オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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さすアイ。


(42)約束

 得体の知れない怖気に背筋を貫かれ、ユンゲは思わずと身震いをしていた。

「――な、何がっ」

 不意の出来事に、呂律の回らない舌が恨めしい。

 慌てて振り返ったユンゲの視界に飛び込んでくるのは、“奇妙な仮面”の人物。

「良い口上を聞かせてもらった」

 尊大でありながらも、どこか安心感を抱かせる不思議な響きを湛えた男性の声音が、静かに枯れ野の戦場へと渡っていく。

 豪奢な闇色の装いは気品に溢れているものの、細緻な金糸の刺繍が施されたローブの袖先から覗く腕には、何故か無骨な鉄製のガントレットを嵌めている異様な風采を放つ相手を目の当たりにして、ユンゲは無意識のうちに息を呑んだ。

「……後の戦いは、私が引き受けよう」

 続けられた言葉の意味を理解する前に、仮面の男が手にした黄金のスタッフを振りかざす。

 目映いばかりの宝玉を咥える七匹もの蛇が絡み合った造形の杖は、単なる芸術品としても衆目を集めるほどの輝きを放ちながら、それ以上に禍々しい魔力の波動を内包しているかのようにユンゲの意識を強烈に惹きつけた。

 半ば茫然としてしまったユンゲの隣を通り抜け、悠然とした歩みで王国軍の正面へと進み出ていった仮面の男は、小高い丘陵に戦陣を構える敵方を泰然と見回しながら問いを投げかける。

「――さて、お望み通りにこうして貴君らの前に姿を見せてやった訳だが……、何か言うべきことはないのかね?」

 頭に血を上らせた“第一王子”バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフの無情な攻撃命令を受け、今にもこちらに攻めかからんとしていた数千もの軍勢と対峙しながら、一切も臆する素振りのない実に堂々とした後ろ姿。

 そして、ユンゲも予想していなかった乱入者の存在に気勢を削がれたのか、馬上で拳を振り上げたままのバルブロが呆けたような表情で固まっていた。

「……き、貴様は何者だ!?」

 相も変わらない金切り声は、腰巾着のチエネイコから――どうにも思ったことが、安易に口から飛び出してしまう性格らしい。

 苦虫を噛み潰したようなバルブロが喧しいばかりの小男を手で払って下がらせ、手慣れた動きで軍馬を進ませながら小さく顎を刳ってくる。

「貴様も、俺様の邪魔立てをする“愚かな者”か」

「……やれやれ、察しの悪い男だな」

 こちらを睥睨する高圧的なバルブロの物言いをさらりと受け流した仮面の男は、不遜な台詞とともにわざとらしく大袈裟に肩を竦めてみせた。

 いきなりと蚊帳の外に置かれてしまい、戸惑いながらも必死に状況の変化に整理をつけていたユンゲの脳裡に、ふと“一つの名前”が過ぎる。

 

「……えっと、貴方がカルネ村を救ってくれた“アインズ・ウール・ゴウン”さん、なのでしょうか?」

「如何にも……まぁ、今後は“魔導王”と名乗る予定になっているのだがね」

 無遠慮なユンゲの問いかけに、首だけで振り返った“奇妙な仮面”の男――アインズ・ウール・ゴウンが喉の奥で、くつくつと笑うような気配があった。

 ――不意に巻き起こる、爆発的な歓声。

「……ゴ、ゴウン様だ! アインズ・ウール・ゴウン様が、お越しくださったんだ!」

 傷つき疲れ果てていたカルネ村の男たちが、それでも身を捩りながら届けようとする万来の歓喜が集まり、ユンゲの背後から波濤のように押し寄せる。

 反射的に目を向けてみれば、勇ましいアインズの立ち姿を仰いで神仏を拝むように手を合わせる村人たちの姿が視界のそこかしこで見受けられた。

 あまりの興奮に沸き立つ輪の中で、短杖を手に治癒魔法を唱えていたマリーと視線が重なり、互いに浮かんだ特大の疑問符を確認し合ってしまう。

 唐突な事態の推移に動揺することしかできないものの、純朴な村娘のエンリが熱く語り聞かせてくれたように、カルネ村にとって“アインズ・ウール・ゴウン”という名の救世主は、特別に過ぎる存在なのだろうと身をもって感じられた。

