オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

52 / 74
役に立たない脳内プロットでは、前回と合わせて一話分になる予定だった、カルネ村を取り巻く状況の説明回。エンリによって強力なゴブリン兵団が召喚された原作とは異なり、防衛面での不安が残っているイメージになります。


(44)洒落

「もう身体の方は大丈夫なのか?」

「えぇ、おかげさまで。三日も休みをいただきましたからね、今は鈍っちまった分を取り戻すのに必死ですよ」

 こちらの何気ない問いかけに、申し訳なさそうな表情を浮かべるジュゲムの様子を見遣り、ユンゲは労うつもりで軽く肩を竦めてみせた。

「かなりの重傷だったんだ。無理に慌てなくても大丈夫だろ?」

 上向きに突き出す鋭い牙に、人間種には見られない青褪めた肌色の屈強な肉体。如何にも凶悪そうな顔付きながら、どこか気苦労を感じさせるゴブリンのリーダーが太い首を力なく横に振った。

「いえ、旦那たちの協力なしには、エンリの姐さんを守ることもできませんでした」

 今の俺たちでは力不足なんですよ、と不甲斐なさを吐露するように呟いたジュゲムが、拾い集めていた薪柴を両腕に抱え上げる。

 その誇り高い戦士の横顔は、下手な気遣いの言葉を拒絶するように張り詰めて見えた。

(……でも、そんなに卑下することはないと思うんだけどな)

 リ・エスティーゼ王国の五千を超える大軍を相手取り、僅か五十にも満たないカルネ村の男たちを率いて、文字通りに“決死の戦い”を挑んだジュゲムの勇気――或いは、蛮勇と嘲られてしまうのかも知れないが――は、讃えられるべきだと素直に思う。

 ある程度の勝算を見込みながらも、戦うことに躊躇していたユンゲ自身の消極的な姿勢とは比較にならない。

 もっと早くに覚悟を決めることができていたのなら、現状の被害を多少なりとも抑えることは難しくなかったように思えてならない。

 何度となく繰り返してしまう自責の念に小さくかぶりを振り、ユンゲは気持ちを落ち着けるように頭上を仰ぎ見た。

 すっかりと葉を落とした梢の向こうには良く晴れた青空が広がり、降り注いでくる眩しい陽射しは決して遠くない春の訪れを感じさせてくれる。

 一つ大きく深呼吸をしてみれば、胸の内を満たしていく静かな芽吹きの気配に、僅かながら心が軽くなるような思いがあった。

 ――今は、考えるよりも先に身体を動かそう。

 自らに向けた叱咤の言葉を呟きつつ、腰かけていた切り株から立ち上がったユンゲは、枝払いをしてもらった丸木を肩に担ぎ上げる。

「……相変わらず、とんでもない膂力ですね」

「まぁ、慣れみたいなもんだよ」

 感嘆とも畏怖ともつかないジュゲムの声音に苦笑を返しつつ、ユンゲは材木を伐採するために分け入ったトブの大森林からの帰路へと足を向けた。

 長らく人の手が入っていない野放図な大樹の根を踏み越え、褐色に苔生した滑りやすい岩肌を避けながら、森の浅い方へと歩みを進める。

 頭を抱えたくなる出来事ばかりが続いていても、破損した門扉の修復といった役回りに集中することができれば、余計なことを考えてなくても済むのはユンゲにとって幸いだった。

