真・恋姫†無双 ~凌統伝~   作:若輩侍

4 / 16
第四話

俺達が江賊討伐の任より帰還し、数日が経過したとある日。一人の使者が俺達の下へと駆けこんできた。漢王朝からの使者だと告げたその男は、大陸各地で多発する反乱によって世は阿鼻叫喚の時代になったと仰々しく俺達に告げる。

 

黄巾党……と、誰が名づけたのかは知らないが、そう呼ばれるようになった賊の一団は、凄まじい勢いでその勢力を伸ばし己が欲望を充たさんと各地で猛威を振るっており、漢王朝はその対処を各地方の有力諸侯たちに命じているとの事。使者が訪れた要件もまさにそれだった。それにしても規模が大きいとはいえ、たかが賊の反乱を抑え切れないとは。どうやら想像以上に、漢王朝の力は衰えが進んでしまっているらしい。もはや王朝とは名ばかりで、その中身は既に形骸化していたようだ。

 

さて、漢王朝の形骸化はともかく。各地方の有力諸侯となれば、それには当然袁術も含まれる事になる。そして予想通り、使者の訪問から日を置かずして、袁術から雪蓮様に召喚命令が下った。呼び出した理由は十中八九、黄巾党討伐についてだろう。

 

現在、荊州で暴れている黄巾党は北と南の二部隊が確認されている。その内、規模が大きく本隊と思われる方は北に展開している部隊。そして袁術の性格からして、ほぼ確実に北の部隊の討伐を、袁術は俺達に押しつけてくるはず。戦力が分散し弱体化しているとは言え、精兵と名高い孫呉の兵。袁術はそんな俺達を思う存分こき使いたいらしい。

 

本人はその意図を隠しているつもりの様だが、俺達から見れば分かりやす過ぎて逆に癇に障る。雪蓮様も毎回、呼び出される度にそれを見せつけられてよく我慢できるものだ。ぶちぶちと不満を漏らしながら登城していった雪蓮様の気持ちも分かる。

 

だが文句ばかり口にしていても始まらない。雪蓮様が登城しているその間に、俺達は俺達でやれる事をやらなければならない。先を見越し、袁術の命が下ったら即、動き出せるようにしておく位はしておかなければ。とは言え、軍資金や物資、兵力すらも十分ではないのが俺達の現状な訳で。無い袖は振れぬ、とはよく言ったものだが、冗談抜きで俺達には余裕がない。雪蓮様が袁術からもろもろ引き出してくれる事を期待するしかないが、それを当てにし過ぎるのも良くない。

 

そんな訳で、目前に迫る難題打破のために駆り出されることになったのが、賊殺しの凌統こと俺だ。いや、別に通り名は駆り出される理由には関係していないはず……たぶん。

 

そして今、冥琳様の献策の下、雪蓮様たちより先行して出陣した俺は、先日登用した元江賊たちを率いて黄巾党本隊と共に行動していたりする。身なりはいつもの正規軍装備ではなく、急所のみを厚い革で覆う貧相な装備。武器も鉄鎚ではなく鈍らの蛮刀と、俺の装備はかなり気合の入った賊仕様である。

 

無論、部下の兵達も皆同じような装備だ。これならば一見して、俺達が呉の将兵だとは気づかれないだろう。兵達がまだ仕官して間もない元江賊たちである事も大きい。未だに賊特有の雰囲気が抜けきっていないゆえ、周囲から浮いているであろう俺の事を上手く隠してくれている。

 

まあ、俺もそれなりに賊っぽく振舞ってはいるのだが、やはりどうしても本職の様にはいかない。とは言え、向こうがその辺りを特に意識するという事は無く、むしろ取り入るための交渉材料として結構な量の糧食を運んできたからか、黄巾党本隊の皆様方は快く俺達を仲間として受け入れてくれた。まさに糧食さまさまである。

 

