゃないだろうかと思う。

 

「軍師なぞ、皆そんなものだ。叶わぬ望みは捨てたほうが良い」

「ふっ、もはや語るまい。悟られは気にしない方向で突き進む覚悟を決めたからな!」

「潔いな。弄る種が減るのは残念なのだが」

「言ってろ。それにだ、今の瑾の発言には矛盾がある」

「矛盾だと?」

 

俺の発言が癇に障ったのか瑾が不機嫌そうに眉をひそめる。そんな瑾に俺は勝ち誇った笑みを浮かべて言い放った。

 

「軍師は皆腹黒だという瑾の発言……ならば、瑾がいっつもいっつもいっつも、いぃぃぃぃっつも、事あるごとに俺に誇らしげに自慢する可愛らしい妹とやらも、例にもれず腹黒だと瑾は言うのだな!」

「っ!?!?」

 

ずぎゅーーーーん! そんな脳内音声が響き渡るのと同時に、瑾ががっくりと両手両膝をついた。心なしか肩もぶるぶると震えている気がする。だが顔だけはしっかりと上げて俺と目を合わせたままだ。瑾の目はまだ死んでいない。ならばと俺は更なる追い打ちを掛ける。

 

「私塾に通っていた事と、そして瑾が自分の能力と比較して優秀と称する辺り、瑾の妹も軍師かそれに関する知識を私塾で学んでいただろう事は想像に難くない。加えて瑾は入隊した頃に教えてくれたな。妹が頑張るならばと自分も奮起したのだと。これらを纏めてみれば必然的に、瑾の妹もどこかの勢力で軍師またはそれに準ずるものとして活躍している、という結果に行きつく。そして瑾は今、軍師になるものは皆腹黒だと言った。しかし瑾は日頃から妹は可愛いと公言してはばからない、つまりは矛盾した発言をしたという訳だ!」

 

ビシッと指さして放った俺の発言に、ついに瑾が項垂れた。日も高いはずなのに影が落ちているように見えるその背中からは、加えて猛烈な自己嫌悪の空気が迸っている。

 

「お、俺は、なんという、ことを……」

 

絞り出す様にして途切れ途切れに呟く瑾。あ、これは不味い。ちょっとした意趣返しのつもりだったのだが今回は少々言い過ぎたかもしれない。見るからに瑾の心がぽっきりと逝っている。

 

「あ、あのー、瑾さん?」

「ふ、ふふっ。冥琳様や穏様ならばともかく、公積に矛盾を指摘される日が来るとは。俺もそろそろ潮時か……」

「なにもそこまで思いつめなくても。て言うか、潮時どころか軍師としてはまだ見習いだろうに」

「ああ、そう言えばそうだったな。潮が満ちるまでもなく干上がったという事か」

「勝手に干上がられても困るっての。それに人なら誰しも一度や二度の間違いくらいあるって。ちなみにその妹さんって今どこで頑張ってるんだ?」

 

話題を変えようと投げかけた問いに、瑾はピクッと肩を震わせて顔を上げた、のは良いが完全に目が死んでいる。うーむ、これは一体どうすればいい。こんな姿、間違っても蓮華様には見せられないぞ。

 

「……最後に文を貰った時は確か、義勇軍の劉備なる人物の下にいると書いてあったか」

「劉備……か。聞かない名前だな」

「……義勇軍だからな、知名度はそう高くないはずだ」

 

そこまで言って、再びがっくりと瑾が項垂れる。しかし義勇軍の大将、劉備か。どんな人物か気になるが、今回の黄巾征伐にも参加しているのだろうか。いや、瑾の妹が軍師としてついているならば、武功を挙げるのに絶好の機会であるこの戦をわざわざ見過ごすとは思えない。恐らくは俺達と同じく機を見計らって参戦してくるはずだ。義勇軍ながらどの程度の実力を持っているのかは、その時に拝見させてもらうとしよう。

 

だがその前に、未だに俺の横で落ち込みまくってる瑾をどうにかせねば。

 

