王国軍の撤退後、カルネ村の復興を手助けしていたユンゲたちの前に、“漆黒”が現れる。
冒険者組合の規約違反を黙認されて安堵したユンゲは、再び盛り上がる宴席へと向かった。
※ 時系列としては、カッツェ平野での大虐殺から魔導国成立に至るまでの冬の出来事となります。
「――お父さんを助けてくれて、ありがとう! またね、冒険者様!」
小さな身体で精一杯に手を振る少年の姿に、馬車の荷台から振り返ったユンゲは、少しばかりの気恥ずかしさを覚えながらも小さく拳を掲げてみせた。
途端に湧き起こった歓声や高らかな指笛の音は、真新しい外門の前に詰めかけている大勢の村人たちから発せられた。
少年の肩を優しく抱いていた父親まで、喉を枯らさんばかりに声を張り上げている。
不意の反応には軽く驚いてしまうが、内心の戸惑いを顔に出さないように表情を取り繕う。
思いがけない“漆黒”モモンとナーベの来訪から更に半月余り――、ユンゲたち“翠の旋風”が出立の意思を告げたところ、エンリを始めとした全ての村人やゴブリンたちまでもが、見送りのためにと集まってくれているのだ。
遠くアゼルリシア山脈から吹き下ろす風が肌を刺すほどに冷たくとも、次々と投げかけられる感謝の声に胸の内は熱くなる。
どこかむず痒いような思いを抱きつつも、やおらと視線を持ち上げたユンゲは、ようやくと完成したカルネ村を囲う“二重の塀”を見回した。
リ・エスティーゼ王国軍の攻勢によって無惨に破壊されてしまった村の光景も、村人たち全員の尽力と“アインズ・ウール・ゴウン”の名において派遣された疲れ知らずなアイアン・ゴーレムの働きによって、すっかりと見違えるほどに様変わっている。
村全体を囲っていた塀や門の周りなどは、以前よりも強固となるように補修を施され、居住区だけでなく新たに農耕地全体までを囲うように設けられた第二の塀の存在から、一層と砦や要塞らしい外観に拍車がかかって見えた。
緊急時の連絡手段や脱出路の運用といった仔細については、ンフィーレアやジュゲムたちに任せ切りだったが、余程の事態にも対応できると力強く請け負ってくれてもいる。
リ・エスティーゼ王家を敵に回してしまったカルネ村の将来を思えば、決して順風満帆な暮らしとはいかないのだろう。
それでも、晴れやかな笑顔の咲き誇る光景を前にすれば、ユンゲは自身の行動を間違っていなかったのだと信じることができたのだ。
「……これで、良かったよな」
問いかけるでもなく口からこぼれた呟きには、自然と安堵にも似た色が滲んでいた。
「はいっ、本当に良かったです」
傍らに腰を下ろしたマリーが、凛とした声音とともに柔らかな微笑みを向けてくれる。
括られた艶やか金髪の一房が風にそよぎ、白い頬をくすぐるように撫でていく。
はっきりとした肯定の言葉に、思わず相好が崩れてしまいそうになるのを自覚しつつ、ユンゲは一つ頷きを返して遥かな空を仰ぎ見た。
久しぶりに眺めた気のする高い空には、淡い白雲が棚引くように広がり、抜けるような青とのコントラストが目にも美しく、少しだけ近付いた春の気配を感じさせてくれるようだった。
そうして、ふと視線に舞った鮮やかな光の欠片――真新しい物見櫓から放たれた色とりどりの花弁たちが、麗かな陽射しを浴びて煌めきながら乱舞し、ユンゲの視界を華やかに染め上げていく。
復興の半ばで去る決断に後ろめたさもあり、本来であれば昨夜の内にエンリだけに話を通して、明け方には発つ考えをまとめていた――のだが、ユンゲたち“翠の旋風”は気付けば村を挙げての盛大な見送りを受けることになっていた。
「――本当にありがとうございました! カルネ村の住人は、この御恩は絶対に忘れません!」
また、いつでもお越しください、と振り絞るように声を張ったのは、村人たちを代表するように一歩前へと進み出たエンリだ。三つ編みのおさげ髪が似合う純朴そうな村娘然とした佇まいでありながら、強い責任感を宿した瞳の印象的な少女だった。