冥琳様の献策した策の内容……それは内と外から同時に攻撃を仕掛ける事で敵部隊を撹乱し、指揮系統を寸断され混乱する黄巾党を火攻めをもって一気に敵部隊を殲滅するという、なんとも危険な策だった。危険というのは、勿論内側から撹乱する部隊が、と言う事だ。

 

当たり前だが、内側から敵を攻撃するには、当然味方の誰かが敵の懐に飛び込む必要があると言う事だ。そして今回、その任を担当するのが、今こうして黄巾党の部隊に潜入している俺達と言う訳だ。だからこそ賊の姿に変装し、心許ない装備を頼りにこうして息をひそめている。

 

しかし、やはり危険である事に変わりは無い。なにせ周りの一切は全て敵なのだ。もし俺達が呉の部隊だと知られたら、その瞬間に包囲殲滅されて全滅は確定だ。仮に撹乱が成功したとしても、今度は引き際を誤れば黄巾党と共に火計に巻き込まれてしまう。この二つの危険性があるからこそ、冥琳様は連れて行く兵士を仕官して日の浅い元江賊の彼らに限定したのだろう。無論、先に述べた理由もあるだろうが、俺としては恐らくこっちの理由の方が本命ではないかと思っている。なぜなら、最悪の事態に陥った場合は、彼らを囮にしてでも俺だけは帰還するよう、冥琳様に命令されているからだ。

 

命の価値に優劣がある、そんな現実をまざまざと見せつけられた気がした。頭では理解している、しかし心がそれを否定している。部下を見殺しにする……そんな事はどうしても俺には出来そうにない。だからこそ、必ずやこの作戦は成功させなければならない。部下達を一人でも多く無事に生還させるために。恐らく今の俺は自分で自覚している以上に集中している事だろう。あるいは、それすらも冥琳様の策の内なのかもしれない。

 

だとすれば、流石は我らの大都督……腹黒さにかけては天下一だ。

 

ふふふっと黒い笑みを浮かべている冥琳様を想像し、思わず口からため息が漏れる。それを不安の表れと思ったのか、今回の俺の副官を務める兵士の口から不安を滲ませた呟きが漏れた。

 

「凌統将軍、本当に今回の作戦……成功するのでしょうか?」

「成功するのか、じゃない。成功させるんだよ。でなきゃ、俺達はここであの世行きさ。大丈夫、必ず上手く行くよ。お前の目の前にいる上官の二つ名を忘れたか?」

 

にやりと、意識した余裕の表情と共に俺は笑みを浮かべる。こんな時、二つ名が部下に知れ渡っていると言うのは便利だ。俺の二つ名は賊殺し……そして相手は黄巾党という名の賊。士気を上げるにはもってこいな二つ名だ。だからと言ってこの二つ名を好きになるようことは、到底無いだろうけども。

 

「でも、その姿では奴らも凌統将軍だとは気づかないのでは?」

「ふふん、その点に関してはぬかりは無い。ちゃんと鉄鎚と陣羽織は持ってきてる」

 

そう言ってちらりと俺は背負っている背嚢に目配せする。装備に手間の掛かる鉄甲は流石に持ってきていないが、陣羽織と鉄鎚二本はこの背嚢の中に入れてある。と言うか、作戦開始の合図は、俺が陣羽織を羽織った時だと部下達には伝えてある。何度も言うが、俺の朱の陣羽織は非常に目立つ。それが味方にしろ敵にしろ、だ。これも冥琳様が俺を潜入部隊に抜擢した理由だろうか……何というか、ここまでくると例え味方であっても軽く戦慄を覚える。絶対に冥琳様だけは敵に回したくない。

 

「将軍、顔が青くなっていますが……?」

「いや、なんでもない。ちょっと身内に凄い人がいる事を再確認してただけだから。良いか、何があっても絶対に周公瑾様だけは怒らせるなよ。分かったな、絶対だぞ?」

「わ、分かりました。肝に銘じておきます」

 

