オーバーロード 新参プレイヤーの冒険譚   作:Esche

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(55)気勢

 帝都〈アーウィンタール〉の城門を抜け、ユンゲたち“翠の旋風”を乗せた馬車は賑やかな中央道路を進んでいく。

 道中の宿を早朝に発ったこともあり、まだ夏の日差しも柔らかな頃合いなのだが、通りに面して所狭しと軒を連ねる商店はどこも盛況な様子だ。

 白を基調とした統一感のある街並みはやはり洗練されており、増築を重ねたことで雑多な印象のある城塞都市〈エ・ランテル〉の風景とは、かなり雰囲気が異なって見える。

 ユンゲとしては好ましい感情を抱けない相手ではあるが、バハルス帝国を統べる“鮮血帝”ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの手腕は見事なものだ。

「……先に宿は取らなくて良いのか?」

「あぁ、このまま向かってくれ」

「……了解した」

 御者役を引き受けてくれた“女忍者”ティラの問いかけに軽く頷いてみせ、ユンゲはやおらと視線を巡らせた。

 馬首の向けられた先に聳えるのは、巨大な円形の建造物の威容――帝都に住まう人々の最大の娯楽施設である“大闘技場”からは、熱狂的な歓声が地鳴りのように響いてくる。

「既に開幕しているようですね。まだ席は残っているのでしょうか?」

 同じように前方へと目線を向けていたリンダが、こちらに向き直ってやや不安そうに小首を傾げる。

「そうそう、久方ぶりに“武王”の試合だーって、門の衛兵さんたちまで噂してたもんね」

「まぁ、俺たち五人分くらいなら大丈夫じゃないか? 最悪、立ち見でも我慢すれば――」

「むぅー、でも……どうせなら落ち着いて観戦したくない?」

 わざとらしく駄々を捏ねてみせるキーファに苦笑しつつ、「気持ちは分かるけどな」とユンゲは肩を竦めた。

「立ち見でも、マリーは抱っこしてもらえるね」

「――っ、結構です。キーファがしてもらえば良いでしょう」

 たわいのないキーファの軽口に珍しく語気を強めたマリーが、抗議にぷくりと頬を膨らませる。

 そうした可愛らしい反応を見せるから、余計に揶揄いたくなるようにも思うのだが、どうにも子ども扱いされることにだけは不満があるらしい。

 しかし、マリーが相手なら抱っこも冗談で済ませられるが、キーファからは本当に要求されかねない妙な怖さがある。

「……とりあえず、席が残ってることを祈ろうぜ」

 下手に藪蛇とならないように短く言い差し、ユンゲは身を低くして積荷の袋へと手を伸ばした。

 指先で探り当てたレインフルーツを摘み上げて素早く皮を剥いて齧りつき、柑橘系の爽やかな香りと口いっぱいに広がる濃厚な甘味に舌鼓を打つ。

 燻る火種からは目を逸らしつつ、馬車の心地良い揺れに身を任せてしまうのが無難だろう。

「……やれやれですね」

 ぽつりと呟いたリンダの溜め息が、やけに大きく耳朶を打った気がした。

 

 ――大闘技場の覇者“武王”が、満を持して参戦!

