夕暮れの近づく帝都アーウィンタールの一角に佇む冒険者組合は、外観の見事さに反するようにどこか活気に欠けている。
以前に訪れたときにも感じた印象だが、やはりモンスターの討伐といったエ・ランテルであれば冒険者に依頼されるような仕事の一端を職業軍人である帝国兵士が担っていることも影響しているのだろう。
「これは、金券板ですね。このまま帝国銀行に持ち込めば、現金と交換ができるはずです」
今回の護衛依頼の報酬として受け取った、細かな文字や模様の彫り込まれた手のひらほどの金属板を手に、リンダが思わずといったように苦笑いを浮かべる。
バハルス帝国の国家機関である帝国銀行の下に管理されている為替――手形や小切手に相当するものらしいが、その額面を見ればリンダでなくとも苦笑したくなるものだ。
エ・ランテルで買い替えたばかりの“翠の旋風”の装備を更に新調して、全員の予備兵装まで用意しても、まだユンゲが大いに飲み食いできるほどのお釣りが返ってくるほどの報酬ともなれば、何か非合法な闇取引にでも荷担してしまったのかと疑いたくなる。
「なんか、展開が早すぎて疲れちゃったね」
「……だな。正直、こんな依頼はもう受けたくない」
冒険者組合のロビーテーブルに着いて突っ伏すように倒れ込んだキーファに言葉をかけつつ、ユンゲは椅子に傾れかかりながら大きな溜め息をこぼした。
転移前の世界では、社会人として人並み程度の礼節を弁えているつもりではあったが、当然ながら貴族や王族のような特権階級の人間と言葉を交わした経験もなければ、宮廷作法など一つとして学んだこともない。
案内のはずの商人には教育の在り方について熱弁を振るわれ、通されたのは手で触れることすら躊躇われるほどの華美な調度品ばかりの応接間。厳かに現れた国家の重鎮たる老魔法詠唱者は挨拶から間もなく奇声を上げ始めたかと思えば、救いを求めた先には不意打ち極まりない若き皇帝の不敵な笑みが待っていた。
こちらの窮状を全て見透かしたようなジルクニフの鋭い眼光を前に、その場を逃げ出さなかっただけでもユンゲは自分を褒めたいくらいだ。
しかし、如何に思いがけない事態の連続だったとしても、相手の目論見通りに上手く遣り込められてしまったという悔しさに似た思いは拭えない。仮にジルクニフからの誘いを受けたのなら、今後の生活は大変に気の詰まるものとなってしまうだろうことは想像に難くないだろう。
(……異世界に転移してまで、気疲れする生活は勘弁して欲しいな)
原則として国家間の政治や戦争に不介入な姿勢を取っている冒険者の立場は、本来なら面倒事と距離を置きたいユンゲとしても都合が良い。
誘いを断る方向で話を進めるなら、何かしらの無理難題――簡単に思いつくところでは、帝国における奴隷エルフの全解放といったこと――を条件として提示してみるのも一つの方法かも知れないが、あっさりと認められてしまうようなことがあれば、総数で何人となるかも分からない解放された奴隷たちの身の振り方に責任を持てないばかりか、ユンゲたちの進退も極まってしまうことは避けられない。
市井の噂に聞いた限りでも、“鮮血帝”とまで渾名されるほどのジルクニフという改革者は、必要と考えたなら一切の手段を問わないような印象すらユンゲに抱かせていた。
「ユンゲ殿。これから、いかがしましょうか?」
テーブルに着いた皆の沈黙を気遣うように口を開いたリンダに視線を向け、ユンゲは上手く働いてくれない頭で考えをまとめつつ、やおらと言葉を紡ぐ。
「……基本的に、俺は宮仕えなんて柄じゃないからな。リンダたちと一緒にのんびりと冒険者稼業でもしながら、美味い料理や酒を楽しめたら、それが一番だな。あとは……そうだな、まだ行ったことのないこの世界の景色もたくさん見たいってところか」
「――では、皇帝からの誘いは断るということでしょうか?」
「一応、そうなるかな。まぁ、とりあえず下手に睨まれたくもないから、穏便に済ませられるように考えるとして……」
やや投げやりな思いで口にしつつ、ユンゲは背もたれに寄りかかりながら冒険者組合の天井を仰ぐ。
これまでの自らの考えなしの行動が招いた結果ではあるが、年若いジルクニフにあっさりと手玉に取られてしまったことは情けない思いもあるので、ユンゲとしては引き抜きの件とは別にして、何らかの見返すための方法くらいは検討したい。