 視界を埋めていた樹々がいつしか疎らとなっていき、枯れ色の拓けた草原の向こうには、休耕中の麦畑と高い塀に囲われた砦のようなカルネ村の外観が見えてくる。

 初めて目にしたときは、随分と立派に思えた村の防備も、度重なる被害の実情を知った後では、どこか頼りないような感覚になってしまう。

「……修復するだけじゃ、足りないかもな」

「そうですね。また同じように大軍で攻めてこられたんなら、今度こそ守り切れるのかどうか――」

 苦渋を滲ませたジュゲムが溜め息をこぼしつつ、「せめて、姐さんたちの脱出路くらいは用意して置きたいもんですね」と静かに言葉を続けた。

 所々に煤けた焦げ後の残る塀を眺めつつ、ユンゲは先の戦いの経過を思い起こす。

 結局のところ、相手方の攻め手を押し返せるだけの戦力が見込めなければ、村内で籠城することに意味はない。

 王国の辺境で孤立しているカルネ村には、他勢力からの援軍を期待できるはずもないので、どれだけ塀や門に補強を重ねたとしても、いつかは数の暴力によって破られてしまうことが自明だった。今回のような事態を警戒するのであれば、やはり大軍からの追撃を受けにくいトブの大森林へと、安全に逃げ込めるだけの手立ては欠かせないのだろう。

 しかし、エンリたちを逃がしたいという意見には納得しつつも――陽動役の存在を前提とするジュゲムの口振りを受けてしまえば、ユンゲでは返すべき言葉を見つけられないのだ。

 肩に担いでいた丸木が、ずしりと少しだけ重さを増したような気がした。

 そうして、やるせない思いを抱いたままに、ユンゲが村の外周を回り込もうとしたときだった。

 

「旦那、お気をつけて――」

 少し前を歩いていたジュゲムが、不意に振り返って声を落とす。

 その一層と青褪めた緊張の横顔を訝りつつも、促された先へと視線を向ければ、修復中である正面門の手前に集まる人々――何事かにどよめく村人たちの向こう、頭二つ分も高い異形の人影が、整然と列を成しているのが見えた。

 地面に届きそうなほどに長い腕と反比例するように短い足部、ずんぐりとした背格好は宛ら直立したゴリラのようにも思えるのだが、その硬質そうな表面は艶のある金属製の光沢に覆われている。

 転移後の世界で目にする機会は限られていたものの、ユンゲの数少ないユグドラシルでの知識に照らしたのなら、それらは“アイアン・ゴーレム”と呼ばれる鉄の巨人たちのはずだった。

 そして、村人の輪の中心で楽しそうに戯れる二人の女性――、

「あれは、えーと……」

 いや、一方的に楽しんでいるのは、清廉な修道女然とした装いながらも、悪戯めいた笑みを絶やすことのない美貌の持ち主ばかりか。

 背後から胸を揉みしだかれているだけのエンリは、羞恥に顔を赤らめて身悶えることしかできていないようだ。

「やっぱり、こっちのエンちゃんは人前で燃えるタイプみたいっすね!」

「だから……い、良い加減にしてください!」

 にひひ、と口許を歪めて揶揄いの調子を強めれば、三つ編みに束ねられた赤髪が燃え立つ炎のように軽やかに弾む。

 どこか既視感のある光景に、ユンゲはこぼしかけた溜め息を飲み込んで空を仰いだ。

「――おっ、戻ってきたみたいっすね!」

 言い放たれた底抜けに明るい声音を受け、一拍を置いてから視線を戻す。

 ようやくと解放されたらしいエンリが、荒い息遣いとなっていることなど意に介した様子もないままに、ひらりと身を躱した長身の麗人――ルプスレギナが、こちらの戸惑いも無視するように大きく腕を振っていた。

 一切と悪びれた素振りもなく、真っ直ぐに向けられる満開の花のような笑顔。

 思わず惹き込まれてしまいそうな魅力にユンゲが抗えたのは、数日前の初対面で抱いた苦手意識のために他ならなかった。

 横目で身体を強張らせているジュゲムの様子を見遣ったのなら、彼女が警戒しろと伝えてきた相手なのだと悟る。

「アインズ・ウール・ゴウン殿の御使いの方なんですが、どうにも対応に困っていまして……」

「あぁ、なるほど……先に聞いとくべきだったな。それどころじゃなくて忘れてたよ」

 声を潜めたままに再び歩き始めたジュゲムの背を追いかけつつ、以前に聞きそびれていたルプスレギナという女性の素性を知れば、いろいろと合点のいく事柄があった。

 辺境の開拓村には相容れないであろう自由気侭な言動や貴族の邸宅にでも佇んでいるのが相応しい仕立ての給仕服――この世界では、それなりの実力者であるはずのユンゲに気取られることもなく、エンリの背後へと回り込んでみせた卓越した身のこなしも、強大な仮面の魔法詠唱者“アインズ・ウール・ゴウン”に連なる人物だと考えたのなら、ある程度は納得できてしまうものだ。

