原作での時間軸が不確定な時期のため、都合の良いように解釈していますので、予めご了承ください。
「――それでは、皆さんの今後のご活躍をお祈りいたしております」
「あぁ、長いこと世話になった。……あんたも、その元気でな」
チームリーダーである魔法詠唱者の男が、いつになく申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「はい、ありがとうございます」と型通りの短い挨拶を返した受付嬢は、去っていく者たちに罪悪感を抱かせないよう、努めて柔らかな笑顔でその新たな旅立ちを見送った。
出入り口の扉上部に設けられた小さな鐘が、カランカランとどこか物寂しい音色を奏でるばかり――やがて、水を打ったような静寂に包まれていく城塞都市〈エ・ランテル〉の冒険者組合の室内にあって、一人残された受付嬢は力なく肩を落とす。
市民からの声を集めていたクエストボードには空きのスペースが目立ち、張り出された依頼について議論を交わす声や困難な依頼の達成を誇って楽しげに笑い合う声、或いは不運に見舞われたことを嘆いたり、罵りや嘲りといった罵倒の声も聞こえてくることはない。
以前であれば、煩わしいと感じていた騒がしさまで、既に懐かしいような思いに駆られてしまう。
――こうして、去りゆく冒険者たちの後ろ姿を見送るのは、果たして何組目になったのか。
エ・ランテルを拠点に活動していた冒険者の多くが、古参から新人を問わずに次々と他都市の組合へと移っていく。
最早、この流れを止めることはできないだろう。
「……はぁ、どうなるのかしら」
人知れずこぼれた溜め息の大きさに気付き、受付嬢は気を取り直すように小さくかぷりを振った。
身体を動かしていれば、余計なことを考えないで済むはずだ。「良しっ」と引っ張り出した手桶に水を汲み入れ、受付嬢は布巾を手にして閑散としたロビーに向かう。
利用者たちはめっきりと減ってしまったが、今も残ってくれている冒険者たちのためにも、せめて居心地の良い空間であって欲しいと思う。
まだ冷たい春先の水に浸した布巾を軽く絞り、並べられたテーブルを端から順に拭き上げていく。
「でも……冒険者さんたちなら、あんまり気にしないかしらね」
遠方への依頼なら道中の野宿などは当たり前であり、無事に仕事をやり遂げて帰還したのなら、鎧に被った土埃やモンスターの返り血さえ冒険者としての勲章になる。
達成報告のために組合を訪れたチームのメンバーたちが、そのままの旅装姿で酒盛りを始めていることも珍しい光景ではなかった。
「……まぁ、考えても仕方ないわね」
最近は独り言の回数が増えてしまった、と苦笑いを浮かべる受付嬢は、それでも卓上を丁寧に拭き清めていくのだった。
エ・ランテルの冒険者組合が、現在の窮状となっている原因は明白だ。
全てはリ・エスティーゼ王国からの領土割譲により、新たな支配者を迎えて“アインズ・ウール・ゴウン魔導国”として成立したことに端を発している。
カッツェ平野での戦争において、王国軍に何万人もの被害を与えた惨虐なる不死者〈アンデッド〉の王が君臨する国家――様々な負の感情とともに多くの混乱が予想された新たな統治は、蓋を開けてみれば意外なことにさしたる問題も起こっていない。
奴隷にされてしまうのか、他国への侵略戦争に動員されるのか、或いはただの気紛れに殺されることになるのか。
そうした今後への不安や恐怖の思いが、市民たちの中で渦巻いていることも事実ではあったものの、表面的には王国領時代と変わらない生活が保たれていた。
その最も大きな要因は、“漆黒の英雄”モモンの存在だろう。
神話の軍勢とも評された強大なアンデッドたちを従えた“魔導王”アインズ・ウール・ゴウンが、エ・ランテルに初めて姿を現した初春の日――多くの市民が恐怖に駆られながら固唾を飲んでいた中、ある一人の少年が小石を手に取り、あろうことか魔導国建国の祭典を妨げてしまった。
先の大戦で父親を奪われた恨みは同情の余地こそあれ、人の道理が異形のアンデッドを相手に罷り通るはずもない。
