カルネ村の復興作業を通して住民との交流を深めていたユンゲたち“翠の旋風”のもとに、“漆黒”のモモンとナーベが来訪する。
王国と帝国間における戦争の顛末と村の救世主であるアインズ・ウール・ゴウンの正体を知らされた一行は、新国家への割譲が予定されるエ・ランテルに帰還したのだが――。
(50)成果
濁ったコールタールよりもドス黒い雲が空を覆い尽くし、幾重にも層を成す雲間からは絶えず稲光が迸っていた。
穢れた大地には吐き気を催すような毒の沼が広がり、そこに押し寄せてくるのは直立した薄気味の悪い蛙〈ツヴェーク〉の群れ。
迎撃に放たれた何発もの火球が爆ぜ、そこかしこから轟々と逆巻く紅い火焔の柱が立ち昇っていた。
間隙を先駆けていたレイドパーティが、目標の地下墳墓の大扉に到達して喚声を上げながら突入していき、唐突に視界が切り替わる。
今度は迷路のように入り組んだ薄暗い石造りの通路で、跳び出してくる下位のスケルトンやゾンビを屠りながら奥を目指していく。
これまでの道中と比較すれば、拍子抜けするほどの難易度に周囲からは嘲りの言葉がこぼれ――、不意に足下の地面が輝き始めていた。
浮かび上がる幾何学状の紋様は、対象を強制転移させる初歩的なトラップだったか。
舌打ちとともに世界は暗転し、さらに光量の絞られた空間に飛ばされたことを理解する。
悪態を吐いた誰かが〈コンティニュアル・ライト/永続光〉を灯せば、照らされていく室内の暗がりには蠢めく無数の影。
ぞくり、と背筋が寒気立つような感覚。
本能的な恐怖のままに放った爆炎が数多の影を焼き払い――しかし、散り散りとなった死骸の山を次々と踏み越え、黒光りする小さな影の軍勢が迫ってくる。
瞬く間に殺到し、足先から這い上がってきた影は、振り払っても振り払っても、なお一層と勢いを増していく。
脛から膝へ、太腿から腰回りへ。鎧の隙間から、ローブの裾から、袖口の隙間から、首筋の襟周りから胸や背中へと侵入して、蠢めきながら無遠慮に這い回ってくる。
誰かの凄絶な叫びに、更なる絶叫が重なる。
視界を覆い隠さんと悍ましく蠕動する影に、誰もが叫ばずにいられなかったのだ。
*
「――っ、うぇええっ」
思わずと飛び起きてしまい、ユンゲは嘔吐くように呻いた。総毛立つような感覚に、嫌な冷や汗で濡れた肌着が酷く気持ち悪い。
やや茫然としながら視線を巡らせれば、すっかりと見慣れた野営用のテントで横になっていたことを思い出す。
夜間からの見張りを仲間たちと交代し、明け方まで仮眠を取っているはずだったのだが――、薄手の布地越しに見上げる空は、既にぼんやりと白み始めている気配だった。
陰鬱な寝覚めに、「……朝、か」と恨みがましい呟きが口を吐いてこぼれた。
「……ユンゲ、大丈夫?」
思いがけない呼びかけは背後から――出入り口の紗幕を払い、顔だけを覗かせたキーファが、心配そうな視線をこちらに向けていた。
「んっ、あぁ……ちょっと変な夢をな。大丈夫、問題ないよ」
苦笑いとともに肩を竦めてみせるが、あまり納得はしてもらえていない様子だ。
カルネ村での戦いにおいて、リ・エスティーゼ王国軍の兵士を殺めて以来の苦い記憶は、浅い微睡みの中でも鈍痛となって繰り返し、今もユンゲの罪を責め立てていた。
情けなくもマリーの気遣いに縋りつき、恰も傷を傷で覆い隠すようにして誤魔化しながら過ごしていたことは、キーファやリンダにも筒抜けなのだから当然の反応かも知れない。
どう説明するべきか、と頭を悩ませたユンゲを憂うように見遣り、テントを跳ねるように跨いだキーファが傍らに屈み込んでくる。
「……ねっ、まだ朝食まで時間あるから、あたしが添い寝してあげようか?」
可愛らしく小首を傾げながら向けられた、上目遣いの問いかけ。
互いの鼻梁が触れ合うほどの距離に、ユンゲは無意識の内に息を呑んだ。
ほんのりと朱を差す艶やかな頬に、こちらを真っ直ぐに見つめてくる野葡萄色の眼差し。
両膝を抱えるようにしたキーファの、切り詰めたジーンズパンツから伸びる素足の白さが、妙に眩しく視界の端に映る。
「――いや、ありがたいけど遠慮しておくよ」
