「ようこそ、お越しくださいました。突然のお呼び立てとなってしまい、誠に申し訳ございません」
丁寧な出迎えの挨拶とともに美貌のメイドが恭しく頭を下げたのなら、三つ編みに束ねられた赤髪が艶やかに流れた。
敬虔な修道女を思わせる、黒を基調とした給仕服と柳腰の貞淑な佇まい。
柔らかな朝の日差しを浴び、鮮やかに煌めく毛先が蜂蜜色の豊かな谷間へと垂れていた。
思わずと誘われるようにユンゲの目線は下方へと向かってしまい、裾から切り上がる魅惑のスリットからは引き締まった極上の脚線美が覗いてーー、不意の凍てつくような怖気。
嫋やかな所作で顔が持ち上げられたのなら、穢れを知らない満開の笑みだけが咲き誇る。
「――私心ながら、“翠の旋風”の皆様と再びお会いできるのを心待ちにしておりました」
「えっ……あぁ、ご無沙汰してます。ルプスレギナさん。お、お招きいただきありがとうございます」
ようやっと言葉を紡いだユンゲは、無意識に惹かれていた羞恥を胸の内にしまいながら頭を下げた。
精巧な宝飾品と見紛うばかりの黄金色の瞳に、一瞬だけ過ぎっていった悪戯めいた喜色を思えば、目の前で晴れやかな笑みを浮かべているルプスレギナには、こちらの情けない視線もあっさりと看破されていたのだろう。
今朝方、ユンゲたちの宿泊先まで出迎えに現れたのは、二頭立ての厳めしい骨の悍馬〈スケルトン・ホース〉に引かれる豪華な幌馬車だった。
一介の冒険者チームを呼び立てるにしては、あまりにも過分な好待遇。
訝りたくなる思いを抱きながらも素直に乗り込んだ一行は、僅かな揺れさえ感じさせない馬車の造りに軽い驚きを覚えつつ、程なくしてエ・ランテルの中央区に位置する貴賓館の玄関口で降ろされることになった。
そうして、瀟洒な石造りの門扉の前に控えていたルプスレギナとカルネ村で別れて以来の再会を果たしたのだが――、
(そうか、以前から魔導王に仕えていたのなら、この場で顔を合わせるのも当たり前だったな……)
万の群衆を虜にするであろう微笑みにあやかりながらも、ユンゲの背筋を嫌な汗が流れていく。
嫣然とした真紅の口唇が、いつ意地悪に持ち上がって揶揄いの台詞を向けてくるのかと、まるで断罪を待つような心境になってしまうのだ。
こうした悪寒を覚える気配は、ナーベと相対しているときに似ているのかも知れなかった。
どちらの女性も市井において、“美姫”と称されて遜色のない絶世の美貌の持ち主なのだが、どうにも殺気立つような雰囲気が見え隠れしているようで落ち着かない。端的に言い表せば、ともにユンゲの苦手なタイプということになるのだろう。
「えっと……“漆黒”のナーベさんから、モモンさんの言伝をお受けしたのですが――」
「そのように承っております。残念ながら“漆黒”の御二方は諸用のためにご同席できませんので、私がご案内をさせていただきたく思います」
「あっ、そうなんですね。……よ、よろしくお願いします」
この場に天敵のナーベまで居合わせなかったことを安堵するべきなのか。――或いは、いざというときに頼りとなりそうなモモンが不在であることを嘆くべきなのか。
ユンゲたち“翠の旋風”のために用意された幌馬車などを思い返せば、わざわざ呼び出して悪い話もないと考えたいのだが、相手方の意図は分からないままなので、失礼ながら不安な気持ちが上回ってしまいそうだ。
傍らのマリーたちと軽く目配せを交わしつつ、小さな溜め息がこぼれそうになるのを堪える。
