真・恋姫†無双 ~凌統伝~   作:若輩侍

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どうも長らくお待たせしました。凌統伝の更新であります。
遅くなってしまったお詫びと言ってはなんですが、お待たせしてしまったぶん今回は長めの内容となっています。お楽しみいただければ幸いです。

では、どうぞ。


第八話

討伐行の方針が決まり、俺達が戦支度を整えるのには十日程の時間を要した。というのも、今回の戦は呉の現在の戦力の大半を注ぎ込む為、それなりに準備時間が必要だったからだ。だが正直に言わせてもらえれば、これでもかなり無理をした方だ。俺達、関係各所が昼夜を問わずに走り回ってこの時間だ。これ以上の短縮ははっきり言って望めなかっただろう。

 

しかし幸いにして袁術の方から俺達をせっついてくるような事は無かった。どうやら雪蓮様が、呉は万全の準備を整えてから出陣する旨を袁術に約束させていたらしい。それを聞いたのは俺達が既に出陣の準備を済ませた後だったのだが、雪蓮様を除いたその場の全員が皆一斉にため息を吐いたのは仕方がないと思う。俺だって盛大にため息を吐いた。流石に寝る時間は惜しんだが、それ以外の時間は隊の編成と調練にほぼ費やしたと言っても良い。あの祭さんだってさぼらずに、加えてお酒を飲む事をすら自重していたくらいだ。

 

それを、実は時間はたっぷりとありました、などと準備が終わった後に言われてもただ空しいだけだ。それなら言わずに最後まで胸に秘めていてほしかった。ある意味、袁術の監視下に置かれていたがために鍛えられた、呉の余裕の無い中での手際の良さが存分に発揮された出来事だったと言える。

 

とは言え、出陣準備に掛かる時間の大幅な短縮が為された事によって、測らずとも俺達には三日程のゆっくりと過ごす時間が出来た。これについてはむしろ雪蓮様の判断は間違っていなかったのかもしれないと思える。準備で酷使した体力も三日あれば回復するし、これから戦に臨む兵達にとっては出陣の前に家族や親しい人と過ごす時間が出来た事になる。

 

決して長い時間とは言えないが、人によっては愛する人と過ごせる最後の時間となるかもしれない。部下達の事を思えば僅かばかりでもそんな時間が出来た事が、俺としては嬉しく思えた。まあ、一度所用で部下の一人の家に尋ねに行った時、中から「この戦いが終わったら……」に続く、部下とそのお相手との会話が微かに聞こえてきた時は何とも言えない気分になったが……別に部下にそう言う相手がいる事を羨ましく思ったとか、そう言う事では断じてない。

 

とりあえず、後日その部下は後方の輜重隊に回しておいた。俺の私情的にその方が良い気がしたからだが、何となく隊の生存率に関わる様な予感がしたからだ。きっとその日の夢見が悪かったせいだな。鎌持った骸骨がケタケタ笑いながら旗振ってる光景とか、戦を目前に控えてる俺にとっては洒落にならなかった。

 

ちなみに俺は、戦支度のために後回しにしていた仕事を片づたり、自分の装備の手入れに時間を掛けたりしている内にいつの間にか三日を過ごしていた。華も色も無い、何とも面白みのない事だが、その辺りは中間管理職の責任と忙しさゆえの悲しい定めとでも言っておこう。まあ休む所はきっちりと休めたし、少々大げさな言い様かもしれないが。

 

とにもかくにも、準備を終えて万全の状態で城を発った俺達は今、黄巾党が保有する出城の一つから少し離れた所へと陣を張っている。ここまでの移動に掛かった時間は七日ほど。討伐命令を下されてから既に半月以上が経過していた。

 

「まったく、官軍はちゃんと仕事してんのかね。惨敗に加えていくつかの出城まで占拠されるとか……。完全に給料泥棒じゃね?」

「そう言うな公積。官軍とて、大陸全てに手が回る訳ではない。むしろこの場合は、援軍が来るまでこの城を守り切れなかった城主を責めるべきだろう」

 

黄巾党が占拠する出城を遠目に眺めながらの俺のぼやきに応えたのは、今回の戦で俺の副官を務める諸葛瑾だ。その姿は何時もの文官服姿ではなく、歩兵が纏うような軽鎧を装備したものになっている。最もそれはもしもの時の保険の様なものであり、実際に瑾が剣を持って戦うからではない。瑾が普段纏う文官服は決して動きやすいと言えるものではないため、諸々の意味を兼ねてとりあえず身に纏っているだけだ。