 そして、どこか信仰にも通じるような村人たちの熱狂も、アインズが静まるようにと軽く手で制しただけで凪の海原へと様変わりするのだから、ユンゲとしては苦笑いをこぼすばかりだ。

「――これで、状況は理解してもらえたかね?」

 再びの鷹揚としたアインズの問いかけに、馬上のバルブロが憤怒の面持ちとなっていた。

 仮面の顎先に手をかけながら紡がれる声音は、出来の悪い相手を嗜めるかのように、圧倒的な上位者としての振る舞いを思わせる。

「……貴様が、アインズ・ウール・ゴウンか」

 敵対者の名前を苦々しく噛み締めるようなバルブロの呟きには、怒気とともに隠し切れない高揚の感情が滲んでいた。

「なるほど……やはり、次代の国王は俺様“バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ”こそが相応しい、ということか」

 今回の戦争に先立って発せられた宣戦布告において、バハルス帝国側の同盟者として記された稀代の魔法詠唱者の存在は、リ・エスティーゼ王国全軍が狙う第一の戦功であった。

 戦場における“最高の獲物”を睨み据え、猛禽類の眼差しとなったバルブロが大きく息を吸い込む。

 指揮官の意図を察したように、前面の王国兵たちが緊張した面持ちで武器を構え直していく。

「――全軍、褒美は思いのままだ! 奴を……アインズ・ウール・ゴウンを討ち取れ!」

 バルブロの大喝が冬景色の草原に響き渡り、左右の騎馬部隊が先を争うように駆け出してきた。

 

「……やれやれ、何も理解していないじゃないか」

 心底に呆れるようなアインズの軽い口調が、傍観者となっていたユンゲの耳朶を打つ。

 視界の両端から怒涛の土煙が迫りくる最中、些かも動じた気配を見せない魔法詠唱者の大きな後ろ姿から目を離すことができなかった。

「――これでも、忙しい身なのでね。あまり時間をかけるつもりはないよ」

 誰にともない言葉とともに無骨なガントレットに包まれた腕が振るわれ、宙空へと濃縮された暗闇が生み出された。

 アインズの足下から滲み出てくる黒い靄は、強く吹きつける風に散らされることもなく、這うように大地を覆いながら広がっていく。

 不意に黒々とした闇の中から蠢めく気配――先ほどの交戦で、ユンゲが殺めていた多くの王国兵たちの遺骸が、まるで不可視の糸で操られているような不自然な動作で起き上がっていた。

 物言わぬはずの亡者の影は暗闇の中で歪に膨れ上がり、巨躯を誇る“死霊の騎士”へと姿を変える。

 落ち窪んだ眼窩の奥に宿る赤い鬼火、不気味な兜から突き出す悪魔の角は禍々しく、真紅の紋様が血管のように這い回る全身鎧は凶悪だった。

 巨大なタワーシールドと長大なフランベルジェを携えた異形の不死者〈アンデッド〉の咆哮が、生者への憎しみと殺戮への期待を綯い交ぜにしながら、色褪せた丘陵に迸っていく。

「――っ、こいつは……死の騎士〈デス・ナイト〉なのか?」

 突如として出現した強烈なアンデッドの存在を間近にして、思わず後退ったユンゲの背筋を冷たい汗が伝わっていく。

 転移前のユグドラシルにおける記憶が、辛うじて目前で巨剣を振り上げる騎士の名を思い起こさせたものの、この世界では一度も話題を耳にしたことのないほどには強力なアンデッドのはずだった。