必死で我が子を庇おうとした母親も含めて、死罪は免れないだろうと誰もが諦めかけていたとき、ただ一人で立ち上がったのがモモンであった。
凄絶な剣技で蛮行を押し止め、理知的な言葉をもって魔導王の狭量を指摘し、最後には母子の無事を約束させるに至った見事な手腕は、真に英雄と称されるに相応しい対応だったという。
そうして、エ・ランテルが誇る最高位アダマンタイト級の冒険者として数々の偉業を成してきた傑物は、害意が市民たちへと向かうことのないように、敢えて魔導王の配下となることで、今も自らの存在を“人類の盾”としてくれているのだ。
――さて、魔導国における治政が表面上は落ち着いているのならば、何の要因が冒険者組合を苦境に追いやっているのだろうか。
「……それにしても、本当に依頼が少なくなっちゃったわね」
一通りの拭き掃除を終え、再び手持ち無沙汰となってしまった受付嬢は、人気の遠退いたクエストボードを見つめて溜め息をこぼす。
アンデッドによる支配を恐れた貴族や商人といった富裕層がエ・ランテルを去り、冒険者組合は多くの得意先を失うことになった。
近隣の領地に出没したモンスターの討伐や隊商の護衛といった基本的な依頼が激減し、少なくなった依頼を冒険者同士で取り合うような事態になったのなら、力のない駆け出しの者たちから食い扶持を得られなくなるのも自明だった。
日を追うごとに別の都市へと移っていく冒険者チームが現れ、現状は既に最盛期の半数も残っていないだろう。
一方で、モンスターの退治などを担っていた冒険者の人数が減少しても、エ・ランテル近郊の情勢が悪くなったという話題を耳にすることはない。
魔導王の支配下にある凶相のアンデッドたちが、昼夜を問わずに街中や街道の周辺を巡回して治安の維持に勤めているからだ。一部で横行していた犯罪行為も厳罰への怖れから抑制され、却って治安の良くなっている地区があるほどだという。
建国の当初こそ、何気ない街並みの中にアンデッドの姿を見かけたときには、内心で戦々恐々としていたものだが、こちらから敵意を向けなければ問題は起こらないと理解できた今では、遠巻きに会釈をするようにもなった。
慣れやすい子どもたちの間では、早くも“ごっこ遊び”に組み込まれていたりもするらしいので、人間というのは意外に逞しいものだと思う。
期せずして商売敵になってしまった冒険者組合を除いたのなら、良い顔をしていないのは神殿勢力くらいだろうか。
教義の上では、アンデッドによる支配を認める訳にもいかず、さりとて魔導王の圧倒的な力を前に反抗することなどできるはずもない。
現実から目を背けるように祈りの世界へと閉じ篭ってしまい、彼らから冒険者組合に委託されていた依頼の多くも取り下げられた。
これまでも治癒魔法の行使やアイテム販売に設けられた制限など、組合の立場としては色々と文句をつけたい思いもあるものの――、
「……信徒を見捨てて逃げ出さないだけ、他よりはマシなのかしらね」
再びの溜め息をこぼしつつ、受付嬢は手早く掃除用具を片付けていく。
考えないようにと身体を動かしていても、やはり先の見えない現状に不安は過ぎってしまう。
ふと思い出されたのは、水の神殿から受け付けていた一つの依頼のこと――とある開拓村の移民募集に関わる聴き取り調査を引き受けてくれたのは、半森妖精〈ハーフエルフ〉の青年が率いる冒険者チーム“翠の旋風”だった。
本来なら金級の冒険者を割り当てることのない低難度の依頼内容ではあったが、冬の閑散期で人手が少なかったこともあり、組合側の意向でやや強引に推薦したものだ。
しかし、カッツェ平野での決戦において、リ・エスティーゼ王国がバハルス帝国に大敗したことにより、都市の支配体制が変わり間もなく神殿からの依頼は取り下げられてしまう。
問題となったのは、何の心配もないだろうと送り出したはずの彼らが、年を跨いでも一向に帰還しなかったことだ。
当時は王国軍の別動隊が同地の付近で消息を絶ったという噂が流れ、敗戦後の混乱の中で様々な情報が錯綜していた。
そうして、依頼を斡旋した経緯から気が気ではいられず、受付嬢は“漆黒”のモモンとナーベに私的な願いを頼み込むに至ったのだが――、
