真・恋姫†無双 ~凌統伝~   作:若輩侍

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黄巾党編終わったどー!

では、どうぞ。


第十五話

「ここまでくればもう大丈夫だな、下ろすぞ」

 

辺りに追手の姿が見えないのを確認し、俺は甘寧の腰に回していた左腕を解いて甘寧を肩から下ろす。担がれた状態で激しく揺さぶられたせいか、甘寧は少しふらつきながら城壁に寄りかかるとそのままずるずると座り込む。そして俯き加減にぽつりと小さく呟いた。

 

「……助けろなどと頼んだ覚えはない」

「俺も頼まれた覚えはないよ。俺が勝手にやった事だ。ほら、あんたの剣」

 

疲れた顔をしている甘寧に俺は借りていた剣を差し出す。乱れた服装を整えつつ、冷たい視線を向けてくる甘寧は半ばひったくる様にして剣を受け取ると、一通り刀身を確認した後に鞘へと納める。

 

「勝手に借りて悪かったな。一応、刃毀れには気を付けたつもりだ」

「……身軽な上に器用とまで来たか。つくづく非常識な奴だ」

「よく言われるけどな、怪力だから不器用だってのは偏見だ」

 

甘寧の憎まれ口に真顔で答え、俺も甘寧と同じ様に城壁に凭れかかる。侵入した時と同じく見張りの姿は見当たらない。最も、城内外であれだけ騒ぎが起こっているのだから誰もこんな城壁の端っこにまで手を回す余裕はないだろう。

 

ともすれば任務も終わったのだし、少し休んで体力を回復したら迷わずさっさと脱出しよう。そう思い、侵入した時に使った鉤爪縄を用意しようと腰に手をやり、そこで俺は気が付いた。

 

最初に侵入した後、確かに回収し〝腰帯〟に纏めて引っ掛けていたはずの鉤爪縄が、跡形も無く消えている事に――。

 

「あ……」

 

無意識に口から声が漏れた。特に意味もなさないそれは、だが今の俺の心境を一番に表していたに違いない。なかなか洒落にならない事態に、俺はがっくりと頭を落ち込ませる。甘寧が訝しげな視線を向けてくるが……ふっ、笑いたければ笑うがいい。そうとも、鉄鎚を吊るしていた腰帯には鉤爪縄も一緒に吊るしてあった。そして俺は、その腰帯を仕方が無かったとは言え外して落としてきた。ゆえに鉤爪縄がここに無いのも至極当然の結果であり、つまり俺が脱出用具を失う羽目になった責任の半分はあんたにあるのだよ甘寧ぃぃぃぃぃ!!

 

などと、自分の不注意を棚上げに心中で甘寧を罵りつつ、いやまてしばしと俺は荒ぶる自分に言い聞かせる。確かに俺は脱出用具を失った。だが周囲に敵の姿は無く、火の勢いも届かないこの場所ならば、何も急いで脱出する必要など無いのではないか。

 

そうとも脱出するのは二人だが、脱出に必要な道具は最低一つで十分なのだ。何を慌てる必要がある。落ち着け浩牙、冷静になれ。気を取り直して悶絶から立ち直り、俺は務めて冷静な表情を顔に張り付け甘寧の方へと向き直る。

 

「あー、こほん。甘寧――」

 

ちょっといいか、と続けようとした所で、俺もまた甘寧の異変に気がつく。先程まで怪訝な表情を浮かべていた甘寧が何故かあたふたと自分の体を見回し、せわしなく手を動かして全身を弄り、果てに背中を確認しようと体を左右に捻ったかと思えば、その場でぴょんぴょんと跳ねたりしていた。その光景に今度は俺が訝しげな視線を送っていると、俄かに静かになった甘寧が顔を俯かせ一言ぼそりと呟く。

 

「……無い」

 

今一番聞きたくない言葉を口にされ、ピキリッと張りつけた表情にひびが入る。だが一体何が無くなったというのか。前髪に隠れて表情の伺い知れない甘寧に俺は恐る恐る問いかける。

 

「な、何がだ?」

 

出来れば返ってくる言葉は三文字以上が良い。略さずに言うなら七文字以上を推奨だ。最初の一文字が「な」や「か」で無い事を切に願う。しかしそんな俺の願いも空しく、果たして返って来たのは案の定最悪の答えと言える言葉だった。

 

「……縄だ」

「……」

「……縄が無い」

「……なぜ?」

「……」

「……」

 

