Untold Myth   作:トラロック

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#2-01 ある少女の死

 

 凄絶なる死闘から数か月が経過した。

 人々は変わり果てた【剣姫】『アイズ・ヴァレンシュタイン』と主神『ヘスティア』の異様に言葉を無くしていたが、それも時と共に落ち着いてくる。

 しかし、さすがに――いったいどのような事があれば【剣姫】を半殺しにできるのだという噂は中々収まらなかった。

 真実は他の冒険者には伝わらず、ギルドも詳細を伏せていた。――だからこそ数多の憶測が生まれる結果となってしまった。

 ただ、確実に分かっている事はアイズが重傷を負う事件の中で一人の冒険者が死んだこと。

 

 無名の駆け出し冒険者の死。

 

 『二つ名』を持っていれば他の神々も黙ってはいられないが、()()()情報が出て来ない。

 アイズという生き証人が居るにもかかわらず。

 彼女の本拠(ホーム)でもお通夜のような有様で静まり返っていた。

 主神である『ロキ』は――いつもならば明るく振舞い、情報集めに奔走しているところだ。その彼女が今回の事件に対して緘口令を敷いている。

 前代未聞といってもいい。

 

「……うちに言えることなんてな~んにもないわ。これは子供たちの問題やから」

 

 と、普段通りの調子で言いつつも心中は穏やかではない。

 稼ぎ頭の一柱がズタボロになっているのだから。

 原因を取り除くべく、【ファミリア】の団員総出で仕返ししていてもおかしくない。現にロキは()()()()()で有名な神だった。

 彼女(ロキ)の機嫌を損ねて潰された【ファミリア】は数知れず――

 だが、全身包帯まみれのアイズ本人は復讐を望んでいない。

 

「……うちかて空気くらい読める。……それでアイズたん。どないする? ……正直に言えばあのドチビ(ヘスティア)に当たるのは……気が引けるんやけど」

「……普段通りで……」

 

 いつもの調子でアイズが言うと軽く息をついたロキは苦笑をにじませる。

 余計なお節介をすればきっとアイズは怒る。それが感じ取れた。――最悪、顔面にフォークがねじ込まれる可能性も――

 滅多に人を頼らないアイズが頭を下げる案件ともなれば、いかな(ロキ)とて聞かないわけにはいかない。

 

「……分かった。フィンもガレスもリヴェリアたんも同じ意見か?」

 

 同席している【ファミリア】の団長と副団長達に声をかけると一様に頷かれた。

 総意は出た、とロキは判断し、手を叩く。

 これで手打ちにする、という意味で。

 

        

 

 当人はそれで納得しても周りの者達もすぐに落ち着くとは限らない。

 街中では様々な噂が今も飛び交っている。その火消しは【ロキ・ファミリア】でも難しい。

 それから更に日が経ち、廃墟同然の教会を本拠(ホーム)にしている【ヘスティア・ファミリア】の主神『ヘスティア』はうな垂れていた。

 長い黒髪をいつもならツインテールにまとめているところだが、今は結ばずに放置していた。他の神々から幼い体型を指摘されたりする身体が今は病的なまでに痩せ衰えている――ような雰囲気を醸し出していた。

 青い瞳も生気が無い。

 いつもならば明るい団員が側に居たのに――今は自分以外の存在が感じられない。

 つい先日まで一人は確実に居た筈なのに、と。

 

「……おかしい。先日まで平和だった筈なのに……」

 

 貧乏でも明るく元気に過ごす事をもっとうとしていた【ファミリア】がどういう理由で苦境に立たされているのか。

 壊れかけたテーブルの上には()()()()()()()の所持品が乗せられていた。その中には今まで稼いだ資金が入った皮袋が何個も――

 ただし、その殆どが返り血を浴びたように赤かったけれど。

 

 ――まるで遺品だ。

 

 ヘスティアは誰とも無しに呟いた。

 当面の生活費はこの資金を使えば問題は無い。けれども今は使いたくなかった。

 元々は団員である子供の持ち物だ。主を失ったからとてすぐに手が出せるほどヘスティアは守銭奴ではない、と自負している。

 だが、それでも腹は減る。

 数日ほど何も口にしていない事を音で思い出した。

 今の自分の顔はきっと酷くやつれていることだろう、と。

 明日からまたアルバイトでもして団員募集して頑張ろうと思いつつも、なかなか外に出ようとする気分が湧かなかった。

 

        

 

 そんな中、酔狂としか言いようの無い客がやってきた。

 無気力にうな垂れ、今にも死にそうな状態のヘスティアに会いに来る者は殆ど居ない――筈だ。

 筈だった、と過去形にすべきか。

 

「……なんだい、なんだい。借金取りかい? それとも【ヘファイストス・ファミリア】の子かい?」

 

 ヨロヨロと朽ちかけたベッドから身を起こすヘスティア。

 部屋の内装品は以前からボロく――正しくは新調するのを忘れていただけだが。

 

「……あ、あのぅ……。ここを本拠(ホーム)にしている神様に会いに来たんですが?」

「ボクがそうだよ。よく地下への入り口が分かったね。関係者以外は滅多に入ってこないところなんだ」

 

 弱々しくも来訪者に告げる。

 気難しい性格ではないヘスティアは明るく振舞う事で有名な神ではあったが、今は面影無く沈んでいた。

 元気になるにはまだ時間が必要な時に――来訪者には悪いと思いつつ追い払うこと無く出迎える。

 元々が零細【ファミリア】なので、拒む理由が無かっただけだ。

 

「前に所属していた【ファミリア】が入って三日で潰されてしまいまして……。改宗(コンバージョン)しに……。ここを勧められたのですが……」

「それはまあ……、お気の毒様だね……。へー、三日で潰されたと……。ボクはここしばらく外界の情報を入れてなくてね……」

「私も入ったばかりなんで詳しくは……。裏家業には人気のところだった、というのは存じております」

「……へー。……ボクのところは裏家業とは縁の無いところだよ。……念のために言っておくけど……」

 

 不穏な単語につい一歩下がってしまったヘスティア。

 何やら怪しい存在に巻き込まれそうな予感がする。――面会に来た存在は――見た感じでは小人族(パルゥム)人間(ヒューマン)の女の子に見えた。歳若いと区別が難しい。

 言葉尻からは悪い存在とは思えない。ただ、服装が実に怪しい。

 暗い色合いのローブのようなもので身体を隠している。――顔はちゃんと出しているけれど。

 