 ユンゲのこぼした疑問の声を肯定するように、少しだけ顎を引いてみせたアインズが黄金に輝く七蛇の錫杖を掲げて重々しく口を開く。

「――我が前の敵を一掃せよ」

 簡潔な命令が喚び出された“十二体”のデス・ナイトを歓喜に奮い立たせ、肌の粟立つような凄まじい絶叫を上げて駆け出していく。

 襤褸切れのような外套を翻しながら王国軍へと挑みかかる異形の残影を見送り、ユンゲは小さな溜め息とともにやおらと頭上を仰ぎ見た。

 綿飴のような白雲が揺蕩い、目に沁みるほどの群青が広がる牧歌的な晴空の下――、完璧な敗戦を喫したバルブロ率いる王国軍が我先にと逃散するまでに、それほどの時間は必要とならなかった。

 

「……さて、皆には済まないが、私はここで失礼させてもらうよ。村の設備の修復については、後ほど手の者を寄越すとしよう」

 落ち着き払った声音が響き渡ったなら、先ほどから感謝の念を伝え続けていた村人たちが、一層と平伏するように頭を下げていた。

 数千もの王国軍という脅威を呆気なく取り払ってみせたアインズは、些かも驕ることなくカルネ村の男たちと言葉を交わして奮戦を労い、復旧の手立てまでも取り決めると、既に自身が担う役回りはないと言わんばかりにあっさりと踵を返した。

「……もう、戻られるのですか?」

 慌てた様子の村人たちを代弁するように、ユンゲは言葉を選びながら質問を投げかける。

「そうですね、カッツェ平野で待たせている相手もいますので……」

 首だけで振り返った顔には、泣いているようにも笑っているようにも見える不思議な装飾の仮面。

 微かな違和感に首を傾げつつも、この情勢下において“カッツェ平野”という単語を耳にしたのなら、ユンゲにも察することができる。

 リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国間における開戦が迫る現状で、旗頭であるアインズが戦場に不在となれば、色々と不都合も生まれてしまうことは想像に難くなかった。

 あまり時間をかけられない、と告げていた挑発の台詞は偽らない真実でもあったのだろう。

「……申し訳ありませんが、この場は貴方にお任せいたします」

 こちらに向き直り、軽く会釈をしたアインズが黄金の錫杖をかざしてみせれば、目の前にいるはずの気配が霧や霞のように薄れていく。

「――ご助力、ありがとうございました」

 これだけは伝えて置かなければと感謝の思いを口にして、ユンゲもまた素直に頭を下げた。

 後先も考えずに対峙していた状況で、傷付いた村人たちを庇いながら単身で王国軍を退けることは、能力以上に精神的な側面からも難しかった。

 何かに縋りたいような思いでバスタードソードの柄頭を触れている指先は、今もなお灼熱するような痛みを訴え続けて止まない。

 そうした負担を目の前の相手に背負わせてしまったという罪悪感が、伝えなければいけないユンゲの言葉を躊躇わせる。

 しかし、こちらの逡巡を見透かすように軽く肩を竦めてみせたアインズは、一切の気負いもない朗らかな口調で語りかけてくれた。

「近々、またお会いする機会もあるでしょう。……楽しみにしていますよ、ユンゲ・ブレッター殿」

 アゼルリシア山脈から吹き下ろす冷たい風が、溶け消える闇色の豪奢なローブをはためかせ、血気に逸っていた戦いの熱を奪い去ろうとするように地平の彼方へと駆け抜けていく。

 やがて、ようやくとユンゲが顔を持ち上げたときには、ただ広い草原の中に“奇妙な仮面の英雄”の姿を見つけられなくなっていた。

 

 *

 

