「ああ、僕のモンモランシー。『ゼロ』のルイズなんかの魔法のせいで、君の美しい髪が台無しになってしまうだなんて……」
あまり人のいない学院の廊下で、ギーシュとモンモランシーはお互いを見つめ合っていた。
爆発で乱れたモンモランシーの髪を慈しむように撫でるギーシュ。モンモランシーは恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、それを止めはしなかった。
「大丈夫よこんなの。すぐに直せるものよ」
「そうだとしても、僕は気が気じゃないんだ……あの忌々しいルイズの失敗魔法で、君が傷つきでもしたらと思うと胸が切なくなるよ」
芝居ががった、気障で甘ったるい台詞だが、ギーシュの言葉を聞いてモンモランシーはほぅっと熱のこもった息を漏らす。
目はギーシュに釘付けになり、モンモランシーは愛しげにギーシュと言葉を交わした。
「……ありがとう、ギーシュ。心配してくれて……」
「これくらい当然さモンモランシー。僕は君のためにいるんだから」
「もうっ……でも、嬉しい……」
これでもかというくらいに顔を近づけ合う二人。このまま流れでキスでもしてしまいそうな雰囲気が漂っていた。
「――――ねぇギーシュ……今晩、その……私の部屋に来ない?」
モンモランシーは、羞恥心で顔を真っ赤にしながらも、ギーシュにそう提案した。そんな彼女の誘いを、ギーシュはすぐに受け入れた。
「君がそう言うのなら、断る道理はないよ」
「なら、これをつけて今夜来て?」
モンモランシーは、懐から小さな小瓶を取り出すと、それをギーシュにそっと渡す。
「これは……モンモランシー、君の作った香水かい? これを僕に?」
「自分が作ったものの中で、一番のお気に入りなの……好きな人に、渡せたらって……売りにも出さないで、ずっと持ってたものなの……だから――」
と、そのとき二人は誰かがこちらへやってくる足音を聞きつけた。モンモランシーはそれを聞くとすぐにギーシュから離れる。
「じゃあまた……今夜」
それだけ言って、モンモランシーはその場から立ち去った。
残されたギーシュは、モンモランシーから渡された香水を胸ポケットに仕舞い込む。
その見た目は冷静に、しかし内心では最高に『ハイッ!』なテンションになりながら軽い足取りで食堂へと向かっていくギーシュ。
「ふふっ、モンモランシーからのお誘い……明日はケティに誘われたし、最高だッ!」
たった一人いる廊下の中、ギーシュはたまらずそうつぶやく。
誰も聞いちゃいないだろう。そう思ったのが、間違いだった。
「……なにやってんだあいつ」
ルイズと、ルイズの使い魔にこの様子を見られていたことが、ギーシュの不運だったのだ。
ルイズが泣き止んだときには、すでに生徒たちが昼食をとる時間になっていた。
そのためドッピオとルイズは、再び食堂にまで足を運ぶことになり、現在その道中にいる。
途中で同級生に多く会い、ある者は朝の授業のことで彼女を嘲り、ある者は使い魔を見て鼻で笑い、ある者は忌々しいものでも見るように嫌悪の視線を送る。
だが、それでもドッピオとルイズは全く意に介さずに、堂々とした様子で廊下を歩いた。
「……なんか、馬鹿らしいわね。あんなのにいちいち反応しちゃってた自分が」
「それだけ成長できたってことじゃあないんですか? ご主人様」
「なによ、このナマイキ使い魔……ふふっ、でも……そうかもね」
それどころか、こんなことまで今のルイズなら言ってのけるのである。
ドッピオの言葉を聞いて、やんわりとほほ笑んでみせるルイズ。
その表情は、これまでドッピオが見てきたものの中でも格段に輝いてみえた。
「……いつの間にか、忘れてたのかもしれないわね……」
「? 何をです?」
「子供の頃から、ずっと抱いていたはずの夢よ。その気持ちに、嘘も何もなくて、そのためにひたすらがんばっていたのに……いつの間にか周りのプレッシャーと、劣等感で見失ってしまっていたわ」
ルイズは、過去の自分を振り返るようにそう答える。
ルイズは髪を大きくかきあげる。キラキラと光に照らされ輝くその桃色の髪は、今の彼女の心を映し出しているようだ。
