戦闘描写が難しいので、何とかご理解いただければ幸いです。
朝露に濡れた野営用のテントが、暖かな陽の光に照らされ輝いていた。
良く晴れた夏空は鮮やかな青に染まり、綿菓子のような縮れた白雲が流れる風に運ばれて、彼方の地平線へと緩やかに過ぎ去っていく。
遠くに見える樹々から小鳥のさえずりでも聞こえてきそうな、どこか牧歌的な光景のただ中にありながら、それでも胸がざわつくような寒々しい感覚は消えてくれない。
やはり街道を挟んだ南側に広がる、カッツェ平野から醸し出される不死者〈アンデッド〉の気配が濃密なせいなのだろう。
「おはようございます、ユンゲさん!」
「……ん、おはよう」
寝ぼけ眼を擦りながらテントを這い出せば、先に起きていたマリーの笑顔が迎えてくれた。
夜間の見張り役に代わり、既に朝食の用意を済ませてくれたらしく、焚き火にかけられた鉄鍋からは沸々と湯気の立ち昇っているのが見える。
程良く塩気の効いた食欲をそそる香りに、ユンゲの空きっ腹が「ぐぅぅ」と音を立てた。
「ふふっ、いっぱい作りましたから、たくさん食べてくださいね!」
少しばかりの気恥ずかしさあるものの、今更と取り繕うほどではない。
透明感のあるスープには、大きめに切り揃えられた色鮮やかな野菜がごろごろと浮かび、限られた野外の調理にも関わらず、見た目にも華やかだ。
「おー、美味そうだ。ありがとな、マリー」
鉄鍋からスープを取り分けながら屈託のない笑みを浮かべるマリーを見遣れば、差し出された汁椀を受け取るユンゲの頬も思わずと緩んでしまう。
「……腹が減っては戦ができぬ、か」
「なんですか、それは?」
「ん? あぁ、俺の故郷で使われている格言……で良いのかな。戦いの前には、しっかりと腹拵えしとけよ、って感じなんだと思う」
「そんな言葉があるんですか。……でも、ユンゲさんは“いつでも”いっぱい食べてくれますよね」
口許に手を当てたマリーが、少しばかり揶揄うようにくすくすと笑う。
「こっちの料理が美味しいからな。いくらでも食べられるよ」
言い訳っぽく返事をしながらも、ユンゲも嫌な気持ちはしない。
諸々の事情があったとしても、豊かな自然に囲まれ、美味しい食事に可愛らしい旅の連れまでいるとなれば、この生活が楽しくないはずはない。
初夏ながらも、まだ少し肌寒い朝の風に、両手で抱えたスープの温かさが嬉しい――と、またしても意図せずに、ユンゲの腹の虫が鳴ってしまえば、目の前のマリーばかりでなく、先に椅子代わりの丸木に腰かけていたキーファとリンダからも、楽しそうな笑い声が上がっていた。
「……えっと、忍者ですか?」
固く焼いた黒パンを小さく千切り、スープでふやかしながら少しづつ口に運んでいたマリーが、疑問符を浮かべて小首を傾げた。
「そうそう、こう……こんな感じの黒っぽい恰好をしてて、偵察とか暗殺が得意な――」
火に焚べるための小枝を手にしたユンゲは、昨夜目撃した忍び装束を足下の砂地に描いてみせるが、仲間たちからの反応は芳しくない。
決して、こちらの画力が乏しいせいではない……と思いたいところだが、お世辞にも褒められたものでもないだろう。
謎の女忍者との邂逅から一夜が明け、朝食の場で昨夜の顛末を説明しているユンゲであったが、どうやら忍者という職業はこの世界――少なくとも森妖精〈エルフ〉の生活圏においては、一般的にあまり知られていないらしい。
リ・エスティーゼ王国の王都を拠点とするアダマンタイト級の冒険者チームの中に、それらしい人物がいる噂をリンダが耳にしている程度だった。
「んー、はっきりしたことは分からなそうだな」
「すみません、お役に立てず」
「いやいや、本当に気にしないでくれよ。ちょっとした興味本位だからさ」
冒険者として最高位となるアダマンタイト級ともなれば、“漆黒”の二人にも匹敵するはずの実力者なので、六十レベル程度である忍者の取得条件を満たしているのも当然だろう。
また、本来の役回りを考えれば、忍者という職業の知名度が低いのは道理なのかも知れない。
――結局、あの女忍者の意図は分からないままになってしまったが、もしも襲われるような事態となれば、仲間たちを傷つけさせないためにも、ユンゲが対処するしか手立てはなかった。
