……え? 許してくれない? マジで?
ひ、ひと思いに右で(以下略)
電話を取って、それを耳に当ててからのほんの数秒間。
待ち焦がれていたその瞬間がやってきて、聞きたいと思っていた相手の声が聞こえてくるまでのわずかなその時間が……ドッピオには、永遠のように感じられた。
「ボス……ボス、聞こえますか?」
恐る恐る、ドッピオは電話の向こうへと話しかける。
このまま、声すら聞けないままに電話が終わってしまったら……そう思うと、不安で不安で仕方がなかった。
「ボス……ボス……」
「――いつものお前は、嬉々とした声で私の電話に出るというのに、今回はどうしたんだ? え? ドッピオ」
でも、そんなドッピオの心の闇などすぐに吹き飛んだ。
安心は、電話の向こうからドッピオのもとにやってきた。
思わず、ドッピオは思考が止まって完全に静止してしまった。
「それほどまでに私からの電話が来てほしかったということか……フフッ、こういうのもなんというかおかしいかもしれないが……全く、かわいらしいものだな、我が腹心よ」
それは、いつだって彼に勇気を与えてくれた声だった。
それは、いつだって彼に安心を与えてくれた声だった。
それは、いつだって彼に誇りを与えてくれた声だった。
戦いのときにも。
自分に任務を与えられるときにも。
神からの言葉のように厳かで、しかし時に優しくあるその言葉だった。
まるで、最初に自分に電話をかけてくれてきた時のように。
掃き溜めのような場所で、死んだように生きていた自分へと電話をしてくれた、あの時のように。
その声は、慈愛に満ちていた。
「ああ……ボス……お久しぶりです、ボス……懐かしい、今までずっと聞きたかった声です……ボス……」
「……ああ……久しぶりだな、ドッピオ……」
今にも泣きだしてしまうそうな、震える声を出すドッピオ。
組織の一員、それも側近にふさわしくないと思われるそんな彼でさえも、ボスは叱責することもなくただ応えた。
それは、ボスも自分と電話がしたかったからなのか。
それとも、父親のような寛大さで、自分の愚行をも受け入れてくれるのか。
どちらであったとしても、ドッピオは感嘆せずにはいられなかった。
流れ出そうになる涙をグッと堪え、ドッピオはボスとの会話を続ける。
「すいません、ボス……側近でありながら、僕はボスの傍を離れてしまいました……でも、これからは……」
「ドッピオ、すまんが長電話をしているほどの時間がないんだ……これから私が話すことを、聞いてくれないか?」
と、ドッピオが決意を新たにしてボスに誓いを立てようとしたそのとき。
不意にボスが、ドッピオの言葉の最中に割って入ってきた。
「……え? ……あ、はい。すいませんボス。そうでした、申し訳ありません」
しかしドッピオは特にそのことを不思議には思わなかった。
あまり長い間電話をしていれば、もしかしたらこの電話が逆探知されてボスの居所が知られてしまうことだってあるのだ。
それに、ドッピオはボスの安否を確認することができた。そして、電話をかけてきてくれた。それならもう、何もかもがどうでもいい些細なことだ。
これからきっと、新しい任務につけという命令が下るのだろう。それを自分は何も考えずに実行すればそれでいい。
そう考えたドッピオは、しばらく沈黙しているボスの次の言葉を待って
「これから私が話すことは……私の最後の言葉となる……心して、聞いてほしい……」
彼の思考は、再び停止した。
「なんだ……いったい何が起こってやがるッ!?」
フーケは、叫ばずにはいられなかった。
自分がルイズから奪い返し、そしてしっかりとその手に握りしめていたはずの『約束のペンダント』。
それはいつの間にか自分の手の中からすっぽりと抜け落ちて、死にかけていたはずの使い魔に吸い込まれていく。
首から入っていくそれは、彼の肉を引き裂いて血を噴き出させるはずなのに……それは彼を傷つけることなく、吸収されていくように彼の中へと入っていった。
(……なんだってんだい……この言いようのない、不安は……!!)
