オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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今回の主役は、皇帝ジルクニフさんです。
もはや頭文字“M”とは何の関係もないですが――。

投稿した中で最長となる1万字超えは、“鮮血帝”とかいう苦労人が色々と考え過ぎてるせいだと思います。

-追記-
ジルクニフさんの悩みと“M”を結びつける素晴らしいコメントを頂きました。ありがとうございます。


(Side-M)難題

 細緻な装飾の施された厚手のカーテンを払い、半透明なガラスの窓を開け放ったなら、肌寒い冷気が流れ込んでくる。

 既に冬の気配が近いことを思えば無理からぬことではあったが、ジルクニフの背筋を伝っていく悪寒の原因は別にあった。

 帝都アーウィンタールの中央に位置する皇城の中でも、際立って厳重な警備の敷かれている居室の窓辺から見下ろす中庭には、木枯らしの季節にあっても鮮やかな色合いで目を楽しませてくれる様々な草花が咲き誇っている。

「……全てが夢であったならな」

 自身の口からこぼれたとも思えない世迷言を聞き咎めて、ジルクニフは一つ小さくかぶりを振った。

 皇城を訪れた賓客に開放することもある自慢の中庭に、突然の予期しない来訪者が現れてしまったのは、もう二ヶ月ほども前のこと――始まりは、巨大な何かが大地に激突したような、たった一度切りの大きな揺れだった。

 執務室の窓や調度品までもが軋むほどの地響きともに降り立ったのは、ただ一頭で帝都アーウィンタールを滅ぼしかねない強大な竜〈ドラゴン〉。

 そして、未曾有の緊急事態を前に誰もが固唾を飲んで見守る中、軽やかに竜の背中から跳び下りた二つの小さな影――稀代の魔法詠唱者たる“アインズ・ウール・ゴウン”の御使いを名乗った――見目麗しい闇妖精〈ダークエルフ〉の姉妹は、疑いもない本物の化け物だった。

 彼らの居城たるナザリック地下大墳墓に、不届きな侵入者を送り込んだとジルクニフを糾弾して謝罪を要求するとともに、拒んだならバハルス帝国を滅ぼす、などという荒唐無稽な脅し文句は、決して伊達や酔狂の類いではなかっただろう。

「手始めに、ここにいる人間は皆殺しにします!」

 高らかな宣言に合わせて、突き立てられた杖により引き起こされたのは、皇城が崩れるかと思わせるほどの局地的な大地震。

 悲鳴を上げながら蜘蛛の巣よりも複雑に裂かれた大地は、中庭に詰めていた全ての者たちを瞬く間に呑み込んでしまった。

 国家の中枢たる皇城内において、一度に百十七名もの死者を出したことなど、ジルクニフの異名を“鮮血帝”たらしめた大粛清は疎か、過去二百年に渡る帝国の歴史を紐解いてみても例を見ないほどの惨事だっただろう。

 存在自体が害となる無能な貴族やリ・エスティーゼ王国軍のような数合わせの雑兵ではない。

 皇城の警備を務める最精鋭たる近衛兵四十名に、帝国軍を支える歴戦の騎士六十名、先代皇帝の時代から最も注力してきた帝国魔法省の運営を担う魔法詠唱者に至っては、魔力系と信仰系を合わせて十六名――何よりの損失であったのが、帝国最高峰の戦士である四騎士の一人、“不動”ナザミ・エネックの死亡だった。

 しかし、そうした目も当てられないほどの大損害ですら、後の些事に過ぎなかったことを思えば、先にこぼれた情けない嘆き節さえ、暗澹たる未来を表すには足りないのかも知れない。

 

「……簡単に行かせちまって、本当に良かったんですかい?」

 不意に背後から投げかけられた問いに、ジルクニフは小さく肩を竦めてみせ、惨劇の爪跡を微塵も感じさせない中庭に目を向けたままで答えを返した。

「――無理に引き止めたところで、反発されるだけだったろうさ」

「そうですかい? 俺はてっきり、あのハーフエルフをナザミの後任に据えるものかと思ってましたが……」

 諦めの悪い陛下らしくもない、と粗野な揶揄いの言葉を口にしたのは、四騎士の筆頭たる勇士、“雷光”バジウッド・ペシュメルだった。

 直属の臣下でありながら、皇帝であるジルクニフに対しても砕けた口調を使う平民出身の偉丈夫だが、貴族連中とは違う武人らしい歯に衣を着せない話し振りは、内心で好ましいものを感じていた。

