私とお嬢様、そしてお世話係としてロリンザーさんとアルピナさんはキールという町に来ていた。お父さんには、艦娘になるからしばらく帰らない、と手紙を書いた。何故手紙なのかといえば、レスポンスに時間がかかるから。お父さんのことだから、あんなことを言っておいてきっと猛反対するに違いない。
「お嬢様。向こうでの手筈は全て整っています。何かありましたお申し付け下さいませ」
先程まで携帯でやりとりしていた、ロリンザーさんがそう言うと、お嬢様はため息を漏らした。
「皆と同じ待遇でいいと言ったのに……」
「つまり、私たちはVIP待遇ってことだね!」
心が踊る。それまで田舎暮らしをしていた私がご令嬢としてこのドイツを救う日が来ようとは夢にも思わなかったな。そんなウキウキの私の頭ををアルピナさんが平手で叩いた。
「何言ってんの。あなたは普通の扱いよ。ふ・つ・う・の」
アルピナさんがからかうようにそう言う。
いや、おかしいでしょ。私は今、お嬢様と向かいあって座っている。乗用車でだ。つまり、私はリムジンに乗っている。そんな私が普通なの? 冗談を言っちゃいけない。
「必要になりそうなものは全て向こうが用意してくれているので普通とは違いますね」
ロリンザーさんが困ったような笑みを浮かべている。ほら。やっぱり特別待遇じゃない。アルピナさんが何か言おうとした時、車が止まった。
「着きました。艦娘の養成所です」
運転手さんがそう言うと、外に軍服を着た男性と白い軍服を着た女性が立っていた。
ロリンザーさんとアルピナさんが外に出てドアを支えてくれる。私はお嬢様の後に続いて降りた。ロリンザーさんが軍服の男性と少し話すと、軍服の男性はお嬢様に微笑むと挨拶をし「こちらへ」と言う。私に対して挨拶が無かったことに不満を感じたけれど、歩きだすお嬢様の後に続いた。
「待て。お前はこっちだ」
突如、白い軍服を着た女性に腕を掴まれた。
「んぇっ?」
思わず間抜けな声が出てしまう。
「……お前?」
お嬢様にはとても丁寧な対応なのに私にはお前なの?
「貴様のほうがよかったか?」
女性は私に嫌らしい笑みを浮かべた。
あれ、もしかして私、歓迎されてない?
これからこの人に虐められるの?
「グラーフ。悪ふざけはそこまでにしなさい」
アルピナさんが助けてくれた。グラーフ? それがこの人の名前なの?
「アルピナさん。久しいですね。お元気にしてましたか?」
「あなたほどじゃないけど、それなりに元気にやってるわ」
アルピナさんとグラーフさんが談笑している。私は置いてけぼり。
「あぁ。すまない。私はこれから君の教育を担当することになった航空母艦、グラーフ・ツェッペリンだ。よろしく頼む」
グラーフさんはそういうと私に握手を求めた。差し出された手を握ると女性とは思えない握力で握り返される。
「痛い! 痛いよ!」
「……? アルピナさんの紹介ですよね?」
「そうだけど、この子は今の私の勤め先の関係者よ。根は知らないけど、外見はいい子よ」
アルピナさんの言葉に棘がある。
というか、意味がわからない。グラーフさんは納得したように頷いた。
「立ち話もなんだ。私の部屋に来てくれ」
ーーーー
グラーフさんの部屋に案内され、私とグラーフさんは向かい合うようにソファに座った。アルピナさんは私の後ろで立っている。
部屋は綺麗に整頓されていた。軍人だから、そういうところはうるさいのだろう。けど置いてある物が問題だ。
物を飾るためのラックには車の模型が並んでいる。この特徴的な豚の鼻のようなフロントグリルは私も知っている。
「なんだ。車に興味があるのか」
グラーフさんの声のトーンが少しあがった。
「私はニュルの出身です。シーズンになれば、そういう関係者で溢れかえりますからね」
「ニュルか! 一度あそこを走ってみたいと思っていたんだ。もし機会があれば私を紹介してくれ!」
グラーフさんは嬉しそうにそう言う。これだけ聞くとただの車好きのお姉さんにしか見えない。けど、問題はその横に飾ってある写真だ。
「懐かしい写真を飾っているわね」
アルピナさんが呆れたようにぼやいた。
そこには、ヤーパンのボーソーゾクみたいな格好をしたグラーフさんとなんとなく見覚えのある女性が肩を組んでこちらにサムズアップしている写真だ。後ろにはコッテコテの改造車が写っている。
「これ、アルピ……」
「私によく似ている人ね。彼女はもう亡くなったわ」
アルピナさんがフッと顔を逸らした。そんなアルピナさんを見て、グラーフさんは被っていた帽子を深くかぶり直した。どうやら言ってはいけないことを言ったのか。気まずい空気が流れる。
「あの……その……ごめんなさい」
私は少し俯いて謝った。しばらくの無言の後、フッという笑い声をグラーフさんが漏らした。
