初めての指名依頼を受けた“翠の旋風”は、高額な報酬を訝りながらも再び帝都アーウィンタールを訪れ、様々な思惑のもとに逸脱者たるフールーダ、そして稀代の皇帝ジルクニフとの対面を果たす。
急転する状況に動揺を隠せないユンゲたちだったが、一行の与り知らないところでは世界を揺るがすほどの事態が引き起こされようとしていた。
(22)勧誘
丁寧に敷かれた石畳の上、幾重にも重なるように生まれた無数の波紋が、広がっては儚い幻のように消えていく。
帝都アーウィンタールの整えられた街並みは、季節を外れた冷たい霧雨の中に包まれ、白くけぶるような帳の向こうに霞んで見えた。
普段の賑わいと比べれば通りを行き交う人も疎らな印象はあるが、皆無ということはなく、雨具を着させられた子どもたちが濡れるのにも構わず元気に走り回っていたり、そんな様子を遠巻きにしながら雨音に負けまいと呼び込みの声を張っている客引きの姿もあった。
宿屋の窓辺に寄ったユンゲは、ぼんやりと眼下の光景を眺めながら思わず顔を顰めてしまう。
大量の汚染物質を含んで黒く染まってしまった、汚水の雨が降り注ぐ世界に生きていたユンゲにとって、雨は決して“恵み”をもたらしてくれる存在ではなかった。
この世界に転移してから、雨に降られるのは今回が初めてということもないのだが、ユンゲはどうにも雨の中で外出することには憚られる思いがあった。
それでも、満足な舗装もされていないエ・ランテルでは、足下が覚束ないほど通りが泥濘んでしまう有様だったことを思えば、大通りばかりでなく細い路地まで整備がなされている帝都の偉観は――ユンゲの心情的にはあまり好ましくないものの――ジルクニフの施策が優れていることの一端なのかも知れない。
「……一応、お伺いはしとくべきか」
気乗りしない思いでユンゲは口にしつつ、宿屋に面した通りから視線を外し、遠く白い霞の中でも異彩を放つ、帝国魔法省の高い尖塔の方へと目を向けた。
*
煌びやかな装飾品に、鮮やかな色味の織物――異国情緒の溢れる品々から日常で使う多様な雑貨までも並べたいくつもの店が軒を連ね、多くの人々が行き交う帝都の中ほどにある大広場。
いつにも増して盛況な賑わいを見せる市場の一角で、食欲を誘う芳ばしい香りの立つ屋台の前には、ユンゲたち“翠の旋風”の姿があった。
「ほらっ、リンダもどうだ?」
こちらの差し出した串焼きをやむなくといった様子で受け取り、「ありがとうございます」と苦笑を浮かべるリンダに笑いかけ、ユンゲは言葉を続ける。
「食べ歩きは、旅の醍醐味だからな。――おっちゃん、エールも一つくれよ。良く冷えたヤツで頼むな」
赤々と燃える炭火を前に串焼きを炙っていた屋台の主人に注文を取り付けながら「リンダも飲むか」とユンゲは問いかけるが、「……今は遠慮しておきます」とやや呆れを孕んだリンダの答えが返ってきたことに、わざとらしく肩を竦めてみせる。
ふと何気なく見上げてみれば、雲一つない晴れ渡った青空に眩しいほどの陽の光が飛び込んでくる。
この世界に転移した直後には、深い闇に包まれた夜空のキャンバスに輝く宝石のような星たちに感動を覚えたものだが、こうして降り注ぐ太陽に手をかざすのもまた素晴らしいものだった。
そうして、主人から手渡された冷たいエールを口に含みながら、追加した注文の焼き上がりを心待ちにしていたユンゲが、小さな口で串焼きを頬張るマリーやキーファの様子に目許を緩ませていたときだった。
「――失礼、少しよろしいでしょうか?」
背後から呼びかけられ、やけに腰の低い客引きだな、とおざなりに振り返ったユンゲの目に映るのは、絢爛華麗な漆黒の全身鎧に真紅のマントを纏い、身の丈ほどもある巨大な二振りのグレートソードを背に担ぐ、偉丈夫の立ち姿だった。
