薄暮の迫る城塞都市〈エ・ランテル〉に穏やかな鐘の音が渡り、涼やかな風が吹き抜けていく。
「……では、メンバー全員のシルバー級昇格を祝して――、乾杯!」
なみなみと注がれたエールの陶製のジョッキを掲げながらユンゲが声を張り上げれば、「乾杯!」と唱和してくれる少女たちの声に続いて、ジョッキを打ち鳴らす軽やかな音が、まだ客入りの多くはない夕暮れ前の酒場に響いた。
溢れこぼれたエールが卓上を濡らしてしまうものの、格式や礼儀を重んじる場でもないので咎めようとする者はいない。
ゴクゴクと一気にエールを飲み空けたユンゲの口からは、自然と満足の吐息がこぼれる。
向かいの席に着いていたリンダも杯を空け、その傍らではマリーがやや遅れながら空になった小振りのジョッキをことりとテーブルに置いた。
「美味しいです」と笑顔を浮かべてみせるマリーではあったが、その表情はどこか辛そうにも見える。
(……変に触れてやらない方が良いかな)
ぼんやりと思考を巡らせつつ、ふと隣の席に目を移せば、栗鼠のように頬を膨らませているキーファが、半分ほども中身の入ったジョッキを傾けた姿勢で固まり、「……んぐ」と目を潤ませていた。
慌ててジョッキを取り上げつつ、落ち着かせるようにユンゲが背を擦ってやったのなら、ぷるぷると震えたキーファは口に含んでいたエールをごくりと飲み込み、ようやっと息をついてみせる。
「…………苦い、うぅ」
「エールが苦手なら無理しないで良いんだぞ」
頑なだった様子にやや呆れながらも、ユンゲは相好を崩してキーファの頭を軽く撫でた。
――アルハラは忌むべきことだ、飲酒を強要するつもりはない。
「キーファは甘い酒のほうが良いか? それとも酒はやめとくか?」
「……甘いのが良いかな」
「そうかー、なら飲みやすそうな果実酒でも頼もうか。えっと、二人はどうする?」
気恥ずかしそうに少しだけ頬を赤らめたキーファの答えを聞きつつ、ユンゲは向かいのリンダとマリーにも注文を確認する。
「私は同じもので構いません」とリンダがはきはきと答え、小首を傾げていたマリーは少し躊躇った様子ながら、「私は甘い果実酒が欲しいです」と口許に小さな笑みを浮かべた。
了解、と軽く返したユンゲは、給仕の店員を呼び止めて追加の飲み物の注文を通しつつ、ついでとばかりに品書き――この世界の文字は理解できていないので、何のメニューかは分からない――を指先でなぞりながら、「ここから、ここまでを二皿ずつでお願いします」と大雑把な希望を伝えていく。
困惑顔の店員とは対照的に、数日をともに過ごした森妖精〈エルフ〉の少女たちからは見慣れた光景であり、今更と気にされる素振りはなかった。
――初めて食事をしたときはドン引きされていた覚えがあるので、種族特性かとも考えていた異常な食欲の原因は、他にあるのかも知れない。
キーファから取り上げたエールで喉を潤しつつ、そっと腹回りに視線を落としたユンゲは、「しっかりと運動してるんだから、別に問題ないよな」と誰にともない言い訳を心の内で重ねるのだった。
「――それにしても、こんなにも早く昇格させてもらえるなんて、エ・ランテルの冒険者組合はすごいところですね」
「そうだな、登録して間もない私たちにいきなり昇格試験を受けさせてくれるのだから、組織の考えが柔軟なのだろう。……まぁ、全てはユンゲ殿の存在からなのでしょうけどね」
追加の注文が届くまでの場をつなぐようにマリーが声を弾ませると、言葉を引き取ったリンダが申し訳なさそうな笑みを向けてくる。
まだ口の中に残っているエールの苦みに耐えているであろうキーファは、声なく首肯を繰り返すことで同意の意思を伝えているつもりらしい。
顔がこくこくと上下するのに合わせて、後ろ手に括られた栗色のポニーテールが元気に跳ねている愛らしさに、思わずとこちらの頬が緩んでしまう。
トブの大森林でアインザックたちと別れた後、荷馬車で待たせていたキーファとリンダに合流したユンゲは、エ・ランテルへと帰還して間もなく冒険者組合の門扉を叩いた。
それは奴隷の境遇を脱したものの、身分を持たない彼女たちを冒険者として登録するためであり、今後は四人組のチームで活動する報告を兼ねていた。
いつもの顔馴染みとなっていた受付嬢は不在ながらも、事前に組合長のアインザックから話が通っていたらしく、諸々の手続きはつつがなく完了した。
