ギーシュはこの作品でも大きく精神的に成長させていきたい。
「う、うぅん……?」
ギーシュは、意識を取り戻した。
なにかが口まわりに張り付いて息がしづらいと思っていたら、どうやら頭を包帯でグルグル巻きにされているらしい。
目を開けてみると、天井が見える。辺りを見ようと思って首を動かすと、顔を中心に頭がズキズキと痛んだので、目だけを動かした。
仕切りが見える。どうやらここは学院の医務室のようだ……でも、なぜ自分はこんなところで――
(――そう、か……僕、は……)
そして、ギーシュは思い出した。
刃の欠片が、自分の手に突き刺さったときの感覚を。
あの細い腕のどこから力が出るのかと思うほどの、重い拳の感覚を。
杖を手放し、無力な存在と化した自分の顔に二つの手がなんどもぶつかり、顔はグチャグチャにされた。
途中で、悲鳴をあげて喚いた。だがそれでもあの使い魔は……『ギーシュが泣くまで』、殴るのをやめなかった……
そして自分は泣く前に……意識を、手放した。
そう。自分は、負けたのだ。
あのルイズの使い魔と決闘をして……生徒たちの目の前で……平民を相手にして、敗北を喫したのだ。
「……ふ、ふふ……なんだ、それは……」
ズキズキと、顔のあちこちが痛む。
だが、そんなものなどどうでもいいと思えるくらいに、胸の奥がズキズキと締め付けられるように痛んだ。
まるで、心がねじり切られようとしているかのような感覚をギーシュは覚える。
今まで自分の中で育んできた自信、優越感ごと……ギーシュのすべてが、崩れ落ちていく。
「う……う、うぅ……くそ……くそっ……」
ポロポロと、ギーシュの目から滴が零れ落ちた。
負けた。
敗北した。完全に。完膚無きまでに。
自分ならば、苦も無く決闘で勝利できると、信じていたのに。
だからこそ自らの能力も事前に教えてやり、相手にハンデを与えてやったのだ。
だが、そうして戦ってみたら現実はどうだ?
彼の自信を象徴するゴーレムは次々となぎ倒され、とっさとはいえ機転をきかせて練った策もやぶられ……無様に地面に転がったではないか。
結局――自分は何もかもを失った。
モンモランシーも。ケティも。友達からの信頼も。あの、『ゼロ』の使い魔との戦いに敗れたことで。
「ち、くしょう……あの、使い魔……よくも……よくも、この僕に向かって……!!」
ギーシュは、自分をこんなめにあわせたドッピオに、激しい憎悪を感じた。
あの男さえいなければ、自分はモンモランシーともケティともうまくいっていたはずだった。
そして暴力を受けることはおろか、決闘を行って自分がこんな怪我を負うことも……そして、無様に醜態をさらすこともなかったのだ。
「く、うぅ……うぅ……!!」
涙があふれた。
今の自分はなんて惨めなんだろう。あのとき昼食をとる前までは、人生の絶頂に立っていたというのに。
こんなにも叩きのめされ、屈辱を受けることとなってしまうなんて。
「『ゼロ』の……『ゼロ』の使い魔の分際で……よくもこの僕を……あの汚らしいアホがァ……ッ!!」
思わず、そんな下品な言葉すらつぶやいてしまうほどに、ギーシュは憤っていた。精神的に打ちのめされていた。
だが、そんな言葉を誰かに聞かれる心配はない。
どうせ自分は、もう一人なのだから。
平民なんかに負けてしまった貴族などに、友は同情もなにもしてくれない。
みな、自分から離れて行ってしまっただろう。これから自分はかつて親しかったものから、蔑みの目で見られることとなるのだ。
誰が自分のようなヤツの見舞いに来るやつなんかがいるだろうか。
……そんなやつ、いない。誰も見舞いに来ない……
前触れもなく、突如として訪れたギーシュの孤独。それは、彼の心に暗い影を落とす。
(……たった一度の敗北で……こうも変わってしまうものなのか……)
ギーシュは、嘆いた。
どうしてこんなことになったっていうんだろう。
自分はただ貴族の家で生まれて魔法を学び、そして薔薇として多くの女性を楽しませるという義務を果たしながら楽しい生活を営んでいただけだ。
なのにどうしてこうなるというんだ。
いったい、どうして――