 

もし流れ矢が襲い掛かって来たとしても当たり所が良ければ防げるし、悪くても鎧の上からならば致命傷にはなりにくい。それだけでも多分に装備するだけの価値がある。瑾本人は少し重いなどと呟いていたが、纏った時の利点を俺が伝えるまでもなく理解していた様で、装備する事に関しては特に渋る様子もなかった。慣れない様子で手こずりながらも軽鎧を身に纏おうとする瑾の姿が何気に隊の女性陣の注目を集めていたのは、四苦八苦する瑾の姿に愛嬌を覚えたからだろうか。

 

「しかし、捉え様によっては黄巾党が出城を占拠してくれているのはありがたい。これで合法的に補給拠点を手に入れる事が出来る……公積、聞いているか?」

「えっ? お、おう。ちゃんと聞いてたぞ!」

 

しまった、考え事に夢中で瑾の話を聞いてなかった。ジトっとした視線を向けてくる瑾に何とか応えを返そうするが、こういう時に限って言葉が出てこない。

 

「あーっと、あれだろ。うん、そう、あれだ」

「聞いていなかったんだな」

 

あーうーと唸る俺を見て瑾が呆れながらため息を吐いた。正直弁解のしようがないので、あははと愛想笑いを浮かべて場の空気を誤魔化す。

 

「……まあいい。とにかく、孫権様達の合流が間に合わない以上、初戦は俺達だけで戦わなければならないからな。あまり気を抜かれるのは困る」

「悪い、ここまでの道中が安全過ぎたもんだからつい、な」

 

と言いつつも、俺としては別に気を抜いている訳でも油断している訳でもない。ただ指揮官が常時気を張っていては兵達の気が休まる暇がないだろうなと思っておどけた態度を取っているだけだ。行き過ぎると逆効果だが、その歯止め役は瑾が担ってくれている様なので問題ない。

 

「まあ、しめる所は瑾がしめてくれればいいさ」

「それは隊長の役目だろう」

「そんな決まりはウチには無いよ」

 

祭さんなんかが良い例だと思う。その歯止め役が冥琳様という所がちょっとどうかと思う所はあるが。

 

「はぁ……お前は城にいる時と何ら変わりがないな」

「変わる必要があるのか、と言いたいけどな。俺も他の皆も、その場その時の切り替えが得意なだけだよ」

「とてもそうは思えんぞ」

「思わなくても見ていれば分かるさ。幸い、瑾の立つ所は特等席だしな」

 

にしても初陣で前線指揮を担当するのは如何な瑾でも少々手に余る様な気がしないでもない。実戦じゃ軍略通りに事が運ばない事態も多々ありえる。一応調練では優秀な指揮官ぶりを見せてはいたんだが……まあ、もしもの時は俺が補助すればいい。

 

「そう言えば、俺は孫権様にはお会いした事がない。公積、孫権様はどの様なお人なんだ?」

「そうだなぁ……良く言えば公明正大。悪く言えば堅物かな」

「堅物って、お前な……」

「いやぁ、雪蓮様公認だし。けど次代の王として相応しい方だと思うよ。荒事はあんまり得意じゃないけど、内政の手腕は雪蓮様よりもずっと上だからな」

「雪蓮様とは逆のお方という訳か」

「簡単に言えば」

 

雪蓮様は己の直感で物事を成功に導く天才型だが、蓮華様は王足らんと弛まぬ努力を続け成功を掴みとる努力型だ。といっても、その努力の位が半端じゃないから、言うなれば努力の天才という奴かもしれない。雪蓮様曰く、蓮華様は治世の王との事だ。

 

「なるほどな……ふむ」

「何気に瑾とは気が合うかもしれないな」

 

自分の役目に関して生真面目な所とか。

 

「まぁ、すぐに会う事になるんだし、どんなお方なのかは自分の目で確かめるといいさ」

「そうだな、そうさせてもらおう。だがその前に、俺達は一仕事せねばなるまい」

「悪者退治のお仕事か」

「こちらが正義の味方という訳ではないがな」

 

人を殺す事に正義もくそも無いだろう。あるのはそこに求める意味の違いだけだ。それでも世の民衆からは悪を滅ぼす正義の味方と見られるのだから皮肉なものだと思う。

 