「それって、どんな夢です?」
「まだ、教えてあげない」
「なんですかそれェ~~」
つまらなさそうに頬を膨らませるドッピオ。
「でも、もう忘れない。私にだって目指すものはあるの。そして、そこに絶対にたどり着いてやるという意思があるわ……今度こそ、ね」
宣言をするように、ルイズはドッピオの方を向いて言い放つ。
その目には、彼女の言葉通りの、覚悟があった。見るものすべてを圧倒し、魅了する、黄金とも呼べる覚悟が。
「思い出させてくれて、ありがとう……礼を言うわ、ドッピオ」
「身に余る光栄にございます、ご主人様……なァんて、ね~~ッ」
感謝の意を素直に伝えるルイズと、それをちゃかすように応対するドッピオ。
なによそれ、とルイズは頬を膨らませたが、すぐにまた笑った。
「……さて、食堂についたわけだけど……」
ルイズとドッピオは、食堂の前に立っていたが、ドッピオはどうしたものかと頭をひねる。
朝食の件から考えて、また昼も同じようなメニューであることは目に見えているからだ。
たぶん、夕食もそうだろう。
さすがにそんなことをされてしまうのはたまったものではない。せめてもう少し栄養があって美味いものでも食べさせてもらいたいものだ。
だが、ここで満足に食事ができるのは貴族だけ……今のドッピオには、無理だ。
ルイズに頼むという手も考えたが、ドッピオはどうにも気が引けた。
今さらドッピオは、ルイズの命令というだけで食事が粗末になっているとは思わない。貴族には貴族の暗黙の了解というものがあるのだろう。
そこに、平民に対する扱いというのが、きっと存在している。それを破った彼女は、今以上に過酷な侮蔑の視線を浴びることになるだろう。
これを解決するためには、まずそこを崩していかなければならないのだ。
「…………」
考え込むドッピオを、少しの間ルイズは横から見つめていたが、そのまま食堂の中へと入っていく。
まだ何も解決策は思いついていないが、主人に置いていかれるのはまずいので、ドッピオはしょうがないと諦めて後を追った。
今はまだ我慢の時なのか。そう思ったドッピオだったが、ふとルイズを見てみると妙なことに気付く。
彼女は、自分の席ではなく、厨房の方へ歩いていってるのだ。
「……? どこ行ってるんだルイズ?」
「厨房よ。見てわからないの?」
いや、わかっているんだけど、その意図を説明してほしいなァ……
未だルイズの意図もわからぬまま、ドッピオはおとなしく彼女についていく。
中を覗いてみると、厨房は多くの料理人やメイドが忙しなく働いていて、とても入ろうという気にはならなかった。
これ、入っちまっていいのか? そんな疑問を抱くドッピオだったが、ルイズは何も気にせず中へと入った。
「ちょっと、そこのメイド。少し時間、いいかしら?」
そして、適当なメイドに声をかけるルイズ。
すると中でざわめきが起こった。貴族がこんなところへやってきて、いったい何の用だと皆首をかしげている。
だが一番驚き、戸惑っているのは呼びかけられたメイドだ。
「えっ!? あ、は、はい……」
メイドはすぐにこちらへとやってきた。ルイズのそばに立つその人は、体を少し震わせている。怯えているのだろうか。
恐る恐る、メイドはルイズに訊ねかける。
「な、な、何の御用でしょうか……」
対するルイズは、メイドの緊張した様子を見てクスッと笑い、その問いに答えた。
「別に大したことじゃないわ……私の使い魔なんだけれど、彼に何か食事をやってあげられないかしら?」
そうして、ルイズは未だ厨房の外に立っているドッピオを指さした。
え? と声をあげて共に目を丸くした、メイドとドッピオ。
メイドはそのままルイズの指さす方向を見て……そこにいた人物を見て、また驚いて声を出した。
「あれっ!? ド、ドッピオ……さん!?」
「あっ! シ、シエスタ!?」
互いに互いの名を言い合う二人。
あまりに意外な、ドッピオとシエスタの再会が厨房で起こった。
「なに? あんたたち知り合いなの?」
ルイズが意外そうにそうつぶやく。それに、シエスタが答えた。
「あ……知り合い、というより……今朝、水洗い場で出会ったばかりで……」