幸いにして、こちらの立場を慮ってくれたらしいルプスレギナは、洗練された振る舞いを崩すことのないままに、「では、ご案内させていただきます」と柔らかに腰を折って踵を返すのだった。
「皆様にはこちらでお待ちいただきますよう、お願い申し上げます」
ルプスレギナの優美な後ろ姿に続いて通されたのは、貴賓館の最上階に設けられた会議室だった。
ニ、三十人余りが一堂に会することのできそうな広い部屋に留め置かれ、ユンゲは場違いな感覚に視線を彷徨わせる。
本来の用途が各国の王族や貴族連中を歓待するための施設であり、厳かな館内にはリ・エスティーゼ王国時代からの贅を尽くした調度品が並んでいた。
「……迂闊に触って壊せないな」
「そうですね。けれど、魔道王陛下とお会いするはずなのに、武器を預けなくても本当に良かったのでしょうか?」
相当に高価であろう精緻な装飾の施された椅子の造形に目を落としていたリンダが、苦笑いとともに疑問の声を投げかける。
「まぁ、ルプスレギナさんが必要ないって言ってたし……、大丈夫なんじゃないか? 俺たち程度の実力じゃ、先ず相手にもならないだろうしな」
やや自嘲するように肩を竦めてみせ、ユンゲもまた苦笑いを浮かべた。
館内を案内してもらう最中、先を歩くルプスレギナに問いかけたのなら、「アインズ様を害されようとお考えでしょうか?」と極北の底冷えする声音で問い返されてしまったものの、ユンゲたちが武器を携帯することに咎めはなかった。
滅相もないですよ、とユンゲが軽く首を左右に振ったのなら、麗かな木漏れ日ような微笑みを返されるだけで何事もなく流されてしまったのだ。
元より、こちらに魔導国と敵対する意志がないとはいえ――信頼されているというよりは、やはり歯牙にも掛けられていないのが実情だろう。
それ以上の言葉を交わすことが憚られるような思いに駆られ、ユンゲは柔らかな日の差し込む窓辺へと歩み寄った。
眼下に広がる街並みには朝の賑わい。
まだ少し肌寒いほどの時分なのだが、石畳の敷かれた大通りを荷馬車が行き交い、街の人々は白い息を弾ませながら挨拶を交わしている。
朝市の露店からは、既に威勢の良い呼び込みまで聞こえてくるようだ。
そうして、すっかりと活気を取り戻しつつある街角には、黒衣を纏った死の騎士〈デス・ナイト〉の佇む姿が溶け込んでいる。
この世界では伝説とまで謳われていたアンデッドの騎士は、他の都市であれば当然のように大きな騒ぎとなるはずなのだが――、こうした生者と死者が共在する街の営みが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の首都〈エ・ランテル〉における新しい日常となってきたのだろう。
何の気なしに視線を巡らせながら、ユンゲは暫くのときを眼下の光景を眺めていた。
*
――“魔導王”アインズ・ウール・ゴウン様のご入室です。
鈴を転がすようなルプスレギナの艶やかな声に促され、ユンゲは正しい作法なども分からないままに頭を下げた。
重厚な開扉の音とともに立ち込めてくるのは、濃密な“死”の気配ーー思わずと額に滲む冷や汗は、絶対者たる超常の存在を前にした生存本能だったのかも知れない。
「……公式の会談ではないから、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。顔を上げてくれたまえ」
以前にも耳にした男性らしい声音は、やはり尊大さと親しみやすさとが同居する不思議な響きを湛えていた。
(……えっと、許されても一度目は固辞した方が良いんだっけか?)