「これも軍人の務め、とでも言い訳しておくか?」

「いや、言い訳なんぞ男だったらするまいよ。俺の矜持が許さない。それに言い訳述べてる暇があるなら、仇の影でも追ってるさ」

「それはしないとついこの間誓ったばかりだろう」

「つまりはあり得ないと言いたいんだ」

「ややこしい言い方だな」

「素っ気ない会話なんかつまらないだろ」

 

呆れた顔をしながらも口元には微笑を浮かべる瑾に釣られて俺も笑う。こうも気軽に話せるのは、男同士、加えて相手が気の置けない友人だからこそだろう。最もその話の内容事態は到底気軽と呼べそうにないものだが、逆に言えばそんな内容でも気軽に話せるという事で結果的には良しだ。重い内容の話を重い空気の中で話しても尚更気分が落ち込むだけで、得があるとは思えない。

 

「何と言うか、しまらないな」

「俺としてはこれくらい緩いのが丁度良い」

「自称切り替えの早いお前はともかく、俺はそこまで器用ではない」

「だったら箸で豆を掴む練習をお勧めする」

「そう言う意味では言っていないんだがな?」

「分かった。分かったから、とりあえずその手の鉄扇を下ろしてくれ」

 

にこやかな顔でこっちに向けて鉄扇を仰がれても恐怖しか感じない。というか目が笑ってないよ瑾さんや。瑾の趣味なのかどうかは知らないが、黒い鋼鉄製の骨組みには朱で染められた布地が貼ってあるので、威圧感が半端じゃない。

 

「それ、実は数多の血を浴びた曰くつきの鉄扇でした、とか無いよな?」

「ほぅ、それは面白そうだ。ならば栄えある歴史の第一歩は公積の血という事でどうだろう」

「断じてやめろ」

 

頑丈さには自信のある俺でも血が出るくらいに殴打されたら高確率で死ねる。

 

「安心しろ。前にも言ったがあくまでこいつは護身用だ。そんな曰くはありはしない」

「いや、分かってた。それよりも俺としては冗談に真顔で返された事に焦ってた」

「なに、たまには俺がお前を弄りたくなる時もある」

「男に弄られるとか誰得なのかと」

「俺の気持ちを理解して頂けた様で何よりだ」

 

瑾が勝ち誇った様な表情を浮かべて鉄扇をパンと閉じる。今回の語り合いは最終的に瑾に調子を握られてしまった。俺の負けである。だが敢えて言おう。肉体言語をチラつかせるのは反則であると。ウチに配属になって早くも我が隊の色に染まってしまった瑾に苦笑を浮かべていると、兵が一人駆け足で俺達の下へと近づいてきた。

 

「凌統様、諸葛瑾様、孫策様がお呼びです」

「だそうだ、瑾」

「いや、お前もだからな」

 

そんな事をお互いのたまいながら、兵にご苦労と一声掛けて俺達は雪蓮様の下へと向かう。軍議の用にと設置された大型の天幕の入り口をくぐると、半月前の時の様に雪蓮様以下呉の重臣勢が揃っている。これから話し合う事の内容を感じさせるピリピリとした空気を肌で感じながら、顔を見合わせた俺と瑾は無言で揃って席に付いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

見渡す限りの荒野に粛々と歩を進める一つの軍団の姿がある。規模はそれほど大きなものではない。兵達各々の装備も特に秀でた所は無いだろう。極めて普通、その一言に尽きる。しかし隊列を乱すことなく整然と行軍するその様相は、彼らが間違いなく精兵であること暗に示している。彼らは袁術により幽閉生活を余儀なくされていた呉の後継、孫権が率いる一軍。孫の一文字を記した牙門旗を高く掲げたその軍団の先頭には、孫策と同じ長い桃色の髪を風になびかせる孫権の姿がある。

 

勇ましくも若干の緊張を纏う、そんな主君の隣りに、甘寧はただ黙して付き従っている。甘寧はもとから積極的に口を開く性格ではないが、今は初陣で緊張している己の主君を刺激するまいと気を遣っているため尚更無口になっている。加えて孫権を守るために常に眼光鋭く周囲を警戒しているため、傍から見たその姿はおっかない女性の一言に尽きるだろう。もっともそれは本人も自覚していることであり、そして別段気にする事でもない。むしろそれが周囲への威圧の手助けとなっているならば甘寧にとっては僥倖である。

 