そして、それを見たフーケは戦慄した。
自分には目の前で何が起こっているかなど、さっぱりわからない。
これから何が起ころうとしているのかも、見当がつかない。
このまま放置していたところで、いずれ彼は絶命するだろう。死にかけの彼に出来ることなどなにもない。そうに間違いないと、フーケは自分の不安を払拭すべく何度も考える。
しかし、彼女の直感が叫ぶ。
このままでは、いけない。
彼にそのまま、『約束のペンダント』に触れさせておくのは、ヤバい。
――絶対的な、敗北がやってくると、彼女の魂が悲鳴をあげた。
「――ッ!!」
フーケは杖を振い、急いでゴーレムを作り出そうとした。
見えない何かに急き立てられ、恐ろしいものから逃げようとするように。
だが、それは杖を持つ自分の腕に掴みかかる『何か』に阻まれる。
ギョッとしてその腕を見ると、そこには荒い呼吸をしながらも自分にしがみ付いて離れようとしないルイズの姿があった。
「なにをするんだい、その手を離しなッ!!」
フーケは自分の邪魔をするルイズを躍起になって振り払おうとした。
だが、ルイズはすでにボロボロだというのに、いったいどこからそんな力が出るのかフーケの腕を決して放そうとしなかった。
「……絶対、に……離して、やる、もん……か……!!」
その彼女の目には、光があった。
絶対に自分の使い魔を守るために……助けなければならない人間を、迫る脅威から守るために立ち向かう、誇りが宿っていた。
「離せって言ってるんだよッ!!」
どれだけ振り払おうとしても離れないルイズを見て苛立ったフーケは、鋭い蹴りをルイズの腹に打ち込む。
うめき声をあげて怯むルイズだったが、それでもその手にかかる力は一向にゆるむ気配がなかった。
「ク、ソッ……!! このちっぽけなガキがァッ!!」
何度も何度も繰り返してルイズを蹴るフーケ。必死にしがみつくルイズだったが、やはりいつまでも耐えることができることはなく……ついにその手はフーケの腕から離れてしまった。
「ぐぅッ!?」
悲鳴をあげるルイズを、フーケがもう一度蹴り飛ばす。
ルイズは力なく地面を転がり、うつ伏せになってピクリとも動くことができなくなった。
フーケはすぐに杖をドッピオに向ける。
彼のすぐそばで土は盛り上がり、徐々にそれは人の形をしたものへと姿を変えた。
(殺せ!!)
等身大の即席ゴーレムへと、フーケは殺人の命令を下す。
とたんにゴーレムは動きだし、命令を遂行すべくその土くれの腕を振り上げた。
「い、や……ドッ、ピオ……ドッピオ……!!」
もう、ルイズはどうすることもできない。
もはやゴーレムは動き出してしまった。彼女は、フーケによるドッピオの処刑を止めることはできない。
やがてゴーレムの拳は極限にまで振り上げられ制止する。
その拳の到達点は、ドッピオの心臓。
免れない死が、彼に迫った。
「ドッ……ピオォォ……!!」
かすれる声で、ルイズは使い魔の名を呼ぶ。
そしてゴーレムは次の瞬間、とてつもないスピードでその拳を振り下ろして、
ド ゴ ォ ォ ォ ッ !!
次の瞬間、ゴーレムは跡形もなく粉々に砕け散った。
「……は?」
フーケは口をポカンと開けて間抜けな表情をしたまま固まった。
ルイズも同様だった。自身の使い魔が絶対的な危機に陥ったと思えば、いきなりその危機が木端微塵になったのだから。
「……なん、だ? 今の……」
フーケは驚愕しながらも、いったい何が起こったのかを理解しつつあった。
しかし、それと同時にそれを受け入れることができなかった。
彼女のゴーレムが壊れた、その理由。それはあまりに簡単なことだ。
『尋常じゃないほどの衝撃を受けてぶち壊された』。ただそれだけ。
だが、だからこそ理解できなかった。
(いつだ、いつあいつはそんなことをした……!? いや、まずあの弾け飛びよう……人間の力なんかで出来る芸当じゃあないぞ……!?)
