オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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(38)危急

「――それにしても、まさかエンリさんが“村長”を務められていたとは、思いも寄りませんでしたよ」

 少しだけ戯けるように、それでも村長という単語を強く意識しながら、ユンゲは口許を持ち上げた。

「そうですよね。正直、私みたいなただの村娘には荷が重くて……」

「いえ、村をまとめるのに、年齢や性別は関係ないと思います。私は部外者に過ぎませんが、ちょっと歩いただけでも、エンリさんが村の皆さんから慕われていることは分かりました」

 適役だと思いますよ、と努めて優しい声音で続けながら反応を窺い見れば、純朴そうな村娘の頬には微かな朱が差している。

 あまり褒められ慣れていないのか、胸元へと垂らした栗色の三つ編みに触れるエンリの様子は、どこか気遣わしげな印象を感じさせた。

「そ、そんなことはないです」といった謙遜の言葉をしどろもどろな様子で呟いているエンリを前に、ユンゲはどうしたものかと静かに頭を悩ませる。

 

 今回の調査依頼の目的地である、カルネ村へと到着したユンゲたち“翠の旋風”を出入り口の門で迎えてくれたのは、他ならぬエンリ・エモットだった。

 顔見知りの登場に幸いとユンゲが、再会の挨拶とともに来訪の理由を告げたところ、先のようにエンリが村長であることを伝えられたのだった。

 予想もしていなかった事態に焦ってしまったユンゲと気恥ずかしさからか、言葉を噤んでしまったエンリの間に訪れたのは、少し気不味いような沈黙。

「とりあえずは、姐さんの家にお連れしてはどうでしょう?」と助け舟を出してくれたのは、エンリの背後に従者然と控えていたゴブリンからだった。

 そうして、額に大きな傷のある屈強なゴブリン――エンリからは、「カイジャリさん」と呼ばれていた――の背に導かれるように、ユンゲたちはカルネ村へと足を踏み入れた。

 エンリの家へと向かう道すがらにカルネ村を縦断していったなら、塀の内側に広がる長閑な開拓村の風景の中には、自然と溶け込むようにゴブリンたちの姿があった。

 そして、「お疲れ様、族長!」や「族長、今日も格好良い!」のほか、「やぁ、族長。お客さんかい?」といった気さくな声が、村のそこかしこからエンリに向けてかけられるのだった。

 エンリが“村長”ではなく、“族長”と呼びかけられることに疑問を感じたユンゲが、何気なく視線を巡らせてみれば、そこに羞恥と苛立ちが綯い混ぜになったような横顔と出会ってしまう。

(……なんか、苦労してそうだな)と社会人経験で培った機微により、朧げながら事情を察したユンゲは、族長という単語を口にしないように心がけながら、先ほどから会話を続けていた。

 

 移住した者が虐げられてしまわないかという依頼主の懸念は、ここまでに見かけた村人たちの屈託のない笑顔を思えば、杞憂であるように直感しているユンゲだったが、確認しなければいけない事項は残されている。

 春先に起きてしまったという襲撃事件の顛末は、ユンゲが目にした現状のカルネ村から受ける印象にそぐわないものだった。

 エ・ランテルの冒険者組合で伝え聞いたところでは、国境沿いの村々を襲っていた賊徒の集団は、最終的にこのカルネ村の地で、リ・エスティーゼ王国戦士長〈ガゼフ・ストロノーフ〉の率いる戦士団に討たれたという。

 離散となってしまった他の村々と比較したなら、幾らか救いがあるとはいえ、半数近くの村人が命を落としてしまった被害は並大抵のものではない。

 不幸中の幸いにして、カルネ村が王家直轄領に属していたため、国王ランポッサ三世の温情により今年の労役と税の一部が免除――援助や補償の類いはないというのが、何とも世知辛い話ではあるが――されたものの、多くの働き手を失った開拓村は、移住者を募らなければ明日からの暮らしもままならない……という事情があるはずであった。

 カルネ村の周囲に張り巡らされた堅固な塀と襲撃の状況、傍目には困窮している様子もない穏やかな村人たちと生活にすっかりと馴染んでいるゴブリンたち――ユンゲの疑問は尽きないが、話題として切り出すには躊躇もあった。

 案内されたエンリの家は、村内に建ち並んでいた他の家屋と大差のない一軒家であり、幼い妹と二人住まいをしているらしい。

 村長となってからまだ日も浅く、エンリを主人と仰ぐゴブリンたちの協力もあって、何とか生活ができていると聞いたなら、春先の襲撃事件において、親しい者たちが亡くなっているだろうことは想像に難くない。

