明けましておめでとうございます。
相変わらずの更新頻度ながら、今年ものんびりとお付き合いいただければ幸いです。
帝都アーウィンタールの常宿から来客用として借りた応接室。
別行動を取っていたキーファとマリーに合流したユンゲは、最初に見かけたときより幾分か落ち着きを取り戻した様子のジャイムスに軽く目礼をし、「……協力者だ」と声をかけて女忍者を招き入れた。
それほど広くもない空間に都合六人も集まったのなら、多少なり息苦しくも感じるものだろうが、室内に満ちている張り詰めたような重たい雰囲気には、また違った居心地の悪さがあった。
小さめの文机を囲うように腰を下ろしたユンゲたちは、簡単な挨拶を済ませてから、情報提供者たる女忍者の口から語られる言葉に耳を傾ける。
嫌悪感を覚えずにはいられない内容に皆が顔を顰める寒々とした空気の中、気を利かせたマリーの淹れてくれた紅茶の温もりは有り難かった。
「……なるほど、邪神教団か」
女忍者の説明を咀嚼するようにして、ユンゲは深く息を吐いた。
「……便宜上、そう呼んではいるが、正式な名称は不明だ。未だ確かな証拠はないが、おそらく“ズーラーノーン”の下部組織という線が濃厚だろう」
軽く肩を竦めてみせる曖昧な態度とは裏腹に、女忍者は断定的な物言いで言葉を続けた。
「探りを入れていたこちらの手の者が、既に三名消されている。かなりの手練れ――奴らの幹部クラスの実力者が、裏で糸を引いているはずだ」
抑揚に乏しく、感情を悟らせない女忍者の冷めた声音が、却って内に秘めた激情を孕んでいるかのように耳朶を震わせる。
女忍者が口にした“ズーラーノーン”という組織名に、聞き覚えのあったユンゲは記憶を呼び起こすように瞑目した。
この世界に転移して間もない頃、エ・ランテルの共同墓地で発生したアンデッド騒動――ユンゲ自身も冒険者として参加した、過酷な都市防衛戦――における二人の首謀者が、悪の秘密結社と称される“ズーラーノーン”の幹部だったという話は、後に交流を持ったミスリル級冒険者チーム“虹”のモックナックから伝え聞いている。
集まった冒険者や衛兵の奮戦、何より“漆黒の英雄”と“美姫”の活躍によって事なきを得たものの、万一の場合にはエ・ランテルが壊滅していたかも知れないほどの事態だったとも――。
「あ、あの悪魔の組織がですか!? では、若き魂の贄というのは……」
同じ席に着いていたジャイムスが顔を青ざめ、弾かれたように立ち上がる。
否定してほしいと縋るような問いかけに、女忍者は一つ小さく頷いただけで視線を外し、ユンゲの方へと向き直ってしまう。
力なく椅子に倒れ込み、両手で頭を抱えるようにして慟哭する老いた執事の姿を見遣れば、何か一声でもかけるべきかと逡巡するが、気休めの言葉しか浮かんでこない。
「その教団の集会が、今日の深夜にあるんだな? ……そこで邪神に“生贄を捧げる儀式”が開かれる、か」
慰めの代わりに女忍者への問いを重ね、ユンゲは文机に広げられた墓地の見取り図に目を向けた。
「確証はない……が、いつまでも捧げるべき供物を囲っていては、面倒なことになりかねない。そうした危機管理にだけは、聡い連中だ」
嘲りの調子を含んだ女忍者の声音。
思わせ振りな口調に微かな引っ掛かりを覚えるユンゲだが、関心は教団によって墓地に設けられたという秘密の集会場――姉妹の監禁場所とも予想される地下の隠し部屋――に向けられていた。
帝都の外縁に位置する墓地の中央、霊廟から地下に伸びるとされる細い隠し通路の先には、いくつかの小部屋とかなり広い空間の存在が見て取れる。また、対辺の壁からも同じような通路が描かれており、こちらは帝都の中心街へと続いているらしい。
どうにか儀式の前に集会場へと突入して制圧するにせよ、もう一方の通路から逃げられてしまっては意味がない。
確認できている二つの通路だけでも押さえてしまいたいところだが、少ない戦力を分散するには不安もあった。
姉妹の救出を優先するなら、先ずは手前の小部屋から探りを入れてみるべきだろうか。隠密系の魔法を用いれば、多少の無茶も許されると願いたいものなのだが――。
