これが訓練というのなら、私は幸せ者かもしれない。
訓練用のプールの水の上をただ滑る。言われた通りに右に曲がったり、左に曲がったり。
一緒に訓練している子、名前はレーベレヒト・マース、レーベちゃんは曲がる度に転けている。私が何度か起き上がるのに手を貸そうとすると、グラーフに怒られた。一人で起き上がれないやつに艦娘になる資格はないと。けど、レーベちゃんは既に艦娘だ。今更何を言っているんだろうか。
レーベちゃんはそう言われる度に唇を噛み締めて必死に起き上がろうとしている。けど、足は浮いているのに、状態は沈もうとする。私も一度転けた事があるからわかる。立ち上がろうともがけばもがくほど、レーベちゃんは沈んでいく。
私は見ていられなかった。レーベちゃんの近くまで航行すると、そのままレーベちゃんの腕を引っ張って起こした。水を飲んだのだろうか。むせる様に咳き込むと涙目になったレーベちゃんは申し訳なそうに私を見た。
「ごめんなさい」
「大丈夫?」
レーベちゃんの背中をさすってあげると、グラーフの怒号が飛んできた。
「何を二人で休んでいる! 訓練はまだ終わっていないぞ!」
「はいッ! すいませんッ!」
レーベちゃんは泣きそうな顔でグラーフに返事をした。けど、私はレーベちゃんの腕を離さなかった。
「ゆっくり行こう?」
私は主機のギアをリバースに入れると、レーベちゃんの両腕を取り、ゆっくりレーベちゃんを引っ張った。
レーベちゃんはそんな私に引っ張られながら必死にバランスを取っている。
「なッ……だッ……誰がそんなことを教えたんだッ!」
後ろ向きだからわからないけど、グラーフが驚いた様な声をあげた。
その声には怒っている雰囲気はなく、ただ驚いているようだった。
「プリンツさん! 怒られるから! 手を離して!」
レーベちゃんはそう言うと私の手を振りほどこうとした。けど、私は手を離さない。
「怒られるなら二人で怒られよ」
私はそう言ってレーベちゃんを落ち着かせた。
「そのまま右に回頭しろ!」
グラーフの指示が飛ぶ。私は舵を右に取った。けど、私の体は左に進もうとしている。対して、レーベちゃんは右に進もうとする。
「「えっ」」
私達は二人とも転けた。
私はすばやく立ち上がり、レーベちゃんを起こした。
後ろでグラーフがため息をつくのが聞こえた。
「才能はあっても、頭が弱いか……そこまでだ! 二人とも上がってこい!」
ーーーー
グラーフの長い説教が終わり、その日の訓練は終わった。
グラーフは報告があるからと先に帰り、私とレーベちゃんは訓練用のプールの清掃を命じられた。
「プリンツさん。後ろ向きに進めるなんてすごいね」
「アハハ……でも後ろ向きだと左右がわからなくなっちゃうけどね」
さっきグラーフに怒られた内容を思い出す。
後ろ向きに進んでいるのだから左右は逆になるだろうと。ニュルの出身なのにそんなこともわからんのかと嫌味を言われてしまった。
「ボクなんて真っ直ぐ進むだけでもいっぱいいっぱいだよ」
レーベちゃんは苦笑いをしながら答えた。
「ボクの妹はすごいんだ。艦娘になってすぐにビスマルクっていう戦艦と一緒に訓練しててね。同じ駆逐艦、姉妹艦なのに、ボクとは全然違うんだ」
「そうなんだ……じゃあ少しでもはやく追いつかなくちゃね」
私はそう言うと、艤装をつけてプールに飛び込んだ。体が一瞬沈み、すぐに浮力を得て水面に立つ。
「何してるの!? 勝手に艤装を使ったらグラーフ教官に怒られるよ! それに掃除もしなくちゃいけないし!」
「大丈夫、大丈夫。どうせ明日も水をはるんだからバレやしないって。レーベちゃんもはやく!」
レーベちゃんはしばらく悩んだ素振りを見せたけど、すぐに艤装をつけて恐る恐る水面に足をつけた。私はそんなレーベちゃんの腕を引っ張る。レーベちゃんは慌てた様子で私にしがみついた。
「こう言うのは思い切りが大事なんだよ。今はうるさい教官もいないし、ゆっくり練習しよう」
私はそう言い、さっきと同じように後ろ向きでレーベちゃんの手を引っ張った。
「……今度は左右間違えないでね?」
やっとレーベちゃんが笑った気がする。
「もちろん!」
私はレーベちゃんの手を引っ張りながら、日が暮れるまで練習を続けた。
しかし、練習に熱中するあまり気がつかなかった。報告を終えたグラーフがプールサイドで仁王立ちしていることに。
「貴様ら……誰の許可を得て艤装を使用している。清掃はどうした?」
ドスの効いた声ってこういうことを言うのね。レーベちゃんの顔が引きつっている。
