結論から言えばポラン・ブーニディッカの右目を浄化する事は出来なかった。水で消えるのは靄だけ。
おそらくモンスターの体液がポランの肉体に馴染んでしまったため、半ば共生の様な関係が出来てしまった。つまり――
彼女を殺さない限りモンスターを真に倒した事にはならない。
現時点ではそう結論付ける事になる。シャクティ・ヴァルマとしては納得したくないが様々な実験を
それに学習する能力は本物のようで仲良くなる努力を重ねれば――人にもよると思われるが――唐突な攻撃しなくなった。それと神に敵意を剥き出しにする事は当初から無かったが、黒い
「おそらく神に嫌悪感を抱かせるもの、という意味しか無いのかもしれない」
どういう原理かまでは神にも分からない。
神が分からない者を下界の住民や冒険者が理解できるのか、という問題が浮上するが脳筋気味の者達は早期に考える事をやめた。シャクティも無理に考えたくないタイプであった為、敵か味方かの判断だけしたかった。
数日から一週間ほど実験をしながらポランの素行を見ていたが冒険者である彼女自体は何の問題も無い。
モンスター化した場合、随分と言う事を聞くようになった今は可愛いやんちゃ坊主といった印象を受ける。
強さ的にはレベル2の上位。元々の身体を失った事を考慮して――弱体化している事も加味して――認定した。
伝え聞いたことが本当であるならばもっと強いモンスターだったのだろうと思われる。その証拠に格闘技術はとても高い。シャクティをして苦戦するのでは、と思わせるほどだ。
「【剣姫】をズタボロにしたモンスターは本当に強かったのだろう。肉弾戦であればそれほどでもない、としても……」
主神ガネーシャに団長として報告する。
象の面を被った筋骨隆々の男神はうんうんと頷きながら聞き入っていた。難しいことは理解できなくとも敵対関係のところはしっかりと頭に叩き込む。
他の団員が殺害されるような事態も無く、多少の暴力行為を除けば平和そのものだ。――当初に比べれば。
あわよくば、という欲さえ出さなければポランはおそらく安全に管理できる。団長は少なくとも自信を持っていた。
†
【ガネーシャ・ファミリア】に出向してしばらく経ち、神ヘスティアは不安な報告を受けずにいる事を幸せだと感じていた。ポランの声は相変わらず聞き取れないが、それは半ば諦めている。――神としては諦めてはいけないのだが、治す方法が浮かばない。
治療費を稼ぎたくてもダンジョンに潜れない。この手の回復アイテムは高額なので店での給金では何年もかかってしまう。かといって貯えを使うと今後の食費が危うくなる。
神はいいとしてもポランはいつまでも仕事が出来るとは限らない事を感じているので。
(ギルドに眷族募集をかけているけど、未だに参入者は現れない。新しい人材が今の時期は来ていないのかな?)
唸りつつ募集要項の見直しを考えている横でポランは身支度を整えていた。
神が自堕落な生活をしていても毎日変わらず、備蓄の管理や掃除、調度品の片づけなど、とにかく
仕事の時間まで肉体的な鍛練も欠かさず、動ける間は様々な場所に向かっていた。
その甲斐もあり、資金的に困窮する事態は起きていない。
「おー、ポラン君。ガネーシャのところは慣れたかい? 随分と長く通っているけれど……」
「……い」
「当初ほどの暴力沙汰が無いだけでボクは嬉しいよ。夜間の手伝いはどうたい? あそこの女主人は怖いって聞くけど」
報告は主に筆談だ。
冬場の支度も既に済んでいる。多くは【ガネーシャ・ファミリア】の厚意によって早めに用意できた。
もうすぐ一年の終わりが近づく。
(……早いものですね)
迷宮都市オラリオは四季のある都市だ。冬になれば雪が降る。そうなると普段は半裸な
【ステイタス】の恩恵である程度は我慢できるそうだが、やはり寒い時は寒いらしい。
†
雪が降り始める頃、団長のシャクティと共にポランは【ロキ・ファミリア】に向かった。
時間をかけて調査した結果を【剣姫】に伝えるために。
既にモンスターの脅威度は下がった。後は対処方法を伝えれば恐れるに足らず。そうシャクティが自分の責任で判断した。