その傍らには、幼い妹のネムと恋人であるンフィーレアが肩を支えるように寄り添い、屈強なゴブリンたちの頼もしい姿も見える。
自身をまるで英雄視するような村人たちからの眼差しには、面映い思いを覚えずにはいられない。
――だが、そうであっても緑豊かなトブの大森林まで色を褪せてしまう冬の季節に、どのようにして探し集めたのか、彩りも華やかな野花のシャワーを降らせてくれた村人たちの労力を考えたのなら、決して悪い気はしなかった。
「――こちらこそ、色々とお世話になりました。また、必ず寄らせてもらいますね」
特に気負うこともなく、再会を願う言葉を口にしてから、ユンゲは静かに頭を下げる。
惰性のように過ごすばかりであった以前の生活とは異なり、突然の異世界転移を経験してからの日々では、感謝の言葉をかけられることが増えていた。
偽らない事実として、“ユグドラシルの恩恵”を受けた影響は大きいのだろうが、様々な状況に流されながらもユンゲが自らの意志で行動し、物事に関わるようになったことだけは間違いないだろう。
右も左も分からなかった未知の世界の中に、僅かだけでも自身の居場所が得られたような安堵にも似た思いが、胸の内に満たされていく――と、不意に鼻孔をくすぐるのは甘い香り。
こちらの視線に気付き、不思議そうに小首を傾げたマリーの髪を誤魔化すように軽く撫でつける。
横道に逸れかけた思考を切り替えつつ、ユンゲは小さく息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「――それでは、皆さんもお元気で」
見送ってくれる村人たちに殊更と大きく手を振り返し、名残り惜しいような思いのままに半身の姿勢で前方へと目を向ける。
そうして、御者台で姿勢を正すようにしていたリンダと一つ頷きを交わしたのなら、慣れた様子で荷馬の手綱を引いてくれる。
小さく軋む車輪の音とともに、緩慢な動きで進み始めた荷台に揺られながら、ユンゲは静かにもう一度だけ頭上を仰いだ。
仄かな薄曇りの向こう――、少しだけ頼りない印象もある早朝の太陽は、それでも眩しいほどの光を枯野の大地へと降り注いでくれていた。
*
不意に背筋を駆け抜けていった冷たい風に、ユンゲは思わずと身を強張らせる。
なけなしだった太陽の恩恵も、既に遠い地平線の向こうへと沈んでしまった暗がりの中で、暖を取るための焚き火の灯りだけが赤く揺らめいていた。
トブの大森林の外縁に沿って伸びた畦道を進み、カルネ村とエ・ランテルを結ぶ道程の半ばほどにも差し掛かったのなら、周囲には人々の営みを見つけることはできないだろう。
やや疎らとなった樹の幹に寄せて野営用のテントを張り、軽めの夕食を済ませた頃合いだ。こうした時刻にもなれば、頭上に散りばめられた星たちの輝きばかりが頼りとなるのだが、生憎と分厚い雲に覆われてしまっている。
そうした次第なので、手元の熾火に照らされている僅かな範囲より先は、すっかりと闇色の世界に閉ざされてしまったように思えてならないのだ。
「――不死者〈アンデッド〉の王様って、正直どうなんだろうな」
火に焚べるための小枝を特に意味もなく指先で遊ばせつつ、ユンゲは傍らのリンダに向けて何とはなしに口を開いた。
「さて、私は直接お見かけもしていないので判断に困ってしまいますね。私も神官〈クレリック〉の端くれですので、本来であればアンデッドのような存在と相入れられるとは思えないのですが……それでも、人間とともに協力しながら暮らすゴブリンやオーガたちを目の当たりにしてきましたから――」
小さな驚きを懐かしむような声音で肩を竦めてみせたリンダが、手にする木匙で火にかけていた鉄鍋の底を浚っていく。
