オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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気が付けばアニメの四期が終わってしまった。ミュージカルなラナー様は、とても幸せそうでしたね。

時系列は前後しますが、聖王国編は劇場版というとことなので、こちらも楽しみにしたいと思います。


(49)薫風

 ――不意に、優しく前髪を撫でていった温もり。

 甘やかな心地の良い香りに満たされる、ふわふわとした微睡みの中、ユンゲは目蓋の向こうに柔らかな光を感じた。

 ぼんやりと開けていく視界の裾から鮮やかな青が広がり、さらりと吹き流れた涼やかな風に、少しだけ春の近付いている気配がする。

「あっ、お目覚めになられましたか?」

 思いがけず耳許で囁かれた声に、眠りの淵で揺蕩いながら視線を返せば、逆さまに覗き込んでくるのは澄んだ碧の双眸。側頭部で括られた金髪の一房が、麗かな陽だまりの中で輝くように細い肩口へと垂れていた。

 ようやっと寝惚け眼を擦りつつ、仰向けのままに見上げる格好となったユンゲは、「……ん、おはよう」と短く言葉を絞り出した。

 ふと込み上げる欠伸を抑えようと身体を強張らせかけ、それでも堪え切れなかった残滓が、間抜けな口の端から溢れてしまう。

「ふふっ、おはようございます。えっと……到着まで、もう少しお休みになられますか?」

 ピンと立てた人差し指を桜色の口許に寄せた森祭司〈ドルイド〉のマリーが、こちらの疲労を気遣うように可愛らしく小首を傾げてみせた。

 夜半からの見張りはそれなりに堪えるが、朝食後にひと眠りもできれば活動に支障はない。

 返事代わりにやおらと手を持ち上げることで応えつつ、艶やかな金の髪を梳き撫でるようにしながら目標へ――森妖精〈エルフ〉特有の長く尖った形の良いマリーの耳へと伸ばす。

 多くの出来事があったカルネ村からの帰路、ユンゲたち“翠の旋風”を乗せて出発した馬車は畦道を抜け、既に城塞都市〈エ・ランテル〉へと続く街道の本線に差し掛かっているらしい。余計な小石が取り除かれ、人々の往来によって踏み固められた道を進む荷台の旅路は穏やかであり快適だ。

 再びの眠りを誘ってくる心地良い馬車の揺れに身を任せながら、こうして何よりも魅力的なマリーの膝枕に抱かれて過ごすという情景に、内心では抗いたくない思いもあるのだが――、

「いや、起きることにするよ」

 伸ばしていた腕を引き戻し、ユンゲは気持ちを切り替えるように短く言い差した。

 くすぐったそうに身を捩りながらも、「分かりました」と屈託のない笑顔で応じてくれる眩しい眼差しに、無意識の内に頬が緩みそうになるのも仕方がないことだろうと思う。

 そうした気恥ずかしさを誤魔化すように、敢えてのんびりと身を起こしかけたユンゲは、はたと覚えた腹当たりの重みに疑問の声を上げた。

「……あれっ、キーファか?」

 首だけで見下ろした視線の先、ふわりとした風に綺麗な栗色のポニーテールがそよいでいる。立膝を崩したような姿勢でこちらに寄りかかりながら、小さな寝息を立てていたのは野伏〈レンジャー〉の少女だった。

 今更と気を置くような付き合いでもないが、口をぽかりと開けたままで気持ち良さそうに眠っているキーファの横顔を見つめたユンゲは、諸々と言葉を飲み込んで苦笑いを浮かべた。

 流石に気を許し過ぎだと思わなくもないが、随分と役得な状況に文句をつける考えはない。一方で、すっかりと警戒心の抜け落ちた振る舞いを目の当たりにすれば、却って自制心を試されているような気分となって落ち着かないのも確かだった。

 ――それでも、年相応のあどけなさを残すキーファの寝顔から、かつての境遇に根差した暗い影が薄れている気配を見て取り、ユンゲは小さく息を吐きながら口許を綻ばせる。

 鬱蒼としていたトブの大森林は既に遠く、視界を遮られることもない開けた平原を緩やかに伸びている街道だ。不意の襲撃を警戒して、常に気を張り続けるような必要もない。

 出会って間もない頃には、「交代で休憩して欲しい」とユンゲが声をかけても、役に立たなければいけないのだと悲壮な決意を滲ませていた彼女たち三人の姿が、どこか懐かしく思い出されるようになったのだから、決して悪くない変化だろう。