三つ目の黒パンを手に取って大口で頬張り、残りのスープとともに素早く咀嚼し、新たな決意を抱きながら胃の腑へと流し込む。
ユグドラシルの料理とは異なり、バフを得られるといった特別な効果はないはずだが、やはり美味い食事で腹を満たせば、活力は湧いてくる。
ご馳走様でした、と静かに手を合わせると、ユンゲは傍らのマリーに向き直って笑いかけた。
「美味しかったよ、ありがとな」
ちょっとした労いの言葉にも、コクコクッと頷きを返してくれたマリーが慌てたように頬を染めながら、まだ半分ほども残していた黒パンを小さな口に含もうとしてしまう。
「――あぁ、急がないで良いよ。キーファとリンダもゆっくり食べてくれ」
軽く肩を竦めながら、ユンゲは口許を綻ばせる。
そうして、やおらと南の方角へと視線を向けてみれば、柔らかな朝の日差しに照らされ、草木の気配もない荒れたカッツェ平野は、生者の進入を拒むかのように、昨日と変わらない薄霧に覆われていた。
考えるべきことは山積みだが、とりあえずは気持ちを切り替えて、目的のアンデッド討伐戦に集中しなければいけないだろう。
*
眼前に押し寄せるアンデッドの群れは、恰も黒い波濤の如き勢いであった。
血肉を持たない無数の骸骨〈スケルトン〉は、落ち窪んだ眼窩の奥に赤い鬼火を宿らせ、憎悪と破壊衝動に突き動かされるままに殺到する。
血塗られた剣や盾で武装する骸骨戦士〈スケルトン・ウォリアー〉や骨の馬に跨る骸骨騎兵〈スケルトン・ライダー〉といった上位種の姿も散見され、冒険者組合の想定を超えた規模の戦いが、カッツェ平野の方々で繰り広げられていく。
飛来した矢を軽い足捌きで躱し、ユンゲは猛然と荒れた大地を駆ける。
腰の剣帯から振り抜いたバスタードソードが、迎撃に構えていたアンデッドの尖兵たちを薙ぎ払い、返しの剣閃はスケルトン・ウォリアーの禍々しい武装を頭蓋から一直線に断ち割った。
すかさずと横合いから襲いかかってきたスケルトン・ライダーの連撃を左腕の籠手で受け止めて――反転、身体を捻って強烈な回し蹴りを見舞う。
鎧越しの胸骨を砕いた勢いで後方に跳躍し、薄霧の奥から幾重にも押し寄せてくるアンデッドの波状攻撃から距離を取った。
「――っ、強くはないけど、数が多すぎるな」
悪態を吐き捨てつつ、無詠唱で紡いでいた〈ファイヤーボール/火球〉を連続で撃ちかけ、前線で突出したスケルトンを片っ端から焼き払っていく。
それでも、いつまでも湧き出してくるかのようなアンデッドの数は膨大だ。
戦線の後方から大きく弧を描くようにして放たれる無数の矢を避け、或いは斬り払いながら前進し、目前のスケルトンを次々と討ち倒すユンゲではあったが、カッツェ平野に侵入した当初は散発的だったはずのアンデッドからの攻勢が、いつからか統制の取れた戦術めいた様相を見せ始めていった。
剣や盾を構えた戦士職のスケルトンを前衛として押し出しながら、弩弓を携えた骸骨弓兵〈スケルトン・アーチャー〉が後衛を担うように、遠距離から矢を放つことで援護をしてきたのだ。
刺突攻撃に対して“完全耐性”を有するスケルトン系統のアンデッドは、降り注ぐ矢の雨を意にも介さず、こちらに襲いかかってくる。
今回の討伐戦において、カッツェ平野に足を踏み入れた銀級〈シルバー〉以上の冒険者であれば、如何に数が多くともスケルトンを相手に後れは取らないものの、遠方から飛来する矢に注意を向けながらとなれば、その危険度は跳ね上がってしまう。
「……っ、ユグドラシルでも見なかったよな?」
攻め寄せるアンデッドの群れは、最早“軍隊”と称するのが相応しいほどの連携を見せており、全体を指揮する何者かの存在を窺わせていた。
ピィイイイイイーッ、と不意に耳朶を打った鳴き声に、ユンゲは思考を遮られる。
猛禽類特有の甲高い響きに空を振り仰げば、骨の禿鷲〈ボーン・ヴァルチャー〉が、こちらの攻撃が届かない遥かな高みから、戦場であるカッツェ平野を俯瞰するように悠々と旋回を続けていた。
その鳥影は地上の冒険者を狙う様子もなく、どこかへと飛び去る気配もない。