お互い会話が続かない。この気まずい沈黙をどうすればいいのか、誰か教えてくれないだろうか。というか、自分で落とした俺はともかくとして、何故甘寧まで縄を無くしているのだろう。正直、思い当たる節が見当たらないが……いや、一つだけある。それもついさっき。最後の路地を飛び越えた時、足元で聞こえた小さな金属音が――。

 

「あの時か……」

 

紛失の経緯に思い当たり、深くため息を吐いた俺は自分の犯した失態に天を仰ぐ。恐らくだが、俺が甘寧を抱えて飛んだあの時、腰に強く手を回した拍子に運悪く縄を纏めていた留め具が外れてしまったのだろう。チカチカと瞬く星がまるで俺をあざ笑っている様に見えるのは、きっと落ち込んだ気のせいだと思いたい。

 

「どうする、戻って回収を試みるか?」

「いや、どうせ戻った所で見つかる可能性は低い。それにあの場所は既に火の海だ。よしんば見つけられたとしても、たぶん使い物にはならない」

 

鉄製の鉤爪の部分はともかく、肝心の縄の部分が燃え尽きて跡形も残っていないだろう。代わりをその辺りの家屋から拝借するにしても、長い事ここを本拠にしていた黄巾党が使える物資を放置している訳も無し。仮に回収し忘れがあったとしても、城壁を下りるに必要な長さがあるとは思えない。精々前の住人が荷を縛るのに使うくらいの長さだろう。

 

縄無しでこの城壁を下るのも手だが、この暗闇の中でそれをするのは自殺行為に等しい。一つ手足を滑らせれば、奈落の底に真っ逆さま。朝には真っ赤な花が地面に咲いている、なんて事態になりかねない。

 

結論、現状での脱出は不可。いやはや、こりゃ帰ったら明命達に顔向けできないなぁ。というか、雪蓮様達に大笑いされそうだ。冥琳様には……たぶん呆れられるだろう。帰還してからの事を想像して、少しへこむ。

 

「くっ、何か方法は……凌統、貴様何を呑気に座っている。貴様も何か方法を考えろ!」

「いや、考えた結果、俺は悪あがきを止めて体力を温存するに決めた。あんたも休むといい、慣れない任務で結構消耗してるだろ?」

「なっ……」

 

というのは、まあぶっちゃけ建前である。しかし何をしようにも出来ないのだから、じたばたして無駄に体力を消耗するのは頂けないと俺は思うのだ。折角、俺達は城の隅っこにいて敵も火の手も来ないのだし。ならばこのまま戦が終結するまで大人しく待機し、戦が終わった後の戦後処理に力を注ぎ込めばいい。もともと今回の任務である陽動作戦は既に達成したのだから、今戻ったところで俺達には特にする事は無い。

 

いや、正確に言えばあるにはあるが、それも後方待機となっている蓮華様率いる各部隊に参加し、討ち漏らした黄巾兵の追撃の指揮を執る程度の役目でしかない。正直その辺りは各方面に布陣している諸侯達に任せてもいいくらいなので、どちらにしろあまり重要ではない。

 

今はまだ規模の小さい孫策軍にとって少しの疲弊でも下手を打てば命取りとなる。疲弊の大きい殲滅戦を仕掛けるなど無謀の極みだ。既に城破りの第一功は孫策軍が手にしたのだから、これ以上の欲をかく必要は俺達には全く無いのである。

 

ゆえに戦が終わった後、戦を終えて疲弊した将兵達に代わり温存した体力を使って戦後の撤収作業などを引き受けた方が軍全体に対して効果的だと思うのだが、どうやら根っこからの生真面目武人な甘寧からすれば、それはどうにも我慢ならない様で。現に先程から城壁に寄りかかって休息する俺を、甘寧は憤怒の表情を浮かべ上から見下ろしている。

 

女性があまり眉間に皺を寄せるのも、頂けない事だと俺は思うのです。

 

「貴様、ふざけるのもいい加減に――」

 

しろと、続けようとした甘寧の言葉を遮るかの様に、連続して鳴らされる銅鑼と太鼓の音が本隊の方から響き渡った。戦場に赴く戦士達を鼓舞する強く猛々しいそれは、孫策軍の全軍突撃の合図である。逆巻く火炎に尻を炙られ、とうとう城門を解放し脱出を図ろうとする黄巾党に本隊が最後の引導を渡しに行くのだろう。今頃は血化粧で真っ赤に染まった雪蓮様の姿が容易に想像できるというものだ。

