オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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本筋から外れた説明を省くために、アーグたち部族の存在を無視していますが、一応は原作通りに行動しているものとお考えください。


(40)覚悟

「あんたたち、良かったのか? 冒険者なら、こういった事態は避けなきゃいけないだろ?」

 不意に問いかけてきた赤毛の女を一瞥し、ユンゲは小さく肩を竦めてみせる。

 日に焼けた健康的な肌に、どこか勝気な顔立ちの女は、かつて「大切なポーションを弁償しろ」と“漆黒”のモモンを相手に詰め寄っていた“ポーション女”こと、女戦士〈ブリタ〉だった。

 自分以外のパーティメンバーが全滅するという憂き目に遭い、冒険者を引退した後には開拓村へ移り住む、という話を冒険者組合の受付嬢から伝え聞いていたが、その移住先となった村は偶然にもカルネ村であったらしい。

「……俺たちは、護衛の依頼を受けただけですよ」

「でも、相手は王国の軍隊だ。組合だって――」

 更に言い募ろうとするブリタを手で制し、ユンゲは微かに口許を持ち上げながら、「モンスターが蔓延るトブの大森林に足を踏み入れるなら、護衛の人数は多い方が良いでしょう」と言葉を結んで、それ以上の会話を拒むように顔を背ける。

 こちらの身を案じての忠告だとは分かっていても――当然ながら何事にも関わらないことを決め込んで、このカルネ村を黙って後にすることが、賢い選択であると理解してはいるものの――素直には受け入れられない。

 目に飛び込んでくるのは、十歳にも満たないような幼い子どもたちが、必死に歯を食い縛っている姿。どれほど事態を理解できているのかは分からないが、腰丈にも届かない小さな身体で涙を堪えている様子に、ユンゲは苦い思いを感じずにはいられなかった。

 ――不意に、遠くから響いてくる喚声と打ち鳴らされる剣戟の音。

 既に、非情なる戦端は開かれてしまったらしい。

 更に視線を返せば、浅く涙の滲んだ目尻に、口許を固く引き結んだ少女が浮かべる、凛とした決意の横顔。三つ編みにした栗色のおさげ髪が、冷たく吹きつける木枯らしに乱れていた。

 その細い肩には重過ぎる責任を負いながら、気丈に立ち続けるエンリの姿を見遣れば、ユンゲの取るべき選択肢は限られている。

 

 *

 

「……覚悟は見せてもらった。あんたたちはここで死ぬ、それで構わないんだな?」

 自らが所属するリ・エスティーゼ王国の“第一王子”バルブロ軍と戦う意志を示した村人たちに向け、百戦錬磨のゴブリンの戦士が静かに問いかけた。

 怒号にも似た村人たちの肯定する声に、その心意気は買うと頷いたジュゲムは、「…だが、死ぬのは俺たちやおっさんたちだけで良くないか?」と穏やかに問いを重ねる。

 恐怖に抗して声を上げながらも、青い顔を晒していた禿頭の男が縋るように口を開いた。

「……それは勿論だが、村の出入りできる門は、両方とも敵の軍隊が待ち構えている。どこかの塀を乗り越えるにしても、絶対に見つかってしまうんじゃないか?」

「その通りだ。この状況下で、隠れて逃げることは不可能だろうな」

 怖々とした様子で問い返した年嵩の男に、気休めにもならない答えを告げたジュゲムは、「――だが、一つだけ作戦がある」と不敵な笑みを浮かべて言葉を続けた。

 曰く、王国軍の注意を引き付けるために正面門を開き、カルネ村に受け入れる姿勢を示したところで、不用意に近寄ってきた相手を全力の奇襲で叩いて、再び門を閉ざして引き籠もる。

 十分な損害を与えることができれば、裏手門の前に布陣している戦力を集結させるはずであり、そのときこそが逃げ出すための好機になる――と。

「相手も陽動だと気付くかも知れないが、俺たちの攻勢が強ければ、分散した兵を集めざるを得ない」

 つまりは、女性や子どもたちを無事に逃すために、男たちやエンリを慕うゴブリンたちが囮を買って出るということだった。

 そうして、鬱蒼と樹々の生い茂るトブの大森林へと逃げ込んでしまうことができたなら、軍隊を率いての組織立った追跡を避けられる、という算段も見えてくる。

 多分に希望的な観測の含まれたジュゲムの説明にも、村人たちの張り詰めていた空気が少しだけ弛緩する気配があった。

「いいですか、最初の一撃と相手が兵力を集めてからの攻防が肝要です。二度の攻撃で相手に余力を与えず、全力で挑みます」

 こちらの攻勢が強いほどに逃げてもらう人たちの助けになります、と気を引き締め直させるように、ジュゲムが静かに語調を強めた。

 目算ながら数千もの規模を誇る王国軍に対して、カルネ村の住民数は二百人余り――老人や幼い子どもを除いて、実際に戦力として数えられる人数は、その半数にも満たないかも知れない。

