オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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誤字報告いただき、ありがとうございます。

バルブロ関係の記述を少し追加しました。



(47)杞憂

 特定の国家に帰属することのない冒険者組合では、組織の独立性を維持するためにいくつかの規約を掲げている。

 害をなすモンスターの脅威から人々を守ることや、犯罪行為に関与しないという基本理念は誰もが知るところであり、神殿勢力との折合いから治癒魔法の行使に関する制約が設けられることもあれば、厳正中立を保つために国家間の政治や戦争行為への参加も容認されていない。

 こうした規律を重んじる組織の方針に従えないのならば、依頼の斡旋や事前調査などの恩恵を受けることなく、請負人〈ワーカー〉になって自身の裁量で全ての物事を判断し、自由な考えの下に活動しても構わないのだ。

 ――そうであるからこそ、“冒険者”としての肩書きを利用することには、重大な責任が伴っているのだろう。

 

 篝火から少し離れた薄暮の暗がりにあって、一層と闇を色濃くする漆黒の全身鎧を見遣り、ユンゲは静かに息を呑んだ。

 酒宴でのほろ酔い気分が、さらりと覚めてしまうようなそら寒い感覚。

 知己であったらしいエンリやンフィーレアとともに、中央の広場へと向かってくる威風堂々たる歩き姿に、ユンゲの身体が無意識の内に緊張を帯びる。

 先頭を進む偉丈夫の戦士に続き、従者のように寄り添う艶やかな黒髪の魔法詠唱者と――、

「おー、あれは“森の賢王”様だ!」

 パールホワイトの豊かな毛並みが揺れ、馬を凌ぐほどのまん丸な巨体に気付いた村人の一人が声を上げた。

 稀代の英雄として勇名を馳せる“漆黒”のモモンとナーベよりも、従属魔獣であるハムスケの方が注目されている場面は、エ・ランテルなどの街中ではあまり見られない。かつて、周囲一帯が“森の賢王”こと、ハムスケの縄張りであったという、カルネ村ならではの光景だろう。

 畏敬の込められた群衆の視線を集めていることが嬉しいのか、後脚で立ち上がって二足歩行となったハムスケが、前肢を愛想良く振ってみせる様には、何とも愛玩動物〈ハムスター〉らしい微笑ましさがあった。

(……そうか、護衛依頼の途中で懐かれたとか言ってたっけ。依頼のときに立ち寄っていたなら、村人たちと知り合いにもなるよな)

 和やかな様子で言葉を交わしながら近付いてくるモモンやエンリたちを遠巻きにしていれば、逸れかけたユンゲの思考を不意の悪寒が遮った。

 軽い身震いを覚えて目を向けた先に、白皙たる美貌と黒曜石を彷彿とさせる切れ長の瞳。

 こちらを睨み据える“美姫”ナーベからの冷ややかな眼差しが、いつにも増して凍てついているように感じてしまうのは、ユンゲの思い過ごしではないのだろう。

 面頬付き兜のためにモモンの表情は知れないが、同じくこちらの様子を窺っている気配もあった。

 ユンゲの心中に渦巻く懸念は、最高位アダマンタイト級の冒険者チームである“漆黒”が、今この情勢下で辺境に位置する開拓村へと訪れることの意味合いだ。しかしながら、先に撤退したリ・エスティーゼ王国による報復部隊の先兵であるはずもないのは、村人たちに対するモモンの友好的な振る舞いにも明らかだった。

(……なら、理由は一つしかないか)

 冒険者登録をして暫くの後、顔馴染みとなった受付嬢から組合の規約に係る違反者の取り締まりについて、冗談めかせながら脅しをかけられたことがあるのだ。

 悪質な者には仕事を干すだけでなく、冒険者の品位を維持するため秘密裏に始末することもある、などと朗らかに笑ってみせた受付嬢は、「あんまり、悪いことはしちゃいけませんよ」と軽い調子で言葉を締めていた。