 そうした期待を煽る触れ込みが多くの観衆を呼び集め、帝都の誇る大闘技場はいつにも増して超満員の様相となっていた。

 賭け屋の前にも並ぶ長蛇の列を横目にしつつ、仕立ての良い商人風の衣服を着込んだティラの後ろ姿を追いかける。

「……大丈夫なのか?」

「問題ない。お前たちは私の雇った護衛の冒険者ということにする」

 ユンゲの問いかけに短く受け答えたティラが、懐から取り出した華美な書状を広げてみせ、長槍を手にした警備兵に歩み寄っていく。

 その訝しそうな視線から一転、慌ただしい敬礼とともに封鎖していた通路を開いて案内してくれるのだから、その“皇城付きの御用商人”である証明の効果は絶大だった。

 警備兵に通された先には、全員が余裕を持って座れるほどの広い席が用意されており、間もなく給仕の者まで現れるという、高位の貴族向けのような特別待遇だ。

 ふと思い返せば、初めて“翠の旋風”としての指名依頼を受けたときにも、そうした偽装身分を騙られた覚えがあるので、持つべきものは権力者とのコネといったところか。

「……流石は“鮮血帝”のご威光だな」

 いつかの嫌味っぽいジルクニフの笑みが脳裡を過ぎり、思わずと顔を顰めるようにしながら座席に腰掛ける。

「良い席で見れて助かったね!」

「……まぁ、そうだな」

 隣の席に跳び込んできたキーファの溌剌とした笑みに当てられてしまえば、ユンゲとしては小さく肩を竦めてみせるしかない。

 個人的な好悪の感情は抑えつつ、混雑を気にせずに観戦できることには感謝をするべきだろう。

 気持ちを切り替えるために、ユンゲは眼下の光景へと視線を向けた。

 観客席を隔てる高い石壁に囲われた円形の舞台では、二振りの大牙を剥き出して威嚇する大型の獣と五人ばかりの武装した戦士たちが対峙している。

 以前、ユンゲがエルヤーと賭け試合をしたときには一対一の決闘形式であったが、闘技場では観客を飽きさせないように様々な趣向の演目が取り入れられているという話だった。

 なかでも冒険者がチームで挑むモンスター討伐は高い人気を誇り、帝都の組合にも闘技場への参加を募る依頼がいくつか貼られていた覚えがある。

「――ん? あの槍使いの人って……」

「どうかされましたか?」

 ふとした呟きに横合いから、マリーが上目遣いの視線を向けてくる。

「あぁ……いや、知り合いの冒険者が出場してたみたいだ」

 かつて商隊護衛の依頼をともにした、物腰の柔らかな男が長槍を構えて獣の注意を引いている。

 その背後にはお喋り好きな神官〈クレリック〉の青年の姿もあり、息の合った連携を発揮していた。

 長らくと顔を合わせる機会もなかったが、どうやら帝都に拠点を移していたらしい。

 この世界に転移して間もない頃、エ・ランテルの共同墓地で発生したアンデッド騒動の翌朝――彼らに共同での依頼を持ちかけられていなければ、あのタイミングで帝都を訪れることはなかっただろう。

 そう考えたのなら、こうして今のようにキーファやリンダ、マリーたちと出会い、ともに行動することはなかったのかも知れない。

「――っ、いいぞ! 頑張れー!」

 思わずと口許を持ち上げたユンゲは、周りの大観衆に倣って声を張り上げた。

 突然の振る舞いに、傍らのマリーが碧い瞳を瞬かせるが、郷に入りては郷に従えというように何事も楽しむのが正解のはずだ。

「ほらっ、マリーも応援しようぜ!」

 鋭い槍捌きと爪牙の閃めきが激突し、鮮やかな血飛沫が乱れ舞う。

 悲鳴と声援が喧々と折り重なるように飛び交い、大闘技場に渦巻く熱気は否応もなく高まっていく。

 そうして、戦いの果てに勝利を掴み取った戦士たちには、惜しみない拍手と喝采が送られるのだ。

 

 *

 