俺が本気の形相であったためか、副官が首をぶんぶんと縦に振る。無駄に威圧までしてしまい、顔も若干青くなっていた。

 

「まあ、なんだ。孫策様たちが来るまでにはまだ時間がある。しっかりと体力の温存はしておいてくれ」

「はっ。皆にもそう伝えておきます」

「ああ、頼むよ」

 

目立たず騒がず、されど何時でも動き出せるように準備だけは整えておく。俺達の務めの事を思えば体力の温存もまた重要だ。何せ確実に乱戦の真っ只中に身を置くことになるのだから。

 

この戦の後にどれだけの部下が生き残っているのか……正直、俺には予想もつかない。戦死者を出さない、などと言うのは夢物語も良いところだ。戦場に死者の無いことなどありえない。それが味方であれ敵であれ、聖人であれ罪人であれ、戦場では死が訪れる事に優劣は無い。

 

それでも、出来る事ならば部下達には生き残って欲しいと……そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

荊州北部。黄巾党の脅威の迫るこの地を、孫の旗を掲げる軍勢が行進していた。孫策率いる呉の精兵たちである。孫策が粘り強い交渉の末に袁術からいくらかの装備と兵糧を引き出したこともあって、戦の準備は今まで以上に整っている。江賊討伐に赴いた時とは雲泥の差と言えるほどだろう。

 

当初の予定通り、先行し既に黄巾党本隊に潜入しているはずの凌統を追う形で出陣した呉本隊。整然と行軍するその軍勢を、孫策は先頭立って率いていた。馬の背に跨るその姿は、いつもの赤い衣を身に纏うのみで、鎧らしきものは一切装備していない。しかしその腰には孫家に代々伝わる宝剣がしっかりと提げられている。

 

変わり映えしない荒野を馬の上から眺めていた孫策は、不意に獰猛な笑みを薄く浮かべた。

 

「どうした雪蓮。何か面白いものでも見つけたのか?」

 

そんな孫策を見て隣りにいた周喩が訝しげな顔をする。孫策は周喩の方に向き直ると、今度こそその獰猛な笑みをはっきりと浮かべた。

 

「そうじゃないわよ。でも、ようやく戦乱が幕を開けると思うとね……ふふっ、やっぱりゾクゾクしてきちゃう」

「……浩牙が聞いたなら、ため息の五つは吐きそうな台詞だな、それは」

 

そう言いながら、早速周喩本人が孫策の台詞にため息を吐く。しかしもとより孫策が好戦的な性格である事を知っている周喩は、孫策に嫌悪感も恐怖心も抱く事は無い。いや、呉に集う全ての将兵は、そんな所も含めて孫策を自らが従うべき王として尊敬し、絶対の信頼を寄せている。非凡な強さと人を魅せる魅力を孫策は持ち合わせている。だからこそ孫策は王たる立場にいられるのだ。

 

「だがまあ、待ちに待った時である事は確かだ。これを機に、ようやく孫呉独立の一歩を踏み出す事が出来る」

「ええ。母様が死んでから数年……本当にようやくね」

 

先代である孫文台は数年前、その胸に秘めた覇道を為し得る事無く世を去った。そして孫文台の死を機に呉を含む旧孫堅領は朝廷の命により袁術の領土として引き継がれることになる。その土地の領主が死んだのだ、代わりの力ある者がその土地を引き継ぐ事は当たり前。それが朝廷からの命となればなおさらである。

 

孫策にとっては癪ではあるが、故孫堅の代わりとして指名された袁術は十分すぎる程の兵力と財力の二つを共にあわせもっていた。伊達に名門たる袁家に名を連ねているわけではないと言う事だろう。しかし当の袁術本人は未だ幼さを残す未熟者。袁術を支え、実質袁術領の管理人と言える張勲も、周喩ほど秀でた人物と言う訳ではない。それでも今日まで袁術を支えてきたその手腕は評価に値するところであり、また城攻めに関しては張勲の手腕に周喩も一定に評価を下している。つまるところ、張勲は軍師としては非凡な人物であると言う事だ。