 

「くそっ、間に合わなかった!」

「もとから俺達が帰還しなくても支障の無い布陣を敷いているんだ、何も問題は無いさ」

「貴様はッ……今あの場所では、我らの同胞が命を賭して戦っている! それを――」

「それが彼らの役目だ。俺達は俺達で、与えられた役目を果たした結果ここにいる。まあ、確かに陣まで帰還出来なくなったのは俺達の落ち度だけど、あの場にいない事に関しては何もやましい事は無い。それでもあんたが焦るのは、軍議の時に冥琳様が言ってた事を気にしているからか?」

 

甘寧が信用に足る人物かどうか、今回の任務はそれを見極めるためのものでもあるとは軍議における冥琳様の言である。だが俺からすれば既に甘寧は呉に深く忠誠誓っていると見えるし、少なくとも蓮華様からは全幅の信頼を寄せられている。当主である雪蓮様も認めていると言ったのだから、甘寧もそんなに不安がる必要は無いと思うのだ。

 

それでもやはり、甘寧自身がそれを信じられるだけの結果が欲しいのだろう。その姿勢だけで最早十分だと思うが、そこは蓮華様に劣らずの真面目さなのか。

 

「与えられた任務は完遂したんだ。なのに何故そこまで焦る」

「代々仕えてきた貴様と違って、所詮私は他所者だ。己の力を認めて貰うには、求められる以上の結果を出さなければ意味が無い!」

「それはあんた一人の考えだ。冥琳様は武功の差で人の扱いに差をつける様な人じゃない」

「そんな事、貴様に言われずとも分かっている! それでも私はッ!!」

 

 

蓮華様を守るだけの力があると証明するために――。

 

 

絞り出す様に甘寧が呟いたその一言に、一体どれだけの思いが込められているのか。きっと俺には計り知れないのだろう。それでもなお伝わってくる強い意志は、甘寧の本気具合を雄弁に物語っていた。

 

「……これ以上、貴様と話しても時間の無駄だ。貴様がここから動かないというのなら、私は一人で行く」

「正気か、甘寧」

「……」

 

俺の問い掛けに甘寧は答えない。しかしその視線は真っ直ぐ、孫策軍と黄巾党がぶつかり合う城門へと向けられている。

 

「乱戦真っ只中の敵陣へ単騎突入……そんなものは勇猛さでも何でも無い。ただの無策無謀、自分から死にに行くのと何も変わりはしない」

「最早貴様には関係の無い事だ。言ったはずだぞ、私は一人でも行くと」

「本当に、あんたの言う通り関係無いなら、どうぞご勝手にとでも言ってやりたいところなんだけどな」

 

俺はため息を吐きながら立ちあがり、ここから城門まで続く道を遮る様に甘寧の前へと回り込む。そのあからさまな行為に、甘寧がキッと殺気の籠った視線を俺へと向ける。

 

「貴様……」

「そう怖い顔をされてもな。言っただろ、余計なお世話が今回の俺の任務だと。あんたに死なれると、俺が色々と困るんだよ」

「貴様の事情など――」

「知った事じゃない、か? なら俺の方も、あんたの事情なんか知った事じゃないな」

 

明らかに感情を逆なでする俺の言葉に、先程納めたばかりの剣の柄に甘寧が手を掛ける。その瞳は今にも俺を斬り殺してやるとでも言わんばかりだ。しかしそれが出来ない事も十分に承知しているのか、冷ややかな色を湛えた瞳の中に、焦燥と不安の色もまた見て取れる。

 

「そこを……退け!」

「あんたのその直向きな忠義には敬服する。けどな、それは無理な相談だ。あんたは俺が行く事を認めない限りどうする事も出来ない。よもや本当に俺を斬り伏せて行く訳にもいかないだろう?」

 

もし仮に俺を斬り捨てないし半殺しにして、これまた仮に黄巾党を相手に大戦功を挙げた所で、所詮相手は賊徒の群れ。どう慮っても味方に剣を向けてまで討つべき手合いではないし、むしろその罪の方が遥かに重い。それは甘寧にとって決して望むところではないだろう。

 

「ここで戦が終わるのを待つ以外には、今出来る事など何も無い……あんたも、俺も」

「……」

「無言は了承の意と捉えるぞ?」

 

