オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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馬の耳に念仏とか、馬耳東風とか慣用句的には碌な使われ方をしないものの、馬ってかなり遠くの音まで聞き分けられるみたいですね。


(30)馬耳 

「なんか、拍子抜けだったね。あの遺跡のこととか、もっと色々なこと訊かれるのかと思ってた」

「……だな。また長いんだろうな、って身構えてただけになぁ」

 溜め息とともにユンゲが同意を示せば、数歩先で小さく肩を竦めてみせるキーファの、後ろ手に括った栗色のショートポニーが小さく弾んだ。

 緊張から解き放たれた後に訪れる、どこか気怠いような感覚に顔を顰めたユンゲは、凝った身体をほぐすように大きく伸びをしながら背後を振り返る。

 周囲の建物よりも一際高い塀の向こう、更に天高く伸びる帝国魔法省の尖塔を見上げれば、上空を旋回する皇室空護兵団の影が警戒のためだろうか、以前に訪れたときよりも多く目に映った。獅子の体躯に大鷲の頭と翼を持った、飛行魔獣の優雅な飛び姿をぼんやりと眺めていると――、

「未知の遺跡よりも、“漆黒”のお二人に関心があるようなご様子でしたね」

 やや躊躇ったように口を開いたのはリンダだった。

「……モモンさんたちも、いきなり皇帝陛下様とご対面させられるのかもな」

「確かに……そうですね。あの方々なら問題はないでしょうが、念のためにお伝えして置いた方が良いかも知れませんね」

 帰還の報告のために訪れたユンゲたちを迎えたフールーダは――先の嫌な予想とは異なり――その風貌に相応しい理知的な佇まいで、こちらの話に耳を傾けてくれた。

 あまり口にしたくはなかった、請負人〈ワーカー〉たちに関する経緯を最小限に済ませることができたのは、ユンゲにとっても幸いだった。

 気になったことと言えば、リンダの指摘するように“漆黒”の二人に関連する話題に対するフールーダの反応が、やたらと大きかったことだ。

「でも、なんていうか……前みたいに根掘り葉掘り訊き出してやる、って感じではなかったよね」

 上体だけでくるりと振り返ったキーファが、しなをつくるように小首を傾げる。

 キーファの言葉に思い返してみると“漆黒”の二人について訊ねるフールーダの様子は、敬意に溢れたと言うべきか、どこか憧れの人について知りたがる少年のような――稀代の英雄と称されるに相応しい立ち振る舞いに魅了された、ユンゲ自身がモモンに抱いている憧憬の気持ちにも通じるような――純粋さを孕んでいる印象さえ覚えたものだ。

 モモンの圧倒的な実力を一端でも知るユンゲとしては、その気持ちを理解できなくもないのだが、二百年のときを生きて“逸脱者”とまで呼ばれ、バハルス帝国の首席宮廷魔術師の地位を授かる要人の在り方としては、些か思慮に欠けた態度だったようにも思える。もっとも、初めて対面した帝国魔法学院での出来事や先日の一幕を顧みれば、今更に過ぎるユンゲの感想かも知れないが――。

 僅かな違和感を覚えつつも、キーファに同意を示すためにユンゲが、一つ重々しく頷いてみせると傍らを歩いているマリーの横顔には、小さく苦笑いが浮かんでいた。

「いや、本当に酷かったんだぞ。質問の度にドンドンと距離を詰めてくるから、最後には壁際まで追い込まれて――」

「そうそう! しかも質問するばっかりで、碌にユンゲの答えも聞かないまま勝手に納得しちゃって、ずーっと叫び続けてるんだよ!」

 熱量を持ったユンゲの抗弁に、キーファまで勢い込んで参戦されてしまえば、突然の矛先を向けられてしまったマリーとしてはお手上げだろう。

「えっと……前のときは、よほど大変だったんですね」

 しみじみと言葉を紡いだマリーが、陰に隠れるようにそそくさとリンダの背後へと回っていく。

 リンダの腕をとったままに、こちらの様子を窺うようなマリーを見遣れば、少しばかり大人げない態度だったかも知れないと思わないでもないユンゲだったが、件の遺跡に感じた言い知れない怖ろしさと同じように、やはり実際に狂人〈フールーダ〉を体験した者にしか伝わらないものがあるはずだった。

 そんなユンゲの思いを知ってか知らずか、両手を顔の左右で構えたキーファが稚気を発揮して、マリーを驚かせるようにわざとらしく声を上げながら迫っていけば、いつの間にか呆れ顔のリンダを中心に据えた軽い追い駆けっこが始まっていた。

