真・恋姫†無双 ~凌統伝~   作:若輩侍

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なんと凌統伝の推薦を書いて下さった方がいたようで、偶然見つけてかなり驚いてます。自分の作品が評価してもらえるというのは嬉しいものですね。

そしてそこでも、ご指摘を貰う作者の更新の遅さよ。更新が遅い分は、内容の質で補えたらなと思います。

では、どうぞ。


第十四話

草木も眠るなんとやらとは、こんな時間を示すのだろう。辺りはとっぷりと夜の闇につかり、虫の音すら少なくなった頃合い。俺は四人の隠密と、そして今回の監視対象である甘寧と共に敵城の城壁前へと足を運んでいた。

 

理由は勿論、陽動作戦を行うために今から城内へと侵入するからである。

 

「……行くぞ」

 

短く一言そう告げた甘寧が端に鉤爪のついた縄を城壁の上へと放り投げ、俺と隠密達も順次それに続く。ガギッと鉄の爪が石造りの城壁に食い込む音が思いのほか大きく響くも見つかった様子は見受けられない。二度三度力を込めて外れないかを確認した後、俺達は縄伝いに城壁を登って無事城内へ侵入を果たす。

 

城壁上の黄巾達は殆どが城門での戦闘に気を取られているのか、見回した限り人影は見当たらない。周囲を警戒をしながら鉤爪を回収していると、こちらをじっと見つめる甘寧の視線に気がつく。

 

「どうした?」

「……」

 

案の定、甘寧からの返答は無い。だが甘寧は未だにこちらを見つめている。もしかして今の俺の服装が気になるのだろうか。

 

いつもの軽鎧に陣羽織ではなく、今の俺は闇夜に紛れやすいよう全身黒装束の装いをしている。顔も目もと以外は覆面と額当てに隠れて殆ど見えていない。夜ならともかく日中でこの姿を晒せば即座に通報されること間違いなしの服装だ。

 

とは言え、これはウチの隠密隊の正装だ。むしろ今この時、何時も通りの格好をしている甘寧の方がこの中では逆に浮いている。どうやら元々動きやすい格好ゆえに着替える必要が無かったらしい。実際、城壁を登る際も軽い身のこなしで難なく登り切っていた。

 

まあ察するに『派手な陣羽織を羽織って戦鎚を振り回してるはずの男が、よもやこんな地味な姿で同伴する事になるとは――』などとでも思っているんだろう。それとも単に似合わないとでも思われているのか……どちらにしろ余計なお世話だと言いたい。

 

「行くぞ」

「……おう」

 

回収し纏めた鉤爪縄を腰に吊るし、俺は甘寧の素っ気ない指示に従い後に続く。城壁を下り、警戒を厳に注意深く気配を探りながら路地から路地へと目的地に向けて移動を続けていると、通りを巡回中の黄巾兵二人を発見する。黄巾兵達は俺達が潜む路地の方へとゆっくり近づいてくるが、まだ俺達の存在には気づいていない様だ。

 

息を潜めて気配を殺し、じっと黄巾兵が通り過ぎるのを待つ。足音が近づき、そしてそれが路地の前を通り過ぎた瞬間、俺は素早く路地から飛び出し二人組の内の一人の首へと背後から手を回す。

 

「ふんっ」

「ぎっぃ……」

 

驚愕の声を上げさせる間もなく、その首を真横に思い切り捻り、へし折る。手の中の黄巾兵の体から力が抜けるのと同時に隣りからも男の苦悶の声が上がる。見ればもう一人の黄巾兵が首から鮮血を吹き出して地面に倒れ伏していた。その傍には返り血一つ浴びずに佇む甘寧の姿がある。喉笛を一閃とは……まったくもって、見事な手際の良さだ。

 

「他愛も無い」

 

そう独り言ち、剣を鞘にしまう甘寧の姿は随分と様になっている。しかし俺としてはその後ろでせっせと死体を物影に引っ張り込んでいる隠密達を手伝ってやれと言いたい。ちなみに俺は既に自分の手で死体を路地の方へと放り込んであるので問題無し。

 