 当時としては適当に聞き流したものだが、そうした組合としての意向を下達するため――或いは、執行する目的のために“漆黒”が、カルネ村まで赴いたということなのだろう。

 わざわざ最高位の冒険者チームを寄越すほどの内容が、穏便であるとも思えないのだ。まさか、この場で暗殺されるとまでは考えたくないものの、自身の行動を振り返ったのなら、組織側に良く思われていないだろうことは想像に難くない。

 精巧な彫像然としたナーベから向けられる零下の視線が、ユンゲを糾弾する刃のように感じられてならないのだ。

(……いや、下手に言い訳なんてできないか)

 これまでに接してきたモモンの人柄を思えば、こちらの事情を汲んでくれるような期待もあったが、語り継がれていく古の英雄譚を地で行くほどの清廉潔白な相手だ。

 数多くの王国兵を自らの手で殺めてしまった事実が、どのように受け止められてしまうのか――ふと身勝手な思考の流れに気付き、ユンゲは自嘲めいた笑みに口許を引き攣らせた。

 臆病を自覚していたはずの内心は、何よりも密かな憧れを抱いた存在に見切られてしまうことを怖れているらしい。

 村人たちの明け透けない談笑が、やけに遠くから響いてくるような気がした。

 あまりの情けなさに小さくかぶりを振り、ユンゲは乱れた髪を無理矢理に撫でつける。広げた両手で自身の頬を張りつければ、少しは見られた顔になるのだろうか。

 村全体を囲う塀の向こう、西空の彼方で藍色の帳に追いやられていく夕焼けの残滓を一瞥し、重い溜め息を吐き捨てたユンゲは、礼を失さないようにと一歩を踏み出す。

 こちらの奇行を訝っていたらしいナーベが、モモンの耳許に寄せてから優雅に身を引き、仕えるべき主人を立てるように恭しく一礼をしてみせた。

 そうして、やおらと向けられた兜の細いスリット越しの視線に、ユンゲは堪らない緊張で胸が張り裂けそうになるのだった。

「――っ、ご無沙汰しています。モモンさん、ナーベさん」

 

 *

 

 盛り上がっている宴席の喧騒から、少しだけ離れた広場の片隅。

 ようやっと声を絞り出したこちらの様子を気遣い、さり気なく人払いをしてくれたモモンに向かい合ったユンゲは、“第一王子”バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフの率いる王国軍と戦うことになった一連の出来事について話し始めた。

 感情の揺らぎとともに拙くなってしまう説明にも、軽い相槌を返しながら聞き役に徹してくれたモモンの心配りが有り難く、一方で更に鋭さを増していくナーベの眼力が横合いから責めるように頬を突き刺してくる。

「……なので、図々しい願いだとは思うのですが、規約違反の誹りを受けるのは、俺一人だけにしていただきたいのです」

 一緒に背負う、と言ってくれたマリーたちの気持ちは嬉しくとも、こればかりは譲れないのだと意を決して頭を下げる。

 幾許かの時間をかけつつも伝えるべきことを言葉にし終えたのなら、すっかりと汗ばんでいたユンゲの背筋を冷たい夜風が無遠慮に叩きつけていった。

 やがて、裁決を待つ被告人のような心境にも、少しだけ清々しい気分でユンゲが顔を持ち上げてみれば、不意に小さく肩を震わせていたモモンの姿に面を食らってしまう。

「ふふっ、なるほど……いや、失礼」

 思いがけない反応に視線を彷徨わせれば、戸惑いの色が浮かぶ黒曜石の眼差しとかち合った。

 ――耳朶を爪弾く、舌打ちの音。

 慌てて目を背けたユンゲは、内心の焦りを取り繕いながらモモンに向き直る。

「先ず、ユンゲさんは一つ思い違いをしていますね。私たちがこのカルネ村を訪れた理由は、一つの頼まれ事からですが、組合からの要請という訳ではありません」

 何故か楽しそうなモモンの声音。真意が掴めないままに、ユンゲは曖昧に顎を引いてみせた。

「受付の方ですよ。名前は……失念してしまいましたが、貴方たちのチームの無事を確かめて欲しいと“お願い”をされましてね」

「えっと……俺たちの無事、ですか?」

「えぇ、そうです。どうやら、ユンゲさんはご存知なかったようですが、王国軍の別働隊を率いたバルブロ王子は、このカルネ村方面へと向かった後に消息を絶っているのですよ」