しかしそう思っているのは甘寧のみであり、君主である孫権は甘寧にもっと楽な姿勢でいる事を望む事が多い。現に今も孫権は自分の一歩後ろに控える甘寧の方を振り返り、困り顔な笑みを浮かべていた。

 

「思春、もう少し気を楽にしたらどうかしら。そんなに気を張っていては姉様達と合流する前にあなたが疲れてしまうわ」

「この程度ならば問題はありません。それに私の疲労などよりも、蓮華様の安全が最優先です」

「今はそこまで差し迫った状況じゃないでしょう」

「ですが――」

「思春?」

「……御意」

 

孫権に強く言われ、甘寧はしぶしぶと警戒のために張っていた気を緩める。普段は甘寧の意思を尊重してくれる事も多い孫権ではあるが、こういう所だけは断固として譲ってはくれない。臣として身体を気遣ってくれる事を甘寧は嬉しく思うが、同時にそんな気を遣わせてしまう事を申し訳なくも思っている。ゆえに孫権には気取られぬよう甘寧も平静を務める努力をしてはいるのだが、どう言う訳かどんなに隠そうとしても孫権には全て見通されてしまうのである。

 

孫権曰く「見れば分かる」との事だが、甘寧としてはその観察眼の鋭さに全力で敬意を表したい思いであった。

 

「蓮華様は私の事など全てお見通しなのですね」

「そんな事は無いわ。ただ、あなたが私の事を思って行動してくれている時、何となく感じるものがあるだけよ」

 

穏やかな顔で孫権がそう告げる。どうやら自分は思っている以上に孫権に意識を向け過ぎているらしい。しかしそれは甘寧にとってはどうしようもない事だ。傍付きである甘寧の役目は主君の身を危難から守り通す事。しかしそれ以上に甘寧自身の感情として、自分の大切な理解者である孫権を守りたいと言う意思が甘寧にはある。それこそ自分の命を賭けるほどに。

 

孫権はその事にあまり良い顔をしないが、時に孫権が譲らないように甘寧もこの意思だけは誰に何を言われようとも変えるつもりは無い。

 

「はぁ……思春、私がさっき言った言葉をもう忘れたのかしら?」

「えっ? あ……」

 

孫権に言われ甘寧は気づく。どうやら孫権の事を考えるあまり、またも無意識に気を張り詰めていたらしい。

 

「私の事を考えてくれるのは嬉しいけれど、それも行き過ぎなのはどうかと思うわ」

「も、申し訳ありません」

 

呆れたように言う孫権に甘寧は慌てて頭を下げる。それを見た孫権はふっと小さく笑いを漏らした。

 

「蓮華様?」

「ふふっ、ごめんなさい。あなたの考え込むと周りが見えなくなる所が彼に似ていたから、つい思い出し笑いをしてしまったわ」

「彼、ですか?」

「ええ。名前は凌統。前に一度、あなたに話した事が有ったでしょう?」

「……」

 

孫権の口から出たその名前を聞き、甘寧は自分の体がスッと冷え込む様な錯覚を覚える。いや、実際冷え込んだのだろう。体ではなく、心がだ。今も時たま夢に見るあの光景が突如として甘寧の脳裏に蘇る。薄い暗闇の向こうから甘寧を捉える、直視する事の叶わないあの男の瞳が――。

 

「……思春?」

「っ!?」

 

孫権に名を呼ばれ甘寧はハッと我に返る。冷や汗が背中を伝い服が背中に貼りついた時特有のじっとりとした嫌な感触を肌に感じる。いつの間にか早くなった鼓動を鎮めようと努めていると、不安そうな表情を浮かべた孫権の姿が甘寧の目に映った。

 

「大丈夫なの、思春? 顔色が悪いわよ」

「……どうやら蓮華様の言う通り、少し気を張り過ぎた様です」

「だから言ったでしょう。当分、私は大丈夫だから。あなたは少し休みなさい」

「御意」

 

心配する孫権に一言そう応え、甘寧は揺れる馬の上で目を閉じる。だが睡魔など到底訪れるはずも無い。このまま闇の中に意識を沈めたならば確実にあの光景を見る事になるだろうことは容易に想像できる。今までならば情けない自分の姿に苛立ちを感じる程度で済んだかもしれない。

 