俺の問い掛けにギリッと歯ぎしりで応えた甘寧は、少しでも目を離そうものなら飛び出してしまいそうな空気を醸し出していた。そんな人物を相手に些かも警戒を解く事など出来る筈も無く、しかし戦が終わる事までそんな緊張状態を維持し続ける事など正直勘弁願いたい。

 

ゆえに俺はある一つの決断をし、そして一つ大きなため息を吐いた後、行動に出る。

 

「え……ぁ?」

 

一体何が起こったのか分からないと言いたげな、疑問の表情を甘寧が浮かべた。掠れた呻き声を漏らし、そして俺に凭れかかる様にして甘寧が膝から崩れ落ちる。呼吸すらままならない状態の甘寧の腹部には、俺の拳が深くめり込んでいた。

 

「悪いが、これ以上あんたの我がままにつきやってやるほど、俺はあんたに寛容じゃないんだ。少しの間、眠っててもらう」

「ふい、うち……ひきょう、な」

「流石に二度目だし、その不名誉は甘んじて受けてやるさ。だからしばらく寝てるといい。次に目が覚めた時には、全部終わってる」

「りょぅ、と……」

 

最後に恨みがましく俺の名を口にし、やがて甘寧が意識を手放す。腹部を強打され喋ることすら億劫な状態だったはずなのに、まったく恐ろしい執念だ。戦が終わり、甘寧が目を覚ました後、行く先の無くなったそれの矛先は、きっと俺に向かってくるのだろう。

 

「はぁ、結局こんな役回りか。恨みますよ冥琳様」

 

ぼやきながらも気絶する甘寧を静かに横たえ、俺も少し離れて甘寧の隣りに腰を下ろし、軽装に身を包む甘寧の体温が夜風に奪われないよう、纏っていた黒装束を脱ぎ甘寧の上に掛ける。対して厚い生地でもないが、無いよりは幾分増しのはずだ。

 

俺は若干肌寒くなった身を夜風から隠すため、城壁の縁沿いに深くもたれかかる。こんな状況を招いたのは俺の不注意が原因の一つでもあるが、それでもどうしてこなったと思わずにはいられない。しかしそれを愚痴ったところで、聞いてくれるのは足元にある冷たい石材と、頭上で相も変わらず瞬いている星くらいのものだ。当然返事も無ければ、慰めも無い。加えて陣に戻ってからの事を思えば、今回ばかりは本当に損な役回りを引き受けたとしか言い様がない。

 

身に感じる疲労感は心地良いものとは程遠い。これぞまさしく疲労、とでも言いたくなるくらいに、心身ともにずっしりと重くのしかかってくる。割合的には心が七割、身が三割と言ったところだろう。

 

「ぅぅ……蓮……華、様」

「はぁ……」

 

夢の中でも相変わらずな甘寧に、特に心的疲労に関しては全部お前の所為だと込めた一瞥をやって、俺は深くため息を吐く。気がつけば、先程までは辛うじて夜の帳が下りていたはずのこの辺りさえもが、広がった業火によって赤々と照らされていた。同じくして、火の勢いに煽られ舞い上がった白い何かが、はらはらと俺達の上に降り注ぐ。白と言うには煤けた色のそれらは、さっきまで出城を形作っていた様々のなれの果てだった。

 

「……」

 

無言で肩に積もったそれを手で軽く払う。しかし少しもすればまたすぐに積もり、結局俺は払い落とすのを諦めた。代わりに、甘寧に被せていた隠密服の端を肩の位置から鼻と口を覆うところにまで引き上げる。

 

「夜明け頃には城内一面、灰景色かね……」

 

まあ、火計を仕掛けた戦である以上、当然の結末だろう。朝日に照らされる、何もかもが燃やし尽くされた光景……黒と白の入り混じった情緒もへったくれも無い光景を想像し、少しだけ空しい気持ちになる。

 

黄巾党に奪われる以前は、ここも周囲一帯の治安を維持するために多くの兵達が駐留し、民草の生活の安全を担う役割を果たしていたはずだ。それが今となっては賊徒の本拠地として使われ、そうなってしまったがゆえに俺達によって火計を仕掛けられ、そして最後に諸侯の功名の場となりながら灰に還っていく。

 

平時であれば決してあり得ない事態、だがそれが起こってしまう……いや、起こせてしまうのが今の大陸の現状。もし誰かが俺達の仕掛けた火計が非道だと、後の結果を考えぬ下策だと非難するならば、俺達は声を揃えて言うだろう。