「……何か、気になることでもあったか?」
見取り図を眺めながら思考に耽っていたユンゲは、不意の女忍者からの問いに顔を上げた。
「……いや、これだけの情報の見返りに、何を求められるのかと怖くなってな」
嘘とも本音ともつかない軽口を叩きつつ、ユンゲは肩を竦めてみせる。
こちらを観察するように冷徹な眼差しを向けてくる女忍者が、稀代の皇帝にして“鮮血帝”とまで畏怖されるジルクニフの指示で動いている以上、その思惑がどこにあるのかは事前に確かめて置きたい。
「差し当たっては何もない。まぁ、これは双方に利のある取引だと考えてもらって構わない……と言っても、簡単には信用できまい」
訝るユンゲの視線を事も無げに受け流し、女忍者は書状を読み上げるような気安さで滔々と言葉を続けた。
「先ず、邪神の信仰者についてだが、情けないことに多くは帝国で貴族位を授かる者たちだ。改革における粛清の恐怖が浸透している現状、表立った連携を見せている訳ではないが、その潜在的な影響力は無視できない規模になりつつある」
女忍者の紡ぐ言葉は、そのままにジルクニフからの言葉なのだろう。
「――だが、腹立たしいことに現時点では教団を糾弾するに足る根拠もない。“鮮血帝”とかいう愚か者が、考えなしに貴族を減らし過ぎたせいで、帝国の人手不足は深刻だからな」
わざとらしくかぶりを振ってみせる仕草に、人を食ったようなジルクニフの尊大な振る舞いが重なって幻視される気がした。
現状では教団に参加している貴族を粛清するまでには至らないが、将来的な叛乱の芽を摘み取るためにも、邪教の影響力が顕在化する前に力を削いで置きたい、という考えなのだろう。
「そんな話を部外者の俺たちに――」
聞かせてしまって良いのか、と問いかけたユンゲは自らの迂闊さに思い至り、途中で口を噤んだ。
「……当然ながら、他言は無用だ」
分かり切った答えをもっともらしく宣ってみせる女忍者の小憎らしい笑みに、思わず舌打ちがこぼれた。
沸々とした苛立ちを誤魔化すように、ユンゲは紅茶の注がれたカップにやおらと手を伸ばす。
少なくない貴族が邪教に傾倒している事実など、帝国の体制側にとって頭の痛い醜聞でしかないが、一介の冒険者に過ぎないユンゲたちに知られたところで問題にはならない。
政治的に利用されることもなく、公表されたところで証拠がなければ意味をなさないのだから、端に無視をするだけで問題はない。そして、帝国の醜聞を広げることで、ユンゲたちに何らかの恩恵がある訳でもない。
一方で、表向きは教団を取り締まるつもりがない、という統治者としての考えを伝えてきたのだから、この場でユンゲが提案に乗らなかったとしても虜囚になっている幼い姉妹は捨て置かれるだけなのだろう。
ユンゲたちが姉妹を救い出そうとするのならば、女忍者のもたらした情報の真偽や思惑を確かめる以前に、奴隷市場で出会って話を聞いてしまった時点で、ジルクニフからの取引に応じる以外の選択肢は残されていなかったことになる。
「……その情報が嘘だったら、覚悟しとけよ」
せめてもの強がりで口にするが、傍目には膳立てされた舞台の上で踊らされているだけの道化師に見えたかも知れない。
自嘲に口許を歪めるユンゲを見遣り、切れ長の瞳の奥に苛虐心を宿らせた女忍者が、「……良い取引になりそうだな」と一つ満足そうに頷いた。
「まぁ、そう邪険にするな。私個人としても、無闇に部下を失い続ける訳にはいかないから、お前の助力には感謝してやるぞ」
明け透けとした女忍者の言い様には、悪態の一つでも返したくなるところだが、少し冷めてしまった紅茶を口に含んで言葉を飲み込む。
ささくれた心を落ち着かせるように時間をかけながら、ユンゲは文机を囲うキーファやリンダ、マリーたち翠の旋風の仲間に目を向けた。
ジルクニフの狙い通りに動かされるのは些か癪であっても、ユンゲでは他に妙案は思い浮かばない。
「……皆もそれで良いか?」
ユンゲが短く問いかければ、「はい、問題ありません」と心強い言葉が返ってくる。