なけなしの自制心を動員して視線を持ち上げたユンゲは、微粒子ほどの理性を振り絞って無理矢理に言葉を紡いだ。
「むぅ、あたしみたいな美少女のお誘いを拒み続けるなんて、ユンゲも酷い男だよね」
わざとらしく頬を膨らませたキーファから更に詰め寄られ、反射的に仰け反ってしまうユンゲの鼻先を細くしなやかな指がむにっと摘まみ上げる。
やや俯きがちな視線に、先ほどまでとは異なる寂しげな表情。
いつもの溌剌とした笑顔が、曇ってしまいそうな気配に不意の恐怖があった。
「――だっ、だけどな……いや、言い切ったなら照れないでくれよ」
焦りから言い訳を口にしかけたユンゲは、しかし間近に寄せられながら一層と赤らんでいくキーファの頬を見遣り、思わずと突っ込みを入れてしまう。
「ふーんだっ! 全部、ユンゲが悪いんだもん」
ぷいっ、とわざとらしく顔を背けてみせる“美少女”の仕草に、ふと自身の相好が崩れてしまうのを禁じ得ない。
それでも、形の良い耳の先まで染まっていく様に、ユンゲは形ばかりの謝罪の言葉を呑み込む。
「一度くらい、試してくれたって良いのに……やっぱり、汚れた身体は嫌かな?」
消え入りそうなキーファの声音――打ち捨てられた仔猫を連想させる悲痛な横顔に、長い睫毛が微かに震えるのが見えた。
「そ、そんなことはないっ!」
意図せず、大きな声が飛び出していた。
小柄な背がびくりと跳ね、怖々と所在なく彷徨う視線には、大海の不安と一雫の期待とが同居する。胸の内に燻り続けていた罪悪感が、風に煽られるように火勢を増していく。
それでも、続けるべき言葉を見出せないままに、ユンゲは怯えるように小さくかぶりを振った。
「キーファが汚れているなんて、絶対に思わない。ただ、それは……何というか、俺にばかり都合が良過ぎる」
毅然と断わることもできない、問題を先送りにするだけの煮え切らない台詞。
吐き出した溜め息は、自身の口からこぼれたとは思えないほどに重苦しいものだった。
「……別に、あたしは都合の良い女でも構わないんだよ。どーせ、使い潰されて死ぬだけの運命だったもん。あのとき、ユンゲが救い出してくれなかったら……、とっくにそうなってた」
諦観を滲ませるキーファの冷めた口調に、啜り泣きを堪えるような気配が孕む。
敗戦から虜囚の身となり、奴隷として使い捨ても同然な扱いを受けていた境遇を思えば、そうした最悪な未来の形もあり得たのだろう。
あまりにも自惚れた考え方だと自覚しているが、目の前で僅かに震えてさえいる華奢な肢体を抱き寄せれば、全ての物事は上手くいくのかも知れない。
しかし、その行為が本当に正しい振る舞いになるのかと、ユンゲは胸の内に問いかける。
思い起こされてしまうのは、かつて大闘技場で相対した“天剣”エルヤー・ウズルスの傲慢で醜悪な顔立ち。己の剣の腕を鼻にかけ、傍若無人な態度でキーファたちを苦しめていた男の影が、自分自身の情けない姿と重なっていく。
できるだけ対等な関係でありたいと接してきたが、奴隷から解放したという事実は変わらず、ある意味では彼女たちから他の選択肢を奪ってしまったのではないか――、と。
英雄譚に謳われるような強い信念があった訳でもなく、“ユグドラシル”という遊びの延長線に得た力を振るっただけの結果だ。決して、胸を張って誇れる類いの武勇伝ではない。
義憤に駆られたと言えば聞こえは良いが、少しばかり身に余る力を持ったことで増長し、“悪”を断罪する大義名分に酔い痴れながら、良い格好がしてみたかっただけに過ぎない。
(……今更、何を善人ぶろうとしてるんだろうな)
カルネ村での一件では、王国兵の命を奪ったという罪の意識に託けて、あの夜にマリーの身体を求めてしまっている。
そうであるのなら、胸の内に揺らいでいる今の葛藤も、身勝手な言い訳を探しているだけの偽善や欺瞞に他ならないのだろう。
――だが、耳に痛いほどの沈黙は、ユンゲを押し潰さんとするかのように圧を増していく。
暁を告げる鳥の鳴き音も届かない静寂に、少女の小さな溜め息がこぼれた。
「……あんまり、困らせちゃっても駄目かな」
