「お話は承っております」と丁寧に応対してくれた受付の男が、仕立ての良いシャツの襟を正して言葉を続ける。
「すぐにご連絡いたしますので、あちらのラウンジにてお待ちいただけますでしょうか」
男の和やかな笑顔とともに示された方へ、やおらとユンゲが目線を向ければ、如何にも高級そうな内装の施されたバーラウンジには、優雅な革張りの椅子が五十席ほど並べられており、中央に設けられた舞台では竪琴を手にした吟遊詩人と思しき女性が、情感に溢れながらも静かな調べを奏でていた。
まだ昼前という時間帯のためか客入りは疎らな印象だが、そんな状況でも吟遊詩人を雇い入れているのは、帝都アーウィンタールにおける最高級の宿屋としての矜持からなのかも知れない。
深々とお辞儀をして見送る受付の男に軽く手を振ったユンゲは、傍らのリンダを促してラウンジの隅の方に並んだ椅子へと向かいながら口を開く。
「……なんか色々と凄いな」
「そうですね。こういった場所は、どうにも慣れません」
困ったような苦笑を浮かべるリンダに肩を竦めてみせながら、ユンゲは革張りの椅子に倒れるように座り込む。
勢いを柔らかく受け止めてくれた座り心地に軽い驚きを覚えつつ、「アダマンタイト級は、こんな宿屋に泊まるもんなのか……」とユンゲは軽い溜め息をこぼした。
ようやくの苦行を経てフールーダに帝都を離れる了承を取りつけた翌日、ユンゲは遺跡調査の護衛依頼に参加する旨を伝えるため、リンダを伴って以前に大広場で聞いた“漆黒”の二人が滞在しているという宿屋を訪ねていた。
昨夜から続いた大宴会の後遺症によって、キーファとマリーは宿屋で二日酔いに頭を抱えながら唸っていることだろうが、先ずは共同依頼に誘ってくれたモモンへの返答を優先しようとリンダと話し合った結果――普段は慈母のような優しさを持つリンダも、自己管理には意外なほど厳しい性格であり、ユンゲが回復魔法をかけようとするのを止めて、それぞれに反省を促していたほど――なので、自身の許容量を省みなかった二人には、可哀そうだが我慢をしてもらうほかにない。
転移前の世界で出会っていたのなら、ユンゲもまたリンダからの説教コースになっていたはずなので、底なしの胃袋を持つこのハーフエルフの身体には感謝しかない。
そうして、苦しそうな様子に後ろ髪をひかれながらも、モモンから聞いた宿屋を訪れ、入り口に控えていた革鎧姿の警備兵から「然るべき紹介のない方は宿泊できない」と止められたときには、どうするべきかとユンゲは頭を抱えたものだが――、見事に切り出された石造りの高級感の漂う外観を前にし、大理石の敷き詰められたエントランスホールや素人目にも分かるほどの豪華な内装を一瞥すれば、冒険者組合で紹介してもらうような場末の宿屋と対応が違うのも当然なのだろうと思い直した。
幸いなことにモモンから話が通っていたらしく、ラウンジで待たせてもらうことはできたものの、おいそれと触れられないような高級品に囲まれていては、どこか気持ちが落ち着かない。
もともと小市民に過ぎなかったユンゲとしては、いつか皇帝と対面する破目になった帝国魔法学院の応接間で感じたような、息の詰まる雰囲気にも通じるものを覚えてしまう。
「金持ちはこういう場所で、寛げるもんなのかな?」
「どうなのでしょうか……。私としては自然の樹々に囲まれていた方が、よほど気分が安らぐものですが――」
本来なら森とともに暮らす森妖精〈エルフ〉らしい物言いをするリンダに、思わず頬を緩めながら同意を示したところ、ユンゲの視界の端に煌びやかな装飾の施された漆黒の全身鎧が映る。
内心の焦りを表に出さないように急いでユンゲが立ち上がれば、察したリンダもまた出迎えの姿勢を取っていた。
颯爽と足早にこちらへ歩み寄ってくる偉丈夫に向けて、ユンゲが「おはようございます」と軽く頭を下げれば、「やぁ、お待たせしてしまい申し訳ない」と“漆黒”のモモンは、気さくな口調で返してくれる。
