オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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予告していた戦闘回です。いつもより長めになってしまったので、お時間のあるときにでも――。


(41)気概

 灼熱するバスタードソードの柄を強く握り締めながら、ユンゲは無造作に視線を巡らせた。

 頬を刺すほどの凍てつく風に朦々と舞い上がっていた土埃が吹き掠われ、灰褐色に煙るようだった視界も徐々に鮮明となっていく。

 爆炎に穿たれた大地は爛れた破壊の爪跡を晒して

燻り、折り重なるように倒れ伏している人馬の惨状が否応なく眼前に広がっていた。

 自らの意思で放った魔法〈ファイヤーボール/火球〉の引き起こした光景から、ユンゲが目を逸らすことは許されないだろう。

 騎馬突撃の勢いから放り出されたリ・エスティーゼ王国軍の騎士たちは、重厚な鎧に身を捩りながら苦痛にのたうち、或いは五体を大地へと投げ出して微動だにする気配のない姿も見受けられた。

 しかし、そうした人間としての原型を留めている連中は、寧ろ自身の幸運に感謝をするべきだろう。

 ――理由は問うまでもない。

 僅かに早く倒れてしまったために、後から続いた馬蹄に蹴散らされた者たちの悲運は、とても直視に堪えられない有り様と成り果てていたからだ。

 健脚が歪むように潰れて折れ曲がり、横倒しの身体を起こすこともできない軍馬のこぼす苦鳴の嘶きに、ユンゲの胸が鈍い痛みを訴える。

 抑え切れない感情が血の滲むほどに下唇を噛み締めても、痛みが引いてくれることはなかった。

 あまりにも凄惨な破壊の爪痕が晒された向こう側には、愕然とした様子で佇む騎影が七つばかり――部隊の最後尾を駆けていたために、辛うじて突進の勢いを減じて難を逃れることができたのだろう。

 それぞれの青褪めた表情を見遣れば、既に戦意は削がれているようにも思えたが、ユンゲはバスタードソードを右手に構えてみせながら静かに一歩を踏み込んでいく。

 

 焼け焦げた土の臭いが、纏わりつくように酷く不快な感情を呼び起こして止まない。

 こちらの怒気を孕んだ歩みに、棒立ちとなっていた騎兵が怯むように蹈鞴を踏むのが見えた。

「……武器を捨てろ」

 短く言い差して、更に距離を詰めていく。

 目前の出来事に理解が追いついていないのか、狼狽えるばかりの相手を見据えたユンゲは、わざとらしい溜め息とともに言葉を重ねる。

「……聞こえなかったのか、早くしろ」

 爆心地となった黒焦げの大地を敢えて迂回するように時間をかけて進みながら、胸の前で掲げた左手の中に魔法を紡いだ。

 手の内からバチバチと爆ぜるような火花を散らしてみせれば、騎兵たちの顔付きは目に見えて青白くなっていた。

 これ以上にない脅しの態度を貫きつつ、ユンゲはひたすらに足を前へと運び続ける。

 もしも歩みを止めたのなら、その瞬間に膝から崩れ落ちてしまいそうな恐怖に駆られていた。

 気持ちを落ち着かせようとするほどに動悸は早まり、いつまでも足りない酸素を求めて呼吸を繰り返すほどに息苦しさばかりが募ってくる。

「――ひぃ、かかかっ」

 堪忍してくれ、と奥歯を打ち鳴らしながら震える声で告げた髭面の騎士が、手にしていた大振りの馬上槍〈ランス〉を投げ捨てた。

 その鋭利な穂先が深々と地面に突き刺さり、やがて糸が切れたようにゆっくりと傾いていく。

 乾いた音を立てて転がった馬上槍を一瞥しつつ、ユンゲは無言のままに歩みを進める。

「わ、分かった。武器を捨てる!」

 先の髭面の男を倣うように叫び、残りの騎士たちからも次々と武器が手放されていった。

「……腰の剣もだ。手間をかけさせるな」

 凄みを効かせた低い声――というよりは、緊張のために震えてしまうのを必死に抑えた結果なのだが――で告げ、ユンゲは粗い砂の大地に積まれていく武器から目を離して、飛び出した門扉の傍に建つ物見櫓を振り仰ぐ。