見張りを手早く始末し終え移動を再開する。一応、黄巾党も最低限の警備網の構築はしているようで、一区画ごとに数人の見回りが巡回をしていた。とは言え、その殆どが談笑をしていたり、酷い奴らは座り込んで居眠りをしていたりで、役に立っていない奴らが多い。真面目に警戒をしていたのは最初に始末した二人を含めてほんの数組だけ。おかげで余計な手間が省けて済んだが……やはり所詮は烏合の衆という事か。

 

ざるな警備網に内心呆れかえりながら、それでも油断はせず見張りの目に止まらぬよう物影から物影へと素早く移動する事を繰り返して、ようやく予定の地点へと到着する。現在地は目標地点の蔵から南側に通りを二本ほど挟んだ路地だ。僅かに顔を覗かせ周囲を探る。

 

ここからすぐ目の前の一本目の通りに見張りが二人、その先の二本目にはここからでは見張りは見当たらず。流石に蔵は見えないが見通しは良く、その横に位置している兵舎が遠目に見て取れる。まさにあの見取り図の通りだ。

 

「よし、予定通り二人一組になって分かれる。お前たちはここから迂回してそれぞれ別方面に回れ。合図は銅鑼の音が三回だ」

 

甘寧の言葉に隠密達は音も無く俺達の背後から消え去り、俺と甘寧の二人のみが路地に残される。彼らは彼らでまた別の場所から黄巾党に対して陽動を仕掛けてもらうのだ。ただでさえ少ない戦力を分散してしまう訳だが、もとより総数六人の戦力とも言えないような数だ。さほど問題にはならない。それに俺達の目的は陽動であって戦闘をすることじゃあない。どんな方法であれ、要は敵の目を引き付けられればそれでいいのだ。

 

「凌統、私から貴様に出す指示はない。好きに動くといい」

「随分と適当だな」

「ならば、私が貴様に盾になれと言えばそう動くのか?」

「ああ」

 

皮肉交じりの甘寧の言葉に俺はあっさりと答える。あまりに予想外の反応だったのか甘寧は呆気にとられた表情浮かべる。そしてそれを見計らったかのように、遠く城門付近から一回目の銅鑼の音と兵士達の雄叫びの声が聞こえてきた。

 

「作戦開始か。合図まで残り二回」

 

呟きながら、いつでも動けるようにと身構える。城門での戦闘に対応するためか兵舎からは武装した黄巾兵が姿を見せ、各々弓と松明を手に次々と城門に向かって行く。雪蓮様達は随分派手に攻め入っているのか、黄巾兵達が集結するのも合わせて城門方面の空が松明の火でぼんやりと赤く染まっている。確かに囮として敵の目を引き付けるには十分だが、あれだけ明るくしては城壁上からの弓の狙撃が厄介だろうに……。

 

まあ、その辺りは祭さんの部隊が対応する心算なのだろう。今、二回目の銅鑼の音が鳴った。間もなく俺達に先行して明命達が動き出すだろう。目と鼻の先まで明命達が来る事になる訳だが、残念ながら顔を合わす事はない。

 

兵舎からの人の流れが先程よりも弱くなる。兵舎で待機していた兵の殆どが城門への加勢へと向かった様だ。本丸が近いためか流石に全員出払う心算は無い様だが、これで火計に対する即応は十分難しくなった。仕掛けるのならば今――。

 

そんな俺の心を読んだかの様に、三回目の銅鑼の音がより一層強く響き渡る。隣りから漏れる殺気に目をやれば、目を細めた甘寧がその手を腰の剣に添えている。先程の呆気顔はどこへやら、甘寧は既に臨戦態勢を取っていた。

 

「……」

「さて、やりますか」

 

無言の甘寧を相手にそう呟き、俺も腰の戦鎚に手をやる。それを横目で確認した甘寧が静かに鞘から剣を引き抜く。次の瞬間、ぐっと足を踏み込んだ甘寧が前傾姿勢のまま兵舎に向かって飛び出した。地を滑る様に一本目の通りまで走り抜け、あっという間に松明を手にしていた一人の黄巾兵に近づくと剣を一閃。ドチャリと湿っぽい音と共に、黄巾兵の首から上が地に落ちる。

 

血飛沫が吹きあがる光景を横目に見ながら、甘寧に気付いた黄巾兵が声を上げる前に、既にその眼前まで肉迫していた俺も戦鎚を一振り。鉄の塊は鈍い手ごたえを残して黄巾兵の頭蓋を砕き血と脳漿をぶちまける。