「平時であれば、私もそうしたさ。実力の面で奴以上の適任者となれば、アダマンタイト級冒険者の“漆黒”のモモンぐらいだろう」

 ジルクニフは言葉を区切り、バジウッドが同意を示すように一つ大きく頷く。

 冒険者となってから僅かな期間で“漆黒”の成した数々の功績は、稀代の英雄と称されるに相違ない偉業であり、凄まじいの一言に尽きた。

「――だが、制御の利かない強者など、国家の運営には不要だ」

 行動理念が善良に偏り過ぎており、正しく英雄たる才気を持つモモンは、清濁を併せ呑む政治の世界において劇薬となり兼ねない。

 もっとも、ロウネに進めさせた懐柔策にも、「果たさなくてはいけない使命がある」と無碍なく断りの文句を返してきただけであり、仮に最高位の冒険者を引き抜ける手筈が整ったとしても、敵国であるエ・ランテルの冒険者組合が黙っているはずもない現状では、そもそもの議論に値する余地はないだろう。

「……そういう意味でも、あのハーフエルフは良い人選だと思ったんですがね。正直なところですが、“激風”と“重爆”を加えても、俺たち三人では相手にならないはずですよ」

 やれやれとばかりに、バジウッドが溜め息をこぼした。戦士としての資質を持たないジルクニフが考えていた以上に、バジウッドは“冒険者”ユンゲ・ブレッターの実力を買っているらしい。

 周辺国家最強と名高い王国戦士長〈ガゼフ・ストロノーフ〉に伍する剣の腕があり、若くして帝国魔法省の上席者にも相当する第四位階魔法の使い手ともなれば、多少の弊害があったとしても自身の陣営に迎えたい人材であることに疑いはない。

 ――胸の内に掠める、微かな疼痛。

 高潔に過ぎるモモンと比較したなら、いくらか俗物的な反応を見せるユンゲは、御しやすい相手であることも間違いないだろう。

 バジウッドの発言に無言の肯定を返し、ジルクニフは中庭に向けていた視線を持ち上げる。

 抜けるように高い青空を背景に揺蕩う白雲は、ただ自然の風によってのみ、その形を変えながら遠くアゼルリシア山脈の頂きへと流れていく。

 

「……帝都に蔓延っていた邪教の憂いを取り除き、強欲な貴族連中を更に締め上げるための弱みも手に入れた。当面の成果としては上々だ」

 半ば自身に向けて言い聞かせるような言葉を口にして、ジルクニフは再び視線を中庭へと落とした。

 悪の秘密結社を気取っている“ズーラーノーン”の影響は、決して無視できないところまで帝国の貴族社会に根付いてしまっていたが、今回の騒動で沈静化に向かうだろう。

 何より今後は、本物の“死を具現化した存在”を知った人間が、あの邪神教団のような紛いものに心酔することはなくなる。

 思考を紡ぎながらジルクニフの脳裡に思い起こされるのは、神話の世界に足を踏み入れてしまったかのような驚愕の光景――空を覆う黒い雲によって陽の遮られた寒々とした草原の只中。

 謝罪のために馬車を走らせてきたバハルス帝国の一行を出迎えたのは、艶やかな黒髪を夜会巻きに結い上げた絶世の美姫だった。

 一目で仕立ての良さが分かる着衣の形状から、メイドとして従事していることは理解できても、高名な大貴族の令嬢と紹介されても遜色ないほどに隔絶とした美貌は、緩やかな丘に埋もれるような格子門と気味の悪い墓地が連なる草原にあって、異様なほど際立っていた。

 そうして、この場で待つようにと告げられ、一旦馬車へと戻ろうとしたジルクニフを呼び止めた美姫は、何でもないことのように、「まずは天気がよろしくないので、そちらから開始させていただきます」と言葉を続けて、一つ小さく手を叩いた。