一方で、ユンゲたちを驚かせたのは登録を終えた後、その場で昇格試験の実施に関する提案をされたことだった。
本来であれば、いくつかの依頼をこなして相応の実績を残してから挑戦できるはずなのだが――、リンダの言葉が答えなのだろう。
災害のような戦場跡を目撃し、気圧される心境のユンゲではあったが、この世界においては図抜けた能力を持つことに疑いはない。
ある程度の目端が利く人物ならば、敵にするよりも味方に取り込んでしまいたいと考えるのは、道理なのだろうとさえ思えた。
所属チームを厚遇する姿勢を示すことで、ユンゲに便宜を図ろうとする思惑が透けて見えるほどだ。
「……それでも、組合側の考えを俺たちが気にする必要はないさ。冒険者のランクが上がれば受けられる依頼の幅が増えるし、報酬も増える。それで美味い飯が食べられるようになるんだから、良いこと尽くめだよ。それに、キミたちの昇格も実力からして妥当だろう。早いか遅いか、それだけの話だよ」
気楽な口調で言い切り、ユンゲは僅かに残っていたエールの杯を傾ける。
マリーたちの昇格試験として冒険者組合から提示された内容は、エ・ランテル共同墓地での夜間巡回と不死者〈アンデッド〉の討伐依頼だった。
以前の騒動は人為的な要因が大きかったものの、墓地区画における低位アンデッドの発生は日常的に確認されており、放置すればより上位のアンデッドが生まれてしまう可能性がある。
そうした事情から墓地の見回りとともに定期的なアンデッドの討伐は欠くことのできない重要な仕事であり、常日頃から依頼という形で冒険者組合のクエストボードに張り出されている。
例外的に強力なアンデッドが出現したこともあったらしいが、敵となるアンデッドの難度――意味合いとしてはユグドラシルにおけるレベルと同義であり、この世界におけるモンスターや冒険者の強さの指標となる――が一定の程度を見込めるため、冒険者の実力を測る目的の昇格試験として都合が良かったのだろう。
そして、昨夜から今朝にかけて昇格試験に挑んだユンゲたちは、宿で仮眠を取ってから訪れた冒険者組合で、全員の昇格決定とともに真新しいプレートを受け取ることができ、晴れやかな昼下がりの酒場で祝杯を挙げる運びとなったのだ。
建前上ではチームとしての昇格試験であったが、ユンゲは最初に補助魔法の〈ダーク・ヴィジョン/闇視〉を唱えただけで、以降の出番はなかった。
神官〈クレリック〉として前衛もこなせるリンダを中心に、信仰系魔法を使える森祭司〈ドルイド〉のマリーが傍を固め、野伏〈レンジャー〉のキーファは索敵や陽動を中心として、見事に連携しながら上手く立ち回っていた。
授与される冒険者のランクが、アイアン級を飛ばしてシルバー級となったのも、試験中に出現した血肉の大男〈ブラッドミート・ハルク〉を打ち倒した功績――腕力にあかせて殴ることしかできないアンデッドの一種だが、再生能力を持つために討伐にはかなりの時間が必要となる相手であり、難度に照らせばシルバー級からゴールド級の冒険者が戦うべき強敵とされるらしい――によるものだった。
不本意ながらもエルヤー・ウズルスの率いたワーカーチーム“天武”において、ミスリル級に相当するほどの依頼をこなしていた彼女たちの実力は確かなものなのだろう。
分不相応な“ユグドラシルの恩恵”からゲームでの能力を引き継いでいるだけの自身にはない、実際の経験として培われた彼女たちの努力の成果は、ユンゲの目にとても眩しく映っていた。
「――お褒めいただき恐縮ですが、やはりいざとなればユンゲ殿が控えていることが、とても心強いのですよ。まだ至らないことは重々承知しておりますが、私たちもいつかは並び立てるように精進したいと思います」
リンダのあまりに殊勝な返しに思わず口を開きかけたユンゲだったが、計ったかのように追加の酒類と料理が運ばれてくると、芳ばしい香りに鼻孔をつかれタイミングを逸してしまう。
エルフの少女たちから向けられる賞賛にどのような反応を返すべきなのか、答えを誤魔化すようにひとつ小さく咳払いをしたユンゲは、「……期待してるよ」と短く告げるに止めた。
この世界におけるレベルの上限について判断はつかないが、トブの大森林で見た吸血鬼討伐跡の凄まじい光景を脳裡に思い浮かべれば、まだまだ上はあるのだろう。