「私としても危険な仕事よりかは普通の冒険者になりたいのですが……。得意分野がちょっと……物騒っていうだけです」

「……君、ギルドの要注意人物一覧(ブラックリスト)に載ってたりはしないだろうね?」

「それは大丈夫だと思いますよ。登録してまだ三日ですから」

 

 それはつまり冒険者となって実質三日しか経たずに()()()【ファミリア】が潰されて路頭に迷う事になった、ということになる。

 ――見た目は既に歴戦の犯罪者のような雰囲気なのだが――()を言っていない事は理解した。

 

        

 

 【ヘスティア・ファミリア】に所属したいと飛び込みでやって来たのは――人間(ヒューマン)の女の子で名は『ユーカリン・ナナツタエ』という。

 極東風の名前に聞こえるが見た目は茶髪に青い瞳。色白の肌を持つ迷宮都市オラリオに多く居る住人と大差が無い。

 彼女が親から聞いた話しでは他国を練り歩く旅人の血筋が影響しているとか。

 ユーカリンは己の出自を殆ど知らない。――というよりは何世代も前のことなので両親も元々の故郷が何処だったか知らなかったらしい。

 そんな親も父親が流行り病で死に。母親はどこぞの強盗に殺された。

 ――そして、独り身になった――

 

「……随分と暗い過去のようだね。……言いにくいことなら……、別に無理して言わなくてもいいよ」

「そうですか?」

 

 明るく話すユーカリンはヘスティアから見て変わった子だ、と感じさせた。

 不幸を不幸と思っていない。ただ、悲しみはちゃんと理解している。――そう感じただけだが――

 

「その……ナナツタエというのは独特の文字で書くんじゃないのかい?」

「どうなんでしょうか。気にした事がありませんでしたので」

 

 仮にヘスティアが言う文字で書いたとしても彼女の知識に引っ掛かりを覚えるものはない。――というより詳しくないので。

 知り合いに尋ねる以外に興味は湧かなかった。

 極東の事なら詳しい友神(ゆうじん)を知ってはいるが、こちらも無理に聞き出すのは無粋と思った。

 

「……それでボクの【ファミリア】に入りたいと……。……もしかして誰かからの紹介とか?」

「え、ええ、まあ……。裏家業を営む【ファミリア】出身でしたので……、なかなか頼る手立てが見つからず……。先日、回復薬の下見に入った店で運良く色々と……」

 

 回復薬を扱ってて何者にも親切な者はヘスティアには一人しか浮かばなかった。

 商業系の【ファミリア】を営み、自分と同じく零細【ファミリア】として有名な『ミアハ』だ。

 あの神ならばどんな出自だろうと快く誰彼構わず手助けしようとする。特にユーカリンのような駆け出しならば尚更――

 

        

 

 盛大な溜息をつきつつ――それでも折角来てくれたユーカリンを無下にする事は出来ない。

 入って三日なら深刻な状態ではない筈だ。

 物騒を承知で仕事内容を軽く尋ねてみた。すると冒険者ギルドに登録してアドバイザーの講義を受けた程度だという。

 今の格好は【ファミリア】に入った時に渡されたもので今は餞別となってしまった。

 本格的な冒険というものはこれから、というところで彼女の【ファミリア】としての活動が序盤で終わってしまった。

 だからこそ()()()()な存在と言える。

 聞き終えた後、ひどく睡魔に襲われたヘスティアはユーカリンに先に寝ると言って早々に眠ってしまった。

 その間、ユーカリンは健気にもヘスティアの身体に毛布をかけ、周りの掃除を始める。

 前の【ファミリア】でも新人は掃除が基本と教わった。――というかそれだけで終わってしまった。

 結局、自分が居た【ファミリア】がどんな組織だったのか――裏家業を営む以外、分からずじまいとなってしまった。

 良いも悪いも関係なく、受け入れてくれたところには恩返ししなければならない。だが、既にメンバーの殆どは散り散りになり、主神も天界に送還されている。

 突然の放置。路頭に迷う事態になってしまって前途多難だ、と他人事のように現実逃避も試みた。しかし、黙っていても腹は空く。

 そして、現在に至る。

 

(他の団員の姿が無いようだけど……。私一人かな。他にも居たら挨拶しておけばいいか)

 

 既に寝息を立てているヘスティアを見て、可愛いと思いつつ掃除の続きを始める。

 

        

 

 ヘスティアが次に目覚めといい匂いに気付いて一気に覚醒した。

 廃墟同然の本拠(ホーム)は外からの匂いがよく入る。それだけボロいという証拠だ。

 

「お目覚めですか、神様」

 

 聞きなれない声に驚きつつ、それは前に居た団員(ポラン)のものではないと気付いた。

 

「誰だい……って、ナナツタエ君か……。まだ居たんだね、君は」

 

 そう言いながら彼女の目的も思い出す。

 起きたばかりのヘスティアはまだ少し思考が定まっていないようだ。

 目蓋を擦りつつ上体を起こす。

 

「あらかた掃除しておきました。それと朝食です。……ずっとお腹が鳴っていたようでしたが……。食事はずっとされていなかったのですか?」

「食欲がなかっただけだよ。それよりこの匂いは……、ジャガ丸くんかい?」

「はい。安くて腹持ちの良いジャガ丸くんです」

 

 手際よくテーブルの上に皿を並べ、問題のジャガ丸くんを配膳していく。

 出来立て――揚げたて――ほやほやの美味しそうな匂いにつられてヘスティアは力の入らない身体に鞭打ちように移動を開始する。

 

「そうじゃなくて……。お金はどうしたんだい? ここにあったものを使ったんじゃないだろうね?」

「死んだ両親から生活費を貰っていたので……。一年分くらいの生活費はありますよ」

 

 この迷宮都市(オラリオ)に来たのもごく最近だとユーカリンは告げた。

 街の詳細はまだ把握していないけれど――

 ヘスティアは念のためにユーカリンを見据える。そして、嘘を言っていない事を確認した。

 話術に優れていようとも神に嘘はつけない。それがこの世界のルールの一つだ。

 

「……顔色が優れないようですが……、大丈夫ですか?」

「色々とあってね」

 

 度重なる心痛によってヘスティアの顔は日に日に酷くなっていた。

 目元に隈ができて病的とも言える。

 それでも朝の内はしっかりと顔を洗ったりするのだが、まだ日が浅い為にすぐに悪化してしまう。

 

