オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

44 / 74
(37)来訪

 緩やかな畦道を進む馬車の荷台に腰を下ろし、小さな揺れに身を委ねながら微睡んでいた。

 寒空の下に降り注ぐ陽射しの暖かさも、時折り吹きつけてくる風の凍みるような冷たさも、全てが心地良く感じられる思いで、ユンゲは茫洋と視線を巡らせる。

 深く豊かな森の外縁を沿うように伸びる細道は、バハルス帝国領内の整備された街道のように石畳や縦に割った丸木が敷かれていることはないが、人々の営みの中で長い年月をかけて踏み固められたであろう独特の趣があった。

 急ぐ必要もない初冬の旅路は、荷馬の歩みに任せた穏やかなもので――御者台で手綱を握るリンダには申し訳ないと思いながらも――落ちてくる目蓋には、どうしても抗い難いほどの魅力が溢れている。

 気を紛らわせるように小さく伸びをして風景を眺めたなら、ユンゲの視界にはすっかりと葉を落とし、枯れ枝の先を晒す樹々の様子が目立っていた。

 峻険なアゼルリシア山脈の麓に広がるトブの大森林にも、厳しい冬の季節が訪れるのだろう。

 遥かに高く聳える山の尾根筋を見上げていけば、中腹ほどからは樹々の姿が消えて灰褐色の岩肌となり、それより更に上の方までいくと真っ白な雪化粧に覆われているのが分かる。

「……この辺りは、雪が降ったりするのかな?」

 気の抜けたような問いがこぼれたのは、ふと転移前の世界を思い出してのことだった。

 生身での呼吸が叶わず、外へ出歩くためには人工心肺が必要となるほどに、大気汚染が広がってしまった世界の風雨は黒く濁り、心胆を寒からしめる鈍色の汚泥のような氷雪もまた、幻想的と感じるには難しい醜悪さを孕んでいた。

「平野部では、それほど多く雪が降るとは聞きませんね。――どうかされましたか?」

「いや、特に意味はないんだけど、ちょっと残念だと思ってな」

 御者台から振り返ったリンダが、不思議そうな目を向けてくるのに、ユンゲは小さく肩を竦めてみせる。

 雪合戦や雪だるま作りをしてみたい、そんな記録映像の中でしか知らない光景を思い浮かべていたことに内心で苦笑しつつ、ユンゲは再びアゼルリシア山脈へと視線を向けた。

 良く晴れた群青の大空を背景に、悠然と聳える高い山峰。

 この場で〈フライ/飛行〉の魔法を唱えたなら、あの白い頂きまででも直ぐに手が届くようにも思えるのだが、そこに降り立った自分の姿を思い描くと何かが違うような気がした。

「……この依頼を終えたら、山登りでもしてみますか?」

「――ん?」

「先ほどから、ずっと眺めていらっしゃるので……」

 肩を寄せてきたマリーが、少し躊躇うように言葉を紡いだ。

 魔法の力に頼ってしまうから味気ないと感じるのかも知れない。

 転移前の世界での身体なら無謀も過ぎるだろうが、幸いにして今のユンゲの身体であれば、体力ばかりが有り余っている。

「あそこに、登ってみるか。それも良いかもな……どうした?」

「いえ、言ってみたものの、寒いところが……その、あまり得意ではなくて――」

 少し恥じ入るように顔を俯かせたマリーの頭に軽く手を置き、ユンゲは小さく息を吐いて笑いかけた。

「――そうなのか。まぁ、俺も言ってみただけだ。冬山登山の知識なんかないし……それに、アゼルリシア山脈には霜の竜〈フロスト・ドラゴン〉や霜の巨人〈フロスト・ジャイアント〉がいるって話だからな」

 正直、今は近寄りたくないな、と言葉を続けて肩を竦めてみせる。

 いつかは訪れてみたいと興味はあるが、無理に危険は冒せないだろう。

 見るからにほっとした様子で、胸を撫で下ろすマリーを見遣り、ユンゲは内心で苦笑をしつつ疑問を投げかけた。

「マリーたちの故郷の森は、雪が降らなかったのか?」

 