 絶望的なまでの戦力差と対峙しなければならない状況にありながら、それでも村人たちの中からは、清々しい笑い声が起こっていた。

 妻や子どもを助けられるなら憂いはない、と朗らかな表情を浮かべて言い切った壮年の男に、次々と同意の声が重なっていく光景を目の前にして、ユンゲは言葉を失ってしまう。

 

「それで……別働隊は、どういう編成にするの?」

 男たちの熱気に当てられながらも、冷静な声音で問いかけたのは、エンリを庇うような姿勢で立つンフィーレアだった。

 ユンゲの視界の端で、意気込むように腕捲りをしたエンリが進み出かけ――、

「子どもたちを守って村から離れる役目は、エンリの姐さんとンフィーレアの兄さんにお願いしたいですね。森に逃げ込んだ後のことも考えて同行者には、ブリタの姉さんと……」

 間髪入れずに続けられたジュゲムの言葉に、唖然と息を飲む気配があった。

 思わずといった具合に、「――えっ?」とエンリからこぼれた疑問符は、村の長として最期までカルネ村に残る決心をしていたのかも知れない。

 何度も口を開きかけながらも、上手く言葉を紡げない様子のエンリを取り囲むようにして、村人たちが畳みかけるような勢いで、信頼や激励の言葉を投げかけていく。

「エンリちゃんなら安心だ!」と初老の男が胸を張り、「エンリ、皆のことを頼んだよ!」と袖口に縋って微笑む老婆がいた。

 冗談めかせながら、「族長!」と手を振っていた村人たちが、エンリの名を親しげに呼びかけ、「ちゃんと逃げてくれよな」と念を押すように言葉を重ねていた。

 若くして“村長”という重責を担っていたとしても、カルネ村の年寄りたちから見たなら、エンリ・エモットという純朴な少女もまた、守るべき村の子どもの一人なのだろう。

 戦場となってしまう村を離れてもらいたいエンリに、決して罪悪感を抱かせまいとする心意気が、彼らの口を次々に開かせているのかも知れない。

「エンリ、行こう。生き延びた、その先こそが僕たちの戦うべきときだ」

 エンリを鼓舞する村人たちの意を汲み、ンフィーレアが優しい声音で呼びかけていた。

「…………これは、何なんだろうな」

 そうした感極まった様子の人々の輪から少し離れ、ユンゲは気後れするように肩を落とす。

 突然の異世界転移を経験してから既に半年余り――、この場所が綺麗事ばかりで成り立つような甘い世界でないことを理解はしていても、今のユンゲには持ち得ないものが多過ぎた。

 世人の及ばない遥かな高みにありながら、大器たる度量の深さと誰を相手にしても分け隔てのない誠実さを併せ持つ“漆黒の英雄”モモンとは、比較することさえ烏滸がましい。

 自身よりも力を持たない弱者たる、朴訥な村人たちが抱いている気概や覚悟でさえも、ユンゲにはないものだった。

 いつも傍らにいてくれるマリーに視線を向けるが、かけるべき言葉を見つけられない。

 いつかの渓流の畔、彼女の口から語られた“英雄”という存在に、自身の手が届くような日はやってくるのだろうか――。

「……あの、冒険者様」

 仄暗い思考の淵に沈みかけていたユンゲを思いがけない呼びかけが引き戻した。

 やおらと持ち上げた視界に、如何にも人の良さそうな老夫婦の寄り添う姿が映る。

「不躾なお願いをしてしまい、本当に申し訳ないのですが……」

 

 *

 