微塵の躊躇いもない清々しい響きに、ユンゲは小さく息を吐いてから、女忍者に向けて右手を無造作に差し出した。
「……取引成立だ。釈然としないが、今回は協力させてもらう」
ぞんざいな握手を女忍者と交わして、再び墓地の見取り図へと目を落とす。
不本意な展開であっても、共同戦線により墓地に潜む邪神教団を襲撃することが決定したのなら、姉妹の救出に全力を尽くすまでのこと――考えるべきは姉妹を助け出した後、バハルス帝国の貴族社会にまで根を張るほどの厄介な組織“ズーラーノーン”を敵に回して、どう立ち回るべきなのか。
自衛の力を持たない老執事や幼い姉妹を守り続けるには、正直なところ限界があった。帝国を離れてしまう方法もあるかと思い描いてみるが、エ・ランテルにおいてもアンデッド騒動を引き起こしていたことを考慮したなら、仮に他国へ移住したとしても不安は残るだろう。
「……そうだ、一つ言伝を忘れていたな」
思考に沈みかけたユンゲの意識を女忍者の発した抑揚のない声音が引き戻す。
まだ何かあるのか、と胡乱な視線を向けるユンゲを揶揄うように、目許を緩めた女忍者は勿体振るように口を開いた。
「……なに、老人と子ども二人分くらいの食い扶持には、用意があるそうだ。身の安全も保証しよう――だったかな」
くつくつと喉の奥で笑ってみせる女忍者の様子に、ユンゲは思わず脱力してしまう。叡智に長けた狡猾な皇帝はどこまでもお見通しらしい。
行き場のない感情を持て余すように、ユンゲは椅子の背へと倒れ込む。
何気なく伸ばした手に掴んだカップには、もう紅茶が残されていなかった。最早、溜め息をこぼすだけの気力さえ湧いてこない。
一層のこと全てはジルクニフの策謀によって仕組まれていた、とでも説明された方が納得できるというものだろう。
「…………行くか」
そうして、半ば投げやりな思いで口にしたユンゲは、短時間で疲れ切った心を引き摺るようにしながら、ようやくと立ち上がるのだった。
*
薄曇りの夜空からは頼りない月明かりのこぼれるばかりだが、魔法の光源に照らされる墓地の整然とした佇まいに不気味な雰囲気はない。
ユンゲ自身の苦い記憶とともにある、件の遺跡に眺めた怖気を感じさせる戦慄の様相とは似ても似つかない、人々の営みが造り出した風景だろう。
僅かな身震いを歩みに任せて、事前に確認した道順に従って進んだ先には、何の変哲もない石造りの霊廟――警戒しながら扉を押し開き、人影がないことを確認したユンゲは、背後を振り返ってマリーたちを手招きで呼び込む。
やや緊張した面持ちのリンダに続いて、最後に霊廟へと足を踏み入れたキーファが、「尾行はされてないよ」と周囲の様子を窺いつつ、ゆっくりと石の扉を閉めた。
どこからともなく漂ってくる甘ったるい香の匂いに、墓地とはそぐわない少しの違和感を覚えるが、取り立てて特徴のない殺風景な石室だ。
「……情報が確かなら、あの台座ですかね?」
声を潜めながらマリーが指差した先には、霊廟の奥に設置されている石の台座。
女忍者から教えられた、地下への隠し通路を開く仕掛けが施されているという“鍵”なのだろう。
「そうらしいな。念のため、ここで隠密系の魔法をかけ直した方が良さそうだ」
「はいっ、了解しました」
小さく握り拳を掲げてみせたマリーが、皆に無詠唱化した補助魔法をかけてくれるのを見遣りつつ、ユンゲは手筈を確かめるように口を開いた。
「……決めていた通りに俺が先頭で潜入するから、マリー、リンダと続いて最後尾はキーファに頼む。挟み撃ちされるのは御免だから、キーファは背後からの奇襲に気を配って欲しい」
「うん、任せてっ!」
「リンダは状況次第で、どちらにも出られるように備えていてくれ」
「心得ています。マリーは全体の指揮と双子の保護を優先ですね」
ユンゲの意を汲み取ってリンダが言葉を重ねた。
「あぁ、それで頼む」
皆で顔を見合わせ、互いの理解を確認して頷き合う。
ちょっとした人助けから思わぬ事態となってしまったが、幼い子どもが犠牲になる不幸を止めたいという気持ちは、ユンゲ以上にキーファやリンダ、マリーたちの方が強く抱いているのだろう。