 これまでの境遇のためにどこか遠慮がちな姿勢の多かった彼女たちも、徐々に“らしさ”と言うべきか、本来の気質を取り戻しているような雰囲気に、ユンゲの口許は自然と緩んでしまう。

「……まぁ、何にせよ報告も終わりましたので、宿に向かいましょうか?」

 戯れ合うキーファとマリーを交互に眺めてわざとらしくかぶりを振ったリンダが、気を取り直すように落ち着いた口調で問うてくる。

「そうだな。身軽になったら、早いとこ美味いもん食いにいこーぜ」

 呆れたような雰囲気を醸しつつもどこか楽しそうなリンダの様子に、ユンゲは小さく肩を竦めてみせながら同意をするのだった。

 

 *

 

 依頼の出発前に買い込み過ぎた酒樽の倉庫代わりとして、宿屋の一室は借りたままにしていた。

 その手慣れた宿屋へと戻ったユンゲたちが旅装を解き、簡単な湯浴みと近場の酒場で夕食を済ませた頃には、眩いほどの夕陽を市壁の向こうに見送った帝都は、すっかりと夜の装いになっていた。

 人気の引いた路地の暗がりを照らす、淡い<コンティニュアル・ライト/永続光>の街灯を道なりに進みながら目で追っていく。

「……あんまり有力そうな情報は得られませんでしたね」

 いつもはサイドで括っている髪を肩ほどに下ろしたマリーが、やや伏し目がちに口を開いた。

 街中で噂になっていたドラゴンの真偽を確かめたいのも兼ねて、夕食には冒険者の入り浸る酒場を当たってみたのだが、思ったように情報は集まらなかった。

 先に予想できたことかも知れないが、冒険者たちの話題の中心は、帝都を訪れている新鋭のアダマンタイト級冒険者“漆黒”についてであり、依頼や討伐対象になりようもない謎のドラゴンに関心を寄せる者は少数派のようだった。

 もしも、この世界がユグドラシルのようなゲームの中であれば、未知を求めて新たな冒険を志す者も多いのだろうが、実際に生命を落とすかも知れない危険を冒してまで、英雄譚に挑むことのできる存在はひと握りの選ばれた者に限られている。

 それは、未知の遺跡を前に尻込みしてしまったユンゲとしても、良く理解できることだった。

「やっぱり、フールーダ様にお会いしたときにお話を伺ってみるべきでしたかね……ふふっ、冗談です」

 慌てて首を振るユンゲとキーファを見遣り、悪戯っぽく笑ってみせるマリーの頭を軽く小突きつつ、ユンゲは「うーむ」と思考に沈む。

 帝国で要職に就くフールーダならば、皇城内での出来事にも詳しいのだろうが、下手に藪を探ろうとして蛇――この場合はドラゴンなのだろうか――に出られては敵わない。

 酒場で話を聞いた限りでは、皇城への出入りが厳しくなっていることは確かなようなので、仮に帝国の体制側が何かを隠そうとしているのであれば、わざわざ深入りするような真似はしたくないというのが、ユンゲの素直な本音だった。

 何より情報提供してもらうことで相手に借りを作ってしまったなら、あの狡猾な皇帝――人の弱みに嬉々として付け込んでくる、正しく毒蛇のような――ジルクニフからどのような難題を吹っかけられるかも分からない。

「まぁ、目立った話題になってないってことは、とりあえず問題ないんだろうな」

 言外に関わりたくないという思いを滲ませつつ、ユンゲは込み上げてくる欠伸を噛み殺した。

 昼間の喧騒が懐かしくなるほどの静けさに包まれた帝都の街並みを歩いてみれば、穏やかな日常の様子は窺い知れる。

 ユンゲ個人としてはあまり良い印象を抱いていないものの、繁栄を享受する平和な帝都での暮らしぶりを思えば、“鮮血帝”とまで渾名される稀代の改革者の手腕は、確かなものなのだろう。