 

しかしその全ての高評価が、張勲が袁術を極度に甘やかす癖が有るという点で帳消しにされてしまっている。もう少しでも張勲が袁術に厳しく接していたならば、孫策とてここまでの鬱憤を袁術たちに対して抱く事は無かっただろう。独立を認めてくれていたならば尚更である。しかし逆に袁術を煽るような事をされてしまっては怒り以外に抱く感情が無いというもの。

 

加えて自分達をこき使いたいがために、面倒を引き受ける代わりに独立を認めると言う約定を何度も反故にし、今回の様な面倒事までも押しつける。ここまでされては、孫策としてもただ独立するだけで済ますつもりはない。幸いにして今の漢王朝には地方の諸侯同士のいざこざに割り振るだけの力も無ければ余裕も無い。黄巾党による被害が各地で頻発している今ならば言わずもがなである。

 

そしてこの戦乱は孫策たちにしてみれば勇名を轟かす絶好の機会。名が上がれば人が来る。物が集まる。金が集まる。そうして少しずつ力を増していくことが、孫呉の独立に繋がる。名を上げ力を得た、その暁にこそ、積りに積もった借りを袁術に返す。孫呉の独立を飾るための一つの華として。

 

「孫策様! 前方に黄巾党本隊の敵陣を発見しました!」

 

孫策の下へ駆けこんできた兵士がそう告げる。待ち望んでいた時が来た事に、孫策の顔に笑みが浮かんだ。

 

「ありがと。さて、浩牙もいい加減待ちくたびれてる事だろうし……派手に行きましょうか」

「久々の実戦ですからな、儂も腕がなるわい」

「その相手が黄巾党程度の賊と言うのが、物足りないにもほどが有るがな」

 

孫策に続き、黄蓋と周喩にも笑みが浮かぶ。それは獲物を目前に捉えた狩人の如き獰猛な笑み。相手を自らの糧とするために、狩人はその力を存分に振るう。圧倒的な勝利、それは天下に名を轟かすために。

 

孫策が腰の宝剣を音高く抜き放ち天に掲げる。

 

「勇敢なる孫呉の兵士たちよ! いよいよ我らの戦いを始める時が来た! 新しい呉のために、先王孫文台の悲願を叶えるために!」

 

孫策の口上が兵士達にとっては戦の始まり。王自らによる言葉が兵士達の士気を高めていく。目の前に突如として現われた軍旗に、流石の黄巾党たちも気付き戦列を組み始める。しかしそれは無駄に終わるだろう。なぜなら、既に彼らの敵はその内に潜んでいるのだから。

 

抜刀し、孫策の突撃の合図を待つ兵士達と孫策たち将軍の目にその光景は映る。遠くからでも目視できる程に目立つそれは朱に染められた陣羽織。この場で最も、黄巾党を討つに相応しい二つ名を持つ将が纏うそれは、彼自身の動きと荒野を吹き抜ける風によって翻る。荒野に響き渡る黄巾党たちの悲鳴と断末魔の叫び。それこそが、孫策にとって突撃の合図であった。

 

「全軍、突撃せよ!」

 

一斉に響いた兵士達の雄叫びが大気を揺るがす。そして戦でありながら戦と呼べない……圧倒的な蹂躙劇の幕が開かれた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

俺達が黄巾党本隊に潜入して早くも数日が経過した。今日まで黄巾党本隊はどこかの村を襲う事も無く、俺達の持ってきた兵糧で飢えをしのいでいる。俺としては賊の片棒を担ぐ事にならなかった事に内心ほっとしているが、この状態が何時までも続くと言う事は無いだろう。俺達の運んできた兵糧も、そこまで多いと言う訳ではない。それが万に届く程の軍勢ならば尚更だ。

 

