物語的な進展は少ないのですが、オーバーロードの二次創作ということでどうにかして登場してもらいたかったキャラクターなので、こういったお話になりました。
亜人種に分類されるゴブリンという種族は、ファンタジー系の創作における雑魚モンスターの代名詞ともされる存在であり、そうした不遇な扱いはユグドラシルにおいても同様であった。
当然ながらプレイヤー自身のアバターとしてゴブリンを選択したのであれば、強さなどはその限りではないはずだが、人間と猿を掛け合わせて邪悪さをトッピングしたようなとも形容される、潰れた顔と平べったい鼻に上向きの牙が生える裂けた口といった醜悪な面構えは、お世辞にも格好良いとは思えない。――やはり、好んで選択するようなプレイヤーは少数派だろう。
数を頼みに群れを成して襲ってくるという厄介さはあるが、人間の子供ほどの背丈に貧相な身体つきをしたゴブリンは、個々の強さを特筆されることはない。対処を間違えなければ恐れるような相手ではないというのが、多くのユグドラシルプレイヤーの共通認識だっただろう。
この世界に転移して間もない頃、自身やモンスターの力を把握できていなかったユンゲが、最初の戦闘相手にゴブリンを選んだのも「ゴブリン程度なら大丈夫だろう」という漠然とした考えに因るところが大きかった。相手から気付かれる前に遠くから魔法で攻撃するという“慎重な”戦い方を選択したユンゲではあったが、認識に誤りはなくあっさりとゴブリンを倒すことができた。――誤りはないはずだったが、目前に迫ってくるゴブリンたちはどうだろうか。
装備の目利きに自信はないが、服とも呼べないような粗末な襤褸切れに仕立ての悪い皮鎧や錆の浮いた武器で襲い掛かってくる野良のゴブリンと比較すれば、明らかに雰囲気が異なっている。
顔の特徴や背丈こそゴブリンと変わらないが、肉体は屈強な様子で腕周りなどはユンゲより太いかも知れない。磨かれた鎧や真新しい鉄剣を見ても、単なるゴブリンだとは思えなかった。
「……六匹か。他にも隠れてるなら面倒だな」
少しばかり身なりが強そうだとしても、ゴブリンを相手に遅れを取るつもりはない。
しかし、ユンゲの背には近接戦が苦手な後衛職である森祭司<ドルイド>のマリーと先ほどゴブリンに襲われてかけていた少女――突然の事態に腰を抜かしてしまったのか、座り込んでしまっている――を庇っているとなれば、万が一にも討ち損じる訳にはいかない。
ユンゲは僅かな間だけ背後のマリーと一瞥を交わし、向かってくるゴブリンの群れに対峙した。
*
鬱蒼としたトブの大森林の外周を沿うように伸びる畦道は、馬車一台がようやく通れるほどの道幅しかないが、アスファルトに覆われた舗装路にはない風情が感じられるような気がした。
小石を除けただけの剥き出し地面や長い時間をかけて折り重なるように刻まれた対となる車輪の轍にも、転移前の世界には希薄だった人々の営みが息衝いているような印象がある。
もっとも逆の道を先に進んだところでいくつかの開拓村が点在するだけという話なので、この道を行き交う人はあまり多くないらしい。
或いは、少しばかり遠回りになったとしても安全な平原の中を抜ける、南寄りのルートが好まれているのかも知れない。
「――にしても、全く釣れなかったな」
「ふふっ、残念でしたね。戻ったら詳しい人でも探してみますか?」
楽しそうに声を弾ませるマリーに苦笑を返しつつ、「うーん、そこまではなぁ……」とユンゲは言葉を濁す。
経験もない魚釣りを始めたのは単なる思いつきであり、もともと冒険者の仕事以外でエ・ランテルを離れる口実が欲しかっただけなので、僅かばかりの悔しさこそあったとしても――後で試してみたところ、魚を捕まえるだけならユンゲの身体能力を持ってすれば、何の苦労もなく手掴みできてしまったのだから――真面目に練習をする気持ちになれるはずもない。