 

ならばこれ以外にどんな方法があったのか、と。

 

正面から正々堂々押し切ればよかったなどと言わないで欲しい。その結果死ぬのはその役割を担う兵達、ひいては守るべき民達だ。今回の火計にしても、祭さんたちと一緒に囮となり、そして雪蓮様と共に突撃した兵達の中には、確実に死者が出る事だろう。それでも袁紹軍が取っていた様な正面からのごり押しに比べれば、被害が少ないのは確実なのだ。

 

まあ、過程はどうあれ、大陸中を騒がせたこの黄巾の乱はこれでようやく終結に向かう事だろう。しかし俺達が目指す目標、孫呉独立に向けての今後を考えれば、終戦の後に訪れるだろう一時の平穏にゆっくり浸る事は出来そうもない。

 

何が起こるのか、誰が起こすのか、その予想は立てられても内容までは分からない。だがこの大陸に渦巻く騒乱の渦が、このまま消えて無くなってしまう事だけは確実にありえない。なぜならその騒乱の一端に俺達が関係するのは明らかだから。

 

考える事はたくさんある。やがて勝利の鬨の声が響き渡るその時まで、俺は自分が言った休息を取る事も忘れ、ずっと考えを巡らせ続けた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「う……」

 

瞼の向こうに光を感じ、甘寧は小さく呻きながら寝台の上で体を起こす。見回せば、そこは自分に宛がわれた天幕の中。布で仕切られた向こうからは兵達の喧騒が聞こえ、天幕の僅かな隙間から差し込む光が、今の時間帯を明確に示している。

 

それを起きたばかりの頭が認識した瞬間、甘寧の意識は瞬時に覚醒した。

 

「今の時間は――うぐっ!」

 

寝台の上から飛び起きるも、腹部に痛みを覚え甘寧は顔を顰めて蹲る。しかしその痛みが、何故自分がこの様な状況にあるのかを思い出させた。そう、全ては自分に不意の一撃を入れてくれた、あの憎らしい男の所為である。

 

「くそ、凌統め……!」

 

痛む腹部を摩りながら立ちあがった甘寧は、ふらつく足取りで天幕を出る。途端、浴びせられる陽の光の眩しさに思わず手で光を遮る。そして何度か瞬きを繰り返し明るさに目を慣れさせると、目に映った光景に甘寧は言葉を失った。

 

そこには、陣の撤収に追われる兵達の姿があったから……。

 

「まさ、か……」

 

認めたくない現実に呆然と甘寧はその場に立ちすくむ。そう、認めたくはないが、認めるしかない。戦は、当の昔に終わってしまったのだ。自分が知らず、また名を馳せる事も出来ず、凌統の手によって情けなく昏倒していた、その間に。

 

「ふざけるな……ふざ、けるなっ……」

 

悔しさに、爪が掌に食い込むほど強く手を握りしめる。構わないのなら、今すぐこの場で叫び出してしまいたい。しかしそんな事をしても、兵達のいらぬ動揺を招くだけで何の得にもなりはしない。まして自分の心が晴れるでもない。本当にただの八つ当たりにしか過ぎない。

 

だが、それならば! このどうしようもない感情の矛先は、一体どこに向けろというのか。誰に向ければいいというのか!

 

如何ともしがたい感情のうねりに、甘寧は目の前が真っ赤に染まりそうだった。

 

「あ、目が覚めたんですかい姐さん!」

「っ!?」

 

悩むあまり視野が狭まっていたためか、いきなり声を掛けられた甘寧がビクッと体を震わせる。顔を上げ視線を向けた先には、江賊として戦ってきた時から甘寧に付き従っていた信頼できる部下の一人、鶯禁(おうきん)が心配そうな顔をして、甘寧の顔を覗きこんでいた。

 

「あ、あぁ。鶯禁か。どうした」

 

いかに感情の折り合いがついてないとはいえ、部下に情けない姿は晒せない。いつもの自分に見えるよう、精一杯取り繕った顔で応える。すると目の前の男は大げさに嬉しそうな表情を浮かべ、と思った次の瞬間には手で顔を覆いオイオイと大声を上げて泣き出してしまった。

 

「お、おい」

「うぉぉぉぉ! 良かった、姐さんが無事で本当に良かったぁぁぁ!!」

「わ、分かった。分かったから。大声で泣くのはよせ!」

「うおぉぉぉぉん!」

 