 こちらの様子を一望できる高い位置には、短杖を握り締める小柄な人影――森祭司〈ドルイド〉としての技能を持つマリーだ。

 中天を越えた陽射しを浴びて、目映いばかりの黄金色のサイドテールが煌めいていた。

 ユンゲの見上げる視線に一つ頷いてみせたマリーが、手にした短杖を詠唱とともに振りかざす。

 周辺が微かに振動する気配に続き、固い地面を割って新緑の植物が一斉に芽吹いた。

 マリーの紡いだ〈トワイン・プラント/植物の絡みつき〉によって生まれた蔦の群れが騎士たちの投げ捨てた武器の山へと絡みつき、相手には手の届かない場所まで運び去っていく。

 完全な丸腰になり、すっかりと萎縮した騎兵たちの血気の引いた顔色を睨みつければ、エンリたちに向かっていた脅威は排除できたのだろうと思う。

 気怠さにも似た鈍痛が、身体中を蝕んでいるようだった。

「……これで、大丈夫だよな」

 顔を顰めながらこぼれた呟きは、ユンゲか自らに言い聞かせるための言葉だったのかも知れない。

 額に滲む汗を手の甲で拭い、その場に座り込みたくなる気持ちを抑えながら背後を振り返る。

 ――カルネ村の女性や子どもたちを先導し、森へと走ったキーファとリンダは無事だろうか。

 唐突な事態の推移に戸惑い、思わずと足を止めていた集団の最後尾には、こちらを眺めるエンリとンフィーレアの立ち姿があった。

 どこか呆然とした雰囲気の二人が、それでも固く手を取り合っている様子を微笑ましく感じるユンゲではあったが、その口許は笑みを形作ることができずに歪んでしまう。

 

(……人を殺したのは、初めてだな)