「――っ、本当に……ありがとうございました」

 小さな男の子を胸に抱き締めた壮年の男が、目尻に涙を浮かべながら声を絞り出すようにして何度も頭を下げていた。

「え、えぇ……もう大丈夫ですから、どうか頭を上げてください」

 なおも頭を下げようとする男性を慌てて押し止めつつ、ユンゲは表情を引き締めるようにして静かに言葉を続けた。

「――貴方の息子さんから勇気を頂かなければ、俺は戦場に立てませんでした」

 父親を助けて欲しい、と必死に訴える少年の姿がなかったのなら、こうして親と子が涙の再会を果たすことはできなかっただろう。

 散々と泣き腫らして、今は糸が切れたように眠っている“小さな英雄”に目を落とす。

 優しい父親の腕に抱かれて、すっかりと安心した様子で微笑んでいる寝顔を見遣れば、ユンゲの口許は自然と綻んでしまう。

「――春先の事件では、妻を守ることができず……私には、もうこの子だけだったんです。貴方がいらっしゃらなければ、危うく亡き妻に顔向けができなくなってしまうところでした。ですから、本当にどれだけの感謝をしても足りません」

 そう感極まったように言い切り、柔らかな笑みを浮かべてくれた男の目許は、少年の目許にとても良く似ていた。

 圧倒的な戦力を有する王国軍を前にして、傍目にも無謀な作戦であると理解をしていたはずの村の男たちが、それでも果敢に立ち向かうことができた背景には、そうした大切な家族の絆を想う強さがあったからこそなのだろう。

「……それは何よりでした。お父さんもお疲れでしょうから、今はゆっくりと休んでください」

 重ねて頭を下げる父親に軽く手を振って別れを告げ、ユンゲは静かに視線を巡らせた。

 凄惨な戦いの爪痕が残る村の遠景に映し出されるのは、互いの無事を確かめ合いながら笑顔で言葉を交わしている村人たちの満身創痍な姿――小さな胸の疼きが去来するように締めつけてくる。

 

「――お疲れ様でした、ユンゲさん」

 不意に、背後から呼びかけてきた涼やかな声音。

 すぐに振り返り――、気付いたときには強く抱き締めていた。

 華奢な背を回して白く透き通る頬にまで触れた指先から、滾り続けていた熱が引いていく。

「えっ、あ……あの――っ」

 戸惑うマリーの声音に、一層と力を込めて小柄な身体を抱き寄せる。

 峻険なアゼルリシア山脈の真っ白な積雪が、夕焼けに染まりながら目を楽しませてくれるように、長く尖った耳の先までも色を変えていく様子が、どこか可笑しくも愛おしい。

「……何とか、約束は守れたよ」

 カラカラに渇いたユンゲの喉が生唾を飲み込むのに合わせて、ようやく口にするのが精一杯だった。

「――はい、とても格好良かったです」

 そんな飾りのないマリーからの称賛の言葉に、思わず頬が緩んでしまう。

 気恥ずかしさにユンゲが顔を上げると、駆け寄ってくる二つの人影。

「お疲れーっ!」

 勢いのままに飛び込んできたキーファを慌てて片腕で受け止めたユンゲは、褒めてくれとばかりに向けられる上目遣いに、僅かな苦笑いを浮かべながら栗色の髪を柔らかく撫でつける。

「ありがとな、キーファ。――リンダにも迷惑をかけたな、助かったよ」

「いえ、何の問題もありません。……お疲れ様でした、ユンゲ殿」

 少し遠巻きから肩を竦めるようにしていたリンダと労いの視線を交わし、お互いの握り拳を軽く打ち合わせたのなら、鈍痛とともに燻っていた心の重石が少しだけ軽くなったような気がした。

 胸が締めつけられる戦いの最中――、痛いほどに強く吹き下ろしていた風はいつしか様相を変え、葉を落としつつあったトブの大森林の梢を揺らして穏やかな音色の調べを奏でながら渡っていく。

 

 *

 

 そうして、王国軍による突然の凶行から半月余り――、頭上では樹々の梢が幾重にも折り重なり、抜けるように高い青空を背景のキャンパスとした複雑な木影の絵画を描いていた。