 強大なドラゴンのように、何か国を揺るがすような事態が起こったとしても、中枢たるジルクニフが辣腕を振るい、適切な対処をしてくれるはずだとさえ思える。

 旅疲れに様々な気疲れが重なり、久しぶりの酒精にじんわりと熱くなったユンゲの身体には、少しだけ肌寒さを感じる夜風が心地良く吹き去っていった。

 だらしなかろうとも宿屋に戻ったら誰に気兼ねすることなく、そのままベッドに倒れ込みたい気分だ。

 ふと何気なく隣を見遣れば、既にうつらうつらとしているマリーやキーファだけでなく、淑やかなリンダまでどこか辛そうに目許を拭う姿があった。

 ユンゲの視線に気付いたリンダが、少しだけ頬を染めて恥じるような素振りを見せるが、疲れているのは誰もが同じだろう。

「まぁ、この後は予定もないし、ゆっくり休もうぜ」と軽く笑いかけて、ユンゲは労うようにリンダの肩を叩いた。

 どこか冷たい印象の街路に点々と連なる柔らかな<永続光>を眺めつつ、一行は宿屋帰路をのんびりとした足取りで歩いていく。

 そうして、穏やかな気持ちを抱きながら憩いの場所へと辿り着いたとき、ユンゲの目の前に突然現れた恰幅の良い男は、誰何の声を上げる間もなく開口一番にこう言い放った。

「“翠の旋風”のユンゲ・ブレッター君だね。貴君に良い話を持ってきたよ」

 

 *

 

「本来なら、別の興行主と契約する者に話を持ちかけることは褒められたものではないが、貴君は奴の子飼いという訳ではないのだろう?」

 大仰な動きに合わせて、弛んだ両腕が何らかの意思を持ったように震えた。

 地肌が透けるほど短く刈り込んだ頭に、驚くほど小さなつぶらな瞳の男――バハルス帝国が誇る大闘技場において、最も優秀な興行主〈プロモ-ター〉の一人だと自ら名乗った商人――オスクが、真意を読ませない笑顔のままに、大きく胸を張ってみせる。

 闘技場と聞いて、反射的に以前の賭け試合についての意趣返しかとユンゲは身構えたものの、オスクが滔々と語ってみせた内容の中で、かの天才剣士の名は花形剣闘士を失った別の興行主の嘆き節、という形の笑い話としてだけだった。

 しかし、用件は分からないまでも、優秀などと自称するような連中に碌な相手はいないだろう、というのがユンゲの持論だった。

 葉巻の一本でも咥えていたら、大昔の任侠映画の中でも様になりそうなオスクから視線を外し、ユンゲはその背後に控える相手をちらりと一瞥する。

 特徴的なウサギ耳にメイド服を着た立ち姿は、ラビットマンの個体差を把握していないので自信はないが、昼間にも出会った彼女だろう。

 主人であるオスクの横柄な振る舞いに恐縮するような姿勢も、街中での印象に一致していた。

 宿屋のロビーに設けられた、簡単な来客用の座席にどっかりと深く座り込み、こちらを値踏みするような遠慮のない視線を向けてくるオスクの様子を前にすれば、リンダたちを先に部屋へ帰しておいて正解だったと考えつつ、ユンゲはわざとらしい溜め息で応じて問いを返した。

「……奴というのが誰のことかも存じませんが、ご高名な興行主さんが私のような者に、いったい何の御用でしょうか?」

 積み重なった疲労の中で、突然に宿屋まで訪ねてきたかと思えば、長々と話し始めるオスクに対して、ユンゲの抱いた第一印象は面倒そうな相手だった。

 四人で揃って宿屋まで戻ってきたにも関わらず、ユンゲ以外の三人を初めから相手にしないような態度にも思うところがあり、自然とユンゲの口調は慇懃無礼なものとなってしまう。

 そんなユンゲの心境に気付かないのか、或いは気付いた上で気にも留めていないのか、肥えた腹を揺らしながら朗らかに笑ってみせたオスクは、前のめりになって語調を強めてくる。

「――はははっ、余興の話はあまりお好きではないのかな? まぁ、単刀直入に言おう。近くに私の主催する闘技大会が開かれる。多額の賞金と“武王”への挑戦権を賭けた大きな大会だ。その大会に貴君を招待したい。無論、大会の賞金とは別に報酬も望む額を用意しよう」

 ひと息で言い切ったオスクの小さな瞳には、何か妄執のような情念が宿っているように見える。

 そんな様子を前に、ユンゲが僅かに覚えた既視感は、あまり心地の良いものではなかった。

「……見世物になるつもりはないですよ」

 勢い込むオスクとは対照的に、ユンゲは冷ややかな言葉を返す。

 闘技場に絡む一件では、その場の感情に任せて動いた結果、色々と現在進行形で面倒な事態に巻き込まれてしまっている苦い経験があった。

 多少なり報酬を積まれたとしても、現状で金銭的に困ってもいない。

「そして、貴君にはその大会で優勝してもらい、是非とも“武王”へ挑んで欲しいのだよ」

「――っ、はぁ? いや、大会に出場する気はないですよ」

 しかし、慌てるユンゲの返答が聞こえていないのか、鼻息を荒くしたオスクは取り憑かれたように捲し立ててきた。

「無敗を誇った元天才剣士を破り、猛者のひしめく大会を勝ち抜いた新鋭の青年剣士が、次代の希望を背負って最強の名を冠する“武王”に挑戦する! 万来の歓声と拍手が戦いに臨む両者を迎え、互いに全力を尽くした至高の決闘が幕を開けるのだ! 血湧き肉躍る最高のシチュエーションだと思わないかね?」