もし俺達の運んできた兵糧が尽き、そして本隊の残り少ない分も尽きれば、黄巾党たちはどこかで兵糧を補充をする必要がある。強奪と言う名の補充を……だ。そしてもし黄巾党達が強奪目当てで村に襲いかかったならば、恐らく俺は雪蓮様達の到着を待たずに行動するだろう。潜入している身としては強奪に参加し、引き続き仲間として振舞う事が正解なのだろうが、何の罪もない民草を犠牲にしてまで策などクソくらえだ。例え後の軍議で咎められることになろうとも。

 

ゆえに、俺としてはそうなる前に雪蓮様達に合流してもらいたいんだが……。

 

「将軍、南に軍旗を確認しました。到着と同時に本隊が突撃の準備を始めているようです」

 

何と言うか、相変わらずの間の良さに思わず苦笑が漏れてしまう。流石は戦に関しては天性の才能を持つ方と言うべきだろうか。雪蓮様の機の読みの良さには脱帽するしなかい。

 

「よし。んじゃ、俺達も動くとしようか」

 

背負っていた背嚢から陣羽織と鉄鎚を取り出し、邪魔になる背嚢を投げ捨てる。そしてより周囲に目立つよう、連れてきた馬の背に飛び乗り、俺は大きく翻す様にして陣羽織を羽織る。それを見た周囲の黄巾党たちに、明らかな動揺が走ったのを見逃さない。

 

「全員抜刀せよ! この場に集う無法者たちをなぎ倒せ!」

 

どよめきが警戒に変わらぬうちに、俺は待機していた兵達に攻撃を命じる。完全に雪蓮様達の本隊の方へ意識を傾けていた黄巾党たちは突然背後からの強襲を受け、瞬く間に混乱状態へと陥った。

 

「う、裏切りだ! 裏切りだぁ!」

「あの格好……嘘だろ、なんでこんなところに!」

 

つい先程まで仲間だと思っていた者たちに背後を突かれ、その中には賊のとっての恐怖の代名詞――自分で言うのもアレだが、その俺がいる事による影響は想像以上だった。奇襲による混乱に拍車を掛けるかのように、賊達は俺の姿を見るなり更なる恐慌状態に陥り、こちらが寸断せずとも敵方のお粗末な指揮系統は呆気なく崩壊。逃げ回る者、何とか反撃しようと体勢を立て直そうとするもの、理性をかなぐり捨てて突撃しようとする者が入り混じり、戦場は混沌とした場へとなり果てている。

 

俺達は方円陣を敷き全方位からの攻撃に備える。槍兵を前列、弓兵を後列の配置し、歩兵は特に敵の押し寄せる場所への遊軍として動かす。勿論俺はその遊軍を率いている。迎撃の指揮は副官に任せておけばいい。数百人の部下達に戦いながら指示を出せるほど、俺には余裕も無ければ器用さも無い。大雑把な指示ならば叫ぶだけで済むだろうが、少しでも機を逃せば全滅もあり得るこの状況だ。より的確な指示が必要とされるのは言うまでも無い。だからこそ副官の存在がある。

 

とは言え、元江賊である彼らにとっては陸上での白兵戦はあまり経験のない事だろう。しかし連携に関しては言えば問題は少ない。元々共に戦ってきた仲間達であるのもそうだが、相手が黄巾党達である事も大きい。相手は既に組織だった動きが出来ない状態なため、こちらの連携を崩すほどの余裕がない。ゆえに余程油断し過ぎない限り、俺達までもが混乱に巻き込まれる事は無いだろう。現状に対して冷静に対処しつつ、後は本隊の動きに合わせて離脱を行えばいいだけだ。

 

部隊に方円陣を維持させつつ、俺も遊軍として動きながら鉄鎚で敵兵を殴り殺してゆく。目の前で頭蓋を砕かれながら死んでいく彼らも、もとはと言えば一農民であったりしたのだろう。だが、一度こうして獣の道に堕ちてしまえば、後に残るのは狩るか狩られるかの道だけだ。今日まで彼らは狩る側の立場に立ち、より弱者から欲望のままに搾取を続けてきた。それは命であったり、食料であったり、人としての尊厳であったり。例をあげればきりがない。