砕け散ったゴーレムのそばで横たわるあの男は、ピクリとも動いてはいなかった。
今もそうだ。生きているのか死んでいるのかもわからないまま、未だに目覚める気配を見せない。
いや、それよりもまず、『フーケのゴーレムを弾け飛ばせるだけの力』があの男にはないはずだ。確かにあの男の身体能力の高さは厄介なものだが、フーケのゴーレムを壊すほどのパワーなんてなかったはずだ。
というか、この世のどんな人間であっても魔法なしにフーケのゴーレムをぶち壊せるヤツはいない。それはもはや人間の限界を超えているからだ。
単純で、だからこそ全く理屈のわからぬ現象が起こり、フーケは混乱する。
そして、恐怖する。
「ッ!!」
フーケは、先ほどよりも多くの精神力を込めて、ゴーレムを作り出す。
不気味な地鳴りとともに、35メイル級のゴーレムがフーケの足場から精製される。
もうフーケには先ほどのような余裕はなかった。
あるのはただ、未知の脅威と遭遇したことへの恐怖だけ。
それが彼女を急き立てる。
早く、早く、早く。
あいつを、殺さないと――!!
ゴーレムの手の上に立つフーケは杖を振って命令する。
今度こそ、防ぎようのない死の鉄槌を下すために!
「やれ! ゴーレム!!」
フーケの声に従ってゴーレムはその腕を振るう。
ゴーレムは地面に向かって掌を横に振って、大地ごとドッピオを薙ぎ払おうとした。
「…………負け、た? ボス、が……?」
「……ああ、そうだ」
ドッピオは。言葉を失った。
ボスに起こった、すべてのことをドッピオは聞かされた。
あれからのコロッセオでの、ブチャラティチームとの死闘。
新入りのジョルノ・ジョバァーナが、その末に『矢』を手に入れたこと。
『矢』によってジョルノのスタンドは更なる先へと進み、『レクイエム』へと進化したこと。
……ボスが、その能力の前に敗北を喫したということ。
そして――
「ボス……ボス、が……何度も、死に続けて……?」
「……ああ、そうだ。今だって、ずっと死に続けている……こうしている間にも、な」
ドッピオは、何も信じることができなかった。
ボスの敗北。
パッショーネの崩壊。
そして……ボスが辿ることとなった、運命の末路を。
その恐ろしい現実に……ドッピオは目を向けることができなかった。
「嘘だ……嘘だ、ボスが、ボスが負けるなんてッ!!」
「……ドッピオ」
「そんなのデタラメだッ、オメーはボスじゃあねーなッ!! ボスの名を語って俺に電話をよこして、いったい何がしてーんだ!?」
「……ドッピオ、話を聞いてくれ……」
「そんな、ボスが……ボスが負けるわけなんてないんだ!! だってボスは、ボスは無敵なんだ! この世界の、すべての、運命すらねじ伏せる『帝王』なんだぞ!? 負けるわけなんてないんだ、絶対に!!」
「…………」
ドッピオは、混乱した。
何もかもがわからなくなって、すべてが絶望で包まれた。
やがて、ドッピオは。
「ちくしょう、ボスからの電話だと思って出たら、赤の他人かよッ!! ナニモンだテメーッ、ボスの命を狙う新手のスタンド使いか!?」
「……ドッピオ」
「しかも組織の回線使いやがって……まさか、ブチャラティチームに味方する野郎が他にもいたってのか、どうなんだ!?」
「……ドッピオ」
電話の向こうが、ボスでないという『甘ったれた』考えにすがった。
自分にかかってきたこの電話が、間違いであってほしいという願いは、『相手への悪意』となって牙を向く。
「ふざけたことしてきやがって、来るなら堂々とかかってきやがれッ!! 俺は逃げもしねー、隠れもしねーッ、テメーら裏切り者と戦ってやるッ!! 勝って、またボスの電話を待つんだ!!」
「……ドッピオ」
「やめろ!! もうしゃべるな!!」
「ドッピオ……話を聞いてくれ、ドッピオ……」
「やめろって言ってんだよッ!! ボスの、ボスの声で……ボスの言葉で、俺の名を呼ぶなァッ!! 俺は、俺は……!!」
「…………」
「俺は……俺は、『ヴィネガー・ドッピオ』は『帝王の側近』なんだァ――――ッ!! 誇り高い側近の名を、お前みたいな偽物がボスの声でしゃべんじゃあねーッ!!」
ドッピオは、叫ぶ。
それは怒声というよりも……まるで悲鳴のようなものだった。
その声に込められた思いは『怒り』よりも……『悲しみ』と『痛み』に満ちた、泣き声のような。そんなものだった。
だがボスは、側近の叫びを聞き、沈黙する。
ドッピオの目からは涙があふれ、嗚咽することをやめられなかった。
「う……うぅぅ……」
「…………」