帝都での滞在費をジルクニフが負担してくれるというのなら豪華な宿を借りたり、どこかの高級店で飲み食いするくらいの抵抗も考えられるか――いや、ユンゲ自身の格を落とすばかりか、相手には鼻で笑われて終わってしまう可能性の方が高いだろうか。
「――でも、ぱっと良い案は思い浮かばないな」
やれやれとばかりにユンゲが肩を竦めてみせれば、リンダも小さく頷きを返してくれる。
「そうですね。では、皆もいろいろと疲れているようですから、今日のところは宿を取って食事ということにいたしませんか? ゆっくりと休めば、また良い考えも見つかるかも知れません」
テーブルに顔を伏せたままのキーファや椅子に深く腰掛けながら舟を漕ぎ始めそうなマリーの様子を見遣れば、ここで埒も明かないまま悩んでいるよりもリンダの提案のように、冒険者組合で手頃な宿でも紹介してもらって休息する方が賢明だろう。
「……それが良いな。ここ何日かは護衛もあって、あんまり休めてなかったしな」
大きく開かれた窓から差し込んでくる西日に目を細めながら、ユンゲはリンダに同意を示す。
そうして、冒険者組合を重い足取りで後にした“翠の旋風”の一行は、威勢の良い客引きの声が飛び交う賑やかな帝都の人混みの中に紛れていった。
*
湯浴みを早くに終えたユンゲは、一人で自室へと戻りゆっくりと息を吐いた。
そのままベッドへ倒れ込みたい衝動に駆られつつも、窓辺へと歩み寄って薄曇りのガラス窓を開けば、常夜灯に照らされた帝都の整然とした建物の並びが、淡く浮かび上がるように見える。
背もたれのない丸椅子を手近まで引っ張って腰を下ろしたユンゲは、ぼんやりと外の景色を見つめながら、先の会談であった一つの気掛かりなことに考えを巡らせた。
「魔法詠唱者、アインズ・ウール・ゴウン……か」ユンゲの口から呟かれた名は、誰に届くこともなく陰となった街並みの暗がりの中、溶けるように消えていく。
それは、気の休まらない会談がようやくと終わり、疲労の色を隠せなくなりつつあった“翠の旋風”が、帝国魔法学院の応接間を退出しようとした間際のことだった。
国家としての在り方や優秀な人材の活用について、自身の考えを滔々と語り終えたジルクニフから「最後に一つだけ」と投げかけられた不意の言葉が、不思議な響きを持ってユンゲの耳に残っていた。
――試みに問いたいのだが、貴殿らは“アインズ・ウール・ゴウン”という名の魔法詠唱者に聞き覚えはないか?
散々な気疲れもあったユンゲは、その場では聞いたことがない旨を告げたのだが、一人になってから思い返してみればどうにも引っ掛かるような思いを感じていた。
突然の異世界転移から、この世界で過ごし始めてからまだ二ヶ月足らず、多少なりとも交流を持った相手の中にそのような名前を持つ人物はいなかったのだから、もしも耳にしたことがあるのなら、転移する前の出来事のはずたった。
しかし、当然ながらユンゲの元いた世界に魔法詠唱者の知り合いは存在しない。
下手な冗談の類いであったなら、軽く聞き流すこともできたのだろうが、問いを発したジルクニフの深い紫の瞳は、一切の欺瞞を見逃さないとばかりに真摯な色を湛えていた。
ユンゲの取り出したスクロールに驚喜し過ぎたために、ジルクニフから諌められて後ろに控えていたフールーダが、関心を示すように居住まいを正す姿も視界の端に映っていたが、それ以上にユンゲの曖昧な返答に気付かないはずもないジルクニフが、あっさりと引き下がり「……詮ないことを聞いた、忘れてくれ」と質問を撤回したことにも違和感を覚えずにはいられなかった。
薄い笑みを浮かべたままに、ひらひらと手を振ってユンゲたちの退室を見送ったジルクニフの堂に入った支配者としての姿が、ユンゲの脳裡に思い出された。
ジルクニフのような頭が良いであろう相手の考え方は全く読めないために、“翠の旋風”を帝国に引き抜きたいという話すら、何か裏の意図があるのではないかと勘繰りたくなってくる――と、ふと扉に近づいてくる複数の足音に気付き、判然としない奇妙な感覚を抱いたままの頭を切り替えようとユンゲは、無理矢理に視線を上へと持ち上げる。
すっかりと夜の帳が下りた空には、宝石箱をひっくり返したように散りばめられた星たちの輝きが、色鮮やかに瞬いていた。
*
冒険者組合で紹介してもらった宿屋で迎えた翌朝、雲一つない心地良い快晴の青空の下、帝都アーウィンタールはいつもと変わらない活気に溢れていた。