ふーん、とルイズはどうでもよさそうに相槌を打つ。
「そう……で、どうかしら? 貴族達に出す食事の賄い物とかでもいいわ。こいつに出してやれる? そのぶん、きっちり働かせてやるから」
「そういうことでしたら……ちょっと料理長に相談してみますね」
と言うと、シエスタは厨房の奥へと姿を消す。
ルイズはまだ厨房に入らないドッピオを見て眉をひそめると、彼の元まで歩み寄って手を取り、引っ張った。
「あんたも頼みなさいっ! 世話になるんだから!」
「えっ、え、ええ、あ、ちょっ!?」
無理やり中へと引きずり込まれるドッピオ。急にそんなことをされるものだから、足がもつれてしまった。
そのまま姿勢を直すことができず、ドッピオは無様に倒れてしまう。しかも、顔面から。
崩壊した教室で兄貴面を見せた男と同一人物とは思えぬ間抜けっぷりである。
「いてっ!」
「なにしてんのよドンくさいわね。ほら」
ルイズはそんなドッピオを見て呆れながら、手を差し伸べる。
「あ、ああ……ごめん……って、だってルイズが急に引っ張ったもんだから……!」
文句を言おうとしたドッピオだったが……それよりも先に、いたずらっぽい笑みを浮かべたルイズが言葉を放つ。
「それがこれからまともな食事を用意してあげようとしてる主人に言う言葉?」
「いや、それは……ってか、大丈夫なのかァ?」
「なにが?」
「なにがって……僕に、賄い物とはいえ、貴族の食事だなんて……」
この言葉から、ルイズはドッピオが彼女のことを心配してくれているということを理解したようでキョトンとしていたが、すぐに笑い返す。
「だからあんたが厨房で働けばいいのよ。仕事をして、その報酬にあんたは食事をもらうの。それなら文句は出ないわよ。ここの休憩室で食べてもらうなら、なおさら心配はないわね」
ルイズの説明を聞いて、ドッピオはなるほどと頷いた。
これならば確かにまともな食事にありつけるし、この食堂で食べるのではないのなら表だって問題はない。
働いて食べるというのも、タダで物をもらって食べるというより精神的に幾分か楽だし。
「……でも、僕が働いてるとこ他の生徒に見られたら、君が……それは意味なくないか?」
「今さらそんなのどうってことないわ。ただ、あんたがここで貴族と同じ食事をしたら、他の生徒からあんたを追い出せだの言われたり、傷つけられるかもしれないじゃない」
そこまで言われて、ドッピオも気が付いた。
ドッピオが働いた報酬に厨房の休憩所で食事をすることと、貴族と同席して食事をすること。
前者の場合、他の生徒はドッピオを見てもただ笑ったりするだけで済むかもしれない。
だが後者は下手に貴族の反感を買うだけでなく、もしかしたら彼らから制裁を受けるかもしれないのだ。
同じ結果なら、リスクは少ない方がいい。
ルイズは一呼吸の間をおいて、言い放つ。
「厄介ごとなんて、ない方がいいに決まってるわ」
やがてシエスタがルイズたちのところへ戻ってくると、許可が取れたとの旨を二人に伝える。
ルイズはシエスタにドッピオのことを任せると、一人席へと戻っていった。
ドッピオはシエスタに連れられて、仕事用の服に着替えさせられるとさっそくケーキの配布をお願いされる。
トレーで生徒たちの元まで運び、ケーキを渡せばいいのだという。
ドッピオは学年ごとにケーキを配っていき、ルイズのいる席にまでやってくる。
「なかなか似合ってるじゃない」
ドッピオを見てそう述べると、ドッピオは恥ずかしそうに顔を赤くした。
「ケーキ、いる?」
「一つ頂戴。クック・ベリーパイで」
注文された通りにドッピオはケーキを取り、テーブルの上に置く。それをルイズはキラキラした目で眺めていた。
よっぽど好きなんだろうなぁ。
そんなご主人の様子を見てほほ笑みながら、ドッピオは仕事に戻ることにする。
「なあギーシュ! お前誰と付き合ってるんだよ!」
「誰が恋人なんだい! ギーシュ!」
その最中、ドッピオの進む先からそんな話し声が聞こえてきた。
見ればそこにいたのは、シュヴルーズの授業で魔法の四属性を見事に正答してみせた男子生徒がいた。キザったらしい仕草からして間違いない。