 *

 

「……移住者の募集、ですか?」

 耳慣れない言葉を聞き返せば、すっかりと仕事モードに切り替わった受付嬢が、和かな笑みを浮かべながら人差し指を真っ直ぐに立ててみせた。

「えぇ、そうですね。エ・ランテルみたいな大きい都市とは違い、小さな村は住民全員の助け合いと役割分担で成り立っています。飢饉や疫病とか理由は様々なのですが、村を構成する人数が少なくなってしまうとどうしても立ち行かなくなってしまうのですよ」

 住民数の減少により村という組織の運営が成り立たず、離散する以外の選択肢がなくなった場合、縋れる血縁者を頼って別の村へと赴くか、頼りとなる当てがない者は近くの都市を目指すしかなくなってしまう。

 そうした身寄りのない子どもや生活の基盤を失った人々の、一時的な受け皿となるのが、今回の依頼主でもある神殿勢力であり、各地の行政機関と協力しながら新しい職や住居を得るための手助けを行なっているという。

 一方で、村そのものが離散という最悪の事態までには及ばずとも、運営に支障が出るような深刻なダメージを負ってしまった場合にはどうするべきなのか。

 手っ取り早い解決策としては、そうした村同士の合併という道がある。

 しかし、異なる規律や文化を持った村という共同体の間には、どうしても軋轢が生まれてしまうものだった。

 少しでも優位を得ようと元の村ごとに別れて派閥を争った結果として、合併したにも関わらず村の中に二つの権力構造ができてしまったなら、目も当てられない。そうした無為な状況を避けるために取られる手段が、移住者の募集だった。

 一つの家族単位という少数の移住者を受け入れることにより、村に不足してしまった役割や労働力を補いながらも、村独自の規律や文化を守ることが可能になるということらしい。

「……なるほど。確かに、その方法なら村の運営も上手くいきそうですね」

「えぇ、でも良いことばかりではないんですよ。あまり好ましい話題ではないのですが、移住した方たちが、村の中で不当な扱いを受けていたり……場合によっては、移住者の募集そのものが、何かしらの犯罪行為の隠れ蓑にされている可能性もあるので……」

 少し疲れたように表情を陰らせた受付嬢が、小さく息を吐いてから、やおらと視線を持ち上げる。

「今回の水の神殿からの依頼は、そういった事態が起こらないようにするための大切なお仕事です」

 多くの方たちの人生を左右しかねないのですから、と続けられる声音には、問題に向き合おうとする真摯な誠意が感じられた。

 その姿勢には敬意を払いたいと思い、ユンゲは一つ顎を引いてカウンターに置かれた依頼書に目を落とす。

 先ほどまでは読み取れなかった異国の文字列が、途端に強い意味を持つように思えるのだから、自身のことながら影響されやすいものだと内心に苦いものを感じつつも、嫌な気はしない。

「――と、もっともらしく語ってしまいましたけど、依頼の内容としては、実際に村を訪ねて村長に話を聞いたり、村人たちの様子を見てきてもらうだけなんです。何も隠れて情報収集をしたりする必要はないので、難易度的には駆け出し冒険者向けということで、報酬額も少ないんですよ」

 重くなってしまった空気を取り繕うように、受付嬢が柔らかい声色で笑いを誘ってくれる。

 少しだけ肩の力を抜くように、ユンゲは傍らの仲間たちに目を向けて無言のうちに頷きを交わし合う。

 そうして、小首を傾げるようにして待っていた受付嬢に、小さく肩を竦めることで応じたユンゲは、「――了解です。じゃあ、この依頼を俺たち“翠の旋風”に受けさせてください」と殊更に明るい声を上げたのだった。

 

 *

 

 轍の刻まれた道沿いから少し外れた木陰に野営用の小さなテントを張り、御者を任せきりだったリンダを除いた三人で、順に見張りをしながら静かに一夜を過ごした。

 朝方となり、遠くトブの大森林の奥地から響いてくる鳥の囀りに目を覚まし、沁みるほどに鮮やかな向日葵色の朝焼けの下、傍の渓流から冷たい水を両手で掬ってユンゲは顔を洗う。