実態は全くの不明ながらも、敵方の指揮役に展開する冒険者チームの情報を報告しているかのような異質さを覚える動きであった。
骨だけの翼で風を受けて、優雅な飛び姿を見せるアンデッドが視界の端を過ぎるのは苦々しくもあったが、現状で構っている余裕はない。
背後に控える仲間たちを思えば、前衛であるユンゲが持ち場を離れることはできないものの、やはりカッツェ平野という開けた地形が厄介なのだ。
あまりに膨大な数を頼みとされれば、目前のアンデッドを倒し続けるばかりでは、やがて対処が追いつかなくなり、戦線を突破されてしまうだろう。
実際、視界の左側――金級〈ゴールド〉の冒険者チームが配置されていたはずの側面からは、押し寄せる圧力が明らかに増してきたのだ。
「……どこか、一本道になる場所がほしいな」
ふと脳裡を過ぎるのは、とある歴史小説に描かれた豪傑の勇姿――渓谷に架けられた橋梁を舞台に、万を超える敵の大軍を足止めする一幕だった。
多数の敵と対峙する苦境を自らの職業構成に照らせば、広範囲に展開されると有効打に欠けるので、狭隘な地点に位置取りながら、常に一対一〈ワン・オン・ワン〉で渡り合う状況に持ち込みたい。
しかし、この広大なカッツェ平野において、そのような好条件の立地は望むべくもないだろう。
「……まぁ、今は頑張るしかないか!」
そうして、無理矢理に言い切って気持ちを奮い立たせたユンゲが、バスタードソードの柄を強く握り締めながら、再び駆け出そうとしたときだ。
「――っ、ユンゲ殿!」
不意の呼びかけは、神官〈クレリック〉のリンダから――切迫した声音に振り返れば、「モックナック殿より伝令、一旦退いて態勢を立て直すとのことです!」と至急の報告が続いた。
一息に言い切りながらも、乱れた息遣いに華奢な肩口が大きく震えている。
冴えた銀髪が汗で額に貼りつき、端正な顔立ちにも疲労の色は隠せていない。
戦線からこぼれてしまったアンデッドは、接近戦を担えるリンダに対処してもらうしかなかったために、相当な負担をかけてしまったのだろう。
眼前に迫っていたスケルトンを蹴り飛ばし、ユンゲは声を張った。
「了解した! キーファとマリーを連れて、先に退いてくれ。俺も時間を稼いでから離脱する!」
「はい、お気をつけて!」
頷いたリンダが踵を返し、後方に控えていた二人の許へと駆け寄る後ろ姿を見送り、ユンゲは一層と勢いを増していく亡者の群れに向き直った。
「――ここを通すことはできないな」
仲間たちへの追撃を許さない立ち回りを意識しながら後退しつつ、当たるに任せてバスタードソードを振り回し、それでも追い縋ってくる狂気めいたアンデッドを〈火球〉で粉砕する。
――しかし、傍目にも派手な撤退戦を繰り広げるユンゲの視界に、不意の巨大な影が過ぎった。
中天からの日差しを遮るほどの巨躯が、立ち込めた薄霧を突き破って姿を見せる。
「骨の竜〈スケリトル・ドラゴン〉だ!」と誰かの叫ぶ声が耳朶を打ち、咄嗟に降り仰いだ瞬間、長大な尻尾に強烈な一撃を振るわれた。
圧倒的な体躯を活かした超質量の衝撃に、思わずと身体が強張れば勢いを受け止められず、あっさりと後方に弾き飛ばされてしまう。
「――っ、ユンゲさん!?」
「大丈夫だ! 悪い、ちょっと油断した」
こちらが豪快に飛ばされる様を直視してしまったのか、マリーが悲鳴を上げかけていたものの、素早く体勢を跳ね起こしたユンゲは、無事を知らせるために慌てて手を振ってみせた。
僅かな痛みはあるが、活動に支障はないだろう。
予期せぬ事態に焦り、情けない醜態を晒したことは反省しなければいけなくとも、やはり異世界転移における“ユグドラシルの恩恵”は絶大だ。
マントの土埃を払いつつ、聖遺物級の武装に守られていることを考慮すれば、ゲーム内の数値に換算しても精々が二桁のダメージに届いているのか……という程度に過ぎないだろう。
ホッと胸を撫で下ろしているマリーの姿を横目にしながら、軽く肩を回したユンゲは、小さく息を吐いてバスタードソードを構え直した。
――突然の乱入者は、見上げるほどの偉容を誇るスケリトル・ドラゴンだった。