 

そして今日、彼らは狩る立場から狩られる立場へと立ち位置を変えた。自らの意思で選んだ道だ、憐みこそすれそこに同情を覚える事は無い。ゆえに俺は鉄鎚を振り下ろす。その一撃は命の灯を吹き消す一撃であり、そしてそれを振るうのが俺の役目だ。

 

「くそがっ! 役人の犬どもが、汚ぇ手を使いやがって!」

「否定はしないさ。そんな事は言われるまでも無く承知済みだからな!」

 

どれだけ正義を語ろうとも、所詮は俺達も人殺し。同じ汚れものには変わりない。違うのは人を捨てたか、捨てていないかだけだ。罵倒を飛ばしてきた賊の頭を鉄鎚の一撃で砕く。首から上に存在する穴と言う穴から鮮血を噴き散らしながら、賊の体が糸の切れた操り人形のように倒れる。絶命した事だけを一瞥して確認し、次の標的へと鉄鎚を振り下ろす。数千の規模を誇る軍勢と、それに囲まれた数百の軍勢。しかし戦局は誰から見ても、数百の軍勢である俺達の方が圧倒的優勢を誇っていた。

 

「将軍! 孫策様たち本隊が交戦を開始した模様です!」

「潮時だな……全員、魚隣陣を敷け! 一点突破でこの場から離脱するぞ! 俺に続け!」

 

叫びながら、この混乱の渦の壁の一番薄い方向へと俺は駆けだす。道中の敵兵を先頭に立って屠り、後に続く部下達のための突破口を切り開くためだ。幸いにして、俺の姿を見た黄巾党達は一部を除いて自ら道を開けてくれる。混沌とした包囲網を抜けるためにも、これを利用しない手は無い。

 

「逃がすなぁ! 道を塞げ!」

 

裏切られた事に対しての憎しみゆえか。その目を復讐の色に染めた一部の黄巾党たちが退路を塞ぐようにして立ちはだかる。しかし所詮は横に並んだだけの百人程度の人の壁。俺を立ち止まらせるには、些か以上に力不足が過ぎる。

 

「邪魔だっ!」

 

突きだされる粗末な竹槍を掻い潜り、敵兵の懐に飛び込むと同時に敵兵の顎に向けて掬いあげるようにして拳を下から突き出す。顎を砕く感触を手に感じながら、握ったままの鉄鎚を左右の賊に目掛けて振り下ろす。人の壁にあっという間に出来た数人分の穴に、少し遅れてやってきた後続の部下達がその小さな穴を広げるようになだれ込む。それを確認し、退路の確保に戻るため先頭を再び走ろうしながら振り返った俺の目に、がむしゃらに突き出された黄巾党の竹槍をその身に受け絶命する数人の部下たちの姿が映る。

 

もとより犠牲無しでは済むとは思っていない。心の中で謝罪を述べ、冥福を祈る。そんなくらいしか俺に出来る事は無い。嘆くのは一瞬だけ。それ以上は部下の新たな死に繋がる。

 

「総員走れ! 死にたく無ければ死ぬ気で走れ!」

 

何とも矛盾した発破の掛け方だが、とにかく今はこの場から離脱することが先決だ。退路を切り開き――いや、殴り開きながら時折本隊の方を確認していたが、今はもう完全に前線を押し切り黄巾党は内も外も纏めて総崩れとなっている。一旦体勢を立て直すつもりなのか本隊と交戦していた外の部隊が陣地の方へと下がってきているが、それこそこちらの望むところ。もはや策の発動まで時間は残されていないだろう。それを確認してからは俺は振り返らず、部下達が付いてきてくれている事を信じてただひたすらに退路上の敵を屠る。そして俺達はようやく、敵陣から離れた所へと抜けだす事に成功した。