結局のところポランからモンスター『ドレッドノート』を引きはがすことは不可能。であれば付き合い方を模索するしかない。
なにより、このモンスターは
【ロキ・ファミリア】の眷族に警戒されながら応接室に大人しく座る事になったポランは居心地悪そうに待機し、話し続けるシャクティを見守る。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインとは度々会う機会はあったが戦闘に発展するような物騒な事態は無く、軽く挨拶する程度。ベートも威嚇はしなかった。しかし、それ以外の眷族――特に下級――の対応は未だに険悪だ。
「最近は言葉を発するようになった。片言だが……」
「……
そう言ったのは副団長のハイ・エルフ『リヴェリア・リヨス・アールヴ』だ。
椅子に座す彼女は眉間にしわを寄せつつ
学習する事は聞いていた。言葉については幻聴ではないかと思われていたが――そうではなかった。
ポランの声を奪っているとも見られるが真実はまだ不明だ。
「モンスター化しているかと言えばそういう気配はないらしい。見た目に変化があったかと聞かれれば……、特に変わった印象は受けない」
「そちらの眷族の被害はもう殆ど無いのだな?」
「ああ。適切な対処をすれば恐れるに足らず。元々の身体であれば危険であっただろうが……。伝え聞いた危険性は確認できない」
今のところ平和的に話しているがあまり事情を知らない眷族からは『何故、【ヘスティア・ファミリア】でしないのか?』と疑問を抱く。
そもそもポランの事情を伝える必要性が理解できない。しかし、これにはリヴェリアと団長のフィン・ディムナが経過報告を希望したためだ。
特に団長はモンスターの方に興味があった。
未知の強敵であり、自身の名声を高める為ならばどんな方法だろうと問わない姿勢を持っている。
「……それよりこいつはいつダンジョンに潜れるんだ? まだギルドがウダウダ言ってんのかよ」
「そのようだな。ガネーシャを通しても許可は下りなかった。というより何を気にしているのか……。脅威度から言えば単身でなければ既に対処方法が確立しつつあるはずなのだが……」
謹慎も追放も出来ず、かといって危険なほど強いかと言えば今に至るまで平和だ。
主神が怖がることを除けば、だが。
今のままでは何もできずにいずれは餓死する。それを防ぐために外での仕事は許可されている。これはミア・グランドが睨みを利かせている為だと思われる。
シャクティとしては学習するまま放置するより、ダンジョンに放り込んで好きにさせる方が健康的ではないかと思う。何かあれば第一級冒険者が相手をする。特に【剣姫】はやる充分だ。それに――
ポラン自身もある程度の覚悟を決めている。
†
彼女の主神は放任を決め込んだ。どうあがいてもどうすることも出来ない。意見は言えるけれど、それだけだ、と。
今後の経過を――今のところは【ガネーシャ・ファミリア】に任せている。もちろん、何があっても恨まないと約束していた。
シャクティから見てヘスティアはとても優しい神様だった。ガネーシャからも話しは聞いているが裏のありそうな悪の匂いは無かった。
「うちのお姫様が準備を終えたらギルドに大量のヴァリスを叩きつけるよ。僕としても一向に情報を出さない
人当たりの良い笑顔だが、団長のフィンとて今のままでいいとは思っていない。
特にかのモンスターの情報はどうしても欲しかった。ベートの話しによれば一つは【ディアンケヒト・ファミリア】にあるのが分かっている。ただ、アミッド・テアサナーレをもってしても調査が難航しているというのは聞いていた。
魔石が無い為か、外殻が今も消滅せずに残っている。しかも、それは物凄く硬い。
残念な点は小さくて武具に使えないこと。体液も同様にほんの僅かしか調べられないので新たな薬品の開発に使う事は出来ない、と。
成分分析も難航していた。いずれ、ポランの許可を得て右目の摘出も視野に入れるとかいないとか。
「新人冒険者に様々な伝が出来る事は喜ばしい。彼女も喉さえ治ってくれればもう少し良い仕事に励めるのだが……。こちらは絶望的なようだ」
モンスターの影響か、心意的なものか。