彼女たちの過酷な過去の境遇を慮ったなら、そうした思いには何を置いても応えてやりたいと思うユンゲだったが――、決意を滲ませる三人の表情に僅かな危惧を覚えてしまう。
「……当然だけど、全員の安全が第一だ。手に負えないと判断したら、無理はしないですぐに撤退するからな」
余計な小言だと理解しながらも、焦りからそう口にしてしまったユンゲの肩に、マリーの小さな手が置かれた。
「――大丈夫です。ユンゲさんが、守ってくれるのですよね?」
口許に悪戯っぽい笑みを浮かべながら、上目遣いに見つめてくる碧の双眸。
「そうそう、ユンゲは私たちの英雄〈ヒーロー〉だからね。期待してるよ!」
もう一方の肩には、キーファの細い腕が回されていた。
「勿論、私たちも守られるばかりではありませんので、その辺りはよろしくお願いいたしますね」
冗談めかせた言葉を締めくくるように、リンダがキーファとマリーの肩を抱いて笑ってみせる。
自然と円陣を組むように肩を寄せ合えば、三人の顔がとても近くにあった。
いつかの渓流沿いでの出来事が思い起こされ、ユンゲは何ともむず痒いような羞恥の感情に身を悶えさせる。
「……あまり揶揄わないでくれ」
絞り出すように溜め息を吐き、やれやれとかぶりを振ることが精一杯だった。
変に気を張りすぎていたのは、ユンゲ自身の方だったのかも知れない。
得意満面な三人の朗らかな微笑みを右から左へと見回し、気を取り直すように一つ咳払いをしたユンゲは、無理矢理と自らに言い聞かせるように言葉を続けた。
「そろそろ予定の時間だ。落ち着いて慎重に行こう」
宿屋でユンゲたちと別れた女忍者が、部下とともにもう一つの通路から潜入する頃合いだ。
軽い鼓舞の声を掛け合って肩組みを解き、“翠の旋風”は奥まった位置にある石の台座へと歩み寄った。
そうして、ひと呼吸を置いたユンゲが、台座の下部に施された彫刻の箇所を押し込んだなら、ガチリと何かが噛み合う感覚。
何が起きるかと身構えたところで、霊廟全体がゴリゴリと耳障りな音を立て始めたかと思えば、石の台座はひとりでに動き出し――、やがて隠されていた地下へと続く階段が、ユンゲたちの目前に姿を現した。
「……いや、音が大き過ぎるだろ。聞いてないぞ」
半ば諦めるように愚痴をこぼすが、既に後の祭りだ。
これほどの音が隠し扉の開閉時に響いてしまうのでは、潜入も何もあったものではない。
教団の集会場襲撃において二つの通路を押さえるに当たり、“翠の旋風”が霊廟側を受け持つように指示された時点で、疑ってかかるべきだったのかも知れない。
ユンゲたちに敵方の注目を集めさせることで、別の通路から潜入する女忍者の部隊が本領を発揮しやすい状況を用意するなど、如何にも“鮮血帝”ジルクニフらしい陰険な趣向を凝らした策略だった。
思わず背後を振り返って顔を見合わせれば、皆が同様に苦笑いを浮かべている。
「……まぁ、ここで引き返す訳にはいかないよな」
そうして、溜め息とともに軽く肩を竦めてみせたユンゲは、バスタードソードの柄に手をかけながら階段に足を踏み入れるのだった。
階段は途中で一度折れ曲がり、やがて広い空洞へと続いていた。
地面が剥き出しとなった床や壁に、どこからか取り込んでいるらしい新鮮な空気――しかし、微かに漂ってくる腐敗した血の臭いが、ユンゲの警戒心を否応なく高めさせる。
四方の壁には奇怪な紋様を描いたタペストリーが垂れ下がり、灯された真っ赤な蝋燭の火が何か蠢くように揺れながら、醜悪な闇の暗がりを生み出している。
邪神を信仰する気狂いたちの手によって、上層の整然とした街並みには見られない汚泥のような、邪悪な空間が墓地の地下深くに築かれていたらしい。
そして、充満する堕気を凝縮したような人影が三つ――黒い神官服に身を包んだ背の高い男に、腰布だけを巻いた小柄な醜男と目深に被ったフード付きの外套で表情を悟らせない細身の女が、招かれざる客たるユンゲたち“翠の旋風”を睥睨するかのように待ち受けていた。
ユンゲ視点では悪役チックなジルクニフですが、書いている私的にはオーバーロードの中でも一、二を競うほど好きなキャラクターだったりします。