曖昧な記憶を探りつつ、横目で傍らのマリーたちの様子を窺ってしまうが、不安そうな視線が重なるばかり――。
あまり時間はかけられないと意を決し、ユンゲは静かに顔を持ち上げる。
絢爛華麗な闇色の装いは気品に溢れ、細緻な金糸の刺繍が施されたローブの開いた襟元からは、剥き出しとなった仄白い鎖骨や肋骨が覗いていた。
厳めしい大角の意匠と巨大な宝玉に飾られた頭部もまた、人間の部位ではありえない鋭い顎先を誇る髑髏。落ち窪んだ眼窩の奥には真紅に燃え立つ鬼火が灯り、骸骨の指先が掴む黄金のスタッフには禍々しい輝きを帯びた七匹の蛇が絡み合う。
覚悟をしていても、なお圧倒的な存在を前にした衝撃は、咄嗟に口にしようとしていた言葉をユンゲから忘れさせてしまった。
――不意に訪れる、奇妙な静寂。
片膝立ちの姿勢から見上げる格好となった半森妖精〈ハーフエルフ〉の眼差しと、殿上から寛雅に見下ろす格好となった死の支配者〈オーバーロード〉の眼差しとが刹那に交錯し、ふと胸の内を過ぎる僅かな既視感。
「……久しいな、“翠の旋風”ユンゲ・ブレッター殿。急な呼び立てとなり、悪かったね」
「あっ……いえ、とんでもありません。こちらこそ、長らくご無沙汰しておりました、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。本日は、お招きをいただき大変に光栄です」
上位者から先に口を開かせてしまったユンゲも、慌てて感謝の言葉を述べた。
「……なに、先ほども言ったが、この場で畏まった挨拶は必要ない。皆さんも気を楽にしてくれたまえ。……あぁ、そうだ。私のことはアインズと呼んでくれて構わない」
軽い口調で言い差した魔導王は、鷹揚に笑ってみせながら傍らにルプスレギナを呼び寄せ、「客人に飲み物を」と衒いもなく告げる。
カルネ村での尽力に御礼をせねばならないしな、と朗らかに言葉を続けるアインズの雰囲気は、人の姿であれば片目を瞑ってウインクでもしていそうな気安さだった。
しかし、生憎と骸骨の表情を読み取ることができずに、その笑えない冗談の真意を掴めないユンゲは、どのように反応するべきなのかと返答に窮してしまう。
それでも、背筋を襲う極大の悪寒に従って再び頭を下げた。
「一介の冒険者である身には畏れ多いことです」
「ふむ……そうか、別に私としては構わないのだが――」
鋭利な顎先に手をかけつつ、首を傾げるような魔導王の振る舞いに、ユンゲの全身を刺すような気配が背後で膨れ上がっていく。
やや狼狽したくなる思いを押し隠しながら、決死の問いを絞り出す。
「……では、ゴウン様とお呼びさせていただいてもよろしいでしょうか?」
魔導王の意向を真っ向から拒否すれば、気を悪くしてしまうかも知れない。一方で、悪寒の元凶であるはずのルプスレギナは、ユンゲが分不相応な待遇を受けることを良しとは考えないだろう。
事実として、給仕を命じられて下がっていった部屋の片隅からは、威圧や殺気にも等しい零下の視線を強く感じていた。
(……だったら、エンリやネムたちの呼び方に合わせるのが無難だよな)
心臓を鷲掴みにされているような不快感を振り払い、辛うじて導き出した折衷案に縋りついたのなら、果たして――。
「了解した。では、よろしく頼む」
あっさりと魔導王の承認が得られたことに、ユンゲは内心でほっと胸を撫で下ろすのだった。
最初の言い知れない緊張を除いたのであれば、“魔導王”アインズ・ウール・ゴウンとの謁見はつつがなく過ぎていった。
王国軍と対峙したカルネ村での一件に始まり、その後の復興作業におけるユンゲたち“翠の旋風”の働きを賞賛され、村人からの感謝を改めて伝えられることになった。
何の変哲もなさそうな辺境の開拓村にどのような思い入れがあるのかは知れなかったが、やたらと上機嫌な様子のアインズに接すれば、こちらの対応は間違っていなかったはずだと思いたい。
トブの大森林の奥地に踏み入れ、冬季のみに現れる珍しい“怪鳥”ペリュトンを狩猟した話題などは特に受けが良く、血抜きや皮剥ぎなどの細かな手順まで質問をされたほどだ。
また、昨日の会話で不安を覚えていた街中で強力なアンデッドが出現する可能性について訊ねてみたのなら、万一の事態にも備えがあると明言してもらえたことも良かっただろう。
そうした取り止めのない談笑の最中、ルプスレギナから供された飲み物のあまりの美味さに瞠目し、思わずと“おかわり”をせびってしまったことはユンゲの失態であったものの――、