私は怖くて振り返れない。
「「い……今からやりますッ!!」」
「プリンツ。どうせ貴様が言い出しんだろう? 清掃が終わったら私の部屋まで来い。一人でだ」
グラーフはそう言うと、カツカツと音を立てて歩いていった。
「……真面目に清掃しないと、怒られそうだね」
「はやく終わらせよう。それで教官に謝りに行こう。ボクも一緒に行くよ」
「本当に? 絶対だよ? 逃げないでね?」
一人で行くのは嫌だ。絶対に嫌だ。
もしレーベちゃんが逃げそうになったら引きずってでも連れて行こう。
ーーーー
清掃が終わった頃には就寝時間はとっくに過ぎていた。
まだ晩御飯も食べていない。けど、行かなくてはいけない場所がある。
就寝時間を過ぎているに、何を彷徨いているんだ! とグラーフにイチャモンをつけられそうな気がしたけど行かないわけにはいかない。
レーベちゃんは私の心配をよそに、ちゃんと一緒について来てくれた。グラーフの部屋の前まで来たのはいいけど、あと一歩が踏み出せない。
扉をノックする。名前を言う。入れと言われたら入る。
なんてめんどくさいんだ。
「プリンツさん。行こう」
レーベちゃんはそう言うと、扉をノックした。
ちょっと待って。私の心の準備がまだ終わってない。
「誰だ?」
「ぷ……プリンツ・オイゲンです!」
「レーベレヒト・マースです!」
「……入れ」
グラーフの返答に間があった気がする。
帰りたい。はやく自分の部屋で寝たい。
私の欲求を無視し、レーベちゃんは扉を開けて中に入った。
「失礼します!」
「……しつれーしますー」
真面目なレーベちゃんとは対照的な私の言い方にグラーフは呆れたようなため息をついた。
「一人で来いと言わなかったか?」
「自分にも清掃をサボった罰をお願いします!」
レーベちゃんは深々と頭を下げた。
「レーベには別の処分を与えるつもりだったが……まぁいいか」
グラーフはそう言うと、私とレーベちゃんの前に立つと、レーベちゃんに首から下げるバインダーとストップウォッチを渡した。
「これより二人には夜間演……」
「グゥ〜〜〜」
私のお腹はなんて間の悪いんだろう。グラーフの言葉を遮るなんて。
しばらく沈黙が流れたかと思うと、グラーフはキョトンとした顔で私を見た。
予想外の反応に顔が赤くなる。恥ずかしいんですけど。
「何も食べていないのか?」
「はい。清掃に時間を取られてしまいました!」
レーベちゃんが答える。
グラーフは呆れたように笑うと、私とレーベちゃんに椅子に座るように指示を出した。
「真面目なやつらだな……私なんて真面目に清掃したことなんてないぞ」
グラーフはそう言い、私たちに二つずつパンをくれた。
私は何も言わずそのパンにかぶりついた。
「頂いてもよろしいですか!」
レーベちゃんが焦ったような声でグラーフに言う。
もしかして私やってしまった?
「構わん。そっちのみたいにそんなに気を使わなくていい」
そっち扱いですか。
「いただきます」
レーベちゃんは嬉しそうにパンを頬張った。
「食べながらで構わん。この後、プリンツには夜間演習をしてもらう。レーベは記録係だ」
「……了解しました」
ただでさえ朝早いのに、夜間演習なんて……さよなら私の睡眠時間。
「心配するな。二人共明日は休みにしておいた。レーベには明日買い出しという罰を与えようと思っていたのだが……その買い出しは私が行こう」
「いえ! 自分が行きます!」
レーベちゃんはどこまで真面目なんだろうか。
「疲れて明日は動けんだろう。気にしなくていい。食べ終わったか?」
レーベちゃんが食べ終わるのを確認すると、グラーフは帽子を被った。
「私も出来ることならはやく寝たい。さっさと終わらせるぞ」
ーーーー
揺れる。揺れる。
私の視界が上下に動く。けど暗くてよくわからない。
「よし。探照灯を点けろ」
グラーフの指示を聞き、私は探照灯をつけた。
本来は砲塔が装備されるそこに鎮座する大型探照灯四基。砲塔よりは全然軽いけど、正直かっこ悪い。けど、ものすごく明るい。
「プリンツ。今からこのテストコースを5周してもらう。レーベには各セクションの記録を取ってもらう」
「了解しました」
クルーザーの上に立っているグラーフとレーベちゃんが羨ましい。
海の上がこんなに揺れるものだとは思っていなかった。
晩御飯、食べなくてよかった。
「さっそく始めるぞ! 準備はいいか?」
「「大丈夫です!」」
主機の回転数をあげる。あとはグラーフの合図で繋ぐだけ。
「始めっ!」
繋いだ。スクリューが急激に回転する。乱暴に加速した私は一瞬で宙に浮いた。