 変化は劇的だった。

 僅かに開いた雲間から一筋の光芒が差し込んだかと思えば、次の瞬間には頭上を覆い尽くしていた黒い雲は消え去り、目に沁みるほどの鮮やかな青空が広がっていた。

 驚愕に震えながら周囲の様子を窺ってみれば、「なんだか……暖かくなってきてないか?」と囁きを交わす近衛たちの小声を耳にして、ジルクニフは羽織っていたマントを脱ぎ捨てた。

 典礼用の高価なマントに込められていた“温度差から身を守る魔法の加護”を失ったジルクニフは、麗らかな春の陽気に当てられて言葉を失う。

 第六位階以上の魔法――そんな嬉々として語られた単語が耳に強く残っていた。

 直後に響き渡った、「げぇ!」と鶏が絞め殺されるときのような奇声の記憶とともに……再び、胸の内に去来する痛み。

 努めて無視をして、ジルクニフは背後に控えていたバジウッドを振り返る。

 逞しい偉丈夫の傍らには、豊かな金の長髪を右頬に流した女騎士“重爆”レイナース・ロックブルズの姿もあった。

 もう一人の四騎士である“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノックには、カッツェ平野に築いた帝国軍の駐屯地において、最も過酷な任に就いてもらっている。

 

「……此度の戦争で、エ・ランテル近郊は奴――アインズ・ウール・ゴウンの領有するところになる」

 心を落ち着けるように静かな声音で言い差し、ジルクニフは無理矢理に口許を持ち上げる。

 未だに開戦もしていないが、此度の戦争の結末は既に明白だった。

 ジルクニフが依頼したように、アインズ自身による最大級魔法の初撃が合図となって、過去に例を見ない苛烈な戦いは幕を開け――、ナザリックと同盟関係を結んでいる帝国軍の勝利に終わる。

 そして、例年ならば中立を宣言していたスレイン法国までもが追認してきた先の宣戦布告に従って、エ・ランテル近郊を実効支配することになるアインズが、新たな国家を建国することまでは既定事項となっている。

(……アンデッドの支配する国家とは、果たしてどのようなものになるのかな)

 嘆息したくなるような思いを飲み込み、ジルクニフは居並ぶ臣下を見回して言葉を続けた。

「――以前にも確認したことだが、これは人類の存亡をかけた戦いだ。エ・ランテルに築かれる新たな国家は、我らバハルス帝国とリ・エスティーゼ王国、そしてスレイン法国を含む周辺三カ国の潜在的な敵となる。ここに、アーグランド評議国とローブル聖王国などを加えた大連合を結成し、奴らに対抗する以外に、人類が生き残る道はない」

 一方で、ジルクニフ自身が大連合の発起人となれば、見せしめとして真っ先にバハルス帝国が滅ぼされてしまうことを避けられない。

 そのために、表向きはナザリックとの同盟関係を維持したまま、アインズ・ウール・ゴウンの危険性を諸国に周知させつつ、強大に過ぎる力を打ち負かすための情報と戦力を集める立ち回りが、ジルクニフには求められている。

「……だからこそ、現状では帝国だけの軍事力強化を図り、ユンゲ・ブレッターを我が臣下に迎える意義は薄いと考えている」

 如何に件のハーフエルフが、バハルス帝国において比肩できる相手がいないほどの稀有な強者であったとしても、圧倒的という言葉すら烏滸がましい魔王の軍勢を目の当たりにすれば、個人の力量に過度な期待をかけるのも酷な話だろう。

 ナザリック地下大墳墓からの帰路――往路とは顔触れの変わった馬車内において語った展望を重ねて口にしたジルクニフは、やはり納得し兼ねるといった様子のバジウッドを見遣り、発言を促すように軽く頷いてみせた。

「奴らとまともに戦うためには、連合が必要だという陛下の考えは良く分かるんですがね……エ・ランテルに留まらせていたら、それこそナザリックに取り込まれちまう心配はないんですかい?」