 自身で放った魔法の一撃によって、村人たちを追撃していた百名余りの騎兵部隊を打ち倒した。

 どれだけの人間が命を落としたのか、五体満足でいられた者さえも数えるほどしかいないだろう。

 そうした覚悟を持って臨んだつもりのユンゲではあったが、やはり重過ぎる事態を目の当たりにすると“凡人”たる心は悲鳴を上げてしまいそうだった。

 自嘲めいた考えを吐き捨てることもできずに、ユンゲはぼんやりと周囲に視線を巡らせる。

 遠く真っ白な積雪を抱いたアゼルリシア山脈――吹き下ろしの風は、骨身に染みるほどに冷たい。

 鬱蒼としたトブの大森林は生い茂る枝葉や梢を無遠慮に揺らされ、森全体が泣いているような気配を放っていた。

 頬から奪い去られていく熱とともに気を落ち着かせ、ユンゲは手にしたままでいたバスタードソードを腰の剣帯に留め直す。

 力なく頽れている騎兵の生き残りに意識を配りつつ――ふと、前触れもなしに地面を駆ける小さな足音が耳朶を打った。

 やおらと目を向けた先に、大きく腕を振りながら走ってくる幼い少年の姿が映る。

 年齢のほどは、エンリの妹であるネムよりも年少の六、七歳といったところだろうか。

「ま、待って……まだ危ないかも!」

 突然、村人たちの集団から飛び出してしまった少年を追いかけて、慌てた様子のエンリが声を上げながら後に続いていた。

 脇目も振らずにこちらへと向かってくる少年の瞳には、思わずと身構えてしまうほどに真剣な色。

 良く日焼けした浅黒い目許から、薄い涙の筋が流れている。

「冒険者様! お願い、お父さんを助けて!」

 未だ声変わりもしていない甲高い少年の声音。

 幼い肩で息を切らせながら告げられた言葉に、ユンゲは咄嗟の返答をすることもできずに小さく喉の奥で呻いた。

「ちょ、ちょっと危ないじゃない!」

 ようやくと追いついたエンリが、縋りつかんばかりの少年を諫めるように背後から抱き留める。

「――ねぇ、お願いだよ!」

「あ、あんまり無茶なことは……」

 小さな拳を握り締めながら訴える少年の必死な表情に、宥めようとするエンリは躊躇いながら声をかけていた。

 カルネ村を囲う高い塀をぐるりと回り込んだ向こう――正面門の付近からは、未だ止むことのない剣戟の音が絶えずに響いている。

 エンリを慕うゴブリンたちを筆頭として、村の男たちは愛する妻子を逃すための陽動部隊として、数千を擁するリ・エスティーゼ王国軍を相手に勝ち目のない無謀な戦いへと赴いていた。

 この年端もいかない少年の父親もまた、そうした勇敢な者の一人なのだろう。

「いや、俺は……」

 続けるべき言葉を見つけられず、ユンゲは自らの両手に目を落とした。

 背筋から込み上げてくる微かな震えが腕の先へと伝わり、次第に大きくなっていく。

 

「――大丈夫です」

 不意に、鼻孔をくすぐる甘い香り。

 驚きに慌てて振り返り、顔を上げたユンゲを柔らかな笑みが迎えてくれた。

「大丈夫です、私が一緒に背負います」

 凛とした響きを湛えながら告げられたマリーの言葉に、ユンゲは静かに肩を竦めてみせる。

 真っ直ぐに向けられる湖面のような碧の眼差しを見つめ返すと、渇いた喉が焦れるように生唾を飲み込んだ。

「…………なら、苦労をかける」

「はいっ、任せてください!」

 一切の屈託もない言い切りは、ユンゲの目許を無意識のうちに綻ばせてしまう。

 気恥ずかしい思いを誤魔化すように視線を巡らせたなら、トブの大森林の手前で跳ねるように手を振ってみせるキーファと落ち着き払いながら頷きを返してくれるリンダの姿があった。

「……大丈夫です。私たち三人の気持ちは、いつも同じですから」

 可愛らしい口許から三度目ともなる信頼の言葉をかけられたのなら、もう迷うことは許されない。

 ざんばらに乱れていた金髪をかき上げ、ユンゲは自らの頬を両手で張りつける。

 パチンッと小気味良い音が、惰弱に溺れてしまいそうな意識を覚醒させてくれる。

「……あの、冒険者様?」

 こちらの奇行を訝るような少年の声に応えて、その場に膝を折って屈み込む。

 腰丈の少年と目線の高さを合わせたユンゲは、小さな坊主頭を少しだけ乱暴に撫で回しながら不敵に笑ってみせた。

「ここで、エンリさんたちと待っててくれるか?」

 

 *

 