「……結構、無茶な真似をしたわよね」
今更ながら、職責を問われても仕方のない振る舞いだった。
今も冒険者組合の職員を続けていられるのは、受付嬢の勝手な行為を問題視しなかったモモンの温情だろう。
最終的には“漆黒”の働きによって全員の無事が確認され、少しばかりの日を置いてから“翠の旋風”もエ・ランテルに帰還してくれた。
やや居心地の悪そうにしていた青年から調査の失敗を報告されたものの、事前に依頼が撤回されていたこともあり、現地での事情は必要以上に詮索していない。
こちらの謝罪を受け入れてもらうばかりか、寧ろ心配をかけたと詫びの品まで渡されてしまったのだから、年長者らしく振舞っていた身としては色々と立つ瀬がなかったのだ。
未来のことを考えても、過去の出来事を思い返してもこぼれるのは溜め息ばかりで、自分が少しだけ嫌になる。
「……でも、美味しかったなぁ」
ぽつりと呟いた言葉が、人気のない組合の建物に妙な残響の尾を引いていく。
断り切れずに受け取ってしまった詫びの品は、巷では幻の食材とも呼ばれる怪鳥〈ペリュトン〉の燻製肉だった。
いたたまれない気持ちから同僚たちに声をかけ、せめて仲良く分け合うことにさせてもらったのだが――、お裾分けしたことを僅かながら後悔するくらいの衝撃だった。
噛み締めるほどに舌の上で甘やかに蕩け、全身が得もいわれぬ幸福感に包まれる極上の感覚は、そうそうと出会うことができないだろう。
「一人で食べていたら、もっと後悔していそうね」
誰にともない言い訳に肩を竦めつつも、同席していた仲間たちの興奮する様子を思い出せば、口許には自然と笑みが形作られている。
「さて、次は何をしようかしら……」
そうして、気持ちを切り替えるようにと、大きく背筋を伸ばしたときだった。
ガチャリ、と不意に開け放たれた正面扉の向こう――思いがけなく現れた人物の姿を見止め、受付嬢は慌てて息を呑み込む。
煌びやかな宝石に彩られた真紅の装束は初めて目にしたが、街中のアンデッドとは一線を画す白磁の髑髏を見紛えるはずもない。
「――ま、魔導王陛下!?」
戸惑いながらも急ぎ足で駆け寄り、失礼のないようにと受付嬢は深く頭を下げた。
閑散とする組合内を見回していた視線の主、“魔導王”アインズ・ウール・ゴウンが落ち着き払った一瞥をくれ、厳かな語り口で言葉が紡がれる。
「依頼が少ないようだな」
「も、申し訳ございません」
背筋に冷たいものを感じつつも、突然の事態に混乱する頭を振り絞って謝罪の言葉を口にする。
「――責めているのではない。ただ不思議に思っただけだ。昔はもっと多くの依頼があった……いや、冒険者モモンからそう聞いている」
こちらの緊張を察してなのか、魔導王の口調は僅かばかり穏やかなものとなっていたが、受付嬢としては内心の焦りか顔に出てしまわないかと不安で仕方がない。
依頼が減っているという事実のみを説明するに止めて、その要因や先ほどまでぼやいていた不満は胸の内に隠す。
「……なるほど、アンデッドの警備で治安が良くなったせいか」
それでも、魔導王にはさらりと言い当てられてしまったのだから、心臓の鼓動が一つ大きく跳ねるのを感じた。
冒険者組合の苦境に影響していることは間違いないのだが、まさか魔導国の体制批判と捉えられる訳にはいかない。
「……組合長はいるか?」
続いて発せられた問いかけを幸いに、「はいっ、少々お待ちください!」と受付嬢は素早く踵を返すのだった。
*
「――っ、いったい何を探れと……全く人使いの荒い皇帝様だな」
路地の陰から無遠慮に現れた異形の騎士を見咎めて、ティラは思わずと苦笑いを浮かべてしまう。
雇い主への愚痴を堪えつつ、反射的に仕込み刀へと伸びかけていた手を制し、何事もなかったように歩みを進める。
丁寧に敷き直された真新しい石畳の上、軽やかな長靴と重々しい異形の足音とが交錯した。
落ち窪んだ眼窩の奥に宿る赤の灯火、不気味な兜から突き出る湾曲した角は自前なのだろうか。
血管の如き紋様が這い回る黒の全身鎧に、こちらの身の丈を優に超える巨大な剣と盾は、街中で見かけるには物騒に過ぎる代物だ。