「…………やっぱり、もう少しこのままで頼む」

 キーファを起こしたら可哀想だからな、と言い訳の台詞を胸に秘めたユンゲは、努めて軽い調子で肩を竦めてみせた。

「はいっ、勿論です!」と弾んだ声音に視線を持ち上げれば、雲一つない澄み渡った青空さえ背景にする満面の笑み。

 硬い板張りの荷台が、少しも気にはならない。

「ゆっくりお休みくださいね、ユンゲさん」

 耳許で告げられた蕩けるような誘い文句に骨抜きとなる予感を抱きながらも、ユンゲは全身を弛緩させて、二度目の眠りへと落ちていくのだった。

 

 *

 

「おっ、もう見えてきたな」

 真っ直ぐと伸びていく街道の先に、どっしりと構えた威容を誇る都市の城壁が姿を現していく。長らくと辺境の開拓村に滞在していたこともあり、久しぶりに眺めるエ・ランテルの外観は、遠巻きにも大都市然とした風格を備えているように思えた。

「でも、前のときとは様子が違うね。城門のところに誰もいないよ?」

 御者台に跳び移っていたキーファが振り返り、上目遣いに小首を傾げてみせる。

「……確かに、いつもの入場待ちがいないな」

 交易の要衝であるエ・ランテルには、平常ならば多くの商人や旅人たちが忙しなく来訪しており、街門の前に長蛇の列を成していたものだ。

 冒険者の依頼で都市外へと赴けば、帰還の度にかなりの時間を待たされたことが思い起こされる。

「ここまでも他の連中を見なかった、よな?」

「んーと、あたしも寝てたからね……リンダ、どうだったの?」

 互いに顔を見合わせたユンゲとキーファは、軽く共犯めいた苦笑いを交わしつつ、御者台のリンダへと視線を向けた。

 やれやれとばかりに小さく息を吐いてみせたリンダが、言葉を選ぶように口を開く。

「――途中、荷馬車を引いた隊商らしい方々と擦れ違いましたが、商いのためにというより……慌てて家財道具を運び出しているような印象でした」

「夜逃げ、みたいな感じか?」

「そうですね、今のうちに都市を離れてしまいたいのかも知れません」

「……王様が変わるのなら、逃げ出したくなる奴等もいるよな」

 国家としての在り方が、大きく変容するのだ。

 特権的な地位を得ていた貴族や都市の上層部は勿論、エ・ランテルを交易拠点としていた商人や所属の冒険者、市井の人々に至るまでの影響は計り知れない。況してや、新たに支配者として君臨する“魔導王”アインズ・ウール・ゴウンが、生者を憎むはずの強大な不死者〈アンデッド〉である、と喧伝されていたのなら尚更だろう。

 小さく肩を竦めてみせたリンダが、やや不安そうな視線を前方の目的地へと向けた。

 この場から眺めている限りでは、エ・ランテルの街並みに大きな変化は見受けられないのだが――、

「とりあえず、ここで待っていてくれ」

 どことなく醸し出される澱んだ都市の気配に、ユンゲは少しだけ顔を引き締める。

 リ・エスティーゼ王国軍との戦闘行為について、エ・ランテルでは“一切の報告が上がってない”というモモンの言葉を信じるのなら、このまま入場の検問に進んだとしても問題はないのだろう。

 しかし、既に半月余りの時間が経過していることを思えば、状況は変化しているかも知れない。

 了解しました、と応じてくれたリンダが器用に手綱を引き、道端へと馬車を停止させるのを確認したユンゲは、三人の顔をゆっくりと見回してから静かに言葉を続けた。

「一旦、俺が一人で様子を確認してくる。何か問題がありそうならエ・ランテルには寄らないで、さっさとバハルス帝国を目指そう……あんまり気は進まないけどな」

 事前に方針を話し合っているので、当然ながら仲間たちからの反対意見は出ない――というより、選択肢は限られているのだ。

 王国領である西方は論外としても、北にはトブの大森林とアゼルリシア山脈が広がり、南方に目を向けても森妖精〈エルフ〉と敵対関係にあるらしいスレイン法国に大した期待はできないだろう。