 どこか淡々としたモモンの言葉に耳を傾けつつ、ユンゲは軽い驚きに目を見張った。

 

 村の窮地に駆けつけた“仮面の英雄”アインズ・ウール・ゴウンの手勢――この世界では、伝説級のアンデッドとも称される死の騎士〈デス・ナイト〉による反撃を受け、攻め寄せていた王国軍は瞬く間に逃散していった。

 馬の背にしがみついて敗走するバルブロの無様な後ろ姿を見かけた覚えはあるものの、負傷者の救護を優先したこともあり、その行方についてはユンゲの与り知るところでない。

 圧倒的な死の軍勢を指揮したアインズも特に追撃を加えることなく、カッツェ平野の戦場へと転移で舞い戻っていったはずだ。

 撤退の最中に何かしらの危機に遭遇したのか、或いは敗戦の責を問われることを怖れて第三国へと逃亡したのか。夏頃に発生した悪魔騒動での醜態からバルブロは評判を落としており、最近では実弟の“第二王子”が次代の国王に推されているとも囁かれていたので、あり得ない話ではないはずだ。

 さもなければ、逃げ延びた先で権力闘争のために暗殺され、その不都合な死を行方不明という扱いで隠匿されている、といった可能性もあるのかも知れない。五千人からなる部隊が、そっくりと消え去るような事態は想像し難いが、何かしらの緘口令が敷かれていると考えたのなら、多少の理解はできるだろうか。

「――真偽のほどは分かりません。いずれにせよ、ユンゲさんの話してくださったカルネ村での戦いについて、エ・ランテルでは一切の報告も上がっていないはずですよ」

 そんな余裕もないでしょうしね、とモモンが言葉を小さく含みを持たせる。

 現時点で把握されている情報は、トブの大森林の南方に位置する開拓村の方面へと派兵された別働隊五千人の消息が不明であり、同時期に送り出された一組の冒険者チームについても連絡が途絶えてしまった、という事実だけだ。

「……つまり、モモンさんがこちらのカルネ村にいらしたのは――」

「そうですね、リ・エスティーゼ王国に対する反逆者を成敗するためでも、組合規約の違反者を取り締まるためでもありません」

 尻すぼみになるユンゲの言葉を引き取り、やや申し訳なさそうにモモンが肩を竦めてみせた。

「カルネ村の近郊で、何か不測の事態が起きているかも知れない……だから、モモンさんに様子を探ってほしい、と」

「えぇ、正確には『エ・ランテル周辺のモンスターを退治するときに、少しだけ遠出をしていただけませんか?』とね」

 張り詰めていた緊張の糸が切れ、ユンゲの口から気の抜けた溜め息がこぼれてしまう。

 諸々と考え込んでしまっていたことは、自身の杞憂に過ぎなかったらしいと安堵感に腰を下ろしかけ――、不意の閃きに慌ててモモンの姿を振り仰ぐ。

「――ご安心ください、無闇に他言するような真似はしませんよ。リ・エスティーゼ王国の在り方には、私も少し思うところがあります。……ユンゲさんの行いを責めるつもりもありません。同じ立場であれば、私もこの剣を手にすることになったでしょうから」

 一切の奇を衒うこともない、断定の口調に思わず胸が熱くなる。

 こちらの考えなど、全てを見通していると言わんばかりの鷹揚たる英雄の振る舞いを受け、ユンゲは尊敬の念を込めて頭を下げた。

 王国軍への反抗や治癒魔法の行使等に係る規約違反――問題提起されていない罪状を自ら暴露したも同然ではあったが、それらの行為について、“漆黒”のモモンが肯定する立場を示してくれたのだ。