 村を離れる子どもたちを守ってあげて欲しい。

 そう懇願をして頭を下げた恰幅の良い好々爺の言葉に、ユンゲは静かに顎を引くことで応えた。

 この行為が冒険者としての規約に反するのか、正確なところは分からずとも国家を敵に回したなら、面倒な事態になるのは避けられないだろう。

 ユンゲの身勝手な振る舞いを快諾してくれた仲間たちには申し訳ないが、また要らない苦労をかけてしまうことにもなった。

 不安そうな子どもたちに優しく声をかけて回りながら、周囲への警戒をしているリンダやマリーの姿に目を向ける。

 故郷である“エイヴァーシャー大森林”において、悲惨な戦場を経験している彼女たちを今回の騒動に巻き込んでしまうことには抵抗があったものの、拙いユンゲの思いを気遣ってくれる配慮に、何度となく甘えてしまったという情けない有様だった。

 そして、もう一人の仲間であり、野伏〈レンジャー〉の技能を有するキーファも、ンフィーレアとともに裏手の物見櫓に身を隠しながら、村を脱出する好機を探ってくれている。

「……良い加減、格好がつかないよな」

 小さな溜め息とともに、ユンゲは弱気を吐き捨てるように、自身の頬を両手で張りつけた。

 ジュゲムの見立て通りであれば、正面門での戦いが苛烈になるほどに、相手も軍を集結せざるを得なくなるはずだった。

 非力な村人たちが、命を賭してまで守ろうとする気骨には、何としても報いなければならないとユンゲは考える。

 

 ――再び打ち響く剣戟の音。

 遠く地鳴りのようにも聞こえる雄々しい叫びに、子どもたちが身を強張らせていた。

 二度目となる攻勢……つまりは、男たちの決死の戦いが始まったのだろう。

 憂いを帯びたエンリの横顔にも、隠し切れない緊張の様子が見て取れる。

 琥珀色の視線の先には、ひっそりと佇む物見櫓――華奢な人影が二つ駆け降りてくるのが見えた。

「ジュゲムさんの作戦通り、ほとんどの兵士は正面門側に集められてるみたいだ。ただ……」

「塀の影に身を潜ませてる部隊がいるよ。多分、騎兵が百人くらいかな」

 表情を曇らせるンフィーレアに続き、駆け寄ってきたキーファが短く言葉を引き取る。

 物見櫓から目視できない位置に部隊を構えているということは、村の裏手から逃げ出そうとする村人を警戒しているのか、若しくは逃げ出したところを追撃する腹積もりなのだろうか。

「騎馬が相手なら、森まで逃げ込めれば――」

「門から森までは、結構な距離がある。……子どもたちの足だと、ちょっと難しいかも知れない」

 現実的なンフィーレアの物言いに、怯んだようにエンリが言葉を詰まらせた。

 肌を刺すほどの冷たい風に乗って、男たちの血気する怒号と苦鳴の叫び声が届けられる。

 或いは、正面門の付近での戦いが一層と苛烈のものになれば、この状況が好転する可能性も見えてくるのだが――、

「ジュゲムさんたちの攻勢は、いつまでも続けられない。今を逃したら、もう好機はないと思う」

 だから僕が時間を稼ぐよ、と暗澹とした空気を振り払うように、進み出た少年が口を開いた。

「な、なら私も……」

「駄目だ。エンリは村の皆を守らなきゃいけない」

 小さくかぶりを振ったンフィーレアが、毅然とした口調で言い切る。

 前髪の奥に覗く青い瞳が、意思の強さを宿してエンリに反論の余地を与えないままに言葉を続けた。

「もしかしたら……もう一度、アインズ・ウール・ゴウン様が救いにきてくれるかも知れない。そのときのために、あの方のお城まで行ったことのあるエンリは生き残るべきだ」

 悲壮な決意の込められたンフィーレアの台詞に、エンリが嗚咽を堪えるように顔を歪ませる。

 お互いを間近に見つめ合い、今にも泣き出さんばかりの表情を浮かべる少年と少女を前にして――、憚かられるような思いを抱きながらも、一つ大きめの咳払い。思わずといった様子で、二人が驚きと恥じらいに肩を竦ませる。

 そうしたンフィーレアとエンリの態度には気付かない振りをしつつ、ユンゲは努めて憮然とした振る舞いを装いながら、静かに言葉を投げかける。

「……その役割は、俺が引き受けよう」

 

 *

 