 十代半ばほどの少女にしか見えないエンリが、若い身そらで村長という大役を担っている要因も、亡き両親どちらかの後を継いだものと考えれば納得できるものだった。

(……俺には想像もできない経験をしてそうだな)

 少しだけ気を紛らわせるように、ユンゲは軽く伸びをしながら周囲に目を向ける。

 エンリ家の裏手には――ゴブリンたちと一緒に食事をするためだという――太い丸木を縦に割っただけの簡素な長机と小さな切り株のような椅子が並べられている。

 まだ昼前ということもあり、村内で様々な務めに従事しているゴブリンたちの姿はないが、長机の片隅には腰掛けるキーファとリンダ、マリーの三人に加えて、楽しそうに走り回る小柄な少女――エンリの妹である、ネム・エモットの姿があった。

 肩口で揃えた髪と姉に良く似た面立ちを年相応に溌剌とさせるネムの様子に、ユンゲは自然と頬を緩ませる。

 先ほどまでは、初めて出会う森妖精〈エルフ〉に興味深々といった印象で、戸惑うキーファたちを質問責めにしていた様子だったのだが、今の関心は既に別のところへ移っているのかも知れない。

「……最近、ようやく笑顔を見せてくれるようになったんです」

 不意に、慈しむような柔らかい声音が、静かにユンゲの耳朶を打った。

 微かな安堵を孕んだ声色にやおらと振り返ってみれば、窓の外へと視線を注いでいるエンリの横顔――長机を間に挟んで、キーファと追い駆けっこを始めた幼い妹を見つめる姉の琥珀色の瞳は、母のようにも思える優しさを湛えていた。

 

 *

 

「――そうでしたか。辛いことをお訊ねして、申し訳ありません」

「いえ、構いません。泣いてばかりもいられないですし、私にはネムもいますから」

 凛とした振る舞いで言い差し、気丈に微笑んでみせるエンリを見遣り、ユンゲは恥じるような思いを抱いていた。

「……エンリさんとネムさんが、こうして穏やかに過ごされているのは、ご両親に取って何よりの救いでしょうね」

 無惨にも最愛の父と母を奪われ、それでも残された幼い妹のために前を向いている健気な少女に対して、そんな気休めの言葉しかかけてやれない、空っぽな自身の無力さが情けない。

「そうだと、嬉しいですね」

 寄っていた窓辺から、遠い眼差しで空を見上げるようにしていたエンリが、小さく肩を竦めてから振り返り、どこか誇らしげな様子で言葉を続けた。

 

 ――でも、全てはアインズ・ウール・ゴウン様に助けていただいたお蔭なんです。ゴウン様がいらっしゃらなければ、私もネムも……カルネ村の人たちも皆、今頃は生きていられなかったでしょうから。

 

 こちらへと向き直った拍子に、下げていた三つ編みの一房が背中に回り、幾らか大人びて見えるエンリの表情には、底知れない感謝と敬愛の気持ちが込められているように思えた。

 不意に窓枠の隙間から吹き込んだ風のためか、室内の空気が一層と冷え込んだような気配に、ユンゲは小さく身震いをしながらエンリに問いを返す。

「……アインズ・ウール・ゴウン様、ですか?」

「えぇ、とっても凄い魔法詠唱者の方なんです。帝国の兵士に襲われていた村を救っていただいたばかりか、復興の手助けにと貴重なマジックアイテムやゴーレムまでお貸しいただいて……何より、とてもお優しいんです。それに――」

 エンリの口から嬉々とした様子で語られる“アインズ・ウール・ゴウン”という名を耳にしたのは、この世界に転移してから三度目の出来事だった。

 一度目は、帝都アーウィンタールが誇る帝国魔法学院の応接室において、バハルス帝国を統べる皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの口から――。

 二度目は、王国と帝国間における開戦の折りに触れて、帝国の掲げた宣戦布告の内容を目にした市井の人々の口から――。

 そうしたとき、アインズ・ウール・ゴウンという名は、どのような人物なのかという疑念とともに、未知への怖れや困惑を孕んだ硬質な響きとなって、様々な口の端を渡っていたはずであった。

 決して、純朴な村娘がまるで憧れの人物を語るように、畏敬を込めて呼ばれていた覚えはない。

 いつかの同僚を彷彿とさせる熱の入れようで、アインズ・ウール・ゴウンという人物の素晴らしさを話し続けるエンリを前に、ユンゲは気圧されるような思いを抱きつつも、何とか踏み止まってみせながら思考を紡いでいた。

 リ・エスティーゼ王国の東端、国境付近に位置するカルネ村は、帝国兵士の身なりをした者たちに襲われたが、アインズ・ウール・ゴウンの介入により辛くも難を逃れることができた。