仕立ての良い服で着飾った婦人や職人風の男たち、荒事を生業としているであろう輩や商魂を燃やす狼の群れといった雑多な人々が行き交う大通りに、昨日とは異なる様子で過ごすユンゲたち“翠の旋風”の一行の姿があった。
人混みを軽くかき分けるユンゲの傍ら、一抱えもある丸瓶を大事そうに持つマリーの弾むような足取りに合わせて、サイドで括った鮮やかな金糸のような髪が揺れる。
「ご満悦だな、マリー」
「はいっ! この時期に手に入るとは思っていなかったので嬉しくて、つい」
少しだけ恥じらうように、しかし隠し切れない嬉しさが溢れるように、マリーの歩く姿は軽やかだ。背が小柄なために、子どもが欲しいものを受け取って喜んでいるようなほのぼのとした温かさを感じるのだが、本人に言ってまた機嫌を損ねるような真似をユンゲはしたくない。
「でも、良かったよね! エ・ランテルでは見つからなかったから、無理だと思ってたんだよ」
「そうだね、やっぱり帝国の方がいろいろなものが沢山あるのかな?」
こちらもやはり小柄なキーファが、マリーの抱える丸瓶の中を覗き込みながら笑みをこぼす。
帝都の朝市で買い求めた“シロツメクサの蜜”を間に嬉々として言葉を交わすキーファとマリーをほほ笑ましく思いながら、ユンゲは少し後ろから保護者然として二人を見守るように続いていたリンダに話しかける。
「やっぱり、リンダの言うように連れ出して正解だったみたいだ」
「ふふ、そのようですね。……同じような景色でも、そのときの気持ち次第で見え方は変わってきますし、ともに歩く人によっても、また違ったものになるのでしょう」
「……なるほど、なかなか蘊蓄のありそうな言葉だ。肝に銘じておくよ」
慈母のような笑みを湛えたリンダに、ユンゲは軽く肩を竦めてみせる。
これでは、どちらが気を遣ったのかも分からない。
昨夜から宿屋で休息は取ったものの、突然の皇帝との会談に疲れ切っていた皆を見遣り、何か気晴らしでもと考えながらも、帝都にあまり良い思い出を持っていないであろう彼女たちを無理に連れ出すことを躊躇していたユンゲの背を押してくれたのはリンダだった。
それでも、奴隷市場のような直接的な場所をできるだけ避けつつ向かった大広場で、以前から欲しがっていたシロツメクサの蜜――先にカッツェ平野でのアンデッド討伐に赴いたとき、大食漢のユンゲのために用意してくれたエルフ特製の携行食“レンバス”の材料のうち、時季外れのためにエ・ランテルでは手に入れることのできなかった――を見つけたマリーの喜びようは、思わずユンゲまで嬉しくなってしまうほどだった。
周辺国家の交易の要衝となるエ・ランテルの市場には出回っていなかった品物が、バハルス帝国の市場では一般的に売られているというのは、やはり国力の高さがなせるものなのだろうか。
「宿屋で厨房をお借りできるのか、帰ったら直ぐに聞いてみなくてはいけませんね」
「――だな。でも更に美味しくなるなら、もう三つじゃ足りないかもな」
「ふふふ、いくらユンゲ殿でも、あまり食べ過ぎるのは身体に良くないかも知れませんよ」
口許に手を当てて面白そうに笑うリンダに、ユンゲはもう一度肩を竦めてみせた。
「美味いもんが食べられるなら、それも仕方ないな」
そう冗談めかせて口にしつつ、ユンゲは様々な業態の露店の立ち並ぶ大広場の一角を指差す。
人通りの多い帝都の中ほどに位置する大広場、芳ばしく食欲を誘う香りに導かれたユンゲは、やや呆れ顔となったリンダを横目に、素早く串焼きの屋台へと駆け寄って小銭を放った。
見事に焼き上げられた大振りな肉の串焼きに齧りつけば、口いっぱいに広がる濃厚な肉汁にユンゲの頬は思わず緩んでしまうことに抗えない。
瞬く間に一串を平らげ、早速とばかりに愛想の良い主人に追加の注文をしつつ、「ほらっ、皆も食おうぜ!」と呼びかける。
小走りに向かってくるマリーとキーファ、その後ろでやれやれと額に手を当ててみせるリンダに手招きをしながらユンゲは快活な笑い声を上げた。
目に沁みるほどに濃い青空の下、帝都は今日も変わらず人々の活況な営みが続けられている――
そうして、露店を前に“翠の旋風”の一行が和やかな談笑を交わす中、行き交う人混みに紛れてその様子を見つめていた二つの人陰は少ない言葉を交わし、その傍へと歩み寄っていくのだった。
次回は久しぶりの別キャラ視点で、これまで分かり辛かった時系列等の辺りも描ければと考えております。