 自身の言葉に酔い痴れるように、いきなり立ち上がったオスクが大袈裟に腕を広げながら、闘技場の舞台で大歓声に応えるような素振りをみせる。

 否定の言葉を挟むことも忘れて呆然としてしまうユンゲを前に、ひと頻り妄想の中に耽っていたかと思えば、オスクはにこやかに過ぎる笑顔をユンゲに向け、「あぁ、でも私の舞台で魔法は使わないでくれ! やはり、強靭な肉体と鍛え上げた武器を手にして、努力を重ねた己の技巧を凌ぎ合う決闘こそ、戦いの本質なのだ! 魔法のように品のない小技など、興醒めも良いところだ!」などと次々と言葉を浴びせてくる。

 張り上げられる大声に、まるで戦いには不向きなオスクの弛んだ身体が揺れ、決して薄くはない床板を軋ませる嫌な音が、ユンゲの耳朶を震わせた。

「いや、だから俺はアンタの招待を受けるなんて一言も――」

 こちらの反応に少しも構うことなく、肉弾戦の素晴らしさを興奮気味に語り始めるオスクにかぶりを振り、ユンゲは力なく椅子の背もたれに倒れ込んだ。

 そして、先ほど覚えた既視感の正体を理解する。

(……この親父も、あの爺さんと同じか)

 まともに人の話に耳を傾けることもなく、勝手気儘に喚き立てる類いの面倒な相手――当人同士の趣味や思考は真っ向から対立しそうなものだが、魔法狂いのフールーダと同類のような存在との出会いに、ユンゲは両手で顔を覆い隠した。

(……このまま寝ちまおうかな)

 帝国の連中はこんな奴らばかりか、と諦めに似た心境で溜め息をこぼし、ユンゲは静かに天井を仰ぐ。

「ところで、貴君の腰に差している剣についてだが――」

 天井に取り付けられた<永続光>の揺らぐことのない照明が、また少しだけ瞬いたような気がした。

 

 *

 

 いくつも連なる蹄の音を響かせながら絢爛優美な幌馬車が、朝露に濡れた帝都アーウィンタールの石畳みを跳ねるような速度で駆け抜けていく。

 早くに目覚めて中央広場の朝市に向かっていた人々は思わず足を止め、皆揃って驚いた顔つきとなっていた。

 馬車の豪華な装いや速さもさることながら、牽引する馬影が滅多にお目にかかることのない八足馬〈スレイプニール〉と呼ばれる稀少な魔獣であったとしても、帝都に住まう人々がこれほど驚くことはなかっただろう。

 先頭の馬車にはためく真紅の掲揚旗――八百万もの人口を誇るバハルス帝国において、ただ一人の人物だけが掲げることを許される皇旗の存在が、人々の内に戸惑いを与えていた。

 即ち、バハルス帝国における最大権力者たる当代の皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが乗っているはずの馬車が、何者からか急き立てられるように慌ただしく走り去っていく不可解な光景に――。

 完全武装した皇族の近衛たる皇室地護兵団の騎馬が、両側を固めたままに追随する様は、まるで戦地に赴くかのような物々しさを孕んでいる。

 後続にも見事な馬車を引き連れながら、城門を抜けて街道の彼方に消えていく様を見送った人々のどよめきに、この場で答えられる者はいなかった。

 この数日後、バハルス帝国の本営より一つの宣言文が発布される。

 曰く、大魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン魔導王率いる“ナザリック”なる組織を国家として承認するとともに、バハルス帝国との同盟関係を締結したこと。

 そして、現在リ・エスティーゼ王国が不当に占拠しているエ・ランテル近郊を本来の所有者である、アインズ・ウール・ゴウン魔導王に返還することを要求し、実行されない場合には領土奪還と不当な支配から解放するために、正義に基づいた行いをする用意のある旨が示されていた。

 それは、バハルス帝国からリ・エスティーゼ王国に対する、事実上の宣戦布告となる宣言文であった。

 

 




先の展開で一つ描きたい場面があるですが、このペースで進めているとどれだけの時間がかかってしまうのか……。
気長にお付き合いいただければ幸いです。

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