困惑してあたふたする甘寧をよそに、鶯禁は更に大声で泣き出す。その泣き声に釣られて、作業中であった甘寧隊の面々が甘寧と鶯禁を中心に続々と集まり始める。そしてその全員が喜びもしくは安堵、そして尊敬の眼差しを甘寧に向けている。なぜ自分にそんな目を向けるのか、甘寧には全く分からない。思い当たる節も無い。むしろ自分は気絶させられ寝ていたのだから、逆の対応をされる方が自然であるはずなのに。

 

目覚めてからの怒涛の状況の変化に、甘寧はすっかり思考が回らなくなっていた。

 

「お、おれたち、俺達! 改めて姐さんに惚れ直しやした! この命尽きるまで、これからも姐さんの手下として付いていく所存でありやす!」

「そ、そうなのか?」

「はい! 少ない供を連れ、身の危険も顧みず敵城に飛び込むその勇気! 俺達の、仲間のために敵の目を引き付けるため、ひいては作戦を成功させるために敢えて敵前に飛び出し、そして大立ち回りを演じたその強さ! 聞けば降り注ぐ矢の雨を難なく斬り捨て、敵に声を上げる暇すら与えず斬り伏せたとか。これで惚れ直さずしてどうしろっていうんですかい!」

「……」

 

そう言ってまくしたてる鶯禁に甘寧は口をポカンと開け再び言葉を失う。何がどうして、部下達にそんな話が広まっているのか。確かに甘寧は凌統を含めた少人数で城に侵入し、周泰の火計部隊から目を逸らさせるために敢えて敵に見つかり、仕方ない場面では何度か敵兵と交戦し、その中で飛んできた矢を弾き落とす事もあったが……なるほど、確かに鶯禁の言葉に何ら間違いは無い。

 

話が多分に美化され、いくつかの失態が伝わっていない事以外は。

 

「いやはや、姐さんがそんな活躍をしているとはつゆ知らず、後方待機で退屈していた俺達は恥ずかしい限りでさぁ!」

「そ、そうか。しかし、今回私が城に侵入する事はお前達には伝えていなかったはず。その話、一体誰に聞いた?」

「そりぁ、姐さんをここに運んできた凌統将軍にでさぁ」

「凌統に、だと?」

 

一瞬ぴくっと眉を動かした甘寧には気付かなかった様子で、鶯禁は笑いながら頷いた。

 

「へい。戦が終わって、精根尽き果てて気絶した姐さんを凌統将軍が担いできた時には、てっきり俺達の知らないところで姐さんが死んじまったのかと思って肝が冷えやしたがね。なんせ、荷物かなんかの様に肩に担いで来やしたからね、あの野郎ぉ……おっと、んんっ。でもまあ、凌統将軍から話を聞いて納得しやした。まったく姐さんも水臭い、どうせなら俺達にだって教えておいて欲しかったっすよ」

「……そうか。いや、済まなかった。お前達を信用していない訳ではないが、人の口に戸は立てられないという。少しでも情報が漏れるのは避けたかった」

「分かってやすよ。流石は姐さん、そんな思慮深い所にも痺れる、憧れるー!」

「馬鹿を言ってないで、そろそろ作業に戻れ。撤収作業中だろう」

「あ、いけねっ。おーし、お前ら作業に戻れ! 隣の凌統隊なんぞに負けんじゃねーぞ!」

 

おーう、と野太い声を上げ、鶯禁以外の男達が撤収作業へと戻っていく。

 

「そんじゃ姐さんはゆっくり休んでいてくだせぇ。作業は俺達だけで終わらせちまうんで」

「ああ、任せた」

「へい。では!」

 

鶯禁も一応副官としての気構えがあるのか、最後にぴしっと礼を取って作業へと戻っていく。それを見届け、甘寧は張りつめていた糸が緩んだかの様にふうっと大きく脱力した。気がつけば、内に渦巻いていたやりようのない怒りまでも、すっかり小さくしぼんでしまっていた。

 

踵を返し、甘寧は天幕に戻る。しかしそのまま寝台には倒れずに、外され置かれていた愛剣を腰に吊るすと、再び甘寧は天幕を出る。鶯禁には休んでいろと言われたが、今の甘寧の気分はとても休んでいようと思える気分ではなかった。そしてその足で、何となしに同じく撤収作業中である凌統隊の所へと向かう。するとそこには、甘寧以外にも先客の姿が既にあった。