 大きく伸びをしながら思い切り息を吸い込めば、涼やかな草木の香る風が心を晴れやかにしてくれる思いだった。

 すっかりと朝の習慣になっている、お手製のレンバスと買い込んできたドライフルーツで簡単な食事を取り、再び馬車の荷台へと乗り込む。

 少しだけ肌寒くも牧歌的な光景を楽しみながら、ユンゲたち“翠の旋風”が今回の目的地であるカルネ村へと到着したのは、冬の気配を少しだけ押し退けてくれる麗らかな太陽が、ようやっと中天に差しかかろうとする頃だった。

 

 緩やかな丘を越えた向こう――大きく開けた枯れ色の広い草原の中に、悠然と聳えるような塀の囲いが見えてくる。

「……ん、あれがそうなのか?」

 何の気なしに疑問を口にしながら目を落とし、ユンゲは冒険者組合で受け取った簡単な道順を記している覚書きと見比べる。

 目の前の建造物は、今回の目的地であるカルネ村の位置に距離や方角も概ね正しく、周囲には刈り入れを終えて休耕中らしい畑の様子も見て取れるのだが――、

「なんていうか、砦みたいだね」

「そうだな、辺境の開拓村って聞いてたけど、立派なもんだ」

 傍からのキーファの言葉に頷きつつ、ユンゲは感心するような面持ちで、村を取り囲む高い塀を遠景する。

 流石に規模こそ違うものの、カッツェ平野で遠巻きに眺めたバハルス帝国軍の駐屯基地を思い起こさせる、頑丈そうな雰囲気があった。

 馬車が進んでいる畦道の続いた先の門付近には、見張り用らしい櫓が建っているのも見える。

 国境沿いであることや厄介なモンスターの生息するトブの大森林が近いことを考えれば、あのような設備も必要な備えなのかも知れない。

「……人間の村に詳しい訳ではないのですが、少し注意した方が良いかと――」

 ぼんやりと思いを巡らせていたユンゲに、声を落としながら話しかけてきたのは、御者台から振り返ったリンダだった。

 投げかけられた言葉の意図を掴めず、ユンゲは小さく肩を竦めてリンダに先を促す。

「――確証はないのですが、村の防備が過剰なように見受けられます」

 モンスターなどの外敵から身を守るために塀を設けることはあっても、戦時にも活用できるほどの市壁を有するのは、各地方でも行政や交易の中心地となるエ・ランテルのような大都市ばかりで、中規模な都市の市壁も目前の囲いほど立派なことは稀だという。

 この転移後の世界で、ユンゲが見知った街となれば、城塞都市の異名を持っているエ・ランテルと強大な帝国の首都たる帝都アーウィンタールを除いたとしても、両都市間を結ぶ道中に見かけた――何れも主要な街道沿いという立地に恵まれている都市くらいのものであった。

 改めて思い返したなら、地図にも描かれないような辺境の村を実際に訪れるのは、今回の依頼が初めてということになる。

 自身の認識不足を実感しながら説明に耳を傾けていたユンゲに、リンダが更に声を潜めるようにして言葉を続けた。

「カルネ村が移住者の募集をしているのは、春先に襲撃されて被害が大きかったため……とのことでしたが、あれほどの塀に囲まれているのなら、門を閉ざされてしまえば、襲うことも簡単ではないはずです」

 遠目に軽く見積もってみても、ユンゲの背丈の三、四倍はありそうな高い塀を乗り越えるのは簡単でないばかりか、櫓からの良い的になってしまうだろう。

 塀そのものを壊そうにも、しっかりと横木を重ねた丁寧な作りを眺めたなら、充分な攻城の用意でもなければ手も足も出ないように思えた。

「……なるほど、確かにそうかも知れないな」

「えぇ、生き残った数少ない村人の証言では、帝国兵士の身なりをした襲撃者だったらしいですが――」

「敵対関係にはあっても、帝国側は辺境の村ばかりを襲ったところで、軍を動員する労力に見合った成果は得られない。だから、王国と帝国の関係を更に悪化させたい偽装した第三者の介入という薄い線か、或いは……」