得体の知れない威圧感を前に一瞬たじろぎかけたユンゲだったが、その戦士の名に思い至ってやや上擦った声を上げる。
「あれ、モモンさん。奇遇ですね、こちらにいらしていたんですね」
「えぇ、先ほど着いたところなのですが、見知った顔をお見かけしたので――」
気安い調子で答えた“漆黒”のモモンが半身の姿勢をとれば、大きな背に隠れていた“美姫”ナーベが、少し硬い表情で小さく顎を引くのが見えた。
大仰な二つ名に違わない美貌のナーベからは、相変わらず愛想の一つもみせてもらえないが、以前にナーベからの問いを曖昧な受け答えではぐらかしてしまったユンゲなので、あまり良い印象は持たれていないのだろう。
「そうでしたか、お声がけいただきありがとうございます」
最上位冒険者でありながら、ゴールド級に過ぎないユンゲたちにまで気をかけてくれるモモンは、やはり英雄と呼ばれるに相応しい人格者のように思われた。
少しばかり気後れする気持ちでナーベに軽く目礼をしつつ、ユンゲはモモンに向き直る。
「いえ、お気遣いなく」と朗らかに笑うモモンの細いスリット越しの視線は、ユンゲの肩越しに串焼きを口にしていたキーファとマリーの二人を窺っているような気がした。
ふと思い出せば、先にエ・ランテルの冒険者組合で開かれたカッツェ平野におけるアンデッド討伐のための会合には、リンダとユンゲだけが参加していたので、二人とモモンは初対面になるはずだった。
「――あ、紹介しておきますね。私のチーム仲間で、野伏〈レンジャー〉のキーファと森祭司〈ドルイド〉のマリーです。以前ご挨拶させていただいたリンダと私を加えた四人で、冒険者チーム“翠の旋風”として活動していますので、今後ともよろしくお願いしますね」
ユンゲからの唐突な紹介に慌てて口許を拭った二人が、モモンの傍に歩み寄って恐縮した様子で「よ、よろしくお願いします」と何度も頭を下げれば、キーファとマリーに応じて「こちらこそ、よろしくお願いしますね」と丁寧に握手を交わすモモンに、ユンゲは改めて好感を覚えた。
興味もなさそうに佇んでいたナーベから二人への対応はやはりつれないものだったが、ユンゲにみせるよりは幾分か柔らかい感じもあった。
挨拶を終えて傍まで戻ってきたマリーからは、紹介するタイミングを考えてくださいとでも言わんような抗議の視線を向けられるが、ユンゲは努めて無視をするにしてモモンに疑問を投げかける。
「ところで、モモンさんはどうして帝都へお越しになられたんですか?」
「えぇ、実はある依頼を受けてのことなんですが――」
「……新しく発見された遺跡を調査する、先遣隊の護衛ですか」
モモンの口から語られる如何にも“冒険者”らしい依頼の内容に、ユンゲは興味をそそられる。
何より、未発見という響きが良い。
少なくともジルクニフの誘いで配下となって息詰まりしそうな宮仕えをするよりも、よほど楽しめそうだとユンゲは僅かばかり身を乗り出す。
「はい。調査の初回ということで万全を期すためにも、複数チームの共同で依頼に当たることになっていまして――」
もし冒険者チームの枠が余っているのなら参加してみたいという気持ちがユンゲの中で芽生えるものの、アダマンタイト級の“漆黒”が名指しされたということは、やはり相応の危険を伴うということかと思えば、現状の“翠の旋風”では力不足かも知れない。
「実は、同行者の選定を任されているのですが、お恥ずかしながら帝国の冒険者組合には知己の方がいないものでして……」
さも面目ないというようにモモンが大仰にかぶりを振ってみせると、ばさりと払われた真紅のマントが、風を孕んでどこか優雅にはためいた。
些か芝居がかったような動きも、演者次第ではこれほど様になるものかと、ユンゲは妙なところで感心してしまう。