 

まずは一本目の通りを越えた。

 

「ん、今何か音が……っ!? て、敵しゅ――」

 

二本目の通りは、どうやら見張りが建物の死角に隠れていたらしい。異変に気付きこちらへ顔を覗かせた瞬間、血と松明に照らされた甘寧の剣が赤く閃き彼の首が宙に舞う。幸いにして見張りの数は一人。俺は先行して二本目の通りを駆け抜け、一つ遅れて甘寧が続く。

 

そして二本目の通りを越える。

 

「敵だ、敵が攻めてきたぞ! 城内に侵入者だ!」

「敵襲! 敵襲ー!」

 

しかし流石に正面から攻め込んだ以上、ここまでくれば馬鹿でも気付く。というか気付かない方がおかしい。仲間が殺されたのを見て、兵舎前にいた黄巾兵達が口々に襲撃の報を口に叫ぶ。俺はそんな黄巾兵達を無視すると近くに立つ松明を片っ端から家屋へ向けて蹴倒し始める。

 

蔵が近いこの辺りが燃えれば、必然蔵にも火の手が回る。と言っても、この程度の火付けでは嫌がらせ程度にしかならないだろう。確かに木はよく燃えるが、紙の様に燃えやすい訳ではない。

 

だが、それでも相手の気を引くのには十分だ。

 

「こいつら火ぃ付け始めたぞ!」

「さっさと殺して火を消せ!」

「早く水もってこい! 城が燃えちまう!」

 

松明が倒れた所から少しずつ火の手が回り始める光景に黄巾兵達が声を上げて慌て始めた。本丸や周囲の巡回についていた者もこの騒ぎを聞きつけたのか、結構な数の黄巾兵が通り一帯に集まり始める。これだけの数を引っ張っていけば陽動としては十分だろう。むしろ俺達の方が危険に瀕している気がするが……まあ、これが任務だ。仕方がない。

 

頃合いと見た俺達は視線で頷き合い踵を返して駆け出す。蔵とは反対方向に、道中目につく松明を倒しながら。

 

「逃がすなぁ! 追えぇぇぇぇ!」

「ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやる!」

 

逃走を図る俺達を黄巾兵が怨念にも等しい殺気をぶちまけながら追ってくる。良いぞ、それでいい。明命の仕事が終わるまで精々目の前の獲物に気を取られていてくれ。気づくのに遅れる分だけ、こちらの犠牲も少なくなる。

 

ここまでは万事予定通りに事が進んでいる。にしても俺達を追ってくる黄巾兵の数が多い気がするんだが……というか明らかに多いだろう。あれはどう見ても二人相手に差し向けられる数じゃない。

 

どうやら予想以上に陽動作戦は効果を上げてしまった様だ。事前に頭に叩き込んでおいた城内の見取り図を元に、大人数では通り抜けられない様な狭い路地を駆け抜け、あるいは無人となった家屋の裏口を利用し、時には邪魔な壁を鉄鎚でぶち抜き、文字通り逃走経路をその場で確保しながら追手を出来得る限り翻弄する様に走る。

 

黄巾兵達はそんな俺達を意地でも捕まえる腹積もりなのか、どうやら人手を分けて追い囲む作戦に出た様だ。さっきから周囲に追手の声が鳴り止まないでいる。俺達は一度息を整えるためにも、追手に比較的見つかりにくいだろう狭い裏路地へ再び駆け込んだ。

 

「やれやれ、血気盛んな事で……」

「私にとっては好都合だがな」

「あんたの護衛が任務の俺にとっては不都合極まりないんだけどな」

 

澄まし顔でのたまう甘寧と蔵の守備を忘れて俺達を捜す黄巾兵の叫びに辟易しながら、俺は横で息を整える甘寧に目を向ける。黄巾兵を斬り捨てた時に浴びたのか、服や顔には多少の返り血が付着している。俺の視線に気づいた甘寧が怪訝な表情を浮かべた。

 

「なんだ、私の顔に何か付いているか」

「返り血がな。まあ、戻ったらすぐに洗った方が良いんじゃないか」

 