 霧深いカッツェ平野に布陣したバハルス帝国軍の一翼として、王国軍との開戦に備えていたであろうアインズが、カルネ村の窮地に駆けつけてくれた場面も、ルプスレギナからの報告を受けていたということならば理解が早い。

 空いていた左手を軽く掲げることで応じたユンゲは、意識しなければ緩んでしまいそうな表情を憮然と引き締めつつ、可憐な笑みを咲かせる“褐色の美姫”ルプスレギナへと歩み寄っていくのだった。

 

 *

 

「ユンゲ・ブレッター殿、“御名により保護された”カルネ村を守るために剣を手にしたこと、アインズ様は大変にお喜びでした」

 朗々と言葉を紡いだルプスレギナが優雅に腰を折り、「お見事にございました」と恭しく一礼をしてみせる。

 場違いに過ぎるほど格式の高さを醸し出す慇懃な所作に、冬枯れの草原までもが華やかに色付いたかのような錯覚――仕える者とは斯くあるべき、といった文句のつけようもない理想的な立ち姿でありながら、これまでにルプスレギナがみせていた奔放な振る舞いとの差異の大きさには、軽い立ち眩みのような思いさえ覚えてしまう。

「……えっと、恐縮です」

「あーそうそう、建国の折には一度だけ“謁見”を叶えていただけるらしいっすから、首を洗って待ってて欲しいっすね」

 前置きなく砕けた口調となったルプスレギナが、含みのある笑顔を浮かべながら、しなやかな指先で首を掻き切るような仕草を見せてくる。

 冗談めかせながらも、やや物騒なルプスレギナの誘いにはどのような返答が望ましいのか。

 やにわに判断をつけられないユンゲが、間を持たせるために曖昧な笑みで誤魔化せば、幸いにしてエンリが助け舟を出してくれた。

「あの……それで、ルプスレギナさん。この素晴らしいゴーレムのことなんですが――」

「ん? 現在の塀や門だけでは、この村を守れなかったんすよね。だったら、このゴーレムたちを使って、しっかりと防備を固めるべきなんじゃないっすか?」

「で、でも……こんなに高価なゴーレムをお借りしてしまっても、村にはお返しできるようなものが何も……」

 頭の後ろで両手を組み直したルプスレギナが、あまりに軽やかな物言いで問いかければ、分かりやすい狼狽をみせるのはエンリだ。

 その困惑に満ちた琥珀色の視線は、妙に俗っぽい雰囲気を漂わせるルプスレギナと自身に向けて傅くような姿勢となった二十体ものゴーレムとの間を忙しなく行き来していた。

 対称的な二人の話し合いに距離を置きながら、少しだけ落ち着きを取り戻したユンゲは、以前の記憶を呼び起こすように視線を巡らせる。

 これまでに訪れた場所の中で、ゴーレムを目撃したことがあるのは、いずれもバハルス帝国内での出来事――初めての指名依頼を受けて呼び出された帝国魔法学院の門前と、後に“漆黒”を訪ねて赴いた最高級宿屋のロビーばかりのはずだった。

 しかし、いずれのゴーレムも鈍い鉄色の造形には粗さが悪目立ちしており、とりあえず守衛の代わりに置かれていただけ、といった程度にしか印象は残っていない。

 一方で、バハルス帝国が誇る主席宮廷魔術師にして、稀代の魔法狂いな“逸脱者”フールーダ・パラダインから散々に振るわれた熱弁の中で、何か延々と魔法技術の活用方法について聞かされたような気もするが、全ては遠い記憶の彼方へと投棄が済んでしまっている。

(……んー、帝国にはゴーレムクラフトみたいな職業があるんだっけ?)