しかし今となってそこに別の感情が加わる。それは……不安だ。何時か、甘寧はもし凌統が自分と再会したら一体どう反応するのかと、一体何を思うのかと考えた事があった。そしてその再会を目前にした今、それは凌統だけではなく自分にも当てはまる事だと甘寧は気付く。

 

けれどそれもまた凌統の時と同じだ、自分の事とは言え先の事など甘寧には分からない。もしかしたら凌統は既に仇の事など当の昔に忘れてしまっているかもしれない。ならば今更それを掘り返し許しを請う必要を甘寧は感じない。なぜなら凌統が自分の事を親の仇だと知れば確実に孫呉の結束にひびが入る。いや、正確に言えば甘寧と凌統の間にだ。

 

その程度の事で精強たる孫呉が揺るぐ事などありえないだろうし、又もしもの場合として、自分一人が消える事になろうとも今後の戦いにさほど問題は無いだろう。それでも独立に向けて動き始めたばかりの今、少なからず支障は出るはず。ならば自分が抱える罪の意識など、甘寧は容易に捨ててしまえる。孫呉独立の夢に比べればそんなものは塵芥に等しい。

 

だがもし、凌統が今も仇を捜し、そして甘寧がそうだと気付いてしまったなら? その時、自分はどうすればいいのだろうか。せめて孫呉に不利をもたらさない結果に導かなければ……そう考えた所で甘寧にはその方法が思いつかない。そしてその代わりに気づく。

 

全ては凌統次第であるのだと。この件に関しては何もかも、凌統が無ければ始まらない。甘寧が出来る事は、凌統がどう動くかによってきまるのだから。ならばその時を待つ事にしよう。今いたずらに気をすり減らすよりも、孫権の言う通り心身を共に十分休ませ、そして万全の状態でその時に望めばいい。

 

元から甘寧には先を考えて動こうとするような器用な事など出来ないのだ。でなければ荒くれ者どもを率いて江賊になどなっていない。不器用な自分が器用に立ちまわろうと考える必要などなかった。不器用は不器用なりに何があろうと正面からドンと受けて立つ。ただそれだけで良い。

 

今までそうして、甘寧は生きてきたのだから。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「だぁぁぁ! 生きてる心地がしないぞこらぁ!」

「正直、黄泉路一歩手前のこの状況ぉぉぉ!」

 

俺と瑾がおかしな調子で叫ぶのと同時に、新たな血飛沫が既に赤く染まっている俺の鉄甲を更に深く染めた。後ろでは瑾が鉄扇で黄巾兵の喉を突き、骨を砕く事で始末している。しかしまだまだ、俺達の目の前には黄巾を身に付けた賊徒が数えるのも嫌になるくらいの数で隊列を展開している。いや、沸いてはただ突撃を繰り返すだけのそれを隊列と呼ぶかは些か疑問が残るが、とりあえずそれは置いておこう。今は目の前の敵を片づけるのが先だ。

 

さて、さっきまで瑾と楽しく話をしていたと言うのになぜいきなりこんな状況に陥っているのかと問われれば……まぁ、答えるのは簡単だ。何時までも出城に籠る黄巾党に対し、俺達が攻城戦を仕掛けたからである。

 

といっても、今の状況を見るに野戦に限りなく近い攻城戦だと言うべきか。こちらの予想を裏切り終始城に籠って亀に徹すると思われていた黄巾党だが、俺と共に前衛部隊を率いている瑾が出城の城門を前にして思い出すのもはばかられる程の内容で籠城する黄巾党を挑発というか、罵りまくった結果、怒り狂った黄巾兵が続々と城から出陣。時間が掛かると思われていた攻城戦はあっという間に軍団同士が正面からぶつかり合う野戦へと発展し、前衛を率いていた俺と瑾は瞬く間に戦闘へ突入。そして今の状況に至る訳である。

 

正直、本来時間の掛かる城攻めが可及的速やかに終了する事になりそうなのは俺達にとっても嬉しい事ではあるのだが……。

 

「これ絶対城攻め違う!」

「攻城戦と書いてやせんと読む!」

「軍師見習いの言う事じゃねぇ!」

 

とまあ、高揚し過ぎて瑾が若干おかしくなっていることからも分かるように、城から続々と湧いて出る黄巾兵をいの一番に迎え撃たなければならない俺達前衛部隊の負担が半端じゃないのである。しかも本来後方から指揮を執るはずだった瑾が向こうの突貫に巻き込まれたせいで俺と肩を並べて最前線で戦う始末。この時点で俺達は柔軟な対応をする事ががほぼ不可能となってしまったため、この場は仕方なく密集隊形をとり、場当たり的な戦いを強いられることになってしまった。