「――急ぐから、しっかり掴まっててくれ!」

 首にかけられた細い両腕に力が込められるのを確認したユンゲは、固い地面を強く蹴りつけ、同時に紡いでいた〈フライ/飛行〉の魔法を唱えた。

 胸元に寄せられるマリーの表情が強張るものの、今は我慢してもらうしかない。

 軽く苦笑いを浮かべながらも、小柄な森妖精〈エルフ〉の少女を横抱きにしたユンゲは、カルネ村を縦断するように空を疾駆していく。

 女性や子どもたちを逃がすための作戦に基づき、ジュゲムたちが覚悟の攻勢を仕掛けてから既に相当の時間が過ぎてしまっている。

 戦闘が続いているらしい怒号や喚声は今も響いてくるのだが、猶予はあまり残されていないだろう。

 眼下を流れていく物寂しい開拓村の風景に、慎ましくも笑顔に溢れていた面影は少しも見て取ることができない。

「――っ、腹が立つな」

 無意識にこばれた舌打ち――瞬く間に置き去りとして、ユンゲは口許を引き結ぶ。

 目に飛び込んできた光景は、開け放たれた正面門の前で奮闘する村人たちの勇姿だった。

 事前に訓練をしていたという弓矢の類いは、乱戦となったことで使えなくなっているのだろう。

 武器とも呼べないような開墾用の農具ばかりを手にして挑みかかる男たちの背中が、ユンゲの胸の内を熱くして止まない。

 思わずとマリーの膝裏に回した左腕に力を込めつつ、翻ったユンゲの右手は腰の剣帯からバスタードソードを抜き放った。

「……ちょっと暴れる。舌を噛まないように!」

 短く言い差せば、「はいっ!」とマリーの細腕が一層と強く首許に抱きついてくる。

 そうして、より間近に感じる甘い香りに不思議な安堵を覚えながら、ユンゲは高い塀を踏み越えて戦場へと躍り込んだ。

 

 敵本陣への攻撃を企図しているのか、小さく固まったままに前進を続ける村人たちは、既に三方を敵に囲まれた決死の様相だった。

 村門の手前には役割を終えたらしい破城槌が転がり、それらを押し包むように迫ってくる集団――村人たちの退路を断つように、背後から襲撃している王国軍兵士の動きを目で追いかけたユンゲは、即座に無詠唱化した魔法〈ツインマジック・ショック・ウェーブ/魔法二重化・衝撃波〉を放つ。

 指向性をもった不可視の双撃が長剣で武装した左右の先頭集団を強襲し、後続の部隊を巻き込みながら諸共に打ち払っていく。

 何が起きたのか、と不意の混乱に陥る一部の王国兵に、高所からの一瞥をくれたユンゲは〈飛行〉の魔法を解いた。

 華奢なマリーを強く抱き締め、自由落下の勢いに身を任せて混乱の只中へと飛び込む。

 着地と同時に横薙ぎへと振るったバスタードソードの剣腹が、立ち竦んだ兵士たちを胴鎧の上から激しく打ち据え、その吹き飛んでいった先の方々から甲高い悲鳴が上がった。

「――えっ、な……何がっ」

 瞠目する相手に立ち直るだけの隙を与えないままに、ユンゲは回し蹴りからの連撃を見舞って次々と王国兵の意識を奪っていく。

 昏倒した者たちを一顧だにすることもなく、返しの剣閃で前方に居並ぶ包囲の軍勢を強引に断ち割りながら進めば、村人たちの右側面を襲っていた王国軍の部隊は瞬く間に散り崩れていった。

「――ぼ、冒険者様!?」

 どうしてこちらに、とユンゲの存在に気付いた壮年の村人の顔には、焦りと戸惑いの表情。

「――女性と子どもたちは無事だ。ここは俺が受け持つから、早く負傷者を退がらせろ」

 当然の疑問に先回りして言い切ったユンゲは、更に前進を続けながら剣撃を振るい続けた。

 内心で未だに燻っている逡巡が、バスタードソードの刃筋を立てることに躊躇いを覚えさせていたものの、鉄塊を叩きつけるのにも等しい衝撃を浴びせられた王国兵たちの未来は、それほど違いのないものとなっていただろう。

 去来する鈍痛を無視して敵方を薙ぎ倒し、空いた間隙に抱えていたマリーを優しく下ろす。

 偽らない本音としては、このような戦場に彼女を伴いたくはなかったのだが――、

「マリー、皆に治癒の魔法を頼む!」

「分かっています、任せてください」

 会心の笑みで応えてくれたマリーは、既に短杖を握り締めて詠唱を始めている。

 紡がれていく淡い魔法の輝きを視界の端に捉えながら、ユンゲは素早く周囲に目を配ると最前線で戦うジュゲムの姿を見止めた。

 