 普段のバジウッドらしくもない後向きな問いかけに、「お前はアンデッドの支配下で暮らしたいと思うか?」とジルクニフは小さく笑みを浮かべて問いを返した。

 半ば虚勢のような心持ちではあったものの、ジルクニフとしても辛うじて希望に縋れる程度には勝算はある。

 結びつくはずのない細い糸を手繰り寄せた凄まじい智謀と絢爛に過ぎる玉座からジルクニフを睥睨した、真なる支配者たる風格を思えば、アインズ・ウール・ゴウンを単なるアンデッドと一括りにすることなど考えられるはずもない。

 それでも、生者と死者が本質的に相容れることはないと断言できる。

「建国後にどのような統治をするかは知らんが、静寂を欲して世界を滅ぼさんとする相手だぞ。奴の意に沿わなければ、殺されるだけだろう」

 そうした者に拷問を与えて苛虐を愉しむような類いとは違う印象もあったが――、不意に微かな身震いを感じたのは、そら恐ろしいほどの異形な存在に取り囲まれた荘厳とした謁見の場で、ジルクニフが献上した不心得者の貴族の首を思い出してのことだった。

 気紛れで殺されるだけなら、まだ救いがあるのかも知れないとさえ思える。

 或いは、殺された上で自らの死体を新たなアンデッドとして作り変えられる……そんな末路に立たされることを許容できる人間がいるはずはない。

 英雄の器たるモモンにしても、ハーフエルフであるユンゲにしても、生命ある者が生者を憎む“不死者の王”たるアインズ・ウール・ゴウンに迎合することはできない。

「……故に、エ・ランテルに滞在する人間側の強者――、つまりは“漆黒”と“翠の旋風”が、ナザリックという獅子身中の虫となる」

 

 ジルクニフが現状でするべきことは、ナザリックという巨悪の腹を食い破り、支配から逃れた彼らの受け皿を用意しておくことだった。

 首から提げたネックレスに触れる。

 茫洋とした淡い輝きは、込められている精神防御の魔法の光だろう。

 焦燥とする心を落ち着かせるように、ジルクニフはゆっくりと深い呼吸をしてから言葉を続ける。

「そして、奴にはもう一つ重要な役回りを担ってもらう。……バジウッド、以前に話したことを覚えているか?」

 持って回った言い回しに、バジウッドが訝りながら肩を竦めてみせる。

「――アインズ・ウール・ゴウンに匹敵する、強者を引き入れるという話だ」

 短く言い差したジルクニフの言葉に、バジウッドが小さく息を飲み、レイナースは整った眉間に皺を寄せていた。

 皇帝の執務室に待機している文官たちまで、一様に張り詰めた面持ちになったのが見て取れる。

 室内の注目を一身に集めながら、どこか場違いな可笑しさを覚えつつ、ジルクニフはわざとらしく慎重に言葉を紡いだ。

「……奴は、森妖精〈エルフ〉たちにモテるのだろう?」

 言い知れぬ静寂が支配した執務室から目を背け、ジルクニフは窓辺に手をかける。

(……一、ニ、三、四、五)と心の内で沈黙の時間を数えながら、流れていく白雲を眺めてみれば、為す術もなく見送った巨大なドラゴンの後ろ影が、ジルクニフの脳裡を過ぎった。

 使者として遣わされるには余りに幼く、可憐と形容されるに相応しい容姿を持ちながら、万軍を凌駕する恐るべき力を有した双子の姉妹。

 超常の存在たるアインズ・ウール・ゴウンを相手に、曲がりなりにも人間が対抗しようと考えるならば、例えどれほどに無謀であったとしても、ナザリックの体制を内側から切り崩していくしかない。

 玉座の間に居並んでいた、側近ないし幹部級と目される面々を思い浮かべる。

 趣味嗜好の検討もつかない蛙や蟲のような異形の悪魔を寝返らせる方策など、ジルクニフには考えも及ばないが、ある程度は人間に似通った背格好と外見に相応な、子ども染みた思考を垣間見せた幼いダークエルフな姉妹――特に、オドオドとした態度で姉〈アウラ・ベラ・フィオーラ〉の言葉に従うばかりだった妹〈マーレ・ベオ・フィオーレ〉については、無理にでも懐柔をかけてみるだけの価値があるはずだった。