 

幸いにして、俺達が黄巾党の勢いを殺した所にすぐさま雪蓮様率いる本隊が横撃を加える形で対応に当たってくれているので敵軍に囲まれる事は無いし、数の暴力があるとはいえ所詮食い詰め農民でしかない奴らに今の所は俺達が押し切られる心配も無い。ただ、やはりと言うか勢いを殺すための壁となる事は想像以上に心身に負担を強いられる。まあ、そろそろ体がその負担を負担と感じなくなってきた辺り、俺も大概な状態になりつつあるみたいだが。

 

「というか、こいつらどれだけ湧いてくるんだよ……。瑾、このままじゃ乱戦になって収拾がつかなくなる。一旦、戦線を下げるぞ」

「了解だ。弓隊、合図と共に敵城門に向けて一斉射! 狙わなくても良い、矢筒が空になるまで撃ちまくれ!」

 

瑾の怒声が響くと共に、背後からギリギリと弓が引き絞られる音が鳴り始める。しかしこちらの意図に気付いたのか狂ったように突撃の勢いを強めた黄巾兵を重歩兵隊と共に俺は正面から迎撃。重歩兵の構える鉄槍に体を貫かれ、あるいは俺が振るった鉄鎚に骨ごと体を砕かれ、黄巾兵は凌統隊の壁を打ち破る事は叶わない。皆、おやじの代から前線部隊を務めてきた猛者達だ、その練度と度胸を舐めてもらっては困る。

 

「瑾!」

「よし、放てっ!」

 

俺の声に応え瑾が鉄扇を振り下ろすのと同時に、放たれた数百の矢が城門に殺到する様にして降り注いだ。祭さん率いる精鋭達程ではないが、それでも正確に放たれた矢の雨が今まさに城門から出てこようとしていた黄巾党の出鼻を見事にくじく。

 

「今だ、押し返せっ!」

「「「おおぉぉぉぉ!!」」」

 

後続が怯んだために先程までの勢いを失った黄巾兵を、凌統隊の兵士達がここぞとばかりに押し返す。数と勢いに任せることで優勢を保っていた黄巾党は一瞬とは言えその優位性を失った事に動揺し、勢いによって抑え込んでいただろう恐怖というの名の感情が湧出してしまったらしい。先程までの威勢の良さを瞬く間に失っていく。

 

良く調練された軍隊ならば指揮官の指示の下、この状況を立て直す事も出来ただろう。だが黄巾党は規模は大きくても所詮は烏合の衆。指示を下せる指揮官がいようとも、従う兵達がそれについて行けない。ゆえに一度崩れてしまえばもう立て直しがきかない。二の足を踏む前衛に影響を受けた後続も同じように勢いを失い士気が下がる。

 

それは負の連鎖となり、やがては軍全体へと影響を及ぼす。その先に待つのは巨大集団の崩壊だ。恐慌し、戦意を失って逃げ惑う者たちを滅ぼす事など新兵であっても容易い。そして今、実際に俺の目の前でその光景が広がりつつある。疲弊し掛けている凌統隊であろうとも、今の黄巾党を蹴散らす事など赤子の手をひねる様なものだろう。

 

だが、それをするのは俺たちではない。例え今、目の前に武功を挙げる機会が転がっているのだとしても凌統隊は後退する。戦の最後を飾るに相応しいのは断じて凌統隊ではないのだ。

 

「うしっ、重歩兵隊転身! 弓隊は後退しながら牽制射撃を続行、横撃に当たる本隊の援護をしろ! 相手はご丁寧に黄色い目印を付けてくれてるんだ、間違っても味方に当てるなよ!」

「「「応っ!」」」

 

威勢の良い掛け声と共に再び矢の雨が城門目掛けて降り注ぐ。どうにか軍勢を立て直すために一度城内へ引き返そうとしていた黄巾党の前線部隊は、いきなりの転身に対応しきれなかった後続部隊と衝突しており、指揮系統が完全に崩壊。退却もままならないまま完全に統制を失い動きが鈍り切ったそこに飛来した数百の矢は、容赦の欠片も無く黄巾兵達の体を突き破り地面に縫い付けていく。

 