 返り血に染まる大剣を振り上げて、脇目も振らずに奮闘する屈強なゴブリンは、既に身体の至るところに手傷を負っている。

 陽動部隊として別れたときのジュゲムの言葉を思い返したのなら、王国軍との圧倒的に過ぎる戦力差を引っ繰り返すためには、どのような方法であっても敵の指揮官を討たなければいけないと決死の覚悟を固めていた。

 しかし、その有言を実行せんとする勇ましい後ろ姿が、折り重なる人垣の向こうで唐突に揺らぐ。

 身形の整っている兵士が三人ばかり――徴兵された農民ではなく、正規の職業軍人だろうか――難敵のゴブリンを退けたことを誇示するように、高く拳を振り上げるのが見えた。

 バスタードソードを振り抜き、転身。

 詠唱していた再びの〈衝撃波〉で無理矢理に道を抉じ開け、大盾のように掲げた剣身を押し出しながら乱戦の最中を駆け抜ける。

 当たるに任せた強引なユンゲの突破が、慄いていた王国兵を手毬のように跳ね飛ばし、更に深く敵陣の風穴を広げていく。

「――っ、何事だ!?」

 こちらの接近に気付いた正規兵の一人が声を荒げるが、もう遅い。

 肉薄とともに振り抜いたユンゲの剣閃は、二人の男をまとめて薙ぎ払い、勢いのままに反転した右の蹴撃によって残る一人も継戦は不可能だろう。

 そうして、周囲に群がっている敵の部隊を一掃するように、三度となる〈衝撃波〉をユンゲが放ってみせれば、頽れた王国兵たちの顔がさっと青褪めていくのが見て取れた。

「こ、こんなの相手にできるかっ……」

 悲痛な一人の叫びを皮切りに、王国軍の前線は瞬く間に瓦解していく。

 蜘蛛の子を散らすような逃げ様を横目で警戒しながら、倒れたゴブリンの傍へと駆け寄る。

「――無事か、ジュゲム?」

「……深傷ですが、まだ息はあります」

 こちらの問いに答えたのは、額に大きな古傷を持つ傍らのゴブリン――カルネ村へと到着したユンゲたち“翠の旋風”をエンリとともに出迎えてくれたカイジャリだった。

 ジュゲムの上体を支えるように起こしながら、荒い息を吐いているカイジャリもまた全身に軽くはない傷を負っていた。

「――エンリさんたちは、無事にトブの大森林まで逃げ込んだ。次は、アンタたちの番だ」

 端的に事実だけを伝えつつ、ユンゲは信仰系魔法の〈ライト・ヒーリング/軽傷治癒〉を詠唱する。

 淡い輝きに包まれるゴブリンたちの顔色が、幾分かは良くなったような気配。

「これで、少しはマシになると良いのだけど……動けそうか、カイジャリ?」

「……済まねぇ、旦那。恩に着ます」

 小さく頷いて頭を下げたカイジャリが、蹌踉めくジュゲムに肩を貸しながら立ち上がる。

 回復魔法を使用しても失われた分の血液は補えないので、大剣を杖代わりにしても未だ辛そうなジュゲムではあったが、周辺の状況に油断なく目を配りながら口を開いた。

「……一度、退がって態勢を整えた方が良さそうですね」

 不意打ちとなったユンゲの縦横無尽な突撃によって、前方と右側面から攻め寄せられていた王国軍から受ける圧力は劇的に軽減されている。

 左側面においても、エンリを慕うゴブリンたちが中心となって、浮き足立つ王国兵を僅かながら押し返すことに成功していた。

 相手方にしても、崩れてしまった形勢を立て直す必要があるはずなので、突出していた戦線を下げるのなら、今が狙い目ということなるのだろうか。

 ジュゲムに代わったカイジャリの指揮下、敵味方が互いに牽制するように間を取りつつ、ようやくと村人たちは正面門の付近まで後退した。

 