「そこで、先のカッツェ平野で素晴らしい活躍のあったユンゲさんたちに参加してもらえたなら心強いと思いまして……突然、このような勧誘の仕方をするのも失礼かと承知しているですが、いかがでしょう。私たちとともに依頼を受けていただけませんか?」
まるで一流の舞台役者のように心地良く流れるモモンの口上に、思わず頷きたくなる気持ちをようやくと抑えたユンゲは、慎重に口を開く。
「……とても魅力的なお話なので、是非とも参加してみたいところなのですが、別件の依頼主に確認を取る必要がありますので、返事は少しだけお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
先の会談でジルクニフからは暫く帝都に滞在して欲しい旨を伝えられているし、何よりマリーたちとの相談なしにユンゲの独断で決めることはできない。
この世界がユグドラシルであったのならとりあえず参加してから考えてもいいが、実際に命の危険が伴うのなら遺跡の難易度等も含め、検討しなければいけないことはいくらでもあるはずだった。
「えぇ、勿論です。何分、急なお誘いでしたからね」
軽く肩を竦めて見せたモモンは、どこからともなく取り出した依頼の条件がまとめられた書状をユンゲに手渡し、「一週間後の出発を予定していますので、それまでにお返事をいただけるとありがたいです」と笑い、余裕のある態度を一切崩すことはなかった。
帝都で滞在するという宿の名を告げて、颯爽と去っていくモモンとナーベを見送ったユンゲたち“翠の旋風”は、手元の書状を皆で覗き込んで顔を見合わせるのだった。
*
「ユンゲは雨が嫌いなの?」
敷き詰められた石畳にできた小さな水溜りを避けながら、隣を弾むように歩いていたキーファからの問いかけに、ユンゲは「ん? そういう訳でもないんだけどな」と言葉を濁した。
「キーファは雨が好きなのか?」
「うーん、雨はそうでもないけど、雨上がりは好きだよ。なんかこう、空気がすっごく綺麗な感じがするから」
両手を大きく広げながら、くるくると回ってみせるキーファの楽しげな雰囲気に、ユンゲは口許を緩める。
明け方から帝都を包み込むように降り続いていた霧雨も、昼を過ぎる頃にはすっかりと晴れ上がっていた。
やおらと見上げてみれば、通りの左右から建ち並ぶ帝都の街並みに切り取られた四角い空は、いつもより高く抜けるように澄み渡っている気がしてくる。
なるほど、そんな楽しみ方もあるのかとぼんやりと空を仰ぎながら歩いていた足下――、ひっそりと口を開けていた水溜りに、バシャリッと足を取られてしまったユンゲは、思わず「うわっ」と踏鞴を踏んだ。
「ちゃんと、下を見とかないと危ないよー」
くすくすと笑いを堪えながら言い差すキーファは、相変わらず弾むように歩きながら、それでも軽やかな舞いのように水溜りを避けて進んでいた。
何となく恨めしい気持ちからキーファの様子を見つめてしまうが、余計に揶揄われてしまうだけかとユンゲは小さく溜め息をこぼし―――雨が降れば通りが泥濘となってしまうエ・ランテルとは違い、石畳の整備された帝都であったとしても――やはり雨は嫌いだと思いを新たにする。
そうしたユンゲの憮然とした態度に相好を崩したキーファは、目許を拭いながら気を取り直すように別の話題を振ってきた。
「ところで、魔法省に行けば会ってもらえるのかな?」
「ん? まぁ、スクロールの件もあるし、大丈夫じゃないか。あんまり会いたくはないけど……」
ユンゲの諦めの滲んだ声音に「あの勢いで迫られるとね」と同意を示すように、キーファはわざとらしく肩を落としてみせた。
モモンから誘いを受けたユンゲたち“翠の旋風”は、宿へ戻ってから話し合いの結果、特に揉めることもなく依頼へ参加することを決めた。