屈んだ姿勢から軽く反動をつけ、すくりと立ち上がったキーファが肩を竦めつつ、「ごめんねっ」と恥じらうように小さく肩を竦めてみせる。
「……でも、諦めるつもりないから覚悟しといて」
可愛らしくも、儚さを孕んだ気丈な笑顔。
――ただ強く抱き締めろ。
喉の奥が低く唸り、そんな言葉が脳裡を過ぎる。
しかし、何も踏み出せないままに空白の時間だけが滑っていく。
一拍の間を置き、ようやっと身を起こしかけたユンゲを躱すように、キーファがさらりと一歩を跳び退いた。
「……あと朝食の準備はできてるからさ、先に顔でも洗ってきたら?」
そう静かに言葉を重ねたキーファが踵を返せば、後ろ手に括られた栗色のポニーテールが少しだけ寂しげに弾む。
無意識に伸ばしかけていた腕を慌てて引き戻し、ユンゲは苦笑いとともに小さく息を吐いた。
「……あぁ、そうさせてもらうよ」
「へへっ、今朝のも自信作だから期待しててよ!」
首だけで振り返ったキーファは、横顔にいつもの悪戯めいた笑みを浮かべていた。
この場での会話を軽い戯れ合いとして流せるようにしてくれたのだろう。
それでも、ユンゲの胸の内に広がるのは、忸怩たる自己嫌悪の感情ばかり。
その去り際、僅かに垣間見えた目許を拭う姿が頭から離れてくれず、不快だった夢の記憶はすっかりと霧散していたのだった。
*
乾いた死の大地を断ち割り、噴き上がった熱水の奔流が、押し寄せた動死体〈ゾンビ〉の群れへと殺到する。
爆発にも等しい煮え滾る衝撃は、瞬く間に敵の先駆けを飲み込み、纏わりつく気味の悪い薄霧を吹き散らしていく。
「――でっ、できました」
手にしていた短杖を震えるように握り締めつつ、第三位階魔法〈ガイザー/間欠泉〉を放ってみせたマリーが、どこか惚けたように口を開いた。
「マリー、凄いよ!」
真っ先に駆け寄っていったキーファが、「おめでとー!」と歓喜の声とともに跳びついた。
横合いから急に抱きつかれ、よろめくように踏鞴を踏んだマリーの顔には、それでも嬉しそうな笑みが広がっていく。
「ふふっ、ありがとう。遂にやったよ!」
そのまま仲良く踊り始めそうなほど浮かれた声音には、思わずと頬も緩みそうになる――と、
「……次が来るぞ。二人とも、まだ気を抜くなよ」
冷静に周囲を見ていたリンダが、軽く嗜めるように警戒の声をかける。
ようやっと視線を返せば、物言わぬ骸に戻った死屍の丘を踏み越えて、更なるアンデッドの群れが迫っていた。
「だが、よくやったな。今度は私に任せてくれ」
柔らかな微笑みと労いの言葉に、頷きを交わしたマリーとキーファが表情を引き締め直し、錫杖を構えたリンダと隊列の先後を入れ替わる。
前衛での壁役も務められる神官〈クレリック〉のリンダを先頭に据え、遊撃を主体とする野伏〈レンジャー〉のキーファと補助魔法での支援を担う森祭司〈ドルイド〉のマリーを後衛に配する、彼女たちの基本陣形だった。
今日も相変わらずの薄霧が立ち込め、無数のアンデッドが蔓延っている危険地帯――カッツェ平野において、僅かな慢心が命取りになりかねない。
彼女たちの更に後方から戦況を眺めていたユンゲは、小さくかぶりを振り、自身を叱咤するために頬を両手で強く張った。
今朝の出来事もあり、思考が散漫となっている自覚もあったが、万一にも彼女たちでは対処できない難敵が現れたときに備えている身で、警戒を怠ることは許されないだろう。
今回、ユンゲたち“翠の旋風”がカッツェ平野への遠征を決めたのは、マリーとリンダが新たに習得した魔法の発現を試みることが主目的だった。
この転移後の世界における魔法の習得は、ゲームでの仕様とは異なり、単に敵を倒してレベルアップするだけでは儘ならない。
彼女たちに魔法のスクロールを貸し出したのは、昨年の夏頃だっただろうか。
名指しの依頼で帝都アーウィンタールに呼び出され、魔法狂いの爺や性悪皇帝の不意打ちを受けて疲弊した後のことだった。
あの日から熱心にスクロールを読み込み、ともに数々の依頼をこなしながら地道に重ねてきた努力と研鑽が、ようやくと実を結ぶことになったのだ。
この世界における第三位階魔法の習得は、一人の魔法詠唱者として大成した証であり、その領域に到達できる者の数は決して多くないという。