「……何と言うか、少し救われた思いです」

 ありがとうございます、とモモンに感謝の言葉を重ね、ユンゲは相変わらずの厳しい眼差しを向けてくるナーベにも向き直って頭を下げた。

「…………っ、今回だけです」

 微かに鼓膜を震わせた舌打ちに、頬を刺していた極寒の鋭針が僅かながら和らぐ気配。

 珠のような“美姫”からの評価が好転したとも思えないが、現状は何とか事を収めてくれるらしい。

「遠くまで足を運んでいただいてしまい、申し訳ないです。……えっと、お二人とも夕食はまだですよね? 宜しければ、ご一緒にいかがでしょうか?」

 珍しいペリュトンの獣肉もありますよ、と言葉を続けたユンゲは、四方からの篝火に照らされる広場の中央――村人たちが寄り集まる賑々しい宴席を振り返りながら遠慮がちに問いかける。

「いえ、私としても少しばかりエ・ランテルを離れる口実が欲しいところでしたので、お気になさらないでください。食事についても自分たちの分は持参していますので、あれほどの素晴らしい獲物は、カルネ村の皆さんと楽しんでいただければ――、と」

 あっさりとしたモモンの返答にも、そうした反応を予想していたユンゲは顎を引くだけに止めた。

 稀代の英雄たる“漆黒”の二人は、催事への誘いに消極的なことでも有名だった。どうにかして顔を繋ぎたいと数々の策を弄しながらも、モモンの丁寧な断り文句とナーベの完璧なまでの無視を前に、散々と玉砕していく者が長らく跡を絶たないのだ。

 かつて、職場や取引先との宴会などに乗り気でなかった身としては、面倒事を避けようとする相手に無理強いする考えもない。

「――了解しました。えっと……この度は、本当にありがとうございました」

 無用に引き止めることはせずに、ユンゲは素直に身を引いた。

 

 こちらを遠巻きにしていたエンリに声をかけ、カルネ村での一泊に了承を得たモモンが、ナーベと連れ立って騒がしい広場を離れていく。

 その偉大に過ぎた後ろ姿を見送り、ユンゲはようやっと息を吐くように夜空を仰いだ。

 知らぬ間に、すっかりと頭上を覆っていた深い藍色の帳をぼんやりと見つめたのなら、ふと穏やかに揺蕩うような星たちの輝きに目を奪われてしまう。

 煌びやかな金糸を撚り合わせたような無数の光の帯が、雲状に集まりながら豊かな流れを形作り、天空の帆布に神々しいほどの“光の大河”を描き出している。最近では随分と見慣れたような、それでいて一切も飽きることなく眺めていられる絶景だ。

「この世界にも、星座とかはあったりするのかな」

 ふと何気ない呟きが口端からこぼれ、さらりと冷たい夜風に攫われていく。

 軽い身震いに肩を竦めつつ、小さくかぶりを振って視線を返したのなら、こちらに向かって小走りで駆けてくる華奢な人影。

 焚かれた篝火の横を通り過ぎる拍子に、括られた髪の一房が鮮やかな赤みを孕んで軽やかに弾んだ。

 両手で大事そうに抱え持った鉄鍋と立ち昇るやわらかな湯気の向こうに、ちょっとだけ誇らしそうな微笑みが浮かんでいる。

 ほんのりと上気した白い頬に、懸命な様子を想起させる煤埃の跡が、堪らないほどに可愛らしい。

 相当な自信作ができたらしいな、と心の中で嘯いてみせながら、軽く手を振って呼びかける。

 そうして、少し気恥ずかしいような思いで口許を綻ばせつつ、ユンゲもまた小走りに駆け寄っていくのだった。

 

 




-ナーベラルのツンデレ?-
冒険者としての正式な依頼でもなく、下等生物の無事を確かめるという限りなく無駄な目的のために、小間使いのような真似をさせられたことに起因。
一方で、久しぶりに“至高の御方と行動する名分”を得られたことが、嬉しくもあり少しだけ複雑な心境のようです。但し、ユンゲに対するデレは未来永劫ありませんが……。

モモンガ様としては、先の(Side-M)で触れたように、魔導国の建国後は気軽に出歩けなくなることを憂慮しての逃避行動になります。
原作においても、カッツェ平野での戦争に前後して、“漆黒”がエ・ランテルを離れている描写があるので、一応は整合性も図れているかな。

考えていたよりも長くなったカルネ村での滞在ですが、次回でようやくと区切りになる予定です。

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