「……いよいよ、かな?」

 勝者を讃えていた歓声の大波が引いていき、静けさすら覚える大闘技場の様子を見回しながら、ユンゲは誰にともなく呟いた。

 決して、大観衆の熱が冷めてしまった訳ではない。どこか浮き足立つような気配は、寧ろ最高潮に達する期待感の裏返し――嵐の前の静けさ、とでもいったところか。

 逸るような気持ちで会場を眺めていた視界の端から、拡声器と同型のマジックアイテムを手にした進行役の男が進み出ていく。

「この一番の大試合をエル=ニクス皇帝陛下もご観戦です。皆様、上にある貴賓室をご覧ください!」

「……っ、はぁ?」

 不意打ちに素っ頓狂な声がこぼれ、ユンゲは呻くように頭上を仰いだ。

 会場中の視線が集まる先――ユンゲたちに用意された観客席よりも更に豪華な一室の窓辺に立ち、優雅に片手を上げて答えるジルクニフの姿があった。

 稀代の皇帝を讃えて歓声が上がり、端正な顔立ちに気障な微笑みを浮かべてみせれば、女性たちの黄色い悲鳴まで飛び交うほどの人気者らしい。

「ありがとうございました! さて、それでは皆様、これより久方ぶりに武王の一戦が始まります。準備に少々時間がかかっているようですので、そのまま少しお待ちください」

 盛り上がっていた感情に水を差されてしまい、思わずと左右のキーファやマリーと顔を見合わせる。

「絶対、試合が始まると思った!」

「……皇帝陛下もいらしていたのなら、仕方ないですよ」

「いや、タイミングが悪すぎるな。来賓紹介とか、最初に済ませといてくれれば良かったのに――」

 為政者としては優秀なのだろうが、やはり好きになれない相手だと認識を新たにしつつ、ユンゲは大きく溜め息を吐いた。

 立場から何も言えないティラはともかくとして、苦笑いしているリンダも口にはしないが気持ちは似たようなものだと思う。

 今回、ユンゲたちがわざわざ帝都にまで遠出した理由は一つだけ――大闘技場の覇者たる妖巨人〈トロール〉を観戦するためではなく、その対戦相手にこそあるのだから。

 演目に記載されることのない極秘とされている存在は、少なくとも“武王”との戦いが試合として成立すると見込まれるだけの強者だ。

 そんな漠然とした憶測の中で大闘技場に詰めかける人々の噂には、バハルス帝国が誇るアダマンタイト級の冒険者チームとして、“漣八連”や“銀糸鳥”といった実力者の名前も挙げられていたのだが――、

「それでは皆様、大変お待たせいたしました。これより挑戦者の入場です!」

 先ほどの進行役が再び声を張り上げれば、今か今かと待ち侘びていた大観衆が一斉に瞳を輝かせる。

「挑戦者の名を噂に聞いた方は大勢いるでしょう。その御仁がおいでになりました! 魔導国国王、アインズ・ウール・ゴウン陛下です!」

 噴き上がりかけていた歓声が尻窄みに消えていき、戸惑いに揺れる数多の視線か交錯する最中――開け放たれた挑戦者側の石扉の向こうに異形の姿が現れる。

 かなりの距離を隔てながらも大闘技場に張り詰めるのは、濃密な“死”の気配。

 何度か見かけたことのある闇色のローブではない、気高い騎士のような装いに身を包んだアインズが、奇妙な仮面を取り払って剥き出しとなった髑髏を盛夏の強い日差しの下に晒していた。

 落ち窪んだ眼窩の奥に紅の鬼火が妖しく揺らめき、詰めかけた観衆を睥睨するかのようにゆっくりと左右に振られる。

 ジルクニフの同盟者として表舞台に現れるや、長年に渡っていた戦争でリ・エスティーゼ王国の大軍を完膚なきまでに打ち破り、瞬く間に城塞都市〈エ・ランテル〉を治めるに至った“魔導王”の名を知らない帝国市民はいないだろう。

 そうであっても、他国の王がいきなり大闘技場に選手として名乗りを上げ、剰え帝国最強と讃えられる武王に挑まんとする構図には、咄嗟の理解が及ばないのも無理からぬことだった。

「……そりゃあ、普通は予想できないよな」

 困惑を隠せない観衆の気配をさらりと受け流しながら、悠然と歩みを進めていた魔導王が不意に顔を持ち上げ、おそらくは〈フライ/飛行〉の魔法を使用したのだろう。

 ふわりと中空に浮かび上がり、先に進行役からの紹介でジルクニフが顔を覗かせた貴賓室の方へと向かっていき、何らかの言葉を交わしている様子が見えた。

「――何を喋ってるのか、流石に聞こえないね」

 驚きと戸惑いの声に騒めく観客席で、耳許に手を当てていたキーファが楽しそうに笑い、ユンゲは小さく肩を竦める。

「お偉いさんの話を盗み聞きしても、碌なことにならないぞ」

「まぁまぁ、分かってるって!」

 どこか得意そうに胸を張ってみせるキーファの姿に苦笑いを浮かべていると、背後からは別の感嘆も聞こえてきた。

「……魔導王とは、あれほどの存在か」

 ユンゲたちと同じ観客席には着かず、壁際に背を預けていたティラが腕組みを解き、やや気圧されるように呻いた。

 その切れ長の瞳に隠し切れない畏怖の色を滲ませながらも、鋭い眼差しには自身で見極めんとする決意が宿る。

「なるほど……、噂に違わない傑物らしい」

「やっぱり遠くから見ただけでも、すぐに分かるものなのか?」

「それができない奴は死ぬだけだ」

 端的なティラの答えに否応なく頷きつつ、ユンゲもまた自らの意志で決断をするために、この大闘技場に赴いたことを思い返して息を小さく吐いた。

 