シャクティの見立てでは治っている筈だ。機能の大半をモンスターが奪っている為に出しにくくなっている、と予想している。
報告している間、ポランは実に大人しい。声が出せないとしても。
モンスターの脅威があるとは到底見えない。武器の携帯は禁止しているので仮にいきなり変貌しても第一級冒険者が数人も待機している。大事は無いと思われる。
ここにはモンスターを畏れる軟弱者は下級冒険者だけだ。
「経緯はどうあれあのモンスターとは一度しっかり戦ってみてぇ」
現時点で真っ向勝負しても勝てる気がしない。そんな思いをさせたモンスターは深層域にでも行かなければ出会えないと思っていた。しかし、今回のモンスターは浅い階に出現した。
キラーアントのように大量に出てしまうと危ういが、数匹程度ならまた戦いたいと思った。例え足をもがれる結果になろうとも。だから、チラチラとポランを見てしまう。
モンスターとしての武装の無いドレッドノートは話しにならないほど弱い。もし、仲間を呼ぶ能力があるのならば呼べ、と強く願っていた。――その為にはダンジョンに潜ってもらわないといけない。自分達ではかのモンスターを出現させられる自信が無いので。
†
報告を終えた後、シャクティは自分の【ファミリア】へ戻り、ポランは手伝いの為に『豊穣の女主人』へと向かった。
夕方以降から混む店なので早めに行き、出来る事をこなす。
店員達はポランの事情を知っても毛嫌いせず、色々と仕事を教えてくれる。その中で
給金が増えるのでポランは構わないのだが主人であるミア・グランドはよく怒っていた。
「あんたには金がかかってるとはいえ……、こいつの仕事を肩代わりなんかするんじゃないよ。それと無理に酔っぱらいの居る時間帯に居なくていいからね」
多額の資金を投じて【ロキ・ファミリア】から守ってくれたはずなのに優しいミアに申し訳なさを感じていた。
本当ならダンジョンに潜り、もっと稼いで礼がしたかった。それが出来ないのでお手伝いで頑張っている。ただ、それだと返礼に当たらない気がしていた。
(無理にでもダンジョンに潜るべきか。サポーター要因では駄目なのかな)
仕事の合間に考え事が多くなり、ちょくちょく手が止まる。そういう時にアーニャから指摘される。普段はそこまで細かい指導はしないのに。
彼女の他にも担当給仕がおり、それぞれ何らかの事情を抱えているらしい。
今日の分の仕事を終えたら
冒険者になった筈なのに店の手伝いばかりする事になるとは――ポランは将来設計の見直しに迫られていた。
あくる日、店に訪れると何者かの襲撃にでもあったかのように荒れ果てた店内に驚いたが、アーニャ以下の店員達はごく普通に片付け始めている。
荒くれ者の冒険者が夜中に騒ぐことは良くあることだと教えてもらった。もし、その時間帯にポランが居ればひとたまりも無かった、とも。
「ポーラが居たら報復の連鎖ニャ」
ここ最近はポランではなくポーラという名前で働くことになった。偽名程度は冒険者界隈では普通の事で、余程の悪人でもない限り大事にはならないとか。
ポランの場合はミアの気分でそう呼ぶ事に決定した。
(私が気絶すると報復の連鎖が起きるって意味か……。それは怖い)
「例え暴れてもミャーが止めるけれど……。新規の客は……ヤバイニャね。……相手側にとっては」
ニャハハと笑いながらアーニャは言った。
普段はお気楽な雰囲気を醸し出すが荒くれ者の多い冒険者相手でも決して引けを取らない実力を持ち、何度か彼女に止められているという。その時の記憶が無いのでポランにとってアーニャがどれくらい強いのかは未だに分からない。
アーニャ以外の給仕も並みの冒険者より強いのだとか。一番はミア。絶対服従並みの存在感がある、と多くの給仕が恐れている。
†
冬の始まりを告げる雪がオラリオに降り始める頃、
神とは言え人並みの感覚を持ち、ガネーシャでさえ寒がる。
そんな中、
服装について
「うー、寒い。冷えて来たねー」
寝床の調整を見守りながらヘスティアは室内で白い吐息を吐いた。
満足な暖房が無いので何もしなければ小声死にそうな程温度が下がってきた。
ポランは神の為に布団を多めに仕入れていた。暖炉も別室にあるにはある。使うのは今日が初めてなので火事対策は万全にした。