 食欲減退。睡眠不足が彼女(ヘスティア)の心に暗い影を落とす。

 

 天真爛漫を絵に描いたような神ヘスティアは自分でも不思議なほど()()()()()()()()を言い始めた。

 それは性格が素直な明るい雰囲気を持つ女の子が姿勢正しく座っていたから――

 おそらく理由はそんな程度だった。

 見た目にそぐわぬ真っ当な子供。

 

「……ヴァレン何某(なにがし)がボクの眷属()に手をかけたんだよ。いくら仕方がなかったとはいえ……、あんな良い子を……」

「……すみません。前半が聞き取れなかったのですが……。後……場面が飛びすぎだと思います」

 

 いきなり号泣し、鼻水を垂らしながら喋るようになってしまって聞き取るのが難しくなってきた。

 ユーカリンは手拭いで何度もヘスティアの顔を拭いた。

 相当嫌な事があったのだけは理解した。それと度々出てくる『ヴァレン何某(なにがし)』は噂でも聞いた事がある【ロキ・ファミリア】所属のレベル4の冒険者『アイズ・ヴァレンシュタイン』であることも。

 情報戦において多少の心得はあるユーカリン。といっても人の噂程度しか把握していない。

 有名人なら嫌でも耳に入ってくる。

 

「うぶあぶあぶぅ」

 

 後半は解読不能に陥り、泣き疲れて眠ってしまう。

 ベッドに何とかヘスティアを乗せて、掃除の続きを始めるユーカリン。

 そういえば街で買ってきたジャガ丸くんを食べずに寝てしまったな、と残念に思いつつ、また街に繰り出す。

 ヘスティアには休息と食事が必要なのは分かった。とにかく、落ち着くまでは本拠(ホーム)と往復しなければならない。

 ユーカリンは早いうちに【ファミリア】の手続きが終わるものだと思っていた。それぞれに色んな事情があるものだな、としみじみ思いつつ――

 

        

 

 次の日、雲が立ちこんで天気は荒れ模様となった。

 一時間後には雨が降り始めて地面を濡らしていく。

 廃墟の教会が本拠(ホーム)となっている【ヘスティア・ファミリア】から顔を覗かせて雨足を確認するユーカリンは外出を控えようと思い、地下へと戻った。

 通りを歩く者達は傘を差したり、人の往来はまばらだが無人ではなかった。

 多くの冒険者達が集う酒場も昼からの開店準備に追われ、雨だからと閉店する様子は見せなかった。

 買出しに出かける従業員。

 ダンジョンに向かう者と引き返す者――

 それ以外の労働者達が交差していく。

 『豊穣の女主人』で働く人間(ヒューマン)の少女は路地裏にゴミ捨てに出ていた。

 ――右側の一部が白いが大部分は赤毛――髪が僅かな水分によって濡れている。

 酒場の従業員である証しの若葉色の制服と白いエプロンも足元から跳ねた泥水などによって濡れたり汚れたりしてきた。

 それは(ひとえ)に傘を差す手にあまり力が入らないため――ということも考えられる。

 

「………」

 

 頬に感じる風はまだ弱い。

 もう少し強ければ傘を飛ばされてしまう事もありえる。

 今の調子では開店時間にはもっと酷い雨足になりそうだと予想しつつ奥へと進む。

 店の裏手には空き地と倉庫があり、食材の在庫を移動させる上でよく利用していた。

 盗みに入るような()()()()が居るとは思えない。しかし、新人従業員である少女には()()窺い知れない事だった。

 このオラリオにある酒場『豊穣の女主人』は知る人ぞ知る名店であると同時に畏怖の対象でもあった。

 その代表格が店の主人である偉丈夫の女ドワーフ『ミア・グランド』だ。

 ミアの存在を知る者は決して酒場で騒ぎを起こさない。――早死にしたくないから。

 殺されないとしても片腕だけで持ち上げられ、店から放り出されるか、その場で拳骨による制裁を受けるか――

 並みの冒険者では歯が立たない。――ましてレベル4程度までは。

 そんな彼女の恩恵があるから――というわけではないが、ついでの見回りを済ませて店に戻ろうとした時、何処からともなく『殺気』を感じた。

 酒場の従業員の多くは元冒険者で構成されている。――見回りをしている赤毛の少女もその一人だ。

 背中に嫌な気配をひしひしと感じる。しかし、発生元が雨によって感知出来ない。とにかく、何となくこの場に居てはいけない気がした。

 護身用に腰から下げている長さ30(セルチ)ほどの小剣が納まっている鞘に触れる。――いつでも引き抜けるように。

 右側の視力が無いので索敵に難があるが、細かく動いて辺りを探る。

 仮に敵だとしても無理に相手をせず、逃走を選ぶ。戦闘は最低限を心がけている。それでもどうにもならない場合は対応を許可されていた。

 

(……賊? ……気配は多くないから……。なんでしょうか……)

 

 雨の音で周りからの情報が手に入りにくい。

 地面もぬかるんでいる。

 それでも敵意は今も感じ取れていた。

 オラリオ内にモンスターが居るとは思えない。というか基本的にモンスターはダンジョンから出ないと冒険者ギルドのアドバイザーから教わった。

 仮に飛び出すような事があればすぐさま対処に向かう手筈である事も――

 

        

 

 出来るだけ広い通りに向かうように足を進める。

 建物の上から襲い掛かってくる場合も考慮しつつ時間をかけて店に向かう。

 視界の大部分が失われているので一般の者より移動が困難な少女は焦る心を懸命に静める。

 

「!?」

 

 だが、運悪く左側の目(無事な方)に水滴が入り込み、足取りが乱れた。

 視界の利かない状況では無闇に動く事は悪手である。しかし、殺気をぶつけてくる相手から逃げなければならない。

 自然と息苦しさが襲ってきて、頭が混乱してくる。

 大声を上げようにも今の自分の声量はかなり減退している。更に雨の音が大きいので声を出しても無駄だと思われる。

 ――せいぜい帰りが遅い事を気にして仲間が様子見にでも来てくれれば――

 見えない中をゆっくりと移動しているものの帰り道が合っているのか分からない。

 黙って止まっているのも不味いと思ったからだが――

 壁のようなものにぶつかりつつ懸命に殺気から逃げる努力をする。無理に迎撃したいとは思っていない。

 自分を追う者は――覚えがあるのは一人くらい。その者はしつこく追ってきたりはしない。むしろ()()()追う方だった。

 では、()()殺気を振り撒いているのか。

 確証がある――または予想できる人物は他には思い浮かばない。恨みを買っている、という意味で言えば該当者は多数に昇るけれど――

 その中の一人であればどうしようもない。

 

(こんな雨の中……、だからこそ狙い目という事でしょうか?)

