オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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-これまでのお話-
“漆黒の英雄”モモンに淡い憧れを抱いて鍛練に励んでいたユンゲは、偶然の出会いから没落貴族家の姉妹捜索を引き受けたことにより、意図せず邪神教団との戦いに巻き込まれてしまう。
ジルクニフから派遣された女忍者と協力し、騒動を治めたユンゲたち“翠の旋風”ではあったが、王国と帝国間の開戦が間近に迫り様々な思惑が交錯する中、一行は色々な面倒事から距離を置くために、足早にエ・ランテルへと帰還したのだった。



scene.6 受難の開拓村
(36)閑散


 リ・エスティーゼ王国東部――陽の傾きかけた城塞都市〈エ・ランテル〉の街並みを横目にしつつ、ユンゲが冒険者組合に足を踏み入れてみれば、活気のあった喧騒の記憶も遠く、カウンターの奥には手持ち無沙汰な様子で佇む受付嬢の姿があった。

 分厚い樫の扉に取り付けられた蝶番が小さく軋み、緩慢な動作で持ち上げられた視線がこちらへと向けられた。

 少し疲れたような表情から一転、人当たりの良い笑顔を浮かべた受付嬢が、カウンターを離れてユンゲたち“翠の旋風”の傍へと歩み寄ってくれる。

「――お久しぶりですね、皆さん。帝都の組合からの報告で聞いていましたが、お元気そうで何よりです」

 そんな気安い言葉に軽く会釈を返して、「ご無沙汰していました」とユンゲも親しみを込めて破顔した。

 事の始まりは、前触れもなく宿屋に現れた女忍者から、金箔をあしらった嫌味な書状を手渡されたことだった。

 初めての“翠の旋風”を名指しする依頼によって帝都アーウィンタールに向かったのは、未だ残暑を感じる夏の終わり頃であり、今はもう肌寒いほどの冬の気配が近付いている。

 好々爺の仮面を被った魔法狂いの“逸脱者”フールーダ・パラダインとの衝撃的な出会いに慄いていた場面での、まさしく不意打ちとなった国家の最高権力者たる“鮮血帝”ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの登場は、転移前の世界において一般人でしかなかったユンゲの思考を奪い去るには十分なほど、悪趣味な演出に過ぎていた。

 ユンゲが自身の在り方を見つめ直す契機ともなった、複数チームで挑んだ共同依頼での“未知の遺跡調査”を終えてからは、大闘技場の“最も優秀な興行主”を自称する商人オスクに闘技大会への参加を執拗に打診されて逃げ回る日々が続き、憔悴した老執事ジャイムスの様子を気にかけたことから、邪神を信奉する怪しげな教団との戦いに身を投じることにもなってしまった。

 改めて思い返してみれば、随分と長い時間をバハルス帝国で過ごしていたらしい。

 

 思わず浮かんでしまった口許の苦笑いを誤魔化すように、視線を彷徨わせる。

「……なんか、閑散としていますね」

 ぼんやりと眺めた組合の内部を見回しながらユンゲが口にすれば、少しだけ寂しそうな笑みを返した受付嬢は、小さくしなを作ってみせた。

「そうですね。例年通りではあるのですけど、この時季は冒険者への依頼そのものが少なくなってしまいますから……。それに今年は帝国との戦争もあるので、暗い雰囲気を嫌って都市外に出てしまった冒険者の方も多いと聞いています」

 王都の辺りまで行くと状況も違うみたいですけどね、と言葉を続けた受付嬢の視線の先――冒険者への依頼が張り出されるクエストボードには、空白のスペースが目立って見える。

 各地の冒険者組合は国家から独立した組織として存在しており、各国の政治や戦争に加担しない規約を有しているからこそ、国境を越えた活動が可能になっていた。

 王国や帝国の別を問わず、国家に対する帰属意識を持っていない者も多い冒険者が、戦時に前線拠点となるエ・ランテルから離れてしまうのは、ある意味で自然なことなのかも知れない。

 政治や戦争に介入する気など欠片も持ち合わせていないユンゲにしても、今のエ・ランテルのような暗い雰囲気の街には留まりたくないという思いは、素直に理解できてしまう考え方だった。

 帝都での出来事を雑談交じりに報告しつつ、受付嬢に話を聞いたところでは、ユンゲが会いたいと思っていた“漆黒”のモモンと“虹”のモックナックは、それぞれに名指しの依頼を受けているために不在らしい。