(……早めに煙突掃除しといて良かった)
廃墟同然の教会もかつては人が住んでいた。その名残は今もあり、人並みの生活を送れる様々な調度品があった。今はボロいけれど――
石造りなので延焼はしないはずだが煙が充満するか、これから確認する。
「煙りに
「……すね」
年中熱気に包まれた場所だ。確かに温かそう。
冬場も彼らは仕事を続けている。だからといって暮らしやすいかと言うとそうでもない筈だ。ずっと高温に晒されている。水分や塩分補給は欠かせない。
仕事が終われば
「手を怪我しているのに力仕事ばかりさせて悪いね」
神の目からポランの右目から黒い煙が立ち上っているのは見えている。近づけば嫌悪感を抱くことも相変わらず。それでも眷族の側に居て見守る事が
そんな生活をいつまで続けられるのか。
下界の住民と神は刹那的な出会いだ。そう思わないのは短命な下界住民くらい。代わりにポラン達は神の存在を身近に感じられる事を喜びとしている。それは第一級冒険者であっても。
(この煙りはボクら神に対する憎悪そのもの。ダンジョンに封じられた悪意ってところか。それにしては以上に強く感じるんだよね。でも、冒険者達は平気……。まあ、それは日常的にモンスターを倒しているから、だと思うんだけど)
触れたら【ステイタス】が下がるような呪いではなく、神に対する不快感だけ。だからこそ被害が広がらない。
もし、そうでなければとても恐ろしい事になる。
(……ボクの予感だと単なる嫌悪感だけとも思えないんだよね。まだ分かっていない特性があるような……)
通常の出現ではないモンスターだ。何が起こっても不思議は無い。
更に言葉まで覚えたというし、益々脅威度が高まってくる。このドレッドノートというモンスター。
神として出来る事は少ない。
「ボクは君の味方だ。他の【ファミリア】から嫌われても構うもんか」
うちのポランはいい子なんだ。誰にもやるもんか、と自分に言い聞かせる。
一緒に寝る時、顔を近づけると尋常ではない不快感に脂汗が流れる。それなのにポランは平然としている。見えないから平気なのか、自覚が無いのか。それがとても不思議でたまらない。
不快感を感じるのはヘスティアが知る限り神だけ。モンスターの死骸を調査する事になったディアンケヒトも近づかない程。
今のところ平気だ、という神は聞いたことが無い。おそらく最強の【ファミリア】と謳われる神フレイアも表情を歪めそうだ。
†
ポランとは対照的にアイズは鍛錬を続けていた。彼女とケガの度合いは同じだが、こちらは万全の態勢が整える【ロキ・ファミリア】のお陰で冬場の寒さも凌げる。更に大きな浴場が完備されていた。
顔の傷は目立たないが深く切り込まれた感覚をたまに思い出しては殺意を抱く。
急に機嫌が悪くなる【剣姫】に下級冒険者は戦々恐々としていた。
「アイズの機嫌はかのモンスターに向けてのもの。眷族に向いているわけではない」
保護者のリヴェリアは報告に上がる度にため息をつく。
そこまで恐れさせるとは思っていなかった。
普段は感情の無い人形のようだ、と揶揄しているクセに、と思わないでもない。
(怒りを
自身を傷つけた――いや、恐れさせたモンスターが許せない。
勝利を掴んだ筈の彼女の激情は留まるところを知らない。それがいつ仲間に向かうのか怖い反面、それは無いと信じたい気持ちがある。
壁に八つ当たりしたので何かのきっかけで仲間に行くのはそう時間はかからない。
溜まった負の感情は発散しなければ不健康だからだ。
「……全く、手間のかかる娘だ」
呆れるかと思えば口元は笑に歪んでいた。
それを見たガレス・ランドロックが茶化すが
穏やかな時間が流れたかな、と執務に集中していたフィンの耳に甲高い叫び声が聞こえた。それはアイズの絶叫。
ここまで声を張り上げる事は今までに無い。
(でも、少し不味いな。【ファミリア】に入団したての凶暴さに戻りつつある)
「いい仕上がりになってきている、と思っていいのか、あれは」
「そうだといいけど……。僕としては
「じゃが、ダンジョンに潜らせろとは言ってきておらんじゃろ?」
「敵が地上に居るからな」
「その敵の方はしおらしくなってきている。このままだとアイズが殺戮して終わりになる可能性が……」