未発見だった遺跡を見てみたいという、ユンゲの気持ちをチーム仲間の皆が多分に汲んでくれた故の決定ではあったが、依頼の内容も遺跡への潜入ではなく道中の護衛と拠点の防衛が主であったため、危険性は低いものと思われた。
残された問題は、帝都に留まって欲しいというジルクニフからの要請であったが、強制力のあるものではなくとも、帝国の最高権力者からの言葉を無下にすれば、思いがけない場面で不利になりかねないということで意見は一致した。
皇帝であるジルクニフとアポイントもなく会って了承を得ることは難しくとも、魔法の探究にこそ熱心なフールーダなら多少は説得もしやすいだろうとの見立てから、帝国側の了承を得るためにユンゲとキーファの二人は、雨の上がった昼過ぎに帝国魔法省へと向かっていた。
いざとなれば、この世界では珍しいというスクロールの一つでも渡してしまえば――あの狂気めいた態度にさえ目を瞑れば――問題はないという目論見もある。
「でも、リンダとマリーが羨ましいよ。私にも魔法の才能があったらなぁ」
肩を落としていたキーファのぼやきに、ユンゲは「勘弁してくれ。それじゃあ、俺が一人で会いにいかないとダメになる」と肩を竦めてみせた。
本来なら弁舌の立つリンダを連れて交渉に行くべきなのだろうが、残念ながらマリーとともに魔法の研鑽をするために宿に残っている。
ユグドラシルであれば、レベルアップとともに新しい魔法を覚えることができたものだが、この世界において新しい魔法を習得するためには、師匠となる人物から教わったり、市販のスクロールを読み解いて、自らと契約した媒体――魔導書などに魔法の公式を特殊な方法で刻み込む必要があるらしい。
そして、無事に習得できた魔法にしても、媒体に刻み込んでから自分の力として馴染むまでには時間を有することや基準となるレベルに到達するといった何かしらの条件を満たすまで使用できない、といった様々な制約もあるらしく、ゲーム内と比較したなら魔法の習得はかなり困難なものであるようだった。
先日のジルクニフとの会合において、いくつものスクロールを所持していることを知ったリンダとマリーから懇願――正しく懇願だ。フールーダの鬼気迫るような「返答は“イエス”しか認めない」といった脅しめいたものではない――を受けたユンゲは、手持ちの第一位階から第三位階に属する魔法のスクロールを広げて、二人に好きなように選んでもらった上で、いくつかのスクロールを譲り渡していた。
リンダから魔法について簡単な説明を聞いたときには、もっと早くにスクロールの存在を教えておくべきだったと思ったものだが、この世界における魔法習得の仕組みを知らなかったのでは、仕方のないことだったともユンゲは思う。
そうして、新しい魔法を習得するためにスクロールを読み解くのに忙しいリンダとマリーは宿に残ることになったのだが、あの魔法狂いな爺様ともう一度会うことにストレスを感じずにはいられなかったユンゲは、後生だとばかりにキーファを強引に引き連れて、都合二人で帝国魔法省に向かっているのだ。
「まぁ、キーファが一緒に来てくれて助かるよ。埋め合わせはするから、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「うーん、別に気にしなくて良いんだけど……。何か思いついたらお願いするね!」
口許に立てた人指し指を添えてしなを作ってみせたキーファが、たたっと駆け出すと後ろ手に括った短めのポニーテールが元気に跳ねた。
数歩先から振り返り「早くいこーよ!」と呼びかけてくる嬉しそうなキーファの笑顔を追って、ユンゲは雨上がりの帝都を軽い足取りで進んでいくのだった。
現地での魔法の習得については、Web版の記述とニニャのタレントからの独自解釈となりますので、ご了承ください。