 

「祭殿……」

 

甘寧にとっては呼びかけたつもりではない小さな呟きであったが、一体どれだけ耳が良いのかと疑いたくなる程に耳聡く聞きつけたらしい黄蓋が少し驚いた様な顔をして甘寧の方へと振り返った。

 

「おう、思春か。もう起きてよいのか」

「はい。ご心配をお掛けしました。ところで、どうしてここに?」

「それは儂がお主に聞きたいんじゃが……まあよい。儂の目的はあれじゃよ」

 

そう言って黄蓋がぴっとある方向を指さす。釣られてその方向に目を向けると、甘寧は飛び込んできた光景に思わず目を疑う。黄蓋が指さした先では、周喩が凌統隊の撤収の指揮を取っていたのだ。しかし甘寧が驚いたのはそこではない。周喩の背中姿のもう一つ向こう。まさしく撤収作業中の光景の中に見つけた、ある人物の姿にであった。

 

「どうした浩牙。それしきの事でもうへばった訳ではあるまい」

「はぁ、はぁ……あの、冥琳様、はぁ、どう考えてもこれは、人ひとりで運ぶような、物じゃ、はぁ、ないと思うんですが、はぁ」

「何を言う。陣に遅れに遅れて戻って早々、撤収作業で十人分働くと言ったのは浩牙ではないか」

「いや、それはですね、気構えというかやる気を表したというか」

 

あの城壁の上での威風纏う立ち姿はどこへやら。すっかり弱った声で泣き言を言う凌統は、彼の言う通り一人で運ぶには重すぎる資材を積んだ荷台を引き、兵達と同じくして撤収作業に取り組んでいた。その足は生まれたての子馬の様にぷるぷると震えていて、それを見た黄蓋がさも楽しそうに笑う。

 

「くっくっ、相変わらず頑張るのぅ。さっさと倒れてしまえばよいものを」

「確かに顔色が悪い……何故だ、確かあの時休むと言っていたはず……」

「ほぅ、何やら向こうで話し合いでもしたらしいの。まあ、浩牙のことじゃ。どうせ考え事でもしてるうちに夜が更けていたとか、そんなんじゃろ」

 

果たしてそうなのだろうか。昨日今日の付き合いでしかない甘寧には凌統の事など分かる筈も無い。それはいい。それよりも甘寧には、どうして凌統がこの様な重労働を課せられているのかが非常に気になった。

 

「黄蓋殿、どうして凌統――殿は、この様な事に?」

「うむ、まあ、ちょっと浩牙がやらかしおってな」

「やらかす?」

 

眉を曇らせ言い淀む黄蓋に甘寧が首を傾げる。やがて話す意を決したのか黄蓋は甘寧に顔を寄せると、周囲に漏れないよう声を小さく潜めた。

 

「実はお主が浩牙に背われて帰ってきた時、気絶したお主を見てお主を馬鹿にした輩がおっての。陳勤という男なんじゃが、そ奴はそれなりに腕は立つが少々……いや、大分口が悪くての。気絶したお主を見て、やれ軟弱だの、役立たずだのと……すまぬ」

「いえ、お気になさらず。それより続きを」

 

気まずそうな黄蓋に務めて平静な表情を保ち、甘寧は続きを促す。

 

「うむ。それで終いには、お主が過去討ち取った礼牙――凌操の事まで馬鹿にしおってな。あ奴は筋金入りのおやじっ子じゃから、それでとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。お主を背負ったまま、顔面に一発入れてしまってな。流石に手加減したのか死んではおらんが、陳勤は見事に意識を飛ばしてしまっての。そんな男でも孫家に仕える臣の一人。如何な理由があろうと手を出してしまえばそれは罪じゃ。とは言え陳勤にも落ち度はある。それらを鑑みた結果、倒れた陳勤の分とさっき冥琳が言っておった浩牙自身の言葉もあって、罰として重労働についていると、そう言う訳じゃよ」

「その陳勤殿は、私はともかく何故凌操殿まで……」

「昔からじゃよ。陳勤は何かと凌操に敵愾心を燃やしておった。何をするにしても凌操の方が一枚上手じゃったからな。結局、陳勤は一度も凌操に勝つ事が出来ないまま、凌操があの戦で先に逝きおった。陳勤はそれでようやく自分の力が策殿や権殿に認められるかと思いきや、今度はその子である凌統や、権殿のお気に入りであるお主が出てきた。それらに対する当てつけであろうよ」