 たっぷりと時間をかけながら、勿体振るように再び視線を室内へと戻す。

「……ちぃーとばかり楽観的に過ぎると思うんですが、本気ですかい?」

 ようやっと声を発したのは、戦場で対峙する相手を怯えさせる強面に、今は脂汗を滲ませるバジウッドだった。

「無論、本気だ。――神話の軍勢を相手にするのだ。為すべきことは全てを為し、可能性があるなら縋れるものには、何であっても縋ろう。成否を問うのは後からで構わない」

 果たして事の起こった後に、人類に可能性が残されているのかは分からないが……、という言葉は自身の胸の内に留めて、ジルクニフは一つ息を吐いてみせた。

「――そのことをアイツに伝えたんで?」

「いや、奴に腹芸は期待できないだろう。飽くまで、そうなったなら楽なのにな……という私の希望といったところだ」

 軽い冗談めかせるように、ジルクニフが大きく肩を竦ませてみせれば、信頼の置ける騎士の顔には、どこか唖然としたような苦笑が浮かんでいた。

 未曾有の事態を前に皇帝たる者が何を宣っているのか、と問いたげな視線が集まってくるが、それでも執務室に蔓延していた重苦しい閉塞感は、僅かながら薄れている。

 それで良い、とジルクニフは小さく顎を引いた。

 変に気負い過ぎたところで、良い考えが得られるとは思えない。

「お前たちも願いがあれば言っておけ。どこぞの神様が叶えてくれるかも知れんぞ」

 顔を詰め寄せていた臣下たちに告げ、ジルクニフは執務用の椅子にどっかりと腰を下ろした。

 或いは、そうした“神”そのものかも知れないアインズ・ウール・ゴウンを相手取って、人類の存亡をかけた戦いを挑まんとする自身の考えは、本当に正しいのだろうか。――判断はつかない。

 

 やがて、無理矢理にでも気を紛らわせるかのように、喧々囂々と意見を交わし始めた文官たちをジルクニフが何の気なしに眺めていく――と、不意に部屋の片隅で壁に背を預ける女に視線が止まった。

 この地域では珍しい黒髪に、同色の闇夜から切り取ったようなチューブトップドレスを品良く纏った白磁の美貌と憂いを帯びた眼差しは、貴族の令嬢として紹介されたなら社交界においても注目の的になっていただろう。

 先まで秘書官を務めていたロウネ・ヴァミリネンの伝手で話をつけていた、暗殺者集団“イジャニーヤ”を束ねる女頭領〈ティラ〉には、諸事情もあってジルクニフの執務室への出入りを許可している。

 四騎士に並ぶほどの純粋な戦闘技術の高さもさることながら、大きく削がれてしまった諜報部門等の役割を担ってもらうためにも、配下に迎えたい人物の一人ではあるのだが、現在まで色好い返事は得られていない。

 任せたい役回りを考慮したなら、金銭による雇用関係ではなく、皇家に仕えているという形が望ましいのだが――、三度目の鈍痛に思わず顔が強張るのを感じた。

 ジルクニフの恨みがましい視線に気付いたのか、およそ為政者に対して向けるものではない冷めた一瞥をくれ、ティラは口許を皮肉っぽく釣り上げる。

 ジルクニフの見つめる先で、その艶かしい肢体が霞のように揺らいだかと思えば、次の瞬間には執務室から姿形もなく消え去っていた。

(……儘ならないものだな)

 微かな苛立ちに髪をかき上げたなら、指の股に数条の金糸が絡みついていた。

 無言のままに手を払い、ジルクニフは椅子に深く座り直す。

「――そう言えば、あの爺さんと娘っ子二人はどうするんですかい?」

「……ん? あぁ、“鮮血帝”とかいう頭の足りない奴が、考えもなしに貴族を減らしたこともあって、今は猫の手でも借りたいくらい深刻な人手不足だ。――現状で約束を反故にして、奴に臍を曲げられても敵わんからな」