(エンリたちを助けたアインズって奴は、バハルス帝国のジルクニフやフールーダが探していたはずの相手で……でも、今は帝国と同盟を結んで王国に戦争を仕掛けているんだよな)

 一方で、カルネ村を救ったと伝え聞いていた戦士長〈ガゼフ・ストロノーフ〉の名前が、エンリの口から挙げられないことから推察するならば、アインズ・ウール・ゴウンの功績を王国側が隠蔽ないし、自国の英雄への箔付けのために都合の良い話を吹聴したという線も考えられるのだろうか。

 以前に商隊の護衛をともにした神官〈クレリック〉の青年が憤っていたように、国民の労苦を顧みることなく、無意味な派閥争いばかりに注力しているらしい王国上層部の腐敗具合いを思えば、それも有り得そうな気がした。

 或いは、帝国兵士が偽装ではない正規の部隊だったと仮定したなら、自軍を破るほどの凄腕な魔法詠唱者に興味を持ったジルクニフが、王国を見限るように裏から手を回して、アインズ・ウール・ゴウンを自らの陣営に招くために動いたという可能性もあるのかも知れない。

 ユンゲを勧誘するためだけに、色々と面倒な策を講じてくれた“鮮血帝”ジルクニフであれば、そうした陰湿なやり方も好みそうな印象だった。

 

「――でも、いつまでもゴウン様を頼ってばかりではいけないので、私たちにできることを村の皆で考えているんです」

 意気込むようなエンリの声音に、ユンゲの意識は溺れかけていた思考の海から引き戻される。

「……なるほど」と答えにもならない曖昧な頷きをエンリに返しつつ、ユンゲは取り繕うように笑みを浮かべた。

「最近、三頭だけですけど村で豚を飼い始めたんです。良かったら、ご覧になっていきませんか?」

 そうしたユンゲの様子を気にする素振りもなく、エンリが小首を傾げるようにして問うてくる。

 豚の飼育場を見せたいというのは、どういった心境なのだろうかと訝りつつも、何かを期待するように目を輝かせているエンリの様子を見遣れば、単純に村として新しく歩み始めた成果を自慢したいような気持ちなのかも知れない。

 自分よりも幼い妹を抱えながら、弱音を吐くことのできない村長という立場にある――それでも、僅かに十代半ばほどの少女に過ぎない――エンリの少しだけ幼く見える仕草。

 小さく肩を竦めるようにして応じたユンゲは、真っ直ぐな琥珀色の視線を見つめ返して口を開いた。

「――そうですね。村の様子も少し見て回りたいので、一緒に案内をお願いしても良いですか?」

 

 *

 

「――森の浅い所まで連れていって、木の実や根を食べさせています」

 小さな木組みの囲いの中で寝転がる、三頭の丸々とした仔豚たちを指差しながら、「いつかは、もっと沢山育てられるようにしたいんです」とエンリが明るく声を弾ませた。

 過酷な境遇にあっても、未来へ邁進しようとするエンリの姿勢が、ユンゲには眩しく映る。

「……立派に育っていますね。これならエ・ランテルに持ち込んでも良い値段がつきそうだ」

 食肉に加工される過程を考えると何とも言えない気分になるものの、トブの大森林という豊かな餌場の恩恵を得た、脂の滴る豚の串焼きを思い浮かべたなら何とも腹が空いてくる。

「カルネ村に大規模な養豚場ができるのも、そう遠くないかも知れませんね」

 そうした他愛のない追従を受けて恐縮そうにするエンリに、やや申し訳ない思いでユンゲが目を向けていたときだった。

 

「ちわーっす!」

 底抜けに明るい女性の声が響き渡るや、不意打ちのようにユンゲの視界の端から這い出た人影が、するりと音もなくエンリの背後へと回り――呆気に取られる間もないままに、小さな悲鳴が上がった。

「きゃっ、ルプスレギナさん!?」

 鷲掴みにされたエンリの胸が、揉みしだく嫋やかな手の動きに合わせて形を変えながら、ユンゲの目の前で豊かに弾む。

「えっ、いや……な、何を?」

 突然の事態に、理解が追いつかないままのユンゲの口から、意味を為さない疑問符だけがこぼれた。

「ちょっと、い……良い加減にっ! お客様の前でやめてくださいっ!」

「うん、久しぶりに良い声が聞けたっすね。こっちのエンちゃんは、人前だと燃えるタイプっすか」

 エンリの上げた抗議の声にひらりと身を翻した赤髪の女性が、悪びれる様子もなく大仰に腹を抱えながら笑ってみせる。

 口の端をにかっと持ち上げた屈託のない会心の笑顔は、思わずユンゲが引き込まれそうなほどの魅力に溢れていた。

「そんで、この冴えない男は誰っすか?」

 前言撤回……満面の笑みで毒を吐けるような、ユンゲの苦手とする手合いらしい。

「まさか、エンちゃんの新しいコレっすか? ンフィー少年は、お払い箱でご傷心っすか?」

 敬虔な修道女の装いにも見える、黒を基調とした格式の高そうな給仕服に身を包んだ女性――ルプスレギナが、貞淑な柳腰の立ち姿にそぐわない、妙に俗っぽい雰囲気を纏わせながら、しなやかな小指を立ててみせる。