「……嘘だ……嘘だ……」
「…………」
「……そうだ……あんたはボスじゃあない……だってボスなら、『矢』を手に入れたのなら、それでレクイエムから解放されるはずじゃあないか……なのに、どうして……」
「………………」
「そうだよ……ボスなら、『矢』を手に入れたんなら、それでスタンドをレクイエムに昇華して、脱出できるはずじゃあないか……だから、だから……」
ドッピオは、わずかな希望にすがって何度もそうつぶやく。
何度も何度もつぶやき、まるで自分に言い聞かせるかのように。
だが、そんな希望すらも電話の相手はすべて否定した。
「私は『矢』に拒絶された」
重い沈黙からの、ボスの言葉。
とても静かなで、しかしドッピオにはハッキリと聞こえる声で、ボスは話した。
それは、ドッピオにショックを与えるには十分なものだった。
「……私も永遠の死の最中に『矢』と巡り合えた時は、深く影が落ちた心が光で照らされたような、晴れ晴れとしたものだったよ。これで救われると。すべての苦しみが終わるのだと、そう思った」
まるで自嘲するかのような口ぶりで、ボスは話し続けていた。
自らのかつての愚行を、鼻で笑うかのように。
ドッピオはただ、黙ってそれを聞いていた。
「だが、『矢』は私を拒絶した……キング・クリムゾンを貫いた『矢』は、ただその手を傷つけるだけで終わり……何も……何も変わらなかった……『矢』に選ばれなかった私は理解した。もう、私はここから逃げ出すことはできないのだと……」
「……そん、な……」
「それと同時に、私は悟った。私は、『帝王』などではなかった。自らの力に溺れ、私利私欲のために暴虐の限りを尽し、永遠の絶頂などというまやかしを信じてしまった、ただの罪深い『人』なんだとな……」
「そんな、そんな……!!」
自虐的な話をし始めたボスに、ドッピオは戸惑いを隠せなくなる。
だがそんなドッピオとは裏腹に、ボスは落ち着いた声で淡々と言葉を放って行った。
「人はいつか、すべてに報いが返ってくる。善には善の、悪には悪の、な……だから私は、これが報いなのだと理解した。決して許されることのない、驕りを持った者が受ける罰なのだと……」
「…………」
「だから、私はこのままであったとしても、もういいのだ。それが『結果』なのだから。自らが歩んできた人生の末……運命の、『結果』なのだから……」
ドッピオは、否定したかった。
すべてが嘘なのだと思いたかった。
この電話の男は、ボスの名を語り、自分を騙し、陥れようとしているのだと。
そしてこの男は、自らが尊敬……いや、崇拝してやまないボスを侮辱しているのだと。
だが、怒りがわいてこない。
代わりにやってくるのは、深い悲しみと、虚しさだけだった。
心のどこかで、ドッピオは理解していた。
これは、ボスなのだと。
紛れもない、ボスからの電話……最後の言葉なのだと。
「だが……そんな私でも、最後まで気にかけていたことがあった……側近であるドッピオ……お前だけが、気がかりだった……」
と、不意にボスはドッピオのことへと話を変える。
今までの静かなものから、ボスの声が少しずつ変わっていった。
「私がこうして死に続けている今も……私のかわいい腹心は、どうしているのか……死んでいないことは、わかった。死んだのならば私の魂がそう理解するはずなのだから……私の助けもないまま、生きていけるのか……ただそれだけが気がかりだった……」
ドッピオは、自らが仕えた主人の言葉に耳を傾けたままになった。
ボスの言葉の節々には、自らのかわいい腹心を心配するような思いが見え隠れしていた。
「だから私は、『矢』にこうして魂の一部を残し、誰かがお前にこれを託すのを待った……いつか、お前がこの『矢』を受け取り、最後の対話をしてくれることを願って……そして……お前は、見つけてくれた……」
息子との再会を喜ぶ、父のように。ボスは、ドッピオへと優しく言葉をかける。
それはドッピオの心を深く揺さぶり……胸の中を、熱い何かで満たしていった。
「ドッピオ……決して、私のような者にはなるな……ただ『結果』だけを追い求め、『過程』を無視してしまい、取り返しのつかぬ悪へと染まってはならないのだ……お前にはお前の未来がある。運命がある。これからは、それを進むのだ……私のためではなく、自分のために」
「そんな……ボス、ボス……俺、ボスがいないと……俺……」
「いや、私がいなくてもお前は立派にやっていたじゃあないか……新しい主人の、ルイズは、お前に救われた。お前はただ、それと同じことをしていけばいいだけだ」