「良しっ、行ってくるね!」

 殊更に明るい口調で言い放ったキーファの、せがむような野葡萄色の上目遣いに苦笑いを返しつつ、ユンゲは丁寧に括られた栗色の髪を梳くように撫でながら口を開く。

「あぁ、頼りにしてるよ。……でも、無理だけはしないでくれ」

「それは、こっちの台詞! 絶対に無理しちゃ駄目なんだからね!」

 満足そうに緩めていた頬をぷくりと膨らませて、キーファが小さく抗議の声を上げた。

 分かっているさ、と言外に告げながら、ユンゲは気負わずに肩を竦めてみせる。

「……リンダも、よろしく頼むな」

 横合いからの援護射撃を察し、重ねるように先手を打って呼びかける。

「……えぇ、心得ていますよ」

 不承不承といった様子ながらも、微笑みを浮かべてくれたリンダと一つ頷きを交わし、ユンゲは周囲へと視線を巡らせる。

 緊張した面持ちの女性や子どもたちは、カルネ村からの脱出に備えて既に一塊りとなっていた。

 幼子を抱える若い母親に、自分より年少な者の手を取る子どもたちの健気な姿が、未だに不安を拭えないままのユンゲの胸に沁み入る。

「じゃあ、また後でね!」と軽く手を振って踵を返したキーファが、ユンゲと揃いになる若草色のロングマフラーを冷たい風に靡かせながら、先頭の集団へと歩み寄っていく。

 身軽なキーファには、レンジャーとしての訓練も積んでいるらしいブリタと並んで、一行の斥候役を担ってもらうことになっていた。

「……では、私も参ります」

 長柄の錫杖を握り締めた玲瓏たる女神官〈クレリック〉のリンダが一礼し、傍らのマリーの耳許に寄せて何事かを囁いてから、持ち場へと去っていく。

 中天を越えた陽射しに当てられ、眩しい輝きを放つ銀髪の颯爽とした後ろ姿を見送りながら、ユンゲは訝るような視線をマリーへと向けた。

「――ふふっ、ユンゲさんが無茶をしないために、しっかり見張っているように……と」

 悪戯っぽい笑みを浮かべたマリーが、可愛らしく小首を傾げてみせる。

 俺は信用がないな、とわざとらしく拗ねた真似をしつつ、情けない思いに蓋をするようにかぶりを振ったユンゲは、気を取り直して言葉を続けた。

「さて、俺たちはエンリさんたちのところだな」

「はいっ、責任重大ですね」

 意気込みながら小さく握り拳を作ってみせるマリーの姿に、思わずユンゲの頬は緩みかけ、「……ああ、そうだな」と取り繕うように短く言葉を返す。

 そうして、気合い十分といった様子のマリーを傍らに伴ったユンゲは、整列の最後尾で待つエンリとンフィーレアの下へと向かっていく。

 