「少なくともカルネ村の皆様からは、大変に慕われていたように感じましたね。……どうぞ、かなり熱くなっていますので、お気をつけてください」
小枝を炎の中に投げ入れつつ、差し出された陶製のカップを受け取れば、やや悴んでいたユンゲの手にも嬉しい、じんわりとした熱が伝わってくる。
立ち昇る柔らかな湯気に頬を緩ませて、軽く息を吹きかけながら口に含んでみる。
ふわりと芳醇な葡萄酒の味わいが鼻腔を抜け、喉を喜ばせる仄かな酒精とともに身体を内から温めるように広がっていく。
堪らない心地の良さには、無意識の内に感嘆の吐息がこぼれてしまうのも仕方がないことだろう。
少量の蜂蜜と刻んだ生姜を加えて温めたグリューワインは、野外で夜風が骨身に染みる冬の季節にこそ、これ以上とないご馳走になるのだ。
「……これ、最高に美味いよ」
ありがとな、と屈託のない笑みを浮かべたユンゲは、気を取り直すように“漆黒”のモモンから知らされた世界の情勢へと考えを巡らせていった。
バハルス帝国との決戦に大敗したリ・エスティーゼ王国は、先立って布告された宣誓の要求を呑むほかに手立てはなく、王家の直轄領であった城塞都市〈エ・ランテル〉近郊の割譲を正式に承諾した。
国土の防衛と交易の要衝を担った東端の最重要拠点を失い、王国側のダメージは計り知れない。
しかしながら、そうした実際の損失以上に、帝国の同盟相手として参戦した稀代の魔法詠唱者の勇名――或いは悪名が、戦場から逃亡することしかできなかった兵士たちの口伝として流布されてしまい、王国民たちを震え上がらせているらしい。
「……“魔導王”アインズ・ウール・ゴウン、か」
かつて、ユンゲを呼び出した嫌味な“鮮血帝”ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが挑むように問いかけ、純朴な村娘のエンリが憧れの眼差しとともに感謝の言葉を口にし、底の知れない怖ろしさを秘めたルプスレギナが絶対の忠誠をもって仕える相手――エ・ランテルの支配を手中にし、新たな国家を築いて君臨する者の名だった。
「……直に話したけど、全然気づかなかったな」
カルネ村の窮地に駆けつけると圧倒的な武力で敵方の王国軍を退け、復興のために多大な協力を惜しまなかった“仮面の英雄”の正体は、生者への憎悪と殺戮を渇望するばかりのアンデッドなのだという。
いずれ分かることでしょうから、と肩を竦めてみせたモモンの説明を裏付けるように、奇妙な仮面の奥に隠されたアインズの素顔をユンゲは確かに見ていない。
生者と死者の間には、決して埋まることのない隔たりが存在するはずなのだが、アンデッドによって統治される新たな国家とは、どのようなものになるのか――。
異世界からの流れ者であるユンゲが関知することではないのだろうと思いながらも、既に敗残の王国貴族や都市外にも伝手を持つ商人、一部の冒険者などが拠点を移し始めているという話だ。
以前にルプスレギナから告げられた、王国の連中はユンゲたちに構っている余裕はない、という言葉が思い起こされる。
貴族や商人ばかりでなく、国家に縛られることのない冒険者までもが去るという事態は、やはり相対した経験からアンデッドに支配される状況を受け入れられない者が多いのだろう。実際にアインズと接したことがなければ、ユンゲ自身も似たような考えを抱いたことは想像に難くない。
「でもまぁ……本当に“村の救世主様”って感じだったし、とても悪い存在だとは思えないよな」
「キーファやマリーも同じことを言っていましたね。結局のところ、私たちがこれまでに戦ってきたような……一般的なアンデッドとは違う存在なのでしょうね」
「そうであることを願うよ。ちょっと前のカッツェ平野で、散々に狩りまくったしな」
同族の恨みとか言われたら大変だ、と軽い調子でユンゲが冗談めかせば、口許を緩ませながらリンダが小さく首肯を返してくれる。