 嫌味な皇帝や厄介な魔法狂いの爺、はた迷惑な興行主を含めて色々な面倒事には目を瞑るとして、消極的ながらも東に位置するバハルス帝国を選ぶしか道はないのだ。

 思わずとこぼしたくなる溜め息を堪えつつ、ユンゲは気を取り直すように掌で両頬を軽く張ってみせる。

「……大丈夫だとは思いますが、万一のことも考えてお気をつけてくださいね」

 あぁ、と小さく頷きを返したユンゲは、無詠唱のうちに〈フライ/飛行〉の魔法を用いて、ふわりと宙空に身を躍らせた。

 

「――お前さん、冒険者の認識票〈プレート〉を失くすとか、腕はそれなりに良いのにどっか抜けてんなぁ。そんな調子だから可愛らしい嬢ちゃんたちにも、愛想を尽かされちまうんじゃねーか?」

 単身で街門に訪れたユンゲを前に、見知った髭面の兵士が気安い態度で笑みを向けてくる。

「はっ、そのときは泣いてでも縋りついてやるさ。ここの雰囲気がいつもと違ったから離れたとこで待たせてるんだよ」

 遠慮のない物言いに軽口を返しつつ、検問所の奥へと視線を巡らせる。

 待機する馬車や人影もなく、薄く土埃を被っている広間は閑散として物寂しい印象だ。

 併設された詰め所には休憩中らしき若い兵士の姿もあるが、こちらに一瞥をくれただけで何か行動を起こそうとする様子はない。

 差し当たって街中で追われて逃げ回る心配をする必要はなさそうだ、とユンゲは静かに胸を撫で下ろして警戒を緩める。

「ところで、あんたこそ随分と暇そうにしてるな」

「見ての通りだ……ったく、酷いもんさ。他所に伝手のあるお偉方や金持ちの商人連中は、すぐに逃げていっちまった。今のエ・ランテルにまだ残ってるようなのは、外の世界じゃ生きていけない奴らばっかりだ」

 吐き捨てるように不満を口にし、肩を怒らせた壮年の男の顔にも幾許かの疲労の色が滲んでいる。

 この世界における人々の往来はかなり限定的だ。

 特に封建制の敷かれた王国領内では、冒険者や行商人を志すような例外を除けば、故郷の町や村から一度も出ることなく生涯を終える者も少なくない。

「親戚でもいなけりゃ、他の都市を頼ることも難しいかもな。あんたは――」

 出ていかなくても大丈夫なのか、とユンゲは言外に問いかけた。

 王国貴族に雇われる兵士の身分を考えたのなら、今回の領土割譲に至る変事において最も影響を被ったうちの一人だろう。

「俺の仕事は、この街を守ることだからな……真っ先に逃げ出す訳にはいかねーのさ」

 小さく息を吐いた髭面の兵士は、「……それによ、魔導国に引き渡すまでの給金は先払いでもらってるしな」と少しだけ戯けるように笑ってみせ、こちらの肩を親しげに叩いてくる。

 何処の世間にもいけ好かない面倒な奴はいるし、一方で不思議と気の合う相手も見つかるものだ。

「――そうか、なら安心だな。とりあえず、待たせてる仲間に声をかけてくるよ」

 思わずと口許を綻ばせつつ、ユンゲは再び〈フライ〉を唱えて空を駆け上がる。

 全くの偶然ながらこの世界で初めて言葉を交わした男の、「おう、任せとけ!」と頼もしい掛け声を背に受ければ、これから先のことも何とかなるように思えてしまうのだ。

 そんな楽観的な思いを抱きつつ、ユンゲはこちらの様子を見つめていたキーファやリンダ、マリーたちに向けて大きく手を振ってみせるのだった。

 

 *

 