「――そうなんですね。モモンさんには帝国でもお世話になったので、ご挨拶しておきたかったんですが……どれくらいで戻られるかって分かりますか?」

「うーん、依頼の難易度からすると早くても一、二週間はかかりそうな感じなんですけど、“漆黒”のお二方はいつも信じられないような速さで依頼をこなしてしまいますから――」

 小首を傾げた受付嬢が、困ったように眉を寄せながら言葉を続けた。

「ここの組合長が、良く叫んでいますよ。『絶対、おかしいだろーっ!』ってね」

「……なるほど、アインザックさんも大変そうですね」

 大袈裟な身振りで肩を竦めてみせる受付嬢に苦笑を返し、ユンゲも同じように小さく肩を竦めた。

 ユグドラシルの恩恵により、転移後の世界において破格の強さを有するユンゲからしても、規格外としか思えない“漆黒の英雄”モモンの突出した実力を考えると一般的な常識では、測れないようなことばかりなのだろう。

 少し冷めた気持ちで、ユンゲが視線を巡らせたなら、短杖を胸に抱えたマリーが慰めるように一つ頷きをくれる。

 目当てだったモモンとモックナックが居らず、冒険者への依頼も少ないのであれば、一旦は出直した方が良さそうだった。

 

「――そう言えば、先ほど同じ質問をしにいらした方がいましたよ」

 キーファとリンダにも目配せをして、組合を出ようとしたユンゲの意識を引き戻すように、受付嬢が口を開いた。

「えっと、モモンさんに何か依頼でも?」

「いえ、依頼ということではなさそうでしたが、『“漆黒”のモモンに会いたいんだが、連絡は取れるだろうか?』って、王国軍の方が――それも、なんとあのブレイン・アングラウスさんだったんですよ!」

 やや興奮したような受付嬢の様子に、ユンゲは思わず気圧される。

 語られる“あの”が“どの”だか分からない――つい先ほど、冒険者組合の入口前で顔を合わせた青髪の剣士から告げられた名前が、そのような響きだったかも知れない。

 身に纏っていた冴えるような雰囲気は、確かに只者ではなさそうな印象を感じたユンゲではあったが、世間に名の知られた相手だったのだろうか。

(……あぁ、人探しにきた、とか言ってたっけ?)

 反応に窮したユンゲに、助け船をくれたのはリンダだった。

「ブレイン・アングラウス殿というと、王都の御前試合でガゼフ・ストロノーフ戦士長殿と互角の戦いを演じた、という御人でしたでしょうか?」

「そうです! 御前試合の死闘の後は、王家や貴族家からの数々の仕官話を断ったまま、行方知れずとなってしまっていたので、組合の方でも冒険者に勧誘しようと手を尽くしていたのですが――」

 受付嬢の妙に熱の込められた口調に軽い苦笑を浮かべつつ、ユンゲは挙げられた名前の記憶を探る。

 王国に対する不満を並べ立てていた、いつかのお喋り好きな神官〈クレリック〉の青年も、その人物のことだけは誇らしげに語っていた気がする。

 平民の出身でありながら、国王の懐刀たる王国戦士長の地位に抜擢された傑物で、周辺国家最強と名高い“英雄”ガゼフ・ストロノーフは、実直に過ぎる人柄から強欲な貴族連中に疎まれているものの、一般の民衆からは絶大な支持を得ている……というような話だっただろうか。

 それほどの戦士と互角に立ち合える凄腕の剣士となれば、ブレイン・アングラウスという人物も突出した実力者なのだろう。

「先ほど組合の表でお会いしたときに、もしや……と思っていたのですが、ご本人だったのですね」

「そうなんですよ! もう、びっくりですよね!」

 リンダと受付嬢の会話を軽く聞き流しながら、情報を整理してみると冒険者組合でも所在の分からなかったというブレインは、いつからか王国の第三王女である“黄金”ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ配下の兵士になっていたらしい。

 王国軍に所属する人間が、何の目的で“漆黒”のモモンを探していたのか。

 最高位のアダマンタイト級冒険者向けの特別な依頼だろうか。まさか冒険者であるモモンに、戦争への参加を要請することはないはずだが、本人の経歴から考えると王家への引き抜き工作の類いという可能性も――或いは、先ほどの好戦的なブレインの雰囲気を思えば、単に腕試しを望んで、ということもあるのかも知れない。

(……いや、無暗に詮索するべきじゃないな。――それにしても、一国の王女様に仕えるには、随分と気楽な服装に見えたけど、問題にならないのかな?)