 

 言葉はつたなくなったが思考は普通だ。

 赤毛の少女はびしょ濡れになりながら逃避行を試みる。

 焦りの為に方向感覚が狂っているようだが、とにかく現場から少しでも離れなければ、という思いだけで足を懸命に動かした。

 その場で黙っているのは――危険だと思ったから。だが、この選択が間違っている事も充分にありえる。

 

        

 

 数分。更に数分。

 時間経過と共に感じるのは『敵』からの殺気のみ。近付く気配は感じない。

 一定距離を保っているのか――

 視界が利かない状態なのは見ていて分かっている筈だ。どうして一気に来ないのか、というのも疑問だ。

 ――もしかして自分の杞憂か、と。

 このところの疲れが出て判断力を失い、()()()()()を生み出したとでもいうのか。

 

(……充分ありえるのですが……。でも、何らかの警告は今も感じる。……ただの恐怖心とも……)

 

 『豊穣の女主人』には屈強な同僚が何人も居る。それらよりも怖い存在など居るものか。

 居るとしても自分には一人、または――

 後から湧いて出る該当者たちが脳裏を過ぎっていく。

 敵が急に増えた、と。

 寒さの為に身体が震えてきた。一向に止まない雨も不安を増徴させる。

 助けを呼びたくても――赤毛の少女の喉は()()()()()()()()ままだ。まだ安静にしなければならないと言われている。

 

(……寒い。……手が震えてきた。……体力が……体温があまり下がるのは……)

 

 悪夢の再来を意味する。

 少女はとにかく移動し続けた。今のところ他の音は聞こえない。

 誰かの叫びも。

 それどころか街を歩いている筈の住人たちの声さえも。

 路地裏に迷い込んでしまったのか、と。

 自分が進んでいる場所が把握できない為、より一層の不安が襲う。

 

「!?」

 

 何かにぶつかり前のめりに倒れこむ。

 冷たい水の感触があった。

 誰か助けて、と声無き叫びを上げる。

 その時になって(ようや)()()()()()()()気配が現われた。

 

        

 

 見えないながらも分かる憎悪の気配――

 確かに何者かが近くに居る。――それは最近感じた事のあるものに似ているようで違うような――。だが、それは赤毛の少女にとっては充分過ぎるほどの力の塊であった。

 強者の覇気、とでもいうような――

 死線を潜り抜けてきたような暴力の権化とも形容出来るもの。

 

(……まるで……!?)

 

 何かに例えようとした時、腹部に一撃が加えられる。

 それはとても強烈で骨が軋む音が聞こえた。

 確実に攻撃によるものだ。

 見えないゆえに避けようのない攻撃に対し、どうする事もできない。

 壁や地面にぶつかりながら気配を必死に読もうと試みる。だが、方向感覚が狂っているし、闇の中の戦闘は不得意だった。

 

「……貴女から血の匂いがしますよ」

 

 地の底から噴出してくる敵意の塊。それが容赦なく少女を打ちのめすように――それは確かに『敵』だと思わせた。

 どういうつもりか分からないけれど、確実な攻撃を受けた。ゆえに逃走は絶望的だ。

 迎撃するにも視界が利かない。

 

「……何のつもりか知りませんが……、私はまだ……。……生に縋っても仕方が無いのかもしれませんが……」

 

 雨の降りしきる中でも聞こえる凛とした相手の声。

 その声に全く聞き覚えは無いけれど、敵意と一緒に高潔さが混じっているような気がした。

 ごく最近、それと似たような感覚を味わったばかり――

 

 敵は冒険者。それも――()()に匹敵するレベルの――

 

 体感的なものだから当てになるかは不明。それでも強敵であろうと予測する。

 そうでなければ今の一撃はもう少し軽くなければ納得できない。

 何度も受けた攻撃をそうそう()()()()忘れない。

 

        

 

 進む先に敵が居る。そう思ったのは二度ほど吹き飛ばされてから理解した。

 しかしながら逆方向に進もうにも何処を向いているのか分からない。更に反論を述べようにも相手にまず声が届かない。

 喉の都合もあり、雨足が強くて万全であったとしても届かせるのは難しい。

 一方的に攻撃を受ける謂れは無いのだが、黙ってやられても解決するとは思えない。

 かといって一日いっぱい雨に打たれながら地に這いつくばっていれば体温が低下してより身動きが取れなくなり、最悪死んでしまう。

 

(……寒い、寒い、寒い。あと、痛い……。誰か応援に来て……。助けて誰か)

 

 呼吸するのも辛い状況の最中、必死に耐え続けるしかできないのはもどかしい。けれどもどうすることもできない。

 このままでは死ぬ。命の危険は確実に感じていた。

 いや――

 もっと最悪の事態が起きるかもしれない。

 今もか――既に事件は解決した筈ではないのか、と疑問が湧いて来る――

 もし、このまま嬲り殺しに遭えば悪夢の再来が起きても不思議は無い。根拠は無いけれど――少女はより一層、怯え始める。

 事態を打開する一手と同時に()()()()()を失う諸刃の剣。

 

(助けて、神様! もう一度、あと少し……。)

 

 見えない中、濡れた手袋に包まれた手を必死に神の下へと伸ばすも、それは途中で遮られた。

 ボキリと――はっきりと聞こえた――骨が折れる音と痛み。

 伸ばした手は無情に打ち払われてしまった。

 

「!?」

 

 声無き悲鳴を上げる少女。

 こんな時でも声は何も出て来ない。ただ、空気が抜けたような掠れたものだけ。

 

「何をしようとしても……無駄です」

 

 冷徹で玲瓏で雨よりもなお冷たい声。

 あらゆる可能性を駆逐せんばかりの敵意の塊。

 それに温かみなど存在しない。

 あるのは端的な敵意のみ。

 近くに居るであろうと存在は紛う事無き『敵』である。

 

 『敵』は倒さなければならない。

 