モンスターとしての存在感は消せない。けれども人付き合いを学び、問題行動もここしばらくなりを潜めている。
【ガネーシャ・ファミリア】が監視している中での報告だが――
本体は既に打倒した。その上でアイズは何を倒そうと言うのか。ベートであれば同じ個体を探し出して倒す。そういうものであれば理解できる。
全く未知の情報に対して考える事が多くて疲れる、とフィンはため息をつく。
†
鍛練を続けるアイズと日夜仕事に邁進するポランが過ごして二ヶ月ほど過ぎた。その間、驚くほどお互い
変わった事があるとすればドレッドノートが片言で会話を始めた事くらい。
以前の様な暴力的な行動は取らず、シャクティの言う事をよく聞くようになった。代わりに使役モンスターは警戒を強めているらしく、ポランが近くに居る時だけ凶暴になる。
この日、雪深い景色の中でポランは雪除けの仕事をし、それが終わるとギルドに向かい、貯金の為に給金を収める。ダンジョンに潜る案件の時は冷たいがそれ以外は平時と同様の対応であった。
(随分と積もりましたね。晴れた日のオラリオはまた奇麗だ)
猛吹雪の日は外に出られないけれど、晴れた日の町並みは格別だった。
雪に足を取られる為、住民や冒険者総出で雪除けをする。そこに争いごとは見当たらない――筈だったが雪捨て場の都合で喧嘩をする光景が目立つようになった。特に捨てきれないほど積もった時は顕著だ。
魔法に余裕があれば吹き飛ばしたり、溶かす事が出来るが大半は捨て場に困る。
普段は人が行き交う大広場に雪を集め、小山を築く。その山で子供達が遊んだりする。
あまり巨大にならないように普段であれば馬車に乗せてオラリオの外に捨てる。街中で処分する必要は無いが手間がとてもかかる。
街中の問題に迅速に対応できるのは【ガネーシャ・ファミリア】の強みである。
その日の午後、雪深い街並みになっても居酒屋は冒険者で賑わった。ダンジョンの中は階層ごとに特色があるので外の季節は関係ない。
この日はポランも夜間の手伝いに奔走していた。
受け答えに難があるのは周知されていたので、それほど混乱は起きず、注文を受けていく。
「大声で騒ぐ店内だからポーラは
ほぼ筆談だ。声だけの注文より正確にミアに届けられる。その利点を生かした動きは
ただ、客としてくる神には相変わらず距離を取られる。その場合、神が来たら対応は別の者に当たらせることになっている。
距離的に人一人分以上離れていれば大丈夫なのは分かっている。不快感はかなり近くに迫らないと発動しないのはヘスティアやガネーシャで確認済みだ。
感じ方は神であってもバラバラで、三人分ほどの距離でも嫌だと感じる者も居るが――だいたい三
†
鍛練とは別にアイズは
眷族であるナァーザ・エリスイスの努力を紙ミアハが台無しにするので【ファミリア】の運営はずっと火の車だとか。
一番の問題は商品の
「……でも、【剣姫】のお陰で、ある程度の儲けは出るようになったよ。一八階層以下に行ってくれる冒険者が中々見つからなくてね」
「……そうですか」
間延びした喋り方のナァーザと声の小さいアイズだが会話はお互い支障なく交わせている。
今日もいつものことのように依頼を受け、その足で【ディアンケヒト・ファミリア】にも顔を出す。
こちらも素材採集だが、ナァーザの依頼より深い階層が多い。単身では許可が出ないので【ミアハ・ファミリア】は彼女にとって都合が良かった。
「モンスターの体液を取り込んだからとて恩恵が得られるわけではないようです。あと、毒性はありません」
今まで判明したことを伝えるアミッド・テアサナーレ。
店番している時は気づかないが彼女は小柄な
優秀な
眷族の全てが戦闘に特化しているわけではないが、それなりに修羅場は潜ってきている
「……今のままだとポランさんの自我が塗りつぶされる恐れがある。二つの意識を同時に存在させられるとは思えませんし……」
「……そう」
「薬品や魔法による解決はほぼ無理……。けれども、そのまま放置も出来ない。シャクティさんのように飼い馴らす事は有益かと存じますが……。それはそれでポランさんの存在が危ぶまれます」
