-追記-
聖王国編の映画特典小説に期待したいですね。
城塞都市〈エ・ランテル〉の南東に広がり、生者を憎悪する危険な不死者〈アンデッド〉の多発地帯として知られるカッツェ平野は、常からの寒々しい薄霧によって覆い尽くされていた。
街道を進んでいた馬車の荷台に跳び乗り、ユンゲは眼下に広がる荒涼とした平野に眺める。
見渡せる限りが血に染まったような赤茶けた荒野を目にすれば、草木の姿も見られない枯れ果てた光景をして、“呪われた地”だと避けたくなる気持ちが良く分かるというものだ。
「……この霧は、厄介だな」
「ユンゲ、どうしたの?」
誰にともなく呟いたぼやきに、弾むように傍らを歩いていたキーファが小首を傾げる。
「いやー、今回の討伐戦だと探知系の魔法が、役に立たなそうだと思ってな」
事前に噂話は聞かされていたのだが、カッツェ平野を覆っている薄霧が、アンデッドの反応を示してしまうというのは確かなようだ。
一年を通して立ち込めているという事態についても、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国が戦争で対峙する当日に限れば、無数のアンデッドとともに何故か姿を消すなど、単なる自然現象では片づけられない不思議な性質を持っているらしい。
剣と魔法のファンタジー世界にして、アンデッドが跳梁跋扈する土地柄を考えると、この薄霧が何者かの意思によって操られている可能性すらあるのかも知れない。或いは、天候を操作するような魔法であれば、周辺を晴らすこともできるのだろうか。
そうした取り留めのないことを考えてしまうものの、薄霧のために視界が制限される中、敵方からの奇襲対策となる探知系の魔法が使えないとなれば、この地で行動する危険度は跳ね上がるだろう。
「前にも話したけど、俺が前衛をやるから、周囲の警戒はキーファが頼りだな」
「うんっ、任せてよ!」
快活に答えてくれたキーファが、細い腰に握り拳を当てながら胸を張ってみせ、短く括られたポニーテールが軽やかに弾んだ。
本人に話せば嫌がられるのかも知れないが、子ど
もっぽい仕草が妙に似合うキーファの可愛らしい振る舞いに、思わずとユンゲの頬は緩んでしまう。
取り繕うように咳払いを一つ、「俺が倒し損なった敵は、リンダに任せるよ。マリーは皆の様子に気を配って、危ないときに回復魔法を頼むな」と後ろを歩いている二人を振り返り、言葉を続けた。
「心得ています」
「はい、分かりました!」
気持ちの良い二人の返事に頷いたユンゲは、ふと以前の城塞都市〈エ・ランテル〉共同墓地でのアンデッド大量発生を思い返す。
あの騒動の際には、指示されるままに後方支援へと回った結果、敵味方が入り乱れてしまった戦線に有効な手立てを打つことができなかった。
今回の討伐戦において、キーファたちを無暗な危険に晒さないためにも、やはり装備の充実している自身が前衛として身体を張るべきだろう。
そうして、ユンゲが決意を新たにしたときのことだった。
「あっ、目的地に到着したみたいだよ!」
ユンゲの傍らから、タタッと馬車の荷台へと跳び乗り、キーファが前方を指差しながら声を上げた。
その差し示す先へと目を向けてみれば、前方を進んでいた他の冒険者や馬車の集団が、街道を北側に少し外れた辺りに足を止めて、野営地のテント設営を始めている様子が見て取れた。
「……ここを拠点に、カッツェ平野を捜索することになるのか」
冒険者組合長のアインザックが説明をした作戦概要は、参加する冒険者が大きく三つの部隊に分かれつつ、北端の街道側からカッツェ平野の中央部に向け、アンデッドを討伐していく手筈であった。
それぞれの部隊は、アダマンタイト級の“漆黒”を筆頭に、ミスリル級の“虹”と“天狼”が牽引役となる編成が決められたものの、国家が組織する軍隊とは異なり、明確な指示系統は存在しない。
個々の冒険者チームが、薄霧の中でも互いに視認できる距離を保ちながら進み、横合いや背後からの奇襲に備えることになるのだろう。
なお、カッツェ平野内に足を踏み入れるのは銀級〈シルバー〉以上の冒険者に限られ、鉄級〈アイアン〉以下の冒険者は野営地に留まり、物資の守備や拠点の維持が役回りとなるようだ。
そして、今回のアンデッド討伐戦において、ユンゲたちが配置されることになったのは、モックナックが率いる“虹”を中心とする部隊であった。
最初にトブの大森林での出会ってから、何かと縁があるのかも知れない。
ユンゲとしては“漆黒”の部隊に参加し、その戦いを間近で見てみたい気持ちがあったものの、面倒見の良いモックナックには色々と気を遣わせてしまったので、この編成にも不満はなかった。