「でも……! それは、ボスに言われた通りにやっただけで……俺は、俺は……」
泣き言を漏らしてしまうドッピオ。
普段ならば、ボスからの厳しい言葉がやってくるような情けない醜態を晒すドッピオだったが、それでもボスは優しく言葉をかけてきた。
「私はもう、お前には必要ない。お前にはもう『光り輝く道』を突き進もうとする友がいる。彼らが、きっとお前を導いてくれるさ……だから、もういいんだ……」
「ボス……ボス……!!」
涙が止まらない。
嗚咽してばかりで、まともにしゃべることもドッピオはできなくなってしまった。
そうでなくても口は震え、言葉を紡ぐことすらもう難しい。
ただただ、名も知らぬ相手を呼ぶことしか、ドッピオにはできない。
「……ドッピオ、振り返ってみろ……」
「……え?」
ふと、ボスがドッピオにそんなことを言ってきた。
何のことかわからず、言われた通りにドッピオは踵を返して後ろへと振り返った。
そこに立っていたのは。すり切れたビデオテープで再生させた映像のようにおぼろげな、見知らぬ一人の男。
髪は長く、ピンク色だがところどころに緑色の斑点のようなものがある。
全体的に筋肉質な身体で、年は30~40代だろうか。
ドッピオはこんな男は知らない。なのに、なぜだかひどく懐かしいような……そんな暖かな気持ちがあふれてきた。
「……あな、たは……まさか、あなたは……!!」
ドッピオは、直感した。
自分の心が、すべてを認めた。
自分の後ろに立っていた、この人が。この人こそが……
「……ディアボロだ……」
「……え?」
姿を見せたボスがドッピオにそう告げてきた。
何のことかわからず、ドッピオは思わず聞き返す。
「ディアボロ。私の名だよ、ドッピオ……ふふ、酷い名だろう? 『悪魔』、だものな……」
「……ディア、ボロ……」
初めて教えられた、ボスの名前。そして見せてもらった、ボスの姿。
そこには今まで自分に尽してきてくれた腹心への、ささやかな礼が込められていた。
そして。ボスはゆっくりとドッピオに歩み寄り、肩に手をかけた。
何かと触れた感覚はない。でも、もっと別の感覚が、そこにはあった。
「……今までありがとう、ヴィネガー・ドッピオ。もうお前は、これからは自分の道を行け……それがボスとしての、最後の命令だ……」
「ボ、ス……ボス、ボス……!!」
「……フフ、もう泣いてばかりだな、ドッピオ……だがもう、お前は行かなくてはならない……振り返るな、そのまま進め、ドッピオ……」
そう言うと、ボスはドッピオの背後を指さした。
そこにあったのは、先ほどまでにはなかった、黄金色に輝く光の道だった。
この先に進めば、またあの世界へと戻るのだろう。
自分が新しく生を受けた、あの世界へ。
「私はお前のこれからを見守っている。お前が栄光を掴むのを、そばでずっとな……」
「う、うぅぅ……うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
いよいよ堪えられなくなり、ドッピオは号泣した。
それを見たボスは、困ったように笑ってドッピオを見守り続ける。
それから少しの間、ドッピオは泣き続けた。
今まで流すことができなかったものを、すべて出していくように。
やがて泣き止むと、顔をあげてボスを見る。
その目にはもう、迷いはない。
突き進む自分の道を見据え、躊躇いなく前へと進む覚悟を宿していた。
振り返ると、帰り道を真っ直ぐに見据えてドッピオは歩き始める。
これからは誰のためでもない。自らの、光り輝く未来のために――
「……なん……だと……!?」
フーケは、驚愕を隠せなかった。
確かに自分は先ほどまで、ゴーレムに命令をしてドッピオを殺させようとしたはずだ。
そしてゴーレムはその命に従って振りかぶり、横なぎに土ごと彼を吹き飛ばそうとしていたはずだ。
そう。少し前まで、そうしていたはずだった。
だが。
「なん、で……なんで、『過程』が吹き飛んでる……!?」
ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……
自分は、一瞬たりとも目を離してなんかいなかったはずだった。
瞬き一つもしていなかったはずだった。
なのに。ゴーレムが振り上げた手は、『いつの間にかもう横に振るわれていた』。
まるで……そう、まるで……時が『吹き飛んだ』かのように……
(なんなんだ、いったいなんなんだ!? 何が起きようとしてるってんだい!?)