 やがて、ジルクニフとの会話を終えたアインズが優雅に地面へと降り立ち、やおらと王者側の石扉へと向き直ったときだった。

「――皆さま、お待たせいたしました! 北の入り口より、武王の入場です!」

 巻き起こるのは割れんばかりの大歓声――まるで、地面が揺れているかのように感じさせるほどの響動めきは圧巻だ。

 黄金に輝く全身鎧と破城槌のように巨大な棍棒を肩に担ぎ、難攻不落を体現した巌のようなウォー・トロールの“武王”ゴ・ギンが勇姿を現す。

 重厚感のある一歩が踏み出されるたびに一層と歓声が高まり、「頑張れーっ! 武王!!」と大音量で叫ぶジルクニフの声までもが響いているような幻聴さえあった。

 舞台の中央に仁王立つ挑戦者と向かっていく王者――その関係性が真逆であるかのように思えてしまうのは、果たしてゴ・ギンの実力を知らないユンゲの勘違いなのか。

 互いに触れ合えるほどの距離まで歩み寄り、交わされる両者の言葉は歓声にかき消されてしまうが、固く結ばれた握手に何度目かも分からないほどの大歓声が上がる。

「……俺のときとは大違いだな」

 ぼやきを誰にともなく呟き、ユンゲは小さく息を吐いた。

 かつて、この大闘技場でエルヤー・ウズルスと決闘したときは、殆どが喧嘩の延長戦――相手方に対する敬意の念など欠片もなく、ただ御し切れない怒りに任せて暴れただけだった。

 今更のことではあるが、何となく自身の未熟さを思い知らされているような気になり、ユンゲとしてはやや居心地が悪い――と、

「……ゴウン様は、剣を扱われるのでしょうか?」

「ん? どうしたんだ?」

「いえ、こう……杖の握り方が、まるで剣を構えているように思えまして――」

 ふと魔導王と武王の様子を真剣な眼差しで見つめていたリンダが、自身の錫杖を持ち出しながら小首を傾げる。

 握手から距離を取り直して対峙する両者――巨大な棍棒を大上段に構えたゴ・ギンに正面から向き合い、飾り気のない杖を手にしたアインズの立ち姿。

 以前、目にした七匹の蛇が絡み合う禍々しい錫杖とは異なり、実用性に重きを置いた無骨な拵えの杖は相手の棍棒と比してしまえば、あまりに頼りなく映ってしまうのだが――、

「……確かに、言われてみると構え方に違和感があるような気がするな」

 錫杖のように長柄の武器を持つのなら、リンダがそう指摘するように左右の手を適度に離した状態で握り、やや半身の構えを取るのが一般的だろう。

 しかし、杖の柄頭付近に手を揃えて握り込む魔導王の構えは、大きな両手剣を扱うときの姿勢に近い気がする。

 例えば、何度となく模擬戦で訓練をつけてくれたとき、“漆黒の英雄”モモンの立ち振る舞いがそうであるように――、

「……いや、そもそもゴウン様は魔法詠唱者じゃなかったか?」

「それは……そうですよね。あまり深く考えないほうが良さそうですね」

 やや困り顔となったリンダが小さく肩を竦めてみせ、ユンゲもまた拙い考察を放棄するように眼下の光景に意識を向けた。

 バハルス帝国でも最強を謳われる武王を相手に、魔導王がどのような立ち回りを見せてくれるのか。

 アインズが敗北するとは微塵も考えていないユンゲではあったが、周囲と何も変わらない一人の観客として、期待に胸が高まっていくのを感じていた。

 

 地鳴りのような歓声が大闘技場を包み込み――先に仕掛けたのは、王者であるゴ・ギンからだった。

 大上段から振り下ろされた棍棒が空を切って大地を穿ち、巻き上がる爆風のような土煙。

 ようやくと晴れていく視界の中、今度は魔導王が一気に接近し、炎を吹き出した杖を一閃する。

 この燃える振り上げを間一髪で避けた武王の横薙ぎが、魔導王を捉えて凄まじい衝突音とともに舞台の端へと吹き飛ばした。

 圧倒的な膂力を誇示してみせた武王の勝利を確信し、沸き起こる大歓声。

 しかし、壁際まで後退させられたはずのアインズが何事もなく立ち上がって埃を払えば、対して棍棒を振るったはずのゴ・ギンが苦鳴に身体を折り曲げる姿に歓声の波が引いていく。