 黙って死ぬつもりは微塵も無い。

 激痛と共に無情無慈悲なる意識が膨れ上がる。()()は今の少女をいとも簡単に包み込んでしまうほど()()()()を得てしまった。

 元々はダンジョンを過度に破壊する不届きな冒険者を殲滅する為の抗体。その幼体――かどうかは不明だが――を宿してしまった、と言われている。

 ただし、原因となる大元は既に徹底的に破壊され、残滓のみがあるだけ――他にも原因があって憶測が膨らみ、真実は闇の中――

 ただ、()()()()()()()()()で覚醒するおそれがあり、対処できる人間の近くに保護という名目で置かれていた。――それが悪天候によって破られようとしている。

 力と引き換えに【ステイタス】は意味を成さなくなり、神の力(アルカナム)を持ってしても正確な数値を表さない。

 ギルドの公式記録として記載された彼女のレベルは0である。当然【ステイタス】も全て0――正確には数値で表す事が出来なくなった為、それを隠蔽する為の必要処置だった――

 今までの努力が無になった、という意味も込められている。

 『二つ名』も『スキル』も手に入れる事は叶わなかったけれど――

 

        

 

 激痛と体温低下などによる生命危機などの要因により、身体の主導権をあっさりと奪われた。それと同時に身体の不調はたちどころに――とまではいかないが視力がまずは回復した。

 身体のケガには変化無し。

 雨足の強い環境の中でも少女の視界を妨げる要因は皆無。そして、未知なる『敵』の姿がはっきりと見えた。

 それ()は幽鬼のように揺らめきつつ少女を狙っていた。

 背丈は赤毛の少女より高く、声質や身体つきから女性である事が窺える。

 華奢な身体を緑色のローブで頭からまとっているので表情は窺い知れない。

 全身に浴びた返り血が雨にも流されずに残っている。

 おそらくは殺戮者――または暗殺者だ。

 腰には二振りの刀剣と思われる武器と一本の木刀が――左右――それぞれ提げられていた。

 

「……雰囲気が……変わりましたね。……本気を出した、ということですか? それとも今までのは演技だと?」

 

 頭を振りつつ脱力させた体勢から一気に加速する謎の敵。

 木刀を繰り出すも少女は折れた方の腕で受け止める。

 今更更に折れても問題は無い、とでもいうように。

 骨の折れる音はしなかったが、手首がブランと気持ち悪い動きを見せ、それに気づいた襲撃者は一歩飛び退った。

 手の感触から先ほどよりも硬い物に当てたような――不気味なものを感じた。

 相手が驚いている間、少女は無事な手で腰に差してある武器に触れ、鞘から引き抜く。

 護身用の小剣であるそれは特別な材質も技法も用いられておらず、一般的な武器屋で購入することが出来る。

 値段は二万ヴァリス。

 それが唯一少女の命を助けるもの――最後の砦――

 得物を逆手に持ち水平に構え、体勢を低くする。

 表情の消えた少女は相手と同じく一人の殺戮者と成り果てる。

 

 己を害するものは敵である。

 

 一つの信念を闘志に変換し、相手と対峙する。

 そこには邪悪な想念は存在せず。ただ純粋なる攻撃衝動のみが突き動かす。

 それゆえに戦い慣れた冒険者ほど驚きをあらわにする。

 無に近い純粋な戦士を敵として認める事が果たして出来るのか、と。

 既に戦闘は始まっている。だから、止まる()()()()()無い。

 

「……『目覚めよ(テンペスト)』……」

 

 つたなくもはっきりと言える数少ない単語――それでも実際の言葉よりかは遅くなってしまった。

 少女はかつて相対した『敵』の超短文詠唱の魔法を口ずさむ。しかし、魔力も魔法も覚えていないので()()()()()()()()()

 ――けれども、それは確かに魔法に匹敵する()()()()()()()

 

        

 

 かの魔法は『風』の付与魔法(エンチャント)

 それは術者に様々な効果を現してくれる。攻撃を補助し、防衛し、速度を上げてくれる――本来ならば。

 言葉を紡いでも少女には何の恩恵も与えない。そもそも魔法ではなく、ただの言葉だから。

 

「……『エアリエル』」

 

 確かめるように――確実に発声した単語を言い切る。――喉が改めて潰れても構わない、という意思表示でもある。

 言い終わると同時に駆け出し、それと同時に小剣を相手に向かって()()()()振り抜く。

 その行動だけでゴオォという音が確かに聞こえ、次いで風が襲ってきた。更に雨粒のオマケつき。

 緊張が支配する現場において、未知の攻撃は驚異である。それゆえに相手は酷く驚いた。

 もちろん、一撃で終わったりはしない。

 先の先制攻撃と同時に既に駆け出し、怯んでいる一瞬の内に相手に迫り、蹴りをお見舞いする。

 十二歳ほどの少女の体型ではかなり接近しなければ出来ない芸当だが、それを苦も無くやり遂げる。

 小さな少女の攻撃は本来ならば大人ほどの背丈を持つ敵には大したダメージにはならない。その筈なのだが――

 異常な事が起きた。単純にいえばそうなる。

 駆け出し程度には後れを取らないと自負する敵が赤毛の少女を本当に見失い、攻撃を受けてしまっていた。

 

「……ぐぅ……、こ、この……」

 

 と、木刀を振り抜くも標的の姿は既に無く、空を切る結果となった。

 速度において自信のある敵が驚愕した。

 いかに身体が小さくとも見失ったりするものか、と。

 それに――この悪天候でも充分に戦えるだけの技量を持っている、と自負しているのにも関わらず。

 先ほどの魔法の影響かと混乱する。

 すぐさま気配を読もうとするも感知出来ない。

 逃亡したのか、と思いはすれど駆ける音だけは聞き取れた。背後に居ると予想するも振り向く頃には相手も移動して視界から逃れている有様だ。

 

(捉え切れないだと!? この私が後れを取るとは……)

 

 怒り心頭になる敵は自身も駆け出して相手を補足する速度を得ようと試みる。

 しかし、それも束の間――足を払われて転ばされた。

 体型の低さを利用した攻撃のようで油断してしまった。

 すぐさま地面に手をついて強引に飛び起きる。その時、目の前に小剣が迫っている事を感じ取り、歯噛みしつつも木刀で懸命に迎撃する。

 実際には木刀が長すぎるので、投げつける事で対処した。

 

「……くっ」

(対処が早い!? そんなバカな……)

 

 思考と身体の動きが追いつかない。襲撃者の敵である赤毛の少女は既に次の攻撃に移っていた。

 無音、無言の攻防――

 冷静な動きは怒りに染まった敵にとって充分驚異だった。

 

        

 

 襲撃者はレベル4の()第二級冒険者。

 対する少女も同等――またはそれ以上の実力を見せている――ように感じられる。しかし、最初の戦闘の手ごたえから決して自分と同じくらいだとは思えなかった。それがどうして急減に強くなったのか――

 

(速度が速いというよりは……相手の死角に回り込む能力に長けている? またはこちらの動きを予測する観察眼?)