モモンの一歩後ろから従者のように寄り添う“美姫”ナーベにも礼をしてみるものの、こちらは僅かに顎を引くだけで視線も合わせてもらえないが、こうした反応も慣れたものなのでユンゲに思うところはない。
「――いえ、事前にお約束もせず、お伺いしてしまったのは私たちですから、お気になさらず」
「そう言って頂けると有り難いのですが、元々こちらからお誘いしているので――」
モモンとお互いに「こちらこそ……」と口にしながら頭を下げ合うことに、ユンゲは何とはなしに懐かしさを覚えていた。
そんな二人を遠巻きにしたリンダが、どうしたものかと視線を巡らせている一方で、ナーベは我関せずといった具合に傍観している姿が横目に見える。
「――あ、ところで何かご注文はされましたか?」
不意にモモンから問いかけられ、ユンゲは「いえ、雰囲気に圧倒されてしまって……」とかぶりを振って否定した。
「そうでしたか。ここの飲み物は、全てサービスになっていますので、ご遠慮なく」と口にしながら、モモンは慣れた手つきでウェイターを呼び寄せて、ユンゲとリンダの前にメニューを広げてくれるのだが――、おそらく帝国文字で書かれているらしいメニューにユンゲは思わず固まってしまう。
ユンゲの縋るような気持ちで見つめた先、優雅に腰かけたモモンが「私は、アイスマキャティアを頼む」と言い差し、横に座ったナーベも「私も同じものを、ミルク多めでお願いします」と恙なく注文を取り付けていた。
出会ってからこれまでほとんど隙も見せず、モモン以外の人間を一切たりとも寄せ付けようとしないナーベが、“ミルク多めで”とどこか可愛らしい注文をしていることに意外な好感を覚える余裕すらなく、ユンゲは「私も同じアイスマキャティアをお願いします」と勢い込んで口にしていた。
エ・ランテルを拠点に活動しているので帝国の文字は読めない、などと言い訳はいくらでもできるのだが、ユンゲとは対照的に落ち着いた様子で注文をするリンダに僅かな羨望を覚えてしまう。
(……文字が読めないとやっぱり不便だよなぁ)
英雄たるモモンの前で不恰好な真似は見せられないと、ユンゲは大きく呼吸をして息を整えようとしてみるのだが、抑え切れない動揺のために初体験であるアイスマキャティアの味も碌に分からないまま、“翠の旋風”と“漆黒”の共同依頼に関する打ち合わせは始まるのだった。
*
まだ陽も登らない薄明の頃、帝都の中でも閑静な区画に位置するフェメール伯爵の邸宅の敷地内には、常にないほどの多くの人影が見受けられた。
夜半過ぎから頭上に浮かんでいる、月明かりだけが頼りとなる暗がりの中でも良く目を凝らしたのなら、それらの人影は皆それぞれに統一性のない剣や鎧で武装していることが分かるだろう。
権威や形式を誇示するために規格の揃えられた装備で着飾る騎士や軍士とは異なり、およそ貴族の邸宅に詰めるには似つかわしくない装いに身を包んだ者たち――遺跡調査の護衛として雇われた冒険者たちは、忙しない様子で大量の物資を馬車の荷台へと積み込む作業を行なっていた。
「……結構な量があるんだな」
「かなりの人数がっ、参加するみたいですからねっ!」
軽々と荷物を受け渡すユンゲの隣で、一言ずつ声を張りながら荷物を運び込んだマリーが、「……ふぅ」と絞るように息を吐いて額の汗を拭っていた。
冒険者稼業に身を置いているものの、信仰系魔法詠唱者であるマリーの身体能力は――平均的な女性よりも優れているだろうが――さほど高くはないので、ユンゲの胸ほどしかない小柄な背格好と相まって、子どもが無理に頑張っているような健気さがある。
「……重いのは俺に任せてくれれば良いぞ」
助け舟のつもりでユンゲは口にするが、マリーからは「いえっ、大丈夫です!」と気丈な言葉が返ってきた。