「今、治療します。気をしっかり持ってください」

 無事な者たちが負傷者を庇い合う囲いの中では、短杖を手にするマリーが献身に治癒の魔法を施して回っていた。

 形の良い額には既に大粒の汗が浮かび、艶を失わない金の前髪も上気した頬に貼りついたままになっており、構っている余裕もなさそうだ。

「……さっきまでのは、雑兵の集まりです。次は精兵が攻めてくるはずです」

 絞り出すようなジュゲムの声にユンゲが視線を返せば、王国軍の本陣と思しき辺りに配されていた騎馬の部隊が左右へと広がっていく様が見えた。

 ぽっかりと空いた中央部には、重装備に身を包んでいる歩兵部隊の姿が現れる。

 滑らかな陣形の変更は戦時に徴兵されるばかりの農民ではなく、日頃から訓練を受けている軍人だからこその為せる動きなのだろう。

 逃げ戻っていく兵士を後方に取り込みながら、王国軍は益々と膨れ上がっているような印象をユンゲに抱かせた。

「……どうやって攻めてくるのか、分かるか?」

「やはり、数を頼みにしてくるでしょう。……装備を整えた重装歩兵で締め上げながら、機動力に長ける騎兵が左右から撹乱するのは常套戦術です」

 ユンゲが問いかければ、淀みなく説明を並べたジュゲムが小さくかぶりを振ってみせた。

「このまま村の中を抜けて、後ろに逃げるのは?」

「相手は騎馬もいますからね……村人全員を守りながらとなれば、難しいでしょう。それに、エンリの姐さんたちと同じ方向になってしまうトブの大森林に逃げ込む訳にはいかないですよ」

 苦悶の中にも不敵な笑みを浮かべたジュゲムは、気合いを入れ直すように身震いをしてみせる。

「――俺たちは、この場に踏み止まって“最期”まで戦い抜きます。……あぁ、旦那たちは頃合いを見て離れるようにしてくださいね」

 お二人だけなら問題なく逃げられるはずです、などとこちらを気遣うように口許を吊り上げてみせるゴブリンの頼もしい横顔に、ユンゲは小さくかぶりを振り返した。

「……そうはいかない。アンタたちを助ける、って約束しちゃったからな」

 努めて平静な口調で言い差してみせたユンゲは、バスタードソードを腰の剣帯に留め直す。

 羽織っていた無地の外套を手で軽く払いつつ、こちらを見下ろすような丘陵の上に布陣する王国軍の陣容へと目を向けた。

 両翼に構えた騎兵部隊と中央には重装備の歩兵、その後続に控えている弓兵を集めた部隊――王国軍を率いる指揮官たる“第一王子”とやらの本陣は更に後方に位置しているのだろうか。

 全軍で四、五千という見立てを改めて眺めてみたのなら、絶望的な戦力差に感じられてしまう。

 家族を守るために決死の覚悟だったとしても、これほどの大軍を相手にも怯まず挑んでいった村人たちの気概は並大抵のものではなかっただろう。

 

「マリー、ここで待っててくれるか? カルネ村の皆さんを頼みたい」

「――っ、分かりました。お気をつけてください」

 思わず息を呑んだマリーが、それでも気丈に頷きを返して、激励の言葉とともに送り出してくれる。

 そよとした北からの冷たい風にサイドで括られた鮮やかな金髪の一房が揺れ、眩しい陽射しを浴びて輝いて見えた。

 小さく親指を立ててみせながら、ユンゲは乱れていた髪を撫でつけるようにかき上げ、静かな決意とともに顔を持ち上げる。

 厳冬の訪れとともに色褪せた草原の向こう――、どこまでも広がっているような雲一つない群青の空が、やけに沁みるような思いがあった。

 そうして、今にもこちらに攻めかからんと喚声を響かせる王国軍に臨んだユンゲは、どこか牧歌的な景色の中を踏み締めるように歩き出していく。

 