 

 混乱しつつも分析しながら攻撃を捌く。何故か、先ほどから防御一辺倒を強いられている。

 片腕の攻撃しかしていないのに――だからこそ、無駄の無い動きなのか、と――

 

(……攻撃の重さは大した事がない。『力』は私以下だ。おそらく『敏捷』も……。だが、何故、追いつけない?)

 

 いや、姿を捉えられないのだ、と。

 追えない敵に対して諦める選択は無い。ならば、と襲撃者は『視覚』に頼る事をやめる。

 いかな冒険者とて全てを無にする事は出来ない。

 濡れた地面を駆ける『音』はちゃんと届いている。そして、自分はそれを探知する事に長けた――

 のんびりと思考する暇を敵は与えてくれない。

 目蓋を閉じる必要は無く、ただ己の耳を信用すればいい。

 

(……歩幅が……大きい? いや、こちらが目蓋を閉じたことで意図的に歩みを止めている箇所がある。……不味い……頭の動きを読んでいる……)

 

 どういう技術なのか不明だが、小柄な体型に似合わず姑息な戦法を取っている。

 それとも音すら把握した上での行動なのかと驚きつつ――分析を続ける。

 途中途中に聞こえる風斬り音だけが頼りだ。

 少なくとも武器を振るう以上はギリギリのところで捉える事が出来ている。

 いかに不可思議な技術とて――敵に攻撃を当てなければ倒せないのだから。

 そう判断した襲撃者は長い得物である木刀を捨て、小回りの利く小太刀の一本を抜き放つ。

 かつて所属していた【ファミリア】の仲間の遺品でもある。

 それを私闘に使うのは正直に言えば躊躇われた。けれども今は殺すか殺されるかの問題になっている。

 死を覚悟した筈なのに生に縋るのはきっと――自分はとても卑しい存在だから――

 未知なる強敵に対して喜びを覚えているとも言える。

 これこそが冒険者としての醍醐味だ、と言わんばかりではないか。

 

        

 

 歯噛みしつつも未知なる強敵に歓喜する襲撃者。

 小技を絡めてくる姿勢は好感すら持てるのでは――

 この『敵』はきっと――よき冒険者を師に持ったに違いない。

 自然と笑みがこぼれてくる襲撃者は己が相手にする存在に敬意を抱く。それと同時に私闘を吹っかけたことを酷く後悔し始めた。

 

 この者(赤毛の少女)は己が屠るべき『敵』ではなかった。

 

 だが、悲しいかな。この戦いを止める術が分からない。

 雨足が強くて相手の呼吸音や言葉が聞こえない。――いかに聴覚に優れていようとも周りが煩すぎる。

 それと今は明確な殺意が宿っている。攻撃し過ぎた為だと思われる。

 

(……無関係の冒険者に私はなんという事を……。ならば……黙って攻撃を受けるか? それで止まるのか?)

 

 迫り来る攻撃を耳だけを頼りに防御する。

 身体は戦いを止める気が無いようだ。見えない空間に蹴りを放っている。

 気持ちとは裏腹に戦闘を楽しむもう一人の自分が居るかのように。

 

(やはり、どちらかが地面に倒れ伏すまでは……。ならば、せいぜい私を楽しませてください。……あなたを……利用させていただきます)

 

 襲撃者は笑みをこぼし、雑念を振り払う。

 本気で相手をする代わりにハンデを己に課す。

 目蓋は決して開けず、魔法も使わない。

 勝利条件は――相手が動かなくなるまで。

 

「……行きます」

 

 音が途絶えた一瞬、襲撃者も攻撃予想地点に向かって跳躍する。

 小柄な体型だとしても透明な存在ではない。

 確実に迫り来る攻撃があるならば大元が存在する。そこを狙えばいい。

 ――実際にはそんな単純な事になるほど戦闘は甘くないのだが――

 

「とっ!」

 

 攻撃を捉えた、と思った。しかし――

 

「『目覚めよ(テンペスト)。……エアリエル』」

 

 嫌にはっきりと聞こえた相手の声――それと同時に背筋に悪寒が走る。

 唸り声のように迫りつつ死の一線を辛うじて感じ取り、小太刀で迎撃すると力負ける。

 

「!?」

 

 先ほどとは立場が逆転し、襲撃者が驚愕することになった。

 『力』で押し負けた、という事は【ステイタス】が途中で変わったのか、と。

 そんな筈は無いと思いつつも――

 

(手加減していたわけではあるまい。それとも最初は騙欺(ブラフ)だったとでも……)

 

 確実に片手は潰した。あの動きが折れていないわけはない筈だ。

 いや、と――

 

(……仮に義手だろうと使い物には……。もう一つ用意していた?)

 

 見えない中では予測しか出来ない。

 戦闘スタイル自体に変化は無く、単調な攻撃が続いている。

 軽く息をついたところを狙い済ましたように鋭い一撃が飛んできた。今度は今までよりも更に速度が乗っていて反撃する暇が無かった。

 

(重い!? 早い!? これは……何が起きている!?)