横目に流した禍々しいアンデッドの鎧姿は、帝都アーウィンタールの地下で秘密裏に囲われていた死の騎士〈デス・ナイト〉と同種のはずだった。
暗殺者集団“イジャニーヤ”を束ねる女頭領のティラをしても、正面から挑めば無事では済まないほどの難敵であり、殺した相手から従者の動死体〈スクワイア・ゾンビ〉を生み出す特性から、単独で小国を滅ぼしたとまで噂される存在なのだが――、
「……伝説とやらが聞いて呆れるな」
そうした国家存亡の脅威たるアンデッドが、エ・ランテルの市街を平然と闊歩している。
――より正確な表現をするのであれば、魔導王の統制下で警備のために街中の巡回をしているのだ。
ふと視線を持ち上げたのなら、大通りの先には別のデス・ナイトの姿が確認できてしまうのだから、溜め息の一つでもこぼしたくなるのは無理からぬことだろう。
さらに驚くべきは、エ・ランテルの住民たちにアンデッドを忌避する様子が見られない点だ。
街角に佇む異形の存在を遠巻きに避けているのはいずれも旅装姿の人間ばかりであり、ティラ自身と同様に都市外からの訪問者であろうと推測できる。
「……生者と死者が本質的に相容れることはない、はずだったのだがな」
表立った問題が起きなくとも、アンデッドの支配下に置かれた民衆は必ず不満を溜め込んでいく、そう断じて魔導王への対抗策を進めていた“鮮血帝”の考えは、残念ながら根底から覆されようとしているのかも知れない。
周囲を睥睨するデス・ナイトの視界から逃れるように、手前の路地へと身を潜り込ませたティラは、張っていた気を緩めるように小さく息を吐いた。
近頃は自らの認識を疑いたくなるような事態に見舞われてばかりだ。英雄の領域に届かない身ではあれど、相応に抱いていた強者としての自負は否応なく揺らいでいる。
背筋の冷たい感覚とともに脳裏を過ぎるのは、カッツェ平野の戦場で目の当たりにした光景――、
「……追加報酬は覚悟しておけ」
今頃は帝都アーウィンタールの居城で、嫌味な笑みを浮かべているであろう雇い主――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスに向け、ティラは呪いの言葉を吐き捨てた。
ジルクニフが画策する対魔導国の基本戦略は、表向きの同盟関係を維持しながらも魔導国の危険性を喧伝し、周辺国家との連合による包囲網の形成を目指すというものだ。
一方で、自身が連合の発起人とならないように立ち回る姿は如何にも小賢しいが、強大に過ぎる神話の軍勢に挑まんとする気概だけは認めてやりたいとも思う。
若くして才気に溢れており、数々の実績に裏打ちされた自信は傲慢なほど、それでも隠し切れない卑屈さは“人間”という矮小な種族故の理だろう。
相反する感情を綯い交ぜにしながら、人類が生存するための道を模索するジルクニフの姿勢を野卑するつもりはない。
しかし、絶対に敵うことのない相手が存在することを現在のティラは痛感していた。
死力と奥の手を尽くせば、デス・ナイトの一体や二体を相手取ることは可能かも知れないが、街角ごとに並ぶアンデッドの総数を数える酔狂さは持ち合わせていない。
周辺諸国を何度となく滅ぼせるような先兵の群れを万一にも退けられたところで、王国軍を散々に蹂躙し尽くした“触手の化け物”が一匹でも現れたのなら、一切の希望さえも潰えるだろう。
――何より、それら超常の存在を一身に統べる魔導王本人の、圧倒的に過ぎる強さは本当に底が知れない。
急かされるように細い路地を抜け、別の通りへと差し掛かっていたティラの目の前を数人の子どもたちが駆けていく。
ふと無邪気な笑い声を追いかけた視線の先には、揃いの仕立て服に身を包んだ妙齢の女性たちの姿。
一部の住民たちの間で話題になっていた、魔導王の庇護下で運用されている孤児院の職員だろうと当たりをつける。
引き払われた元貴族の邸宅を改装した孤児院は、先の戦争で夫を亡くし、生活に困窮していた寡婦の働き口になるとともに、旧スラム街に暮らしていた身寄りのない子どもを積極的に受け入れてもいるらしい。