エ・ランテルの住民たちには突然の試練であっても、王国側と完全な敵対関係になってしまったユンゲたち“翠の旋風”やカルネ村にとっては、一方で都合の良い情勢であるとも理解できた。
「色々あるだろうけど……今後のことは、エ・ランテルに戻ってから皆で話し合おうか。とりあえず、夜中の見張りは予定通り俺がやるから、リンダもそろそろ休んでくれて構わないよ」
「えぇ、お言葉に甘えてそうさせていただきます。……これから冷え込むでしょうから、こちらもお使いください」
軽やかに立ち上がったリンダが、自身の細い肩に羽織っていた毛布を解き、流れるような所作でユンゲの背中へと重ねてくれる。さり気ない心遣いが素直に嬉しい。
「ん、助かるよ」と感謝の言葉を口にしつつ、テントの方に歩いていくリンダの後ろ姿を何気なく目で追いかける。
嫋やかな腰まで伸びる銀の長髪が、揺らめく焚き火の灯りに照らされて艶やかな光沢を放つ。
いつの間にか空になっていた葡萄酒のカップを置き、ふと首元に掻き合わせた毛布からは甘い香り。
不意に脳裡を掠めた想いを払うように、ユンゲは小さくかぶりを振って頭上を仰いだ。分厚い雲で覆われた夜空に、星たちの輝きは見つけられない。
それでも、草原を渡っていく風は昨日までより穏やかで、雪や雨の降るような気配もなさそうなのだから、より多くのことを望み過ぎても仕方がないのだろう。
ようやっと吐き出した息が視界を白く染め上げ、一抹の儚さを孕んで音もなく散っていく――と、
「ユンゲ殿。あくまでも私個人の願いですが、お邪魔でない限りは何処へなりとも、ともに歩みたいと考えております」
やや唐突な呼びかけは、テントの入り口に手をかけながら振り返ったリンダから――。
頼りない焚き火の灯りは胸元までも照らすに足りず、その表情を窺い知ることはできなかったが、どこか縋るような響きを湛えた声音を耳にし、ユンゲは敢えて大袈裟に肩を竦めてみせた。
「俺がリンダを邪魔に思うはずがないだろ? そっちこそ嫌になるまで、付き合ってもらうからな」
――他愛ない台詞にも、暗がりの中で小さく微笑む気配があった。
いつかの帝都で出会ったばかりの頃であればいざ知らず、嫌になるまでと口にはしながらも、今更になって皆と離れるような未来は想像したくない。
やや自嘲めいた感情を胸の内に忍ばせつつ、ユンゲは努めて軽い口調で言葉を続けた。
「馬車でたっぷり寝かせてもらうから、手綱の捌きは任せた!」
快適な眠りのために安全運転で頼むな、と冗談交じりに言い添えたのなら、こちらに向き直ったリンダがはっきりと頷きを返してくれる。
「――はい、確かに承りました。それでは、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」と軽く手を振って見送ったユンゲは、途端に物寂しくなった周囲を見回しつつ、道すがらに集めていた枯れ枝の束を拾い上げる。
火勢の弱まっていた焚き火へと無造作に放り込めば、瞬くような無数の火花が闇色の空を舞い上がっていく。一際と高く昇っていった紅色の軌跡が、視線を持ち上げた先の宙空で幻想のように消え入り、ユンゲは小さく息を吐いた。
そうして、何となく手持ち無沙汰になってしまった思いを抱きながら、空のカップに残りの葡萄酒を注いでみる。
柔らかな湯気の向こう――、明け方の当番であるキーファとマリーが起き出してくるまでには、後どれくらいあるのだろうか。
虫鳴きもない静かな夜更けに、時折パチパチと爆ぜる焚き火の音ばかりが、静かに降り積もっていくかのようだった。
久しぶりの新刊は嬉しかったですね。
二次創作の捗りそうなネタも多かったので、アニメと合わせてまたオーバーロード界隈が盛り上がることを願いつつ、早く時間に余裕が欲しいです。
※エルフの料理が美味しくなさそうなのは、この作品的にスルーさせていただきます。