事前調査で存在が確認されており、冒険者組合での会合においても、要注意として名前が挙げられていたアンデッドの一種である。
連なる無数の人骨で象られた長い首や大きな翼、逞しい尻尾を有する竜を模した骨の身体を持ち、何よりも魔法への“絶対耐性”を有した難敵らしい。
「……でも、やっぱり同じヤツだよな?」
実際に相対してみれば遥かに強大な印象は受けるものの、同名のモンスターがユグドラシルにおいても存在していた。
ゲームでの知識を基準にすれば、第七位階以上の魔法は有効となるはずなのだが、第四位階までしか使えないユンゲには確かめられない。
もっとも、その推定難度は五十未満――レベル換算では十台半ばという程度に過ぎなかった。
この世界の基準では相当な脅威となり、ユグドラシルを始めたばかりの魔法職が苦戦してしまうこともあるのだろうが――、
「……不意打ちにしても、これは問題だな」
今回は相手の弱さに助けられた格好であり、本当の強敵に遭遇したときに、果たして適切な対処ができるのかと不安を覚えてしまう。
冒険者である“ユンゲ・ブレッター”としての強さは、ゲームの延長線上にある“紛いもの”だ。
転移前の世界で武術の類いを身につけていれば、多少なりとも状況は違ったのかも知れないが、現状のユンゲの戦い方は経験のない素人が、力任せに剣を振っているだけに過ぎないのだろう。
「……いや、考えるのは後にしろ」
余計な思考を端に追い遣り、ユンゲは眼前のスケリトル・ドラゴンに対峙する。
見上げるばかりの巨躯を前に、どうしても躊躇いを覚えそうになるが、カッツェ平野に足を踏み入れたのなら、避けては通れない相手だった。
こちらを威嚇するかのように、スケリトル・ドラゴンの尻尾が大地をのたうち、巻き込まれた数体のスケルトンが哀れにも叩き伏せられる。
「……お仲間同士、せめて仲良くしてろよ」
何となく理不尽な光景に呆れつつ、ユンゲは枯れた荒野を蹴って駆け出す。
瞬く間に距離を詰めて肉迫――迎撃に振り下ろされた丸木のような前脚を横っ跳びに避ければ、勢いに任せた横薙ぎの斬撃が骨を断ち割る。
右の前脚を断たれ、体勢を崩したスケリトル・ドラゴンの肩骨を足場に跳躍。
轟音とともに振るわれる尻尾を置き去りに、ユンゲはバスタードソードを頭上に振りかぶる。
こちらの姿を見失い、無防備を晒す骨の首筋を目掛けて袈裟懸けの一閃――僅かな間を置いて、支えを失ったスケリトル・ドラゴンの頭部が、ぐしゃりと大地に落ちて砕けた。
その眉間を踏み抜くように着地したユンゲは、やおらと振り返って言葉を投げかける。
「HPバーがないから分からないけど、頭を落とせば終わりだろ?」
そうして、見上げるほどの巨体を誇っていたスケリトル・ドラゴンは、こちらの問いかけに大量の土埃を巻き上げながら大地へと倒れ伏した。
ふと視線を巡らせれば、執拗に追い縋っていたアンデッドの群れが足を止めているのを見遣り、ユンゲはバスタードソードの剣先を下ろす。
「――お、お見事です、ユンゲ殿!」
僅かな動揺を見せつつも、労ってくれたリンダに軽く手を振り返し、小さく息を整える。
アンデッドとの連戦に続けて、象よりも遥かに巨大な化け物と戦ったのだ。
肉体的な疲労は問題ないが、実際に体験する精神的な消耗はゲームでの戦闘と比較にならない。
「……早く撤退して、モックナックさんのチームに合流しないとな」
自らに言い聞かせるように呟き、やれやれと小さくかぶりを振ったユンゲが、仲間たちの許へと踵を返しかけたときだった。
再び視界の端を過ぎり、飛び込んできた何体もの巨大な影――いったい何処から現れたというのか。
直前までは気配すら感じなかったはずの複数のスケリトル・ドラゴンの群れが、次々と鎌首を擡げるように薄霧の奥から姿を露わにしていく。
異形の化け物たちが標的を定めて、一斉にこちらを見下ろしてくる光景に対峙し、ユンゲは臨戦体勢を取りながら深い溜め息をこぼした。
「――ったく、少しは休ませて欲しいんだけどな」
ここまでの戦闘で振り乱れていた髪をかき上げ、ユンゲはアイテムボックスから取り出した疲労回復のポーションを口へと含む。