アンデッドが巡回警備をする街中で、悪巧みを考えるような馬鹿は既に淘汰され、そうした地区の治安も劇的に改善へと向かっている。
驚くべきことに、歴史的な大敗からの占領下で地に塗れていたはずのエ・ランテルの街並みや住民たちは、以前にも増した活気を既に取り戻そうとしているのだ。
アンデッドによる統治に疑問符を投げかけ、隙を見出そうとしていたジルクニフの最大の誤算は、稀代の英雄と名高い“漆黒”のモモンが、早々に魔導国の陣営に取り込まれてしまったことだろうか。
死の支配者たる魔導王や配下の者たちが、住民たちに横暴を働くことがないように牽制をするための役回り、といえば聞こえも良いのだが――、
「……あれでは、事実上の代弁者だな」
姑息な人気取りを目指す皇帝が、民衆から支持を受けた闘技場の戦士を取り立てる構図に似ているのかも知れない。
何かしらの不満を抱えたエ・ランテルの住民たちは、頼りとなるモモンを窓口にして魔導国側との交渉を行い、意見や要望を擦り合わせていくことになる。先の孤児院のように陳情が認められることもあれば、仮に譲歩を引き出せなくともモモンを責める訳にもいかず、逆に詫びられてしまったり、宥められたのなら納得するほかにないだろう。
絶大な人気と信頼を集めている英雄が、仲裁役としても有能であるがために、住民たちは不満を溜め込むことが少ないのだと推測できる。
周辺国家との連合とともに、魔導国を内から崩せる存在として期待をかけていた、“漆黒”のモモンを手札から逃してしまったジルクニフの心境は如何ばかりか。
そうでなくとも、バハルス帝国が誇る最強の個であった“逸脱者”フールーダ・パラダインの裏切りに消沈していた姿を垣間見たのなら、ティラとしても些か察するところではある。
身内すらも容赦なく誅殺し、その地位を盤石としてきた“鮮血帝”であるからこそ、幼年からの師でもあり、信頼を置き続けていた親代わりとも呼べる者の行為に動揺を隠し切れなかったのだろう。
「……さて、我々はどう動くべきかな」
先代から継いだ組織を預かる身として、ティラは妹たちのように私情で流されて責任を放棄する真似はできない。
時代の潮流たる魔導王の考えを見誤ったのなら、瞬く間に部下たちを路頭に迷わせることになってしまうだろう。
「いや、ただ殺されるくらいなら救いもあるか」
横目に通り過ぎるアンデッドの騎士を見遣り、ティラは小さくかぶりを振った。
連合策の先駆けとして、スレイン法国との会談を急いていたジルクニフの様子を思い返せば、どこか冷静さを欠いていたような印象が拭えない。
元々、帝国とイジャニーヤの間には金銭面での繋がりしかないのだ。金払いの悪くない取引相手ではあったものの、下手な義理立てをした先に傷心の皇帝とともに心中する謂れもない。
請け負った依頼を果たした後には――、
「――何にせよ、奴の動向から探ってみるしかないのか。……あの間抜け面に期待をかけるのは、あまりに酷だと思うのだがな」
こちらの思惑に乗ってくれるのか、或いは裏目となるのか。
ティラ自身を遥かに凌駕しているであろう、英雄の領域にすら収まらないはずの実力だけであれば申し分ない。
しかし、当人の技量には似つかわしくない判断の甘さに、一抹の不安を覚えることは確かだった。
呆れともつかない溜め息が口の端からこぼれ、やはり分の悪い賭けになりそうだ、とティラは小さく肩を竦めて頭上を仰いだ。
左右の建物に切り取られた方形の青空には、真っ白な入道雲が立ち昇っている。彼方から風に招かれようとする白雲は、果たしてエ・ランテルの街並みに嵐のような雨粒を運んでくるのだろうか。
それでも、初夏を感じさせる日差しの眩しさに、ティラは少しだけ目を細めるのだった。
自分の筆が遅いだけなのですが、現実の夏には冬頃の、本格的に寒くなってきてから夏頃の話を書いているのは不思議な気分です。
原作では、いつの間にかナザリックの傘下となっていたらしいイジャニーヤですが、今後の出番はあるのでしょうか――。残り二巻分のエピソードと考えると、なかなか難しいのかも知れませんね。