救う方法は現時点では見つからず。遠からず、どちらかの消滅を待って判断するしかない。それがアミッドの結論であった。
総合的にポランを救う都合の良い方法は無い。それが分かった瞬間、言い知れない怒りがアイズの中に渦巻く。それは弱い自分へのものか、それとも無謀な真似をしたポランへのものか。
†
更に時が過ぎ、雪が解けて春が到来する。
そこに外部から一人の神が到来した。名を『ヴェーラ』という。
青く長い髪の毛。花を頭り飾り付け、目つきは鋭く。その目の下に模様があり、素行の悪そうな印象を与える風貌。
小麦色の肌で胸は大きく黒い外套を羽織っている女神。
護衛もつけずに現れた女神ヴェーラは目的もなく店を散策し、一つの店で立ち止まる。
「おー、景気の悪そうな店だな」
がらの悪いチンピラと大差のない女神ヴェーラは店主を見て悪戯っ子のように笑う。
小さな店とはいえオラリオで有名なジャガ丸くんを売っている中では割合知名度が高い方だ。
なにせ、神ヘスティアが商売しているのだから。
「ヴェーラじゃないか。薄気味悪い恰好は相変わらずだな」
「これが私の正装だ。お前ほど破廉恥じゃないんだよ」
「な、なにを~」
舌を出しながら馬鹿にしてくるヴェーラに対し、揚げ物を作っている最中なので迂闊に店から離れられない。そのもどかしさで顔を赤くする。もちろん、怒りで。
女神らしからぬ口の悪さでヘスティアを茶化す。
他の神もそうだが、話し方はそれぞれ違い、清楚な神も居れば乱暴な口調の女神も居る。
特にヴェーラは顕著である。
「君は観光に来たのかい?」
「ああ? んー、半々かな。どっちでもねーとも言えるし、特に決まってねーな。断言は出来ない」
質問に対して曖昧な事はヴェーラにとって珍しい、とヘスティアは驚いた。
もちろん、神にも分からない事はあるのでヴェーラでも答えられない事があっても不思議では無いけれど。
この女神の特性から言えば疑問を覚えるほどに珍しい事だった。
「あー、そうだ。折角君が来たんだから教えておくれよ」
「その言い方だと答えにくいぞ。だが、質問だな?」
「ああそうさ。ある眷族がモンスターと融合……みたいなことになった。それを解消する方法はあるかい? 出来ればアイテムとか魔法で」
ジャガ丸くんの品揃えを眺めつつ女神ヴェーラは唸る。
あまりにも突飛な質問だったから。
「食われた、の間違いじゃないのか?」
「そこら辺は分からないんだ。眷族でありモンスターの特性を持つ。この場合はどういっていいのか……。もちろん、モンスターが眷族っていうオチじゃないぞ。たまたま偶然そうなってしまった事故みたいなものなんだ」
「……よく分からない言い方しやがって……。いくらアタシでも……。だが、言える範囲で答えるならば……。殺す以外に方法は無い。五体満足なんかありえない」
想定内の答えにヘスティアは唸る。希望が見えるかと期待したがヴェーラでさえも『殺す』と言った。そうなればもう二の句が継げない。
目の前でがっかりするヘスティアに驚きつつ、何が美味いんだ、と尋ねる。
どれでも、と素っ気無く言うかつての
予想は出来るがヴェーラとて知っている事しか答えられないので他に方法があるとしても質問に対する答えは今ので限界だ。それ以上は新たな情報を得ない限りありえない。
「お前の周りでは愉快な事になっているようだな。その眷族、見せてくれよ」
「殺すしか言わない君に見せても……」
「質問に答えたんだ。それに文句を言われても困る」
そう言いながらヴェーラは『ジャガ丸くん抹茶クリーム味』を指さした。
見た目で判断したのでどんな味かは知らない。
二〇ヴァリス払って購入し、一口食べたヴェーラの感想は『甘味の無駄遣い』であり、とても不評だった。
†
時が過ぎ、ベートは久方ぶりに街中でポランと出会った。最近の彼女はモンスターとの境が無いほどごく普通に過ごしている。当初の攻撃的なドレッドノートが消滅したかのように。
しかし、それはありえない。
神の目でみれば未だに右目から黒い靄が出続けている。その違和感も健在だ。
「時間があるなら付き合え」
急にそう言われたポランは戸惑う。この後、酒場で手伝う予定だったので。