何気なく周囲を見回してみれば、キャンプの設営をする冒険者の中に、手慣れた様子で指示を出していたモックナックが、こちらに向けて気安い笑顔で軽く手を振ってくれる。
面倒見の良い好漢に手を振り返し、ユンゲは街道の南側――薄霧の立ち込めるカッツェ平野へと視線を向けた。
その傍らには、キーファとリンダ、マリーの三人が寄り添ってくれる。
「――良し、荷物を降ろしたら、すぐにキャンプの設営と戦いの準備を始めようか!」
*
すっかりと陽の落ちた野営地――初日の戦闘を終えたエ・ランテル冒険者組合の面々は、チーム別に設営したテントで静かに睡眠を取っていた。
音を立てないように行動している人影は、交代で見張り役となっている一部の者たちだろうか。
移動日ということもあり、先ずは街道周辺のアンデッドを掃討することから始まり、カッツェ平野の中央部を目指した本格的な討伐戦は、明日以降への持ち越しとなる計画であった。
まだ激しい戦闘にはなっていないが、疲労を残さないためにも休息は大切となる。
「……腹減ったな」
横倒しの丸木を即席の椅子代わりに腰かけ、目の前の焚き火をぼんやりと眺めていたユンゲは、懐からマローンの葉に包まれた夜食を取り出す。
包みの結ぶ細紐を解き、意外なほどにしっかりとした手触りの葉を慎重に剥いていけば、中身はファンタジー系の創作物では定番とも言える森妖精〈エルフ〉特製の携行食“レンバス”だ。
ほんのりと甘みのある麦粉をベースにした焼き菓子の類いであり、とんでもなく美味いということはないものの、初めて口にしてもどこか懐かしい素朴な味わいは、いつまでも食べていたいと思わせてくれる不思議な魅力があった。
先日の冒険者組合での会合に参加できなかった、キーファとマリーのやりたかったことというのが、このレンバス作りなのだ、
今回の依頼が数日に及ぶことから、ユンゲの異常な食欲を満たすためにいろいろと考えて、宿の厨房を借りて作ってくれていたらしい。
保存性に優れるレンバスは腹持ちが良く、一昼夜も駆け続けていられるという評判は――それでも、ユンゲが一度の食事で三つも消費してしまうほどではあっても――伊達ではない。
空腹時に暴挙に出てしまうことを怖れ、遠征に大量の食料を持ち込まなくてはいけないことを危惧していた身としては、いざとなればアイテムボックスに無理矢理と押し込む考えもあった。
そうした心配も、二人が作ってくれたレンバスのお陰で、劇的に改善されたのだ。
「本当はシロツメクサの蜜が手に入れば、もっと美味しくできたのですけど……」とは、最初に試食として食べさせてもらったユンゲが、二人をベタ褒めしたときのマリーの台詞だった。
そのままでも十二分に美味いが、これよりも更にと想像した期待は、否応なく高まったものだ。
「この世界には、美味いものが沢山あるな」
合成に頼らない天然物の食材というだけでも、これまでの生活を思えば考えられないような贅沢だ。
転移前の世界や今後の身の振り方について、もう少し真面目に考えるべきなのかも知れないが、ただ一点の食事に関しては突然の異世界転移に感謝するべきなのだろうと真剣に思う。
「――この夜空の絶景にも、感謝だな」
振り仰いだ頭上に広がる、満天の星。冴え冴えとした輝きは、悠久のときを夜空のキャンバスに刻み続けながら、休息する冒険者たちを静かに見守ってくれているかのようだった。
不意にパチパチッと焚き火が爆ぜ、涼やかな夜風に赤い火の粉が舞った。
吹き去られていく紅光の軌跡を何気なく目で追いかけた先、焚き火の明かりとの対比でより深くなった暗い闇の中にユンゲは僅かな違和感を覚える。
無詠唱で〈ダーク・ヴィジョン/闇視〉を発動して様子を見てみるが、それらしい影はない。
「……気のせいか?」
敢えて口に出してみても釈然としない――が、ユンゲの直感は“そこ”に存在する不可解な何者かの存在を訴えてくる。
ユンゲは右手をバスタードソードの柄に添えながら、左手で焚き火から先端の燃えている枝の端を掴み上げ、松明代わりに辺りの暗がりへと掲げた。
――実際には〈闇視〉の効果が発動しており、本来ならば灯りは必要ないので、これは相手を誘うためのブラフに過ぎない。
(これで油断してくれるなら、楽だけど……)
周囲の気配を窺いつつ、ユンゲは正面の暗がりに燃えた枝先を放り投げ――同時に転身。抜き打ちに振るった横薙ぎのバスタードソードが、背後に迫っていた人影を捉えた確かな手応えを伝えてくる。
(いや、避けられたのか?)