ほとんど成果のなかった魚釣りを終えたユンゲは、マリーとともにエ・ランテルへの帰路となる牧歌的な森沿いの小道をのんびりと歩いていた。
「とりあえず気分が向いたら、ってことですね」
ユンゲの思考を先回りするようなマリーの言葉に、ユンゲは肩を竦めてみせる。
「まぁ、そんなところだ。――でも、どうせなら料理とか道具作りの方を練習したいかな」
「そうなんですか。簡単な料理なら、私でも少しは教えられるかもですが……」
「あぁ、よろしくご教授いただけると助かるよ。マリー大先生」
敢えてわざとらしくユンゲが口にすれば、マリーは少し頬を膨らませてみせ、「ちょっとスパルタになるかも知れないですよ」と笑顔を返してくれる。
「……お手柔らかにお願いするよ」
心の内にわだかまっていた鬱屈とした感情を情けなくも吐露してしまったので、少しばかり気恥ずかしい思いもあるのだが、英雄然と気負う必要などないと思い直させてくれたマリーの気遣いにユンゲはどれだけの感謝をしても足りない――何の変哲もない、長閑な平原と森の合間を抜ける風景をぼんやりと眺めているだけでも心地良く感じられるほどだ。
ユンゲ自身では気付いていないことだったが、晴れやかとなった気持ちを映すようにユンゲの足取りは往きのときとは異なり、かなり軽やかになっていた。
このままの歩みでも、日の傾きかける前にはエ・ランテルに帰り着くことができるだろうか。
そうして、取り留めもない会話に花を咲かせながら帰路を進んでいたところ、不意にマリーが「……あれは、何でしょうか?」と声をひそめるようにして前方の小高い丘を指差した。
やや疑問符を浮かべるマリーの言葉にユンゲが緩やかに弧を描く道の先に目を向ければ、不意に馬の嘶きが二人の耳朶を打った。
同時に、無詠唱化した<クレアボヤンス/千里眼>の魔法が、蠢めくいくつかの小柄な人影――御者のいない馬車を囲うように群がっているゴブリンたちの姿をユンゲの視界に見止めさせる。
「――ゴブリンが馬車を襲っているのかっ」
マリーと頷きを交わしたユンゲは、すぐさま走り出していた。
なだらかな畦道を駆って、瞬く間に距離を詰めながらユンゲは周囲の状況を確認していく。
疾風のようなユンゲの急接近に、ゴブリンが気付いたときにはもう遅い。
高らかに武器を掲げていたゴブリンの囲いを一足飛びに越え、中心に追い遣られていた少女――他にそれらしい人物も見当たらないので、御者台に座っていた人物だろうか――を抱き上げて、ユンゲは再びゴブリンを飛び越えていた。
そのまま駆けてきた道を戻り、ユンゲは遅れて傍まで走り寄ってきたマリーに少女を託す。
「――怪我がないかみてやってくれ」
一見して傷は見当たらなかったが、武器や鎧の類いを帯びておらず冒険者ではないとなれば、軽傷でも命を落としかねない。
少女を抱き寄せたマリーが「はいっ」と応じて、手早く状態を確かめる様子を横目に捉えつつ、ユンゲは踵を返して丘の方へと視線を戻した。
獲物を奪われて激昂したのか、真新しい武器を手に勢い良く丘を駆け下りてくるゴブリンの群れを見据え、ユンゲはバスタードソードを抜き放って身構える。
逃がすこともできなければ、あまり時間をかけ過ぎて他のモンスターたちが群がってきても面倒だと、ユンゲが駆け出そうと一歩を踏み込んだ瞬間だった。
「――お願いっ、待ってください!」
マリーに抱えられたままユンゲに腕を伸ばした少女の振り絞るような声音が、見晴らしの良い平原に響き渡った。
*
「すみませんでしたっ!」
「いえ、そんな――あ、頭を上げてください。私を助けようとしてくださったのですし、もともと私たちが誤解をさせてしまったせいなんですから……」
ユンゲの勢い込んだ謝罪に、あたふたと手をバタつかせて場を取り持とうと苦慮しているのは、エンリ・エモットと名乗った先ほどの少女だった。
「いや、俺の早とちりで……本当に申し訳ない」