 *

 

 しっかりとした足取りで歩みを進めて、両陣営の半ばほどに差しかかった辺りだろうか――不意の風切り音が、ユンゲの耳朶を震わせた。

 抜き打ちのバスタードソードが、飛来した何本もの矢を続け様に斬り払う。

 まるで曲芸の域ではあったものの、ユグドラシルの恩恵を得ているユンゲとしては造作もない振る舞いだった。

「……話し合いの“使者”に矢を射掛けるなよ。リ・エスティーゼの軍は礼儀がないな」

 殊更に呆れたように肩を竦めてみせたユンゲは、煩わしさから無詠唱のうちに、〈ウォール・オブ・プロテクションフロムアローズ/矢守りの障壁〉の魔法を使用する。

 懲りずに後方から射られた矢の驟雨だが、今度はユンゲの周囲へと到達する前に勢いを失って次々と地面に落ちて転がっていく。

 魔法に対する認識が乏しいのか、「……何が起きたんだ?」と前衛の兵士たちに、僅かな動揺の広がる気配があった。

「――し、使者だと? 反逆者どもの分際で何の世迷言を語るつもりだ!」

 ふと響いた耳を劈くような金切り声が、ユンゲに不快感を抱かせる。

 声の主を探して視線を巡らせたのなら、髪を逆立てた小男が馬上から口喧しく喚いている姿。

 鎧の類いを身につけもせず、仕立ての良さそうな儀典用と思しき軍服を着込んでいることから判断すれば、碌な覚悟を持たない無能者の一人だろう。

「……騒がしい、小者は黙ってろよ。お前らの指揮官ってのは、どの馬鹿だ?」

「こ、この男爵たるチエネイコに、何という口の利き方だ!」

 激昂している貴族風な小男から目を背け、ユンゲは居並んだ王国軍の部隊を威圧するように、努めて不敵な笑みで見渡した。

「バルブロ王子、あのような不届き者は、即刻に始末するべきです!」

 またも喚き立てるチエネイコを傍らに置き、大柄の男が不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 似たような煌びやかに過ぎる軍服姿ではあるが、丁寧に整えられた顎髭と体格の良さからか、幾分は様になっているような印象だ。

「……貴様、俺を誰だと思っている。次代のリ・エスティーゼ王国を担う“バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ”が率いる精鋭の御前と知っての愚行か?」

「長ったらしい名前に興味はないな。お前が“臆病者”と噂のバルブロか。……悪いことは言わないから、早々に軍を退けよ」

 怒気の込められた言葉に軽く肩を竦めるだけで受け流し、ユンゲは苛立ちを返すように侮蔑の言葉を吐き捨てた。

「……貴様、よほどの愚か者らしいな。――全軍、奴を生け捕りにせよ。王家の者を侮辱した罪、楽には死なせん」

 青筋を立てるバルブロの号令下、一斉に臨戦態勢を取る王国軍――その眼前に炸裂するのは、〈ファイヤーボール/火球〉による大爆発。

 効果範囲と破壊力を高められた業火の魔法が大地を震わせ、黒煙の熱波とともに王国兵たちの気勢を削ぎ落とす。

 武器を手に駆け出していた前線の歩兵が蹈鞴を踏み、騎兵は爆発に慄いた軍馬たちを落ち着けるだけでも手一杯だろう。

「……聞こえなかったのか? 俺は軍を退いて王城に引き篭もっていろ、と言ったんだ」

 目の前で放たれた魔法の威力に、誰よりも驚いているらしいバルブロに向けて、ユンゲは静かに忠告の言葉を重ねる。

「き……き、貴様は冒険者か!? 国家の大事に関わるとは、どういう了見なのだ!」

 耳障りな高音の怒声――唐突なチエネイコからの物言いに、思わず失笑したくなるユンゲではあったが、強力な魔法に怯みながらも声を上げた“男爵”としての胆力を褒めるべきか。