 少しだけ普段の調子を取り戻したらしいバジウッドに応えて、ジルクニフは軽く肩を竦めてみせた。

 邪神教団の一件で召し抱えることになったジャイムスという老執事を簡単な経理に回してみたところ、欠けてしまった優秀な秘書官の不在を埋めるには心許ないが、無能な没落貴族家で遊ばせていたには惜しい人材だった。

「娘の方は……取り敢えず、保留だな」

 若くして第三位階を修めたという長姉のように、優れた魔法の才を発揮するのなら或いは――、

「なんなら後宮にでも入れますか? 俺の見立てだと将来性は高いと思いますぜ」

「ふん、見目良く成長したなら、内を固めるのに使えは良いだろう。幸い血は悪くない……いや一層のこと、お前の案を採用してみるのも悪くないか」

「おっ、陛下もその気になりましたか」

 口許を楽しそうに緩めたバジウッドが、喜色めいた反応を示すのに苦笑を返しつつ、ジルクニフもまた興じるように言葉を続けた。

「私ではない。珠のように育て上げて、奴の枷にするのも面白いかと思ってな」

 勿体振ったこちらの意図を測りかねて、バジウッドが分かりやすい疑問符を浮かべる。

「薄い女ばかりだと厭きがくるのだろう?」

「…………“鮮血帝”ってのは、随分と底意地が悪いんですね」

「――今頃になって気付いたのか?」

 くつくつと喉元で笑いを堪えるようにしながら、ジルクニフは視線を外の景色へと向ける。

 金細工の施された窓枠で長方形に切り取られた西の空は、まだ鮮やかな群青一色に染まっていた。

 

 *

 

 リ・エスティーゼ王国の東部に位置する、城塞都市〈エ・ランテル〉における最高級の宿屋“黄金の輝き亭”。

 その中でも、特に最高の部屋――稀代の英雄として、王国全土に名声を馳せる冒険者チーム“漆黒”が常宿としている一室には、持ち込まれた瀟洒な鏡を覗き込む二つの人影があった。

 一人は部屋の借り主である“漆黒”の魔法詠唱者――南方系に多いとされる黒髪と氷雪のように冷たい眼差しで衆目を集める“美姫”ナーベこと、ナーベラル・ガンマであった。

 エ・ランテルにおいては、凄腕の冒険者として名を馳せているナーベラルではあったが、今は市井の印象とはかけ離れた可憐なメイド服に身を包んでいる。

 そして、もう一人の女性――ナーベの相棒たる、“漆黒の英雄”モモンとは似ても似つかない――が、訝るように鏡の中を見つめながら口を開いた。

「――あれがアインズ様の気にかけている、っていう奴らっすか?」

 三つ編みとされた真っ赤に燃えるような長髪に、健康そうな褐色の肌と揃いになる統一感のあるメイド姿。妖艶と快活を併せ持ったルプスレギナ・ベータもまた、ナーベラルと並び称されるほどの美貌を創造主から与えられている。

 ルプスレギナの視線の先――遠隔視の鏡〈ミラー・オブ・リモート・ビューイング〉に映し出されているのは、細い街道を進む一台の馬車と四人組の冒険者チーム“翠の旋風”の面々だった。