それぞれの首許で真新しい輝きを放っている白金〈プラチナ〉の冒険者プレートは、彼女たち自身の実力で掴み取った成果だった。
血塗れたシミターを振り上げる骸骨〈スケルトン〉を前に、怯むことなくリンダが進み出ていき、滑らかな詠唱とともに振るわれた錫杖が、その先端に神々しい光を灯す。
不浄なる者を滅する第三位階魔法〈ホーリーライト/神聖光〉の煌めきが辺りに満ちていき、音もなく柔らかに弾けた。
粗暴な骨だけの輪郭が光の中で溶け崩れ、霞のように吹き消えていく。
ふと木漏れ日に目を細めるような心地良さ、ふわりと呼び起こされた涼風が、澱んでいた空気を彼方へと吹き流してくれる。
「……とりあえず、大丈夫そうだな」
辛うじて記憶するゲーム内の効果では、カルマ値がマイナスに傾いているほどにダメージが大きくなったはずだ。
自身が浄化の対象でなかったことに小さく安堵の吐息をこぼしつつ、ユンゲが這い回る影の姿を追って頭上を仰ぎ見れば、対アンデッド特効となる信仰魔法を避け、上空に難を逃れていた一匹の骨の禿鷲〈ボーン・ヴァルチャー〉。
それも次の瞬間、飛来した矢に頭蓋を穿ち抜かれ、力なく地面へと落下してくる。
再び影に従って視線を戻せば、上方に向けて弓を構えるキーファが肩越しに振り返り、こちらに得意そうな笑みを向けていた。
三人の内、一人だけ魔法を使えないキーファではあるが、持ち前の勘の良さに加えて弓術に磨きをかけおり、不意の遭遇戦や長距離からの奇襲において、とても頼もしい存在になってくれた。
「グッジョブだ!」と親指を立てて応じつつ、ユンゲは自身の役割を戒めるように周囲を見回した。
あれほどに群れていたアンデッドもすっかりと消え去り、静けさを取り戻した荒野には、やはり草木の気配一つも見つけられない。
以前と変わらない生命の息吹が絶えた不毛な景色ではあったが、どこか清々しいような印象を覚えてしまうのは、〈神聖光〉の余韻がなせるものなのだろうか。
少し晴れた薄霧の向こうには鮮やかな初夏の青空が広がり、じりじりと燃え立つ太陽は中天へと差しかかろうとしている。
「……さてと、二人とも良い感じだったな。調子はどうだ?」
ようやっと息を吐いていたマリーとリンダに向き直り、ユンゲは気遣いの言葉をかけた。
「はいっ! 少し疲れはありますけど、まだまだ大丈夫です!」
「同じく、今の手応えを忘れない内にもっと確かめておきたいですね」
晴れやかな笑顔と充実を思わせる頼もしい二人の台詞に、こちらの口許まで綻んでしまう。
新しいことができるようになったのなら、色々と試してみたくなるのはゲームの中でも、この現実となった世界でも変わらない人情だろう。
それでも、慣れない第三位階魔法の行使は、やはり肉体的にも負担が大きいはずだ。喜びに浮かれているときには、得てして落とし穴に嵌ってしまいがちなものだが――、
「――なら、無理しない程度に進んでみるか」
胸の内で燻っている躊躇いを振り払うように、ユンゲは静かに口を開いた。
そうした事態を避けるためにこそ、後方腕組み面で偉そうな真似をしているのだ。
「さんせー!」と軽やかに声を上げてくれたキーファが、ぴょんぴょんと跳ねるように手を振りながら駆け戻ってくる。
互いに小さく頷きを交わし、どちらからともなく肩を竦め合えば、もう何も問題はない。
「……絶対に危険は見逃せないぞ」
「とーぜん! ヤバいの見つけたら、速攻でユンゲに任せるからね!」
いつもと同じ、こちらまで楽しい気持ちにさせてくれるキーファの快活な笑み。
あぁ、と素直な返事で請負うことができた。
そうして、凝り固まっていた身体を大きく伸ばしたユンゲは、遠くから這うように押し寄せてくる薄霧を静かに睨みつけるのだった。
素直にハーレム路線に進んでおけば良かったのかな、と書いている本人なのに思います。
次回からは魔導国(エ・ランテル)でのお話になる予定ですが、アインズ様たちとの対面をどう描いたものか……。
とりあえず、年内の更新は最後になります。
「皆さま、良いお年をお迎えください」