ギーシュと呼ばれているが、確か名前はグラモンだったか。
その少年は、周囲からの言葉を聞いていたが、唇に指を立てていかにもな含み笑いをした。
「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないよ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」
なに言ってやがんだこのキチガイ野郎は。ヤクでもキマってんのか?
ドッピオはじと目でギーシュを見ていたが、近くまで寄るとそんな様子はおくびにも出さない。我ながら抜群の演技力である。
「食後のケーキはいかがですか?」
どこぞのレストランのウェイターらしく、礼儀正しくギーシュに訊ねかけるドッピオ。
声をかけられたギーシュはドッピオのいる方向へ振り向いたが、彼の顔を見ると目の色を変えた。
「おや、『ゼロ』のルイズの使い魔じゃないか。こんなところでいったい何をやっているんだい?」
明らかに敵意のこもった声だった。その言葉に反応して取り巻きの連中もドッピオを睨むが、睨まれた本人は全くの無反応だ。
「見ての通りケーキを配っています」
「ほう? 厨房の連中かメイドにでもやらせればいいものをどうして君なんかが? 『使い魔のフリ』から、今度はウェイターにでもなるのかい?」
嫌味ったらしく放たれたギーシュの言葉を聞き、周囲の生徒はクスクスと笑いだす。
ギーシュはニヤニヤと笑いながら、どこからか薔薇を取り出して香りをかぐ。
「まぁ、平民にはそれがお似合いだろうがね……」
「……で、ケーキはいりますか? いりませんか?」
だが、ドッピオは全く動じずにギーシュへと質問する。ギーシュはその反応が面白くないのか、足を組んで偉そうな姿勢で座りだした。
「君、質問に質問で返したら0点になるのを知っているのかい? 今はこちらが質問しているんだ。答えたまえよ平民」
相手の神経を逆なでするようにギーシュが問いかける。
だが。
「すいません。今は仕事中ですので、私語は慎まなければならないんです。これがマナーなので……それに答えるの後でいいです? で、ケーキはいりますか? いりませんか?」
キッチリと。嫌味なくらいに礼儀正しく。ドッピオは、ギーシュの質問への返答を断った。
これはかなりムカついたらしい。ギーシュはその余裕の笑みを表情から消して、代わりに憤怒の形相を浮かべる。
「全く、最近の平民ときたら礼儀もなってないらしいな……貴族である僕が、答えろと言ってるんだよ。そんなマナーなんてもの守るより、僕と話したまえよ」
「……………………………………………………」
ドッピオはしばらく沈黙しながらも、やがて、
「――厨房の仕事を手伝って、ご飯もらうんですよ。パンとスープだけじゃ、ろくに使い魔の仕事もできないので」
ギーシュの問いに、答えた。
そのとたん周囲の嘲笑は大きくなり、ギーシュに至ってはそれを隠そうともしなかった。
「さすが平民。我々に配られるはずの食事を横から掠め取るだなんて、下賤だね。せめてものお慰みだ、ほらこれをやるよ」
と、ギーシュはスープをすくってドッピオの顔に思い切り浴びせかけた。いよいよ我慢ができなくなったらしく、生徒たちは声をあげて笑う。
ドッピオはその中でも、ただただギーシュの前に立っていた。
「もう行っていいよ平民。せいぜい仕事に励みたまえ」
そう言い放つと、生徒たちの笑い声をバックミュージックにしてギーシュは食事を再開しようとした。
しかし。
「ケーキ、いりますか? いりませんか?」
ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ …………
背後から、ドッピオの声が聞こえてきたとき、ギーシュは不審に思いながらも振り返って答える。
「ああ、そういえばまだ答えてなかったね。一つ頼むよ。ショートケーキで」
そう伝えるとドッピオはケーキを切りわけ、それを皿にのせる。
「ごくろ――」
――うさま、と続けようとしたそのとき。
ベ シ ャ ア ア ア ア ア ッ ! !