「ユンゲさん、こんな事態に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」

「……こちらが勝手に申し出ただけのことです」

 どうかお気になさらず、と何度となく耳にしたエンリからの謝罪に肩を竦めて受け流し、ユンゲは努めて気安い調子で話しかける。

「――それよりも、今は皆が無事に逃げられるように集中しましょう」

「……えぇ、そうですね」

 固いままの表情で呟くエンリに、ユンゲはかけるべき言葉に悩む。

 今回の脱出作戦は、正面門の付近でジュゲムたちゴブリンや村の男たちが奮闘しているからこそ成り立っていた。

 元々は最後まで村に残って戦うつもりだったエンリの心情を思えば、村長である自身ばかりが、真っ先に逃げ出すことを素直には受け入れられないのかも知れない。

「行くよ、エンリ!」

 断然とした態度で言い差したのは、年齢に似合わしくない冷静さを見せるンフィーレアだった。

 エンリの戸惑いを汲みながらも、目の前の出来事に意識を向けさせるように、優しく肩に手を置いて呼びかけている。

「――後のことは、よろしくお願いしますね、ユンゲさん」

 こちらを振り仰ぎ、少しだけ気恥ずかしそうなンフィーレアを見遣ったユンゲは、「任せてください」と言葉少なく微笑みを浮かべた。

 自身よりも一回ほども年若く見えるンフィーレアの方が、よほど肝が据わっているらしいことに、僅かに苦い思いを抱いてしまうユンゲではあったが、そんな考えも今更だろう。

 小さくかぶりを振って下らない感情を払い、ユンゲは視線を前方へと向ける。

 カルネ村を囲う高い塀の手前――、赤毛を短く刈り上げたブリタが手で合図を送り、門扉を開いたキーファと連れ立って飛び出していく姿が見えた。

 幼子の手を引いた母親が、二人の後に続いて下草の枯れた大地を踏み締め、村の裏手に広がるトブの大森林を目指して走り出す。

「――頑張れ、森の中まで走るぞ!」

 子どもたちを送り出し、列の間延びしてしまいそうな中程に差しかかった辺りで、鼓舞の掛け声とともにリンダが駆けていく。

 門扉を抜ける瞬間にくれた一瞥に、ユンゲは軽く手を掲げて応じる。

 今のところ、リ・エスティーゼ王国軍の騎兵隊が動き出す気配はない。

 一斉に逃げ出している集団が、女や子どもばかりだと判断して見逃してくれるのなら、ユンゲの出番はないのだが――、

「では、僕たちも行きます!」

「あの、絶対に無理はしないでくださいね」

 ンフィーレアとエンリから声をかけられ、ユンゲは無言のうちに強く頷いてみせた。

 子どもたちの後を追って、最後に駆け去っていく二人の後ろ姿を見送り、ユンゲはマリーと顔を見合わせて小さく息を吐く。

 

「……どうなりますかね?」

「まぁ、このまま何事もなく過ぎてくれれば良いんだけどな――」

 願いを口にしかけたユンゲを落胆させるように、儚く響いた悍馬の嘶き。

 エンリたちの後に続く人影がないことを見定めて、相手は標的を決めてしまったらしい。

 駈歩から襲歩へ、硬い馬蹄が地面を蹴りつける音が次々に重なり、地鳴りのような衝撃が瞬く間に近付いてくる。

「マリー、手筈通りに頼む!」

 半ば叫ぶように言い放ったユンゲは、「はいっ!」とマリーからの返事を背にしながら、開け放たれた門扉を飛び出す。

 一陣の風となって大地を滑り、逃げ惑うエンリたちと追い立てる騎兵との間へとユンゲが身体を躍り込ませたなら、僅かにンフィーレアがこちらを振り返る気配。

 早く行けっ、とばかりに腕を振るい、ユンゲはそのまま身構えることもせずに、前方――迫りくる騎兵の群れを睨みつけた。

 予期せぬ乱入者であるユンゲの存在を見止めたはずの先頭の騎兵は――しかし、一切構う素振りも見せずに、軍馬に猛追を焚きつける。

 その炯々とした瞳は、手に手を取り合いながら必死に走る人々の背を容赦のない馬蹄で蹂躙することだけを渇望していた。

 早鐘のような自身の鼓動が、やけに煩わしい。

 無詠唱のうちに魔法を紡ごうとするユンゲの背筋に、蠢めくのは憤怒にも似た不快感と微かな怯え。

 今は考えるな、そう言い聞かせて突き出した左腕が、思いとは裏腹に震えてしまう。

「――――っ、くそったれ!」

 口をついてこぼれた叫びが、躊躇いの中でユンゲに魔法を紡がせた。

 

〈ワイデンマジック・ファイヤーボール/魔法効果範囲拡大化・火球〉

 撃ち出された真紅の光弾が周囲を血色に染め上げ、騎兵の進む先の地面へと炸裂する。

 刹那の閃光――耳朶を劈くほどの大爆発に、急戦の軍馬が棹立ちとなり、方々で衝突と転倒による悲鳴が上がった。

 額に浮かんだ汗を無造作に拭い、喘ぐような浅い呼吸を落ち着けながら、腰の剣帯へと手を伸ばす。

 震える指先で弾くように留め金を外し、支えを失ったバスタードソードの柄を小指から順に、ゆっくりと握り締める。

 凍てつく外気に剥き出しであったはずの柄は、火鉢に突っ込んでいたかのような灼熱をもって、ユンゲの手を焦がしていく。

「……覚悟を決めろ、ユンゲ・ブレッター」

 誰にも届かないであろう呟きは、吹き荒ぶ爆風の余波に流されて彼方へと消えて失せる。

 そうして、静かに顔を持ち上げたユンゲは、阿鼻叫喚の様相で転げ回る騎兵に向けて、一つの宣言を告げるのだった。

 

「――ここから先は、通行止めなんだ」

 

 




心理面での前置きが長くなってしまいましたが、次話でようやくと戦闘回に突入できるかと思います。
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