 どうしても思い出してしまう、炯々と狂気に染まった瞳に小さく身震いをしつつ、ユンゲは嫌な感覚を振り払うように思考を切り替える。

 

 アインズの御使いとして現れたルプスレギナから、カルネ村の長であるエンリに伝えられた言葉は、村の復興にかかる申し出であった。

 その内容を耳にすれば、エンリでなくとも反応に窮するほかになかっただろう。

 曰く、カルネ村を守る塀や門の再建に当たり、必要な労働力としてゴーレムを無償で貸しつけるという提案だ。それぞれのゴーレムは、ミスリル級の冒険者に相当するだけの能力があり、村の安全が確保できるまでの警備にも役立てて欲しい旨が告げられ、更には「村で不足する物質についても提供する用意がある」とまで続けられたのなら、ユンゲとしても怪しげな詐欺の勧誘現場に接しているような気分になってしまう。

 この世界におけるゴーレムの価値を正確に把握できていないものの、その希少性から決して安価な代物ではないはずだった。

 帝都の中で見かけたゴーレムのやや荒削りな造りとは異なり、光の加減では銀や白銀のようにも輝いて見える、眼前の洗練されたゴーレムであれば尚更だろう。

「美味い話には裏がある、ってのがお決まりだけど……」

 誰にともなく呟きかけてから、ユンゲは苦笑するようにかぶりを振った。

 遠巻きに眺める視界の端、気前の良過ぎる援助に慄いているエンリは、ルプスレギナの言葉を疑うことさえ知らず、純粋に見合う対価を払えないことに焦っているばかりであり、既に二度までも村を救ってみせた“仮面の英雄”からの提案に対して、邪推してしまう自身の浅ましさが恥ずかしくなるような思いだ。アインズ側に何かしらの思惑があったとしても、辺境の小さな開拓村を罠に嵌めたところで、手間をかけるほどの大きなメリットが得られるとは考えられない。

 何より、カルネ村に要求をするのであれば、圧倒的な力を用いて無理矢理に従わせることも容易い――いや、アインズの登場を万雷の歓喜で迎えていた村人たちの態度を思えば、寧ろ皆が喜んで従いそうな気配すらあった。

 それこそ、熱心な信徒が“神からの啓示”を信奉するように、どのような言葉にも唯々諾々と取り組もうとする村人たちの姿が目に浮かぶ。

 

「――でも、本当にお返しできるようなものがないんです」

「それは、問題ないっすよ。これは“あふたーさーびす”ってヤツっすから。エンちゃんはこれらをどう使いこなせば、貴女の大切なものを守ることができるのかを考えるべきではないかしら?」

 窘めるようなルプスレギナの口調に、居並ぶゴーレムたちが臣下の礼を深くするような雰囲気――覚えた小さな違和感に、ユンゲはやおらと視線を軽やかな声の主へと向ける。

「……というより、あの御方からのお心遣いを無碍にする、というのは感心しないわね」

 陽気に華やいでいた黄金の瞳が、不意に豺狼のように鋭く細められ、言葉を重ねようとしていたエンリと――薄い肩越しの位置に立っていたユンゲを真っ直ぐに射抜いてくる。

 零下の声音に息が詰まり、背筋が冷たく震えた。

 ふと吹き下ろす風の凪いだ間隙に、水を打ったような静けさが広がっていけば――、

「――っ、えっと」

 咄嗟の反応に戸惑い、ユンゲの口からは意味をなさない呻きがこぼれてしまう。

「す、すみません!そんなつもりは……」

「まぁ、どうしてもと言うのなら、さっきみたいに身体で支払ってくれれば良いっすよ」

 慌てるエンリの言葉を事もなげに遮り、ルプスレギナが殊更に明るく言い放つ。

 にやりと口角を持ち上げた意地の悪い顔で、しなやかな指先をわきわきと動かしてみせながら、瞬く間にエンリへと迫っていく姿には、数瞬前の底冷えするような気配は微塵も感じられない。