先日、また酒に酔い潰れてしまった一件の失態を取り戻そうとするかのように、ここ数日のマリーは依頼の準備を献身的に担っていた。
今回の依頼には、遺跡への潜入を担う請負人〈ワーカー〉が五チームと護衛役の冒険者がユンゲたち“翠の旋風”を含めて三チーム参加することになっており、馬車の御者たちを加えれば、調査に赴く総員は三十人を超える大所帯である。
現地での調査に三日間と移動日等の余裕を勘案して都合一週間分の備えが、依頼主であるフェメール伯爵によって用意されているので、積み込む荷物もそれなりの量だ。
妙なところで見栄を張りたがる生来のあるマリーだが、本当に無理なときに頼ってくれるのなら構わないかと、ユンゲは軽く肩を竦めて次の荷物を担ぎ上げながら、荷台の先に繋がれた巨躯の馬影――八足馬〈スレイプニール〉に意識を向けた。
その名が示す通り八本もの脚を持つ馬のような魔獣であり、筋力や持久力のほか移動力にも優れるため、軍馬五頭以上という破格の値段で取引されるらしく、大貴族でも簡単に保有できないという話だった。
二頭立ての幌馬車が三台分も用意されているので、今回の遺跡調査のために合計で六頭もの八足馬を買い求めたということになる。
如何に一週間分の食料や遺跡攻略に用いるマジックアイテム等を運ぶとは言え、これほどの過剰とも思える投資は、やはり帰途に多くの遺跡で入手したアイテム等を牽引することが想定されているためなのだろう。
わざわざ最高位冒険者のモモンに依頼を持ち込んだことを踏まえれば、フェメール伯爵の今回の依頼にかける本気度合いが分かるというものだ。
そうして、未踏破の遺跡に思いを馳せながら、ぼんやりと明るくなり始めた東の空へユンゲが目を向けたときだった。
先ほど挨拶を交わした伯爵家の執事が、大勢のワーカーを先導しながら馬車の方へと向かってくるのが見えた。
これまでのところ、フェメール伯爵本人は姿を見せていないが――ジルクニフやフールーダとの対面によって、上流階級の人間に苦手意識を感じているユンゲとしても――下手に貴族連中と会わないで済む方が気も楽だった。
何気なく視線を巡らせれば、ワーカーたちはチームごとに四人から五人ほどの連れ合いとなって談笑している様子が見える。
マリーたちと出会うことになった経緯から、ワーカーに対して悪感情を覚えているユンゲだが、荒事専門の便利屋といったイメージに反して互いに仲間意識はあるのかも知れない。
「……命を預けることになるなら、その方が自然だよな」
マリーたちの置かれていた境遇に、ユンゲは今更ながらの憤りを覚えるが、こればかりはどうすることもできないだろう。
そうした押し寄せてくる感情を誤魔化すように、無理矢理と荷運びを再開したユンゲの耳朶をワーカーたちの言葉が震わせた。
嘲笑うように、「護衛がゴールド級では頼りない」と野卑た声を上げたのは、何というワーカーチームの一員だっただろうか。
今回の調査のためにミスリル級相当の実力者が集められたというワーカーたちから見れば、ユンゲたち“翠の旋風”はもとより、ともに依頼を受けるバハルス帝国の冒険者チーム“スクリーミング・ウィップ”も、ゴールド級という格下チームに過ぎないので、侮りたくなる気持ちもあるのだろうが、ともに依頼へ赴く相手への配慮を欠いた振る舞いには苦笑するしかない。
「こんな連中に期待するだけ無駄か……」
吐き捨てるように口にして、ユンゲは次の積荷を持ち上げながら踵を返した。
急速に冷めていく空気には注意を払わないままユンゲが荷台へと向かえば、場を取りなそうとした執事の男が、様々な表情を浮かべるワーカーを前に漆黒の二人を紹介しているようだった。
アダマンタイト級という最高位冒険者の肩書きは、無法者揃いのワーカーに対しても、やはり影響力があるらしいと渋面を浮かべつつ、小さな溜め息をこぼしたユンゲは、あまり褒められたことではないと思いながらも、ワーカーへの対応は全てモモンに任せてしまおうと勝手な腹積もりを固めるのだった。