わけのわからぬ事態に錯乱するフーケ。
ただ、こんな中でも一つだけ、彼女にわかっていることがあった。
『何か』が、やってくる。
恐ろしい『何か』が。
幻獣や、強力なメイジなんかよりもずっと凶暴で、強大な『何か』が、自分に迫っていると。
姿を見せぬ『何か』を恐れ、心ひそかにフーケが怯えていた、そのときだった。
ジャリ……
と。近くの地面から、足音が聞こえた。
それがまるで、フーケには死神の足音のように聞こえた。
震えながら、ゆっくりとフーケはそちらへと視線を向ける。
そして。彼女は、自分の死神と、対峙した。
「……かなりの間……眠っちまってたみてーだな、どーも」
それは、自身の主人がゴーレムの攻撃に巻き込まれぬよう、ルイズを抱きかかえて立っていた。
ルイズ本人も何が起きたかわからず、茫然としている中で、彼はゆっくりとルイズを下す。
「だから何が起きたのかは俺にはよくわからねーが……随分と暴れまわってくれたみてーだな、え? フーケ」
彼はフーケのゴーレムに向かって歩き出す。
その目はナイフのように鋭く、冷たく。その声は、覇気に満ちていた。
彼が歩くたびに、なぜか大地が揺れているような錯覚を覚える。
彼が視線を送るたびに、なぜか世界のすべてが自分に襲い掛かるような感覚を覚える。
彼が言葉を放つたびに、なぜか大気が震えているような気がする。
恐怖が、フーケの心をじわじわと侵食していった。
「ッ!!」
恐ろしさのあまり、フーケはゴーレムに再び命令してドッピオに襲い掛かった。
ゴーレムは再び驚異的なスピードで動き出し、その剛腕をドッピオめがけて放つ。
だが。
ゥ ゥ ゥ ゥ ゥ ゥ ゥ ン ……
「!?」
再び、『過程』が吹き飛んだ。
振り上げた拳はいつの間にか地面と激突していて土ほこりが舞い上がり、辺りには地響きが鳴る。
しかしその地響きは今まで全く聞こえず、鳴りはじめたところをフーケは聞きもしなかった。しかも『音の途中』から、フーケの耳には聞こえてきたのだ。
(なんだってんだい……これじゃあまるで……時間が……!!)
フーケが戦慄し、目の当たりにした現象に驚愕したその次の瞬間。
ジャリ……
と。再び足音が聞こえてきた。
しかもそれは……突き出したゴーレムの、拳の上からだった。
土煙から、ゆっくりとドッピオは姿を現す。
――もう私には必要がないものだ。だがドッピオ、これからお前には多くの試練がやってくるだろう……その運命と立ち向かうお前に、これを託す……戦いの中で、『その名』を呼ぶがいい。それは力を貸してくれるだろう――
(……ありがとう、ボス……ありがとう……それしか言葉が見つからない……)
ドッピオは心の中で何度も感謝の言葉を言い続ける。
かつての主人が、自分に残してくれたのは、『遺言』だけではなかった。
それは、今までは『ほんの一部』だけしか使うことのできなかった力。
彼のボス、ディアボロが従え、『帝王』として君臨するために使役した力。
その力は圧倒的、絶対的。襲い掛かる『非情な運命』に立ち向かうための、ドッピオの新たな力。
そして、ドッピオは叫ぶ。自らが得た、その力の名を――!!
「『キング・クリムゾン』ッ!!」
新たな主人の呼びかけに応じて、真紅の帝王はその姿を現した。
いったいフーケの話どこまで続くんだよ。
自分でも呆れるくらい続いてます。ホント。
読者の中にはおそらく、ボスが復活することを期待していた方もいらっしゃったかと思います。
でもこの物語はあくまで『ドッピオ』の物語なんです。彼が成長していくその様を、書きたかったんです。
そう思うとやはりボスは復活させるというのはできず、能力だけが受け継がれる形になりました。
落胆された方には謝罪しますが、これからもどうか『ゼロの奇妙な腹心』の行く末と、ドッピオの成長を見守っていただければと思います。
もし読み続けてくださるがいれば、『ありがとう』。それしか言葉が見つかりません。