 泥濘に刻まれた轍が、均されることもなく乾いてしまった大通りを進めば、人気の遠退いた静かな街並みばかりが続いていた。

「……何か、前よりも雰囲気が暗いね」

「確かに……開いてない店舗も多いし、予想通りとはいえ活気がないな」

 先を歩くキーファに同意を示しつつ、ユンゲは左右の路地に視線を巡らせる。

 客引きの声が耳に煩いほどだった、帝都アーウィンタールの盛況さとは比較することもできないが、それなりの繁盛を見せていた場末の酒場も通りに面した門扉を閉ざしており、贔屓にしていた大振りな肉の串焼き屋台もすっかりと姿がなくなってしまっていた。

 店主らの居住用であろう建物の二階以上に目を向けたのなら、完全に人の気配がないという訳でもない。それでも、通りから見かけられる窓にはどれも厚いカーテンが引かれている様は、外部との接触を避けたいとする意思表示のようにも見えた。

「……とりあえず、荷馬車を預けたら冒険者組合に顔を出そうか。一応、依頼の報告をしないといけないだろうしなぁ」

「はいっ! 受付の方にも早めに無事な姿をお見せしないと、ですね」

 間延びしたユンゲの言葉を引き取り、小さな握り拳を作ってみせたマリーが、場の空気を明るくするように声を弾ませた。

「そうだな……っと、依頼の未達成は初めてになっちゃうかな?」

「仕方がありませんね、本当のことを説明する訳にもいきませんから」

 やや軽い調子で冗談めかせたのなら、御者台から振り返ったリンダもまた微笑みを浮かべながら応えてくれる。

 元々、ユンゲたち“翠の旋風”は「移住者を募る開拓村の実地調査」という名目の依頼を受け、僻地のカルネ村を訪れていた。

 当初に懸念されていた村ぐるみでの犯罪行為等の心配は微塵もなかったが、若くして村長になっていたエンリ・エモットからは、以前にも共に暮らすゴブリンたちの存在を秘密にして欲しいとの希望を受けている。

 何よりカルネ村の置かれた境遇を考慮すれば、敵対関係にある王国からの移民を受け入れることは情勢ばかりでなく、心情的にも不可能だろう。

 依頼を紹介してくれた顔馴染みの受付嬢には申し訳ないと思うものの、全力で有耶無耶にさせてもらうしかない。ついでに長らくと音信不通になったこともあり、モモンから伝え聞いた話では随分と心配をかけてしまっていたらしい。

(……お詫びのために怪鳥〈ペリュトン〉の燻製肉も用意したし、これで勘弁してくれるよな)

 人を寄せつけないトブの大森林の奥地へと分け入り、自らの手で仕留めた異形の獲物は、この世界でも指折りとなる垂涎のご馳走になった。

 噛み締めるほどに全身の細胞が幸福で満たされていく極上の味わいを思い出し、ユンゲは再びの狩猟を既に決意しているほどだ。

「……考えたら腹が減ってきたな。さっさと報告して早めの昼飯にしよう」

「いやっ、この流れで?」

 何気なくこぼれた呟きに、傍らを歩いていたキーファが吹き出すように笑い声を上げた。

「見た感じだと大通り沿いでも開いてる店が少ないからな。……早くしないと席が埋まってしまうかも知れない」

 不思議そうに見上げてくる野葡萄色の瞳を見つめ返し、ユンゲは努めて真剣そうな表情を取り繕ってみせる。

 カルネ村に滞在していた頃の素材を活かした食事も好きだが、街中で供される香辛料の類いをふんだんに使った料理もまた魅力的なのだ。久しぶりに浴びるほどの酒を飲むのも悪くない。

「ふふっ、その方がユンゲさんらしいかもですね。何でしたっけ……、“腹が減っては戦もできない”かな?」

 呆れともつかない楽しそうに弾んだマリーの声音。周囲からこぼれてきた小さな溜め息に軽く肩を竦めつつ、ユンゲは気を取り直すように路地の奥へと大きく一歩を踏み込んだ。

 

 そうして、リ・エスティーゼ王国の誇っていた城塞都市〈エ・ランテル〉が正式に割譲され、新たに不死者の王が君臨するアインズ・ウール・ゴウン魔導国の成立が宣言されるのは、それから間もなくのこと――草花の芽吹き始めた麗らかな春の日の出来事だった。

 

 

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