 三つ編みに束ねた鮮やかな赤髪と目の覚める彫像のような美貌が相俟って連想された言葉は、どこかの玲瓏たる冒険者と同じ二つ名だった。

「――だから、やめてくださいっ!」

 容赦のない揶揄いに頬を上気させたエンリが、勢い込んで詰め寄るのをやはり飄々と受け流した褐色の“美姫”ルプスレギナが、ユンゲの眼前にするりと踊り出てくる。

 展開の早さに戸惑いを隠せないままに、至近距離から上目遣いに向けられた黄金の瞳の中に広がる、悪戯めいた喜色。

「――意外に初心っぽい反応っすね。何なら、お姉さんが優しく手ほどきしてあげても良いっすよ?」

 冗談めかせる真紅の口唇に当てられた細く繊細な指先が、形の良い顎先から首筋を伝って艶めかしく下げられていけば、ユンゲの視線を否応なく蜂蜜色の豊かな谷間へと誘っていく。

 更に下方へと広がった視界には、フリル地の裾から深く切り上がったスリットの隙間に、引き締まった魅惑の脚線美が覗いている。

 思わず生唾を呑み込みそうになるのを寸前のところで堪え、ユンゲは慄くように一歩を後退った。

「……いや、魅力的だけど遠慮しておくよ」

 穴の空いた吹子のような吐息で、それだけを呻くように口にする。

 いつかの悪寒にも似た喉の渇きを覚えながら、ユンゲはエンリを間に挟むようにして、ルプスレギナから距離を取った。

「単なる冗談っすよ。……そんなに怯えないで欲しいっす」

 晴天の満開な笑みが、一瞬にして梅雨の曇天な陰りに包まれる。

 途端にしおらしく顔を俯かせるルプスレギナの様子を見遣れば、不意の罪悪感と後悔にユンゲは胸を締めつけられるような思いが――、

「まぁ、どうでも良いっす!」

 ――込み上げるのを前に夢散する。

 なかなか愉快な玩具っすね、などと囁くような声音が聞こえてしまったなら、ユンゲは努めて憮然とした表情を取り繕うしかない。

 深窓の令嬢然とした佇まいに反して、野山の天候よりも移り変わりの激しいルプスレギナに、色々と肩透かしを喰らった気分だが、ユンゲは気を取り直すように小さく息を吐いた。

 そもそも、突然現れたこのルプスレギナという女性は、何処の誰なのか。

 エンリと知己であることは知れても、これまでに見かけた良い意味で素朴なカルネ村の住人たちとは相容れないだろうと思わせる、どこか高貴そうな独特の風采を放っているようにも感じられた。

 何より、ユンゲの傍らを抜けてエンリの後ろへと回ったときの機敏に過ぎる身のこなしは、とても一般人に可能な芸当ではなかったはずだ。

「――っ、聞いていますか!?」と抗議を続けていたエンリを綽々とあしらってみせながら、時折り不敵な笑みを向けてくるルプスレギナを前に、ユンゲは得体の知れない警戒心を強めつつも、意を決したように口を開く。

「えっと、ルプスレギナさんは、どちらの――」

「エンリの姐さん、緊急事態です!」

 ユンゲの発しかけた問いに被さり、予期しない野太い声が響き渡った。

 衆目の集まる先、こちらへ駆けてくる屈強そうなゴブリンが、息急きを切りながらも危急を報せるために大きな声で言い放つ。

「ぐ、軍隊が……武装した数千の軍隊が、こちらに向けて進んできています!」

 

 少し肌寒くもある、初冬の晴れた昼下がり――カルネ村の存亡を賭けた戦いの幕が、切って落とされようとしていた。

 

 




ンフィーレアの香水イベントは、展開の都合上カットになりました。

-簡単な時系列のイメージ-
エ・ランテルに帰還したユンゲは、冒険者組合で依頼を受けた翌日に出発し、一般的な二日間の旅程を経て“カルネ村”に到着して、エンリと再会。

王国軍の別動隊は“翠の旋風”に一日遅れる形で、エ・ランテルを進発したものの、功を焦るバルブロの指揮下で強行軍を行い、当日の内に“カルネ村”へと接近する。
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