謝罪の言葉を重ねつつ、ユンゲは背筋を起こしてエンリに向き直る。
先ほどの遭遇から慌ててエンリが説明してくれたところによれば、馬車を囲っていたゴブリンたちはエンリを主人と仰いでおり、彼女の故郷である開拓村のカルネ村で共存しながら、折に触れて人間に手を貸してくれているとのことだった。
「ゴブリンの皆さんも、すみませんでした」
「……あぁ、いや俺たちは別に構わないんですがね」
エンリの背後で従者のように居並ぶゴブリンたちにも謝罪を口にするが、ゴブリンからの反応が芳しくないのは、自分たちの仕えるべき主人をユンゲという襲撃者から守れず、あっさりと奪われてしまったことを失態と考えているからなのかも知れない。
この世界で人間に協力するゴブリンがいることなど考えてもいなかったユンゲは、危うく彼らを討伐してしまうところだったのだ。単なるモンスターならともかく、言葉を交わせる相手を殺してしまったのなら、寝覚めも悪くなってしまう。
一緒に頭を下げていたマリーも驚いていたのでそれほど頻繁にあるようなことではないらしいが、これだけのゴブリンを従えているエンリという少女は、何者なんだろうか。
三つ編みにした栗毛色の髪を胸元の辺りまで伸ばした十代半ばほどの少女は、傍目には如何にも絵に描いたような村娘にしか見えないのだが――、
(……っていうか、この子かなりの力あったよな)
ゴブリンに斬りかかろうとバスタードソードを振り上げたユンゲを踏み止まらせたのは、袖口を掴んだエンリの制止だった。
当然ながら振り払うことも容易くはあったが、ユンゲが僅かに躊躇いを覚えるほどには力強く、毅然とした意思が込められていたように思う。
――健康的に焼けた肌は、勤勉の証なのか。エ・ランテルや帝都アーウィンタールなど、それなりの規模の都市ばかりしか訪れていなかったので、この世界の農村の暮らしを知らないのだが、日頃から農作業に従事していると鍛えられたりするということもあるのだろうか。
訝るように見つめてしまったユンゲの視線を受けたエンリが、不安そうに身じろぎをして居住まいを正すのを見遣り、ユンゲは「――っ、失礼」と咳払いを一つ、不躾だった態度を取り繕うように言葉を続けた。
「人間とゴブリンがともに生活をしているという話は、初めて聞いたものでしたので……。エンリさんはビーストテイマーなのですか?」
もしかしたら、ゴブリンを使役する職業もあるのかも知れないが、他に該当しそうな職業はユンゲの記憶にない。
焦りからやや唐突になってしまったユンゲの問いに、エンリは少し困ったように間を置いてから、こくりと小さく頷きを返しただけだった。
あまり他人には触れられたくない話題だったのかも知れない。
マリーも居心地の悪さを感じてか、縋るようにそわそわと短杖を握り締めていた。
初夏の風にそよぐ枝葉のざわめきが、やけに大きく感じられる。
その場に居合わせた全員が口を噤んでしまう、気まずい沈黙を破ったのはエンリだった。
「……えっと、お二人は冒険者の方ですよね?」と意を決したように口を開くと、ユンゲとマリーに向けて深々と頭を下げ、エンリはひと息に言い切った。
「私がお願いできる立場にないことは承知していますが、冒険者組合の方にはゴブリンさんたちのことを報告しないで頂きたいのです」
縋るような、若しくは懇願するようなエンリの声音にユンゲは思わず面食らう。
この世界での認識に疎いユンゲには何が問題なのかもよく分からない状況なのだが、ときには人間を襲うゴブリンと共存しているなど、外聞が良くないということなのだろうか。
「――そんなことであれば構いませんよ。敵対的なモンスターならともかく、友好的な相手を嫌う理由なんてありませんから」
やや拍子抜けする思いだったユンゲのあっさりとした返答に、エンリはあからさまな安堵を浮かべていた。