――彼女たちに胸を張って誇れるように、俺も強くならないとな。
小さな決意とともにゆっくりと深呼吸をし、テーブルに着いたエルフの少女たちの顔を見回す。
疑問符を浮かべながら揃って小首を傾げる少女たちを見遣り、思わずと頬を緩めたユンゲは、新しく運ばれてきたエールの杯を掲げてみせた。
「さぁ、美味そうな料理だ。ほらっ、冷めないうちに早く食べようぜ!」
*
すっかりと陽が落ちた路地で、暗がりを押し退けるように篝火が焚かれているエ・ランテルの街並みは、〈コンティニュアル・ライト/永続光〉に照らされた帝都〈アーウィンタール〉の街並みとはまた違った趣に包まれていた。
通りに面する壁を取り払った酒場からは、道を跨ぐように宴会の席が広げられており、日中の仕事を終えた職人や荷揚げ夫、依頼を終えた冒険者たちが明日の英気を養うための酒盛りに忙しい。
これまで昼過ぎから酒宴を続けていたユンゲたちのテーブルの惨状は燦々たるものではあったが、夕暮れの以降で混み始めた酒場の喧騒の中では、それほど悪目立ちすることもなかった。
エルフの特徴的な耳を晒していても一切と見咎められない辺り、バハルス帝国よりも過ごしやすい街であることは間違いないだろう。
酒精に強かったリンダと早々に果実水に切り替えたキーファは問題なさそうだが、何の意地なのかユンゲのペースに合わせて果実酒を飲み続けたマリーは、リンダの膝を借りながら既に夢見心地だ。
鮮やかな黄金色の前髪を左右に梳いてみれば、長い睫毛とやや青褪めた顔色がが覗く。
相当量の酒精に魘されつつも、どこか憑き物が落ちたような寝顔は、虐げられるばかりの境遇を逃れられた安堵が映されているのかも知れない。
「……この感じだと、明日は二日酔いで確定だな」
「ふふっ、そのようですね。信仰系魔法で癒やすこともできますけど、自身の限界を知っておいた方がマリーのためになるでしょう」
「なるほど、そんな使い方もあるのか。……酒精は毒みたいな扱いってことかな?」
「その通りです」と苦笑しながら顎を引き、リンダが膝に抱えたマリーの頭を慈しむように撫でる。
クレリックとしての職業柄なのか、年長者のリンダは面倒見の良い性格らしく、これまでも保護者のような振る舞いで、キーファやマリーに接している様子があった。
ファンタジー作品の美形揃いなエルフのイメージに違わず、彼女たち三人はそれぞれに衆目を惹きつける美貌の持ち主なので、周囲のテーブルから向けられる男連中の視線が煩わしい。
それでも、リンダに任せれば問題はないだろう。
「……悪い、少しだけ夜風を浴びたいんだけど、外に出てきても大丈夫か?」
「ええ、問題ありませんよ。追加のエールでも飲みながら、お待ちしておりますね」
嫋やかな見送りを受け、ユンゲは軽く手を振って酒場の外へと向かった。
赤ら顔で騒いでいる酔客たちの合間を縫うようにして通りに出れば、いつしか藍色の帳が下りていた空に鮮やかな星たちが輝き始めていた。
この世界に降り立った日のことを思えば、胸に込み上げてくる想いもあるのだが、そんな場合ではないと思い直し、無詠唱化した魔法を発動する。
「…………、〈センス・エネミー/敵感知〉には反応なしか、どうしたもんかな」
手持ち無沙汰なユンゲの口端からは、誰にともなく言葉がこぼれた。
「ユンゲ、ちょっといいかな?」
呼びかけの声に振り返れば、キーファの真剣な眼差しに迎えられた。
頬が赤く染まって見えるのは酒精の影響なのだろうか、元より肌の白いエルフなので青白い月明かりの下にあっても、赤みがより強調されているような印象さえ受ける。
構わないよ、と先を促すようにユンゲが相槌を返せば、やや潜めた声でキーファが口を開いた。
「もう気付いてるかも知れないけど、さっきから監視されてる……ような気がする」
少しばかり自信がないようにも聞こえるが、レンジャーであるキーファだからこそ気付くことができたのだろう。
その紫の瞳には、確かな確信の色が見て取れる。
「――そうみたいだな。いつ頃から監視されていると思う?」
「最初に気付いたのは昇格試験のとき。試験官みたいな人が見張っているのかと思ったんだけど……酒場で飲んでいる最中から、また似たような相手からの気配を感じた」
「……俺と同じか。二人が察知できたのなら多分、間違いはなさそうだな」
ユンゲは発言を引き取り、キーファと向き合うようにして互いに頷きを交わす。