ギーシュは、ケーキの乗った皿を顔面に叩きつけられた。
周囲から、笑いが消えた。
すべての目線が、ギーシュとドッピオの二人に集中する。時が止まったかのように他の全員は動くことをやめる。
やがてギーシュの顔から皿はゆっくりと剥がれ落ち、地面と衝突して割れる音がこだました。
ギーシュは懐から出した薔薇のような杖を取り出すと、魔法で顔についた生クリームを拭き取った。
「……これはなんだ? 平民」
「ケーキです」
ごく自然にドッピオが回答したものだったから、どこからか失笑が響くがそれはすぐに消えた。
「……質問を変えようか。なぜ、僕にケーキを叩き付けた?」
「叩きつける? 貴族様がスープをくださったように、私もそうしてみただけですよ?」
平然と。どうでもいいことのように、ドッピオはギーシュの問いに答える。
ふざけた返答を受けたギーシュはわなわなと震えだしたが……こんな平民如きに怒ってしまってはいけない。そう何度も心の中でつぶやいてすぐにおさえる。
やれやれといったように、ギーシュは首を振った。
「やはり『ゼロ』のルイズが召喚しただけあって、無能らしい。平民の中でも最下層のものを呼んでしまったらしいな、彼女は」
それは、彼の怒りを抑えること、そして場の空気を戻すためにギーシュはつぶやいたにすぎなかった。
だが、それがいけなかった。この男は……彼の主人を、完全に『侮辱』したのである。
何よりも努力家でひたむきで、素直じゃないが心優しい少女のことを。彼の、目の前で。
それが、ギーシュの運のつきだった。
「貴族って、いいですよねェ」
「……うん?」
突然ドッピオが奇妙なことを話し出すのだから、ギーシュは首をかしげた。だがそんなギーシュをよそに、ドッピオは話を続ける。
「こんなにも絢爛な学院で教えを乞い、豪華な食堂で高級料理を三食食べることができて……そして今夜は金髪巻き毛のお嬢様からお誘い、かァ~~~」
ゾクッ!! と。
ギーシュは、背筋が凍ったような気がした。
「名前は……なんだっけ? モン……モンモ……なんだっけェ――――? そうだ、モンモランシー。羨ましい限りだねェ色男さん。やっぱり最高なの? どうなの?」
わざとらしくドッピオは唸り、あろうことか公然で相手の名前を晒した。
これだけでもかなりの屈辱なのだが――ドッピオがこれからやろうとしていることと比べれば、こんなもの序の口だ。
ガチガチと歯を鳴らしだすギーシュだが、ドッピオはそれを全く意に介さない。
「あと明日も他の娘からお誘いがあるんでしょォ~~~? ケティ、だっけ? 二日連続、しかも違う女の子から部屋に招かれるだなんて、僕みたいな平民には考えられないなァ~~」
「きっ、貴様! その口を閉じろ! 貴族に向かって話しかけるなんて……」
怒鳴るギーシュだったが、ドッピオはそれをヘラヘラと笑いながら受け流す。