「はぁ……朱里、兄は駄目な兄だったようだ。自身の発言で己が妹を貶してしまうなど、愚兄極まる行いをしてしまった、うぅっ……」

「あー、いい加減立ち直ってくれないか? ほら、あれだ。きっと腹黒い軍師達の中にも例外は存在するって」

「……例外?」

「そう、例外だ。例外、例の外、他とは違う稀有なる存在。ほら、こうやって言いかえるとなんだが凄い気がしないか?」

「た、確かに……」

 

かなり無茶な変換だとは思うが、どうやら効果ありの様だ。絶望の淵にでもいたか様な瑾の表情が俄かに明るくなる。

 

「例外、他とは違う。そうか、そういうことだったのか」

 

にしても、さっきから何か呟いているようだが一体どうしたと言うのだろうか。訝しく思い、ぶつぶつ呟く瑾の顔を覗き込もうとすると、それより一瞬早く立ち上がった瑾が、立ち上がるのと同時にガシッと俺の手を掴み、目をきらきらと光らせながら迫って来た。

 

「朱里は例外中の例外。つまりはそう、並ぶ者の存在しない唯一無二の正義! そう俺に言いたいのだな、公積!」

「お、おぉぅ」

 

天啓を授かったとばかりに急速に立ち直った瑾の気迫に押され、俺は曖昧な返事をしながら思わず一歩引いてしまう。というかなんだ、瑾の妹好きーがとんでもなく加速してしまった様な気がしてならない。まあ、誰に被害をもたらすわけでもないのだろうし、別段気にする事でもないんだろうけど。強いて言うなら、瑾の親友として瑾の将来が心配だ。

 

「ああ、何て晴れやかな気分なのだろうか。今なら絶対絶命の状況をも引っ繰り返せる策を献策できそうだ」

「そ、そうか。それは良かった。ならその調子が変わらないうちに穏の所へ行くか」

「ああ、そうしよう」

 

復活した瑾を連れ、俺は城外で既に待機しているだろう穏の下へと向かう。城門を出た所で部下と話し込んでいた穏がこちらに気づき、さも怒っていますと言わんばかりに頬をぷくっと膨らませた。

 

「お疲れさん。無事に準備が整ったようでなにより」

「あのですねぇ、浩牙さん。いくら私の方が適任だからといっても、陣の構築を丸投げするのはどうかと思います」

「いやいや、穏だけじゃなく瑾にも同じように頼んだぞ?」

「そうだとしても、結局他人に任せっぱなしじゃないですかぁ」

「そこは適材適所だろうに。実際、物資の管理調書は殆ど俺一人で纏めたし」

 

といっても、城内に保存されていた物資の調査そのものは部下達に任せたため、実質的な作業量で言えば半分以下になる。だがそれを言えば穏も設営指示だけで作業自体は兵達に任せていたのだから、結局はどっちもどっちという訳だ。

 

「う~、最近の浩牙さんは冥琳様にも劣らないくらい人使いが荒いです」

「それは断固として否定するぞ。むしろ俺は優しい方だ」

「秘密でお酒を振舞ったり?」

「うっ、それを出してくるか……」

「うふふっ、冗談ですよぉ」

 

まったくもって冗談には聞こえないからたちが悪い。こと内心を悟られない事に関しては穏は冥琳様よりも上な気がする。穏の笑顔に騙されてはいけない。

 

「そんなに警戒しなくても良いじゃないですかぁ。ほら、私も何だかんだでお相伴にあずかったわけですし」

「あぁ、そう言えばそうだった。なら、何も心配は無いな。いざとなったら瑾も含めて道連れにすればいいだけか」

「待て、俺も含まれるのか?」

「当然。二本目を持ちだしたのは瑾だという事を忘れたとは言わないぞ」

「う、むぅ……」

 

事実、一本しか用意して無かった俺に代わり、二本目を用意していたのは瑾なのだから反論はできないのだろう。瑾がこれ見よがしに口をへの字に曲げている。

 

「とまあ、不毛なお話はさておきですね」

「不毛って……」

 

言いだしっぺは穏だろうに、という文句を飲み込んで、俺は穏の方へと顔を向ける。すると以外にも真剣な光を湛えた穏の目に、俺は呆れを浮かべていた顔を引き締める。

 

「昨夜、蒼志さんとはお話し合ったと思いますけど」

「あぁ、その事か」

 