 

 予想を素早く終わらせて攻撃を予測しようとしても音が捉え難くなっていて(まと)が定まらない。

 これではまるで――

 

 レベル5並みの冒険者と対峙しているような――

 

 いや、まだ自分と同等ほどの筈だと言い聞かせる。

 未だに決定的な一撃を受けていない。

 それにしても相手は何者なのか、と疑問が湧き起こる。

 見た目にも幼いし、それでいて強者となると小人族(パルゥム)の冒険者の可能性がある。

 自分の知らない第一級冒険者となれば苦戦は必死。

 

「……こんなところに……」

 

 隠れた才能が居るとは驚きだ。それは比喩抜きで感じた。

 だからこそ自分は勿体ない事をしたと――

 苦笑するもほんの一瞬――殺意の塊が迫る。

 見えないながらも感じ取れた感覚。それを同じく感覚のみで避ける。だが――

 

 ゴッ。

 

 避けた方向から斬撃とは違う塊のような一撃を身体に受けた。――おそらく脇腹を。

 これは拳か、壁か、石などの投擲物かと。

 考えるより先に次の殺意が迫る。

 鋭い一撃は一つだけ。それと同時期に別の攻撃が飛んで来る。

 刀剣と殴打武器。つまりは拳か蹴りだ。

 いやに柔軟な攻め手ではないかと感心すらした。

 

(……いや、誘導されている。なかなか侮れない)

 

 盲点を突く攻撃。

 しかし、この悪天候の最中、自分は既に視界を放棄している。ならば相手も同じではないのかと疑問を抱く。

 雨粒を遮っているとしても――未だに身体に打ち付けているので天候はまだ回復していない。

 騒音による消音と雨粒による盲目効果。

 相手が何らかの『スキル』を使用している可能性もあるけれど、それにしては動きが妙だ。

 時が経つごとに洗練されていっているように――

 短期決戦で勝負をつけなければ確実な敗北が待っている、かもしれない。そう思うと自然と焦りが生まれてしまう。

 

(……そういえば、戦闘続きで忘れていました)

 

 自分は満身創痍だった事を。

 興味が優先して痛みを忘れ、快楽が自分を突き動かしているかのようだ。

 さすがにそこまで戦闘狂だったとは思いたくないが、それでも身体は()()動いてくれる。

 

「……出来る事なら……、晴れた日で正々堂々と……」

 

 戦いたかった。

 それは紛れも無い事実だ。

 

        

 

 長引く戦闘も終わらせなければ逃走用の体力が無くなってしまう。――いや、このまま倒れ伏して死ぬのも悪くないかもしれない。

 けれどもやはり――死にたくないな、と――

 そうは思っても自分で始めた戦闘だ。次の攻撃が来たので迎撃する。

 段々と対処が追いつかない。――というより【ステイタス】的に開きが生まれ始めてはいないかと――

 見えないながらも気配を懸命に読んで対処している。それが一番の原因だが。

 しかし、相手とて馬鹿げた『敏捷』に跳ね上がっているわけではない。ギリギリの攻防が洗練していっているだけだ。

 それがむしろ恐ろしいといえる。

 

(また当たらない……。このままでは不味い)

 

 目深にかぶっていたローブを利用して素早く顔を拭う。

 一回の攻撃手段を犠牲にするのは死闘において一番の弱点になりえる。けれども、あえて(おこな)った。

 全身びしょ濡れは相手も同じ。

 目蓋を開ければ薄暗い世界が戻ってくる。

 

(相手はまだ……健在のようですね。義手だと思っていましたが……自前でしたか……)

 

 雨で分かりにくいが出血しているようだ。

 手負いなのは確実。それなのに果敢に攻めて来る相手は自分よりも幼い存在。

 見た目では分からない【ステイタス】の恩恵が目測を狂わせる。

 

(私も相手も疲労困憊。出来れば……いえ、始めたのはこちらの方です。しかも、勝手な理由で)

 

 だからこそ止め時を見失ってしまった。

 互いに矛を収めるにはどちらかが倒れるか。襲撃者である自分が相手を倒しきるしかない。

 武器が無くとも肉体武器がある。

 手数の多い相手は実に厄介だと襲撃者は嘆息する。

 

 ならば魔法で吹き飛ばすのはどうか――

 

 そう考えて、顔がほんの一瞬だけ相手から逸れた瞬間、泥水を浴びせられた。

 折角回復した視界がまた塞がれてしまった。

 舌打ちしつつも見えない戦闘に慣れた今は特段の障害とはなりえない。

 落ち着きつつ詠唱を試みる。

 通常の魔法は詠唱に集中する為、動かないのが基本だ。しかし、こと戦闘中ともなれば術者は良い(まと)となる。

 ならば動きながら詠唱すれば良い。――簡単に言える事でも実際には難しいものだ。

 魔法の詠唱は集中が途切れてしまえば不発に終わる。それを持続させる事は並大抵ではない。

 襲撃者はその中で移動しながら魔法を詠唱する『平行詠唱』を行使する事が出来る。

 ――ただし、途中で集中を乱されると『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』という自爆じみた現象を引き起こしてしまう。

 だが、その危険性を顧みず、詠唱を始めた。

 

「【今は遠き森の空。無窮の夜天に(ちりば)む無限の星々。愚かな我が声に応じ、今一度星火(せいか)の加護を】」

 

 気配を読み、相手の攻撃を予測、回避、そして――詠唱。

 それらを途切れさせずに(おこな)う事は並大抵の集中力では出来ない。まして、襲撃者の魔力は中々に強大だ。その制御も一つ狂えば取り返しが付かなくなる。

 それに対する少女の攻防も怯む事無く激しさを増していく。

 単調な斬撃と足技を駆使し、少しずつ当たる回数が増えていく。

 小剣による攻撃は避けられているけれど――それも時間の問題だ。

 

(……相手も相手だ。実に冷静に……。そうさせたのは私だが……)

 

 余計な雑念が入ったが、すぐに修正する。

 腕の一本も犠牲にする事も覚悟しつつ、詠唱を続ける。

 

「【汝を見捨てし者に光の慈悲を。来れ、さすらう風、流浪の旅人(ともがら)。空を渡り荒野を駆け、何物よりも()く走れ。星屑の光を宿し敵を討て】」

 

 詠唱は完成した。だが、腹部への一撃で呼吸が乱れる。――それを強引に押し留める。

 暗闇の中での長時間戦闘は何度もやりたくないと思いつつ、最後の一押しを決行する。

 

「……!?」

 

 最後の言葉を言いかける寸前――顔の真横でゾリッと怖気が走るような音が聞こえ、次いで嫌な感覚が襲ってきた。

 だが、いまさら止まる事は出来ない。

 震え始める身体を強引に押しとどめて最後の一呼吸を吐き出す。

 

「【ルミノス・ウィンド】!」

 

 目標が定まらないが、この魔法はある程度の範囲を吹き飛ばす。

 完成した魔法により目の前に緑風をまとう大光玉が発生し、襲撃者の感覚によって敵のだいたいの位置目掛けて放たれた。

 

        

 