 初夏に薬草取りの依頼で立ち入った頃のトブの大森林は、鮮やかな緑の天蓋に覆われて豊かな生命の息吹きを感じられたものだが、すっかりと葉を落として厳冬の模様となった枯れ色の景色は、どこか物寂しい思いをユンゲに抱かせた。

 幸いなことに、まだ氷雪の散らつくような気配は見られないものの、剥き出しの樹々の合間を縫うように時折り吹きつけてくる風の冷たさが、否応なく指先を悴ませてしまう。

「――旦那、次はこっちの樹をお願いします」

 ぼんやりと視線を巡らせていたユンゲに、額に古傷を持つゴブリンが声をかけてくる。

 カイジャリの太い指で示された先には、二抱えもある立派な幹周りの立木――根元から見上げるほどに高い頂点の枝先まで実に真っ直ぐと伸びている様を見て取れば、素人目にも建材として最適なのだろうと思えた。

「了解。……向こう側に倒すから、注意してくれ」

 軽く応じたユンゲが腰の剣帯からバスタードソードを引き抜いても、今は握り締めた柄に灼熱するような痛みを感じない。

 小さく呼吸を整えて横薙ぎに振るい、やや下向きに角度を変えながら返しの剣撃を見舞う。

 都合、鋭角な“く” の字に斬りつけられた樹幹が、こちらへと傾いでくるのを正面から靴底で蹴りつけて、人影のない方向へと強引に押し倒す。

 本職の林業従事者から見れば、伐採の手順も何もあったものではないのだろうが、とりあえずの結果だけを得られるのなら十分だった。

 葉をなくした枝と枝とが絡みつくように打つかり合い、耳朶を震わせる樹身の引き裂かれる音は、どこか地響きにも似ていた。

 そうして、大きな衝撃とともに横倒しとなった大樹の周りでは、小振りな斧を手に駆け寄った村人たちが口々に歓声を上げている。

 流石は冒険者様だ、と投げかけられる称賛の声に曖昧な笑みを返しつつ、ユンゲは自らの首許に意識を向けた。

 ユグドラシルのサービス終了とともに、突然の異世界転移を経験してから、これまで随分と長い期間も馴染んでいた肌触りはもう感じられない。

 先日の戦いで王国軍を前に勢い任せの啖呵を切ったユンゲは、「組合に迷惑をかけるつもりはない」などと嘯いてみせながら、冒険者登録の証明である金級〈ゴールド〉のプレートを投げ捨てていた。

 冒険者組合は国家から独立した組織であり、政治や戦争への加担をしないという規約の下に国境を越えた活動が可能となっている。

 今回の一件において、どれほどの事情を汲んでもらえるのかは分からないが、王国軍を相手取って大立ち回りを演じてしまった事実は揺るがない。

 カルネ村の住人たちを守るために止むを得ず――と言えば聞こえは良いが、そのために数多くの兵士たちを殺めてしまったという現実を鑑みたのなら、ユンゲ・ブレッターという個人の存在は、王国における“大罪人”となっていたとしても弁解することができないだろう。

「……これから、どうするかなぁ」

 何とも情けない嘆きをぼやきながら、バスタードソードを腰の剣帯に留め直し、ユンゲはやおらと仰ぐように宙空へと視線を彷徨わせた。

 縦横に広がっていた梢や枝が取り払われ、ぽっかりと開けた視界の先――、良く晴れた雲一つない群青の空は、遠くアゼルリシアの険しい山峰の向こうにも果てしなく続いている。

 最早、何度目ともつかない溜め息をこぼしたユンゲは、暗澹たる思いを振り払うこともできないままに、ただ吹きつける風の冷たさに身を晒しながら静かに立ち竦むばかりであった。

 

「――この辺りで良いかな?」

「えぇ、問題ありません。本当にお手間を取らせてしまい……」

 申し訳なさそうに頭を下げた老年の村人に、「別に気にしないでください」と軽く言い差したユンゲは、伐採後に簡単な枝払いを済ませた丸木を肩から下ろして、ようやっと息を吐いた。