 無言のうちに距離を詰める魔導王と巨躯を引き摺るようにして離れる武王――戦いの趨勢は、既に明らかだった。

「……今の攻防が分かったか?」

「吹き飛ばされるとき、ゴウン様の左手が武王の肩に伸びていた。……多分、杖の炎は目眩しの囮だったと思う」

 背凭れ越しに身を乗り出してきたティラの試すような視線を受け、ユンゲは言葉を選びながら感想を口にする。

 目の覚めるような両者の戦いではあるが、流石にモモンが振るう斬撃ほどの鋭さはないので、ユンゲにも何とか動きを追うことくらいはできた……と思いたい。

「……とりあえずは、そんなところか。上位のアンデッドには触れるだけで、相手にダメージを負わせる厄介な連中もいると聞く。かの魔導王であるのなら、その程度のことは造作もないはずだな」

 満足そうに一つ頷いたティラの横顔には、一層と真剣な色が浮かんでいく。

 つられるように舞台へと視線を戻せば、気力で立ち上がってみせるゴ・ギンを前に、悠々と舞台の中央まで進み出たアインズが杖を手放し、腰に差した二本のスティレットに武器を持ち替えていた。

 矢のような突進から放たれる連続の刺突――辛うじて武王の反撃を軽やかに避け、再び距離を取り直した魔導王と鮮血に濡れた肩を庇い抑える武王の姿に、観客席からは驚愕の悲鳴が折り重なる。

 ――それでも、既に満身創痍といった様子の武王が兜を取り去れば、苦痛に歪みながらも戦意を失わない武人の顔があった。

「……っ、まだ続けるのか」

 決死の覚悟で強者へと挑む王者の姿に狼狽えつつも、自然と胸の内から熱い感情が込み上げてくるのも確かだ。

「うぉおおおおおー!」

 白熱する歓声の波濤を打ち破り、響き渡るのはゴ・ギンの勇壮な雄叫び。

 そうして、最後の奮戦とばかりに振るわれた剛撃の連打がアインズを上方へと跳ね飛ばし、更に地面へと叩きつける。

 満身創痍の武王の繰り出す怒涛の攻勢に大観衆が沸き上がり――しかし、実力差に導かれる結末が変わることはないのだろう。

 最期には黄金の全身鎧まで脱ぎ捨てたゴ・ギンが膝を突き、遂には生命を燃やし尽くして仰向けに崩れ落ちた。

 

 *

 

 一切の声援や悲鳴が止み、静まり返る大闘技場の直中――バハルス帝国最強を誇っていた“武王”ゴ・ギンの亡骸の前にして、生者の居並んだ観客席を泰然と見回していた“死の支配者”が厳かに口を開く。

「聞け、帝国の民よ! 私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王である!」

 尊大でありながら不思議と親しみさえ覚える男性の声音が、拡声の魔法もなしに心地良い風に乗って届けられる。

「――私は己の国に、国家が運営する冒険者育成機関を作ろうとしている。冒険者を育成と保護し、世界に旅立ってもらうことが国家にとって有益だと考えるためだ」

 予期していなかったであろう宣言に、固唾を呑んでいた観衆が微かな戸惑いを孕んでいく。

 先日の謁見の場において、魔導王は「冒険者という職業について、ぜひ考えを教えて欲しい」とユンゲたちに一つの問いを投げかけた。

 現状を改めて振り返ったのなら、リ・エスティーゼ王国、或いはバハルス帝国における冒険者の存在とは、謂わば“モンスター退治などの荒事を専門とする便利屋”に過ぎないのだろう。

 開拓村に現れたゴブリンの討伐、共同墓地での定期的な巡回や街と街を結ぶ商隊の護衛――人々から必要とされる仕事ではあるが、そこに未知の体験を目指すような輝きは皆無だった。

 この世界に転移して間もなく、冒険者としての活動を始めたユンゲ自身の記憶を思い返しても、冒険らしい出来事を挙げたのなら、“怪鳥”ペリュトンを探してトプの大森林へと分け入ったことくらいだろうか。冒険者という単語に込められた、本来の意味を体現できているとは思えない。