折角の誘いだが許可が必要だと
ちなみにモンスター側の発声もしわがれたものなので周りが静かになっていないと聞き取れない。
ポランは酒場に向かい、ミアに事情を説明する。一度、ベートを睨みつけるような視線を送ったが仕事を休む事を許した。
一見平和そうな日常を送っているポランは様々な事を考え、様々な覚悟を模索していた。その一つは当然『死』だ。
自分一人では解決しない問題に延々と悩み続け、このところめまいを感じていた。仕事も失敗が目立つようになった。だからこそ、ミアはベートの要望を呑んだと言える。
ベートは既に色々と準備を整え、武装をポランに与える。
「お前は俺のサポーターだ。聞かれたらそう言え。……言えなくていいが……。黙ってついてこい」
「………」
身体を覆う外套をまとい、ベートの荷物を持ったポランが向かうのはオラリオ中央にあるギルドだ。
多くの冒険者が止め処も無く出入りしている場所。
ダンジョンに潜るのに入念な身体検査は無く、基本的に出入りは簡単にできる。だが、ポランは駆け出しなのでアドバイザーの意見を聞いてから潜る事にしていた。だからこそ入り口で止められる。
無視しようと思えば出来る。だが、ポランはそれをしなかった。
今日、初めてギルドの規定を破って潜る事になる。その心境は複雑だ。
(……居場所がなくなる前……。私が私で居られる時間……。彼は引導を渡す気?)
思考がとぎれとぎれになりつつも自分の身の振り方をギリギリまて考え続けた。
日が経つにつれ、意識が朦朧とする機会が増えてきた。それは気絶が多くなってきた事が原因だと思われる。
仕事の合間に調査を続け、結果が出ない事に周りが苛々する。それらを毎日のように見ているとポランの心も荒んでくる。
そんな毎日だった。
気丈に振舞えるのも時間の問題――
ダンジョンに降りる階段に足をかけた時、ポランの全身に言い知れない嫌悪感が襲う。
異物が全身にまとわりつく。
「………」
ベートの後を追うように黙って降りていく。途中のモンスターは攻撃一回で散らされ、落ちた魔石はポランが黙って回収する。
そうして辿り着いた場所は一〇階層。ここからポランにモンスターを倒させる。出来れば一〇〇匹以上という要望だった。
【
自身の【ステイタス】はとっくに
「……数字は減っても身体の感覚はそのままか。……まあ、予想通りだな」
地上に居た時の険悪さから打って変わって安心した様な顔でポランを見た。
今回の出来事は【ロキ・ファミリア】の団長達が命令した事だ。責任は全て引き受けるという事でベートが
後ろからギルド職員の追跡も無く、治安維持の【ガネーシャ・ファミリア】からの追っ手も無い。
(駆け出しのままなら苦戦するモンスターの筈だが……。本当にしっかり戦えている。戦闘の勘って奴はすげぇな)
長期間戦闘から離れると身体が
そこで失態を思い出す。
戦わせる前に準備運動をさせていなかった。急な運動は身体に悪影響だ。すぐに戦闘をやめさせ、休息を交えて無理のない戦闘に切り替えさせる。
ここでポランを潰すとアイズが激怒するので。いや、それだけなら
次の一一階層に降りてモンスターと戦わせる。
「倒せば倒すごとに【ステイタス】が上がるんだったな。下がってねぇならどうなっているんだか……」
「……ってる……しょうね」
【ステイタス】を確認する方法は神に委ねるしかない。
こうして戦闘中に体感する事はほぼ出来ない。
いくつかの能力値は既に九〇〇の大台に乗っている。その限界に近くまでは行っている筈だが、どこまで伸びるのか少し興味があった。
†
モンスターを倒して一二階層。そして、一三階層に降り立つ。
ポランにとっていわくつきの階層だが入る前に感じた嫌悪感は既に無い。今は懐かしさだ。
火を噴く犬型のモンスター『ヘルハウンド』が徘徊する階層だが、ここでも討伐はポランの役目となる。
敏捷も問題なく発揮し、攻撃を受ける前に次々と倒していく。これでレベル2前の駆け出しという者は居ないと思わせるほど。
(数えてねぇが……。一〇〇は超えたか? キラーアントのところを早めに抜けたのが勿体なかったかもしれねぇな)
そんなことを考えつつベートは自身の装備を確認する。