 護衛に動こうとしていたジュゲムたちも対応できない、風にそよぐ柳の枝葉にも似たルプスレギナの流麗な身のこなし。

「な、何を言ってるんですか……ちょっと!」

 途端に背後から組み敷かれる格好となってしまったエンリが、胸元を庇いながら虚しい抵抗の声を上げていた。

 青から赤へと忙しなく顔色を変えるエンリを目の当たりにしつつも、ユンゲは嫌な汗を堪えるように息を呑み込む。

 先ほどのルプスレギナが口にした言葉は、提案に躊躇っていたエンリに対するばかりではなく、不躾な発言をこぼしてしまったユンゲへの警告を含んでいたと考えるべきなのだろう。

 主人であるアインズ・ウール・ゴウンの好意を疑うような真似をされれば、快く思わないのも至極当然だった。

 減るもんじゃないから良いっすよね、などと気安い調子で憐れな村娘を翻弄しながらも、こちらに蔑むような極寒の一瞥を向けてくるルプスレギナの横顔に、ユンゲは謝罪の意思を込めて頭を下げる。

 同時に、八つ当たり気味な勢いで再び揉みくちゃにされているエンリに向けて心の内で合掌を送ったのは、その矛先が自身でなかったことへの安堵する思いからだったのかも知れない。

 

 *

 

「…………ふぅ、今日はこのくらいにしといてあげるっす」

 一切の陰りもない晴々とした笑顔で告げたルプスレギナが、大いに満足した様子で気持ち良さそうに背伸びをしていた。

 妙な緊張感に包まれていた場の空気が、ようやくと弛緩していくのに合わせて、ユンゲもまた少しだけ肩の力を抜いて静かに目を伏せる。

 渇いた喉には冷たい水の一杯でも所望したいところなのだが、散々に振り回されていたエンリを差し置いて、ここから離れる訳にもいかないだろう。

「……ゴウン様に、感謝の言伝をお願いします」

 見るからに憔悴した様子のエンリが、消え入りそうな声音で頼み込むのを横目に、喜色を隠さないルプスレギナがわざとらしく胸を張ってみせる。

「もっと必要なら、“ペタン血鬼航空”で追加のゴーレムをお届けするっすよ!」

 だから遠慮なく教えて欲しいっすね、と親身な言葉を重ねるルプスレギナは、敬虔な修道女の立ち姿も相俟って慈愛に溢れているようでありながら、どうにも真意を掴ませない笑顔は恰も“仮面”のような風采を孕んでいた。

「あ、はい……ありがとうございます」

「えっと……そのことについて、ゴウン様のお力添えは有り難いんですが――」

 息も絶え絶えなエンリに代わり進み出たジュゲムが、言葉を選びながら防衛の不安に関する話題を切り出す。

 