 

黄蓋の説明を聞き終えた甘寧は陳勤のその器の小ささに堪らず嫌悪感を露わにする。それを目敏く察した黄蓋は苦笑を浮かべて甘寧に補足する。

 

「お主の思う事も理解できるが、今この時は例え少しの戦力であっても我ら呉にとっては貴重なのじゃ。問題を抱えているとはいえ、さっきも言ったが陳勤はあれで戦の腕は立つ。浩牙や海苑などには及ばなくても、確実に呉の戦力にはなっておるからの」

「……雪蓮様や蓮華様は、何も言わないのですか」

「言わないだけで思うところはあるじゃろうな。その証拠に、お主は軍議の場で陳勤の姿を見てはおらんだろう」

「そう言えば、確かに……」

 

それどころか、今この時に黄蓋の口から聞かされるまで甘寧は陳勤の名前すら聞いた事が無かった。腕が立ち、孫策達に信頼されているならば、如何に参入して日が浅い甘寧とは言え、名前ぐらいは耳にするはずだ。そしてそれが無かったという事は、つまりはそういう事なのだろう。

 

「まあ、お主もいずれ顔を合わす機会があるかもしれん。その時はあまり気にせずに流せ」

「分かりました。元より程度の低い侮辱を受けた所で、怒りを感じるほど幼くはありませんので」

「ほっ、言いよるわい。だがな、浩牙が怒った理由の中には、お主への侮辱も含まれていた事を覚えておいてやれ。口に出しては言っておらなんだが、でなければああして手を出す事も無かったはずじゃ。いつもは陳勤に何か言われたところで、黙って耐えておる浩牙じゃからな」

「……」

 

最後の最後で黄蓋から聞かされたその言葉に、不覚にも甘寧は返す言葉が見つからなかった。自分は凌統にとって親の仇。当然恨まれて然るべきはずの存在で、実際に凌統は甘寧を許す事はないと面と向かって発言している。

 

だというのに、目を覚ましてから聞く限りの凌統の行動は、まるで――。

 

「浩牙は自分が認めた相手にはひたすらに優しい男じゃ。今回の行いもまた、己の矜持に従ったまでの事なのであろうよ。もっとも、浩牙自身は内心複雑に思うところがありそうじゃがな」

「認めた、相手……」

「うむ。まあ、お主にとっても複雑な所であろうが、もし浩牙と話をするならば、穿った見方をせず、まっすぐに相対してやって欲しい。儂からのちょっとした願い事じゃ」

 

我が子の事を頼むように優しい笑みを浮かべる黄蓋を前に、甘寧は言葉では応えずにただ黙って頷いた。

 

「ほら冥琳様、こうやって足も震えてますよ? 加えて腰も限界ですよ? これ以上は倒れますよ、本当に倒れちゃいますよ?」

「問題無い。そう短い付き合いでもないのだ。浩牙がどこまで酷使すれば倒れるのか、逆にどこまでならば大丈夫かくらい、しっかりと把握している。だから心配せずに、私の指示に従うといい」

「お、鬼だ。ここに美人の皮を被った鬼がいる!」

「ふむ……誰かある! 次の荷台には大天幕一つ分の資材をくくりつけておけ! 凌統将軍が皆の分まで働いてくれるそうだ!」

「「「凌統隊長、謝謝!」」」

「ちょ、お前らっ! この薄情者どもめぇぇぇ!」

 

凌統の悲鳴と共に陣内が兵達の笑いに包まれる。それを黄蓋と共に傍から見ていた甘寧の口元にもまた、我知らず小さな笑みが浮かんでいた。

 

 




という訳で、ようやく黄巾党編終了いたしました。遅い、遅すぎる! かつての更新速度はなんだったのか! などと、最新話を投稿する度に悶々としております。

今回はいくつか捏造設定が盛り込まれておりますが、いつものごとく恋姫時空の方式としてお見逃しをば。甘寧さんの部下その一さんも、その場で考えた名前です。固有名詞ついてますけどチョイ役です。何気にそれっぽい名前になって作者もお気に入りかもしれないけど、チョイ役です。再登場は……どうなんでしょう?

今回は何気に10000字を越えてしまいました。もしかしたら誤字脱字のチェック漏れがあるかもしれませんので、もし見つけられましたらお教えいただけると幸いです。

それでは、次回も宜しくお願いします。

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