波だ。海面の波をジャンプ台にして飛んでしまった。なんとか着水するも、またすぐに波に浮かされる。
思うように推進力を得られない。スクリューが浮いてしまう。海の上を走ることがこんなに難しいなんて思わなかった。
「こんのッ!」
海面を踏みつける。少しでも長くスクリューを海中に留めないと
ーーーー
すごい。
プリンツちゃんは海面を飛ぶように進んでいく。
ここからじゃ逆光で表情までは見えないけど、きっといつもと同じようにめんどくさそうな顔をしているんだろうな。
「レーベはプリンツのこと、どう思っているんだ?」
急に横にいるグラーフ教官に声をかけられた。
プリンツちゃんのことはすごい人。才能がある人。優しい人。そう思っている。けど、失礼がないように伝えるにはどうすればいいんだろうか。
「そう肩肘を張らなくていい」
「すいません」
「それで?」
「すごいと思います。ボクには出来ないことを簡単にやってのける。そんな人だと思っています」
「そんなことはない。お前にも出来るはずだ」
教官はそういうと、ボクの頭の上に手を置いた。
「あれは才能があるが頭が弱い。人に教えるなんて出来ないだろうな」
「そんなこと……」
ありませんとは言えない。現に二人で練習してる時も何度か左右を間違えてたし。
「だから見て学ぶんだ。体の使い方。重心はどこにあるのか」
「見て学ぶ……」
ボクはプリンツちゃんの動きをジッと観察した。
プリンツちゃんは着水の時に派手な水飛沫をあげている。そのせいで減速しているようにも見える。教官はボクにタイムを測れと言った。と言うことは、きっと時間が重要なんだろう。
三つに区切られたセクションのタイムを記録し、一周のタイムを計測する。
一周目は2分10秒。これが早いのか遅いのかはわからない。けど、基準にはなるはずだ。
一周すると、プリンツちゃんは急にペースを落とした。それまで上下に激しく揺れていた探照灯の光が比較的ゆっくりと上下している。
「ただ航行すればいいと考えたか……」
教官の声色に若干怒気がこもっている。ボクは目を逸らし、最初のセクションのタイムを計った。ほんのすこしだけ前の周よりも遅れている。
プリンツちゃん。真面目にやらないと怒られるよ……ボクは横に立つ教官の不機嫌なオーラを感じ取っている。どうしてこの人はこんなに怖いんだろう。
ボクは言われたらことをやればいいんだ。二つ目のセクションのタイムを記録する。今度は前の周とほぼ同じだ。よかった。真面目にやってくれている……わけでもなさそう。探照灯の光は穏やかに上下している。
「プリンツちゃん……」
もうプリンツちゃんが怒られるのは見たくないよ。
出来ないボクが怒られないのに、出来るプリンツちゃんが怒られる。
ボクが出来ないのがいけないんじゃないか。叱られるのはボクでいいのに。
「レーベ。余計な事は考えずに時間を図れ」
イライラを隠そうとしない教官の声にハッとした。
急いで、時間を記録する。二周目は1周目とほぼ同じ2分7秒だった。
プリンツちゃんは相変わらず穏やかに走っている。どうして出来るのに真面目にやらないんだろう。プリンツちゃんはなんの為に艦娘になったんだろう。
ボクはこの国の役に立ちたくて艦娘になった。プリンツちゃんもそうなのかな。
そんなことを考えながら、記録を取る。記録を取って驚いた。あんなに穏やかに走っているのに、タイムが1周目と2周目よりも速い。2個目のセクション、3個目のセクションもタイムを更新した。
3周目1分50秒。10秒以上縮めていた。
教官の不機嫌そうなオーラは消えない。けど、ボクはそんなの気にならなくなっていた。
四周目2分ちょうど。プリンツちゃんは何故かタイムを落とした。けど、最後のセクションだけタイムを伸ばした。と言うより、目に見えて速力をあげていた。探照灯の光跡が残るほど速い。スタートラインを出せ得る速力で抜けたプリンツちゃんはそのまま速力を落とすことなくテストコースを駆け抜けた。全てのセクションでそれまでよりも速いタイムを出している。気がつけば教官の不機嫌なオーラは消えていた。
「……すごい」
「……タイムは?」
「1分30秒です」
ボクがタイムを告げると、教官は押し黙った。ボク達の沈黙を破ったのはプリンツちゃんの悔しそうな声だった。
「最後の最後に失敗したぁ……飛んじゃったよ……」
教官が呆れたようなため息を漏らした。
ボクにはこのタイムが速いのか遅いのかわからない。けど、スゴいってことだけはわかった。