 帰路で意見を交わしたように、辺境の小さな開拓村に過ぎないカルネ村では、リ・エスティーゼ王国が再び進攻してきたときに押し返せるだけの戦力は見込めない。

 そうした事実を踏まえれば、塀や門などの防衛設備をどれだけ補強したとしても、結局のところは時間稼ぎにしかならないのだ。

 飽くまでも冷静なジュゲムの説明は、周囲に集まっていた村人たちの表情を曇らせてしまうが、過酷な現状を取り繕うことに意味はないだろう。

 膝を抱えながら呼吸を整えていたエンリが、弾かれたように顔を持ち上げる。

 責任感と不安が綯い交ぜになった琥珀色の視線が泳ぎ、やがて優雅に佇んでいたルプスレギナへと向けられた。

 不意に耳朶を打つ、小さな溜め息。

「――ご、ごめんなさい!」

 悲鳴にも似た謝罪の言葉を口にして、エンリがさっと頭を下げた。

 瞬く間に朱の差した横顔には、安易に縋ってしまったことを恥じ入るように暗い影が落ちている。

 反射的に身を乗り出したユンゲの目前――やれやれとばかりに肩を竦めてみせたルプスレギナが、小首を傾げるようにしながら薄紅色の口唇を艶かしく湿らせた。

「……カッツェ平野におけるリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の決戦は、当然ながら“アインズ様を戴く”帝国側の大勝利。ちっぽけな誇りを投げ捨てて逃げ出した王国の連中は、張りぼての居城に鍵をかけて、可愛らしい仔山羊の鳴き声に怯えながら、最期の刻限まで震えているだけ――今更、貴女たちに構っている余裕なんてないでしょう」

 淡々と事実を述べているだけという嘲りすら感じさせない、あまりに冷酷なルプスレギナ物言いにユンゲの肌が粟立つ。

 遠くアゼルリシア山脈から吹き下ろす風が一層と勢いを増し、辺りの気温がぐんと冷え込んだような怖気が背中を伝っていく。

 だから心配ないっすよ、などと息も吐かせない間に態度を一変させ、天真爛漫な笑顔を咲かせてみせるルプスレギナを前に、ユンゲはどのような表情をするべきなのか、正解は杳として知れない。

「……でもまぁ、エンちゃんが不安に感じていることは、アインズ様にご報告してあげるっす」

「えっ、あ……あの、ありがとうございます」

 やや呆気にとられた様子で、エンリが再び頭を下げれば、「とりあえず“ホウレンソー”は、大切っすからね」と囁くような声音が聞こえてくる。

 野山の天気よりも移り変わりの早いルプスレギナの言動は、目の覚めるような美貌とともに見る者を飽きさせないものの、どうにも心臓に悪くて仕方がない。

 そうして、堪えていた息を吐くことのできたユンゲが、ようやくと苦笑いを浮かべたときだった。

 

 視界の端で、鮮やかな赤い炎が舞った。

 ――いや、束ねられた三つ編みが吹き抜ける風に靡き、麗かな陽の光に照らされた髪が真紅に輝いたばかりか。

 長い睫毛と高い鼻梁が続き、向けられる上目遣いの視線には妖艶たる憂いの色。

 突然の危険信号を報せるように、ユンゲの鼓動は早鐘のように先走っていく。

「……ところで、お姉さんの手ほどきは必要なかったみたいっすね?」

 少しだけ前屈みとなった給仕服の開いた胸元に、蠱惑的な蜂蜜色の谷間が覗く。

 クンクンとわざとらしく鼻を鳴らしてみせながら問いかけてくるルプスレギナの言葉には、何かを確信するかのような響きがあった。

 不意打ちに脳裡を過ぎったのは、月明かりに浮かぶ白い裸身――立てかけるように支えていた丸木を危うく倒してしまいそうになる。

 後から湯浴みはしたはずなのに、などと余計な焦りが顔に出てしまったのだろう。

 はたとユンゲが気付いたときには、もう後の祭りだった。

 切れ長な黄金の瞳に宿る炎が、揶揄いの薪をくべられて燃え上がっていく様が幻視されるようだ。

「くふっ……やっぱり、なかなかに愉快な玩具みたいっす」

 これ以上は堪えられない、といった様子で目尻をひくつかせたルプスレギナが、腹を抱えながら大袈裟に笑い転げてみせる。

 単なる“かまかけ”に引っ掛かってしまったユンゲとしては、苦虫を噛み潰した思いで憮然と表情を取り繕うことしか許されないだろう。

 凍えるはずの冬の風が、どこか生温いような気配さえ漂わせる中、この場に渦中の森妖精〈エルフ〉の少女がいなかったことだけに感謝をしつつ、ユンゲは盛大な溜め息をこぼしたのだった。

 

 




-どうでもいいオバマス話-
ルプスレギナ(笑顔仮面のサディスト)の表情がとても好きなので、私のプレイヤー情報のページは長らく彼女で固定されています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。