抜き放った剣身が半ばまで突き立ったのは、黒い装備に包まれた人間の身体ほどの木塊だった。
ユンゲは訝りながら、その木塊が纏っていた装備を引き剥がす。
夜の闇に溶け込むような独特の光沢を持った上衣装――それが忍び装束だと気付いた瞬間、ユンゲは跳ね退いて距離を取る。
(――っ、ヤバい。〈遁術〉か!?)
忍者職が使用可能な〈忍術〉の一つであり、装備を犠牲にしてしまうものの、確実に敵の攻撃を避けることができる特殊技術のはずだと思い至り、ユンゲの鼓動が早鐘のように高まっていく。
ユグドラシルにおける職業クラスの忍者は、最低でも六十レベル以上にならないと取得ができない、上位職業のはずであった。
テントで寝ているマリーたちを起こして逃がすべきかと逡巡しつつも、彼女たちでは高レベルの忍者から無事に逃げ切ることは難しいだろう。
(敵の人数も分からないし、ここで俺が止めるしかないか……)
ユンゲは魔法職に半分ほどの職業レベルを割いているので、残念ながら純粋な前衛職を相手にしては直接戦闘での力が劣ってしまう。
――襲撃してきた相手が忍者ならば、一筋縄ではいかないだろうが、遁術で犠牲にした装備の分は、こちらに有利があると信じたい。
野営テントを背に庇いつつ、筋力や敏捷力を高める自己強化魔法を無詠唱でかけながら、バスタードソードを構え直して襲撃者に対峙する。
こちらに半身で構える相手の背丈は、ユンゲより頭二つ分ほども低いだろうか。
ゆらゆらと揺れる焚き火に照らされ、闇夜に浮かぶ襲撃者の影――控えめながら優美な丸みを帯びた肢体は、女性特有の小柄なものだ。
上衣を失い、ぴたりと肌に吸いつくように鎖帷子が剥き出しとなっており、思わずと視線が吸い寄せられつつも、なけなしの理性で振り払う。
一層と警戒を強めながら、ユンゲは向かい合う襲撃者――女忍者の様子を窺った。
顔の半分ほどを覆う黒髪と、高い鼻梁まで持ち上げられたスカーフのせいで、表情は殆ど読み取れないものの、かなり若そうな印象だろうか。
相手の狙いはユンゲなのか。或いは、元奴隷であるエルフの少女たちなのか。
同格以上と思しき上級職を相手に余裕はないが、少しでも情報が欲しい。
「……アンタ、何者だ?」
「……それは、こちらの台詞。私が気配に気付かれるなんて」
ユンゲの問いかけに返ってきたのは、意外なほどに硬質な女の声音。
まるで台本を棒読みしているようなわざとらしい言い回しは、忍者が有する感情を読み取らせない術なのかも知れない。
バスタードソードを握る手に力を込めながら、ユンゲは油断なく問いを重ねた。
「何故、俺を襲ってきた?」
「……それも、こちらの台詞。いきなり剣で斬りつけてきたのは、そっち」
暗闇の中に浮かび上がったのは、女忍者の白く細い指先――ぴしりと眼前に突きつけられ、ユンゲは咄嗟の言葉に詰まってしまう。
毅然と指摘されたように、こちらから攻撃を仕掛けたのは確かであった。
(――あ、あれ? 襲撃された、というのは俺の勘違いなのか?)