「気にしなくていい。そこに写っているのはアルピナさんで間違いない」
「……へっ?」
私が間抜けな声を漏らすと、それまで礼儀正しく立っていたアルピナさんは私の横にドカッと座った。
「昔、アルピナさんとはあれで遊んでてな。その時の写真だ」
「そう。それで私が半身不随になる大事故を起こしてね。私は艦娘になるしかなかったてこと」
「私はその後を追っかけて艦娘になったんだ」
二人の波乱万丈伝をあっさりと聞かされた私は脳の処理が追いつかなかった。
どうしてバッドガールだった二人がいいとこのメイドさんと艦娘さんなのか。私には理解できない。
「あなたのお母様とはその時知り合ったのよ。面白そうだから私も乗せて欲しいってね。お母様がいなかったら、私の今は無かったわ」
アルピナさんはそう言うと、グラーフさんに何かの合図を送りました。
「昔と同じで?」
「そうね。久々にそれでいいわ」
「わかりました」
グラーフはソファから立つと、部屋の外に出ました。
「あなたのお母様に返しきれない恩があるっていうのはそう言うことよ。それに私はあの人のことが人として好きだったの。だからその娘であるあなたを悪く言われるのは我慢できなかった」
「そういうことですか……」
「グラーフのことは信用していいわ。けど真面目だし、今は実力もある。当然訓練は厳しくなると思うわ。建前上、あなたはお嬢様の身代わりということになっているしね」
「……つまり、艦娘にはなれるけど、出世は出来ないということですか?」
「極端に言えばそうなるわ。けど、そこから脱却するかはあなた次第ね。あのお嬢様は勝手に強くなるわ」
アルピナさんはそう言うとグラーフさんが消えた扉を見た。
「どういうことですか?」
私がそう言うと、アルピナさんは顔を私の耳に近付けました。
「あのお嬢様、あぁ見えてすっごく負けず嫌いでわがままなのよ。それに、今までに見たことがないほどの才能があるわ」
アルピナさんがそう言うや、すぐに扉が開き、グラーフさんがカップを三つ乗せたトレーを持っていました。
「お待たせした」
グラーフさんは机の上にカップを並べる。しかし、匂いがきつい。
「心配するな。お前のは普通の分量でいれてある」
グラーフさんはそう言うと、カップに口をつけました。アルピナさんも続きます。
「ふぃ〜〜……たまにはこれぐらい濃いのを飲まないと駄目ね」
おじさんっぽくアルピナさんが言うと、グラーフさんはジッと私を見ました。
「……しかし、この体格では戦艦クラスになるとは思えんな。一部分だけは戦艦クラスだが」
なに。この人たち。美人の皮を被ったおじさんなの?
私は思わず腕で胸を隠した。
「そうなの? あれって気合と根性で慣れるもんじゃないの?」
「昔はそうでしたけど、今は違います。その体格に見合った艦種が選ばれるはずです。お嬢様は恐らく何らかの無茶が働いて戦艦になるでしょうが……まぁ、さっき見た限り戦艦になることは何の問題もないでしょう。問題はお前だ」
グラーフさんはそう言うと舐め回すように私を見ました。
「中途半端だ……」
言い方にイラっとしたけど、グラーフさんが言わんとしていることがわからないわけじゃない。
私はこの国の女性の平均身長よりも少しだけ高い。けど、それもほんの僅かだ。
グラーフさんは体格と言った。身長じゃなければつまり私が太っていると。それは大きな間違いだ。民宿の看板娘も楽じゃない。宿泊客のご飯を作れば、それを運ばなくてはいけない。それが多ければ何往復もする。それに部屋の清掃もしなくてはいけない。意外と看板娘は肉体労働なのだ。
「私、脱いだら凄いんですけど」
僅かにだけど、腹筋は割れている。
「それはわかっている。肩と腕を見れば鍛えていることぐらいわな」
グラーフさんは私の自信に満ちた発言をあっさりと流しました。
「……じゃあ何ですか?」
「お前は艦娘とは何か知っているか?」
「海の上を走って戦う美人さんのことでしょう?」
だから私が選ばれたのよ。
「……貴様」
「ふざけられるのも今のうちだけよ。ほっときなさい」
グラーフさんの怒気とアルピナさんの呆れと、そんなに私悪いことしましたかね。
「大雑把に言えば、そうなる。だが、その判断基準はヤーパンの体格をもとにしている。お前はヤーパンの女性よりも背が高い。だが、戦艦クラスの艦娘ほど高くはない。だから中途半端だと言っているんだ」
「なるようにしかならないわよ。それにこの子はお母様によく似ているわ。どうなっても楽しくやろうとするわよ」
「そうですよ。私は艦娘になれればなんでもいいですから」
「貴様……何しにここに来た……」
「私たちの外見年齢に憧れてここに来てるのよ」
アルピナさんがそう言うと、グラーフさんは盛大なため息をつきました。