俺の言葉に甘寧はちらと視線を自身の服に向ける。かく言う俺も黄巾兵の頭蓋を砕いたあの時にそれなりに返り血を浴びているが、元が真っ黒な装束なので血の色は殆ど目立たない上に普及品ゆえ代えもきく。流石に血特有の鉄錆び臭さまではどうにもならないが、俺にとっては血の臭いなど今更だ。

 

「……覚えておく」

「そうしてくれ」

 

一瞬考え込むような間があったが、やはり返って来たのは相変わらずのぶっきらぼうな返事だった。

 

「捜せ! まだこの辺りのどこかにいるはずだ!」

「っと、もう回り込まれたか。早いな」

 

近くから聞こえた黄巾兵の声に路地から少し顔を覗かせる。通りには十数人の黄巾兵が陣取ってぎらついた目をして辺りを見回し、更に数十人が手分けして家探しする勢いで家屋の中を覗きこんでいる。どうやら完全に周囲を囲まれてしまったらしい。

 

「いくら烏合の集まりでも、巣の形くらいは覚えているものだろう」

「違いない。しかしまあ、面倒な事になった」

 

誰にでも無く愚痴りながら一つため息をつく。先程顔を覗かせた時に気付いたが、俺達を追う黄巾兵の中に弓兵達が少なからず混ざっていた。この状況からの脱出に屋根伝いに走ろうかなどと考えていたのだが、今屋根に登ろうものなら黄巾兵に見つかった挙句、弓兵達の良い的になるだけだろう。屋根を伝えば弓兵の的、さりとて地面には怒り狂った黄巾党の集団。

 

どうあっても戦闘は避けられない状況だが……さて、どうしたものか。

 

「おい! 蔵の方にも敵だ! 蔵が燃やされてるぞ! 奴ら兵糧を焼き払う気だ!」

「という事は、こっちは囮か!?」

 

まったく、考える暇も無しか。予定より少し早いが、どうやら俺達が陽動である事に黄巾兵達が気付いたらしい。異変に気付き、追手の半数が踵を返して蔵の方面へと駆け出して行く。大方、蔵の消火に援軍として向かったんだろうけど――。

 

「もう既に手遅れだったりするんだよなぁ」

 

俺の呟きに応えるかの様に、通りの黄巾兵達が俄かに騒がしくなった。

 

「マズイ、本丸にも火の手が上がってるぞ!」

「張角様達が危ない!」

「武器庫でも火事だ!」

「こっちの消火手伝え!」

「くそっ、一体何がどうなってやがんだよぉ!」

 

少し手間取ったみたいだが、どうやら隠密達の方も無事任務を果たせたようだ。次々と起こる重要箇所への火計に黄巾党は混乱を越えて恐慌状態へと陥り始めている。これでは纏まった連携も取れず、消火作業は到底間に合わないだろう。それどころか城門で奮戦しているだろう防衛部隊にさえ影響が出るに違いない。

 

あと数刻でこの城は火の海に沈む。兵糧庫だけじゃなく、この出城自体が城としての機能を完全に失うだろう。そうなれば黄巾党は城外への脱出を余儀なくされる。その脱出経路は、この城に一つだけしか存在しない正面の城門以外にあり得ない。そしてそこには囮として動いていたこの策の大本命、呉王孫策率いる精兵揃いの呉の本隊が待ち構えている。

 

前門の英雄、後門の大火とでも言うべきか。この戦い、もはや黄巾党の敗北は確定となった。あとは俺達が無事城外へと脱出すれば、それで陽動部隊の任務は成功だ。ちなみに甘寧の護衛という俺の任務も無事達成となる。そのためにも、この窮地をどうにかして切り抜けないといけない。

 

数が減ったとはいえ、退路である城壁方面への通りには依然退却を阻む黄巾兵の壁が存在している。恐慌状態の奴らを相手に不覚を取るはずもないが、しかし時間を掛ければ火にまかれてしまう。そうなれば俺も甘寧も黄巾党と一緒にお陀仏必至だ。幸いにして、ここから城壁までの距離はそう遠くない。

 

となれば、多少の危険を覚悟の上で脱出口まで突貫するのも一つの手だ。さっきは断念したが、そうなるとやはり屋根伝いに走り抜けるのが一番手っ取り早い。問題は弓兵からの狙撃だが、それは最悪、俺が体を張れば何とかなるだろう。