――『侮辱』に対しては、命をかけてでもきっちりとお返しするもんなんだ――
ふと、ギーシュはドッピオの言っていたことを思い出す。
『侮辱』。彼は、ルイズを『侮辱』したギーシュに制裁を与えるために戦った。そのためなら、命すら惜しまない、という壮絶な覚悟を決めて。
力の差など、とうに知っている。それでも勝つために…勝ってルイズの名誉を取り戻すために、彼は自分に立ち向かったのだ。
それに対して自分はどうだ? 生意気なことをしでかした平民を打ちのめすという、ちっぽけで安い自尊心のためだけに動いた。負けるはずがないと、たかをくくっていた。
そうして気軽な気持ちで、決闘を申し込んだ。
それがどうだ? どれだけ追いつめられてもその覚悟は揺らぐことなく、最後まで勝利に『気高く飢えた』。
その姿に自分は圧倒され――あいつは勝利を掴みとった。
「…………………………」
あいつは、最後まで誇りを高く持ち続けた。
一方で自分は、最後の最後まで『侮辱』したままだった。
自分がこれから戦う相手である、使い魔を『侮辱』し。
これから自分が行う決闘を軽視して『侮辱』し。
ルイズの誇りを、使い魔と友人たちの面前で『侮辱』し。
そして……モンモランシーと、ケティの信頼を『侮辱』した。
(……はは……なんだ、僕は負けてもしょうがなかったんじゃあないか……)
急にギーシュは恥ずかしさがこみあげてきた。
と同時に、虚しい気持ちとなってきた。
『侮辱』。これが、自らに災厄を招いたのだ。受けるべき必然の不幸を。
それさえしなければ、戦いでもギーシュが敗北することはなかった。
それさえしなければ、まず負けることになる戦いに挑むこともなかった。
それさえしなければ、使い魔から制裁を受けることもなかった。
それさえしなければ……自分と、彼女たちの名誉が傷つけられることもなかった。
(すべて……すべて、僕が悪いんじゃあないか……何も彼は間違ったことをしちゃあいない……勝手に僕が軽々しく動いて……自滅した。それだけじゃあないか……)
ハハハ、とギーシュは乾いた笑みをこぼす。
なんだ。結局自分は勝手に自分のすべてをなくしたんだ。
なんて惨めなんだろう。僕は。
必然のままに……僕は、一人になったのか。
納得するとともに、ギーシュは心が空っぽになっていくのを感じる。
「……これが……当然の『結果』か……」
そのときだった。
「ギーシュ?」
不意に仕切りが動いて、そこから一人の少女が顔をのぞかせた。
「え……モ、モンモランシー?」
ギーシュは、驚愕を隠せなかった。
彼の目の前に現れたのは、彼自身によって名誉を傷つけられてしまったモンモランシーだったからだ。
いったいどうして、彼女がここへやってきたのか。ギーシュにはわからなかった。
「モ、モンモランシー……どう、して?」
「看病に、よ。それくらいわかるでしょう?」
「……へっ? かん、びょう?」
「本当にいろいろと大変だったんだから。あなた3日も眠ったままだったし、その間ずっと包帯の交換とかを私がやったんだから。少しは感謝してよ?」
さらっと、なんでもないことのようにモンモランシーは答えて見せた。
だが、答えを聞いたギーシュはますますわけがわからなくなる。
なぜ自分のような人間のところに、彼女が看病になどやってきてくれるのか。
今のギーシュを罵倒するなり、絶交を知らせにくることならまだしも、彼女はわざわざ彼を一日中ずっと看病してくれたのだという。
いったい、どうして?
「先生の話だと、あと一日だけ安静にしてなきゃダメだって。全くルイズの使い魔ったら手加減も何もしないんだから……やになっちゃうわ。ホント」
「…………………………」
まるで、昼食のときのことなどなかったかのようにモンモランシーはふるまう。
なぜ、そんなに自然なままでいられるんだ?
「何か食べたいものある? ずっと何も食べてないから、お腹が空いてるでしょう?」
「…………………………」
どうしてさっきから、そんなにも自分のことを気にかけてくれるんだ?
僕は、君の心を踏みにじったっていうのに。
君の名誉が傷つけられたのは、僕のせいなんだぞ?