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その後、私は工廠と呼ばれる場所に案内されました。
小難しい書類にサインをさせられた後、裸にされて変な液体の入ったバスタブのような物に入れられました。私の体を見たグラーフさんがペシペシと筋肉を叩くのが少し気持ち悪かったです。
その後のことは寝てしまって覚えていません。
だけどその間に見た夢のことは覚えています。ニュルの私の家の部屋で、ベッドに寝ている私の頭をお母さんがずっと撫でてくれていました。大丈夫。怖くないからと言いながら。
しばらくすると、扉が開き、黒い長髪のヤーパンの女性が姿を現しました。私は彼女を知っています。会ったことはないけど、記憶がそう訴えます。彼女は私の腕を取ると、凛々しい顔で私を覗きこみました。何故だろう。私は涙が止まらなくなりました。
「「もう起きても大丈夫(だ)」」
お母さんと彼女がそう言うと私が見ていたのは光景は光に飲まれました。
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ゆっくりと目を開ける。あたりが眩しい。
「おはよう。プリンツ・オイゲン。よく寝れたか?」
「ぷりんつおいげん?」
私は名前のようなそれを口にしました。
そして何故か、それが私の名前であることがすぐにわかりました。
「三日も目を覚まさないから心配したぞ」
私の前に差し出された白い手。視線を手から腕に、肩、首、そして顔に移すと、そこにはグラーフさんがいました。
「グラーフ・ツェッペリン」
初対面ではないけれど、私には彼女が航空母艦のグラーフ・ツェッペリンであるということがすぐにわかりました。
「そうだ。そして君の教育担当艦だ」
私が差し出された手を取ると、強い力で引かれ、立たされました。
「制服は向こうに用意してある。着替えてこい」
グラーフさんはそう言うと欠伸を漏らしました。よく見ると目の下にクマも出来ています。きっと私の目覚めをずっと待っていたのでしょう。
「ビスマルク……いや、お嬢様はすぐに目覚めて訓練をされいる。お前が寝ていた三日間で差がついてしまった。着替えたらすぐに試験航行に移る」
まだぼんやりとしている意識の中で、私は少しずつ思い出した。そして実感する。私は艦娘になったのだと。
「いつまで寝ぼけている! 素っ裸で海に放り出されたいのか!」
「今はパジャマに着替えて、フカフカのベッドで寝たい」
素直な欲望を口に出す。グラーフさんは呆れたようにため息をもらした。
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艦娘、プリンツ・オイゲンの制服に着替えてすぐに艤装が装着され、私は訓練用に使われるというプールのような場所にいた。
さっきから欠伸がとまらない。正直、見えてはいるけど目が開いているのかもあやしい。そんな私にグラーフさんがイライラしているのもわかる。
「シャキッとせんか!」
急に背中をドンッと強く押された。あまり力の入らない私はそのままプールの水面に足をついた。しかし、それまで私が経験したことがない感触だ。水面についた足がスーと滑る。私はバランスを崩さない為にもう片方の足を水面につけた。まるで氷の上を滑るように進んでいく。
「おぉ〜……これは少し面白いかも」
私はスケートをする要領で水面を滑った。眠たいけど、面白いから少しだけ目が覚めたような気がする。しばらく滑っていると、グラーフさんが信じられないものを見るような目で私を見ていることに気がついた。
しまった。これも訓練だった。
「……どういうことだ?」
「すいません! 寝ぼけていました!」
さすがにまずいと思った私はグラーフさんに近くに寄り、頭を下げた。
怒られるんだろうな……そう思っていたけど、グラーフさんは何も言わない。
チラッとグラーフさんの顔を見ると、未だに信じられないといった顔をしている。
「天才と言われたビスマルクでさえ水面に浮遊出来るようになるまで一日かかったのに……」
「はい?」
「どうしてお前が……」
「えっ? もしかして駄目でした?」
グラーフさんは自分の頰を何度か叩くと、期待に満ち溢れた顔で私を見ました。
「駄目なもんか。むしろいいぞ! これは面白いな! やっぱりお前は変わっている!」
褒められてるのか、貶されているのかわからないけど、とりあえず最後に失礼なこと言われた。
「よし! 次のステップに行くぞ!」
その後、主機をつけてまっすぐ進んだり、舵を切って曲がったりとと簡単なことばかりやらされた。これが訓練なの? と疑問に思ったけど、怒られたくないから何も言わなかった。