「えェ~~? だってあなたがいったんじゃないですかァ、『マナーなんて守らず僕と話せ』ってェ~~」
あっはっは~と、これまたわざとらしくドッピオは笑い返す。
ギーシュは口を魚のようにパクパクと動かすだけで、何も言えないようだった。
「……ギーシュ様……」
ふと後ろから、不意に女性の声が聞こえてきた。ギーシュが振り返ると、そこにいたのは一年生の女の子だった。
ギョッとして、ギーシュは女の子を見る。
「ケ、ケティ……」
「ギーシュ様……今の平民の言葉は、本当なのですか?」
ケティという女の子は涙を流しながら、ギーシュにそう訊ねかけた。女の子の涙というのは、かなり堪えるものである。
『あの……』とか『その……』とか、ギーシュがまごついているとき。
「あァ~、そういえばこの人さっきモンモランシーから何かもらってたかなァ~~? 確か胸ポケットに仕舞ってたっけェ?」
悪魔のつぶやきが、ギーシュを絶望の淵へと追いやった。
強引にケティはギーシュの胸ポケットをまさぐると、そこから小瓶を取り出す。
「……これは、なんですか?」
「い、いや、それは……あの……」
もはや、ごまかすことも何もできない。ギーシュは顔を真っ青にして、あたふたと慌てふためくことしかできなかった。
「私にも、説明してくれるかしら? ギーシュ」
今度は、横から声が聞こえてきた。ギギギ……と、油の切れたブリキ人形のようにギーシュが横を見る。そこに立っていたのは、先ほど廊下で愛を囁きあったモンモランシーだった。
ギーシュが何か言い訳をしようと口を開くより早く。ケティの平手打ちが、ギーシュの頬に炸裂する。
「最低ッ!!」
号泣しながら、ケティは食堂から走り去っていく。
そして一瞬の間もあけず、モンモランシーはワイングラスでギーシュに殴り掛かる。バリンッ!! と痛快な音が響くとともに、グラスが砕け中身がギーシュに降りかかった。
「このクズッ!!」
そう言い放つと、モンモランシーもケティのあとを追うように食堂から出ていった。
再び静寂が食堂を支配する。
皆が口をだらしなく開けて呆然としている中、ドッピオは笑いながらギーシュに話しかける。
「あ~あ、振られちゃいましたか~。でも仕方ないですよねェ~~、二股なんてしてるからこういうことになるんですよォ~~。今度からは気をつけなきゃいけませんよ、誰が聞いてるかわかんないんだからァ~~」
ポンポン、と肩を叩くと、ドッピオはその場をあとにすべくトレイの取っ手に手をかけた。
それと、同時だった。ギーシュが激昂して後ろからドッピオに襲い掛かったのは。
「この――『ゼロ』の、使い魔の分際で……ッ! このッ! 平民の分際でええェェェェ――――――ッ!!」
叫びながら、ギーシュはドッピオに迫る。だが、ドッピオはそれを予知していたかのように避けると……
ド ス ゥ ッ ! !