 

顔に吹きつける熱風に若干の息苦しさと残る時間の少なさを感じながら、俺はその考えを隣りで警戒をしている甘寧に告げる。

 

「甘寧、屋根伝いに城壁まで走り抜けるぞ。ここも直に火に飲まれる」

「……奴らの相手をしている時間は無いか」

 

火の手が迫る方角へと目を向けた甘寧がぽつりと呟く。俺が逃げる道中に仕掛けた嫌がらせもとい道中松明蹴倒し作戦が不幸にも絶大な効果を発揮してしまったようで、俺達が逃げてきた方面は既に火の海に没している。本来なら未だ後方にあるはずだった火の手が脱出までの時間を急かされる程にここまで迫ってしまったのもこれが最大の原因だ。

 

まさか自分の蒔いた種もとい火種によって尻を炙られる事態になるとは……凌公積、一生の不覚である。

 

「これも一つの経験か」

「随分と気楽なものだな」

 

まあ、過ぎた事を何時まで悔やんでてもしょうがない。今はここから脱出する事に専念するべきだろう。俺は片膝立ちに姿勢を取り、掌を上にして手を組む。

 

「踏み台をする、先に飛んでくれ」

「礼は言わんぞ」

「さいですか……よっと」

 

遠慮無く片足を乗せてきた甘寧を勢い良く下から持ち上げる。腕を上げきった直後に甘寧は飛びあがり、無事に屋根上へと着地した。続いて俺も自身の跳躍力でもって飛び上がり、屋根の淵へと両手を掛ける。そのまま壁を両足で強く蹴り、倒立する要領でくるっと体を放り上げ反転して屋根の上へと着地する。

 

「腰のそれは重しにすらならないか。非常識な奴だ」

「そりゃどうも」

 

褒めていない、と雄弁に物語る甘寧の冷めた視線が突き刺さる。しかしまあ、長く鉄鎚を振るってきた俺からすれば鉄鎚を含めての体重の方が最早基本の様なものだ。試合の時にも言ったがむしろ鉄鎚が無い時の方が体が軽くて違和感を感じるくらいなのだから。

 

「いたぞ! 奴ら屋根の上だ! 屋根の上にいるぞ!」

「矢ぁ持ってこい! 纏めて射殺せ!」

 

屋根の上に昇った俺達に気付いた黄巾兵の一人が声を上げた。周囲を探索していた黄巾兵達が一様に視線を上に向け、殺意にぎらつくその視線が俺と甘寧に集中する。それを肌で感じた瞬間――。

 

「走れ!」

 

叫び、俺達が走り出した一瞬遅れてどこからか矢が飛来した。瞬き一つ分前に立っていた場所に数本の矢が突き刺さる音を背中越しに聞く。それでは終わらず、俺達を追い掛けながら放たれた矢が、また前から迎え撃とうと放たれた矢が、屋根を駆けまた路地を飛び越える俺達目掛けて降り注ぐ。

 

精度はお世辞にも良いとは言えない。それでも下手な弓矢も数を放てばどれかは当たる。一度足を止めれば確実に捉えられてしまうのは明白だろう。ゆえに時たま軋みを上げる不安定な足場に不安を覚えながらも、決して速度を緩めることなく俺と甘寧は疾駆する。

 

そんな俺達の決死の逃走をあざ笑うかのように、俺の前を走る甘寧の首巻きを一本の矢が掠めた。甘寧の顔を隠していた首巻きが大きく裂け、向かい風に煽られたそれが空へと舞う。動揺からか体勢を崩し、一瞬露わになる甘寧の首筋に薄く血が滲んでいた。

 

「足を止めるな、死ぬぞ!」

 

俺の親父がそうであったように、人間首から上を射抜かれればどうであろうと即死は免れない。今さっきの一矢、放ち手が外したのかそれとも首巻きの所為で矢の軌道が狂ったのかは分からない。もしかしたら単なる流れ矢だったかもしれない。

 

しかしその一矢が、この状況下においてはこの上なく最悪の一矢だった。

 

「鬱陶しい!」

 

体勢を立て直しながら抜剣した甘寧が声を荒げて剣を振るう。迫る矢の軌道に重ねて寸分違わず振るわれたそれは飛来する幾本の矢を確実に打ち払った。俺との戦いでも見せた甘寧の素晴らしい目の良さ前には、視界に入る限りどんな達人の狙撃であっても脅威にはならないのかもしれない。