整備を終えた武具の万全は整っている。元より低階層で苦戦するとは思っていないが油断はしない。
粗方モンスターを討伐し終え、魔石の改修が済んだ。頭を見回しながら近寄ってくるポランの不意を突く形で一撃、拳を彼女の頭部目掛けて入れる。
一回で気絶してくれることを願いながら。駄目なら何度も繰り返すだけだ。
今回は――上手くいったようだ。
(確認の意味でも必要な措置とはいえ……。俺の流儀に反するが仕方が無い。悪く思うなよ)
手加減した一撃の筈だが強すぎれば殺してしまう。
殺意は乗せていないので死んではいない筈だが細かい力加減は得意ではない。
一度倒れて数分が経過した。それで身動きが無いので気絶させたことには成功したようだ。――問題はこの後だ。
唐突に起き上がったポランはすぐに臨戦態勢取る。それは普段の態勢ではなく猫が威嚇するような構え。そして、唸り声をあげる。
(これも想定内だ)
状況に満足したベートは敵に対するように身構える。
手合わせを想定しているので殺意は乗せていない。これも初めての試みなので調子自体は少し狂っている。
考え事をしながらの戦闘なので。
「俺達の言葉が分かるんだったか? なら、かかってこい。試してやる。ここはダンジョンだ。てめぇの土俵でもある」
「……ぎぃぃ」
歯を剥き出しにして威嚇するポラン。
一歩進もうとした彼女はすぐに立ち止まり、視点を下に向ける。その次に身体を捻りつつ腰を見ようとする。
この行為は自身の身体の調子を見るようなものだ。それが終わってベートを見て小首をかしげる。
どうして戦闘しなければならないのか、と言いたそうな疑惑の様子だ。
モンスターであれば疑問を抱かずに冒険者に襲い掛かるものだ。知恵を付けたせいで迂闊な行動を取らず、平和的な対応になってしまった。というよりそれが出来るようになったことにベートは驚いた。
「お前がどうやって出てくるか分からねぇから、ポランを気絶させただけだ。いいからかかってこい。強いのか弱いのか試してやるから」
元々の身体であれば期待したところだが絶対防御の象徴である外殻を失ったモンスターだ。弱いに決まっている。
相手の方はしばし逡巡していた。構えを解き真下に腕を伸ばすポラン。それから腰に下げていた小剣を抜き、体勢を低める。
冒険者家業を休止していたポランとは違う――何者かの
一度構えた後――何かに気づいたのか――何故か構えを解いた。
ベートが待ち構えているにもかかわらず、いやに落ち着いた様子で頭を擦る。どうやら眼帯をしている事に気づいて取ろうとしているらしい。それが遠目からも理解できた。
しばらく会わない内にかなり賢いモンスターと化したな、と苦笑する。そのまま反応があるまで好きにさせる事にした。
今回の目的はモンスターの様子を探る事だ。殺す事ではない。
用意が整ったらしく、改めて体勢を低めるポラン。そこから何の迷いもなくすぐに駆け出してきた。
その速度は下級冒険者の中では早い方だがベートから見れば遅い。取り立てて慌てる事も無く最初の一撃を膝で受けた。もちろん、防具で。
(重くも軽くもない。これはポランの『力』か)
「……グゥ? イィィ」
手の感触でベートが硬いと認識したポランは強引に武器を押し込む。
安物の小剣では彼の防具は突破できないが知識の無いモンスターは無心に行動を取る。
不意に脚を引けば前のめりに倒れる、筈だったがモンスターはすぐに対応してきた。その事にベートは感心した。
(反応が早い。これはモンスターだな)
拳を出せば避けようとする。迎撃する速度が出せない事を瞬時に理解した為だ。
今の自分は身体の大きな
対するベートは前面の攻撃が無敵だった時と動きが割っている事に気づいて少し戸惑っていた。
受け止めなくなった。即ち、自身の防御能力が無くなった事を理解している証拠だ。
落胆こそすれ自分の弱さを理解しているところは感心する。
(……動きが鈍い。モンスターの能力の大部分を失っていると見て間違いねぇな。……ちっ)
ベートは軽くため息をついた後、戦闘の中止を宣言する。そうすると戸惑いつつモンスターポランは武器を落とした。
そう教わったのかもしれないが、えらく従順な様子に改めて調子が狂う。