 冒険者としての依頼を通して、何度か顔を合わせているものの、正直なところ名前は憶えていない。

「えぇ、正確には先頭の下等生物さえ注意していれば、残りのはどうでも良いみたいだけど…………でも、玩具にしちゃ駄目よ」

 次姉の口許に浮かんだサディスティックな笑みを見咎めて、ナーベラルは言葉を付け足しておく。

 残忍で狡猾たる見事なメイドであるルプスレギナだが、それ故に偉大なる御方の計画を外れかねない僅かばかりの不安――前科もあった。

「分かってるっすよ。ナーちゃんは心配性っすね」

 頭の後ろで腕を組みながら、にっしっしと揶揄うように笑みを濃くしたルプスレギナの様子を見遣り、「……だと良いんだけど」とナーベラルは小さく溜め息をこぼす。

「馬鹿っぽい見た目だけど、強さだけなら私や貴女とも同程度みたいだから、くれぐれも軽はずみな行動はしないでね」

「大丈夫っすよ。そんで、これがカルネ村に向かってるんすよね。何の用っすか?」

「……さぁ? 冒険者組合で依頼を受けたみたいだけど、他の冒険者の依頼内容を詮索するのは、マナー違反らしいわ」

 不思議そうに小首を傾げてみせるルプスレギナに、ナーベラルは小さく肩を竦めてみせてから言葉を続けた。

「下等生物の決めたルールなんてどうでも良いと思うのだけど、アインズ様が重んじるべきと仰るのだから、私たちは素直に従うだけよ」

「なるほどっす! 流石は、ナーちゃんっすね」

 わざとらしい訳知り顔で、ポンッと両手を打ち鳴らしたルプスレギナを見遣り、今度はナーベラルの方が疑問符を浮かべる。

「……何か含みのある言い方ね」

「いやー、アインズ様にドナドナされてから、妹が成長してるんだなーと思えば、姉としては感無量っす。それで、こんなところに二人の“愛の巣”まで作っちゃうんすから、本当に羨ましい限りっすね」

 とんでもない発言に、刹那の思考が吹き飛んでしまう。

 這わせた指先で部屋の壁を軽く弾きながら、「……防音もバッチリみたいっすから、大きな声でヤリタイホーダイっすね」などと宣うルプスレギナは、然も面白そうに破顔してみせる。

「――なっ、何を言うのよ! ルプー、それは不敬だわ!」

 思わず前のめりに詰め寄ったナーベラルが、止まらない口許を慌てて塞ぎにかかるが、身体能力に優れるルプスレギナには、あっさりと躱されてしまう。

「やー、私もあやかりたいっすね。今度のときは、私も是非に呼んで欲しいっす」

「こ、今度も何もない!」

 部屋の中ほどにあった小机を回り込んで、ベッドの傍へと駆けていくルプスレギナの後ろ髪を追って、ナーベラルの後ろ手に括ったポニーテールが激しく揺れる。

「えー、ナーちゃんばっかり既成事実を作るのは、ズルいっす」

「だ、だから私はっ――」

「私だって、アインズ様の珠骨を舐め回してみたいっすよ!」

 ナーベラルの抗議の声を遮って、ルプスレギナが引っ掴んだ枕を投げつけてくる。

「――へぶっ! ……って、えーっと、舐める……の?」

 匠の彫像のような顔面にクリーンヒットした枕が、重力に引かれて擦れ落ちていくのにも構わず、ナーベラルは気の抜けたような疑問の声を上げた。

「そうっす! だって、至高の御方のお骨様っすよ! そこら辺のスケルトンとは比べものにならない上物に決まってるっす! 本当は、いっぱい噛んで、たっぷりとしゃぶり尽くしたいところっすけど、それは我慢しておくっす!」

 赤髪の上に鎮座した帽子の中で、獣の耳がヒクヒクと動いているようだった。

「あー、えっと……その、舐めるのもやっぱり不敬じゃないかしら」

 振り上げた拳の行き場に困り、ナーベラルは頬をかくようにしながら、ベッドの隅に浅く腰を下ろした。

 微かに上気した熱を静めるように、ゆっくりと呼吸を繰り返す――と、不意に四つ足でベッドに飛び乗ったルプスレギナが、その背から首へと腕を回してナーベラルの細身を捕らえる。

「……おんやー、ナーちゃんはアインズ様と“どんなことをする”って想像してたんすか?」

 美味しい獲物を手に入れたと言わんばかりに釣り上げられた、形の良い薄紅色の口唇の間から、真っ白な鋭い犬歯が覗いていた。

「な、何も想像してなんかいないわよ!」

「いーや、違うっすね。さぁー、キリキリ吐くっすよー!」

 

 久方振りとなる仲の良い姉妹の“戯れ”は、それから日没になるまで楽しげに続いていたという――。

 

 




-ジルクニフからの指令-
「マーレ(男の娘)を篭絡せよ!」

ユンゲが受けた依頼については、チーム名に“旋風”を用いている辺りでお察しいただければ……というところですが、次回以降の話のために(16)族長 で前振りをしていたつもりが、気付けば1年以上も経ってしまったという……。
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