ユンゲの言葉は偽りのないものではあったが、信用を保証するものなど何もない。
強張っていた肩の力が抜け、心底ホッとした様子のエンリを目にすれば、転移前の世界に生まれていたなら簡単に悪い奴らの食い物にされてしまいそうな危うさを感じてしまう。
細い両手の指を胸元あたりで絡ませながら、「ありがとうございます」と朗らかな笑顔を向けてくるエンリの姿に、ユンゲの抱いた“純朴な村娘”という最初の見立ては、間違っていないはずだと思い直す。
先ほどの気まずかった沈黙もゴブリンたちを心配してのことだったのかも知れない。
軽く手を振ってエンリに応じつつ、ユンゲは口許に手を当てて問いかける。
「――ところで、エンリさんはこのままカルネ村に戻られるご予定ですか?」
「そうですね、薬草を売ったお金でゴブリンさんたちの装備も新調できたことですし、村で留守番をしている妹も心配なので早めに帰ろうと思っています」
「そうでしたか、では宜しければ村まで護衛……」と言いかけて、ユンゲはエンリの背後に控えるゴブリンの様子を確認して肩を竦める。
この辺りで目撃したことのあるモンスターが相手ならば、問題にならないだろう。
「――護衛は、必要なさそうですね。私たちはエ・ランテルを拠点に活動しておりますので、お越しの際はぜひ冒険者組合を訪ねてみてください。今回のお詫びも兼ねて美味しい食事でもご馳走しますよ。勿論、妹さんもご一緒にね」
「本当ですか、妹も喜ぶと思います! ユンゲさんとマリーさんもカルネ村の近くまでお越しのときは、ぜひお声をかけてください。……大したおもてなしはできないかも知れませんが」
喜びの表情から一転、本当に申し訳なさそうなエンリの様子に、却ってユンゲの方が恐縮してしまう思いだ。こんな人間がもっと多くいてくれたなら、転移前の世界も少しは良いものになっていたかも知れないとさえ思う。
腹の内を探り合うような行為とは無縁らしい、感情の揺らぎをはっきりと表に見せてしまうエンリの素直さに、ユンゲは好感を覚えながら笑いかける。
「お気持ちだけで結構ですよ。妹さんが待っていらっしゃるなら、あまりお引き止めするわけにもいきませんね」
またお会いできることを楽しみにしています、とユンゲが言葉を締め括れば、想像に違わない反応を浮かべたエンリは、「はいっ」と明るく声を弾ませてくれた。
そうして、御者台の上で何度も振り返り、手を振りながら去っていくエンリとゴブリンを見送ったユンゲは、ようやっと大きく背伸びをして息を吐き出した。
――この世界は、美しい。
息を吐き切ったままの姿勢で見上げた夏空は、どこまでも高く鮮やかな青に澄み渡っている。
もしも願いが叶うのなら、人も自然もこのまま変わらない美しさであって欲しいと転移前の世界を憂い、ユンゲはぼんやりと思いを馳せる――と、
「ユンゲさんは……、あのような女性が好みなのですか?」
不意に、絞り出すようにして傍らのマリーが声をかけてきた。
小首を傾げやや俯きがちなマリーの姿を見遣って「ん?」と目許の相好を崩しつつも、ユンゲは悪戯っぽい顔つきとなってわざとらしく言葉を紡ぐ。
「素直そうな良い娘だったな」
「……ユンゲさんは意地悪です」
拗ねるように言い差し、ぷいっとそっぽを向いてしまった小さな頭に無理やり手を置き、ユンゲは――マリーのささやかな抵抗など全く意に介することもなく――艶やかな金色の髪を荒く撫で回しながら高らかに胸を張ったのだった。
「さっ、俺たちも帰ろうぜ。キーファとリンダを待たせたままじゃ悪いからな」
-言い訳-
エンリがエ・ランテルに赴くのは八巻前半のエピソードですが、原作での描写から時系列的には「ゲヘナ」前の出来事かと解釈しております。
(アニメだとエントマが既に声変わりしていたので、間違っているかも知れませんが……)
いろいろと書いているうちにユンゲの性格が分からなくなってきています。