ギーシュの左目に、右手の人差し指を突っ込んだ。
「――――――え?」
何が起こったのか、その場にいた誰もが一瞬理解できなかった。ギーシュさえ、動きを止めた。
ドッピオはそのまま指を動かして、ギーシュの左の目玉が半分飛び出た状態にする。
「……なぁ……まさか俺が、この程度で満足してると、思ってんのか? え?」
聞いているだけで、心臓を鷲掴みにされるような声が、ドッピオから放たれた。
「人を……主人をあれだけ『侮辱』しといて、よォ……こんな程度で、済むと思ってんのか?」
グリュ、グリュ、と。ドッピオは目玉をいじりながらギーシュに問いかける。
「う、あ、あぁ……」
「俺たちの組織じゃあなぁ……『侮辱』に対しては、命をかけてでもきっちりとお返しするもんなんだ……そのためならよぉ……殺人だって、許されるんだぜ?」
それは、小さな声だった。だが、なぜかそこにいる皆にも、はっきりとよく聞こえた。
それが、とても不気味だった。
「この世界じゃ、お前みたいなヤツばっかりだ……どいつもこいつも……世の中アホばかりなのかああああァァァ――――ッッ!!」
ドッピオは左手でギーシュの頭を掴むと、思い切り机とぶつけた。
ガンッ!! と鈍重な音がして、ギーシュの頭から血が流れる。
「がァッ!? あっ、あああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!??」
急に訪れた衝撃と、その後ゆっくりとやってきた痛みで思わずギーシュは悲鳴をあげる。
それを見てドッピオはフンッと鼻を鳴らすと、その場から立ち去るべくケーキを片づけてトレイを押し始めた。
「まっ――待てッ!!」
ドッピオは背後からのギーシュの声に、肩越しで振り向く。
ギーシュは頭をおさえながら荒く呼吸をして、肩をワナワナと震わせていた。
「この――平民めッ! 許さない――許さないぞ! 決闘を申し込む!」
決闘。
その言葉を聞いて、周囲のギャラリーは一気にざわめきだした。
「ヴェストリの広場で待つ! 逃げることは許さんぞ!」
マントをばさりと翻すと、ギーシュはそのまま食堂をあとにする。
取り巻きたちも面白いことになってきたと口ぐちに言いながら、わくわくした顔でギーシュに続いた。
ドッピオは去っていくギーシュを見たままだったが、やがてトレイを押して進み始めた。
そのとき。ドッピオの顔面めがけて前方から拳が飛んできた。
難なくそれを受け止めるドッピオ。殴り掛かってきたのは、ルイズだった。
「ちょっと! 見てたわよあんた! いったいなにをしてくれてるのよ!」
そのときのルイズは、教室で爆発したときのように激しく怒っていた。
「『侮辱』しやがったから、あのガキをぶちのめす。それだけだよ」
「ぶちのめす!? あんたは平民でしょうが! 魔法を使うメイジに、何の力もない平民が、戦うってだけでもうそれはダメなのに――あんた何言ってるのよ!」
「さっき目玉えぐってやった相手に言う言葉かよ」
「そんなもの不意打ちだったからたまたま成功しただけでしょうが!!」
怒鳴り散らすルイズの背後から、ドッピオは青ざめた顔で彼を見つめる一人のメイドを見つけた。
「……ド、ドッピオさん……ダメ……き、貴族に……平民なんかが挑んじゃあ……こ、殺されちゃう……」
魔法という脅威。貴族という、権力。
これら二つを持った存在に怯えたシエスタは、ガタガタと震えていた。
うまく言葉を紡げない口で、なんとかそれだけを言うシエスタ。
そんなシエスタに。ドッピオは、
「ごめん、シエスタ。これ、片づけといてくれます?」
そんなことを、呑気に問いかけた。
ルイズは愕然とするとともに、再び使い魔に向かって叫ぶ。
「あんた話聞いてたの!? 決闘なんてやめなさい、一方的にやられて惨めに死ぬだけよ! そんなの……そんなことする必要、ないじゃない!!」
「必要だ」
主人からの言葉に。使い魔は、即答する。
「……え?」
「ここで戦わなきゃ……俺は、オメーの誇りを傷つけたままにしちまう……そんなんじゃあダメだ……全然ダメだ……」
ドッピオは、ルイズを見つめる。
その彼の目には……決して揺らぐことのない、覚悟の光があった。
「リスクは少なめに――だが、それで『結果』が変わるのならッ!! 俺は後悔のない選択を選ぶぜッ!!」
そう宣言すると、ドッピオは仕事用の制服を脱ぎ捨て、ヴェストリの広場へと向かった。
どんな手段を使ってでも……『書けばよかろう』なのだァ~~~ッ!!