感情は読み取らせないのに、どこか責めるような女の視線に晒され、背筋を冷たい汗が伝う。
気を取り直すように相手の立ち姿を上から眺めてみれば、武器らしいものは身につけていない。
暗器のような隠し武器を持っている可能性はあるのだろうが、ユンゲは僅かに警戒を緩めて小さく息を吐いた。
「何故、気配を消しながら近づいてきたんだ?」
「……それは、忍者の性。優秀な忍びは、常に気配を消して行動する」
どこか得意そうな雰囲気で腰に手を当て、張られた女忍者の胸が小さく弾む。
「俺に気付かれても――」
優秀だと威張れるのか、と軽口を開きかけたユンゲは、無言の睨みを受けて言葉を噤んだ。
相変わらずと表情は読み取れないものの、自身の技量に誇りを持っているらしい女忍者が、わざとらしい溜め息をこぼしてみせる。
「……私に気付いた、お前は何者?」
「何者……って言われてもなぁ、この通り駆け出しの冒険者だよ」
バスタードソードの柄を手放さないままに、ユンゲは軽く肩を竦めてみせる。
「……駆け出しの?」と女忍者が訝るように小首を傾げながら、不満そうに言葉を続けた。
「……女の衣服を剥ぎ取る“変態”では? そして、私は装備を剥ぎ取られた可哀そうな被害者」
「い……いや、それは不可抗力だよな? アンタの性別なんて、分からなかったのに?」
「……ずっと視線が厭らしい」
「え、いや……そんなつもりは!?」
慌てて紡ごうとした言い訳も、焦りから上手く口が回ってくれない。
「……どうやら、図星みたいね」
敢えて見せつけるように腕を組み、胸元を強調してくる女忍者を前にして、ユンゲは苦虫を噛み潰すように呻いた。
こうした手合いに不慣れな自覚はあったが、やはり適当に誤魔化されてしまった気がしてならない。
「――と、とにかく。アンタの狙いが俺や仲間じゃないのなら、お互いに手を引かないか?」
「……悪くない提案。正直、お前の相手は嫌。命は惜しまないが、優秀な忍びは実力を過信しない」
こちらの技量を確かめた上で、相手も戦いを避ける判断を決めたのなら、彼我の実力は拮抗しているという認識なのだろうか。
――生理的に嫌、という意味であった場合、ユンゲは悲しみに男泣きをしてしまうところだ。
「そうか、助かるよ。じゃあ、ここまでに――」
「……それで、私の装備は弁償してくれるの?」
少しの安堵を浮かべかけたユンゲの言葉を遮り、先ほどまで無機質なな口調から一転すれば、不意打ちの嫣然とした色を湛えた問いかけ。
「え、あぁ……ど、どれくらい払えば良いんだ?」
「……つまらない冗談だ。その間抜け面に免じて、この場は退かせてもらう」
稼ぎの大半は食費に消えている、などと頭の中で計算を始めていたユンゲの内心を見透かすように、またも女忍者が呆れの溜め息をこぼした。
「え、良いのか?」
「……構わない。気付かれたのは、私の落ち度。お前たちを害するつもりは、最初からない。しかし、奇妙な男だな。それほどの強さを持ちながら、何を怖れることがあるんだ?」
艶やかな黒髪を手梳きで整えた女忍者が、値踏みするような上目遣いで、こちらを覗き込んでくる。
その眼差しの鋭さに、やや気圧されてしまうユンゲではあったが、更なる醜態を晒さないためにも、視線を逸すことはできなかった。
これまでの臨戦体勢を解き、疲れを覚えながらバスタードソードを腰の剣帯に留め直す。
「――世界には自分よりも強い相手がいる。とりあえず、それを知っているだけだよ」
「……なるほど、肝に銘じておこう。お前とは、もう二度と会いたくないものだな」
ユンゲの答えに満足したのか、女忍者は小さく頷いてから、あっさりと踵を返した。
去り際の捨て台詞とともに、その輪郭が闇夜の暗がりに溶けていき、確かに存在していたはずの気配さえも曖昧となっていく。
そうして、ようやくと静けさを取り戻した夜更けの野営地には、赤い火に焚べられた小枝の奏でる、乾いた音ばかりが響いていた。
「……ったく、何だったんだよ」
重い溜め息とともに夜空を仰いだユンゲは、やけに凝ってしまった首や肩を軽く回しつつ、椅子代わりの丸木に腰かけ直すのだった。
もう少し緊迫した雰囲気を出したかったのですが、主人公のユンゲが当初に考えていたよりもヘタレな印象になっている気がします。
女忍者の正体はお察しですね。
まぁ、帝国内で目立つ行動を起こしたんだから、捕捉されちゃうよね……という感じでしょうか。