 自爆せずに無事、魔法が機能したことだけでも御の字だ。しかし、向上する敵の能力がついに自分を捕らえてしまったのは痛い。もちろん、物理的にも――

 感覚的にだが右耳をごっそりと抉り取られた気がする。

 目や口元までは達していないとしても()()()()()を狙われたのは面白くない。

 聞き取れた音の調子から標的に当たったとは考えられない。――どこかの壁には当たった。

 避けられたか、それとも見当違いだったか。

 

(それでも爆風などで距離は離せたはずだ)

 

 気配からも接近は確認出来ない。しかし、最後の最後で接近を許してしまうとは――

 終わった事を悔いても仕方が無い。ケガの度合いも酷いものだろうけれど、今は無視する。

 改めて気配を読み直せば少し離れた位置にて息遣いを感知する。

 連続戦闘を続けて(ようや)くにして疲労が襲ってきたようだ。

 無理も無い。

 自分でも疲れを感じている。まして相手は止血せずに連続戦闘を続けてきた。これ以上は命に関わる筈だ。

 

(……もう止まってください。これ以上は……無意味だ)

 

 動きが無い内に顔を拭う。今度はすぐに動きが現われなかった。

 回復させた視界によって現場の惨状が見えてきた。

 やはり、見当違いの壁を大破させていた。標的は破壊によって発生した破片によるケガを負ったようだ。先ほどよりもズタボロになっていた。

 それと近くの地面に見慣れた肉片が落ちていた。

 

(……改めて見ると気持ちの良いものではありませんね。……まして……()()()()()となると)

 

 慌てふためくところだが、今は幾分か冷静に見る事が出来る。

 特徴的な形の我が耳を、と――おそらく戦闘による緊張感が恐怖心を上回っているからだと――

 視線を移動させた一瞬を相手が見逃すわけもなく――猛烈な速度を伴なって襲撃者の敵は()()()きた。

 まさに比喩抜きで。

 

        

 

 頭が嫌に冷静だった為か、研ぎ澄まされた戦闘の感覚ゆえか。

 襲撃者は無意識の内に体勢を屈め、小太刀を持つ手に力を篭める。

 それはほんの一瞬の出来事に過ぎないけれど――迫りつつある脅威に大して身体は見事に防衛本能を発揮した。

 (襲撃者)から離れ落ちた耳に相手の手が触れたのは偶然か――それ()を起点に更に跳躍してくる。

 だが、落ちているもの()に構っている余裕はなかった。

 ただ、本能に身を任せ身体を動かす事だけ。

 

「………」

(………)

 

 相手が振り抜く小剣に――逆手に持った――自分の小太刀を合わせる。

 かの武器は状態から推察するに一般のもののようだ――既にかなりボロボロになっていた。対して、こちらは大切な仲間が長年愛用した第二等級武装。

 力比べで勝つのは火を見るより明らか。

 斬撃の途中で相手の武器を持つ手に己の耳が挟まっていた――ような気がしたのは果たして気のせいだったのか――

 そこから先はあまり意識できなかった。一瞬の油断が命取りだと身体全体が警告を発していたので――

 

 力いっぱいに腕を振り抜いた。

 

 そこから後は音が消えた。次に雨の音が戻る。その間には――今まで戦った敵たる少女の身体が地面に落ちる音、だったと思う。――確実にそうなのだが現実味が全くなかった。

 敵意も殺意もお互いから消失し、戻ってきたものは襲撃者の痛みだけ。

 空を見上げようとして顔に盛大に雨粒を受けてしまった。

 

(……勝った。……おそらく勝てたんだと思う)

 

 ヨロヨロと震えつつ辺りを見回そうとしたが目蓋が開かない。

 両手は随分と濡れている。それは雨水か、それとも相手の血か。

 途中、地面に落ちている何かの塊にぶつかる。

 魔法によって出来た瓦礫だと思うけれど、それらを足の感覚だけでどかしたり、避けられるか確認したりしながら壁を目指す。

 

(……耳を見つけなければ……。確か相手の手に……)

 

 激しい攻防や魔法での破壊活動でそろそろ確認の為に人間(ヒューマン)亜人(デミ・ヒューマン)達が来てしまう。

 黙っていれば拘束されて尋問を受けるかもしれない。

 そんな事を考えつつ、ひとまず視力の回復できそうな場所を探す。それと先ほど投げ捨てた木刀も拾っておかなければならない。

 

(気配が消えましたが……、相手はどうなったのでしょうか)

 

 見えない中での戦闘は相手の状況が全く把握できない。

 気絶なのか、それとも――

 どの道、見えない今は何を予測しても徒労だ。

 

(……物凄い手練でしたが……何者だったのでしょうか。あのような相手ともっと早く出会えていれば……)

 

 余計な考えばかり浮かんで笑えて来た。

 たった今まで殺し合いを(おこな)ってきたのに。

 

        

 

 日が暮れるころ、辺りから騒々しい怒声が響き渡る。そして――少し離れた廃墟同然の教会の地下からは一人の神の叫び声がこだましたとかしないとか。

 翌朝、天気が少し回復したものの雨はまだ小降りだった。

 【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)にて主神の世話をしていたユーカリンは酷く困惑していた。

 夕方に突如として泣き喚いたかと思えば一層顔色を悪くして寝込む始末。

 雨が長引いているし、薄着の神様なので風邪でもひいたのかなと心配になった。実際に熱は多少あった。

 これが病気なのか、怒りによる発熱なのかは判断できなかったけれど。

 

「……な、なんでもないよ。……驚かせてすまないね」

 

 弱々しく呟く少女神ヘスティアは側に控える新しい団員に苦笑を見せる。

 何も知らない彼女に要らぬ心配をかけてはいけない、という気持ちが強く出た為だ。

 他人を気遣う気持ちがあるからこそ自分は平静で居られる、ような気がしたが内心では怒りと悲しくがない交ぜとなり、今にも叫びだしそうな勢いを懸命に抑えている最中だった。

 

 あの子が死んだ。今度は()()()()()で。

 

 ヘスティアは契約を結んだ眷属の様子は手に取るように把握している。と、いっても行動パターンなどではない。

 生きているのか、死んでいるのか、という大きな範囲だ。

 後、頑張れば感情まで読み取れる。ただし、大雑把なものだが――

 

(いきなりだ。あの子は平穏な暮らしを手に入れた筈だ。……まさかヴァレン何某君が!? でも、他には病気とか事故死とか……)

 

 一体何事があって眷属の契約が切れたのか。

 後で確認しなければならない。

 神としての責務として。

 

 

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