(冗談抜きで本当に美味かったんだから、仕方ないよな……うん、全ては食欲を抑えられないこの身体が悪いんだ)
この異世界に転移を経験し、半森妖精〈ハーフエルフ〉という種族になって以来、どうにも食欲に対しては自制が働かないのだから仕方ない。
胸の内に言い訳を重ねていたユンゲだったが、結果として「それほど気に入ってくれたのなら、今度は宿まで届けさせよう」という“魔導王の金言”を引き出すことができたのだから、欲望に忠実であることも時宜によっては大切なのかも知れない。
ありがとうございます、と殊更に声を張った視界の端で、リンダやマリーは苦笑いを浮かべていた気もするが、甘味の好きなキーファは喜んでくれるはずなので押し切ってしまう。
そうして、いくつかの話題がひと段落し、ユンゲが晴れ晴れとした笑顔になったときだった。
軽い咳払いをしたアインズが、こちらの反応を窺うように柔らかな声音で口を開いた。
「――さて、実は皆さんに紹介したい子たちがいるんだ。この場に招き入れても構わないかね?」
玉座からの思いがけない問いかけ。
「えぇ、問題ありません」
やや戸惑いを覚えながらも断る理由はないと判断し、ユンゲは素直に了承を返して立ち上がった。
「感謝するよ」と微笑んだように、一つ優雅に頷いてみせた魔導王の目線を受け、控えていたルプスレギナが恭しく頭を下げて扉を押し開く。
「失礼しますっ!」
「……し、失礼します」
対照的な二つの声音と小柄な人影。
肩口で切り揃えた鮮やかな金髪と褐色の瑞々しい肌、特徴的な長く尖った耳は同族特有の形質なのだろう。
先に立った“少年”は、溌剌と弾むような足取りで魔導王の右隣へ。
後に続いた“少女”は、緊張の面持ちで恐る恐ると魔導王の左隣へ。
振る舞いはまるで正反対ながらも互いに良く似通った容姿は、二人の血縁を思わせる。
「――では、紹介しよう。双子のアウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ、私の最も大切な友人から預かっている子どもたちだ」
随分と誇らしげな魔導王に優しく肩を抱かれ、可愛らしい双子の闇妖精〈ダークエルフ〉は、ともに嬉しそうに頬を上気させていた。
「さぁ、二人とも挨拶をしてみなさい」
どことなく父性を感じさせるアインズの言葉に促され、ようやくとユンゲたちの存在を意識したのかも知れない。
威厳を湛える白磁の横顔を陶然と見つめていた四つの瞳が、尊敬から猜疑へと冷めるように色を変えた。
やや胡乱げに向けられた対となる青と緑の双眸は、やはり非常に良く似ている。
「アウラ・ベラ・フィオーラ。……よろしく」
先ほどまでの快活さを消し去り、素っ気ない態度のアウラがぼそりと言い差せば――、
「……えっと、マーレ・ベロ・フィオーレです。よ、よろしくお願いします」
おどおどと躊躇っていたマーレが、杖を握り締めながら控えめに頭を下げた。
いきなり見慣れない相手の前に立たされ、無意識の内に警戒してしまう――自身が幼少だった頃を懐かしく思い起こさせる、あどけなさを残したアウラとマーレの拙い挨拶。
二人の姿を見守るような魔導王の眼差しに温かさを覚えて、ユンゲは自然と口許を綻ばせた。
「ご丁寧にありがとうございます。初めまして、エ・ランテル所属の冒険者、“翠の旋風”のユンゲ・ブレッターです。こちらの三名は同じチームで活動をしている……、ん?」
そうして、傍らの仲間たちを紹介しかけ、はたと言葉を詰まる。
驚きに目を見張り、息を呑む――まるで、金縛りのように直立不動の姿勢で固まっていたキーファとリンダ、マリーのただならない雰囲気を見遣り、ユンゲは小さく首を傾げた。
「……皆、どうしたんだ?」
やや躊躇いながらも小声で問いかければ、やおらと三人の視線が焦点を結んでいき、ふと弾かれるように膝を突いた。
「――っ、王族の方々を前に失礼いたしました」
伏せた横顔には、いつにない焦りの表情。
何故か緊迫した様子のリンダに続き、遅れて頭を下げていたキーファとマリーが、「し、失礼しました!」と慌てながら謝罪の言葉を口にする。
ユンゲの粗相に気を配りながらも、和やかに歓談を楽しんでいた仲間たちの姿は、そこになかった。
「「……えっと、いったい何が?」」
不意の事態に疑問符を浮かべるユンゲとアインズの声音が、思いがけず重なったことに気付く者はいなかった。