 

今一度訪れた危機的状況を甘寧は見事退けた。だがその代わりに今度こそ甘寧の足が完全に止まる。目の端に今にも矢を放とうとする数多の黄巾兵が映る。目前には失策を悟ったらしい甘寧の横顔。そこまで状況を把握した所で、俺は腰の留め具を外すと同時に弾ける様にして加速した。瞬時に甘寧の姿が視界一杯に迫る。

 

「がふっ!」

 

次の瞬間、俺の耳元で決して年頃の少女が出してはいけないと思わしき苦悶が甘寧の口から漏れた。俺の突き上げる様な横からの体当たりに軽量な甘寧の体が宙に浮く。もしかしたら肋骨が何本が逝ったかもしれないが、今は気にせずそのまま勢いに任せて甘寧を肩へと担ぎ上げる。直後、甘寧のいた場所へ放たれた全ての矢は、しかし俺が駆け抜けた後へと空しく突き刺さる。

 

「き、貴様、何を……っ!」

「こうしてなきゃ、今頃あんたは針鼠だ。まったく目が良過ぎるのも考えものだな」

「余計なっ、お世話だっ」

「その余計なお世話が俺の任務でね。とりあえず、あんたの剣を借りるぞ」

 

相変わらずの矢の雨の中、更に面倒な事に俺達と同じく屋根によじ登り前方に現われた三人の黄巾党に、俺は体当たりで体が一時的に麻痺しながらも剣を握りしめて離さなかった甘寧の手から剣を強引にもぎ取る。自分の得物ではなくわざわざ他人の得物を借りた事に甘寧が疑問を口にする。

 

「凌統、貴様は、あの鉄鎚は、どうした?」

「……流石の俺もアレとあんたを抱えて走るのはキツイんでね」

「なっ!?」

 

甘寧が驚愕の声を上げ絶句した。さっきの一言であの時に俺が鉄鎚を放棄してきた事に気づいたんだろう。無論その理由も合わせて。頭を背中側に担いでいるおかげで今の甘寧の表情が俺から見えない事は、俺にとっても甘寧にとっても僥倖だろう。

 

「くっ、私を下ろせ! 貴様の荷物に、なる心算は、ない!」

「まだ完全には息が戻ってないだろ。いいから暴れずじっとしててくれ」

 

甘寧から呻き声が漏れるくらいに担ぐ左腕に力を込めて拘束を強くし、右手で甘寧の曲刀を構えながら俺は進路を遮る黄巾兵達に突進する。一般のそれよりは肉厚とは言え、最早後方に落してきた双鎚よりは遥かに軽いそれを最速で閃かせ、振り下ろされた三本の凶刃を軽くいなす。そして正面の邪魔な一人だけを体当たりで吹っ飛ばすと、その勢いのまま俺は甘寧を抱えて跳躍。路地に背中から落ちていく黄巾兵の悲鳴を聞きながら、城壁までの最後の路地を危なっかしくも飛び越える。

 

その時カシャンと小さな音が足元で鳴った。まさか着地した屋根が二人分の重さに耐えきれなかったのかと一瞬焦るがそんな事は無く、直後に着地の瞬間に甘寧の口から漏れた女性としてかなり頂けない悲鳴がそれをかき消す。俺の肩が甘寧の腹に食い込んだ事以外に特に問題が起こった様子は無く、俺は安堵してつい本音をポロっと漏らす。

 

「年頃の女がさっきの悲鳴はちょっとどうかと思うんだが」

「だ、誰のせいだと」

「よし、恨み事を言える内は大丈夫だ」

「貴様……後で覚えていろ」

 

言い出しておいてあからさまに話を逸らした俺に甘寧がぼそりと呟く。家から家へ飛び移りながら味方の殺気を背後から零距離で当てられるというのはなかなか体験できない事だろう。というか初めての体験な訳だが、正直二度と体験したくない事であるのは把握した。落ち着かなくて思わず足元が狂いそうだ。

 

そうして変な冷や汗をかきながらも黄巾兵の追跡を何とか振り切り、俺達はようやく脱出口である城壁にたどり着いた。

 




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