「相手は何者だと思う? 今のところ、敵対するような雰囲気じゃないけど……」
今の状況だけでは問いに明確な答えを出すことはできず、二人はともに頭を悩ませた。
そもそも監視されている対象が誰なのか、という点も考えなくてはいけないだろう。
ユンゲなのか、エルフの少女たちなのか、或いはチームの全員が狙われているのか。
この異世界に転移してから日の浅いユンゲであれば、関わりを持った相手も限られるために絞りやすいが、監視されるような理由に覚えはなかった。
キーファたちが狙いだと仮定した場合、その筆頭候補はエルヤーになるのかも知れない。
しかしながら、あれほど力の差を見せつけられた後で、安易な報復を仕掛けてくるのだろうか。
帝国の奴隷商にしても、既に売却済みだった奴隷にまで関与はしてこないはずだ。
チーム全員が対象なら思いつくところでは、エルフへの偏見や早過ぎる昇格に対する嫉妬心や対抗心といった可能性は捨て切れない。
昇格という一点に関してならば、瞬く間に最高位のアダマンタイト級へと駆け上がった“漆黒”のモモンとナーベにも向きそうなものだが、当代の英雄とまで称されている彼らに、わざわざ喧嘩を売りたい輩もいないのだろう。
根拠は何もないが、スピード出世への嫉妬という動機は転移前の世界でも往々にしてあり得たことを思えば、妥当な考えのように感じられた。
「……とりあえず、様子を見てみるしかないかな。念のために、警戒だけは怠らないようにしよう」
そう言い差し、酒場に残っている二人にも注意をしようとユンゲは踵を返しかけ――、
「あっ、待って、一つ相談があるの!」
不意に呼び止められ、その場で蹈鞴を踏んだ。
内心の焦りを取り繕うようにやおらと頷いたユンゲは、キーファに向き直って聞く姿勢を取る。
「あのね、冒険者組合でプレートをもらったとき、カッツェ平野でのアンデッド目撃情報が増えているって話があったじゃない?」
「ああ、近いうちに討伐隊を募るって話だったな」
アインザックからの言伝として、編成される討伐隊にユンゲたちも参加してほしい、という旨の依頼を受付嬢から聞かされていた。
「それで、あたしの武器なんだけど、今のままだと皆に迷惑をかけてしまうと思って……」
キーファの言わんとすることを理解し、ユンゲは顎に手を当て思考に沈む。
弓と短剣を駆使するキーファの戦闘スタイルは、動死体〈ゾンビ〉系はともかく、刺突攻撃に対する完全耐性のほか、斬撃耐性も有する骸骨〈スケルトン〉系を相手にしては分が悪い。
簡単な対策としては、スケルトンに有効な打撃系の武器を用意することだろうが、彼女の持ち味である機動力を削ぎ、慣れない武器を使用する戦闘は危険性も高まってしまうだろう。
ユグドラシル産の強力な武器があれば事情は異なるものの、同僚から譲り受けた聖遺物級装備の性能に頼り切っていたユンゲは、ドロップした武器や防具のほとんどを売却して、魔法のスクロールといった消費アイテムの購入に充ててしまったために、手持ちには碌な代物がないのだった。
(……キーファは後方に控えていてくれれば良い、と伝えても納得はしないだろうな)
健気な彼女たちが、ユンゲの役に立ちたいと考えていることは理解しているつもりなので、気持ちを無碍にすることもできない。
各々が得意とする分野で頑張ってもらうためには――、小さく「良しっ」と呟いて顔を上げたユンゲは、キーファの顔を正面から覗き込み、慎重に言葉を選びながら紡いでいく。
「キーファ、俺たちはチームだ。足りないところがあるのなら、お互いに補い合えばいい。アンデッドが相手の場合、俺とリンダが前線に出るから周囲の警戒はどうしても疎かになる。どこから現れるかも分からない相手への対処は、キーファに任せるしかない。身体能力で不利なドルイドのマリーを矢面に立たせる訳にはいかないから、キーファが頼みだ。絶対に、迷惑なんてことはないさ」
よろしく頼むよ、と一息に言い切ったユンゲは、キーファが一つ小さく頷いたのを確認するとともに素早く踵を返した。
キーファの反応も気になるところではあったが、とても顔なんて見ている余裕はなかった。
――慣れないことをするもんじゃない。
そうして、照れ隠しに髪をかき上げたユンゲは、逃げるように酒場の宴席へと戻るのだった。
原作だとエルフの食生活は貧相な感じでしたね。