「まだ体の具合が悪くて食べられないかしら? でも何も取らないというのはさすがに悪いわ。とにかくお水だけでも」
「モンモランシー」
耐えかねたように、モンモランシーが話している最中にギーシュは口をはさむ。
するとモンモランシーはしゃべることをやめて、ギーシュの言葉を待つ。
一時の沈黙。重い空気を感じながらも、ギーシュは口を開いた。
「……なぜ君は、こんな僕を看病なんてしてくれたんだ?」
ギーシュは、モンモランシーの目をチラと見た。透き通るような青い瞳が、じっとギーシュを見続けている。
その目を見て罪悪感にかられたギーシュは、モンモランシーから目を逸らした。
「……僕は、君の名誉を傷つけたんだよ? 何度も君を愛していると言っておきながら、僕はケティにも同じことを言って、君の信頼を裏切ったんだ」
言葉にすると、またその罪の重さが増したような気がして、ギーシュは俯いた。
それでも口は止まらず、自分でも不思議に思うほど言葉を続ける。
「それだけじゃあない……僕は『ゼロ』のルイズの使い魔……しかも、平民にさえ敗北してしまったんだ。何の力も持たないはずの、あんな男に……魔法という力を持つ僕が……貴族としての面目も……僕の家族に向ける顔も何もあったもんじゃない……笑い話さ」
まるで、鉛の重石が入ったかのようにズキズキと胸が痛くなって、気持ちはどんどんと沈んでいった。
ギーシュ・ド・グラモン。彼の父親は、この国の元帥の一人であり、彼はその四男として生まれた。
名門一家の一人である彼の敗北。それは、下手をすればグラモンの家名すら陥れかねないほどに大きなものだった。
家族にだって、今回のことで大きな迷惑をかけるかもしれない。そんなことになっては、彼も堪えられない。
自分一人のせいで、こんなにも多くの人に被害が及んだのだ。
蔑みを受けたって、何もおかしくなんかない。むしろされるべきだとさえ考えている。
なのに。どうして彼女は。
自分から、離れなかったのだろう。
「……なぁ、モンモランシー……どうして僕なんかを、助けた? 僕は何もかも失った、恥ずべき人間なんだ。それくらい自分だってわかっている。僕は君にあわせる顔だってもうないってのに……どうして?」
「…………………………」
ギーシュがモンモランシーに訊ねかけても、彼女はすぐには答えなかった。
もう一度、ギーシュはモンモランシーの目を見る。
その青い瞳には、ギーシュへの軽蔑の色なんてない、澄んだ光だけがあった。
ふぅ、とモンモランシーは一息間をあけて、口を開く。
「……確かに、あなたがしたことは私やケティを『侮辱』したわ。でも、それについてはもう、あなたはしっかりと使い魔から制裁を受けている。それでもう私は納得をしてるの。それでもう、ね」
だからもういいわ。と、モンモランシーはギーシュに告げる。
「……僕を……許すって……いうのかい?」
「勘違いしないで。あなたへの制裁はしない。それだけよ。看病してあげてたのは、友達として、同級生として、よ」
「……友達?」
「ええそうよ。恋人のままでいられるだなんて甘ったれたことを考えたんじゃあないでしょうね? そうだとしたら大間違いよ」
聞き間違いだと、ギーシュは思った。
そう思って彼はモンモランシーに問い返したが、やはりそれは真実だった。
聞き間違いなどでは、なかったのだ。
「……友達で、いてくれるのかい?」
ギーシュは、胸が熱くなった。
――こんな僕の……友達で、いてくれるのかい? 君は……
――こんなにも未熟な僕でも、それでも君は僕の友達でいてくれるというのかい?
――こんな僕を……君は……君は……
「……『なにも一人ぼっちになることはない』、そう思っただけよ」
恥ずかしそうにして、モンモランシーは赤くなった顔をそらす。
――ああ、君は。
――君は、こんなにも――こんなにも素晴らしかったのか。
――こんな僕にも君は優しくしてくれるっていうのか。
――僕の、心の隙間を。埋めてくれるというのか。
心の傷が、吹き飛んだ……女神だ……モンモランシー……
「モ……モンモランシーィィイイイ!! 君って人は、君って人はあああ!!」
「キャッ、ちょっ、ギーシュ抱き付こうとしないでよっ! あんたは寝てなさい!!」
ガンッ!! と。
痛快な音とともにモンモランシーの拳がギーシュの側頭部に衝突し、新たな激痛にギーシュは悶えることとなった。
だが、ギーシュはそれでも口が横に広がることを止められず……今までとは違う、爽やかな笑みを浮かべた。
『評価する』と心の中で思ったのならッ! すでにその行動は終わってるんだッ!
そんな感じで評価してもらえたらすごくうれしい。