ワーカーと距離を置いたままに黙々と荷物の積み込みをしていれば、モモンとワーカーたちとの会話が聞くともなく聞こえてくる。
何のために遺跡へ向かうのかと問うモモンに、ワーカーの一人が「金のためだ」と言い切った。
あまりに俗っぽい答えには辟易とする思いだが、ユグドラシルの延長線上のような考えで新しい冒険に胸を躍らせるユンゲの方が、この場においては異端なのかも知れない。
最初にモモンから遺跡調査の護衛と聞いたとき、ユンゲは考古学者のような研究職に従事する人間を連れていくものかと早合点していたものだが、危険なモンスターの跋扈する世界においては、転移前の世界における認識は通用しないらしい。
何となく墓荒らしの片棒を担いでいるような居心地の悪さを感じてしまうが、この転移後の世界における倫理観に従うのなら――実際に生息するモンスターも不明な状況にあって命の危険を伴うのなら、リスクに見合うだけのリターンが必要だという――彼らのようなワーカーたちの言い分こそ正しいのだろう。
どこか釈然としない思いを抱きながらも、気を紛らわせようとユンゲはかぶりを振った。
ユンゲが気持ちを静めている間にも会話は進み、使い込まれた長槍を手に、「――主か桁外れに強いという噂の真実を儂らの前て見せてはくれんかね?」と申し出た一人の年老いたワーカーの提案によって、モモンとの手合わせが決まったらしい。
周囲の者たちも察しているように、勝敗は始まるより前に決まっているようなものだが、これまでモモンの戦う姿を実際に見たことのなかったユンゲとしては、大いに関心があった。
武器を振るうために場所を変えるらしく、ワーカーばかりでなく冒険者や執事までもがぞろぞろと二人に連れ立って歩いていく。
「ユンゲさん、私たちも見に行きましょう!」
慌てた様子で手を引くマリーに一つ頷きを返し、ユンゲもまた後に続くのだった。
*
「やっぱりアダマンタイト級の方って、凄いんですね」
ユンゲの傍らで、モモンと老戦士の一戦を眺めていたマリーが嘆息するように言葉を紡いだ。
「……というより相手がなぁ、流石にあの老人には無理だったんじゃないか」
二人の歴然とした実力差の前に、モモン本来の戦い方――背に担いだ二振りのグレートソードを凄まじい膂力で自在に振るうという強者の姿――を見ることすら叶わなかった思いから口にするが、マリーには何とも言えないような曖昧な笑みを向けられてしまう。
戦場で扱う本物の槍の連撃を手にした只の棒切れだけで、軽々と捌いてみせたモモンの腕前に敬意を示すつもりで、「まぁ、良い気分転換にはなったよ」とユンゲは肩を竦めてみせた。
大勢の観衆に見守られながら手合わせを終え、満足そうな笑みを浮かべるワーカーが、「荷運ひなんて他の者にやってもらったらとうしゃ?」と冗談めかすが、「与えられた仕事はしっかりとこなすべきだ。それに彼らとて、確かな実力を持っている」と受け答えるモモンは、さも当然といったように言葉を口にしているのが見える。
これから一週間ほどの依頼を共にするのだから、モモンの力を見せてもらう機会はあるだろうとユンゲは気持ちを切り替える。
そうして、最高位冒険者にこそ相応しい振る舞いを見せるモモンに好感を新たにしながら、恐縮する思いで荷運びに戻ろうとしたユンゲが踵を返しかけたときだった。
不意に、背後から呼びかけられた「ユンゲさん」という声に思わず足を止めていた。
「――宜しければ、私とここで模擬戦をしていただけませんか?」
首だけで振り返ったユンゲの視線の先、帝都アーウィンタールを囲う高い城壁の向こうに昇りゆく、燃え立つように輝く朝陽を背にした漆黒の戦士が、抜き放った二振りのグレートソードを手に悠然と立つ姿があった。
言わせてみたかった台詞:
アインズ様「PVPだ!」