 吟遊詩人の唄にあるラナー王女の美貌は、聡明さと慈悲深さを兼ね備えた“宝石の輝き”と称され、決して肖像画には描き切れないとの評判が、遠く帝国の暗がりにある酒場にまで広がっていた。

 しかし、全ての王国民から称賛と畏敬を集めているという“黄金の姫”の側仕えとして、薄手の鎖着〈チェイン・シャツ〉だけを身につけていたブレインの戦闘に特化した装束は――同行していたクライムという年若い騎士が、如何にも相応しそうな純白の全身鎧姿だったのとは、対照的なほどに――些か以上にも不穏当な印象があった。

 

 漠然とした疑問を抱きつつも、ユンゲは小さく肩を竦めるように溜め息をこぼす。

「……俺が気にすることじゃないか」

「どうかされましたか、ユンゲさん?」

「いや、何でもない。――それより、リンダが捕まっちゃったな」

 上目遣いを向けてくるマリーに軽く手を払い、ユンゲは哀れむような視線をリンダに投げた。

 すっかりと暇を持て余していたらしい受付嬢は、格好の話し相手を見つけたとばかりに、引き気味のリンダを壁際に追い詰めるようにしながら、次々と言葉の礫を浴びせている。

 よほどブレインという剣士に思い入れがあったのか、どんどんと声音の強まっていく受付嬢の口振りは、転移前の世界でユグドラシルを勧めてきた同僚の、蒸し暑いほどの熱量にも重なって感じられた。

(……今頃も、向こうは変わらない日常が続いているのかな? そうなると俺は行方不明扱いか……もし、サービス終了まで一緒にプレイしてたら、この世界にも同じようにアイツと転移してたり、とかあったのかな。……あれっ?)

 胸の内に過ぎる、小さな違和感。

「ねぇ、とりあえず何の依頼があるかだけでも見てみない?」

 不意に、左から手を引かれた。

 後ろ手に括られたポニーテールが視界の端で揺れ、浸っていた微かな感傷とともに、ユンゲの思考が霧散する。

 弾みながら指を差すキーファを宥めるように軽く頭を撫でて、「……あぁ、そうするか」と応じたユンゲは、受付嬢の対応に苦慮しているリンダに横目で謝罪をしつつ、マリーも伴って奥のクエストボードへと歩み寄った。

 平常なら何の依頼を受ける、受けないと議論を重ねる冒険者たちが、大勢詰めかけている光景が広がっているのだが、今は無理に人垣をかき分けることもなく、ゆっくりと眺めることができる。

「えーと……墓地の見回りに、商隊の護衛に、薬草採取か。あんまり代わり映えはしないな」

 辛うじて憶えている王国文字の単語だけを拾い読みしながら、ユンゲは興味を欠くようにぼやいた。

 以前に、帝都でモモンから誘ってもらったような“未知の遺跡調査”といった、ユンゲの想像する冒険者らしい依頼は、早々に巡り合えるものでもないのだろう。

 もっとも、件の遺跡で自身の無力さを思い知らされたユンゲとしては、先ずは地に足をつけたところから、堅実に成長するべきだと考えてはいるのだが――。

 最初の頃と比較したなら、剣の腕も幾分か見られるようになっているはずではあっても、所詮は素人の独学でしかない。

 本当に実力をつけたいと思うのなら、剣技に精通した相手に師事を仰ぐのも、一つの方法かも知れなかった。

 周辺国家最強と謳われる強者〈ガゼフ・ストロノーフ〉と並ぶ実力者なら、先ほど面識を得られたブレインの後を追いかけて、話を聞いてみるのも良いのだろうか。

 ぼんやりと思案しながら、何の気なしにバスタードソードの柄に触れていたユンゲの手が、今度は右からマリーに引かれた。

「ユンゲさん、この依頼なのですけど……」

 どこか探るような声音で示されたのは、クエストボードの隅の方で浅く埃を被っていた依頼書だった。

「…………何て書いてあるんだ?」

 見慣れない文字の並びに嘆息しつつ、マリーの耳許に寄せて屈むように、ユンゲは小声で問いかける。

 報酬の欄に記載された金額を一瞥する限りでは、駆け出し冒険者向けの依頼といった感じなのだが、何か興味を惹かれる内容なのだろう。

「あっ、えっと……“水の神殿”から出されている、聴き取り調査の依頼なのですけど――」

 少しだけ困惑したような様子から、やおらと依頼書を手に取ったマリーが、指先で文字をなぞってみせながら言葉を続けた。

 

「目的地が、“カルネ村”になっています」

 

 


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