 戦士職としての膂力を発揮したのなら、それほどの苦労ではないのだが、やはり見上げるほどに高い大木を担ぐと若干の疲労を感じてしまう。

「……ふぅ、流石に重かったな」

「は、はぁ……お疲れ様でした」

 こちらの何気ないぼやきに思わずといった苦笑いを浮かべたカイジャリが、抱えていた端枝の束を冬季を凌ぐための薪柴として高く積み上げながら器用に肩を竦めていた。

 エンリを慕っているゴブリンたちは屈強だ。

 それでも、丸木を運ぶような力仕事は数人掛かりとなるのだから、それを単身で軽く担えてしまう存在には呆れることしかできないのだろう。

 転移前の世界での常識に照らしたのなら、確実に重機を必要とする場面なので、正しく“人外”の怪力といったところだろうか。

 そうした取り止めのない思考を巡らせながら、ユンゲはぼんやりとカルネ村の外周に目を向けた。

 破城槌や火矢によって破損してしまった塀や門の補修作業は、防衛のために急務となっている。

 幸いにして、建材となる大木の類いは村の裏手に広がるトブの大森林から調達できるものの、深刻な人手不足が課題となった。

 最終的に王国軍を追い払うことができたのは、僥倖に間違いないのだが――、

「……俺が、もう少し早く決断をしていればな」

 妻子を救うために決死の陽動戦に身を投じた村の男たちの中には、残念ながら少なくない犠牲者が出てしまっているのが現実だった。

 再会を喜び合う家族が見せた笑顔の裏で、悲嘆に暮れるしかない者たちの苦痛の表情もまたユンゲの脳裡に強く焼きついている。

 物哀しい葬儀を見届けてから“翠の旋風”の仲間たちと相談し、カルネ村の復興作業に協力を申し出たのは、全てが善意からの行動ではなかった。

 先ずは結果的にリ・エスティーゼ王国と敵対してしまった事実が、今後の身の振り方を考えるための時間を必要としていたことだ。

 そして、何よりも自らの手で人を殺めてしまったことへの罪悪感から逃れたいという、心の弱さを覆い隠してくれるような“建前”が欲しかったのだ。

 

「――じゃあ、後はお願いしますね」

「はい、ありがとうございます」

 木材の細かな加工を受け持ってくれる若い村人に残りの作業を任せて、ユンゲは静かに踵を返す。

 樹々を切り倒したり運ぶことに支障はないが、塀や門を組み立てるための職業〈クラス〉や技術〈スキル〉を持ち合わせていないので、参加できる役回りは専ら単純な力仕事に限られている。

 ――それでも、身体を動かしている間だけは余計なことを考えずに済むのが救いだった。

「……さぁ、頑張りますか!」

 殊更に大きな声を張り上げてみせ、無理矢理に気持ちを切り換えたユンゲは、凝った肩を解すようにひたすらと足を前に踏み出し続ける。

 そうして、トブ大森林とカルネ村の間を何度か往復するうちに、いつしか周囲の景色はすっかりと茜色に染まっていた。

 ふと眺めた東の空には藍色の帷帳が迫っており、小さな星たちの輝きが瞬き始めてもいる。

「ユンゲ、夕飯の準備ができたよー!」

 不意に裏手の門から顔を覗かせたキーファが、満面の笑みを浮かべながら呼びかけてくれた。

 軽く手を掲げることで応じたユンゲは、一度だけ頭上を振り仰いでから、「今、いくよ」と静かに笑い返すのだった。

 

 




ユンゲや村人たちの前では追い払われるだけでしたが、この後で原作通りにバルブロの部隊は全滅となっています。
元々は(Side-M)で、最期のバルブロ視点を書こうかとも考えていたのですが、流石に悪趣味な気がしたので自重します。

復興作業を始めるまでの半月ほどの経緯は、次話以降で補完したいと思います。
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