心配と危惧の入り混じった表情の穏の言葉に、かぶせるように俺はそう答える。最後まで聞かなくても分かるさ、甘寧の事だろう。もとより瑾と話し合うきっかけを作ったのも穏なのだし、気にしていない方がおかしい。

 

「それで、どうなんですか?」

「正直に言うとだな。分からない、だ」

「分からない、ですかぁ」

「そう、分からない。ぶっちゃけてしまえば、その時その場にいる俺次第という事になる。という事で、何かあったら対応頼むわ」

「随分と無理難題な事を言ってくれちゃいますねぇ。いかに軍師と言えど人の心の機微にまで策は立てられませんってばぁ」

 

当たり前だ。それが出来るのは仙人とか導師とか呼ばれる存在くらいのものだろう。

 

「手っ取り早い方法を言えば、何かしでかしそうになったら公積を力ずくで抑え込む事だろうが……」

「そうですねぇ……それをやるなら、祭様と海苑様にもお話を通さないといけなくなりますよねぇ」

「それでいいんじゃないか? 祭さんも海苑のじいさんも俺がちょっと危ない状態なのは知ってるんだし」

 

そもそも王座の間で殺気を撒き散らすなどという事をやらかしてしまっているのだ。今更隠す必要も無い。

 

「自覚しているのならばどうにかならないのか」

「瑾なら分かるだろ。感情ってものは厄介なものだって」

「そうだな……確かに俺も朱里を思う度に――」

 

長くなりそうな瑾の話はさておき、現状どうなるかは俺にも本当に分からない。できれば俺の壮大な取り越し苦労だったと言う事で笑い話の一つにでもなる事を望んではいるが、やはり仇を見つけ出したいというのもまた本心だ。しかしこの二つは相反するゆえに、俺としては非常にもどかしい。

 

「我ながら困ってるよ、本当に」

「もぅ、困ってるのは浩牙さんだけじゃないんですからね」

 

さっきの瑾ではないが、返す言葉もないとはこの事だ。代わりに苦笑を一つ穏に向けて浮かべると、穏は仕方がないなぁと言いたげな表情でため息を吐く。

 

「ふぅ……手加減とか、きっとできませんからね」

「もしもの時はそれで構わないさ。それじゃ、我らが主君を迎えに行きますか」

 

既に目前まで迫った本隊の殆どは進軍を停止している。今こちらに向かっているのは、一足先に入城する各部隊の精鋭たちのみだ。雪蓮様達や合流した蓮華様一行もあの中にいる事だろう。

 

揺れる感情をどうにか抑え込み、俺は瑾と穏を引きつれて雪蓮様の下へと向かった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふぅ……」

 

これでもう何度目になるだろうか。ため息を吐きながら、甘寧は心の中でそう独り言ちた。目前には合流前に孫策が奪取した出城が迫っている。そしてその事が甘寧の緊張に一層の拍車を掛けていたりする。

 

先日、主君である孫権は当初の予定通り無事に呉本隊を合流を果たした。合流するなり、姉であり孫家の当主でもある孫策に、先の戦で先陣切って戦場に出陣した事に関して食って掛かった時には流石の甘寧も内心肝を冷やしたが、周りの反応が何時もの事だと雄弁に語っていたため、すぐさま冷静さを取り戻す事が出来たので問題は無かった。

 

ただ、己の主君(孫権)とは正反対の性格をしていた当主(孫策)の存在に大いに動揺させられ、またそれを微笑を浮かべられながら見抜かれた時には、顔から火を噴きそうになった事がくらい唯一の不覚であろう。

 

宿将である黄蓋や、同じく長年呉に仕えている韓当に関しては、十分以上に尊敬に値する人物だと甘寧は思った。冷静を極めたかのような視線で自分を観察していた軍師の周喩には、若干の警戒心を覚えたが。

 

そんな事もありながら自己紹介を済ませた折、孫策を含めた数人の顔に一瞬だが厳しい表情が浮かんだのを甘寧は見逃さなかった。それはつまり、自分の存在が何か懸念を孕んでいると言う事に他ならない。そして甘寧はそれに確実と言える心当たりがあるのだから。

 

とうとう向かい合う時が来たか。覚悟を決め、その時が来るのを今か今かと待ち構えた甘寧であったが、その直後に盛大な空振りをする事となった。

 