 冒険者組合で受付嬢から聞いた説明を思い出しながら口にしていく。

 この世界に転移して間もなく、ユンゲが冒険者となった頃に前後して、国境付近の村が襲われてしまう被害が続いていたらしい。

 そうした時期には、エ・ランテルから王都リ・エスティーゼに向かう道中においても、野盗による被害の報告が多く寄せられていたので、単に帝国軍から脱走した兵隊崩れか、影響力を増していた賊の類いによる可能性が高いという結論だった。

 頭を捻るユンゲに首肯を返しつつも、リンダは小さくかぶりを振るようにして、「――しかし、多少数が揃ったとしても野盗程度では何もできないでしょう」と言葉を続けて、砦のような村の外観へと訝るような視線を向けていた。

 今回の調査依頼は、住み慣れた土地を追われた人々に新しい居場所を提供するためのちょっとした善行のはずだった。

 目的地となっているカルネ村の名前については、以前に川釣りからの帰路で面識を得た、エンリ・エモットという少女の口から耳にしている。

 その際には、カルネ村で亜人種であるゴブリンと共存しているとも、冒険者組合には伝えないで欲しいとも――。

 早とちりによって迷惑をかけてしまったエンリへの謝罪と告げられた願いに折り合いをつけたいと考えて、ユンゲは今回の調査依頼を引き受けることを決めていた。

 しかし、リンダの懸念するところでは、カルネ村が移住者の募集をしている理由が、大前提の部分で崩れてしまう怖れがあった。

「……どういたしましょう、少し様子を探ってみますか?」

「――だめ、もう気付かれてるみたいだよ」

 リンダの問いを遮るように、すくりと立ち上がったキーファが短く言い差した。

 キーファの目線を追った先で、高い見張り用の櫓に立っていた小柄な人影が、奥へと下がっていくのが見えた。

 ユンゲたち“翠の旋風”の接近は、既にカルネ村の中で知られているらしい。

 下手な行動をして警戒されてしまっては、本来の目的である聞き取りも上手くいかないだろう。

「……まぁ、こっちに負い目はないんだ。正面から堂々といこう」

 先ずは話を聞いてみようぜ、と小さく肩を竦めてみせながら、ユンゲは御者台のリンダの肩に手をかける。

 僅かな言葉を交わしただけに過ぎないが、いかにも村娘らしいエンリの純朴そうな人柄を思えば、村ぐるみで悪事に荷担しているとは考えにくい気がしていた。

「――何かあれば、皆で逃げ出すだけの時間くらいなら稼いでみせるさ」

 少しだけ指先に力を込めながら、努めて軽い調子で口にしたユンゲを振り返り、リンダが口許に小さく笑みを浮かべて頷いてくれる。

 何らかの不測な事態に巻き込まれてしまったとしても、ユンゲ自身は〈フライ/飛行〉の魔法を使えるので、リンダたちを先に逃してから後を追うことは、それほど難しくもないだろう。

 緩やかな丘を下った畦道の先――こちらを出迎えるかのように、ゆっくりと開かれていくカルネ村の門を見つめながら、一つ深く息を吸い込んだユンゲは、大袈裟なくらいに手を振ってみせながら、カルネ村に向けて来訪の旨を伝えるのだった。

 

 




ユンゲたちが懸念しているのは、移住者が人身売買等の被害に合っている可能性について――。
カルネ村の真相を知っているなら後半部は蛇足でしかないのですが、元奴隷という境遇も相俟ってユンゲたちの視点では、センシティブな話題という位置付けになっています。

こういった本筋から外れた部分を書いているから全体としてのテンポが遅くなってしまうのかなぁと悩みつつ、次回でようやくとカルネ村の面々との顔合わせができるかと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。