 しかし、そうした憂いの現状も、ある意味では当然なのだと思えてしまう。

 その根本的な原因は、この世界が紛れもない現実であり、気軽に遊ぶことのできた“ユグドラシル”のようなゲームではないということだった。

「――多くの冒険者は己の資質のみで生き抜くことを要求される。……だが、才能が開花する前に、悲劇に屈する者がどれほど多いことか!」

 新たなフィールドに駆け出し、初めて邂逅したモンスターにも果敢に挑む。たとえ返り討ちに遭っても、ペナルティを受けて登録済みの拠点にリスポーンし、レベルを上げてから再挑戦――そうした生易しい世界ではなかったのだ。

 やけに実感の込められた魔導王の台詞に思わずと頷きつつ、ユンゲは仲間たちへと視線を向ける。

「……だからこそ、私は冒険者組合を我が国の機関の一つとすることで、国家を挙げてお前たちをバックアップする!」

 先にも伝えられたように、アインズは冒険者が国家に帰属することを好まないと承知しており、他国との戦争になっても無理に徴兵することはないと御名に宣誓まで受けている。

 何より絶対の武力に裏打ちされた、「こちらと敵対を選ぶのであれば、たとえ相手が“神の軍勢”であろうとも容赦するつもりはない」と気負いも衒いもなく告げられた言葉が、全ての真実だろう。

「魔導国が求めるのは、真に冒険を夢見る者だ! 未知を探り求め、世界を知りたいと願う者は、我が許に来い!」

 アインズ・ウール・ゴウンという超常の存在に庇護を受けながら実力を培い、やがて未知なる世界を求めて旅立っていく。

 嘗ての世界の終わりに際し、せめて美しい夜空を目に焼き付けたいと願った者にとって、それはあまりに甘美な誘い文句だった。

 そして、ユンゲの胸に期するのは、この世界でともに歩んでくれる仲間たちとの出会いの一幕だ。

 

 ――俺と一緒に探してみないか、この世界も多分広いからな。今度は全部の世界を見て回りたいんだ。もしかしたら、まだ誰も知らない素敵な場所があるかもって考えたら、わくわくするよな!

 

 奴隷という過酷な境遇から解放され、それでも故郷には帰れないと倒れそうになる森妖精〈エルフ〉の少女を咄嗟に抱き寄せたとき、ユンゲはそんな台詞で彼女たちを仲間に誘ったのだ。

 涙を堪えていたマリーの可愛らしい顔を間近にして焦り、思わずと口にしてしまった言葉だが――それは、偽りのないユンゲとしての本心であった。

 その想いを果たすために必要だと考えられることは、“魔導王”でも何でも利用してやればいい。

「――見よ、死には抗えるのだ!」と高らかに宣言し、ゴ・ギンの亡骸へと歩み寄ったアインズが、懐から取り出した短杖を振るってみせる。

 どこか神々しさすら覚える輝きが武王の巨躯を包み込み、衆目の中で実演された〈リザレクション/蘇生〉の魔法は、すっかりと言葉を失っていた観衆たちにも変化を与え始めていた。

「死を超克した私がバックアップして、諸君らの成長を補佐しよう! 我が国に来たれ、真なる冒険者を目指す者よ!」

 ふと小さな歓声が耳朶を打ち、それは瞬く間に伝播していく。

 圧倒的な魔導王の武勇に称賛の声が高まり、死の淵から蘇った武王の健闘を讃えて惜しみない声援が届けられる。

 そうした大闘技場の様子をゆっくりと見回し、ユンゲは静かに観客席から立ち上がった。

「……本当に、挑戦されるのですか?」

「そうだな……やっぱり試してみたい、かな」

 向けられた上目遣いの問いかけに、努めて軽い調子で肩を竦めてみせる。

 早鐘のような自らの鼓動に、内心では苦笑いを覚えずにはいられないが、敢えて口許は不敵に持ち上げてしまう。

 仕方がないですね、とこぼれたマリーの小さな溜め息は、多分に呆れを孕みながらも可愛らしいものだった。

「――では、頑張ってください!」

 気取らない激励の言葉に背中を押してもらい、ユンゲは微かな身体の震えを振り払って観客席から跳躍した。

 

 




タイトルに“冒険譚”とあるのに、エ・ランテルと帝都の往復くらいしかしてない本作なので、アインズ様の台詞がユンゲと作者に刺さります。
(マジで冒険要素がないんですよね……)

ちなみに、vs武王のときは〈パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士〉を使用していないので、ユンゲの目でも追いかけることができた設定になっています。
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