 ――或いは、自身の命が危機に晒されていることさえも理解していない、能天気な頭の出来に呆れるべきなのだろうか。

「……勘違いするなよ。冒険者組合の規程が避けるべきは、国家間における戦争と政治への介入だ」

 毅然と言い差し、ユンゲはバスタードソードの剣先をチエネイコの喉元に向けて掲げてみせる。

「それとも、罪のない村人たちに一方的な攻撃を仕掛けることが、お前たちの言う政治か? ――だとしたら、リ・エスティーゼの無能な貴族連中は下ら

ない見栄を張るより、子育てに駄犬の躾けくらいは取り入れるべきだな」

「何だと、貴様どこまで私たちを愚弄するか!」

 更に声を荒げる小男を一瞥し、わざとらしく溜め息をこぼしてみせ、ユンゲは首に下げた冒険者の認識票〈プレート〉に手をかけた。

「……まぁ、組合に迷惑をかけるつもりはないからな。少し惜しいが、冒険者は今日で廃業にするさ」

 結んでいた革紐を千切るように振り解き、無造作に左拳の中で握り潰す。

 鈍い金属音とともに拉げたゴールド級のプレートを地面に投げ捨てたユンゲは、「……これでも、まだ文句があるか?」と挑発の言葉を続けた。

 最前線に配されている王国兵たちの顔には、一連のやり取りを目にしたことで確かな恐怖の色が浮かんでいる様子が見て取れる。

 王族や貴族の品位を虚仮にし、冒険者としての枷まで外した“危険人物”を相手に、これ以上は戦いたくないと思うのが一般的な物の考え方だろう。

 既に消耗し切っている村人たちに、再び戦力差を押し返すほどの余力は残っていない。

 カルネ村への攻撃を続けることは、ユンゲと戦うことになるのだと理解させれば、或いは王国軍が部隊を引き上げてくれるかも知れない。

 少なくとも、一般兵士たちの戦意を大きく挫くことくらいはできたと願いたいところだ。

「……バルブロ王子、如何しますか?」

 気概もなく慄いているような声音は、情けなく眉を寄せるチエネイコだった。

 軍馬を並べるバルブロは、額に脂汗を滲ませながら苦渋の形相を浮かべている。

 多少なりとも戦況の様相を把握できているのならば、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国間における開戦が間近となっている現状で、辺境のカルネ村に固執することには意義を見出せないはずだ。

 火傷しそうなほどに熱いバスタードソードの柄を握り締め、ユンゲは半ば縋るような気持ちで王国軍を睨みつけた。

 しかし、その願いはバルブロから発せられた無情な命令により、敢なく霧散してしまう。

「――退くことは、罷りならん。全軍、進め……奴とカルネ村を血祭りに上げるのだ」

 アゼルリシアから吹きつける風が勢いを増したように、ユンゲの頬を冷たく打ち据えた。

「……本当は、戦いたくないんだけどな」

 誰にともなく呟かれた言葉は、小さな溜め息とともに意味を失う。

 そうして、高く掲げていたバスタードソードを引き戻したユンゲが、改めて決意を強くするように大きく息を吸い込んだ――その瞬間だった。

 

「……ふむ、交渉は決裂ということか」

 

 不意の発言は、ユンゲの背後から――カルネ村の住民たちは、遥かに後方の門付近に固まっている。

 何もない、誰もいないはずの空間に、突如として現れる濃密な気配があった。

 驚愕とともに振り返るユンゲを前にして、悠然と頷いてみせた“死の支配者”は、強者たる相応しい威厳に満ちた声音で言葉を続ける。

 

「良い口上を聞かせてもらった。……後の戦いは、私が引き受けよう!」

 

 




主役は遅れて――。
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