 

「皆、無事か……」

 

無事である筈がない。それでも俺は振り返って隊の生存状況の把握に努める。振り返ったその先には、全身に傷を負い、血に塗れながらも大地にしっかりと足を付ける部下たち。その数は確かに減っているが、少なくとも半数以上の兵達が今この場に立っていた。

 

「凌統隊、これで全員です」

「そうか……よく生き残ってくれた」

 

紛れもない本心からくる言葉だ。付き合いは短く、ついこの間までは敵であった者達であっても、今はもう俺の部下だ。部下達が生き残ってくれて、嬉しくない隊長がいるはずがない。多くの者たちが生き残ってくれた事を嬉しく思いながら、既に後方となった敵陣へと目を向ける。幸いにして、俺達を追撃してくる部隊は見えなかった。

 

「ご苦労だった。皆は休んでくれて構わない。後は……孫策様達が片付けてくれる」

 

俺がそう言った次の瞬間、煌々と輝く無数の光が黄巾党の陣地に降り注いだ。神秘的でも無ければ幻想的でも無い。ただただ力強く、その存在を主張するかのように輝くそれは……火だ。穏の部隊が放った無数の火矢が、黄巾党の陣地に降り注いでいる。当初の予定通り、火計による痛快かつ圧倒的な勝利のためだ。しかし痛快さのための演出でありながらその効果は絶大だ。

 

黄巾党の陣地には、未だ手つかずの兵糧や粗末ながらも天幕などの設備が一応は揃えられていた。そこに火矢が降り注げば、このあたりは水場などあるはずもない一面の荒野だ、消火する手段などあるはずもない。その先にあるのは燃え移った火による大火災だ。何とか消火しようとする者は火の勢いに負けて飲み込まれ、逃げ出した者たちはこちらの追撃部隊に討伐される。よしんば逃れられたとしても、余程運が良くない限りは飢え死にするのがオチだ。

 

何にせよ、これで黄巾党本隊の壊滅は決定した。後に残るのは灰と焼け焦げた死体のみだろう。あと数刻もすればここら一帯は残酷極まりない光景の広がる戦場跡だ。だがそれを喜びこそすれ、嘆く者は少ないだろう。世の人々にとって、彼らは悪として見られている。その悪を容赦の欠片も無く浄化の炎で焼き払った雪蓮様は、英雄孫策としてその名を大陸中に広く知らしめることだろう。これで孫呉独立に向けて大きな一歩を踏み出したと言う訳だ。

 

「……また一つ近づいた、か」

 

そう、独立に一歩近づいた。それは即ち、分散している呉の戦力が再集結する日も近づいたと言う事だ。その先にあるのは、俺が追い続けてきたものの答えかもしれない。勿論違う可能性もある。しかしこうして近づく程に、俺の中の不安は増大していく。祭さんにも言ったように、俺の感情がどう動くのかは、その時になってみれば分からない。しかしそれがこれほどに不安を生みだすことになるとは思わなかった。いや……少なくない数の部下が死んで、些か以上に気が落ち込んでいるせいだろうか?

 

「将軍……何やら顔色が優れない様ですが」

「ん? あ、ああ。大丈夫だ」

「そう、ですか。ならば良いのですが」

「心配無い。俺の事はいいから、隊の再編を頼む。負傷兵には体力に余裕のある兵を付けてやってくれ」

「御意」

 

生き残ってくれていた副官に命じて、俺は火の手の上がった黄巾党の陣地へと目を向ける。そうする事で、俺は己の中の不安から意識をそらしたかったのだろうか。雪蓮様たちが合流に来るまで、俺は煌々と燃え盛る荒野をじっと眺め続けていた……。




更新が遅くなりましたが、原作における初戦が終了でございます。
なんだか繋げ回っぽくなってしまった事に反省……うむむぅ。

それでは、次回も宜しくお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。