いなかったのだ、その場に。心当たりが……いや、凌統が。

 

それを聞かされた時、一瞬言葉を失った自分を誰が責められるだろう。聞けば凌統は本隊と別行動を取り、今目の前に見えている出城に拠点を設営する任を先日から負っていたのだという。ゆえに自己紹介の場にはいなかった。何も難しくは無い簡単な話だが、機を外され盛大に空回りした所為か甘寧は余計に悶々とした時間を過ごす事となった。甘寧は理不尽だと分かりつつもこの時ばかりは凌統を少しばかり恨んだ。

 

そうして一夜が明け、事ここに至った次第である。今度こそ凌統と顔を合わせる事になる事は必至、ゆえに今一度覚悟を固めようとしてはいるのだが……いかんせん先日の空振りの反動が大きすぎた。拭い去ったはずの不安が湧き出し、それを自覚する度にいかんいかんと自分に言い聞かせる始末。情けなくてため息が出る、それの繰り返しが何度目にもなるため息の正体であった。

 

「ふぅ……」

 

またもや漏れるため息。それにいらつき、いっそのことそんな自分を殴ってやろうかと考えた矢先、甘寧の肩に背後から手が置かれた。咄嗟に振り返った先には、少し驚いた様な表情を浮かべた黄蓋の姿があった。

 

「……祭殿でしたか」

「うむ、そうじゃ」

「何か御用でも?」

 

思い当たる節は無いがとりあえずそう尋ねた甘寧に、黄蓋はうむと真面目な表情を浮かべる。それに気を引き締める甘寧だったが、

 

「うむ。とりあえずお主、その辛気臭いため息をどうにか出来ぬか」

 

次の瞬間には大きく脱力していた。

 

「はぁ、申し訳ありません」

「かーっ! その顔からして既に辛気臭いわ! もっとこう、生気溢れる若人らしい顔は出来んのか?」

「おっしゃっている意味が分かりませんが」

 

実際は分かっているが、甘寧の性格では孫策の様に振舞う事など出来る筈もない。当たり前だが、甘寧の答えに納得の言っていない様子の黄蓋がふんっと一つ鼻を鳴らす

 

「思春よ、そんな澄まし顔では男も寄り付かんぞ?」

「必要ありません。私の使命は男を誘う事ではなく、蓮華様の身をお守りする事です」

「真面目なやつめ。そんなでは肩が凝るじゃろうに」

「体調管理には常に気をつけていますので」

「う、ううむ。目眩がしそうなほどに真面目じゃな」

 

言って黄蓋がしかめ面をしながら腕を組む。なぜそこまで自分にこだわるのか。気に掛けてくれるのは嬉しい事だが、その方向性が合わないなと甘寧は内心で思った。

 

「まあよい。儂らと共に過ごしておれば、いずれ角も取れるじゃろうて」

「では、これからは一層気を引き締めて蓮華様の身をお守りいたします」

「はぁ……重症じゃなこれは。仕方がない、海苑と穏を招集して策を練るとしよう。ついでに策殿にも声を掛けて……」

 

ぶつぶつと何やら呟きながら黄蓋が立ち去るのを甘寧は見送る。結局何がしたかったのか甘寧にはよく分からなかったが、おかげで気を紛らわす事が出来たので構わないだろう。

 

幾分か落ち着きを取り戻し顔を上げてみれば、出城はすぐ目前にまで迫っている。そして出城の正門へと視線を向けてみれば、こちらに向かって歩いてくる人影が三つ。その中央に位置する人物へと目を向けた時、甘寧の心臓がドクンと跳ねた。

 

遠目からでも分かる、朱染の陣羽織。あの日あの時、甘寧が討ち取り、そして受け継がれているはずのそれを纏うのは、間違いなく――

 

「……凌統」

 

己の口から小さく漏れたその名前は、行軍の足音にかき消される事もなく、甘寧の耳にはやけに大きく聞こえた。

 

 

 

――夏口の戦いより一年と約半年。凌統と甘寧……因縁の二人が出会う時が、ついにやって来たのだった。




キリが良かったので今回は此処まで。
しかし話数二桁突入して未だに主人公とヒロインが再会しないってどういうことぞ……。
次話こそは、次話こそは必ず!
それでは、次回も宜しくお願いします。

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