次々と倒れていく同胞の亡骸に足を取られて転んだ者は慌てふためく味方の足に踏み殺され、そうでなくても余計に身動きが取れなくなり焦燥に拍車を掛けることの繰り返し。誰が見ても、軍隊としては敗北末期の状態となっている。そんな状況を、我らが主君こと戦の天才、孫伯符が見逃すはずがなかった。

 

「全軍猛進せよっ! 賊に情けは無用だ、全て狩り尽くせっ!!」

 

転身する凌統隊と入れ替わる様にして、雪蓮様率いる本隊が雄叫びを上げながら凄まじい勢いで弱り切った黄巾党になだれ込んでいく。その先頭にはやはり雪蓮様の姿があり、既に何人もの敵兵を斬り殺したのか、すれ違いざまに見えたその顔には高揚と血化粧で彩られた実に獰猛な表情が浮かんでいた。

 

「公積……」

 

初見の人からすれば、普段は陽気な雪蓮様ゆえに想像できなかったんだろう。戸惑いの表情を浮かべる瑾に俺は苦笑で返す。

 

「うん、まあ……アレが戦場での雪蓮様だよ」

「アレは……いくらなんでも切り替え過ぎだろう」

「気持ちは分かる。俺も初陣で目にした時は目を疑ったからなぁ」

 

正直に言えば、疑ったと言うよりも恐怖したと言うのが正しい。初陣を迎えた時の俺は今より幼くて心構えもまだまだ未熟だった訳だが、その時に偶然雪蓮様の殺気を間近で感じてしまった事があった。自分に向けられている訳でもないのに、周囲に漏れだすその余波だけで明確な死を感じたのは今でもよく覚えている。無論今となってはそんな事にはならないが、だからと言って好んで感じたいとは思わない。

 

「もしやと思うが、孫権様もあの様な豹変をなさるのか?」

「あー……どうなんだろ。確か蓮華様も今回の戦が初陣だったはずだし、どうなるかは分からないなぁ。でも祭さん曰く、アレは孫家の血らしいから、ひょっとすると……かもなぁ」

 

とは言ってみるものの、孫家が分断されて以降蓮華様とは年単位で会っていない。その間、事実上の幽閉状態だった蓮華様とは手紙を介した連絡手段しかなかったため、そこまで詳しい状況は分からない。一応俺の記憶にある限りでは蓮華様には雪蓮様の様な癖は無かったと思うが、蓮華様も成長著しい年頃になったわけだし、どうなっている事やら。

 

「まあ、たぶん大丈夫だろ。少なくとも瑾に被害は及ばないはず」

「そうなのか?」

「もしもの時は明命……周泰を生贄にすれば済む話だ」

「周泰……確か、呉の隠密頭だったか」

「ああ。今は蓮華様の所にいるだけどな。なかなか可愛い子だぞ?」

「いや、なんでいきなりそんな話になった」

 

さっきまでの戸惑いの表情はどこへいったのやら。いつの間にか平静を取り戻していた瑾が呆れた表情でそう呟く。まあ、特にこれといった意図は無いんだが、とりあえず瑾の気を紛らわせるためとでもしておこう。一応、その通りにはなったわけだし。

 

「まあ、何となくだよ。それにそろそろ戦も終わるだろうしな」

 

そう言って既に後退を済ませた凌統隊の中から先程まで命のやり取りをしていた場所へと目を向ける。黄巾党の根城となっていた出城は既に本隊と後詰めとして待機していた予備隊によって完全に包囲され、城門付近は開戦当初とは打って変わって今度はこちらの兵達が城内へと向けてなだれ込んでいる。

 

こちらからではもう完全に黄巾兵の姿を見る事が出来ない。周囲を囲まれ退路を断たれてしまったのではそれも当然と言える。恐らく城内で最後の抵抗を試みているのだろうが、それもすぐに制圧されることだろう。あれほど煩かった剣戟の音も最早ほとんど聞こえない。聞こえるのは呉の兵士達の雄叫びと、そしてその中に混じる微かな断末魔の悲鳴くらいだ。

 

それもだんだんと聞こえなくなり、程なくして日が西に傾きかけた頃合い。輜重隊と共に城外で待機する俺達の耳に轟く様な勝ち鬨の声が聞こえてきたのと同時に、黄巾党本営征伐の初戦は呉の圧勝という形で終わりを告げた。

 




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また誤字脱字などございましたら、遠慮なくご指摘お願いします。
それでは、次回も宜しくお願いします。

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